鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2

1名無しを整える。2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ

2名無しを整える。2018/01/02(火) 18:09:32.08ID:1i8Yd2u9
前スレ322http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/

1073
ウパシーヴァさんはブッダに「最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」と答えてもらってから、次の二つの質問をした。
一つは、「もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか?」です。
ウパシーヴァさんは「最上の<想いからの解脱>はまだ完全な解脱ではないと考えているようである。想からの解脱から完全な解脱になるのか尋ねているのだと思われる。そして完全な解脱な状態を清涼とイメージしているのであろう。
もう一つは、「そのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」。識別作用とは心の本質。だから、解脱した人には心はあるのか?と尋ねていることになる。

1074
ウパシーヴァさんの二つの質問に対するブッダの解答だが、それに対して直接解答するということではないようである。
第一の質問「多年そこにととどまるならば、清涼なるのでしょうか?」に対して直接答えてないように思われる。
第二の質問「「そのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」に対しては、炎が風で吹き消された場合を例にして答えられている。
しかし、識別作用が存在するかどうかで答えるのではなく、nmakyからの解脱について説かれています。
Nmaky(ナーマカーヤー)については、中村先生は、ナーマルーパ(名称と形態)と同じとしているが、正田先生は「名前の身体(名身)」としている。
またカーヤには集合と言う意味があるため、「名の集合」とも訳せる。識別作用の消滅に関連して、ナーマカーヤーが問題にされているから、中村先生の訳のように、ナーマルーパ(名称と形態)と同じ意味であるとしておく。
そうであるならば、ナーマルーパ(名称と形態)が消滅すれば、十二因縁の教えにあるように識(識別作用)は消滅する。その有様を、炎が風に吹き消されるように消えると答えられた。

1075
(○正田大観先生訳
〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕
「その、滅却に至った者(解脱者)ですが、あるいは、また、彼は、〔もはや〕存在しないのですか。
それとも、まさに、常恒に、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか。
牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。
まさに、この法(事象)は、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。)
解脱したブッダを目の前にしてこの質問をしていることになる。名称と身体が消滅して、識(識別作用)が消滅した解脱者は存在しないのですかと尋ねている。
これは、ある人間の心がまるっきり変わってしまった場合、以前の人間は存在しているのかと尋ねた。
また別の形で質問した。解脱した方は不死の境地(涅槃)に至ると言われる。だから、解脱した方は、「それとも、まさに、常恒に、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか?」と尋ねた。
正田先生が説明されているように、無病の者とは、単に病気にならないという意味ではなく、永遠不滅の存在という意味。居ないのではなく、ずっと居るということになる。

1076
1074で、ブッダは既に解脱者の名称と身体について、火炎に例えて説かれました。その消えてしまった火炎については論じられない。滅びてしまった者には、それを論じる基準がない。
死んだらどうなるかは実際のところは分からない。死んでみれば分かるとも言えない。しかし、解脱の場合は、ああだこうだと論じられないが、自分が解脱すれば、ウパシーヴァさんの質問について、言葉でなく分かると思われる。
だから、自分が解脱をすることが一番。
(´・(ェ)・`)つ

3名無しを整える。2018/01/02(火) 18:18:10.06ID:1i8Yd2u9
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、8、学生ナンダの質問

1077 ナンダさんがたずねた、
「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか? 世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか? あるいは[簡素な]生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」

1078 (ブッダが答えた)、
「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者とは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、──かれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

1079 ナンダさんがいった、
「おおよそこれらの<道の人>・バラモンたちは、(哲学的)見解によって、また伝承の学問によっても、清浄になれるとも言います。
先生! かれらはそれにもとずいてみずから制して修行しているのですが、はたして生と老衰とを乗り越えたのでしょうか? ・・・・」

1080 師(ブッダ)は答えた、
「ナンダよ。これらの<道の人>・バラモンたちはすべて。(哲学的)見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になると説く。(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く。
たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り越えたのではない、とわたしは言う。」

1081 ナンダさんがいった、
「およそこれらの<道の人>・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。
聖者さま。もしあなたが『かれらは未だ煩悩の激流を乗り越えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り越えた人は誰なのですか?
親愛なる先生! あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」

1082 師(ブッダ)は答えた、
「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。
この世において見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々──かれらは実に『煩悩の激流を乗り越えた人々である』と、わたしは説くのである。」

(´・(ェ)・`)つ

4名無しを整える。2018/01/02(火) 19:12:12.81ID:1i8Yd2u9
>>3
1077
学生ナンダさんの「ナンダ経」。
ブッダとほぼ同時代に、インドのガンジス河中流地域のマガダ地方を中心に活躍した六人の自由思想家がいた。仏教の人々は彼らをまとめて六師外道と呼んだが、一般の人々からは聖者とも呼ばれていた。
そこで、ナンダさんはブッダに、「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか?」と質問した。
この質問をしたナンダさんの意図は、自分も修行して聖者を目指しているから。しかし、目標である聖者がいかなるものか明確でなければ、修行は完成しない。
そこで、ナンダさんはもう少し、具体的に知識を持つことで聖者になれるのか、それとも特別な生活をすることによって、聖者になれるのか、ブッダに尋ねた。特別な生活について、中村先生は注釈書に従って「簡素な生活を送る人」と訳されている。

1078
ブッダはナンダさんに、その人の哲学的見解によって聖者と言うのではありませんと説いた。またその人が伝承の学問を学んでいるから聖者と言うのではありませんと説いた。同様にその人の知識によって聖者だというのではないと言った。
このことはすでに、四章の四経の790偈で、「見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。」というように、それらによって清らかにならないという言葉によって述べられていた。
同じような趣旨の偈は、四章五経その他でも繰り返し述べられてきた。
それにたいして、ブッダは「(煩悩の魔)軍を撃破して」(中村先生訳)が聖者であるために必須の事柄であると述べておられる。
これを正田先生は「〔一切にたいし〕敵対を為さずして行じおこなう者たち」とされている。直訳としてはこちらです。
一切に敵対しない。一切に対して対立しないのである。一切に対して世俗の次元を超えた対応をされる方が聖者。智慧がなければできない。一切にたいして真の慈しみを自然にできる方が聖者なのだと説かれている。
このような方はもちろん苦悩はなく、望むこともない。

1079
1080
1079と1080、両者の前半は同じ文章であり、後半はナンダさんの疑問とそれに対するに対するブッダの解答。使われている単語はほぼ同じ。
二つの偈を要約すると次の通りです。
1079
「見解や伝承等によって清浄になれると言う沙門やバラモン達は、生と老いを乗り越えたのですか?」とナンダさんは尋ねた。
1080
「見解や伝承等によって清浄になれると言う沙門やバラモン達は、生と老いを乗り越えていない。」とブッダは答えた。
ということ。文章は長いが、内容は単純。
(´・(ェ)・`)つ

5名無しを整える。2018/01/02(火) 19:14:48.59ID:1i8Yd2u9
>>3
1081
「見解によって、また伝承の学問によっても、戒律や誓いを守ることによっても、他の種々のしかたで清浄になれないと言うのならば、神々と人間の世界のうちで誰が生と老衰を乗り越えた人ですか?」というナンダの質問。

同様な質問は、ティッサ・メッティヤ経にもプンナカ経にもあった。当時の修行者は、現代の修行者もそうだが、何等かの修行方法によって生と老衰を乗り超えることができると考えている。すなわち解脱できると思っている。
ブッダの言葉を注意深く読めばそうではないことが解る。その点は分かり難いところである。

ダンマパダの271、272参参照
戒や禁戒によって
或はまた博識によって
或は時に禅定を得ることによって
或は離れて臥すことによっても、(安心は)ない(271)
凡夫の知らない
離欲の安楽に達する(ことでも)
比丘よ、煩悩の滅尽を得ていない者は
安心するなかれ(272)

1082
ブッダは次のように説かれました。「すべての沙門達やバラモン達が、煩悩の激流を渡っていないわけではない。
見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れにたくなった人は煩悩の激流を渡ったひとです。」と。
では、何故「見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて」とブッダは述べられたのか。そして「妄執をよく究め明かして、心に汚れにたくなった人」と説かれたのか。
多くの修行者は、いろいろな方法で煩悩をなくすと思っているのですのに、何故このようにブッダは述べられるのか。
この問題を考えるために、ダンマパダの五番参照。
「実にこの世においては、
怨みに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。
これは永遠に真理である。」(ダンマパダ5番、中村先生訳)
どのようにして、怨みを捨てるのか?。怨みを持っているのは自分自身だから、自分で捨てればいいだけなのである。戒律を守れば、あるいは、瞑想をすれば怨みを捨てられるのではない。そのことに気付けば捨てられる。
ただ、ただ自分の煩悩をすべて捨てるためには、自分の煩悩に気付かなければできない。そこで「妄執をよく究め明らかにする必要がある。そしてすべての煩悩を捨てる。

1083
ナンダさんはゴータマ・ブッダの言葉を聞いて喜んだ。彼は煩悩の激流を渡るのは、哲学的な見解や伝承の学問や戒律や誓いやその他の方法でないことが解った。妄執を究めて、心の汚れを取ることだとわかった。
そこで、彼はブッダの言葉を繰り返して喜んだ。

(´・(ェ)・`)つ

6名無しを整える。2018/01/02(火) 19:20:01.88ID:1i8Yd2u9
>>3

補)
1083
「偉大な仙人のことばを聞いて、私は歓喜します。
ゴータマ(ブッダ)さま。再生の要素のない境地がみごとに説き明かされました。
この世において(哲学的)見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨てて、
また種々のしかたをすっかり捨てて、
妄執をよく極め明かして、心の汚れのない人々、――
かれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたくしもまた説くのであります。

(´・(ェ)・`)つ

7鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/02(火) 22:16:45.30ID:1tNAioMJ
妄執も観察して見極めたのじゃ。
観察しなければ心の穢れもなくならないのじゃ。

8名無しを整える。2018/01/03(水) 16:08:36.21ID:AKq1wstv
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、9、学生ヘ−マカの質問

1084 ヘーマカさんがたずねた、
「かってゴータマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来はこうなるであろう』といってわたしに説き明かしたことは、すべて伝え聞くにすぎません。
それはすべて思索の紛糺(ふんきゅう)を増すのみ。わたしはかれらの説を喜びませんでした。

1085 聖者さま。あなたは、妄執を減しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えましょう。」

1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り越えているのである」と。

ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、10、学生トーデイヤの質問

1088 トーデイヤさんがたずねた、
「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、──かれらはどのような解脱をもとめたらよいのですか?」

1089 師(ブッダ)は答えた、
トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、──かれには別に解脱は存在しない。」

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?  あるいは何かを希望しているのでしょうか? かれは智慧があるのでしょうか? あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?
ャカ族の方よ。かれは聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方よ。」

1091 [師いわく]、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。
トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何も所有せず、欲望の生存に執著していない。」

ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、11、学生カッパの質問

1092 カッパさんがたずねた、
「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(避難所、よりどころ)を説いてください。
あなたは、この(苦しみ)がまたと起こらないような洲(避難所)をわたしに示してください。親しい方よ。」

1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のたの洲(避難所)を、わたしは、そなたに説くであろう。

1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

1095 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、悪魔に伏せられない。かれらは悪魔の従者とはならない。」

(´・(ェ)・`)つ

9名無しを整える。2018/01/03(水) 16:24:32.49ID:AKq1wstv
>>8
1084
ヘーマカ学生の問い。
「ゴータマ・ブッダ様の教えに接する以前は、『昔はこうだった』とか『今後はこうなるだろう』とすべて憶測の教えでした。」と。憶測では、真実かどうか分からないため、私はそれら教えに満足できませんでしたと、彼は心情を吐露した。
そして、憶測のでない、真実の答えを求める。

1085
ヘーマカさんはブッダに会う前からいろいろ修行をしていた。その際、それらの修行の指導者や先輩から、種々のアドバイを受けていた。
しかし、それらのアドバイスは聞き伝えられたことや、単なる憶測によるものだった。そのため、彼らの言葉に満足できないでいた。
ヘーマカさんが自分で修行して得た結論は、欲しという気持ち(渇愛、妄執)を根絶すれば、心は動揺することなく、落ち着くだろうということだった。
そのため彼はブッダに「聖者さま。あなたは、妄執を減しつくす法をわたくしにお説きください。」とお願いした。
そして、「それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えましょう。」と決意を述べた。
「よく気をつけて」とは、気づきを絶やさず、不放逸を実践すること。
単に同じことを繰り返すのではなく、どんな一瞬も新しい瞬間であることを自覚して、その時の自分自身に注意を向けること。そして周りからのメッセージにも気づいていること。

1086
今回の偈で、ブッダは仏教の核心を説くことになる。
欲しという気持ち(渇愛、妄執)を根絶すれば固執が根絶され、固執が根絶されれば有が根絶され、有が根絶されれば生が根絶され、生が根絶されば老死が根絶され、老死が根絶されれば苦が根絶されるから。
ブッダは次のように説かれた。「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることです。」
すなわち、美しいものを見た時に欲しい自分のものにしたいと思わないこと、好ましい音を聞いた時にもっと聞きたいなと思わないこと、素晴らしいと考えたことを自分のものと思わないこと、これらに気をつければ、渇愛(妄執)を根絶できる。
しかし、これはなかなか難しいこと。自分にとって好ましいもの、愛しいものが自分の苦しませる要因であることをよく理解しなければできない。
自分にとって好ましいもの、愛しいものも無常だから、何時までも同じ状態ではない。必ず、変化して、壊れ、消滅するの。そのために、人々は苦しむ。
だから、好ましいもの愛しいものは、悪魔が私達に仕掛けた罠のようなものだと考えた方がよい。例えば麻薬はそれがどんなに甘味なものかもしれないが、それを使用したら廃人になってしまうことを知って、それらを使用しないようなもの。
そのことを知って、快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが出来れば、解脱して、不滅の涅槃の境地を体得できる。そのようにブッダは説かれた。

1087
「このこと」とは、1086の「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。」のこと。
このことをよく知って、よく気をつけている人々は、現世において解脱して、涅槃に達するとブッダは説かれた。これらの人々は常に静寂な者であり、世間の執著はない。

1088
トーデイヤ学生の経。彼は、既に何人かの学生とブッダの問答を聞いたから、解脱についていろいろ知識を得た。しかし、解脱や涅槃については知識だけでは理解できない。
そこで、自分が知った知識、すなわち「諸々の欲望をなくし、諸々の渇愛(妄執)をなくし、諸々の疑惑(迷い)をなくすこと」以外に、さらにどのようなこと(修行など)が必要なのかブッダに尋ねた。
(´・(ェ)・`)つ

10名無しを整える。2018/01/03(水) 16:43:44.03ID:AKq1wstv
>>8
1089
「別に解脱は存在しない。」の意味は「別の解脱は存在しない。」ということ。つまり解脱は同じものであり、一つであるということ。ただ、心解脱とか慧解脱とかという言葉があるが、ここでは最終的な解脱を一つであるということ。

1090
トーデイヤさんは、ブッダに「別の解脱は存在しない。」と説かれた。
トーデイヤさんは自分の持っている解脱のイメージが壊れたのだと思われる。そこで改めてブッダに聖者について尋ねた。
別の経典では、預流(道)果、一来(道)果、不還(道)果、阿羅漢(道)果の境地に達した八種類の人々を聖者と述べられていますが、ここでは最終段階の境地に達した阿羅漢について述べていることにしておく。
彼(聖者)は願いごとがない人なのでしょうかと尋ねた。正田先生の訳では「依存なき者ですか」としていますが、Nirsasoをそのように訳したから。あるいは何かを希望しているのでしょうかと尋ねる。
さらに、聖者には智慧があるのか、智慧を得て何か意図しているのかと尋ねた。トーデイヤさんは少し混乱したのか。

1091
混乱したトーデッヤさんに対して、ブッダは聖者は次のような方であるとはっきり述べらた。
聖者は願いのない人である(依存なき者です)。
聖者はなにものをも希望していない(願い求める者ではない)。
聖者は智慧のある人である(知慧ある者である)。
聖者は智慧を得ようとはからいをする人ではない(知慧によって想い描く者ではない)。
そして、聖者は何も所有せず、欲望の生存に執著していない(無一物で、欲望〔の対象〕と〔迷いの〕生存にたいする執着なき者)。

(´・(ェ)・`)つ

11名無しを整える。2018/01/03(水) 16:44:37.96ID:AKq1wstv
>>8
1092
「カッパ経(カッパ学生の問い)」。ブッダに人生を河の流れに例えて質問した。
この流れは、一人の一生という意味でも、もっと長期の流れとして輪廻の流れと取ってもよい。
いろいろな出来事があり楽しいこともあるが、辛いこと、悲しいこと、苦しいこともある。そのような中で激流とは親しい人の死や、自分が大病をして死を目前にする悲しみや恐怖。そのような時、どうしたらよいのかブッタに尋ねた。

1093
1094
ブッダの解答は急に難しくなった。「カッパ経」だけを読んだのでは意味は分からないと思われるが、第5章を始めから読んでおられる方はなるほどと思われるであろう。
「無所有と無執著が洲(避難所)だ」がカッパさんへの解答。そして「その他に洲はなく、これが涅槃というものだ。そしてそれがプンナカ学生等の質問にもあった老いと死を滅尽し、克服することであることが述べられた。
無所有(いかなる所有もなく=無一物にして)は、実際に何も持っていないという意味ではなく、所有しているものが自分のものという意識がないという意味。自分自身も自分のものでなく、借りものだという意識でいること。
何故それが必要かと言えば、次の無執著につながる。すべて自分のものでなければ、すべてに執著することにならない。何ものにも束縛されることがない。完全に解放されていて自由。それを涅槃と言う。
そこには老いも死もない。だから、老いと死の滅尽なのである。

1095
「このことをよく知って」とは、「無所有と無執著は洲(避難所)であることをよく知って」ということ。
そのことによく気をつけて実践する人は、この世で、つまり死ぬ前に、全く煩いを離れた(涅槃に到達した)者となるとブッダは述べておられる。
そのような人々は、悪魔に負けない。悪魔の奴隷にならない。悪魔とは欲望の支配者ということだから、そのような人々は欲望に負けない。欲望の奴隷にならないということ。

(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚、あけおめことよろであります。

12名無しを整える。2018/01/04(木) 11:22:30.60ID:Qm/RdGtn
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、12、学生ジャトゥカンニンの質問

1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、
「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り越えた人(ブッダ)に<欲のないこと>をおたずねしようとして、ここに来ました。
安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼のある方よ。先生! それを、あるがままに、わたくしに説いてしださい。

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなものです。智慧ゆたかな方よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。
それをわたしは知りたいのです、──この世において生と老衰とを捨て去ることを。」

1098 師(ブッダ)は答えた、
「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪りを制せよ。──出離を安穏であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたに存在してはならない。

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、13、学生バドラーヴダの質問

1101 バドラーヴダさんがたずねた、
「執著の住所をすて、妄執を断ち、悩み動揺することがなく、歓喜をすて、激流を乗り越え、すでに解脱し、はからいをすてた賢明な(あなた)に切にお願いします。

1102 健き人よ。あなたのおことばを聞こうと希望して、多数の人々が諸地方から集まってきましたが、竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。
かれらのために善く説明してやってください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのですから。」

1103 師(ブッダ)は答えた、
「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執著しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る。

1104 それ故に、修行者は明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものおも執してはならない。──死の領域に愛著を感じているこの人々を<取る執著ある人々>であると観て。

(´・(ェ)・`)つ

13名無しを整える。2018/01/04(木) 11:28:45.49ID:Qm/RdGtn
>>12
1096
ジャトゥカンニン学生。
「<欲のないこと>をおたずねしようとして、ここに来ました。」とブッダに述べたす。彼はそれが安らぎの境地(=寂静の境地)につながることを確信していた。
ブッダを欲望を求めない勇者として、安らぎの境地を尋ねた。

1097
欲望を制した方として、生と老いを捨て去ることを尋ねた。彼は欲望を制することによって、生と老いを捨てることができると考えている。
このことは逆に考えれば理解できると思われる。すなわち、生と老いを捨て去った人には、特に望むことはないのだろうと予想できるということ。
ここで少し注目することは、太陽の光が大地を光によって克服するように、欲望を乾燥させるような方法をイメージしていること。
中村先生の「ブッダのことば」の注によれば、「ウパニシャッドでも同様に言う」と書かれているが、これは伝聞による知識。だからブッダに質問した。

1098
先ず欲望の対応方法が示される。欲望をなくすというよりは欲望に対する貪りを問題にされている。とりあえず欲望があっても問題ない。しかし、欲望に執着することが問題。だから、欲望に対する貪りを制せよと説かれる。
ここで欲望を持ってはいけないと思うのではなく、その欲望に執着しなければ、その欲望を持つ自分を観察することが出来る。この自分はその欲望を持たないでいることもできる。この自分はこのよくから離れれば、安穏で居られる。
Nekkhammaの訳である出離は出家という意味もあるが、ここでは欲から離れること。
この偈で終わりにジャトゥカンニンさんに、ブッダは執着して取り上げるものも、嫌って捨て去るものもあってはならないと無執著の態度が説かれる。

1099
1098のの後半「取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたに存在してはならない。」を過去、未来、現在に分けて説かれている。
過去にあったもの、悩みや苦しみやトラウマと言われるものも、もう済んて今はないものとして、記憶にあっても執着しないこと。未来に対する心配や恐怖は杞憂であると理解して、また期待や願望は捨て去ること。
そして今の事柄に注力すること。しかし、今の事柄さえ、それは無常であり、必ず変化するものであるから、それに執著しないようにと述べられ。そうすれは、寂静の人になるだろうと、すなわち涅槃の境地を体得すると説かれた。

