https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180311-00000015-sasahi-pol

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 財務省はついに近畿財務局の森友学園問題の決裁文書“改ざん”を12日に認めるという。朝日新聞が書き換えた疑いがあるとスクープを報じたのは3月2日。それから1週間後の9日、近畿財務局の森友問題担当部局の職員が自殺したことが報じられた。亡くなったのは報道の2日前だったという。

 本件で、関係者が最も恐れていたことが現実のものとなった。

(略)

■“自殺”を誘発する権力者

 実は、森友問題を追っているマスコミ関係者の間では、佐川氏、あるいは、改ざん問題や国有地値下げの核心を知る職員が“自殺“するのではないかという懸念の声があった。不謹慎なようだが、飲み会などでは、よくその話が出るのだ。現に、過去の疑獄事件でもそうしたことはよくあった。心配されるのは、重要な人物の証言が得られなくなって、事件の真相が闇に葬られることだ。最悪のケースでは、自殺の連鎖が起きることもある。

 “自殺”というのは、文字通り自ら死を選ぶという場合と自殺に見せかけた他殺の場合がある。自ら死を選ぶ場合でも、権力者によって、そうするしかない状態に追い込まれてそれを選ぶという場合も多いだろう。

 いずれも権力者の犯す罪である。

 政治権力を握る者は、その権力を守るためには異常なまでに残酷なことをすることがある。それは歴史が証明している。もちろん、誰もがそういうことをするわけではない。「権力」に固執し、その「権力」を行使することに無上の喜びを感じるタイプの政治家がそういう罪を犯すのだ。

 今回の佐川氏の辞任と近畿財務局職員の自殺は、官僚による、同じ森友学園問題への対応である。一人は生きながら逃げる道を選び、もう一人は死の世界に逃避する道を選んだ。対照的ではあるが、共通することがある。

 それは、時の権力者を守るための犠牲になったということだ。

 一昨年くらいから、官僚が安倍政権を守るために、あるいは安倍総理の意向を忖度して不正を行うケースが頻発するようになった。大きな事件だけでも、南スーダンの日報隠ぺい問題、森友学園に続き加計学園問題、ペジー社のスパコン詐欺事件、厚労省の裁量労働データ捏造など、まるで官僚機構は悪の巣窟であるかのような印象さえ与える。この他にも表に出ない不適切な行政は数えきれないくらいあるのだろう。

 それくらい、今、日本の行政は腐敗しきっている。もはや「崩壊」という言葉を使いたいくらいだ。

 その原因は何か。

 安倍総理自身がどう考えているかにかかわらず、今、霞が関では、安倍首相に逆らうことは役人としての“死”を意味するかのように受け取られている。逆らえば、昇進がなくなり、左遷は当たり前、さらには、辞職してからも個人攻撃で社会的に葬られる恐れもある。逆に、安倍首相に気に入られれば、人事で破格の厚遇を受ける。

(略)