https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180608-00543290-shincho-pol

 親譲りの無鉄砲――といえば言葉が過ぎるだろうか。

 憎き“赤シャツ”に天誅を加えた“坊っちゃん”よろしく、安倍総理を攻めたてる中村時広・愛媛県知事(58)のことである。

 さる5月11日、県職員が持ち帰った名刺を公開し、柳瀬唯夫・元首相秘書官の嘘を暴いた中村知事。さらに21日には、2015年2月に安倍総理と加計学園理事長の加計孝太郎氏が面会し、総理が「新獣医学部はいいね」と発言したとされる文書を参院に提出した。

 後に学園側は“架空”だったと県に謝罪したが、この文書の登場によって翌朝の新聞各紙の1面には「いいね」の文字が躍り、安倍総理が再び窮地に追い込まれたのはご存知の通りである。

 わずか数日のうちに時の人となった中村知事。仕事帰りの本人を直撃すると、

「私は獣医学部反対でもないし、反政権でもありません。文書を提出したのは、参議院予算委員会の事務局に公文書から備忘録の類(たぐい)まで全て提出するよう求められたから。何でこんなことに巻き込まれなきゃいけないのというのが正直なところですよ」

 そう嘆いてみせるのだが、さる政治部デスクによれば、

「2期7年目の中村知事は、1期目の県知事選から自民党の推薦をもらって選挙を戦ってきた。この秋に3選を狙う知事が自民党とコトを構えるというのは、よほど腹に据えかねる事情があったのでしょう」

 いささかの私情もないという知事の言葉には、首を傾げる向きも多いのだ。
石破さんとは昵懇

 そもそも中村知事は、1993年に衆院選に出馬して初当選し、新進党で国会議員を1期務めた経験を持つ。93年といえば、安倍総理とは同期にあたり、

「もともと知事は、安倍さんに対して悪い感情は持っていなかったんです」(地元関係者)

 しかし、その後、順当に当選を重ねた安倍総理に対し、中村知事は2期目の衆院選で落選。99年に松山市長に転身し、10年に前知事の後継指名を受けて愛媛県知事に就任した。

「屈辱的だったのは、14年に行われた2期目の県知事選の際の出来事でしょう。安倍さんが政権を奪還した12年の衆院選挙で中村さんは日本維新の会の候補者を支援。これに自民党の愛媛県連が二度と推薦を出さないと激怒したのです。中村さんは自民党本部に呼び出され、安倍総理に対して“決して政権と対峙する気はなかった”と釈明し、落とし前をつけさせられた」(同)

 この“手打ち”を仲介したのは、安倍総理の“お友達”とされる塩崎恭久・前厚労相。先の関係者によれば、

「塩崎家と中村家は松山市で互いにシノギを削ってきた政治家一族で、仲が悪い。小選挙区制になってからは、塩崎さんがいる限り、中村さんが自民党から出馬することは出来なかったのです」

 一方、中村知事は与野党に広範な人脈を持つことでも知られ、

「中でも慶應義塾の先輩で、新進党時代に同じ釜の飯を食べた石破茂さんとは昵懇(じっこん)で知られている。時期が時期だけに、石破さんを援護射撃するためにやったことだという憶測まで流れる始末です」(同)

 これに対して中村知事は、

「石破さんは関係ありませんよ。嘘を吐(つ)き通させられて財務省の職員が自殺してしまいましたが、僕は、絶対にそんなことはさせたくない。自己保身しか考えていない政治家には、僕の行動が理解できないかもしれませんけれどね」

 と突き放す。

 もっとも、とある県職員によれば、

「今や、愛媛県は内々の話が出来ない県だとレッテルを貼られ、職員が中央官庁に陳情に行っても誰も会ってくれません」

 無鉄砲に正義の味方を演じるのだ。

「週刊新潮」2018年6月7日号 掲載