1100
中村先生訳の始めの言葉「バラモンよ」とはジャントィカンニンさんにたいする呼びかけ。そして「名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。」という言葉はこの偈とこの経の眼目。
名称と形態はパーリ語のナーマとルーパの訳だが、名称とは心を意味している。思いや考えのこと。そして、形態は身体や物質を意味している。だから、思いや考えや身体や物質に対する貪りを全く離れた人には、煩悩がない。
つまり欲や怒りや無智がなく、悩み苦しむことがないと説かれている。
正田先生の訳にあるように、名称と形態は心(精神的なもの)と物質だから現象世界と言うことが出来る。現象世界は無限にあり、どの現象を取り上げて、いろいろ思うのは個人個人。
悲観的な人は悲観的な現象を取り上げて思い悩む。また楽天的な人は楽天的な現象を取り上げて喜ぶ。だから現象世界は個人個人が作っているとも言える。
現象世界はその人の関心のある一部に向けられている。
どんな現象世界に対しても、自分が選択した現象世界だが、ただ反応するのではなく、その現象を選択した(作った)のは自分なのだと自覚して、現象に執着しないで、それを選んだ(作った)自分に関心を向けるべし。
どんな場合でも自分が問題なのである。この自分は外の現象を選ぶことができる。他の現象を選べば現象世界は変わる。それにより心は騒がしくも静かにもなる。すべての現象世界への貪りを離れれば、すべての煩悩がなくなる。
(´・(ェ)・`)つ

14名無しを整える。2018/01/04(木) 11:29:21.00ID:Qm/RdGtn
>>12

1101
「バドラーヴダ経」、中村先生訳と正田先生の訳の最後の部分が異なる。これはそれぞれの先生の訳されたパーリ語の原文が異なるから。正田先生訳の最後の部分は中村先生訳では次の偈、即ち1102番の始めの行になっているから。
「執著の住所をすて」とは、原文の直訳では「家を捨て」。この場合の家とは執著の象徴。ここでは狭い意味での「出家」ではないと思われる。
「妄執を断ち」は、色・声・香・味・触・法への六種の渇愛を断ちと注釈書には解説されている。
「悩み動揺することがなく」は世間法(@利、A不利、B名誉、C不名誉、D非難、E称賛、F楽、G苦)に対して動揺しないということ。
「歓喜をすて」とは、歓喜はやはり興奮状態のこと。寂静の状態の者には歓喜はふさわしくない。また歓喜は既に述べたように、輪廻の支配者たる悪魔の罠。しかし、凡夫にとっては受け入れ難い項目。
「激流を乗り越え」は、煩悩の激流を乗り超えたという意味。
「はからいをすてた」は、中村先生訳「ブッダのことば」の注には「多くの学者は『時間を捨て』と解するが、どうもそぐわないように思われる。」と記されている、注釈書には「(渇愛・見解)という」二類のはからいを捨てた。」と記されている。
「思考でなく智慧で」という意味だと思われる。
この偈全体の意味は、以上のようなブッダに切にお願いしますということになる。

1102
中村先生訳の「竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。」は正田先生訳では次のように述べられていた。「龍(ブッダ)の〔言葉を〕聞いて、〔ここに集いあつまった者たちは、満足して〕ここから立ち去るでありましょう。」
正田先生のように「満足して」という言葉を補って訳した方が分かりやすいところ。
「多数の人々」は、バーヴァリ・バラモンの16人の高弟がそれぞれ1000人ほどの弟子を連れていたので、「多数の人々」とはほぼ16000人の人々ということ。
そして、バドラーヴダ学生のブッダへのお願いとは、正田先生の訳では、「彼らのために、どうか、〔真実の法を〕説き示してくださ。」ということになる。

1103
バドラーヴダ学生の願いに応じて、ブッダは真理の言葉を述べることになる。
ブッダは「執著する妄執(渇愛)をすっかり除き去れ」と説かれる。「執著する妄執(渇愛)」とは何か? 執着しているものを自分のものにしたいという思いだと思われる。
そのことを「上にも下にも横にでも中間にでも」という言葉で検証してみる。
上とは、天界。死後は天界に生まれ変わるという思い、下とは、死後に地獄に行きたくないという思い、そして、横とは、この世のこと、この世で安楽な暮らしをしたいという思いだろうと思われる。
では中間とは何か。中間とは、上と下と横の中間とは、自分自身。自分自身に対する執着。これが一番強い。これらの執着をすべて捨て去れとブッダは説かれた。
その理由は次の言葉。「それによって悪魔が人につきまとうに至る。」から。何故それがいけないのか。悪魔は欲界(輪廻の世界)の支配者だから、悪魔に付きまとわれると輪廻の世界から解脱出来ないから。
悪魔は我々に、甘い罠をいろいろ仕掛け、修行が出来ないように、解脱出来ないようにするから。

1104
「死の領域」という言葉。
悪魔の支配領域と考えていい。死が存在するのは欲界、輪廻の世界。<取る執著ある人々>は「死の領域」に居るということになる。取る執著のない人は輪廻の世界から解脱するから、死はない。だから一切の執著を捨てなさいと言うことになる。
それはいろいろ想像してもこの世の情報を材料にして考えても分からない世界。ブッダの説かれるようにすべての執著を捨てた時、体験できる。
(´・(ェ)・`)つ

15鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/04(木) 21:41:44.15ID:/1u9RsJL
>>11 あけおめことよろなのじゃ。

16名無しを整える。2018/01/05(金) 10:39:15.49ID:vlxSJGZ8
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、14、学生ウダヤの質問

1105 ウダヤさんがたずねた、
「瞑想に入って坐し、塵垢を離れ、為すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明を破ること、正しい理解による解脱、を説いてください。」

1106 師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、

1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」

1108 「世人は何によって束縛されているのですか? 世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

1110 「どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのですか? それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである。」
(´・(ェ)・`)つ

17名無しを整える。2018/01/05(金) 11:11:30.63ID:vlxSJGZ8
>>16
1105
ウダヤ経。ウダヤ学生は注釈書によると、第四禅定を得ていたと記されている。
ウダヤさんの問いをこの経では三回に分けて質問。今回の問いは「無明を破ること、正しい理解による解脱」について。この表現では「無明を破ること」と「正しい理解による解脱」は同じことなのか、別のことかよく分からない。
ウダヤさんはどのように考えていたのか。正田先生の訳でも「了知による解脱を、無明の破壊を、〔わたしに〕説いてください。」となっているので、その点についてはよく分からない。

1106
ブッダは無明と解脱を説く前に、先ず愛欲について説かれた。仏教用語で愛欲とは対象に強く執着すること。人間の心は愛欲によって盲目になる。これによって事実を正しく見ることが出来ない。
また心の苦しみである憂いについて述べた。これにより人間はエネルギーが失われ、活力がなくなる。だから無明を破るためには、愛欲を捨て、憂いを捨てることが大切。
更に、仏教用語で沈(こんちん)と言われる言葉がある。この意味は心が沈んで、委縮した状態。これを排除するように説かれた。
また後悔もしないように述べられた。世間では反省は必要なことと思われているが、注意しなければならないことは、反省と称して後悔している場合が多い。
過去のことは終わったことで、どうすることもできない。必要な反省はさっさと行い、後悔をしないこと。後悔をすればするほど心は汚れ、暗くなる。これらは無明を破る前提。

1107
愛欲と憂いと落ち込みと後悔、これらのものが消えたとき、心は平静で思いは清浄になる。このときの状態をブッダは第四禅定と名付けた。
この偈ではこれを「それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが(中村先生訳)」と訳されている。しかし、これは言葉の限界で事実をありのままに伝えられていないと思われる。
まず、思索という言葉だが、これは広辞苑によると「物事をすじみちを立てて深く考え進むこと」と記されている。考えことは概念によるものであり、概念に拘束されるから、ありのままに見ることはできない。
あえて訳せば「それは物事を正しく観する察ことによって起こるものであるが」ということになると思われる。
以上をまとめて言えば、「愛欲と憂いと落ち込みと後悔、これらのものが消えたとき、物事を正しく観察することによって、無明が破られる。これが正しい理解による解脱と、私は説く。」ということになる。
ウダヤさんは第四禅定を得ていたから、ブッダのことばを了解したのだと思われる。

1108
ウダヤさんは更に三つの質問をした。
1.世人は何によって束縛されているのか?
ここで束縛と訳された言葉はsayojanoだが、辞書には「縛、結縛、束縛、軛(くびき)」等が記されている。軛は牛馬の後頸にかける横木だが、比喩的に自由を束縛するものとして使われる。
つまり、人々は何によって自由を束縛されているのかということ。
2.世人をあれこれ行動させるものは何か?
この問の訳は1の問いと無関係な問いとして訳されているように取れるが、1の束縛を機能させるものは何かと訳すこともできる。

3.何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのか?
この三つの問いの目的は三番目にあると思われるから、1.2.3.の質問は関連したものとして理解した方がよいと思われる。
(´・(ェ)・`)つ

18名無しを整える。2018/01/05(金) 11:44:26.47ID:vlxSJGZ8
>>16
1109
ブッダのウダヤさんの質問に対する解答。
1.世人は歓喜に束縛されている。
バドラーヴダ経参照。(1101番>>12>>14)
2.思わくが世人をあれこれ行動させるものである。(中村先生訳) 
思考が、それにとっての彷徨となります。(正田先生訳)
中村先生訳であれば、この解答は1の歓喜とは関係ないが、正田先生訳であれば歓喜(愉悦)にとっての彷徨(うろつくこと)になる。意味は分かり難いが。
思考(妄想)が歓喜の原因となっているとも理解できる。
3.妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。(中村先生訳)
渇愛を捨棄することで、『涅槃』と呼ばれます。(正田先生訳)
歓喜を求めることが妄執(渇愛)だから、妄執(渇愛)を断ずること(捨棄すること)とは歓喜を捨てること。歓喜を捨てることは束縛を捨てること。束縛を捨てることは自由になることであり、安らぎ(涅槃)あると呼ばれる。

1110
ウダヤさんの三回目(最後)の質問。
・どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのか?(中村先生訳)
・どのようにして、〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者の、識知〔作用〕(識:認識作用一般・自己と他者を識別する働き)は止滅するのか。(正田先生訳)

十二因縁の教えによれば、無明などの十二の項目のどれか一つが滅すれば、すべて苦の滅があり、それは解脱です。そのために、ウダヤさんは最後に識(識別作用)はどのようにして滅することができるのかブッダに尋ねた。

識(識別作用)とは、心の本質のようなものだから、識別作用の滅とは心を滅するという意味になる。
そのことは想像できない。自己と他者を識別する働きと取れば、自他無二、自己と他者は一体であると感じることであろか。

1111
この経の最後の偈で一番大切。
無明などの十二の項目のどれか一つが滅すれば、すべて苦は滅するのだから、どれか一つを滅すればよい。
しかし、ブッダはウダヤ学生に識別作用を止滅させることを説かれた。それはウダヤさんにそれが一番適切であると思われたからだと思われるが、それは現代の多くの人々にも適切なのだろうと思われる。
この偈をよく読むと三段階になっている。第一段階は修行の目標。それは識別作用を止滅させること。
第二段階は、そのために感覚的感受を喜ばないこと。感覚的感受とは、苦と楽と不苦不楽と説かれているから、直接的には楽を喜ばないことが必要。それをどのようにするのか? 
その方法が第三段階。すなわちそれは「よく気をつけて行っている」ことが必要。それがヴィパッサナー瞑想。楽と感じる感覚的感受をよく気をつけていること(念:サティ)によって抑えられる。
そのようにして感覚的感受を喜ばないことができる。尚、よく気をつけていること(念:サティ)については、第5章の一番始めの経であるアジタ経参照。(1035 >>300>>302)
感覚的感受を喜ばなければ、感受作用が止滅する。(感受作用の止滅とは感覚がなくなるのではなく、苦、楽、不苦不楽と感じるのではなく、ただ感じていることとと思われる。)
そうすれば渇愛は起こることはなく、解脱するということになるが、その時、識別作用は止滅している。
「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人」の「内面的」とは苦、楽、不苦不楽のことであり、「外面的」には色、声、香、味、身、法を指しているのだろうと思われる。
(´・(ェ)・`)つ

19名無しを整える。2018/01/05(金) 12:25:58.27ID:vlxSJGZ8
>>18
訂正
1111 (念:サティ)については、第5章の一番始めの経であるアジタ経参照。(1035 >>300>>302)

http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/

20名無しを整える。2018/01/05(金) 12:45:17.90ID:vlxSJGZ8
>>19
再訂正

正しいレス番に飛ばないようであります。
>>302まで遡る。
1035、念:サティについての解説あり。
(´・(ェ)・`)つ

21鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/05(金) 22:09:40.98ID:jPsrPYvP
どれか一つだけではいかんのじゃ。
無明がなくならない限り苦はなくならないのじゃ。
あるがままに観察して滅するのじゃ。

22名無しを整える。2018/01/05(金) 22:41:12.65ID:vlxSJGZ8
>>21
実は、元ブログの原文でも混乱のあったヵ所であります。


<1110>の貴コメントの中に、
「十二因縁の教えによれば、識(識別作用)が滅すれば、行(形成作用)が滅し、行が滅すれば無明が滅するのです。」とのご説明がありました。
しかし、このご説明は、伝統的な十二縁起の滅観の一般的理解とは縁起の論理が逆転しているように読めます。
伝統的な十二縁起の滅観においては、
無明が滅することに縁って(無明が滅すれば)行が滅する。
行が滅することに縁って(行が滅すれば)識が滅する。
識が滅することに縁って(識が滅すれば)名色が滅する。
・・・・・
とされています。

という読者からの指摘に対して、

確かに、「十二因縁の教えによれば、識(識別作用)が滅すれば、行(形成作用)が滅し、行が滅すれば無明が滅するのです。」の説明は正しくはありません。ですから次のように訂正します。
「十二因縁の教えによれば、無明などの十二の項目のどれか一つが滅すれば、すべて苦の滅があり、それは解脱です。」
よくわからなかったので、訂正された文章をはめ込みました。

ご指摘ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

23名無しを整える。2018/01/06(土) 10:32:20.72ID:FRZfFb+Y
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、15、学生ポーサーラの質問

1112 ポーサーラさんがたずねた、
「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。

1113 「物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも『なにものにも存在しない』と観ずる人の智を、わたしはおたずねするのです。シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」

1114 師(ブッダ)は答えた、
「ポーサーラよ。すべての<識別作用の住するありさま>を知りつくした全き人(如来)は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱していて、そこをよりどころとしていると知る。

1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとうりであると知って、それから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンは、この<ありさまに知る智>が存する。」


ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、16、学生モーガラージャの質問

1116 モーガラージャさんがたずねた、
「わたくしはかってシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』と、わたくしは聞いております。
1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天の世界の者どもも、誉れあるあなたゴータマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。

1118 このように絶妙な見者におたずねしょうとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」

1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」

(´・(ェ)・`)つ

24名無しを整える。2018/01/06(土) 10:38:51.52ID:FRZfFb+Y
>>23
1112
ポーサーラ学生が問うという経。
質問の前に彼はブッダを「過去のことがらを説示し」と賞讃。これは人々の過去生を見ることができると評価している。
「悩み動揺することなく」、人々はすべていつも悩み動揺しているから、動揺しないことは称賛すべきこと。
「疑惑を断ち」、これも普通の人間はできないこと。人々はいつも疑惑の中にいて、確信することがない。
「一切の事物を究めつくした(師)に」の「一切の事物」とは「一切の事物の本質と法則=真理」と理解した方が分かりやすい。
真理は一つだから、この一つを究めた人は一切を究めた方なのである。一方、学問は一切の事物の本質を究めることなく、現象を研究しているから、究め尽くすことが出来ない。

1113
ポーサーラ学生の質問の内容はかなり難しい。先ず、「物質的なかたちの想いを離れ」(中村先生訳)はどのような意味なのか?
この意味は分かり難いので、正田先生は、「実体を離れた形態の表象ある者」と訳され、次のような解説をされた。
(妄想によって固定され実体化された形相を捨象し、認識対象をあるがままに表象する者)、これはよく読んで考えれば意味は分かるが、原文のVibhtarpasaissa
はそのような意味なのか?
そして「身体をすっかり捨て去り」を文字通りにとれば、肉体を捨てるとは死んだ時だが、この偈で意味していることはまだ死ぬ前の人について述べているのだから、その意味ではないと思われる。ではどのような意味か?
「物質的なかたちの想いを離れ」と「身体をすっかり捨て去り」とを合わせて、既に何度か述べられた「名称と形態の消滅」を意味しているのではないか。
そのような意味であるならば、そのような人は、「私(個人)という想いのない人(無我の人)」なのではないか。このような人は解脱している。
そのような人は「内にも外にも『なにものにも存在しない』と観ずる人」だが、ここで少し注意しなければならないことがある。
それは無色界の禅定に「無所有処定」(何もないことを認識している境地)というレベルがあるが、このレベルはまだ涅槃の境地ではないから、まだ上を目指さなければならない。
しかし、ここは解脱した人の「なにものにも存在しない」ということだと思うから、同じ表現だが、内容は異なる。
そしてポーサーラ学生の質問は、解脱した人が更に導かれることが必要ですかということで、更にどのような修行が必要ですかとブッダに尋ねていることになると思われる。

(´・(ェ)・`)つ

25名無しを整える。2018/01/06(土) 10:50:01.91ID:FRZfFb+Y
>>23
1114
修行完成者のあり方が述べられている。それは解脱して如来になられた方だから、更に修行をする必要はない。
そのような方は、すべての<識別作用の住するありさま>を知りつくした全き人。
<識別作用の住するありさま>の意味は、中村先生訳「ブッダのことば」の注によれば、
四識住(色、受、識、行)と七識住(@、人間、天の一部、四悪趣の一部、A初生の梵衆天、B光音天、C浄天、D空無辺処天、E識無辺処天、F無所有処天)の二つがあげられていると記されている。
<識別作用の住するありさま>とは、簡単に言えば「心のありさま」。アビダンマでは心を欲界心54種、色界心15種、無色界心12種、出世間心8種、合計89種の心について述べられている。如来はそれらすべてを知り尽くしている。
そして、「かれの存在するありさまを知っている」の意味は、それらの心にある人の状態をして知りつくしたということ。
「かれは解脱していて、そこをよりどころとしていると知る。」の「よりどころ」のパーリ語はparyaaですが、それには究極、行き着く所と意味があり、彼は究極、行き着く所を知っていて、そこに行き着いたということ。
この偈で如来という言葉が使われているということは、そのように来た人、或はそのように行き着いた人の意味。
この偈は修行完成者、如来について述べられている。如来は更に修行する必要はない。

1115
今回の偈も難しいので一応解説するが、間違っているかもしれない。これを参考意見として読み、自分で探究すべし。
ポーサーラ学生は1113偈で「内にも外にも「なにものも存在しない」と観ずる人の智を」ブッダに尋ねたが、その時の「なにものも存在しない」は「物質的なかたちの想いを離れ、身体を捨て去り」という条件が付いていた。
しかし、今回の1115偈の始めの言葉「無所有」はパーリ語kicaaだが、無色界の禅定である無所有処の境地を意味している。これではまだ如来(ブッダ)の境地ではない。
そこで、修行者はこの無所有処の境地を静かに観察する。そうするとその境地のもとに喜びがあることを知る。すなわち自分はこの境地を喜んでいることを知る。そして「この喜びが束縛である」と言う智慧が現れる。
この智慧の現れたバラモン(修行者)には、「ありのままに知る智」が現れ、修行が完成する。
無所有の境地は、このポーサーラ学生達の師匠であるバーヴァリ・バラモンもこの境地を願って南国に向った(976偈)のように、当時の修行者達の目指すべき目標だった。
しかし、単に「何ものも存在しない」という境地だけであるならば、それが最高の境地であるか分からない。前偈1114偈の学んだように、心のありさまを知り尽くすことが必要。

(´・(ェ)・`)つ
1114の<識別作用の住するありさま>の意味の解説は、全く理解できないくまである。

26名無しを整える。2018/01/06(土) 10:57:16.61ID:FRZfFb+Y
>>23
1116
15番目の質問者モーガラージャ、(モーガラージャン)
実はモーガラージャ学生は、始めの質問者アジタ学生の次にブッダに質問した。しかし、ブッダは彼の質問に答えなかった。注釈書には「彼の機根が熟すのを待つために答えなかった」と記されている。
アジタ学生の質問の流れから外れるために、ブッダは彼の質問を飛ばして、次のティサ・メテイヤ学生の質問に答えたようにも思える。
更に、彼はティサ・メテイヤ学生の質問の後にもう一度ブッダに同じ質問をした。その時もブッダは彼の質問に答えなかった。
彼の質問にブッダは答えたくなかったのだと思われる。彼の質問は直接答えを教えて下さいというようなものだったからと思われる。
ブッダは、答えを導く方法を教えるが、問題を解くのは自分で行いなさいという意図があるように思われる。
しかし、モーガラージャ学生が述べているように、ブッダは三度同じ質問をされればその質問に答える。そこでついに今回、モーガラージャ学生の三度目の質問に答えることになった。

1117
まだモーガラージャさんの質問には入らない。彼は質問の前にゴータマ・ブッダ様の見解をこの世の人々もあの世の人々も神々も梵天も自分を含むすべての生命は知らないと述べる。
これはブッダが一切知者であり、ブッダには世間の智でない、出世間の智があることを称賛している。

1118
やっと、モーガラージャさんの質問の内容が明らかになった。「どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」これがモーガラージャさんの質問。この質問の「死王は見ることがない」と同様の表現はダンマパダ170にある。
「世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。
世の中をこのように観ずる人は、死王もかれをみることがない。」(中村先生訳ダンマパダ170)
死王が見ることの出来ない人はどのような人なのか。死王は悪魔の別名。悪魔は欲界の支配者、欲のある生命を見て支配することができる。しかし、欲のない生命は見ることが出来ない。
モーガラージャさんの質問の内容は、完全に欲をなくした人の境地をブッダに尋ねている。完全に欲をなくした人とは貪欲(欲界の欲)、色貪(色界の欲)、無色貪(無色界の欲)などのすべての欲をなくした解脱した人。
つまり解脱した人の境地(涅槃)について尋ねている。
モーガラージャさんは巧妙にブッダに涅槃について尋ねた。ブッダは涅槃を言葉で表現できないということもあるが、それは自分で修行して体得すべきことだと考えておられたから、彼の質問には答えなかったのだと思われる。
しかし、三度尋ねられたからということもあるが、16人の質問者の15番目になりましたから、質問に答えることにした。

