>古代律令国家と万葉集は中国の伝統を模倣・摂取しようとする中で生まれたと考える方が合理的ではある

万葉集研究 −和歌と律令国家−
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2001/254.html
古くから行われた「采詩」とは儒教的政治理念と強く結び付いた観念であり、律令官人たちによる地方の歌の
蒐集という実践もこうした古代中国の詩観の理念に支えられたものといえよう。

中略

むしろ重要なのは、律令官人たちが人民統御という公務を行うのみならず、その延長上にそれにかかわらせて
和歌を作ったことである。それは、『万葉集』の時代に古代中国の政教主義的詩観に基づいた機能(政治・社会
的な有用性、ないしは功利性)が和歌に期待される時代思潮があったことを示すものではないか。支配の装置とし
て和歌が論じられうる理由がここにある。そして、律令官人たちの管轄下の人民への関心と見合うようにして
『万葉集』における庶民の作の量的豊饒という文学史的特質が保障されたと考えられる。

中略

ところで、『万葉集』が庶民の作と伝える例のほとんどは一般の庶民ではなく地方民の歌である。特に、東歌と
防人歌は東国方言的要素を多分に含んでいる。このような蒐集範囲の偏りについて、品田氏は中国の華夷観念を
継受して「小帝国」を志向した古代の統一的専制王権が風変わりな歌を『万葉集』に取り込むことで世界中の
人々の心と生活を掌握しているということを、歌によって示す点にあったと説いた。ただし、庶民の作の蒐集と
いう試みは、『万葉集』の編者による理念的な位置づけからのみならず、和歌を自らの文化価値として自覚的に
捉えていた中央貴族たちの、世界の人々をすぐれた中央文化の水準に同化させようとする意識に支えられた実体
を持つものであった点からも強調されなければならないのではないか。