〇山田顯義が残した言葉
「軍とは何のためにあるか。帝室を守衛し人民を安全にするためである。
しかし他にも、国には法があり律があり、教育の道がある」
「欧米諸国の国法と我人民慣習の法とを斟酌し国法の条目を審議し、
国法に依り以て国律を確定すべし」
「英雄は死す。されど凱旋門は残る。英雄の名声と遺産によって、
市民はその豊かさを享受する」
「兵は凶器なり」
「法律は軍事に優先する」
「生きた。闘った。使命を全うした。人生に悔いはない」

〇高杉晋作の山田評
高杉晋作が亡くなる時に、「奇兵隊を引き継ぐ人物は?」と問われて、
晋作が名を挙げたのは、大村益次郎であった。しかし、
大村は元々、村医者だった為「その次は?」と問うと
「山田市之允」と答えたという。この時、山田顕義はまだ23歳の青年であった。

〇西郷隆盛の山田評
小柄で背が低く童顔だった山田に対して西郷は「よか稚児」と残している。
「神算鬼謀の将」
「あの小わっぱ(小童)、用兵の天才でごわす」