(´・(ェ)・`)つ

27名無しを整える。2018/01/06(土) 11:06:44.58ID:FRZfFb+Y
>>23
1119
いよいよ、モーガラージャさんの質問に対する答え。
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」これがその答え。
答えの中心は、「世界を空と観ずる人を<死の王>は見ることはない。」ということになる。では「世界は空である」とはどういうことか分からなければ、この偈の意味は分からない。後にこの「空」は大乗仏教で空の哲学として究明することになる。
しかし、ここではパーリ経典相応部第四巻第2部4章第2節の「空経」を参考にして考えてみる。アーナンダ尊者のブッダへの質問の始めの部分を引用。以下の世間という言葉はパーリ語ではローカで世界と同じ言葉。
「尊い方よ、『世間は空である、世間は空である』といわれていますが、いったいどの点から、『世間は空である』といわれるのですか」と。
「アーナンダよ、実に我について空であり、我に属するものについて空であるから、それゆえに、世間は空といわれる。アーナンダよ、我について空であり、我に属するものについて空である、とは何であるか。
アーナンダよ、実に、眼は我について空であり、我に属するものについて空である。色は我について空であり、我に属するものについて空である。眼の識別作用(眼識)は我について空であり、我に属するものについて空である。
眼と色と識別作用との接触(眼触)は我について空であり、我に属するものについて空である。
また、眼の接触によって生じるところの、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じること、それもまた我について空であり、我に属するものについて空である。
(以下同様な内容が耳、鼻、舌、身、意について述べられます。そして、結論は次の通りです。)

「アーナンダよ、実に、我について空であり、我に属するものについて空でから、それゆえに、世間は空であるといわれるのである。」」
(春秋社版:原始仏典U相応部経典第四巻182p:から引用)

空を難しく考えずに、「空っぽ」と解してもよい。空っぽに対しては欲も起こらす、執着もない。そのような人には欲はない。だから悪魔は見ることが出来ず、悪魔の支配から離れている。
ブッダは解脱した人の境地(涅槃)を「空」で説かれたが、その際も修行者にとって一番大切なこと、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って」、そうすれば、「世界は空である」と分かるという形でこの偈を述べられた。
(´・(ェ)・`)つ

28名無しを整える。2018/01/06(土) 13:50:34.88ID:FRZfFb+Y
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、17、学生ビンギヤの質問

1120 ビンギヤさんがたずねた、
「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。
どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるのですか、そのことわりを説いてください。それをわたくしは知りたいのです。」

1121 師(ブッダ)は答えた、
「ビンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病などに)悩まされる。ビンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

1122 「四方と四維と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識られないものもありません。
どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、──どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ビンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」


ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、18、一六学生の質問の結語

 師(ブッダ)は、マガダ国のパーサーカ霊地にとどまっておられたとき、以上のことを説かれ、(バーヴァリの)門弟である一六人のバラモンに請われ問われる度ごとに、質問に対して解答をのべた。
もしもこれらの質問の一つ一つの意義をしり、理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。これらの教えは彼岸に達せしめるものであるから、それ故にこの法門は「彼岸にいたる道」と名づけられている。

1124 アジタと、ティッサ・メッテイヤと、プンナカと、メッタグーと、ドータカと、ウバシーヴァと、またヘーマカと、

1125 トーデーヤとカッパとの両人と、賢者なるジャトゥカンニンと、バドラーヴダと、ウダヤと、ポーサーラ・バラモンと、聡明なモーガラージャと、偉大な仙人であるピンギヤと、──

1126 これらの人々は行いの完成した仙人である目ざめた人(ブッダ)のもとにやってきて、みごとな質問を発して、ブッダなる最高の人に近づいた。

1127 かれらが質問を発したのに応じて、目ざめた人はあるがままに解答された。聖者は、諸々の質問に対して解答することによって、諸々のバラモンを満足させた。

1128 かれらは、太陽の裔である目ざめた人・眼ある者(ブッダ)に満足して、優れた智慧ある人(目ざめた人)のもとで清らかな行いを修めた。

1129 一つ一つの質問に対して<目ざめた人>が説かれたように、そのように実践する人は、此岸から彼岸におもむくことであろう。

1130 最上の道を修める人は、此岸から彼岸におもむくであろう。それは彼岸に至るための道である。それ故に<彼岸にいたる道>と名づけられる。

(´・(ェ)・`)つ

29鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/06(土) 21:45:31.70ID:8mzOrYRN
要するに心の働きを全て観察して厭離するということじゃな。
認識にまで観察が至ればもはや悟りがやってくるのじゃ。

30名無しを整える。2018/01/06(土) 22:31:48.85ID:FRZfFb+Y
1/1120
ピンギヤの経。注釈書によれば、この時、彼は120歳。眼はよく見えなく、耳もよく聞こえない。彼は大仙人ピンギヤと呼ばれて、1000人もの内弟子もいた。
しかし、彼は生と老いを乗り越える理法を知らなかった。そのためこの老修行者は愚かなまま死にたくないという悲痛な叫びをブッダに訴えた。
この経は16人の質問者のまとめの経にもなっている。

1121
人々は肉体に執着しているために、だんだん衰えて、弱くなり、壊れて行く肉体に対して悩み苦しんでいるのだと説かれる。
「それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」(中村先生訳)と説かれた。「怠ることなく」は、肉体への執着が苦しみの原因であることによく気付いて、ということ。
「物質的形態を捨てて」は肉体への執着を捨てて。ということ。「再び生存状態にもどらないようにせよ」は輪廻から解脱せよということ。これが「この世において、生と老いを捨て去ること。

1122
ピンギヤさんは、再度同じ質問をする。
ピンギヤさんは老いて無力だったので、特別な境地を証得しないまま、世尊に再度て説示を乞う。
ブッダは、別の言葉によって答える。

(´・(ェ)・`)つ

31名無しを整える。2018/01/06(土) 22:34:40.88ID:FRZfFb+Y
1123
ブッダは、再度ピンギヤさんの質問に答える。それは仏教の一番大切の教えである四聖諦の核心。
ピンギヤさんは、高齢になり、多くに人々が生きることに苦しみ、また自分自身も生きることが苦であることを実感したでしょうとブッダは述べる。これが四聖諦の第一苦聖諦。
そして、それらの苦しみの原因が渇愛(妄執)であることもよく観て来たでしょうとブッダは言う。これが第二苦集聖諦。
生きることの苦しみを取り除くためには、苦しみの原因をなくせばよい。苦しみの原因は渇愛(妄執)だから、渇愛(妄執)をなくせばよい(第三苦滅諦)。
だから、ブッダはピンギヤさんに「そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」と説かれた。
「怠ることなくはげみ、妄執を捨てて」は、妄執(渇愛)を捨ててと言われても簡単にはでない。そこで「怠ることなくはげみ」ことが必要になる。
この内容は第四苦滅道聖諦だが、具体的には八正道だが、狭い意味では八正道の正念。心に妄執(渇愛)が現れないようによく気付いていること。これにより妄執を捨てることができる。
「再び迷いの生存にもどらないように」とは、再び生まれ変わらないように、すなわち輪廻を繰り返さないようということ。
妄執(渇愛)がなくなれば、再度生まれたいという要因がなくなるから、再度生まれ変わるということがなくなる。
(´・(ェ)・`)つ

32名無しを整える。2018/01/06(土) 22:46:57.30ID:FRZfFb+Y
彼岸に到る道の結語の序.

「第五章 彼岸に到る道の結語の序」
「もしもこれらの質問の一つ一つの意義をしり、理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。」
解脱して涅槃に達することができるであろうということ。本文の意義と理法を再確認して、目標達成のてこにするべし。

1124 1125 1126
16人のバーヴァリ・バラモンの高弟が質問するためにブッダに近づいた。

1127
真理を探究していた修行者の究極の質問に、即座に答え、彼らを満足させるブッダという存在に改めて感動する。

1128
16人の学生達と彼らの弟子達はブッダの説法を聞いたら、すぐその場で、説かれたように、そのように実践してたのだ。

1129
16人の学生達の質問は、彼岸(悟りの世界)に至る道のりの最後の難関だった。ブッダが示された解答は、最後の難問を問うことができる修行者だったから、そのような質問が出来たの。
またそれに対する解答を理解することが出来、その場で実践できた。

1130
ブッダは最終的には、最上の道を選択してその道を進むことになると教えている。その故にその最上の道とは、彼岸(涅槃)に到る道であると説かれている。
(´・(ェ)・`)つ

33名無しを整える。2018/01/06(土) 23:24:51.68ID:FRZfFb+Y
>>29
鬼和尚、ありがとうであります。
心の働きを全て観察するであります。
(´・(ェ)・`)つ

34名無しを整える。2018/01/07(日) 14:58:25.22ID:fn0tE7QK
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、18、一六学生の質問の結語

1131 ピンギヤさんは(バーヴァリのもとに帰って、復命して)いった、
「<彼岸に至る道>をわたくしは読誦しましょう。無垢で叡智ゆたかな人(ブッダ)は、みずから観じたとおりに説かれました。無欲で煩悩の叢林のない立派な方は、どうして虚妄を語られるでしょうか。

1132 垢と迷いを捨て去って、高慢と隠し立てとを捨てている(ブッダ)の、讃嘆を表わすことばを、さあ、わたくしは誉めたたえることにしましょう。

1133 バラモンよ。暗黒を払う<目ざめた人>(ブッダ)、あまねく見る人、世間の究極に達した人、一切の迷いの生存を超えた人、汚れのない人、一切の苦しみを捨てた人、
──かれは真に<目ざめた人>(ブッダ)と呼ばれるにふさわしい人でありますが、わたくしはかれに近侍しました。

1134 たとえば鳥が疎な林を捨てて果実豊かな林に住みつくように、そのようにわたくしもまた見ることの少い人々を捨てて、白鳥のように大海に到達しました。

1135 かつてゴータマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来にはこうなるであろう』といってわたくしに説き明かしたことは、すべて伝え聞きにすぎません。それはすべて思索の紛糺を増すのみ。

1136 かれは独り煩悩の暗黒を払って坐し、高貴で、光明を放っています。ゴータマは智慧ゆたかな人です。ゴータマは叡智ゆたかな人です。

1137 即時に効果の見られる、時を要しない法、すなわち煩悩なき<妄執の消滅>、をわたくしに説示しました。かれに比すべき人はどこにも存在しません。」

1138 (バーヴァリがいった)、「ピンギヤよ。そなたはね智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができるのか?

1139 かれはまのあたり即時に実現され、時を要しない法、すなわち煩悩なき<妄執の消滅>、をそなたに説示した。かれに比すべき人はどこにも存在しない。」

1140 (ピンギヤがいった)、「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。
(´・(ェ)・`)つ

35名無しを整える。2018/01/07(日) 15:08:36.44ID:fn0tE7QK
>>34
1131
ピンギヤ学生が、彼の師匠のバーヴァリ・バラモンのもとに帰り、師匠の質問を交えて、ブッダの説法を報告とする。
120歳のピンギヤさんがブッダのもとにたどり着いたと同様に、師匠のもとに帰って行った困難を思わずに、この偈を読むことはできない。

注釈書の解説によると、「世尊が『彼岸に到る道』の説法をすると、一万六千人の結髪者たちが阿羅漢の境地を得て、残りの一億四千万を数える神々や人間達に法の領解があった」と記されているから、
そのような噂は既にバーヴァリ・バラモンのもとに届いていたのではないかと思われる。
ピンギヤさんは師匠との約束を守り、師匠のもとに帰り、報告を始める。「<彼岸に至る道>をわたくしは読誦しましょう。」と述べ、「無垢で叡智ゆたかな人(ブッダ)は、みずから観じたとおりに説かれました。」と報告する。
ここでピンギヤさんは「そのようなブッダが偽りを言うはずがありません。」と述べると、バーヴァリ・バラモは、その話を聞きたいという想いがさらに募った。

1132
垢と迷いを捨て去って、高慢と隠し立てとを捨てている方。
垢とは、心の汚れで煩悩を意味している。迷いは、mohaの訳で暗愚、愚鈍、愚痴などの意味を含んでいる。
「高慢」と「隠し立て」を捨てていることに注目している。「高慢」とはmnaの訳だが、一般的には慢と訳され、阿羅漢になるまで残っている根強い煩悩の一つ。
「隠し立て」はmakkhaの訳だが、恩義を踏みにじる、他人の善を無視するという意味。他人を正しく評価するということになる。

1133
「バラモンよ」はピンギヤさんの師匠であるバーヴァリ・バラモンを指す。
「暗黒を払う人」。暗黒とは無明、無知を意味する。闇の中で明かりをともし、周りがすべて見える状態になった人。
「目覚めた人」。真実を自覚している人。私達は起きている状態の時は目覚めていないとは思ってはいないが、目覚めた人から見れば、夢を見ている状態。夢の中でライオンに遭遇していても、眼が醒めればライオンはいないようなもの。
凡夫の見ている世界は夢のようなもの。
「あまねく見る人」。凡夫は、いつも自分の周りの一部分しか見ていない。ブッダはすべてを見ている。
「世間の究極に達した人」。世間解とも言われるが、世間のすべてに通じるようになると世間を超えたことが解るようになる。
例えば、無限というものは理解できないものだが、有限の世界を完全に理解すると、無限が分かるというようなもの。
「一切の迷いの生存を超えた人」。迷いの生存とは、天界、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄の輪廻の世界での生存を言う。それを超えた人とは解脱した人。
「汚れのない人」。煩悩のない人。
「一切の苦しみを捨てた人」。一切の苦しみは無明、渇愛から生まれますから、無明、渇愛をなくした人。
「真に<目ざめた人>(ブッダ)と呼ばれるにふさわしい人=真理を呼び名とする方」。真実の人と呼ばれるのにふさわしいという人。
そのような人の側に近づき、説法を聞き、その教えを実践したのですとその感動を師匠に伝えた。
(´・(ェ)・`)つ

36名無しを整える。2018/01/07(日) 15:24:11.69ID:fn0tE7QK
>>34
1134
ピンギヤさんは、鳥は餌になる木の実や果物がない森から離れて、食べ物になる果実の豊富な森に住むように、
修行者である自分は智慧ない人々から離れて、白鳥のように、大海原のような智慧のあるブッダのもとに到着しましたと述べた。

1135
ヘーマカ学生の偈1084 参照。
伝聞では、確かな確証はない。事実に基づかない思考は砂上の楼閣。迷いの世界からは抜け出ることはない。事実はどうか明確にして、真理を追究することが大切。

1136
彼岸(涅槃)への道は、独りで歩むもの。
暗黒を払うとは、無明を破ること。無明はすべての煩悩の元にあるものであり、すべての煩悩の親玉。無明が破れれば、すべての煩悩はなくなる。すべての煩悩がなくなれば、解脱。もう輪廻を繰り返すことはない。
解脱した人は光輝く人であり、光の担い手。その意味は他の人の道しるべになるということ。ゴータマ・ブッタはまさにそのような方。
「智慧ゆたかな人」と「叡智ゆたかな人」の違いはよく分からないが、ゴータマ・ブッダの智慧が世間の知恵以上の世間の智慧を超えた出世間の知恵の持主であることを称賛しているのだと思われる。

1137
世尊の説かれた法と特徴は、「法の六徳」として仏教徒に常に唱えられる言葉があるが、この偈では、そのままの言葉、或は異なる言葉で述べられている。sandihikaは「即時に効果の見られる。」そしてaklikaは「時を要しない。」
さらに、Tahakkhayaは「渇愛の滅尽」が、これは涅槃に導く教えということ。
また、antikaは「無災の、安全な、息災の」である教えという意味。このような教えを説く方は、他にはいないとピンギヤは最高の称賛をブッダに対して述べた。

1138、1139
ピンギヤさんの師匠であるバーヴァリ・バラモンは、ピンギヤさんに問いかける。「ピンギヤよ。そなたは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができるのか?」と

1139は、1137とme(わたくしに)がte(そなたに)に入れ替わった以外はすべて同じ言葉。バーヴァリ・バラモンもピンギヤさんと同じ評価をゴータマ・ブッダに対して行った。

(´・(ェ)・`)つ
1140解説は次回。

37名無しを整える。2018/01/07(日) 18:41:23.11ID:fn0tE7QK
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1)「潜在意識、マーフィーの法則」(くまのへっぽこ脱出大作戦)
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3) 「信心銘 」>>389
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4)「真理のことば(ダンマパダ)」>>562
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5)ブッダのことば(スッタニパータ)>>782
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スッタニパータ、533番〜1072番
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/1

(´・(ェ)・`)つ

38鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/07(日) 22:35:36.97ID:Bk2BEwNd
>>33 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

39名無しを整える。2018/01/08(月) 08:38:54.42ID:aioyVsIE
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、18、一六学生の質問の結語

1140 (ピンギヤがいった)、「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。

1141 まのあたり即時に実現される、時を要しない法、すなわち煩悩なき<妄執の消滅>、をわたくしに説示されました。かれに比すべき人はどこにも存在しません。

1142 バラモンさま。 わたくしは怠ることなく、昼夜に、心の眼を以てかれを見ています。かれを礼拝しながら夜を過ごしています。ですから、わたくしはかれから離れて住んでいるのではないと思います。

1143 信仰と、喜びと、意と、念いとが、わたくしを、ゴータマの教えから離れさせません。どちらの方角でも、智慧豊かな方のおもむかれる方角に、わたくしは傾くのです。

1144 わたくしは、もう老いて、気力も衰えました。ですから、わが身はかしこにおもむくことはできません。しかし想いを馳せて常におもむくのです。バラモンさま。わたくしの心は、かれと結びついているのです。

1145 わたくしは汚泥の中に臥してもがきながら、洲から洲へと漂いました。そうしてついに、激流を乗り超えた、汚れのない<完全にさとった人>(正覚者)にお会いしたのです。」

1146 (師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」

1147 (ピンギヤはいった)、「わたくしは聖者のことばを聞いて、ますます心が澄む(=信ずる)ようになりました。さとった人は、煩悩の覆いを開き、心の荒みなく、明察のあられる方です。

1148 神々に関してもよく熟知して、あれこれ一切のことがらを知っておられます。師は、疑いをいだきまた言を立てる人々の質問を解決されます。

1149 どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地に、わたくしは確かにおもむくことでしょう。このことについて、わたくしには疑惑がありません。わたくしの心がこのように確信して了解していることを、お認めください。」

<彼岸に至る道>の章おわる

八回にわたって誦える分量ある聖典のスッタニパータ終る。
【おわり】

40名無しを整える。2018/01/08(月) 08:51:17.80ID:aioyVsIE
1140、1141
ピンギヤさんはゴータマ・ブッダから遠くに離れた所に住んでいたのに、その答えの言葉は「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。」であった。

1142
ピンギヤさんは、「昼夜に怠ることなく心の目で彼(ブッダ)を見ています。」という。更に「かれを礼拝しながら夜を過ごしています。ですから、わたくしはかれから離れて住んでいるのではないと思います。」と述べた。
実際の距離の問題ではない。心が離れているかどうかという問題。
ダンマパダ296参照。

1143
「信仰と、喜びと、意(こころ)と念(おも)い」でゴータマ・ブッダを見ている。
信仰とは、仏教では信仰と言った場合、それは決して盲信ではない。理解に基づく確信。
ピンギヤさんは、智慧ゆたかな、叡智ゆたかなブッダの説法を聞いて揺るがない確信を得た。だから彼はブッダを信仰によって見て、ま近くに住んでいるのである。
また、彼はブッダの説法を聞いて感動した。その時の喜びは消えることはない。彼はブッダを喜びによって見て、ま近に住んでいるのである。
更に、彼はブッダの説法を聞いて、意(こころ)が変わった。ピンギヤさんの心はブッダの心と一つになった。だから、彼はブッダから離れて住んではいない。
念(sati)は、気づきという意味もあるが、記憶という意味もある。
ここでも、もちろん気づき、よく気をつけていると理解しても良いが、ブッダとの出会いの記憶とその一部始終によってピンギヤさんはブッダを見て、ブッダと共に住んでいるのだとも考えられる。
このように、ピンギヤさんは信仰と、喜びと、意と、念いによってブッダを見て、共に住んでいた。

1144
120歳のピンギヤさんの心情がその通りに表現されている。「わたくしの心は、かれ(ブッダ)と結びついているのです。」と断言されている。

1145
「汚泥の中=汚泥」は、この世の中を意味している。実は多くの人々はこの世の中を汚泥とは思っていない。この世の中に期待して、楽しみを見つけ、楽しく生きたいと思っている。
ブッダは生きることは苦しみであると教えているが、人々はそれを理解しない。しかし、ピンギヤさんはこの世の中で生きることの真実を理解し、世を厭う気持ちを「わたくしは汚泥の中に臥してもがきながら」と表現した。
「洲から洲へ」の「洲」とは教師を意味している。ピンギヤさんはある教師から、また他の教師に教えを求めて漂ったと述べている。
そして、最後に「激流を乗り超えた、汚れのない<完全にさとった人>(正覚者)=激流を超えた、煩悩なき正覚者(ブッダ)」に会うことが出来たのだと、ブッダを称賛し、感動し、その喜びを述べた。

(´・(ェ)・`)つ

41名無しを整える。2018/01/08(月) 12:14:02.36ID:aioyVsIE
>>39
1146
ブッダがピンギヤさんと彼の師匠であるバーヴァリ・バラモンの前に現れ、この偈を唱えた。
この偈に述べられた人名について説明する。
「尊者ヴァッカリは王舎城の陶工の家に住し、病苦に悩んでいた。
時に彼の願いによって世尊は彼を見舞い、『法(真理)を見る者は私を見る。私を見る者は法を見る。』といい、色受想行識の無常・苦なることを教える。
その後、彼を見舞った比丘たちに向って、「世尊に礼拝し、色受想行識の無常・苦なること、それに対して自ら欲なく執着のないことを疑わない」ということを、世尊への伝言として述べてから、刀を取って自殺したという。」
(南伝十四、188〜195頁。或は、春秋社の原始仏典U相応部第三巻217〜227頁)
バドラーヴダについて。バーヴァリ・バラモンの弟子の一人で、十二番目の質問者。彼の信については何も述べられていない。
アーラヴィ・ゴータマについては、ここ以外には何も分からないと注釈書に述べられている。
この偈の訳で問題になる所がある。muttasaddho及びpamucassu saddhaの訳である。中村先生はそれぞれ、「信仰を捨て去った」「信仰を捨て去れ」と訳されている。
正田先生はそれぞれ「解き放たれた信ある者」「信を解き放ちなさい(信仰を依存の対象にしてはならない)」と訳されている。
ところが、注釈書では、「信を寄せていた」「信を寄せよ」と訳されている。また、宮坂宥勝訳「ブッダの教え」(法蔵館)では「信仰を起こした」「信仰を起こすがよい」となっている。
表面的に読めば、中村訳と注釈書及び宮坂訳では反対の意味になる。正田訳は直訳で、その中間と見て良い。中村先生は、いわゆる信仰の問題点を強調する意味で「信仰を捨て去れ」と訳された。
しかし、伝統的な注釈書では、信仰はブッダもその重要性をたびたび強調されておるので、「信仰を捨て去れ」とは訳すわけには行かなかったのだと思われる。

