http://www.sankei.com/politics/news/171214/plt1712140004-n1.html
2017.12.14 07:00更新

来年の今ごろにはきっとこの政党は存在していないのだろう、とつくづく思う。「看板」もなければ、地方組織づくりの展望も開けず、おまけに変節を極めた議員もゴロゴロいる。支持率1ケタ台の低空飛行が常態化するのもむべなるかな…。

 今さらではあるが、9月27日の希望の党の結党記者会見での当時の小池百合子代表(65)=東京都知事=のあいさつを改めて引用してみたい。

 「まさに日本をリセットするために希望の党を立ち上げます。リセットするからこそ、しがらみがない。いえ、しがらみがないからリセットができる…」

 惚れ惚れしてしまうほど中身のない宣言である。

 やれワイズスペンディングだのパラダイムだの、野合の実相を上滑りした表現で糊塗(こと)した政党のメッキが剥がれるまで、それほど長い時間はかからなかった。最近の世論調査での希望の党の凋落ぶりは目を覆うばかりである。12月8〜10日の読売新聞の調査では支持率2%(前回比3ポイント減)、同月2〜3日のJNN(TBS系)の調査では1・0%(同2・4ポイント減)…。

この状態から党勢を上向かせることは容易ではない。まず致命的なのは「看板」の不在である。

 「今国会から『玉木!玉木!玉木!』で行く。わが党の質問は『とにかく玉木』で行く。国の軸となる大きな話をさせる」

 先の特別国会の開会直後、希望の党のある中堅議員はこう息巻いていた。小池氏の後を継いだ玉木雄一郎代表(48)を国会論戦で前面に押し出してアピールしよう、という意味だ。しかし、特別国会が閉会した今、ひいき目に振り返ってみても「玉木!玉木!玉木!」というほどの強い印象は残っていない。

 確かに、玉木氏が代表質問で口にした「土のにおいのする政党」という言葉からは、党の方向付けがぼんやりとではあるが感じられた。しかし、「看板」と呼ぶには、あまりに漠然としていて訴求力に欠ける。

 希望の党と同じく「改革保守政党」を標榜する日本維新の会と比べてみると分かりやすい。維新は「大阪都構想」という具体的な政策の実現のために結成された政党である。党の「看板」となる政策があるからこそ、橋下徹前代表(48)という創業者が政界引退した今もなお、そのレゾンデートル(存在意義)は揺らいでいない。

さらに、希望の党は国政政党の足腰ともいえる地方組織づくりの戦略が描けていない。

 ほぼ同じ時期に民進党から分裂し結成された立憲民主党がすでに東京、大阪、愛知、京都など6都府県連を設立しているのに対し、希望の党は都道府県単位の地方組織をいまだに擁していない。東京や大阪では民進党の地方議員が立憲民主党に移る動きが加速しており、古巣の地方組織の「争奪戦」という面では、希望の党は完全に出遅れている。

 先の衆院選の当選者数だけを見れば、立憲民主党は55人(追加公認を含む)、希望の党は50人で、それほど大きな差があるようには映らない。しかし、「実動部隊」となる地方議員の数の差は今後の国政選挙で必ず響く。

 地方議員が希望の党に魅力を感じないのはなぜか。その大きな理由は、この政党ならではの節操のなさではないか。

話はそれるが、11月、民進党を離党して先の衆院選で無所属で当選した山尾志桜里衆院議員(43)の神奈川新聞でのインタビューが話題を呼んだ。離党のきっかけとなった不倫疑惑報道への恨み節を連ねた内容には全く共感できなかった。ただ、賛同に近い思いを抱いて読んだ部分もあった。

 《今回の総選挙ではこれまでの主義主張をねじ曲げた候補者が少なからずいた。ゴシップ報道には熱を上げる取材者たちはしかし、その理由をしつこくただしたか》

 衆院選の際、集団的自衛権行使を限定容認した安全保障法制を「違憲だ」と声高に批判していた多くの民進党出身者が、現行法制を実質的に容認する政策協定書に署名し、希望の党の公認を得た。平成27年7月の安保関連法案の衆院委員会採決の際、「強行採決反対!!」のプラカードを掲げ抗議した者も、委員長席に詰め寄り議事進行に反発した者も、希望の党の候補者として堂々と衆院選を戦った。主権者に対する背信の度合いという点でみれば、その深刻さは不倫疑惑の比ではない。

 変節を恥じてしおらしくしているならまだいいが、指摘を受けて逆ギレする者もいるから手に負えない。

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