聖徳太子

以和爲貴、無忤爲宗。
和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

前だけを引用し、後は無視する連中が多い
「和を以(も)って貴(とうと)しとなし」からの「忤(さからう)うこと無きを宗(むね)とせよ」が本来の意味となる

十七条の憲法第三条から (蘇我氏全盛期に憲法制定後、聖徳太子の子息は蘇我氏に虐殺された事になっているが真偽は不明、その後、蘇我氏本家は滅亡、古人大兄皇子は殺害され歴史家がクーデターとする乙巳の変は成功する)

是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。

君言えば臣承り、上行なえば下靡く。ゆえに詔を承けては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。
下位者は上位者からの詔・命令を承れば必ずつつしむ
下位者は上位者に対して和の心を以て接する

https://ja.wikipedia.org/wiki/学而
有子曰:「禮之用,和爲貴;先王之道,斯爲美;小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。」
(有子曰く「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す、小大これに由るも行なわれざる所あり。
和を知りて和すれども礼を以てこれを節せざれば、亦行なわるべからず。」)