「週刊文春」2020年3月26日号に掲載された大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏による記事「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が大きな反響を呼んでいる。「週刊文春」編集部は完売により記事が読めない状況を鑑み、文春オンラインで全文公開する。真面目な公務員だった赤木俊夫さんに何が起きていたのか。森友問題の「真実」がここにある。

出典:「週刊文春」2020年3月26日号

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 2年前の3月7日、近畿財務局職員・赤木俊夫氏(54)が自ら命を絶った。安倍昭恵夫人が関与する小学校への国有地格安払い下げが国会で問題となる中、起きた決裁文書の改ざん事件。真面目な公務員は、なぜ公文書を改ざんし、そして死を選ばなければならなかったのか。「財務省が真実に反する虚偽の答弁を貫いている」「最後は下部がしっぽを切られる」。A4で7枚の痛切な「手記」やメモには、その経緯が克明に綴られていた。「隠蔽の安倍政権」の真実がついに明らかに――。

文:相澤冬樹〈大阪日日新聞記者〉



森友問題
佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNOを誰れもいわない
これが財務官僚王国
最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ、
手がふるえる、恐い
命 大切な命 終止府(ママ)



 ノートに走り書きされたこの短い文章は、財務省近畿財務局管財部の上席国有財産管理官だった赤木俊夫さん(享年54)が死の直前に書き残したもの。「手がふるえる」という箇所に下線が引いてある。実際、文字も震えているように見える。

■闇に隠れ、世間から忘れられていった「手記」

 赤木さんは、世を騒がせた森友事件の公文書改ざんを上司に強要され、自ら命を絶った。2018年(平成30年)3月7日のことだ。彼が何かを書き遺したようだという話は当時からあった。しかし厳しい情報統制が敷かれて詳しい内容はわからず、死を選ぶに至った事情は闇に隠れたまま、世間から忘れられていった。

 ところが実は、彼の自宅のパソコンには「手記」と題した詳細な文書が遺されていたのだ。A4で、7枚。そこには、近畿財務局で密かに行われた驚くべき出来事が克明に綴られていた。

 私がこの「手記」を初めて目にしたのは、赤木さんが亡くなって半年あまりがたった11月27日のことだった。大阪・梅田の喫茶店。そこで私は赤木俊夫さんの妻、昌子さん(仮名)と初めてお会いした。NHKで森友事件を取材していた私が、記者を外されNHKを辞めたことをどこかの記事で知り、会いたいという話だった。

■「これ、見たいですよね?」

 私は昌子さんを取材したことはなかったが、NHK時代に同僚記者から「取材を避けている」と聞いていた。また事前に昌子さんから「質問には答えられないと思います。マスコミと職場(注・夫の職場、近畿財務局)がとても恐いです。そこを理解してください」と伝えられていたので、すぐに取材にはならないだろうと考えていた。

 ところが昌子さんはあいさつを交わしてまもなく、カバンから数枚の紙を取り出した。「これ、見たいですよね?」。それが俊夫さんの「手記」だった。存在は語られていたが記者は誰も目にしたことがなく、詳細がわかっていなかった「手記」。それが今、目の前にある。こんな時、記者は興奮を抑えられない。少なくとも私はそうだった。

 私は声に出して文書を読みながら「この部分、すごいですねえ。こんなことが書いてありますよ」と昌子さんに語りかけた。昌子さんが周囲を気にして「声が大きすぎます」と注意するほど。

 ざっと読んだだけで内容の重大性はよくわかった。「これ、コピーを取らせて頂くことはできませんか?」「だめです」「写真は? メモは?」「どれもだめです。目で見て覚えてください」。最後に昌子さんは「手記」をしまうと「これは記事にしないでくださいね。相澤さんに裏切られたら私は死にます」と言い残して去った。

■昌子さんは「手記」を託し、夫の後を追うつもりだった

 だいぶ後にご本人から聞いたのだが、実はこの時、昌子さんは夫が遺した「手記」を私に託して、そのまま夫の後を追うつもりだったそうだ。ところが興奮する私の様子を見て「手記」を託すのをやめ、同時に命を絶つのもやめた。つまり私は重要文書入手という記者の仕事をしくじったのだが、知らぬ間に昌子さんが自死を思いとどまるという“けがの功名”をあげていたことになる。人生何が幸いするかわからない。



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文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/36818