1147
聖者の言葉とは何か? これは当然、1146偈のブッダの言葉。そうすると1146で問題にした「muttasaddho」及び「pamucassu saddha」を言っているのだと思われる。
仏教における「saddh」の意味は、盲信でなく、理解に基づく確信であると説明されるが、更に本質的には、他者(神など)を信じるということではなく、自分自身を信じることである思われる。
では自分自身の何を信じることかと言えば、覚悟或は決意である。更に具体的には自分が解脱することを信じること。自分が解脱することを信じることがない者は解脱しない。
宝経の7番目の偈(スッタニパータの228)には「堅く決意し、ゴータマ(仏陀)の教えに基づきよく励み」、このように実践した人が阿羅漢になったと述べられている。
覚悟や決意の重要性が述べられている。これが仏教における「信」である。
ブッダはこのことを、「解き放たれた信ある者」「信を解き放ちなさい」(正田訳:直訳)と述べたので、ピンギヤさんはますます浄信するようになり、このような表現をするブッダを
「明察のあられる方=即応即答〔の知慧〕ある方=弁才ある方」であると述べたのであろう。

(´・(ェ)・`)つ

42名無しを整える。2018/01/08(月) 12:24:23.61ID:aioyVsIE
>>39
1148
Adhideveは中村先生は「神々に関して」と解されているが、注釈書では「神を超えたもの」の意であるとしてある。いずれにせよ、一行目、二行目の意味は神を超えたものや、その他あれこれ一切のものを師(ブッダ)は熟知していますという意味。
三行目と四行目は、注釈書には「疑問があっても(ないと)公言する人たちの質問を、(大)師は終わらせるのです。」と記されている。
少しややっこしく書いてあるが、ブッダは人々のどんな質問も最終的な結論を出すことができるということだと思われる。

1149
スッタニパータの最後の偈にふさわしく、仏教の信について述べられている。「どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地」とは涅槃の境地だが、ピンギヤさんはこの境地に到ることを確信した。
そして、彼は「このことについて、わたくしには疑惑がありません。」と明言した。これこそが仏教の信である。


ブッダのことば(スッタニパータ)
おわり
(´・(ェ)・`)つ

43名無しを整える。2018/01/08(月) 21:15:01.08ID:aioyVsIE
明日からは、『I AM THAT 私は在る』ゼミを始めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

44鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/08(月) 22:17:57.05ID:lCo2+ONx
善いことじゃ。
どんどんやるとよいのじゃ。

45名無しを整える。2018/01/08(月) 23:29:43.07ID:aioyVsIE
>>44
鬼和尚、こんばんは。
「私は在る」ゼミは、DAT落ちしないように、1年くらいかけてゆっくり進めるであります。
終わったらもう一度、スッタニパータを、できたら、鬼和尚に解説をお願いして、ゆっくり読んでみたいであります。
(´・(ェ)・`)つ

46名無しを整える。2018/01/09(火) 18:26:49.28ID:b3nlktBh
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】

 質問者 毎朝、目覚めとともに世界が突然現れるのは、日々体験することです。それはいったいどこからやってくるのでしょうか?
 マハラジ
 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。
 質問者 目覚める前、私は無意識でした。
 マハラジ
 どういう意味だろう?
 忘れてしまったのか、それとも体験しなかったのだろうか?
 たとえ無意識のときでも、あなたは体験しないと言えるだろうか?
 記憶の忘却、それが存在していないことの証明になるだろうか?
 あなたが存在していなかったと、実際の体験として語ることができるだろうか?
 マインドが存在しなかったと言うことさえできない。
 呼びかけられて、あなたは目を覚ましたのではなかったか?
 そして、目覚めて最初に起こった感覚は、「私は在る」(I AM)ではなかっただろうか?
 眠り、または気絶の間にも、意識の種子は存在していたはずだ。
 目覚めの時の体験は、「私は在る―身体―世界」とつながっていく。
 それは連続して起こるように見えるが、実際には、世界の中で身体をもつというひとつの観念として、すべて同時に起こるものだ。
 誰かとして在ることなく、「私は在る」という感覚がありうるだろうか?
 質問者 私はつねに記憶と習慣をもった「誰か」です。それ以外の「私は在る」を私は知りません。
 マハラジ
 何かがあなたを知ることから妨げているのだろうか?
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく

47名無しを整える。2018/01/09(火) 18:46:31.84ID:LOKriScE
マハラジの後期の言語録を読みましたが
「I AM」という認識が根源的な幻想であり
その痕跡が一切無い「THE ABSOLUTE」が私でありあなたである
と繰り返し言ってましたね

48名無しを整える。2018/01/09(火) 18:48:00.41ID:b3nlktBh
>>46
> 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。
この「誰か」「背景」が意識であり、真我でありましょうか?
で、意識、真我は、特定されるものではなく、全てであるということでありましょうか?
で、それは、思考、感覚、感情など何でも映し出すスクリーンみたいなものと言う理解で良いのでありましょうか?
で、もしそうなら、真我を意識と読み替えても良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

49鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/09(火) 21:56:06.27ID:3yM/3APu
それは意識では有るが真我とは言えないのじゃ。
アートマンはそれに至る方法なのじゃ。
心臓に集中することによりアートマンは見出されるのじゃ。
そして無我になり、認識をも滅して全てが意識であると感じるようになるのじゃ。

50名無しを整える。2018/01/09(火) 23:37:58.11ID:b3nlktBh
>>49
「真我」=「アートマン」は、全ては意識であると言うときの「意識」ではない。

修行の過程で見出だされる、「…でない」によってのみ定義される「アートマン」を介して、その何者でもないアートマン=「無我」に至ると言う理解でよいでありましょうか?
以前もお尋ねしたことでありますが、アートマンとは、「…でない」によってのみ定義されるものでありますから、結局、アートマンはあると言っても、「無我」と言っても同じことであると言う理解でよいのでありますね。
マハラジは、そのことを、無我と言う言葉を使わず、真我と言う言葉で語っているのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

51名無しを整える。2018/01/10(水) 00:17:03.76ID:yqRfsOmv
>>47
痕跡が一切無い「THE ABSOLUTE」= 「…でない」によってのみ定義されマン、でありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ
マハラジの言葉は、わくわくするであります。

52名無しを整える。2018/01/10(水) 00:20:40.86ID:yqRfsOmv
>>51
訂正
>定義されマン →定義されるアートマン

53名無しを整える。2018/01/10(水) 12:51:47.49ID:4CwEZxpc
>>51
マハラジの言葉は鋭いですね
禅師のような感じを受けます

マハラジは
言葉なしの「I AM」をアートマンや意識
それを超えたものをパラマートマン、パラブラフマン、「THE ABSOLUTE」など
としているようです

54名無しを整える。2018/01/10(水) 18:39:15.27ID:yqRfsOmv
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 マハラジ
 ・・・・・・
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?
 質問者 彼らの指導のもとにその知識の源泉を探るでしょう。
 マハラジ
 あなたにとって、あなたが単なる身体にすぎないのか、あるいは何かそれ以外のものなのかを知ることは、重要ではないだろうか?
 あるいはまったく何ものでもないかもしれないということを?
 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去るのだ。
 質問者 私がこの身体ではないと知ることが何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体ではないと言うことでさえ、まったくの真実とは言えない。
 ある意味では、あなたはあらゆる身体、ハート、マインドのすべて、またそれ以上なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけだ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。
(´・(ェ)・`)つ
つづく

55鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/10(水) 20:52:16.32ID:jQOgeCpq
>>50 無我の法とはいえるじゃろう。
 無我そのものではないのじゃ。
 アートマンがあるともいえないからのう。
 

56名無しを整える。2018/01/10(水) 21:39:29.04ID:yqRfsOmv
>>53
後期の言語録というのは、英語の本でありますか

>>55
鬼和尚、こんばんは。
「アートマン」とは、あれでもない、これでもない、なんでもない、としか定義できないものなのでありますから、結局「無」でありましょう。最初から、「無我」と言っとけばよいようなもんでありますが、
ただ、普通の実感としてある、自我をいきなり無いもの見よ!といっても難しいので、ワンクッション置いて無我に繋げるための概念というように理解しとけばよいでありましょうか?
てか、アートマンに達することと、無我に達することに違いってあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

57名無しを整える。2018/01/11(木) 07:47:59.54ID:JSt4wY/h
>>56
ググってみたであります。
輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する か否かと言うややこしいテーマがあるようでありました。
(´・(ェ)・`)つ

58名無しを整える。2018/01/11(木) 14:29:13.73ID:BSGMsEGB
>>56
英語の本やネットに転がってるのものですね
例えばこんな感じで話していたようです


質問者
アートマンがサット・チットアーナンダ(存在・意識・至福)なら、パラマートマンはなんでっか?

マハラジ
サット・チット・アーナンダはそのうちパラマートマンになるんや。サッチターナンダが「I AMNESS」で、それ自体が至福、愛の状態や。
せやけどそれは、意識が続いとる間だけ体験される状態や。そんで意識は、肉体が使える間だけ存在しとる。時間制約の状態やねん。
お前さんはサット・チット・アーナンダを超えなあかんで。

59名無しを整える。2018/01/11(木) 18:41:32.31ID:JSt4wY/h
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 では、私とはいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだけだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく

60名無しを整える。2018/01/11(木) 18:54:41.01ID:JSt4wY/h
>>59
>あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
ふむふむ。
アートマンのことでありますね。
>あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
ふむふむ。
これでありますね。
観察の主体と客体が一致することの矛盾に気付けと言うわけでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

61名無しを整える。2018/01/11(木) 18:59:59.81ID:JSt4wY/h
>>58
たしかに、大阪のお好み焼き屋さんとかに居そうな風貌でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

62名無しを整える。2018/01/11(木) 19:33:51.56ID:BSGMsEGB
言葉が指し示すものは覚者によって違うので

マハラジのいう「I AM」=鬼和尚のいう「阿頼耶識」
マハラジのいう「THE ABSOLUTE」=鬼和尚のいう「意識」

という印象を受けました

63鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/11(木) 22:34:42.28ID:wDJhwkyB
>>56 そうじゃ、修業のために作られた概念なのじゃ。
 無我の状態はあるものじゃ。
 アートマンは実在しないものじゃ。
 ただ集中の対象として作られたのじゃ。
 

64名無しを整える。2018/01/12(金) 18:58:49.44ID:BdhjbQJq
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 体験者としての存在の感覚、「私は在る」という感覚もまた体験ではないでしょうか?
 マハラジ
 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」なのだ。
 質問者 どのようにしてそれを得るのでしょう?
 マハラジ
 それを得る必要はない。
 なぜなら、あなたがそれなのだ。
 あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。
 非実在のものへの執着を解き放ちなさい。
 そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。
 自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。
 そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになるだろう。
 それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。
              
【1「私は在る」という感覚】(おわり)
【2 身体への固執】(につづく)
(´・(ェ)・`)つ

65名無しを整える。2018/01/12(金) 19:17:57.10ID:BdhjbQJq
>>64
>記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づき。
↑これが、
>実在
でありますね。
> 非実在のものへの執着を解き放
てば、くまが、
>すべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになる
のでありますね。

ふむふむ。
難しいことを、簡単そうに説明する天才でありますね。

個の中にある 同一性の錯覚は、連続性があるからであると言うことと、
個と思っているものが実は、すべてのハートであり、源泉であるということを、一気に語ってるのでありますね。

(´・(ェ)・`)つ

66名無しを整える。2018/01/12(金) 19:24:36.89ID:BdhjbQJq
>>63
概念を否定する概念。
典型的なパラドクスでありますね。
空同様、実体のないものでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

67名無しを整える。2018/01/12(金) 20:57:58.43ID:BdhjbQJq
>>62
ふむふむ。
鬼和尚のいう「阿頼耶識」とは、記憶に依存した認識のことでありましょうし、
マハラジのいう「I AM」」も、わたしはあると言う認識でありまして、
最終的にはともに、滅すべき対象のようでありますね。
Wikipediaによりますと、阿頼耶識とは個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識とも解説されるようであります。この点でも、「I AM」も特定されるものではない純粋な「私はある」みたいな意味らしいでありますから、=で結ばれそうでありますね。

「THE ABSOLUTE」、っていうのは、鬼和尚のいうただひとつの「意識」ってやつでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

68鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/12(金) 21:39:22.68ID:+if7kN0P
↑そうかもしれん。
おぬしがそれなのじゃ。
得ることも失うこともなくただそれなのじゃ。

69名無しを整える。2018/01/12(金) 22:58:35.76ID:BdhjbQJq
>>68
それとは、くまが、
>すべてのハートであり、源泉である
というこでありましょうか。
「得ることもなければ、失うこともない。」は、般若心経の中の言葉かと思ったら、
仏教聖典の中にそのままあったであります。
鬼和尚、ありがとうであります。
精進せねばであります。
(´・(ェ)・`)つ

70名無しを整える。2018/01/12(金) 23:16:14.96ID:W6Cz4ee7
>>67
マハラジによると

私でありあなたである「THE ABSOLUTE」から
頼みもしないのにただ見るものである「I AMNESS」が現れ
その後に心身との自己同一化が起こり苦しみが生じる

故に「I AMNESS」が苦しみの元凶の幻なのでそれを滅しなければいけない

マントラや瞑想などの行で心を静めつつ
教えを聞き理解してあらゆる観念への執着を離れ
「I AMNESS」にとどまることがはじめの一歩

そこに長く落ち着くことができれば時期が来れば気づきが起こり
「I AMNESS」は超えられる

というようです

71名無しを整える。2018/01/13(土) 00:37:18.02ID:n4m7M0QB
>>70
ふむふむ。
「I AMNESS」は、「自我」
「I AM」は、「アラヤシキ」
「THE ABSOLUTE」は「意識」
で、ありますね。
(´・(ェ)・`)つ

72名無しを整える。2018/01/13(土) 01:49:49.01ID:AjakqKJE
>>71
「I AM」と「I AMNESS」は
同じものを指しているようです

それが生じた後に
「I AM ○○」となると
「○○」に同一化した自我が生じる
という解説のようです

73名無しを整える。2018/01/13(土) 09:49:49.90ID:n4m7M0QB
>>72
そうだったなのでありますか。
文脈の中で、その言葉がどういう意味で使われてるか、おさえておかないと、わけわからなくなってしまうでありますよね。

アートマンについては、鬼和尚の>>63のように、
>修業のために作られた概念
 アートマンは実在しないもの
 ただ集中の対象として作られた

と説明されると、とてもわかりやすいであります。
(´・(ェ)・`)つ

74名無しを整える。2018/01/13(土) 10:09:47.40ID:n4m7M0QB
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】
                   
 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?
 マハラジ
 根本的違いなど何もない。
 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに来ましたが、あなたは私のもとには来ません。
 マハラジ
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、私はしません。
 マハラジ
 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。
 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)は偉大です。
 マハラジ
 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだけで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。
 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?
 マハラジ
 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなったのだ。

(´・(ェ)・`)つ
つづく

75名無しを整える。2018/01/13(土) 10:33:03.26ID:n4m7M0QB
>>74
覚者と普通の人の違いは、
人生における 出来事の連続に対して、
固執せず、過ぎ去るショーをショーとして見ているだけなのが、覚者で、
固執し、それとともに動き回るのが、普通の人。
執着からの自由でありますね。

>私は私自身以外の何ものでもない
←これが私はあるの私でありましょう。
>私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなった
←自分とは、あれでもない、これでもないと、私でないもの(=観念)を、捨て去って行く、修行の方向性を決めるものとして、アートマンが語られてるのでありましょうか。
だとすればまさに、>修業のために作られた概念 といえるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

76名無しを整える。2018/01/13(土) 11:45:24.22ID:AjakqKJE
>>73
アートマンという言葉も
色々な使い方をされているようです
これはマラーティー語から英語に訳された際に生じる問題かもしれませんが

アートマンというのも言葉なので指し示すものとは乖離していますが
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
その点で鬼和尚の使い方とは異なるという印象を受けました

77名無しを整える。2018/01/13(土) 12:52:07.02ID:n4m7M0QB
>>76
>アートマン・・・
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
←鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。
別スレで、心臓の辺りにそれ(アートマン)があるとして集中する方法を説明されていたであります。

ところで、マハラジもアートマンを実体と考えてるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

78名無しを整える。2018/01/13(土) 13:07:14.05ID:n4m7M0QB
>>77
不思議不思議。こんな文字化けはじめて見たであります。

>鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。

鬼和尚の説明では、修業のために作られた概念であり、実在しないものと説明されておりますが、集中の対象と言う点では、具体的でありますよね。

79名無しを整える。2018/01/13(土) 15:58:28.90ID:AjakqKJE
>>77
マハラジ
わいはいつ死亡宣告受ける?アートマンが肉体を離れたときや。
せやけどわいはアートマンやあらへんさかい、そこのどこにわいの死があるんや?
わいは癌に影響されとらん。何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。
すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん。


もうちょっとまとまっているものを探してみますね
THE ABSOLUTE以外は現れては消えていくものでしかないので
実体がないのは確かなようです

80名無しを整える。2018/01/13(土) 17:19:41.88ID:AjakqKJE
マハラジ
コンシャスネスの階層は3段あんねん。

ジーヴァートマンいうんは、自分を心身と自己同一化しとるやつのことや。
わいは世界から分離した1この体や、人格や、個人や…て思とるやつやな。
そいつは心身と同一化しとるさかい、自分を1この分離した人格として、世界から締め出して孤立させんねん。

次はただのビーイングネス、あるいはコンシャスネス、つまり世界や。
「I AM」はわいの世界全体を表しとる。
ただのビーイングと世界。ビーイングネスと一緒に世界も感じられんねん。
それがアートマンや。

このビーイングネスを認識しとるアルティメット・プリンシプルに名前つけんのは不可能や。
どんな言葉でも近づけられんし当てはめられへん。
それがアルティメット・ステートや。

その階層をふつーの言葉で説明すんで。せやな…
わいに孫(ジーヴァートマン)がおる。わいには息子がおって、わいはじーちゃんや。
じーちゃんが息子と孫の源や。

81鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/13(土) 20:49:51.07ID:hAsK//oI
>>69 そうじゃ全てなのじゃ。
 それでなかったことなど一瞬もないのじゃ。
 それを思い出すのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 

82名無しを整える。2018/01/13(土) 22:31:42.76ID:n4m7M0QB
>>81
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ。

83名無しを整える。2018/01/14(日) 09:36:51.90ID:8WbkCRkX
>>79
くまは、ハートとか、マインドって段階で、引っ掛かってしまうので、なかなかこれは手強いであります。
けど、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

84名無しを整える。2018/01/14(日) 10:15:53.67ID:8WbkCRkX
>>79
>わいはアートマンやあらへん
→私は真我ではない。
>わいは・・・・・何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。 →私は全てを真我に委ねている
>すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん
→(パラブラフマン・THE ABSOLUTEを取敢ずブラフマンに置き換えると、)
すべての行為とその結果は、梵(宇宙の 根本原理)にゆだねられる。

ふむふむ。
I AM が真我に委ねていて、そのI AMは否定され、アートマンも、否定によってしか説明できないのでありますね。

>>80は、もうちょぴっと理解が進んでから読み返してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

85名無しを整える。2018/01/14(日) 10:37:00.84ID:8WbkCRkX
>>74
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
 信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?
 マハラジ
 誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?
 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。
 マハラジ
 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思えない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。

(´・(ェ)・`)つ

86名無しを整える。2018/01/14(日) 13:38:18.95ID:bKpT4EiI
>>84
おそらく
マハラジがいう私=パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットetc
マハラジがいう私≠I AM・意識・アートマン・ブラフマン・存在・世界etc
であるようです

87名無しを整える。2018/01/14(日) 15:14:24.66ID:8WbkCRkX
>>86
パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットと言うのは、
ブラフマン=梵(宇宙の 根本原理)を包摂する概念でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

88名無しを整える。2018/01/14(日) 16:22:18.17ID:bKpT4EiI
>>87
ブラフマンの段階でもう既に概念は放棄されているようです

マハラジの用語の使い方が
伝統的なヴェーダンタと違うと指摘した方がいるようです
http://www.whatneverchanges.com/styled-4/20130824.html

Parabrahman, Maharaj Principle, Absolute, Ultimate (Nisargadatta) = Consciousness, Awareness, Self, Atman, Brahman, Parabrahman (traditional Vedanta)

IAm-ness, Beingness, Consciousness, Brahman (Nisargadatta) = Reflected Consciousness, Reflected Awareness, Subtle Body (traditional Vedanta)

私はヴェーダンタなどの教義に詳しくないのでよくわかりませんが
マハラジは独特な用語の使い方をしていたのかもしれません

89名無しを整える。2018/01/14(日) 16:56:43.36ID:bKpT4EiI
ジーヴァートマン=個我の観念
アートマン=無我の状態
パラマートマン=無認識の状態

単純にこのような印象を受けました

90名無しを整える。2018/01/14(日) 18:12:36.38ID:8WbkCRkX
>>89
ありがとうであります。
籾殻脳を絞り、がんばって、理解を少しづつ深めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

91名無しを整える。2018/01/14(日) 18:38:18.17ID:bKpT4EiI
>>90
紹介しておいて何ですが
マハラジの教えは単純で実践がすべてなので
あまり用語は気にしないほうがいいかもしれません

お互い精進しましょう
ではまた!

