「自分のしたことは必ず返ってくる」。
自民党の豊田真由子衆院議員(42)=埼玉4区=が、秘書を叱責するときの常套句だそうだ。
なるほど、秘書に対する暴言と暴行で自民党離党に追い込まれた御仁の発言だけあって説得力がある。

豊田氏の所業に耐えかねたのか、100人超のスタッフが彼女のもとを去った。
そうした豊田事務所の“同窓生”に話を聞くと「ピンクモンスター」と呼ばれるその特異性が浮き彫りになってくる。

「この、ハゲ〜っ!」「ち〜が〜う〜だ〜ろ〜!」。
もはや説明不要の豊田氏の暴言と暴行は、6月22日発売の週刊新潮が報じ、テレビやインターネットを通じて音声とともに日本列島を駆け巡った。

自民党はその日のうちに豊田氏に離党届を提出させて、早期幕引きを図ったが、党のイメージダウンは大きい。
7月2日投開票の東京都議選で、街頭演説をしている自民党幹部にトラックから「このハゲ」というやじが浴びせられたほどだ。

6月29日発売の週刊新潮最新号でも、豊田氏を乗せて乗用車を運転していた秘書が道を間違った上に口答えをしたとして、豊田氏が「ふざけやがって!!」「豊田真由子様に向かって、お前のやってることは違うと、言うわけ?」と罵倒する場面など、続報が掲載されている。
この秘書は豊田氏の傷害罪や脅迫罪などで刑事告発を検討しており、刑事事件に発展すれば、議員辞職は避けられないというのが永田町の見方だ。

千葉県船橋市で学習塾を経営する家庭に育った豊田氏は、中高一貫女子校の名門・桜蔭中・高から東大法学部を経て厚生労働省のキャリア官僚となった。
永田町でいう「ピカピカの履歴書」をひっさげて平成24年衆院選に落下傘候補として挑み、初当選した。

東大在学中には民放のクイズ番組に出演したこともあり、上昇志向と自己顕示欲は強かったようだ。
国土交通省に勤める夫とは2人の子供がおり、公私ともうらやむばかりのスーパーエリートだ。

自民党若手になかなか出番が回ってこない国会質問では、「人は誰しも幸せになる権利がございます」「たくさんの思いやりや優しさが、わが国にとっての大きな希望の光が広がっていくことを切にお願いいたしたい」「働く側の方を幸せにしていくことが、これからの日本の社会保障の一つの重要なポイントであると考えております」と、ここぞとばかりに穏やかな表情で高邁な理想を語っていた。
子供の教育をめぐっては「人間関係が複雑化する中で、いじめや不登校などの深刻な問題も出てきております」といじめ問題を取り上げていた。
よくもまぁ、ここまで見事に自分のことを棚に上げたものだ、と言わざるを得まい。

先輩への気配りも欠かさなかった。
ある元秘書によると、毎年バレンタインデーになると300個ほどのチョコレートを購入し、臨時アルバイトを雇って台車で先輩や同僚の事務所に配り歩かせた。
自民、公明両党のほぼ全議員の誕生日を記録し、誕生日に贈り物をしたこともあるという。

しかし、豊田氏が永田町で一躍有名となったのは、26年4月の園遊会での問題行動だった。
本来は入場が認められない母親を、本来の入場予定者である「配偶者」と言い張り、警備との押し問答の末に入場した。
宮内庁が衆院にルールの周知徹底を求める事態となった。

「上にへつらい、下に厳しい」(自民党若手議員)と、サラリーマン社会なら最も忌み嫌われるたぐいの評判は、永田町で早くから広がっていた。
自民党の閣僚経験者は「秘書がしょっちゅう入れ替わる議員は信用できない」と断罪するが、豊田事務所によると「アルバイトも含め100人は辞めた」という。

週刊誌報道とは別の元秘書によると、地元の会合で秘書に不手際があったことを理由に衆人環視のもと土下座を強いたことがあった。
衆院の委員会が開かれている中、議員席付近で秘書を怒鳴りつける姿が目撃されたこともある。
理由は、指示になかった印刷物を持参しなかったという理不尽なものだった。
政務官時代には、秘書官の交代を求め、「やり過ぎだ」と担当閣僚に叱責されて涙したこともあるという。

別の元秘書は「秘書に電話で別の秘書をしかるよう命じ、豊田氏が横で録音していることもあった。
家族を殺し合わせる洗脳現場のようだった。

ZAKZAK 2017.7.2
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170702/soc1707020018-n1.html
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170702/soc1707020018-n2.html
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170702/soc1707020018-n3.html

※続きます