鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2

1名無しを整える。2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ

2名無しを整える。2018/01/02(火) 18:09:32.08ID:1i8Yd2u9
前スレ322http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/

1073
ウパシーヴァさんはブッダに「最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」と答えてもらってから、次の二つの質問をした。
一つは、「もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか?」です。
ウパシーヴァさんは「最上の<想いからの解脱>はまだ完全な解脱ではないと考えているようである。想からの解脱から完全な解脱になるのか尋ねているのだと思われる。そして完全な解脱な状態を清涼とイメージしているのであろう。
もう一つは、「そのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」。識別作用とは心の本質。だから、解脱した人には心はあるのか?と尋ねていることになる。

1074
ウパシーヴァさんの二つの質問に対するブッダの解答だが、それに対して直接解答するということではないようである。
第一の質問「多年そこにととどまるならば、清涼なるのでしょうか?」に対して直接答えてないように思われる。
第二の質問「「そのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」に対しては、炎が風で吹き消された場合を例にして答えられている。
しかし、識別作用が存在するかどうかで答えるのではなく、nmakyからの解脱について説かれています。
Nmaky(ナーマカーヤー)については、中村先生は、ナーマルーパ(名称と形態)と同じとしているが、正田先生は「名前の身体(名身)」としている。
またカーヤには集合と言う意味があるため、「名の集合」とも訳せる。識別作用の消滅に関連して、ナーマカーヤーが問題にされているから、中村先生の訳のように、ナーマルーパ(名称と形態)と同じ意味であるとしておく。
そうであるならば、ナーマルーパ(名称と形態)が消滅すれば、十二因縁の教えにあるように識(識別作用)は消滅する。その有様を、炎が風に吹き消されるように消えると答えられた。

1075
(○正田大観先生訳
〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕
「その、滅却に至った者(解脱者)ですが、あるいは、また、彼は、〔もはや〕存在しないのですか。
それとも、まさに、常恒に、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか。
牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。
まさに、この法(事象)は、あなたによって、そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。)
解脱したブッダを目の前にしてこの質問をしていることになる。名称と身体が消滅して、識(識別作用)が消滅した解脱者は存在しないのですかと尋ねている。
これは、ある人間の心がまるっきり変わってしまった場合、以前の人間は存在しているのかと尋ねた。
また別の形で質問した。解脱した方は不死の境地(涅槃)に至ると言われる。だから、解脱した方は、「それとも、まさに、常恒に、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか?」と尋ねた。
正田先生が説明されているように、無病の者とは、単に病気にならないという意味ではなく、永遠不滅の存在という意味。居ないのではなく、ずっと居るということになる。

1076
1074で、ブッダは既に解脱者の名称と身体について、火炎に例えて説かれました。その消えてしまった火炎については論じられない。滅びてしまった者には、それを論じる基準がない。
死んだらどうなるかは実際のところは分からない。死んでみれば分かるとも言えない。しかし、解脱の場合は、ああだこうだと論じられないが、自分が解脱すれば、ウパシーヴァさんの質問について、言葉でなく分かると思われる。
だから、自分が解脱をすることが一番。
(´・(ェ)・`)つ

3名無しを整える。2018/01/02(火) 18:18:10.06ID:1i8Yd2u9
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、8、学生ナンダの質問

1077 ナンダさんがたずねた、
「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか? 世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか? あるいは[簡素な]生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」

1078 (ブッダが答えた)、
「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者とは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、──かれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

1079 ナンダさんがいった、
「おおよそこれらの<道の人>・バラモンたちは、(哲学的)見解によって、また伝承の学問によっても、清浄になれるとも言います。
先生! かれらはそれにもとずいてみずから制して修行しているのですが、はたして生と老衰とを乗り越えたのでしょうか? ・・・・」

1080 師(ブッダ)は答えた、
「ナンダよ。これらの<道の人>・バラモンたちはすべて。(哲学的)見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になると説く。(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く。
たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り越えたのではない、とわたしは言う。」

1081 ナンダさんがいった、
「およそこれらの<道の人>・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。
聖者さま。もしあなたが『かれらは未だ煩悩の激流を乗り越えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り越えた人は誰なのですか?
親愛なる先生! あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」

1082 師(ブッダ)は答えた、
「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。
この世において見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々──かれらは実に『煩悩の激流を乗り越えた人々である』と、わたしは説くのである。」