92名無しを整える。2018/01/14(日) 21:07:11.65ID:8WbkCRkX
>>91
o(´-(ェ)-`)o
うむ。実践が全てであります!
精進であります!

93名無しを整える。2018/01/15(月) 18:33:36.27ID:9sOPB516
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】

 質問者 私が見るかぎりでは、私の身体にも実在にも、何も問題
 はありません。どちらも私がつくりあげたものではなく、
 改善する必要もありません。何がおかしくなってしまっ
 たかと言えば、「内なる身体」です。マインド、意識、
 アンタカラナ、名前は何であれ。
 マハラジ
 あなたのマインドのどこがおかしくなったというのだろう?
 質問者 落ち着きがなく、快楽に貪欲(どんよく)で、不快を恐
 れていることです。
 マハラジ
 快楽を求め、不快を避けようとすることのどこが間違っているの
 だろうか?
 苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れていく。
 生の流れとともに流れていくことを拒んだとき、それは問題とな
 るのだ。
 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 起こることがあなたなのではなく、あなたにものごとが起こるの
 だ。
 結局、あなたは観察者でさえもない。
 あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり、その表現、
 その顕現なのだ。
 質問者 それでも、身体と自己との間には思考と感情の雲が横た
 わり、それが妨げとなっています。これら思考と感情は
 浅はかな、はかなく無意味なもので、私を盲目にし、息
 を詰まらせるただの思考のほこりにすぎません。それで
 もそれらはそこにあり、光を奪い破壊するのです。
 マハラジ
 確かに出来事の記憶が出来事そのものとして通用することはない。
 出来事の予測もまた同じだ。
 現在の出来事には何か独特な、以前起こったこと、あるいはこれ
 から起こるであろうことにはない例外的な何かがある。
 生き生きとして、実在であり、輝くように際立っている。
 そこには過去も未来ももっていない実際の「真実のしるし」があ
 るのだ。
(つづく!)
(´・(ェ)・`)つ

94名無しを整える。2018/01/15(月) 18:46:13.95ID:9sOPB516
>>85
> 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 ↑
読むだけだと、「受容」という言葉に引っ掛かってしまうのでありますが、観察の実践による気付きが、負の思いを溶解させるのであります。
くまにとりましては、瞑想の実践により、荒れ狂う心を鎮めることができたことが、瞑想の最大の恩恵でありました。
(´・(ェ)・`)つ

95鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/15(月) 21:31:29.56ID:3akohFsv
そうじゃ、欲心も煩悩も滅しようとする必要は無いのじゃ。
ただありのままに観察すれば全ては滅していくだけなのじゃ。
そして観察すらも必要が無い境地にまで到達するのじゃ。
 

96名無しを整える。2018/01/15(月) 21:52:18.74ID:9sOPB516
>>95
鬼和尚ありがとうであります。
受容=受け入れると言うのは、
何か苦の原因となる事実に対して、反応としての怒りとか、不安とか、悲しみとかの感情を、否定するでも抑圧するでもなく、
ただ、それと一体になって巻き込まれるのではなく、悲しんでいる、怒っていると、気付いて、その原因事実と、反応としての感情を丸ごと受け入れて、それにこだわらず、流してしまう。
それが、受容=受け入れると言うことの意味でありますよね。
で、巻き込まれないで、受容し流してしまうことを可能にするために、観察による気づきが必要なのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

97名無しを整える。2018/01/16(火) 18:44:27.71ID:MZ4BEwTk
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 「真実のしるし」を現在に与えているものは何なのでし
 ょう?
 マハラジ
 現在のなかに、過去や未来から区別するような、特別な何かがあ
 るわけではない。
 ほんの一瞬前、過去は未来であったし、未来もまたそうなる。
 何が現在をそれほど特別にするのだろう?
 明らかに、それは私の存在だ。
 つねに今ここに在るからこそ私は現実なのだ。
 そして私とともに在るものに私の実在は分かちあわれる。
 過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。
 今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別
 なものがあるわけではない。
 それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のよ
 うなものかもしれない。
 連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているに
 もかかわらず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に
 予期されるものとはまったく異なっているのだ。
 今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、
 私とともに在る。
 私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
 質問者 しかし私たちは思い起こされたことがらも、現実のよう
 に扱います。
 マハラジ
 それが現在のなかに入りこんだときだけ、私たちは思い出につい
 て考える。
 今にもちこまれないと忘れ去られたことを思い出すことはない。
 質問者 そのとおりです。現在のなかには一過性の事実に一瞬の
 真実を与える、何か未知なる要因があることがわかりま
 す。
 マハラジ
 未知と言うまでもない。
 なぜなら、あなたはそれがつねに作用しているのを見ているから
 だ。
 生まれて以来、かつてそれが変わっただろうか?
 ものごとや思考はつねに変わりつづけてきた。
 だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
 て変わらなかったのだ。
(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

98鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/16(火) 22:08:17.33ID:Cxg2VOHa
>>96 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

99名無しを整える。2018/01/17(水) 18:37:10.05ID:1C08Blcz
>>97
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 深い眠りのなかには、今現在の現実感はありませんでし
 た。
 マハラジ
 深い眠りにおける空白は、完全な記憶の欠如によるものだ。
 だが、幸福という総括的な記憶がそこにはある。
 「深い眠りのなかにいた」と言うのと「存在していなかった」と
 言うのとでは感覚の違いがある。
 質問者 はじめの質問に戻りますが、生の源とその表現(つまり
 身体)との間には、絶え間なく変化しつづけるマインド
 の状態があります。この精神状態の流れは際限なく、無
 意味で苦痛に満ちています。苦痛がその変わることのな
 い要因です。私たちが快楽と呼ぶものは、二つの苦痛に
 満ちた状態の狭間(はざま)にすぎません。欲望と恐れ
 は生の横糸と縦糸で、ともに苦痛でできているのです。
 いったい、幸福なマインドというものがありうるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
 質問者 私たちが快楽を求めたり苦痛を予期したりするときは、
 確かにそのとおりです。しかし予期せぬ、思いもよらな
 かった喜びの瞬間も存在します。不相応な、求めてもい
 なかった、神からの贈り物――欲望に汚されていない純
 粋な喜びがあります。
 マハラジ
 それでも、喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

100名無しを整える。2018/01/17(水) 18:43:51.23ID:1C08Blcz
>>99
> 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
>喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

うっ・・・・
マインドなるものが、幻想であれば、喜びも苦も幻想でありましょう。

けど、このあとで、違う切り口からフォローしてくれてるであります。
(´・(ェ)・`)つ

101名無しを整える。2018/01/17(水) 18:46:36.34ID:1C08Blcz
>>100
仏教だと「一切皆苦」からスタートでありますから、それに比べればマイルドでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

102名無しを整える。2018/01/17(水) 18:59:12.35ID:1C08Blcz
一回分抜けてたであります。
>>85
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
.とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ること
になる。
 拒否と否定を通してあなたは真我
.へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
.さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
.「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
.「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
.だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
.となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
.れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
.値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
.てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
.らば、私たちはそれを見いだすだろう。

【2 身体への固執】(おわり)
(´・(ェ)・`)つ

103名無しを整える。2018/01/17(水) 19:07:26.82ID:1C08Blcz
>>102
観察は、の重要でありますね!
>不注意によって築いてきた牢獄
と言うのが、
さっきの、
喜びのは背景にある苦痛であったりするのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

104鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/17(水) 21:25:56.68ID:0uFYqMIs
人が快楽に執着するのも苦痛を一時的に忘れさせてくれるからに過ぎないのじゃ。
それは一時的に苦を忘れさせてくれるだけで苦はなくなっていないのじゃ。
日常に戻ればまた苦はあり続けるのじゃ。
 

105名無しを整える。2018/01/18(木) 18:37:23.69ID:v2m8uSqs
>>99
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 苦痛とは宇宙的な現実なのでしょうか、それとも単に精
 神的なものなのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙とは完成されたものだ。
 そこに何も欠如していない完全性が在るとき、苦痛を与えられる
 ものがあるだろうか?
 質問者 宇宙は、全体としては完全かもしれませんが、詳細にお
 いては不完全です。
 マハラジ
 全体の一部も、全体との関連のもとに見られたとき、また完全と
 なる。
 孤立したとき、それは欠陥をもち、苦痛の在処(ありか)となる。
 何が孤立をもたらすのだろうか?
 質問者 もちろんマインドの限界です。マインドには全体として
 の部分を見ることができません。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドはその本質上、分割し対立するものだ。
 統合し、調和をもたらし、部分のなかに全体を見て、全体との完
 全な関連性をもった部分を見ることのできる何か別のマインドと
 いうものが在りうるだろうか?
 質問者 別のマインド――どこを探せばいいのでしょう?
 マハラジ
 限界をもたらし、分割し、相対立するマインドを超えた彼方だ。
 周知のように、この精神的過程が終焉(しゅうえん)したときだ。
 これが終わりを告げたとき、そのマインドが生まれる。
 質問者 そのマインドのなかでは、喜びと悲しみの問題はもはや
 存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 私たちが知るような望むべき、あるいは憎むべきものとしてでは
 ない。
 それはむしろ、愛がその表現を求めて障害にであうようなものだ。
 包括的なマインドとは、愛が活動のなかで環境と戦い、初めは挫
 折しつつも最終的には勝利をおさめるようなものなのだ。
 質問者 魂と身体との間に橋を渡すものは愛なのでしょうか?
 マハラジ
 ほかに何があろう?
 マインドが奈落を生みだし、ハートが橋を架けるのだ。
                   【3 今を生きる】(おわり)
(´・(ェ)・`)つ

106名無しを整える。2018/01/18(木) 19:00:02.03ID:v2m8uSqs
>>105
>宇宙とは完成されたものだ。
 そこに何も欠如していない完全性が在るとき、苦痛を与えられる
 ものがあるだろうか?

>(宇宙)全体の一部も、全体との関連のもとに見られたとき、また完全と
 なる。
 孤立したとき、それは欠陥をもち、苦痛の在処(ありか)となる。

↑ふむふむ。苦は孤立がもたらす幻想なのでありましょうかね。
孤立してる限りは苦はあり続けるのでありますね。

>何か別のマインドとは、?
 完成された宇宙のマインドみたいなものでありましょうか?
>愛がその表現を求めて障害にであうようなものだ。
 ↑障害があるから、愛の存在に気付けるように、苦があるから、苦の無い完成された宇宙のマインドに気付けるみたいな意味でありましょうか?
>マインドが奈落を生みだし、ハートが橋を架けるのだ。

心が奈落を生みだし、愛が橋を架けるでよいのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

107鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/18(木) 21:09:41.82ID:+gUVBpML
全体とはなれた個我があるという観念によって苦も生まれるのじゃ。

マインドの無いマインドなのじゃ。

そのようなものじゃ。

愛でよいのじゃ。
まだ悟っていなくとも愛によってのみ人は全体に気づくこともできると言うのじゃ。

108名無しを整える。2018/01/18(木) 21:33:34.81ID:v2m8uSqs
>>107
鬼和尚ありがとうであります。
この場合の「愛」は「慈悲」に置き換えられるような意味でありますよね。
仏教では、渇愛とか愛欲とか、愛という字が否定的に使われることが多いでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

109名無しを整える。2018/01/19(金) 18:42:01.15ID:6Me3d1AK
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】

 質問者 宇宙は因果関係の法則に支配されるのか、それともその法則の枠外
 で存在し機能するのかという質問がたびたび取り上げられてきまし
 た。すべては、たとえ小さくとも因果関係なしに、まったく何の理
 由もなく現れては消え去るというのが、あなたの見解だったと見受
 けられますが。
 マハラジ
 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。
 質問者 マインドが作用するかぎり、因果関係の法則に効力があるのですね。
 マハラジ
 すべての精神的なものがそうであるように、いわゆる因果関係もそれ自体が
 相矛盾するのだ。
 存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。
 宇宙がそのようではないかぎり、何ひとつあるがままでは在りえない。
 あらゆるものの土台と源が、起こることすべての唯一の原因であるとき、因
 果関係を宇宙の法則と見なすのは不当だと言えよう。
 宇宙の潜在的可能性は無限のため、その内容物によって限定されることはな
 い。
 しかもそれは基本的に、完全に自由な原理の表現または顕現なのだ。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

110名無しを整える。2018/01/19(金) 18:48:33.30ID:6Me3d1AK
>>105
> 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。

ここで言われている「因果関係」とは、
鬼和尚の説かれる、苦滅の法としての、縁起の法や十二因縁におけるそれとはちょぴっと違うようでありますね。
本質的なことを語ってるのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

111名無しを整える。2018/01/19(金) 18:50:58.07ID:6Me3d1AK
>>108
また、ある意味、苦滅の法も、この本質的理解において、その有効性が説明できのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

112鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/19(金) 22:50:04.71ID:7wBmbWxQ
>>108 そうじゃ、本来は男女の愛着なのじゃ。
 厭離すべきものとして説かれるのじゃ。
 それもまた苦に変る性質のものであるからのう。
 慈悲は苦に変らないものなのじゃ。

113名無しを整える。2018/01/20(土) 07:30:29.46ID:rGYOfI+i
>>109
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 質問者 ええ、結局ひとつのものが、ほかのものにとって唯一の原因だとす
 るのは、まったく間違いだということがわかります。しかし、実際
 の人生では、結果を見込んで行動を起こすのが私たちのつねなので
 す。
 マハラジ
 そうだ。
 無知のために、そのような行動はいたるところで見られる。
 全宇宙がそれを起こさないかぎり、何事も起こりはしないということを人び
 とが知るなら、彼らはよりわずかなエネルギーでより多くを達成するだろう。
 質問者 もしすべてが原因全体の表現だとするなら、ひとつの達成に向けて
 の目的ある行動などというものがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 達成しようとする衝動自体も全宇宙のひとつの表現なのだ。
 それは潜在するエネルギーが、ある一定の地点で現れたことを意味するにす
 ぎない。
 時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、
 原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
 質問者 それでも、どうして原因なしに何らかの存在が現れるのか、私には
 理解できません。

(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

114名無しを整える。2018/01/20(土) 08:05:01.71ID:rGYOfI+i
>>113
> 全宇宙がそれを起こさないかぎり、何事も起こりはしないということを人び
 とが知るなら、彼らはよりわずかなエネルギーでより多くを達成するだろう。
←起こるべくして起こることを、受容することにより、迷いがなくなり、従って、より少ないエネルギーで、より多くを達成できるということでありましょうか?

> 時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、
 原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
←創造的自由が現れるのも、迷いがなくなるからでありますかね。
個別の因果関係が否定されるということは、個別の自由意思が否定されているのでありますが、
そもそも、行為の主体という観念が否定されてるのでありますから、
その、行為の主体ががあると言う錯覚に気付けば、迷いがなくなり、逆に創造的自由が現れると言うことでありましょうか。

ふむふむ。このような説明の場面で、いきなり「無我」というよりも、I AMでも何でも、その創造的自由に気付ける主体(?)のようなものがあったほうが、説明がわかりやすくなるでありますね。

> 質問者 それでも、どうして原因なしに何らかの存在が現れるのか、私には理解できません。
←くまの気持ちを代弁してくれてる、ありがたい質問者さんであります。
(´・(ェ)・`)つ

115鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/20(土) 21:41:26.35ID:QvfPWXdu
時間もまた記憶に依って存在する観念に過ぎないのじゃ。
記憶と照らし合わせて変化した物をみて時間が経ったとか解釈するのじゃ。
変化するものが無ければ時間もまた無いのじゃ。

116名無しを整える。2018/01/21(日) 08:25:22.82ID:7mNaWiA1
4、3『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 マハラジ
 私が、あるものが原因なくして在ると言うとき、それはひとつの特定の原因
 なくしてという意味だ。
 あなたの誕生のために、あなたの母親は必要なかった。
 誰か他の女性から生まれることもありえたのだ。
 しかし、太陽と地球なしには生まれてくることはできなかったろう。
 それらでさえもっとも重要な原因なしでは、あなたの誕生の原因とはならな
 いだろう。
 生まれてきたいというあなた自身の欲望なしには。
 感情を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。
 欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことの
 できる何かとしてそれ自身を顕現させる。
 このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。
 真の世界はマインドを超える。
 私たちはそれを快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向
 こうにかいま見る。
 宇宙をあるがままに見るためには、その網を越え、一歩踏みださなければな
 らない。
 難しいことではない。
 なぜならその網は大きな穴でいっぱいだからだ。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

117名無しを整える。2018/01/21(日) 09:54:26.90ID:7mNaWiA1
>>116
>存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。>>109
>時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。>>113
←ここまでで、とどめてくれるのであれば、理屈として納得できるのである。
なのに、
>もっとも重要な原因なしでは、あなたの誕生の原因とはならないだろう。
 生まれてきたいというあなた自身の欲望なしには。>>116
←宇宙全体といっていた原因はの中でも、重要性の大小かあり、
>生まれてきたいというあなた自身の欲望
が、
重要な原因と言われてしまうので、ちょぴっと混乱するくまなのである。
このくまが混乱する点が、このお話しの要なのでありますね。
昨日鬼和尚が指摘された通り(>>115)、時間も幻想であれば、矛盾は無いのでありましょう。

うぅ・・・けど、やっぱり、むずかしい点であります。
最終的には、時間も空間も、一切の観念は幻想であり、ただ一つの意識のみがあると言うところまで辿り着いて始めて落とし込ことができるのでありましょう。
(´-(ェ)-`)つ

118名無しを整える。2018/01/21(日) 10:32:38.00ID:7mNaWiA1
>>116
> 感情を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。
 欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことの
 できる何かとしてそれ自身を顕現させる。
 このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。

→世界は、欲望によって創造される。
しかしそれは実体ではなく、名前と形=観念に過ぎない。

ふむふむ。
て、ことは、
欲望がなければ、世界はないのでありましょうか?
(´-(ェ)-`)つ

119名無しを整える。2018/01/21(日) 10:52:46.79ID:7mNaWiA1
>>118
> 欲望がなければ、世界はないのでありましょうか?
←これは言えないでありますね。
重要な原因というだけであり、
>宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる
と言ってるわけでありますから。
言葉尻を捉えて、屁理屈に囚われるのが、くまの悪い癖であります。
(´-(ェ)-`)ゞ

120鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/21(日) 22:54:40.47ID:wTH/vv1u
観念によって世界があると認識するのじゃ。
それは本来無いものじゃ。

121名無しを整える。2018/01/22(月) 18:27:55.14ID:0UGR56uS
>>116
( 真の世界はマインドを超える。
 私たちはそれを快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向こうにかいま見る。
 宇宙をあるがままに見るためには、その網を越え、一歩踏みださなければならない。 )
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 質問者 穴とはどういう意味でしょう? そして、どうすれば見いだせるの
 でしょうか?
 マハラジ
 網とその多くの矛盾を見るがいい。
 ことあるごとにあなたは何かを為(な)し、そして取り消す。
 愛と平和と幸福を求め、熱心に働きかけたあげく、苦痛と憎悪と戦争を生み
 出す。
 長寿を求めながら過食し、友情を求めながら搾取する。
 あなたの網の目が矛盾に満ちていることを見てとりなさい。
 そしてそれを取り払うのだ。
 見るという行為そのものがそれを消し去るだろう。
 質問者 見るという行為がそれを消し去るのならば、見ることと消えること
 の間に因果的関連があるのではないでしょうか?
 マハラジ
 たとえ概念としても、因果関係は混乱には当てはまらない。
 質問者 欲望はどの程度まで因果関係の要因となるのでしょうか?
 マハラジ
 欲望は多くの要因のなかのひとつだ。
 あらゆるものには無数の因果の要素がある。
 しかし、そのすべての源はあなたの中にあり、それは愛と力と光をすべての
 経験に与える至高の実在なのだ。
 だが、この源が原因なのではなく、またどの原因も源ではない。
 それゆえ、私はすべてのものに原因はないと言うのだ。
 あなたはどのようにしてものごとが起こるのか、その由来をたどってみよう
 とするかもしれない。
 だが、なぜものごとがあるがままなのかを見いだすことはできない。
 ものごとはあるがまま在るのだ。
 なぜなら宇宙はあるがまま在るからだ。

(´・(ェ)・`)つ
【4 真の世界はマインドを超える】(おわり)

122名無しを整える。2018/01/22(月) 20:01:12.94ID:0UGR56uS
>>121
真の世界、 あるがままの宇宙はどうしたら見れるか?
>快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向こうにかいま見る。

>網の目が矛盾に満ちていることを見てとり ・・・
 そしてそれを取り払う
 見るという行為そのものがそれを消し去るだろう。
>あらゆるものには無数の因果の要素がある。
 しかし、そのすべての源はあなたの中にあり、それは愛と力と光をすべての
 経験に与える至高の実在なのだ。
 だが、この源が原因なのではなく、またどの原因も源ではない。
 それゆえ、私はすべてのものに原因はないと言うのだ。
>なぜものごとがあるがままなのかを見いだすことはできない。
 ものごとはあるがまま在るのだ。
 なぜなら宇宙はあるがまま在るからだ。

ふむふむ。全てが全ての原因なのであれば、あるがままの原因はあるがままでありますね。
ふむふむふ…
(´・(ェ)・`)つ

123鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/22(月) 21:11:23.64ID:Gl3fGSkP
そうじゃ、あるがままなのじゃ。
長生きには小食がよいのじゃ。

124名無しを整える。2018/01/23(火) 18:30:26.96ID:hLalKlyV
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】

 質問者 観照意識とは不変のものでしょうか?
 マハラジ
 それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在
 る。
 不変あるいは永遠といった言葉は当てはまらないのだ。
 質問者 眠りのなかでは知る者も知られるものも存在しません。何が身体に
 感覚と受容力をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 知る者が不在だったと言うことはできない。
 ものごとや思考の体験がなかった、それだけだ。
 しかし、体験の不在もまた体験なのだ。
 それは暗室に入って、「何も見えません」と言うようなものだ。
 生まれつき盲目の人が暗闇の意味を知らないように、知る者だけが知らない
 ということを知っている。
 眠りは単なる記憶の喪失であり、生は続いていく。
 質問者 では死とは何でしょうか?
 マハラジ
 それはある特定の身体にとっての、生の過程における変化だ。
 統合が終わり、そして崩壊が始まる。
 質問者 しかし知る者はどうなるのでしょうか? 身体の消滅とともに知る
 者も消え去るのでしょうか?
 マハラジ
 誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去るの
 だ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

