1年前に収束したはずの森友問題が、朝日新聞によるスクープにより、にわかに新たな展開を始めている。

当初は朝日の誤報を論じる向きもあったが、財務省理財局による公文書書き換え(筆者は財務省が「書き換え」といっている以上、
「書き換え」を用い、政府が「改ざん」を認めた時点で用語を修正したい。近くそうなることを願っている)は紛れもない事実のようだ。

今後、財務省でもさらに調査が進められ、国会でも証人喚問を含めて議論され、また検察による調査結果も報告されることになっている。

だが今回の騒動をみていて、筆者としてどうにも気になる点がある。
それはこれまで筆者が本誌で書いてきたことにも深く関わるので、ここでこの問題を論じることを試みたい。

多くの報道がこの事件を「財務省理財局の忖度」として分析している。
だがこれは本当に「忖度」なのだろうか。

むしろ、忖度として論じることで大事な点が抜け落ちているのではないか。
そしてそれは何より「今後の再発防止」に深く関わるのではないか、ということだ。

忖度を辞書で引くと次のように説明されている。

「そんたく【忖度】他人の心中をおしはかること。推察。」(広辞苑)

忖度とは、辞書の上では、「いわなくてもわかっているよ」と、相手の心をこちらで察してあげるということだ。

だが、この「忖度」という漢語がもつ雰囲気がそうさせるのだろう、一般にこの語には上下の関係が含まれており、
下のものが上のものの気持ちを推量し、上が言わなくても下のもので勝手に何事かを進めて達成してしまうような、そういう意味をもって使われている。

(中略)

他方で、こうした説明に対する野党側の追求は、こうなっているようだ。

「官僚の忖度だけで、こんなことはおきないだろう。そこにはもっと上からの(政治家からの)指示があるはずだ」――忖度でなければ指示だ、というわけだ。

だがこの数日出て来たものを見ても、そこに例えば安倍首相からの指示のようなものは認められないようだ。

(中略)

筆者はこう考える。

これは官僚側の忖度ではない。

目に見えない「圧」。その「圧」に官僚が屈した結果なのだ。

この「圧」は、表だった実際の政治家の行動によるものではないので、どうやってできているのかその具体的なカラクリはとらえようがない。

ある種の集団心理だ。だが、それが実際の現実として霞ヶ関を押さえ込んでいるので、その「圧」がある方向を指し示すと、予期せぬ行動を次々と官僚たちに引き起こす――そういうことが現実に起きているようだ。

「圧」は、山本七平の「空気」にも似ている。

が、互いを読みあうことから作られる「空気」とは違って、「圧」はもっと上から浴びせられる重苦しいものであり、だから「忖度」の語に含まれるような相手への配慮でもなく、もう、そうせざるをえないような、有無を言わさぬ強い力なのである。

しかもそこには実際に「力」を及ぼすものの正体がはっきりとは見えないので、力そのものがどこから来ているのかわからず、ただ「圧」としかとらえようのないもの――これが人々を思わぬ行動へと駆り立てたのではないか。

(続きはソース元で)


現代ビジネス
http://gendai.ismedia.jp/%61rticles/-/54895
2018.03.18