【北のやり方は知っている】ジェンキンス氏が生前、語った安倍首相への“遺言”
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ジェンキンスさんが生前、週刊新潮に語った「安倍首相への“遺言”」
社会2017年12月13日掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12131315/
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チャールズ・ジェンキンスさん
■ 記者に「佐渡の冬は、やっぱり寒いね」
チャールズ・ジェンキンスさんが12月11日、新潟県佐渡市で亡くなった。自宅の外で倒れているのを娘さんが見つけたという。死因は致死性不整脈。享年77歳。
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「週刊新潮」は、生前のジェンキンスさんを2回、インタビューしている。
最初は2012年10月。この頃、ジェンキンスさんは観光施設「佐渡歴史伝説館」の売店で働き始めていた。
特集記事「拉致被害者帰国から10年! ジェンキンスさんが語った『悪夢の北朝鮮』回想」(12年10月18日号)では、日常生活の様子から語っている。
「現在は火曜日以外、週6日働いています。観光客が少なくなる12月から3月までは店には出ないで、去年などは毎日雪かきを頑張っていました。佐渡の冬は、やっぱり寒いね。
私は日本語が分からないので、家庭内で妻や娘と話す時は今も朝鮮語ですが、妻と娘の3人だけだと日本語で話しています。
2人の娘は、こちらに来てわずか2ヵ月で日本語が話せるようになり、自由に使いこなしています」
当時、《48キロだった体重が、日本に住んで72キロに増えた》などと報じられていた。
ジェンキンスさんは「日本の食事は美味しいから、太ってしまったのです」と認めた。
「佐渡に来て少したった頃、妻と野菜を作ろうと考え、家の裏に畑を借りました。以来、毎年5月に作付けをし、休みの日には農作業に打ち込んでいます。
大小2つのトラクターを使って、トマトやきゅうり、ジャガイモなどを本格的に栽培しているのです。妻の料理では、特にカレーが好きで、辛口なのがいい。
また、朝の出勤時にはサンドイッチや弁当を作って持たせてくれているので、喜んで食べていますよ」 >>1続き
■ 汚水で炊く虫だらけの米
佐渡での穏やかな生活には、満足していると記者に語った。
「お土産コーナーの仕事のおかげで、北朝鮮にいた頃の3年分の給料をひと月で稼ぐことができ、有難く思っています。あちらでは平壌の大学で英語の教師をしていて、
月給はたったの120ドルしか貰えなかった。今回、妻は帰国から10年を迎えましたが、私はまだ8年。『感慨』と言われても答えにくいのですが、暮らしにはとても満足しています」
実はジェンキンスさん、オートバイ愛好家としての顔も持つ。北朝鮮では、試験をパスしても免許は交付してもらえなかったという。
「東京の自動車学校の合宿に参加して、06年に中型二輪免許を取りました。その後すぐホンダの250tを買って、今も乗っています。
走るのは夜が多い。シールドの部分が邪魔で、ヘルメットは好きではないのですが……」
次に北朝鮮の暮らしに話題が及ぶと、「本当に酷かった」と振り返る。
「北朝鮮での生活は、今となっては思い出したくもないほど酷いものでした。何しろ、水道の蛇口をひねると灰色の水が出るのです。
『しばらく流しっ放しにしておけば元に戻るだろう』と思っても、ずっと濁ったままなのです。お米自体も何年も前に収穫されたもので、
研ぐと次から次へと虫が浮かんできます。炊き上がったご飯は不味くて、とても食べられたものではありません」 >>2続き
■ 金正恩も批判
食生活に限らず、あらゆる面で不自由を強いられたのは言うまでもない。
「住居も勝手に決められ、私たち家族は実際にフェンスに囲われているエリアで暮らしていたのです。もちろん、自由にどこかへ行けるはずもなく、
仮に脱走など試みようものならすぐさま殺されると分かっていたので、逃げるという発想すら持てないまま時間だけが過ぎていきました。
『彼ら』は、常に私たちを監視していた。
一度、住んでいる家の壁に盗聴器が埋め込まれているのに気付いた時は、あまりに腹が立ったので叩き壊してやったこともありました」
一連の拉致事件を振り返り、改めて言うのだ。
「あの国は日本人だけでなく、タイ人や韓国人もさらってきました。