125名無しを整える。2018/01/23(火) 18:38:34.56ID:hLalKlyV
>>124
ふむふむ。
観照者意識とは、ただ一つの意識みたいなもので、不変なものかと思っていたであります。
> それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在る。
時を越えて在るけど、不変ではないのでありますね。

観照者意識も時も、不変も、観念でありますから、これでいいのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

126鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/23(火) 20:25:28.78ID:CYP8JhEb
知るのは厭離するためであるからのう。
厭離が起こればもはや知ることも必要ないのじゃ。
産まれた時から悟りへ導く能力はあるのじゃ。
死ねばそれもなくなってしまうのじゃ。

127名無しを整える。2018/01/23(火) 21:05:10.39ID:hLalKlyV
>>126
生きてあることによって、分離してあると言う錯覚から目覚める機会を得るのでありますね。
それが生きる意味であり、死んではならぬ理由なのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

128名無しを整える。2018/01/24(水) 18:39:02.22ID:cUymOozd
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】(つづき)

 質問者 そして何も残らないのですか?
 マハラジ
 生命が残る。
 意識は顕現するために、媒体と手段を必要とする。
 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。
 質問者 連鎖継続する身体とそれを知る者、あるいは「身体―精神 *」との
 間には、何か因果関係があるのでしょうか?
 * 訳注 「身体―精神」 Body-Mind
 身体―精神という有機的組織体ある
 いは身体精神機構を意味する。マハラジの最たる通訳者であった
 ラメッシ・S・バルセカールは、Body-Mind orgnism, Body-Mind
 mechanism, psychosomatic apparatusなどと解釈している。
 マハラジ
 そうだ。
 そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録
 した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
 それはイメージの雲を集めたようなものだ。
 質問者 この分離した存在の感覚はいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは分離した身体のなかに現れる、唯一の実在の反映なのだ。
 この反映のなかで、かぎりあるものと無限なるものが混同され、同じものと
 して見なされてしまった。
 この混乱の解消がヨーガの目的なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

129名無しを整える。2018/01/24(水) 18:58:20.74ID:cUymOozd
>>128
> マハラジ
誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去る
けど、 生命は残る。
> 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。

> そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
> それはイメージの雲を集めたようなものだ。
←これは輪廻の話でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

130鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/24(水) 21:56:37.51ID:UbsAW78a
>>127 そうじゃ、生きている限り悟りを得るチャンスはあるものじゃ。
 苦しくとも生きて悟りを目指すが良いのじゃ。

>>129 それは輪廻を創造する阿頼耶識のことなのじゃ。
 全て個我かあるという幻想の上で成立するものであるがのう。
 

131名無しを整える。2018/01/24(水) 22:24:22.61ID:cUymOozd
>>130
>想いをすべて記録した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何か

とは、阿頼耶識 の 種子みたいなもののことでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

132名無しを整える。2018/01/25(木) 18:33:35.56ID:HMDOKnMP
>>128
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】(つづき)

 質問者 死はこの混乱を解消しないのでしょうか?
 マハラジ
 死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。
 質問者 しかし人は生まれ変わるのでしょうか?
 マハラジ
 生まれたものは死ななければならない。
 不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。
 質問者 どのようにしてそれを見いだしたらいいのでしょう?
 マハラジ
 何かを見いだそうとするとき、あなたはどうするだろうか?
 マインドとハートをそれにとどめておくのだ。
 それに対する関心と、確固とした記憶が必要だ。
 覚えなければならないことを覚えること、それが成功の秘訣(ひけつ)だ。
 真剣さがそれをもたらす。
 質問者 見いだそうとするだけで充分なのですか? もちろん、能力と機会
 が必要なはずです。
 マハラジ
 真剣さがそれをもたらすだろう。
 もっとも重要なことは、目的地とそこへの道が異なったレベル上にあっては
 ならないこと、生活と光が調和すること、行いが信条を裏切らないこととい
 った矛盾から自由であることだ。
 誠実さ、清廉さ、完全性と呼んでもいい。
 後戻りしてはならない。
 やり直しはできない。
 一度征服した地を、離れたり見捨てたりしてはならない。
 目的に向かうねばり強さと、それを遂行する真剣さがあなたを目的地へと導
 くだろう。
 質問者 ねばり強さと誠実さは天が与えるものです。私にはそのほんのかけ
 らもありません!
 マハラジ
 あなたが突き進むにつれて、すべてはやってくるだろう。
 まず第一歩を踏み出しなさい。
 すべての恩寵(おんちょう)はあなたの内側からやってくる。
 内面に目を向けなさい。
 あなたは「私は在る」ことを知っている。
 自発的にそこへ戻ってくるようになるまで、もてるかぎりの時間をそれとと
 もに在りなさい。
 それ以上やさしい方法はないのだ。

【5 生まれたものは死ななければならない】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

133名無しを整える。2018/01/25(木) 19:26:35.36ID:HMDOKnMP
>>132
>死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。

>不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。

↑この「「私」という感覚が誰のおぼろげな反映なのか」
と言うのは、おぼろげながらも、何かの反映として、「私」と言う感覚を説明しようとしてるのであれば、否定されるものとしか説明できないものとしての「アートマン」のことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

134鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/25(木) 22:46:52.96ID:5fIGpGLY
>>131 そうじゃろう。
 そのような実体があるわけではないがのう。
 言葉で説明されただけなのじゃ。
 囚われてはいかんのじゃ。

>>133 違うのじゃ。
 それは自我が創られたイメージであることを追及するようにと教えているのじゃ。
 アートマンも存在しないのじゃ。
  

135名無しを整える。2018/01/25(木) 23:06:53.49ID:HMDOKnMP
>>134
鬼和尚、ありがとうであります。
> それは自我が創られたイメージであることを追及するようにと教えている
 アートマンも存在しない

↑このように考えていたのでありますが、
否定されるものとしか説明できないものとしての「アートマン」であるということは、実体のないイメージに過ぎないと言ってるのと同じことだと思ったのであります。

(´・(ェ)・`)つ

136名無しを整える。2018/01/26(金) 18:36:51.68ID:0LhjT7UR
『I AM THAT 私は在る』
【6 瞑想】

 質問者 すべての霊的教師たちが瞑想するように勧めます。瞑想の目的とは
 何なのでしょうか?
 マハラジ
 私たちは感覚や行為といった外側の世界は知っているが、思考や感情といっ
 た内なる世界のことはほとんど知らない。
 瞑想の初歩的な目的は、私たちの内なる生をより身近に自覚することだ。
 そして究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことだ。
 付随的にだが、瞑想の修行は私たちの人格に深く影響を及ぼす。
 私たちは私たちが知らないものの奴隷だ。
 知るものに対しては私たちが主人だ。
 何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知る
 ということ自体がそれを克服するのだ。
 無意識は意識層にもちこまれることによって溶解する。
 無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。
 マインドはそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。
 質問者 静かなマインドは何の役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であること
 を知る。
 私たちは経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその二
 つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。
 自分自身を、「私はあれやこれだ」と想像し、自己同一化をもととする人格
 は続いていく。
 しかし、ただ客観的世界の一部としてだけだ。
 観照者としての自己同一化は終焉(しゅうえん)する。
 質問者 私が理解するには、私は多くの異なったレベルに生き、その生の各
 々のレベルはエネルギーを必要とします。自己はその本性としてあ
 らゆることを楽しみ、そのためエネルギーは外側へと流れていきま
 す。このエネルギーをより高いレベルに蓄え、向上させ、豊かにす
 ること、それが瞑想の目的ではありませんか?
 マハラジ
 それはグナ(性質)のレベルの問題ではない。
 瞑想は純粋な行為であり、その目的はタマス(不活発性)とラジャス(活動
 性)を完全に除去することだ。
 純粋なサットヴァ(調和)は、怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

137名無しを整える。2018/01/26(金) 19:06:04.26ID:0LhjT7UR
>>136
> 瞑想の・・・究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことだ。
>何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知るということ自体がそれを克服するのだ。
 無意識は意識層にもちこまれることによって溶解する。
 無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。
 マインドはそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。
>マインドが静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であることを知る。
 私たちは経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその二つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。

>観照者としての自己同一化は終焉(しゅうえん)する。


ふむふむ。
純粋な観照者→観照者としての自己同一化は終焉→純粋な気づき

観照者から者が抜けると、ただ一つの意識みたいな「純粋な気づき」になるのでありましょうかね。

観照者の段階では、まだ、何者かに例えられる者なのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

138鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/26(金) 23:05:18.06ID:4Ffr/KL0
>>135 アートマンにも囚われてはいかんのじゃ。
 ただあるものを観るのじゃ。

>>137 観照が起こるのもまだ自我があるからなのじゃ。
 自我が無くなれば観照も終わり、観照者もなくなるのじゃ。

139名無しを整える。2018/01/27(土) 09:29:17.34ID:NgtDfn63
>>138
>アートマンにも囚われてはいかんのじゃ。
←確かに、アートマンに囚われてるでありますね。アートマンは、空同様、修業のために作られた概念とわりきればよいのでありましょう。

>観照が起こるのもまだ自我があるから
 自我が無くなれば観照も終わり、観照者もなくなる
←スッキリしたであります。
鬼和尚ありがとうであります。

140名無しを整える。2018/01/27(土) 09:42:43.41ID:NgtDfn63
>>136
( 瞑想は純粋な行為であり、その目的はタマス(不活発性)とラジャス(活動性)を完全に除去することだ。
 純粋なサットヴァ(調和)は、怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ。)

『I AM THAT 私は在る』
【6 瞑想】(つづき)

 質問者 どうやってサットヴァを強く清らかにするのでしょうか?
 マハラジ
 サットヴァはつねに強く純粋だ。
 それは太陽のようなものだ。
 雲やほこりに見え隠れすることはあっても、それはただ見る者の視点による
 のだ。
 太陽にではなく、太陽を隠す原因となるものに対処しなさい。
 質問者 サットヴァは何の役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 真理、善、調和、美、これらがいったい何の役に立つというのか?
 それらがそれら自身の目的なのだ。
 ものごとがそのまま干渉されず、避けられず、求められず、概念化されず、
 ただあるがままに完全な気づきのなかで体験されるとき、それらは自然に努
 力することなく現れる。
 そのような気づきそのものがサットヴァなのだ。
 それは人やものを利用するのではなく、それらを満たすのだ。
 質問者 サットヴァを高めることができないのなら、タマスとラジャスのみ
 に対処するのでしょうか? それらをどう扱えばよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのなかで、それらがどう影響を与えているかを見守ることによってだ。
 それらがどう作用するか気づいていなさい。
 あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。
 そうすればそれらのあなたへの支配は徐々に減っていき、サットヴァの澄ん
 だ光が輝きだすだろう。
 それは困難でも長い過程でもない。
 真剣さ、それが唯一の成功への条件だ。
                   【6瞑想】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

141名無しを整える。2018/01/27(土) 09:49:14.91ID:NgtDfn63
>>140
> 太陽(=サットヴァ(調和))にではなく、太陽を隠す原因となるものに対処しなさい。
> あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。
 そうすればそれらのあなたへの支配は徐々に減っていき、サットヴァの澄んだ光が輝きだすだろう。

↑今読むととてもわかりやすい説明でありますが、瞑想をした経験が無いときのくまが読んでも、ちんぷんかんぷんでであったでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

142鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/27(土) 22:33:09.92ID:FnMqhm6S
>>139 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 よかったのじゃ。

>>141 よいことじゃ。
 なかなかよい教えなのじゃ。
 

143名無しを整える。2018/01/28(日) 09:23:27.80ID:3VC1Hhn3
『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】

 質問者 世界が幻想(その無常さではなく)であるという論理を否定してい
 る、ある有能な人びとによって書かれた非常に興味深い本がありま
 す。彼らによると、最低位から最高位にわたる生きものの階層が存
 在し、各々の有機体の複雑性のレベルが意識の深さ、広さ、強靱(
 きょうじん)さを反映していると言います。成長のための形態の進
 化、意識の向上、無限の可能性の表現などにおいて、一貫してひと
 つの至高の法則が支配しているというのです。
 マハラジ
 そうかもしれない。
 あるいはそうでないかもしれない。
 たとえそうであったとしても、それは単にマインドにおける視点にすぎない。
 だが事実は、宇宙全体(マハーダカーシュ)はただ意識(チダカーシュ)の
 なかにのみ存在し、そして私自身は至高の絶対性(パラマカーシュ)のなか
 に在るのだ。
 純粋な存在のなかに意識が現れる。
 意識のなかで、世界は出現し消滅していく。
 存在するものはすべて私であり、すべては私のものだ。
 すべてがはじまる以前にも、そしてすべてが終わった後にも――私は在る。
 すべては私のなか、すべての生きるもののなかに輝く「私は在る」という感
 覚のなかにその存在がある。
 非存在でさえ私なしには考えることもできない。
 何が起ころうとも、観照者としての私がそこにいなければならないのだ。
 質問者 なぜあなたは世界の存在を否定されるのでしょうか?
 マハラジ
 世界を否定してはいない。
 私は世界を、広大な未知のなかの既知全体としての意識、その意識のなかの
 現れてとして見ている。
 はじまり、そして終わるもの、それはただの現れにすぎない。
 世界は現れるとは言えても、存在するとは言えない。
 その現れは、ある時間の比率においては非常に長い間続くだろうが、ほかの
 比率では非常に短いかもしれない。
 だが、結局は同じことだ。
 何であれ時間の範囲内にあるものは、はかなく実在性がない。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

144名無しを整える。2018/01/28(日) 09:57:17.46ID:3VC1Hhn3
>>143
>宇宙全体(マハーダカーシュ)はただ意識(チダカーシュ)のなかにのみ存在し、そして私自身は至高の絶対性(パラマカーシュ)のなかに在るのだ。
 純粋な存在のなかに意識が現れる。
 意識のなかで、世界は出現し消滅していく。
> 存在するものはすべて私であり、すべては私のものだ。
 すべてがはじまる以前にも、そしてすべてが終わった後にも――私は在る。
 すべては私のなか、すべての生きるもののなかに輝く「私は在る」という感
 覚のなかにその存在がある。
 非存在でさえ私なしには考えることもできない。
 何が起ころうとも、観照者としての私がそこにいなければならないのだ。

←こ.これはすごいであります。
くまは、至高の絶対性の中にいて、永遠のくまであります!
くまは、
>現れるとは言えても、存在するとは言えない。
 何であれ(くまであれ)時間の範囲内にあるものは、はかなく実在性がない
ものではないのであります。

くまだけでなく、ただ一人の例外もなく、至高の絶対性中にいて、永遠なのでありまして、宇宙全体よりすごいであります!
てか、それはくまではなく、ただ一つの意識、気付き、なのでありましょう。

(´・(ェ)・`)つ

145鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/28(日) 21:38:54.31ID:ypNWkWjJ
そうじゃ、全ては意識の現われなのじゃ。
世界が有るのではなく人々は意識の現われの一部を切り取ってこれが世界じゃとか言っているだけなのじゃ。

146名無しを整える。2018/01/29(月) 18:33:56.45ID:V3Tcg3Xz
『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】(つづき)

 質問者 間違いなく、あなたはあなたを取り巻く現実の世界を見ています。
 あなたはごく普通にふるまっているように見えますよ!
 マハラジ
 それはあなたにとってそう見えるだけだ。
 あなたの意識界全体を占めるものは、私にとっては微小片にすぎない。
 世界は続いていく。
 だが、ほんのつかの間だ。
 記憶が、世界は継続するとあなたに考えさせるのだ。
 記憶のなかに生きていない私にとって、世界は意識のなかのつかの間の現れ
 にすぎない。
 質問者 あなたの意識のなかにですか?
 マハラジ
 「私」や「私のもの」といったすべての観念、「私は在る」という観念さえ
 意識のなかに在る。
 質問者 それでは、あなたの「絶対存在(パラマカーシュ)」は無意識のな
 かにあるのでしょうか?
 マハラジ
 無意識という概念も意識のなかに存在する。
 質問者 それでは、あなたが至高の境地にあるとどうやって知るのでしょう?
 マハラジ
 なぜなら、私はその中に在るからだ。
 それはただ自然な状態なのだ。
 質問者 それを描写できますか?
 マハラジ
 それは原因なく、依存なく、関係なく、分割せず、創造せず、揺らぐことな
 く、問うことなく、努力によっては到達できないものとして、否定において
 のみ表現することができる。
 どのような肯定的な定義も記憶によるものであり、それゆえ適切ではない。
 しかし私の境地は至高の実在であり、それゆえ可能であり、実現でき、達成
 できるものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

147名無しを整える。2018/01/29(月) 18:39:11.23ID:V3Tcg3Xz
>>146
> 「私」や「私のもの」といったすべての観念、「私は在る」という観念さえ
 意識のなかに在る。
> 無意識という概念も意識のなかに存在する。

至高の境地にある(ことの)描写
>それは原因なく、依存なく、関係なく、分割せず、創造せず、揺らぐことなく、問うことなく、努力によっては到達できないものとして、否定においてのみ表現することができる。
 どのような肯定的な定義も記憶によるものであり、それゆえ適切ではない。
しかし私の境地は至高の実在であり、それゆえ可能であり、実現でき、達成できるものなのだ。

o(´・(ェ)・`)o
できるのだ!

148鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/29(月) 23:28:51.51ID:HJZftwlG
そうじゃ、達成できるのじゃ。
どんどん実践あるのみなのじゃ。

149名無しを整える。2018/01/30(火) 18:34:50.75ID:swcEpxcX
『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】(つづき)

 質問者 あなたは時を忘れて抽象世界のなかに没頭しているのですか?
 マハラジ
 抽象世界は知的な、言語的なものであって、睡眠や気絶のなかで消滅し、時
 間のなかでふたたび現れる。
 私は永遠なる今のなかに、私自身の境地(スワルーパ)のなかに在るのだ。
 過去と未来はマインドのなかだけに在る。
 私は今に在る。
 質問者 世界も今に在ります。
 マハラジ
 どの世界のことだろう?
 質問者 私たちを取り巻く世界です。
 マハラジ
 あなたの世界はあなたのマインドのなかに在り、それは私のものではない。
 あなたとのこの会話でさえ、あなたの世界のなかにあるだけだというのに、
 私の何を知っているというのだろうか?
 私の世界があなたの世界と同一だと信じる理由は何もない。
 私の世界は知覚されたままの実在、真実だ。
 ところがあなたの世界は、あなたのマインドの状態にしたがって現れては消
 える。
 あなたの世界は何か相容れないものであり、あなたはそれを恐れている。
 私の世界は私自身であり、わが家同然だ。
 質問者 もしあなたが世界ならば、どうやってそれを意識することができる
 のでしょうか? 時間的意識はその対象から区別されるものではあ
 りませんか?
 マハラジ
 意識と世界はともに現れ、ともに消える。
 それゆえ、それらは同じ状態の二つの層なのだ。
 質問者 眠りのなかで私は存在しないのに、世界は続いています。
 マハラジ
 どうやってそれを知ったのだろうか?
 質問者 目覚めとともに知るのです。記憶がそう言っています。
 マハラジ
 記憶はマインドのなかに在り、マインドは眠りのなかで続く。
 質問者 それは部分的に停止しています。
 マハラジ
 だが、世界のありようは影響されないままだ。
 マインドがそこにあるかぎり、あなたの身体と世界はそこにある。
 あなたの世界はマインドでつくられ、主観的で、マインドに閉ざされ、断片
 的、個人的で、記憶の糸にしがみついている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

150名無しを整える。2018/01/30(火) 18:48:24.47ID:swcEpxcX
>>149
> 私の世界は知覚されたままの実在、真実だ。

 知覚されたままの実在、真実

って、記憶と照合される前、観念化される前のそれ、と言うような意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

151鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/30(火) 23:45:10.57ID:Ext8XI3+
そうじゃ、マハラジの世界は観念のないありのままの知覚された真実なのじゃ。
同じ世界であってもマハラジと質問者の世界は違うものじゃ。
観念が無ければ全ては意識として認識されるのじゃ。

152名無しを整える。2018/01/31(水) 18:29:25.27ID:GMPzREYM
( マインドがそこにあるかぎり、あなたの身体と世界はそこにある。
 あなたの世界はマインドでつくられ、主観的で、マインドに閉ざされ、
断片的、個人的で、記憶の糸にしがみついている。


『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】(つづき)
 質問者 あなたの世界もまたそうなのですか?
 マハラジ
 いいや、私の世界は実在であり、あなたの世界は想像にすぎない。
 あなたの世界は個人的な、私的な、分かちあうことのできない、あなたにと
 ってだけ親密なものなのだ。
 あなたはあなたが見るように見、聞くように聞き、あなたの感情を感じ、あ
 なたの想いを考え、誰もそこに入りこめない。
 あなたの世界のなかで、あなたは本当に孤独だ。
 あなたが人生と呼ぶ、絶えず変わりつづける夢に囲まれながら。
 私の世界は開かれた世界だ。
 すべてに共通し、誰にでもアクセスできる。
 私の世界には共有性、洞察、愛、実在の質がある。
 個が完全であり、個のなかに全体性がある。
 すべては一であり、一がすべてなのだ。
 質問者 あなたの世界は私のと同じように人びとや物でいっぱいなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 いいや、それは私自身で満ちている。
 質問者 あなたは私たちのように見たり聞いたりするのでしょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 私も見たり、聞いたり、話したり、行動したりするように見えるだろう。
 しかし、あなたの呼吸や消化作用がただ起こるように、私にとってそれらは
 ただ起こるのだ。
 「身体―精神」器官がそれらの面倒を見、私は関わらない。
 あなたが髪の毛の成長を心配する必要がないように、私も言葉や行動につい
 てマインドを煩(わずら)わせたりしない。
 それらはただ起こる。
 そして私は気にかけない。
 なぜなら、私の世界ではけっして何も間違いは起こらないからだ。

