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2019/05/02(木) 14:58:58.45ID:JTUuDRX79「沖縄に寄り添う前陛下の姿勢に文句はない。でも、あの頃を思い出してしまうから、会いたいけど会いたくないんですよ」
疎開当時は国頭村の安波国民学校4年生。
徹底した皇民化教育で「国のため、天皇のため死を恐れない」という思想をたたき込まれた。
「天皇制が続く限り、あの時代に逆戻りしないかという懸念は消えない」と語気を強める。
両親の反対を押し切って平良さんに付いて来た、いとこの時子さんは亡くなった。
「対馬丸に乗らなければ、時子は生きていたかもしれない。私は戦争の被害者でもあり、加害者でもあると思うと苦しくなる」
人々が皇居で日章旗を振る光景には違和感を覚える。
令和への代替わりで、国民が浮き立つ様子を素直に見ていられないという。
「やっぱり死んだ同級生や家族のことを考えると、はしゃいでいられない」と平良さん。「とにかく、平和な時代になれば」と語った。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/415408
参考
お婆さん「人々が皇居で日章旗を振る光景に違和感 天皇制が続く限り戦前に戻る懸念は消えない」
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1556758339/l50