本当に愚かな行為で、私は一度も会ったことがない妻の母(註・曽我さんと一緒に拉致されたミヨシさん)は、何をしているのか一切分からないままです」
インタビューの前年、2011年に金正日が死去。12月に金正恩が後継者として「朝鮮人民軍最高司令官」に就任した。
「体制が金正恩に移行しても、彼に国をよくすることが出来るとは到底思えない。父親の真似をしているだけで、全く実権を持っていないはずです。
昔から父親に仕えてきた年寄りの側近たちが言うことを、まだ若く世間のことを何も理解していない彼が、ただ聞いているに過ぎない。要するにパペット(操り人形)なのです」
そして2年後、14年に再び「週刊新潮」の記者が佐渡を訪れると、ジェンキンスさんは開口一番、「彼らを信じるんじゃない!」と警告を発した。
彼らとは、もちろん北朝鮮を指す。当時、拉致の再調査が行われている真っ最中だった。 >>3続き
■ 安倍首相に「警告したい」
2回目の記事「『ジェンキンスさん』が沈黙を破ってぶちまけた!『軍事大学284と拉致本部』『私が会話した日本人の男』『粛清現場の大合唱』」(14年6月12日号)で、
ジェンキンスさんは安倍首相に対する強い不信をあらわにした。
「北が日本との交渉に応じるのは、日本から何がもらえるかを見通しているからだ。エビ? アベさんだっけ。
彼はバカだ! 安倍総理に電話して、“北朝鮮はいつもお前を利用しているぞ!”と警告したい」
その一方で、外務省の齋木昭隆・事務次官は「私の友達」と言うほど、全幅の信頼を置いていたようだ。
「私は、北朝鮮の担当者と齋木さんが話している会議室の隣の部屋に忍び込んで、北が話していることをこっそり聞いてみたい。
奴らに言いたい放題言わせて、話が終わったところで、皆の前に姿を現してやる。奴らは心臓麻痺を起すだろう。
北は私に対して激怒している。私が真実を知っているからだ」
米軍の下士官として韓国にいたジェンキンスさんが北朝鮮に入国したのは1965年。以降、39年をかの国で過ごした。
「私は“マンダヒー軍事大学”というところで英語を教えていた。軍事大学では、施設や組織を番号で表示していた。
例えば、私がいた組織の番号は“5−8−4”。そして、軍事大学の“2−8−4”、それが拉致を担当している本部だった」
マンダヒー軍事大学には、日本人が1人いたという。 >>4続き
■ 横田めぐみさんを1度だけ目撃
「彼が何という名前だったのかは分からないが、軍事大学で日本語を教えていた。ある時、彼は私にこう話した。“自分は、本当に小さな子供の時にここにさらわれてきたんだ”と」
その男性以外にも、北朝鮮ではたくさんの日本人を見たと振り返る。
「横田めぐみさんには一度だけお会いしたことがある。場所は平壌にある“楽園百貨店”だった。その時、私は妻と娘と一緒だった。
私はめぐみさんのことを知らなかったが、妻が“めぐみさんよ”と教えてくれた」
それは、80年代半ばのことだった。また、彼は86年、有本恵子さん石岡亨さん夫妻にも同じ楽園百貨店で会っている。
「日本に入国してから写真を見て、それが有本さんと石岡さんだったことが分かった。有本さんについてはこんな話も聞いた。
私と同じように北朝鮮に入った米国人の妻で、レバノン人のシハムという女性がいた。彼女が妊娠して入院した時、同じ病室に有本さんもいたらしい。
で、有本さんが、“私、拉致されたのです”と打ち明け、シハムも“私もそうなんです”と彼女に話したそうだよ」
そしてジェンキンスさんは北朝鮮での忌まわしい記憶を辿っていく。 >>5続き
■ 「北のやり方は知っている」
「北で生活していると、おぞましい光景に出くわすこともある。粛清の現場だよ。公開処刑は見せしめのショーだから、時間をかけてゆっくりやるんだ。
子供の教育の一環として、公開処刑の見学も行っている。死刑執行人がこう言う。
“我々はこの男に対してどうすべきか!”。集まった人々は、“殺せ! 死刑にしろ!”の大合唱だ。
死刑執行人が両足、両肩に1発ずつ銃弾を撃ち込む。それから射殺する。全く、思い出したくもないシーンだ」
改めて記者を通じ、日本に対して「警告」を発した。
「私は北に39年もいたんだ、北のやり方は知っている。安倍総理には、こう言いたい。
“北朝鮮が結果を持ってくるまで、何一つあげるんじゃない!”と。
北は受け取れるものを先に受け取って、最後にこう言うだろう。“拉致被害者は見つかりませんでした”と」
以上が、ジェンキンスさんの“遺言”だ。これを生かすも殺すも、安倍総理の双肩にかかっていると言っていいだろう。