【7 マインド】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

153鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/31(水) 22:07:01.31ID:VbXRhUCN
悟らなければ世界はその者の観念であり、むその中でしか生活できないのじゃ。
悟れば観念は無くなり、実際の世界に生きられるのじゃ。
そこでは真の交感が可能になるのじゃ。
主体無くしてただ起こるだけの繋がりが全てなのじゃ。
それを意識と呼ぶのじゃ。 

154名無しを整える。2018/02/01(木) 19:09:05.22ID:K4pk3rrF
『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】

 質問者 子どもの頃、忘我の境地、完全な幸福状態をたびたび体験しました
 が、後にそれは止まってしまいました。インドに来て以来、特にあ
 なたに出会って以来、その状態がふたたび現れはじめています。そ
 れでも、どんなに素晴らしい状態であっても持続しません。それは
 来ては去り、いつふたたび訪れるかもしれません。
 マハラジ
 マインドそのものが不動ではないのに、マインドのなかにある何が不動であ
 りうるというのだろう?
 質問者 どうすれば私のマインドを不動にできるのでしょうか?
 マハラジ
 不動でないマインドが、それ自身を不動にすることができるだろうか?
 もちろんできはしない。
 うろつきまわるのがマインドの本性なのだ。
 あなたにできることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだ
 けだ。
 質問者 どうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。
 はじめのうち、マインドは抵抗するだろう。
 しかし忍耐と根気をもってすれば、それは降伏し、静かになるだろう。
 ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
 的にまったく自然に起こりはじめる。
 質問者 このマインドとの長い闘いを避けることはできるのでしょうか?
 マハラジ
 できる。
 生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもた
 らすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 それもまた道なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

155名無しを整える。2018/02/01(木) 19:12:55.43ID:K4pk3rrF
>>154
>できることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだけだ。
・・・そのために、
>「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。
・・・・そして、
>ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
 的にまったく自然に起こりはじめる。

>生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもた
 らすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 

何か簡単そうでありますね!
(´・(ェ)・`)b

156鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/01(木) 21:25:34.07ID:UzLPDYve
簡単なことほど実践は難しかったりするのじゃ。
そもそも集中力がなければできないからのう。
集中力が大事なのじゃ。 

157名無しを整える。2018/02/01(木) 21:47:11.13ID:K4pk3rrF
>>156
至道無難 でありますが、
簡単そうで簡単でないのでありますね。
(´-(ェ)-`)つ

158名無しを整える。2018/02/02(金) 18:57:33.88ID:EIBQc3Yq
(生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもたらすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 それもまた道なのだ。)

『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 それなら結婚し、子どもを持ち、仕事をして――幸せになることも
 できるのですね。
 マハラジ
 もちろん。
 幸せになるかもしれないし、ならないかもしれない。
 あなたの歩調で歩くがいい。
 質問者 でも、私は幸せになりたいのです。
 マハラジ
 真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくもののなかに見いだすことはできな
 い。
 喜びと苦しみは容赦なく交互にやってくる。
 真の幸福は自己から来る。
 そして、それは自己のなかにしか見いだせないのだ。
 あなたの真我(スワルーパ)を見いだしなさい。
 それとともに、それ以外のすべてもやってくるだろう。
 質問者 もし私の真我が愛と平和ならば、なぜそれはこうも落ち着きがない
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたの真の存在に落ち着きがないのではない、その反映がマインドのなか
 に落ち着きなく現れるのだ。
 なぜなら、マインドは落ち着きのないものだからだ。
 それは水面に映る月が、風で揺らめくようなものだ。
 欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動
 かし、千変万化に映しだす。
 しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと悲しみといった観念は、す
 べてマインドのなかに存在する。
 真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。
 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 たった今ここで、あなたは真我なのだ。
 マインドのことは放っておきなさい。
 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

159名無しを整える。2018/02/02(金) 19:03:13.37ID:EIBQc3Yq
>>158
> 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。

(-・(ェ)・-)つ
目覚めるのだ!

160鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/02(金) 22:16:33.91ID:x5sXF7Hz
実践あるのみなのじゃ。

161名無しを整える。2018/02/03(土) 07:56:19.52ID:CxVAhfgF
>>158
( 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。)

『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 ほかの側面は何でしょうか?
 マハラジ
 側面は無数にある。
 ひとつを知ればすべてを悟るだろう。
 質問者 何か助けとなることを言ってください。
 マハラジ
 何が一番必要なのかはあなたが知っているはずだ。
 質問者 私は落ち着きがありません。どうすれば平和になれるのでしょう?
 マハラジ
 何のために平和が必要なのだろう?
 質問者 幸せになるために。
 マハラジ
 今、あなたは幸せではないのかね?
 質問者 ええ、そうではありません。
 マハラジ
 何があなたを不幸せにするのだろう?
 質問者 私は欲しくないものをもち、持っていないものが欲しいのです。
 マハラジ
 なぜそれを、持っているものを欲し、持っていないものは気にかけない、と
 いうふうにひっくり返さないのかね?
 質問者 私は快楽が欲しく、苦痛は欲しくないのです。
 マハラジ
 何が快楽で何がそうでないか、どうやって知るのだろうか?
 質問者 過去の体験からです。もちろん。
 マハラジ
 記憶に導かれながらあなたは快楽を追求し、不快を避けてきた。
 今まで成功しただろうか?
 質問者 いいえ。快楽は長続きせず、苦しみはふたたび入りこんできます。
 マハラジ
 どの苦しみだろう?
 質問者 喜びへの欲望と苦しみへの恐怖、どちらも惨めな状態です。純粋な
 喜びという状態は存在するのでしょうか?
 マハラジ
 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。
 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされ
 る。
 それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。
 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

162名無しを整える。2018/02/03(土) 08:36:16.18ID:CxVAhfgF
>>161
> 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。
 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされる。
 それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。
 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。

渇愛が苦の原因でありますね。
(´-(ェ)-`)つ

163鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/03(土) 22:41:13.56ID:friOuVk6
そうじゃ、快楽は苦への近道なのじゃ。
快楽に囚われればいずれ苦になるのじゃ。
それ故に一切は苦になるのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。 

164名無しを整える。2018/02/04(日) 08:07:58.18ID:DAOkwlag
『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 混乱の構造は理解できますが、出口が見いだせません。
 マハラジ
 構造を調べること自体が道を示すのだ。
 つまるところ、あなたの混乱はあなたのマインドのなかにだけ存在している。
 そのマインドはけっして混乱に抵抗せず、それを理解しようともしてこなか
 った。
 マインドが抵抗したのは苦しみに対してだけだった。
 質問者 それでは、私は混乱しつづけるしかないのですか?
 マハラジ
 油断なく在りなさい。
 問いかけ、観察し、調べ、混乱があなたや他人に何をし、どう作用するのか、
 混乱について何ができるのかをすべて学びなさい。
 混乱について明らかにすることで、あなたはそれを一掃する。
 質問者 自分の内側を見つめるとき、私のもっとも強い欲望は己の記念碑、
 自分を永続させる何かをつくり出したいのだということが見てとれ
 ます。私が家や、妻や、子どもを思うときでさえ、それは永続する
 確固たる自己の証明となるからです。
 マハラジ
 では、記念碑をつくるがいい。
 どうするつもりかね?
 質問者 それが永遠のものであるかぎり、何を建てるかは問題ではないので
 す。
 マハラジ
 あなた自身、何ひとつ永遠のものはないと知るだろう。
 すべては衰退し、朽ち果て、崩壊する。
 記念碑を建てる土台そのものが崩れ去っていくのだ。
 永続するような何を築くことができるというのだろう?
 質問者 知的に、言葉の上では、すべてがはかないものだと気づいています。
 しかしそれでも、私のハートは永遠なるものを求めています。何か
 永続するものをつくりたいのです。
 マハラジ
 それでは永続する何かをつくるがいい。。
 そのようなものを何かもっているかね?
 あなたの身体もマインドも長続きはしない。
 どこかほかを探すべきだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

165名無しを整える。2018/02/04(日) 08:12:57.87ID:DAOkwlag
>>164
ふむふむ。
問いかけ、観察し、調べ、学び、 混乱について明らかにすることで、それを一掃する。
のでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

166鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/04(日) 20:48:40.09ID:YEyWO7rJ
そうじゃ、全てを完全に観察すればそれだけで苦はなくなるのじゃ。
観察によって厭離はなされるのじゃ。

167名無しを整える。2018/02/05(月) 18:30:05.55ID:Z7kzvQOb
『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 永遠なるものを求めてきましたが、どこにも見いだすことはできま
 せんでした。
 マハラジ
 あなた自身が永遠なのではないだろうか?
 質問者 私は生まれました。そして死んでいくでしょう。
 マハラジ
 あなたが生まれる以前、あなたが存在していなかったと言えるだろうか?
 そして死ぬときになって、「私はもはや存在しない」と言えるというのだろ
 うか?
 あなた自身の体験からも、あなたが存在していないということは不可能だ。
 ただ、「私は在る」と言えるだけだ。
 他者もまた、「あなたは存在しない」と言うことはできない。
 質問者 眠りのなかでは、「私は在る」という感覚はありませんでした。
 マハラジ
 そんな決めつけたような言葉を吐く前に、目覚めの状態を一度注意深く調べ
 てみるがいい。
 目覚めの状態は、マインドが空白になった瞬間でいっぱいだとすぐに気づく
 だろう。
 完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかか
 ということに注意を払いなさい。
 眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。
 ただ覚えていないだけなのだ。
 記憶の隙間が必ずしも意識の隙間であるとはかぎらない。
 質問者 深い眠りの状態を記憶することはできるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん!
 目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
 状態の感覚を徐々に除去するだろう。
 あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。
 質問者 しかし、永久なるもの、存在の永続性の問題はまだ解かれていませ
 ん。
 マハラジ
 永久性とは時間の運動から生まれた、ただの概念にすぎない。
 時間もまた記憶に依存する。
 永久なるものと言うことで、あなたは無限なる時間を通して、変わることの
 ない確かな記憶を表している。
 あなたはマインドを永遠のものにしたい。
 だが、それは不可能だ。
 質問者 では、永遠とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは時とともに変化しないものだ。
 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。
 不変のものだけが永遠なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

168名無しを整える。2018/02/05(月) 18:36:44.61ID:Z7kzvQOb
>>167
>、目覚めの状態を一度注意深く調べ
 てみるがいい。
 目覚めの状態は、マインドが空白になった瞬間でいっぱいだとすぐに気づく
 だろう。
 完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかか
 ということに注意を払いなさい。
 眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。
 ただ覚えていないだけなのだ。
 記憶の隙間が必ずしも意識の隙間であるとはかぎらない。

> 目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
 状態の感覚を徐々に除去するだろう。
 あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。

ふむふむ。きっとできることなのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

169鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/05(月) 21:19:54.34ID:R9JidTti
そうじゃ、寝ていても意識は有るものじゃ。
ただ記憶できなかったから無いと思っているだけなのじゃ。
記憶は意識ではないのじゃ。
記憶が無くても意識は有るのじゃ。

170名無しを整える。2018/02/06(火) 18:29:30.17ID:6FBrhlrW
>>167
( 質問者 では、永遠とは何なのでしょうか?
 マハラジ それは時とともに変化しないものだ。
 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。
 不変のものだけが永遠なのだ。)

8の2、3『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】の2回目(つづき)

 質問者 あなたのおっしゃることの意味は概してなじみ深いものです。私は
 これ以上の知識は欲しくありません。ただ平和が欲しいのです。
 マハラジ
 求めさえすれば、欲するすべての平和は得られる。
 質問者 私は求めています。
 マハラジ
 ひたむきに求めなければならない。そして統合された生を生きなさい。
 質問者 どうすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドを落ち着かなくさせる、すべてのものからあなたを引き離
 しなさい。
 平和を乱す、すべてのものを放棄しなさい。
 もし平和が欲しいのなら、それを受けるに値する者となりなさい。
 質問者 もちろん、誰もが平和を受けるに値します。
 マハラジ
 それを妨げない者だけが受けるに値するのだ。
 質問者 いったい、どのようにして私は平和を妨げているというのでしょう
 か?
 マハラジ
 欲望や恐怖の奴隷となることによってだ。
 質問者 たとえそれらが正当と見なされたときでもでしょうか?
 マハラジ
 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。
 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。
 あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。
 これが平和へのただひとつの道だ。
                   【8 真我はマインドを超えて在る】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

171名無しを整える。2018/02/06(火) 18:33:42.51ID:6FBrhlrW
>>170
> 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。
 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。
 あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。
 これが平和へのただひとつの道だ。

(´・(ェ)・`)つ

172鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/06(火) 21:41:57.84ID:gSsv/o3F
正当な欲とか恐れなど無いものじゃ。
それらも誤った観念から起こるだけのものであるからのう。

173名無しを整える。2018/02/07(水) 21:00:49.76ID:0s6pPVt0
『I AM THAT 私は在る』
【9 記憶の反応】

 質問者 ある人は、宇宙は創造されたと言い、またある人は、宇宙はつねに
 存在し、絶えず変容しつづけていると言います。ある人は、宇宙は
 永遠の法則に支配されていると言い、またある人は、因果律さえ否
 定しています。ある人は、世界は実在すると言い、またある人は、
 世界はどのような存在ももたないと言います。
 マハラジ
 いったいどの世界についてあなたは尋ねているのだろうか?
 質問者 私が知覚する世界です、もちろん。
 マハラジ
 あなたの知覚する世界は実に小さな世界だ。
 それは完全に私的なものだ。
 それを夢と見なして放っておきなさい。
 質問者 どうして世界を夢として見なすことができるでしょう? 夢とは長
 く続かないものです。
 マハラジ
 あなたの小さな世界が、どれほど長続きするというのかね?
 質問者 つまるところ、私の小さな世界も全体の一部分です。
 マハラジ
 全世界という概念も、あなたの私的な世界の一部ではないだろうか?
 宇宙はあなたのところにやってきて、あなたは宇宙の一部だと言いはしない。
 全体があなたをその一部として含んでいるという考えをつくり上げたのは、
 あなたではないだろうか?
 実際に、たとえどんなに想像と期待で飾りたてていても、あなたが知ってい
 るのはあなたの私的な世界にすぎないのだ。
(つづく)

174名無しを整える。2018/02/07(水) 21:07:35.05ID:0s6pPVt0
>>173
>たとえどんなに想像と期待で飾りたてていても、あなたが知っているのはあなたの私的な世界にすぎないのだ。
(´・(ェ)・`)つ
そうだ!

175鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/07(水) 22:37:11.69ID:K7/U5g88
世界も自分の観念に過ぎないのじゃ。
観察によってそれも滅するのじゃ。

176名無しを整える。2018/02/07(水) 22:56:16.24ID:0s6pPVt0
>>175
思いは思わなければないもので、
気はもちようでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

177名無しを整える。2018/02/08(木) 07:41:52.14ID:TYJqILav
>>173
『I AM THAT 私は在る』
【9 記憶の反応】(つづき)

 質問者 もちろん、知覚は想像ではありません!
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 知覚とは認識ではないだろうか?
 何かまったく知られていないものを感じ取ることはできるだろう、だが知覚
 することはできない。
 知覚は記憶をともなうのだ。
 質問者 仮にそうだとしても、記憶がそれを幻想にするということはありま
 せん。
 マハラジ
 知覚、想像、期待、不安、幻想はすべて記憶に基づくものだ。
 それらの間にはほとんど境界線さえなく、互いに溶け込んでいる。
 すべては記憶の反応なのだ。
 質問者 それでも、記憶は私の世界の実在性を証明してくれます。
 マハラジ
 どれだけあなたは覚えているだろうか?
 先月の三十日にあなたが何を考え、何を話し、何をしたか記憶に基づいて書
 きだしてみるがいい。
 質問者 確かにそこには空白があります。
 マハラジ
 それほど悪くはない。
 相当量をあなたは覚えているはずだ。
 無意識の記憶が、あなたの住む世界をなじみ深くさせるのだ。
 質問者 私の生きる世界が部分的で、主観的であることは認めます。あなた
 はどうなのでしょう? あなたはどのような世界に生きているので
 しょうか?
 マハラジ
 私の世界はあなたの世界と同様だ。
 私は、私の知覚する世界であなたと同じように見、聞き、感じ、考え、話し、
 行動する。
 だがあなたにとってはそれがすべてで、私にとっては、それはほとんど無に
 等しい。
 世界が私自身の一部であると知っているため、あなたが食べた食事に注意を
 払わない以上に、私もそれに留意しないのだ。
 用意されてから食べる間、食べ物はあなたから分離して在り、あなたはそれ
 に留意する。
 ひとたび飲みこめば、それに対してはまったく無意識になる。
 私は世界を食べてしまったのだ。
 だからそれについて考える必要はもはやないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

178名無しを整える。2018/02/08(木) 07:51:55.15ID:TYJqILav
>>177

>世界が私自身の一部であると知っているため、あなたが食べた食事に注意を
 払わない以上に、私もそれに留意しないのだ。
 用意されてから食べる間、食べ物はあなたから分離して在り、あなたはそれ
 に留意する。
 ひとたび飲みこめば、それに対してはまったく無意識になる。
 私は世界を食べてしまったのだ。
 だからそれについて考える必要はもはやないのだ。
(´・(ェ)・`)つ
くまも世界を食べてしまいたい。
そのためには、
> 知覚、想像、期待、不安、幻想はすべて記憶に基づくものだ。
ということが、腑に落ちれば良いのでありますね。

179鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/08(木) 22:08:16.41ID:BJxBpZjb
>>176 そうじゃ、思わなければ世界も無いのじゃ。
 無の境地なのじゃ。


観察によってそれに気づくのじゃ。

180名無しを整える。2018/02/09(金) 18:38:41.35ID:TFJkSeQa
>>177
『I AM THAT 私は在る』
【9 記憶の反応】

 質問者 それでは完全に無責任になるのではありませんか?
 マハラジ
 どうして無責任になれるだろう?
 私とひとつとなったものを、どうして傷つけることができるだろうか?
 その反対に、世界のことを考えずとも、何であれ私のすることは世界への恩
 恵となる。
 身体が無意識にそれ自身を正しく調整するように、私も絶え間なく世界を正
 すように活動している。
 質問者 やはり、あなたは世界の途方もない苦しみに気づいているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もちろん、あなた以上に気づいている。
 質問者 それでは、あなたは何をするのでしょう?
 マハラジ
 神の目を通して見、すべてはこれでいいということを見いだすのだ。
 質問者 いったい、どうしてすべてがこれでいいなどと言えるのですか?
 戦争、搾取、国と民との悲惨な争いを見てごらんなさい。
 マハラジ
 それらの苦しみはすべて人間のつくり出したものであり、それらを終結させ
 るのは人間の力の内にある。
 人間を自らの行為の結果に直面させ、そのバランスを取らせるよう要求する
 ことで神は助けている。
 カルマ(因果応報)が公正さのために働く法則だ。
 それは神の癒しの手なのだ。

【9 記憶の反応】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

181名無しを整える。2018/02/09(金) 18:40:34.43ID:TFJkSeQa
>>180
>カルマ(因果応報)が公正さのために働く法則だ。
 それは神の癒しの手なのだ。
(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。なるへそへそのゴマである。

182鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/09(金) 22:55:44.73ID:fDiKRGtp
世界中の人が苦しんでいるから何かしようと思うのが更なる権力闘争を生むのじゃ。
自らの利益の為に口実にしているだけであるからのう。
誰もが自分のしたこととしなかったことの報いを受けるだけなのじゃ。
自分の心を観察によって整えれば最高の報いが有るのじゃ。

 

183名無しを整える。2018/02/10(土) 08:48:35.45ID:Ad4MC+o0
『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】

 質問者 私は欲望がいっぱいで、それらすべてを満たしたいのです。どうす
 ればいいでしょうか?
 マハラジ
 あなたは欲するものを受けるに値するだろうか?
 何とかして欲望を満たせるよう努めるしかない。
 エネルギーを注いで結果を待ちなさい。
 質問者 どこからエネルギーを手に入れるのでしょう?
 マハラジ
 欲望そのものがエネルギーだ。
 質問者 それなら、どうしてすべての欲望は満たされないのでしょうか?
 マハラジ
 たぶんそれは充分強くはなく、長続きもしなかったのだろう。
 質問者 そうです。それが私の問題なのです。物が欲しいのですが、いざ、
 行動を起こす段になると怠惰になってしまうのです。
 マハラジ
 あなたの欲望が明確でなく、強くもなければ、それは形をなさない。
 さらに、もしあなたの欲望が個人的なもので、あなた自身の享楽のためなら
 ば、エネルギーは必然的にかぎりあるものとなる。
 それはあなたが持っている以上にはならないだろう。
 質問者 しかし、しばしば普通の人びとも欲望を達成しています。
 マハラジ
 それは本当に強く、しかも長期にわたって望んだときだけだ。
 たとえそうだとしても彼らの達成はかぎられたものだ。
 質問者 それでは、利己的でない欲望はどうなのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが社会のためを思って望むならば、世界全体があなたとともに望むだ
 ろう。
 人類の望みをあなた自身のものとして努めなさい。
 そうすれば、決して失敗はあり得ない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

184名無しを整える。2018/02/10(土) 08:56:14.94ID:Ad4MC+o0
>>182
鬼和尚、おはようであります。
マハラジは、
>あなたが社会のためを思って望むならば、世界全体があなたとともに望むだ
 ろう。
 人類の望みをあなた自身のものとして努めなさい。
 そうすれば、決して失敗はあり得ない。
と言いますが、
それは、真に社会のためを思って望むならでありますね。
ほとんどの場合、本心では、
>自らの利益の為に口実にしているだけであるから
結局、
> 誰もが自分のしたこととしなかったことの報いを受ける
はめになるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

185鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/10(土) 22:39:41.20ID:Esk+FOSg
そうじゃ、本心からの想いでなければ何もならないのじゃ。
自分の心を誤魔化すことはできないのじゃ。
善い事をして善い所に行くとよいのじゃ。

