https://ja.wikipedia.org/wiki/律令制
身分制度
日本の律令制における身分は、良民と賎民に大別される。良民は、高級官僚である貴族を初め、
下級官人、一般の百姓(公民と呼ばれることもあった)、雑色人(品部・雑戸という工芸技術を
持つ半自由民)があった。賎民は五色の賎と言われ、陵戸(天皇・皇族の陵墓を代々守る家系)、
官戸(諸官庁に属し公用に従事)、公奴婢(官有の奴隷)、家人(貴族や有力者に属し雑用に従事)、
私奴婢(私有の奴隷)があった。

賎民のうち、公奴婢と私奴婢は売買の対象とされるなど、奴隷として位置づけられていた。この
ように、律令制下では奴隷制が存在していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/奴婢
奴隷自体は、三国志魏志倭人伝に卑弥呼が亡くなったとき100人以上の奴婢を殉葬したと言う記述や、
生口と呼ばれる奴隷を魏に朝貢したと言う記述が見られるように、少なくとも邪馬台国の時代には既
に存在していた。

仲哀紀には神功皇后の三韓征伐でも新羅の捕虜を奴婢として連れ去ったという記述が
ある。

また蘇我氏物部氏の争いの時も聖徳太子が大連の首を切ってその子孫を四天王寺の寺奴婢[注釈 2]
としたという記述がある。これらの古代から存在していた奴隷を、律令制を取り入れるときに整理しなおされたとされる。