*** 中東のIS、極東アジアの北朝鮮だな。
放置すると、極東アジア周辺が中東化する可能性あり。
中露とアメリカの覇権争いの最前線として、また代理戦争と
して、日本と北朝鮮の激突がありえる。 自軍を裏切って、北朝鮮に敵前逃亡、脱走
ソースは米国での不名誉除隊
日本に帰ってきて、やっぱり北朝鮮は酷かったって
都合いいよなあ
まあ朝鮮に関わると不幸になるのは歴史が証明している 朝鮮学校がジェンキン寿司の忠告に当てはまるよな。
奴らは学校の運営を切り詰める為に、人権と言う言葉を
悪用している。 んなこたみんな知っとるわw
てかこの記事もかなり捏造されてると見た。 みんな知ってることだけど
安倍チョン夫婦だけはわかってない気がする 北は受け取れるものを先に受け取って
その通り、日本人も少しはわかってきた、ただ議員にまだスパイがいる 結局この人って卑怯者の脱走兵だったから
アメリカに帰国できなかったってこと? >北朝鮮にいた頃の3年分の給料をひと月で稼ぐことができ、
>月給はたったの120ドルしか貰えなかった。
3×12×120=4320ドル
4320×110=475200円
土産屋って、地方なのにこんなにもらってんのかよ。
ボロもうけだな。 ジェンキンス氏が解放されたのは、小泉訪朝に同行した安倍が、
日本側の控室どこかにあるであろう盗聴器に向かって
「拉致を認めなければ交渉決裂」と騒ぎ立てたことが遠因。 こんなこと誰もがわかってるわ。
だが、こういう外交は戦争覚悟でやらないとならないわけで、
単独で動くのは避けるべきなのよ。
しかも、日本は軍備がプア。
DQNに個人で交渉しないのと同じ。
場合により、悪者にも仕立てられるからな。
拉致被害者からみたら不満でも、国民からみたらアベは正しい。 まぁ この人は可哀そうだけれども・・・
脱走して北朝鮮に投稿した人だからな・・・
ぶっちゃけ、北朝鮮としては、
拉致ばっかりじゃなくて、自分で来た人もいるんだよ?
という話だったと思うんだけどな。。。 >>26
だからそれは、左翼プロパガンダに毒されたマスゴミが、本当の事を伝えてこなかったからだろ。
今だって連中は何も変わっていない。
贖罪の気持ちがあるなら、新潮はこういう記事を一発だけでなくキャンペーンすべきだし、北に対して甘いことを言っている活動家やそれに流されようとしている甘い行政に対しても、もっとものを言うべきなんだよ。 銭金寿司さんって「活発な無能は銃殺刑に」を彷彿とさせるような現金な方だったんだな・・・ >>1
>北は私に対して激怒している。
>私が真実を知っているからだ
北から続々工作員が大量に入り込んで来ているし
とうとう友愛されちゃったんかねぇ 土井たか子や福島ミズポは
「拉致があったからこそ、あなたは妻の曽我ひとみさんと出会い結婚できたんでしょ。
拉致に感謝しなきゃね」と思ってそうだわ 田中マキコ
拉致被害者の陳情を無視、コメ支援
金正男一家をファーストクラスで送還 半島から工作員が押し寄せてきてるタイミングで家の外で倒れてるのを見てただの自然死と思えることがおかしい この人て自分から北に入ったんだから
悪く言うのはお門違い。
かなり信用ないよね。 この人は共産党で中国の法廷に立ったことがある
アメリカが帰国をさせないのは共産党のスパイだったから 男性は韓国ドラマを馬鹿にしてる人が多いが
歴史ドラマを勉強として見たら良いよ
朝鮮民族がどんなものかよ〜く分かるから
彼らは直ぐ裏切るから怖い > ある時、彼は私にこう話した。“自分は、本当に小さな子供の時にここにさらわれてきたんだ”と
日本に工作員を送り込むために、子供の会話から大人の会話まで全部習得させないと、と思って
いろんな人を拉致したのかな。
在日の工作員は信用されてないみたいだな。
まあ、二重スパイも大勢いるだろうから当然だろうけど。 34 それは福田と小泉に押し通された
マキコは騒いで更迭 曽我さんの母親が北へさらわれたまま行方不明なんだよな 話し合いにこだわってるのはアメリカの一部の連中
原油を供給しているのは支那
いまの日本政府はジェンキンズさんの考え通りに動いてるよ
強いて政府のやり方を反故にしている団体があるとすれば総連というより日本赤十字だろ
対話の窓口を確保する目的かもしれんけど、援助する意味あるのか? 慰安婦合意の履行状況を見れば、南も似たようなもの
日本から取れるものだけとって、自分たちは約束を平気で破る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています