河野太郎外相とロシアのラブロフ外相がモスクワで平和条約交渉を行った。日露首脳が昨年12月、両外相を交渉の責任者に指名して以降で初の会談だった。

 結果は惨憺(さんたん)たるもので、ロシアの増長ぶりが目に余る。

 日露首脳は昨年11月、日ソ共同宣言(1956年)を基礎に交渉を加速させることで合意した。

 しかし、共同宣言に基づく「2島返還」戦術の破綻は鮮明だ。

 北方四島の返還を要求するという原則に立ち返り、根本的に対露方針を立て直すべきである。

 ≪迎合が露の増長招いた≫

 ラブロフ氏は会談後、北方領土は「第二次大戦の結果としてロシア領になった」と主張し、北方領土に対する「ロシアの主権」を認めねば交渉は前進しないと述べた。領土問題は存在しないと言っているに等しく、はなから交渉にならない。

 ラブロフ氏は「北方領土」という用語を「受け入れられない」とも言い放った。

 択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島は日本固有の領土であり、ロシアに不法占拠されている。この唯一の真実を無視した暴言は到底、容認できない。

 旧ソ連は45年8月9日、当時有効だった日ソ中立条約を破って対日参戦した。

 日本が8月14日にポツダム宣言を受諾した後も一方的な侵略を続けた。

 8月28日から9月5日にかけて、火事場泥棒のように占拠したのが北方四島である。

 ロシアは「第二次大戦の結果」と主張して北方領土の占拠を正当化する。その際、真っ先に持ち出すのが米英ソ首脳のヤルタ協定(45年2月)だ。

 同協定は、ドイツ降伏後のソ連対日参戦や、千島列島の獲得を密約したものである。

 しかし、同協定が領土問題の最終的処理を決めたものでないのは当然である。日本が当事国でもないこの密約に縛られる理由は全くない。

 戦後60年だった2005年、当時のブッシュ米大統領はヤルタ協定について「史上最大の過ちの一つだ」と明言した。

 北方四島の奪取は、戦後の領土不拡大をうたった大西洋憲章(1941年)やカイロ宣言(43年)にも反する。

 ロシアがかくも強気に出ているのは、安倍晋三首相が四島返還の原則から離れ、日ソ共同宣言重視を打ち出したためだ。これは「2島返還」への方針転換だと受け取られた。

 日ソ共同宣言は、平和条約の締結後に色丹、歯舞を引き渡すとしている。

 だが、共同宣言は、シベリアに不当に抑留されていた日本人の帰還や国連への加盟、漁業問題の解決という難題を抱えていた日本が、領土交渉の継続を約束させた上で署名したものだ。

 ≪安保の根幹を思い返せ≫

 日露間でこれ以降に積み上げられた交渉や文書を軽視するのは、ロシアへの迎合である。共同宣言に依拠した交渉は足元を見られる、との危惧が的中していると考えざるを得ない。

 ラブロフ氏が、日本の安全保障に関わる発言をしたことも見逃せない。

 日ソ共同宣言は、日米が新安全保障条約(60年)を結ぶ前の文書だと同氏は述べた。日米同盟が存在する限り、日ソ共同宣言は有効ではないと示唆した形だ。

 言うまでもなく、日米同盟はわが国の安全保障の根幹を成すものだ。ロシアとの交渉によって日米同盟を揺るがすようなことがあってはならない。

 日本側にはロシアとの平和条約締結により、中国の異様な膨張を抑止できるとの見方もあった。

 ラブロフ氏は、日本高官のそうした発言を「けしからぬ」と切り捨てた。ロシアにとり中国が日本とは比較にならない重要な隣国である現実を改めて想起させた。

 日本側の沈黙は理解に苦しむ。河野外相は昨年12月の記者会見で、北方領土問題に関する質問を無視し、問題化した。今回の外相会談でも、共同記者会見は行われず、ロシアは「日本が拒否したためだ」と主張している。

 法と正義に基づく日本の立場を、毅然(きぜん)と表明するのが筋だ。安倍政権には、焦ることなくロシアと交渉し、国民に対する説明責任もきちんと果たしてほしい。

産経新聞
2019.1.16 05:00
https://www.sankei.com/column/news/190116/clm1901160001-n1.html