186名無しを整える。2018/02/10(土) 23:43:32.70ID:eNHimUFk
こんな邪教を学んでも何もいいことなんかない。
退廃文化は自己満足を追求するがあまり
どうどう巡りするだけ

187名無しを整える。2018/02/11(日) 08:30:58.05ID:jxyvrXdU
>>183
『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】(つづき)

 質問者 人類は神が関わる仕事であり、私の仕事ではありません。私は私自
 身に関わっているのです。私の正当な欲望が満たされるのを見る権
 利はないのでしょうか? それは誰も傷つけません。私の欲望は正
 当なもので、正しい欲望です。なぜ満たされないのでしょうか?
 マハラジ
 欲望は環境や状況にしたがって、正しくもなり、間違いにもなる。
 あなたがそれをどう見るかによるのだ。
 正不正の区別は個人にとってのみ有効なのだ。
 質問者 その区別のガイドラインとなるものは何でしょうか? どうすれば
 どの欲望が正しく、どれが間違っているのかを知ることができるの
 でしょうか?
 マハラジ
 あなたの場合、悲しみをもたらす欲望が間違ったもので、幸せをもたらすも
 のが正しい。
 だが、ほかの人たちのことを忘れてはいけない。
 彼らの悲しみや、幸せもまた考慮に入れるのだ。
 質問者 結果は未来のなかにあります。どうすればそれを知ることができる
 のでしょう。
 マハラジ
 考えなさい。
 記憶し、観察しなさい。
 あなたはほかの人と変わりはしない。
 彼らの経験のほとんどは、あなたにとっても有効なものだ。
 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
 覚えておきなさい。
 あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。
 質問者 私自身を知るとはどういう意味でしょうか? 私自身を知ることで
 正確には何を知ることになるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたではないすべてを知るのだ。
 質問者 何が私か、ではないのですか?
 マハラジ
 あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

188名無しを整える。2018/02/11(日) 09:22:51.81ID:jxyvrXdU
この10章の質問者(>>183>>187)は、えらく正直な人であります。
自分は欲望の塊であり、それをなんとかかなえたいと主張する、ごく普通の人であります。
>私の正当な欲望が・・・・
・・・・なぜ満たされないのでしょうか?と、問う、質問者を、マハラジは上手いこと導いて行くであります。
質問者の主張の混乱を整理して、
> あなたの場合、悲しみをもたらす欲望が間違ったもので、幸せをもたらすものが正しい。
 だが、ほかの人たちのことを忘れてはいけない。
と、導いた上で、
> 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
・・・・ あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。

と、渇愛を観察しつくすように、促し、自身(=自我?)を越えていくためには、自身を知らねばならず、自身を知るとは、

>あなたではないすべてを知るのだ。
 あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。

何がくまでないかを知ることで、囚われから自由になるのでありますね。
欲を捨てると言うと、超難しく感じるけど、欲を観察することにより、それは自分ではないと見極めると言われれば、それなら出来そうな気がするくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

189名無しを整える。2018/02/11(日) 17:26:23.86ID:mLUOSuYt
宗教なんて時間の無駄
ましてこんな邪教・・・

190鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/12(月) 01:25:35.09ID:7C+LBPy7
自分が気づいていないことをも否定すればいつまでも苦はあるものじゃ。
ただ観察して気付くことによって全ての苦は消えるのじゃ。
そして謬見をも消すことができるのじゃ。

191名無しを整える。2018/02/12(月) 09:37:38.18ID:MR6XG7jF
>>190
>自分が気づいていないことをも否定すればいつまでも苦はある
←この点がちょぴっと難しいのであります。くま昔、地橋さんの本で、ラベリングアプローチと言うのを学び、やってみたのであります。
この手法は、観念で観念をチェックする方法であり、手法的に、脳内に余計な観念を増やしてしまうことになりやめたのでありますが、
ラベリングに熟達すれば、例えば、怒りの感情の原因が、「悲しみ」「嫉妬」「恐怖」など、何が本心か、何が本当の原因か、うまくヒットすれば、感情は消え、ヒットしなければ消えないと言う風に、
有効に使えそうな気もしたであります。
(´・(ェ)・`)つ

192名無しを整える。2018/02/12(月) 09:46:35.00ID:MR6XG7jF
>>187
( あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。)

『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】(つづき)

 質問者 そして私は何を発見するのでしょうか?
 マハラジ
 そこには何も発見するものはないということを発見する。
 あなたはただ、あなたなのだ。
 ただそれだけだ。
 質問者 しかし究極的に、私とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。
 質問者 私には理解できません。
 マハラジ
 あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目に
 するのだ。
 質問者 どうすればこの考えからまぬがれることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気
 づきだ、と私が言うのを信じなさい。
 それを自覚し、それにしたがって生きなさい。
 もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り「私は誰か?」
 と尋ねるがいい。
 あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づ
 きの焦点を合わせなさい。
 質問者 あなたに対する私の信頼は何に依存するのでしょう?
 マハラジ
 ほかの人のハートを見通すあなたの洞察に依る。
 もし私のハートを見抜くことができないなら、自分のハートに見入るがいい。
 質問者 どちらも私にはできません。
 マハラジ
 秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。
 あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。
 それがあなたの洞察力を明晰にするだろう。
 質問者 すべてを放棄し、住居なき放浪の人生を送るべきではないのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたには放棄できない。
 あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。
 だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
 で、それがあなたを離れることはないだろう。
 まず、あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

193名無しを整える。2018/02/12(月) 09:54:15.51ID:MR6XG7jF
>>192
>あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気
 づきだ、と私が言うのを信じなさい。
 それを自覚し、それにしたがって生きなさい。
 (あるいは、)内側に入り「私は誰か?」と尋ねるがいい。
 あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づ
 きの焦点を合わせなさい。

> 秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。
 あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。
 それがあなたの洞察力を明晰にするだろう

>執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
 で、それがあなたを離れることはないだろう。
 まず、あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。

(´・(ェ)・`)つ
くまは、「気づき」であると信じよう!
そしたら、ほかのすべてがやってくるんだ。

194名無しを整える。2018/02/12(月) 12:15:22.60ID:MR6XG7jF
>>193
くまが純粋な気づきであるためには、
受相行識の、受でとどまることを目指せば良いのでありますね。
集中して、一切の観念を無視しする修行でありますね。
そこまで行き着くのは、相当に困難でありますので、取敢ず、くまは「気づきだ!」と信じちゃえば良いのでありますね。
そうすれば、そのうち、なんかの拍子に、ストンと落ちるかもでありますね。
ニサルガさんは、超難しいことを簡単にできそうに励ましてくれるであります。
(´・(ェ)・`)つ

195鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/12(月) 23:08:57.84ID:7C+LBPy7
何も信じなくて良いのじゃ。
ただ観察し続ければ気付くのじゃ。
手を観察してしわが多いわかるのも気付きなのじゃ。
何も難しくは無いのじゃ。

196名無しを整える。2018/02/12(月) 23:29:31.76ID:MR6XG7jF
>>195
うっ!
信じちゃダメでありますか。
信じて臨むとあるがままの観察にならなくなってしまうでありますか?
やっぱり、ひたすら観察しかないでありますか。
(´-(ェ)-`)ゞ

197名無しを整える。2018/02/13(火) 18:41:19.56ID:4U/51qTY
>>192
『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】(つづき)

 質問者 しかしあなたはすでに、私が至高の実在だと言われました。それは
 自己知識ではないのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、あなたは至高の実在だ。
 だが、それがどうだというのかね?
 砂のひと粒ひと粒がすべて神性であり、それを知ることは重要だ。
 だが、ただのはじまりにすぎない。
 質問者 あなたは私が至高の実在だと言いました。あなたを信じます。では、
 つぎに私にできることは何でしょうか?
 マハラジ
 もうすでに言ったはずだ。
 あなたではない、すべてを発見しなさい。
 身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象
 であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたで
 はない。
 あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかも
 しれない。
 単に言葉による表明だけではだめなのだ。
 あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
 この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。
 質問者 観照――それが私の本性ではないのでしょうか?
 マハラジ
 観照のためには、そこに観照されるべき何かほかのものがなければならない。
 それではまだ、私たちは二元性のなかにいるのだ!
 質問者 観照者を観照することはどうでしょうか? 気づきに気づくことは?
 マハラジ
 言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。
 内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。
 それ以外、残された道はない。
                   【10 観照】
(´・(ェ)・`)
.(おわり)
 

198名無しを整える。2018/02/13(火) 18:49:59.50ID:4U/51qTY
>>197
> あなたではない、すべてを発見しなさい。
 身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象
 であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたで
 はない。

 あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
 この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。

> 言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。
 内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。
 それ以外、残された道はない。

あなたでないものを見いだしなさい。という言い回しが、真我を説く立場からの独特の言い回しでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

199鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/13(火) 22:08:25.94ID:rt0Jibm7
>>196 そうじゃ、実践が全てなのじゃ。


自分では無いものを全て見出せば自分も無いとわかるのじゃ。

200名無しを整える。2018/02/14(水) 18:31:09.47ID:05rz9x4Y
11『I AM THAT 私は在る』
【11 気づきと意識】

 質問者 眠りの間、あなたはどうしていますか?
 マハラジ
 眠っている状態に気づいている。
 質問者 眠りは無意識の状態ではないでしょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 私は無意識の状態に気づいている。
 質問者 それでは目覚めのとき、あるいは夢見のときは?
 マハラジ
 私は目覚めあるいは夢見の状態に気づいている。
 質問者 理解できません。正確にはどういう意味でしょうか? 質問を明確
 にさせてください。眠りの状態とは無意識を意味しています。目覚
 めの状態とは意識を、夢見とは周囲の状況ではなくマインドを意識
 している、ということを意味しています。
 マハラジ
 私にとっても同じことだ。
 しかし、そこには違いがあるように見える。
 各々の状態のなかで、あなたはほかの二つの状態を忘れているが、私にとっ
 ては目覚め、夢見、眠りの三つの精神状態を含み、しかも超越したひとつの
 存在状態があるだけだ。
 質問者 この世界には、ある方向性や目的があるとあなたは見ていますか?
 マハラジ
 世界とは私の想像の反映にすぎない。
 何であれ見たいと思うものを、私は見ることができる。
 だが、なぜ創造、進化、破壊というパターンを編みだす必要があるだろうか?
 私にはそれらは必要ない。
 世界は私のなかにあり、世界は私自身なのだ。
 私はそれを恐れることもなければ、それをひとつの固定させた心理的画像に
 閉じこめたいなどという望みもない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

201名無しを整える。2018/02/14(水) 19:59:04.02ID:05rz9x4Y
>>200
ふむ。
常に意識的であろうとはしてるのでありますが、ニサルガさんのは超人的なことでありますね。
ただ、気付いてるだけで、判断や思考をしないから、きっと疲れないのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

202鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/14(水) 22:19:01.31ID:TbJmIyqp
そうじゃ、深く寝ていても常に意識はあるものじゃ。
目覚めた者は常に意識が有るのじゃ。

203名無しを整える。2018/02/15(木) 18:37:16.17ID:Vbn1rkyU
>>200
『I AM THAT 私は在る』
【11 気づきと意識】(つづき)

 質問者 眠りに戻りますが、あなたは夢を見ますか?
 マハラジ
 もちろん。
 質問者 あなたの夢とは何でしょうか?
 マハラジ
 目覚めの状態の反映だ。
 質問者 では、あなたの深い眠りは?
 マハラジ
 脳意識が一時停止した状態だ。
 質問者 それでは、あなたは無意識なのでしょうか?
 マハラジ
 私を取り巻く環境への無意識ということでは、そうだ。
 質問者 まったくの無意識ではないということでしょうか?
 マハラジ
 私は無意識だということに気づいている。
 質問者 あなたは「気づく」という言葉と「意識する」という言葉を使って
 いますが、それらは同じものではないのですか?
 マハラジ
 気づきは根本的なものだ。
 それは根元的状態であり、はじまりがなく、終わりもない。
 原因がなく、支えがなく、部分も、変化もない。
 意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。
 気づきなしに意識は在りえない。
 しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。
 気づきは絶対的だ。
 意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。
 意識は部分的であり、変化するもの。
 気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。
 そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

204名無しを整える。2018/02/15(木) 18:40:57.29ID:Vbn1rkyU
>>203
> 気づきは根本的なものだ。
 それは根元的状態であり、はじまりがなく、終わりもない。
 原因がなく、支えがなく、部分も、変化もない。
 意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。
 気づきなしに意識は在りえない。
 しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。
 気づきは絶対的だ。
 意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。
 意識は部分的であり、変化するもの。
 気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。
 そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。

↑これをまとめると、「気づき」と「意識」のニサルガさんの定義でありますね。
暗記すべきでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

205鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/15(木) 22:15:45.82ID:zZgBbvjP
認識されない認識主体じゃな。
それをアートマンと呼ぶのがウパニシャッドなのじゃ。
どのような名前でも呼ぶべきではないがのう。

206名無しを整える。2018/02/16(金) 18:26:45.29ID:dxuEDuIG
>>203
『I AM THAT 私は在る』
【11 気づきと意識】(つづき)

 質問者 人はどのように意識を超え、気づきのなかに入っていくのでしょう
 か?
 マハラジ
 そもそも意識を起こさせるのは気づきであるため、あらゆる意識の状態には
 気づきがある。
 それゆえ意識が意識しているという意識そのものが、すでに気づきにおける
 動きなのだ。
 自分の意識の流れに興味を抱くこと自体が、あなたを気づきへと導く。
 それは何も新しい状態ではない。
 それが根元的な、生命そのものである基本的存在、そしてまた愛と喜びであ
 ることは直ちに認識されるだろう。
 質問者 実在がつねに私たちとともに在るのなら、真我の実現は何によって
 成立するのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現は無知の反対にほかならない。
 この世界を実在と見なし、真我を非実在と見なすことが無知であり、悲しみ
 の原因だ。
 真我が唯一の実在であり、そのほかすべては一時的な、はかないものと知る
 ことが自由であり、平和と喜びなのだ。
 それはとてもシンプルだ。
 ものごとを、想像を通して見るのではなく、ただあるがままに見ることを学
 びなさい。
 すべてをあるがままに見るとき、あなたはあるがままの自分を見るだろう。
 それは鏡を磨くようなものだ。
 あなたにあるがままの世界を見せるその同じ鏡が、あなた自身の顔をも見せ
 るだろう。
 「私は在る」という想いが、鏡を磨く布なのだ。
 それを使いなさい。

【11 気づきと意識】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

207名無しを整える。2018/02/16(金) 19:45:09.84ID:dxuEDuIG
>>205
> 認識されない認識主体
> それをアートマンと呼ぶのがウパニシャッド
↑これは「気づき」のことでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

208鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/16(金) 23:14:28.55ID:obf1npPL
そうじゃ、マハラジが気づきと呼ぶものじゃ。
言葉通りのものではないがのう。
言葉を超えたそれを知るために実践あるのみなのじゃ。

209名無しを整える。2018/02/17(土) 00:06:20.17ID:N+nw5XUp
>>208
くまは、気づきとは、記憶と照合されて、観念化する前の感受のことかと思ってたであります。
けど、言われてみると、アートマンとは否定によってしか説明できないものであり、自分はあれでも、これでも、なんでもないものでありますから、
観念化される前の感受も、あれでもこれでもなんでもないわけでありまして、
結局同じでありますね。
しかし、今日の部分では、「気づき」と「真我」を別だてにで述べてるようでありますが、必ずしも別々なものであるとも言ってないような気もするであります。
(´・(ェ)・`)つ

210名無しを整える。2018/02/17(土) 11:18:01.60ID:N+nw5XUp
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】

 質問者 どのようにしてあなたが真我を実現したのか、話していただけます
 か?
 マハラジ
 三十四歳でグルと出会い、三十七歳にして実現したのだ。
 質問者 何が起こったのでしょう? どのような変化があったのでしょうか?
 マハラジ
 快楽と苦痛による影響が消え、欲望と恐怖から自由になったのだ。
 私は満たされ、何も必要ではなくなった。
 純粋な覚醒の大海のなか、宇宙意識の表層で、世界という現象の無数の波が
 無始無窮(むきゅう)に立ち現れては消えゆくのを私は見たのだ。
 意識としては、それらはすべて私自身であり、出来事としては、それらはす
 べて私のものだ。
 ある神秘的な力がそれらを維持している。
 その力が真我、生命、神と呼ばれるものだ。
 金の宝飾品の基本素材がすべて金であるように、それらは存在するすべてを
 究極的に維持する土台だ。
 そして、それはとても親密に私たち自身のものなのだ!
 宝飾品から名前と形を取り去れば、金が明白になる。
 名前と形から、そしてそれらをつくり出す欲望と恐れから自由になりなさい。
 そうすると何が残るだろうか?
 質問者 無です。
 マハラジ
 そうだ。
 虚空が残る。
 だが、その虚空は完全にすべてを満たしている。
 意識の永遠の可能性が、永遠の現実となるのだ。
 質問者 可能性とは未来を意味しているのでしょうか?
 マハラジ
 過去、現在、未来のすべて、そしてかぎりなくそれ以上だ。
 質問者 しかし、虚空は虚空にすぎず、私たちにはあまり役に立ちません。
 マハラジ
 どうしてそう言えるだろう?
 連続性のなかに中断がなくても再誕生は可能だろうか?
 死がなければ再生もありえない。
 眠りにおける暗闇も、新鮮さと活力の回復をもたらす。
 死がなければ、私たちは永遠の老衰のなかに沈み込んでいることだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

211名無しを整える。2018/02/17(土) 11:38:42.58ID:N+nw5XUp
>>210
> 名前と形から、そしてそれらをつくり出す欲望と恐れから自由になりなさい。
 そうすると何が残るだろうか?
 質問者 無です。
 マハラジ
 そうだ。
 虚空が残る。
 だが、その虚空は完全にすべてを満たしている。
 意識の永遠の可能性が、永遠の現実となるのだ。

名前と形、ナーマ、ルーパの世界が「生」であり、虚空が「死」みたいにも聞こえるけど、そうではなく、生も死もなく、虚空は完全に全てを満たしていて、そこに「意識」があるのでありますかね。

> 質問者 しかし、虚空は虚空にすぎず、私たちにはあまり役に立ちません。
 マハラジ
 どうしてそう言えるだろう?
 連続性のなかに中断がなくても再誕生は可能だろうか?
 死がなければ再生もありえない。
 眠りにおける暗闇も、新鮮さと活力の回復をもたらす。
 死がなければ、私たちは永遠の老衰のなかに沈み込んでいることだろう。

やっぱり、虚空は「死」でよいのでありますかね。
このあとで、生と死がひとつの存在における二つの層として、互いに必須のものと見られたとき、それが不死ともいっており、
生死を分別しないのでありますね。

(´・(ェ)・`)つ

212鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/17(土) 21:49:31.51ID:93sgFG9u
死もまた虚空の現われに過ぎないのじゃ。
それが全ての本質なのじゃ。
それが全てであり、役に立つとか考えたり、思ったリできるものではないのじゃ。
ただそれがあるがままのありようなのじゃ。

213名無しを整える。2018/02/17(土) 22:00:42.96ID:N+nw5XUp
>>212
鬼和尚、ありがとうであります。
> それが全ての本質
ただそれがあるがままのありようなのじゃ。
無観念、無分別 のあるがままのありようのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

214名無しを整える。2018/02/18(日) 09:09:47.00ID:4rR70w02
>>210
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】(つづき)

 質問者 不死というものは存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 生と死がひとつの存在における二つの層として、互いに必須のものと見られ
 たとき、それが不死だ。
 はじまりのなかに終焉(しゅうえん)を見、終焉のなかに始まりを見ること
 が永遠を示唆している。
 不死が連続性でないということは明白だ。
 変化というプロセスだけが続いていく。
 永遠に存在するものなど何もない。
 質問者 気づきは永続するのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは時間のなかにはない。
 時間は意識のなかにのみ存在する。
 意識を超えて、どこに時間と空間があるだろう?
 質問者 あなたの意識の領域にはあなたの身体も在ります。
 マハラジ
 もちろんだ。
 しかし、ほかの身体と異なったものとしての「私の身体」という考えはない。
 私にとってそれは「私の身体」ではなく「ある身体」であって、「私のマイ
 ンド」ではなく「あるマインド」だ。
 マインドが身体の面倒を見る。
 私が干渉する必要はない。
 為(な)されるべきことは、通常の自然な方法で為される。
 生理的機能に関しては、あなたはまったく意識していないかもしれない。
 だが、思考や感情、欲望や恐れにいたっては、あなたは自己意識に鋭敏にな
 る。
 私にとっては、これらもまた全体として無意識の内にある。
 私はさほど意識もせずに人びとと話をし、まったく正しく適切に事を運んで
 いることを見いだすのだ。
 あたかも私は自発的にしかも的確に反応し、自動的にこの物質的な目覚めの
 生を生きているかのようだ。
 質問者 この自発的な反応は真我の実現の結果なのでしょうか、それとも訓
 練によるものでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 真理の探究と、人びとを助けるという目的に捧げられた献身が、あなたに清
 らかな、秩序ある生をもたらす。
 そして真我の実現が、欲望や恐れ、そして誤った考えという障害を取り除き、
 容易に、自然に尊い徳をもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

215名無しを整える。2018/02/18(日) 09:18:49.34ID:4rR70w02
>>214
> 生理的機能に関しては、あなたはまったく意識していないかもしれない。
 だが、思考や感情、欲望や恐れにいたっては、あなたは自己意識に鋭敏にな
 る。
 私にとっては、これらもまた全体として無意識の内にある。
 私はさほど意識もせずに人びとと話をし、まったく正しく適切に事を運んで
 いることを見いだすのだ。
 あたかも私は自発的にしかも的確に反応し、自動的にこの物質的な目覚めの
 生を生きているかのようだ。

無意識=生理的機能、例えば無意識に呼吸しているように・・・ということでありますね。
ふむふむ!
(´・(ェ)・`)b

216鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/18(日) 23:13:05.54ID:KC3P5wG/
そうじゃ、体が勝手に動くのじゃ。
そこに主体などはないのじゃ。
主体なくして全ては働いていくのじゃ。

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