(´・(ェ)・`)つ

4名無しを整える。2018/01/02(火) 19:12:12.81ID:1i8Yd2u9
>>3
1077
学生ナンダさんの「ナンダ経」。
ブッダとほぼ同時代に、インドのガンジス河中流地域のマガダ地方を中心に活躍した六人の自由思想家がいた。仏教の人々は彼らをまとめて六師外道と呼んだが、一般の人々からは聖者とも呼ばれていた。
そこで、ナンダさんはブッダに、「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか?」と質問した。
この質問をしたナンダさんの意図は、自分も修行して聖者を目指しているから。しかし、目標である聖者がいかなるものか明確でなければ、修行は完成しない。
そこで、ナンダさんはもう少し、具体的に知識を持つことで聖者になれるのか、それとも特別な生活をすることによって、聖者になれるのか、ブッダに尋ねた。特別な生活について、中村先生は注釈書に従って「簡素な生活を送る人」と訳されている。

1078
ブッダはナンダさんに、その人の哲学的見解によって聖者と言うのではありませんと説いた。またその人が伝承の学問を学んでいるから聖者と言うのではありませんと説いた。同様にその人の知識によって聖者だというのではないと言った。
このことはすでに、四章の四経の790偈で、「見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。」というように、それらによって清らかにならないという言葉によって述べられていた。
同じような趣旨の偈は、四章五経その他でも繰り返し述べられてきた。
それにたいして、ブッダは「(煩悩の魔)軍を撃破して」(中村先生訳)が聖者であるために必須の事柄であると述べておられる。
これを正田先生は「〔一切にたいし〕敵対を為さずして行じおこなう者たち」とされている。直訳としてはこちらです。
一切に敵対しない。一切に対して対立しないのである。一切に対して世俗の次元を超えた対応をされる方が聖者。智慧がなければできない。一切にたいして真の慈しみを自然にできる方が聖者なのだと説かれている。
このような方はもちろん苦悩はなく、望むこともない。

1079
1080
1079と1080、両者の前半は同じ文章であり、後半はナンダさんの疑問とそれに対するに対するブッダの解答。使われている単語はほぼ同じ。
二つの偈を要約すると次の通りです。
1079
「見解や伝承等によって清浄になれると言う沙門やバラモン達は、生と老いを乗り越えたのですか?」とナンダさんは尋ねた。
1080
「見解や伝承等によって清浄になれると言う沙門やバラモン達は、生と老いを乗り越えていない。」とブッダは答えた。
ということ。文章は長いが、内容は単純。
(´・(ェ)・`)つ

5名無しを整える。2018/01/02(火) 19:14:48.59ID:1i8Yd2u9
>>3
1081
「見解によって、また伝承の学問によっても、戒律や誓いを守ることによっても、他の種々のしかたで清浄になれないと言うのならば、神々と人間の世界のうちで誰が生と老衰を乗り越えた人ですか?」というナンダの質問。

同様な質問は、ティッサ・メッティヤ経にもプンナカ経にもあった。当時の修行者は、現代の修行者もそうだが、何等かの修行方法によって生と老衰を乗り超えることができると考えている。すなわち解脱できると思っている。
ブッダの言葉を注意深く読めばそうではないことが解る。その点は分かり難いところである。

ダンマパダの271、272参参照
戒や禁戒によって
或はまた博識によって
或は時に禅定を得ることによって
或は離れて臥すことによっても、(安心は)ない(271)
凡夫の知らない
離欲の安楽に達する(ことでも)
比丘よ、煩悩の滅尽を得ていない者は
安心するなかれ(272)

1082
ブッダは次のように説かれました。「すべての沙門達やバラモン達が、煩悩の激流を渡っていないわけではない。
見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れにたくなった人は煩悩の激流を渡ったひとです。」と。
では、何故「見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて」とブッダは述べられたのか。そして「妄執をよく究め明かして、心に汚れにたくなった人」と説かれたのか。
多くの修行者は、いろいろな方法で煩悩をなくすと思っているのですのに、何故このようにブッダは述べられるのか。
この問題を考えるために、ダンマパダの五番参照。
「実にこの世においては、
怨みに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。
これは永遠に真理である。」(ダンマパダ5番、中村先生訳)
どのようにして、怨みを捨てるのか?。怨みを持っているのは自分自身だから、自分で捨てればいいだけなのである。戒律を守れば、あるいは、瞑想をすれば怨みを捨てられるのではない。そのことに気付けば捨てられる。
ただ、ただ自分の煩悩をすべて捨てるためには、自分の煩悩に気付かなければできない。そこで「妄執をよく究め明らかにする必要がある。そしてすべての煩悩を捨てる。

1083
ナンダさんはゴータマ・ブッダの言葉を聞いて喜んだ。彼は煩悩の激流を渡るのは、哲学的な見解や伝承の学問や戒律や誓いやその他の方法でないことが解った。妄執を究めて、心の汚れを取ることだとわかった。
そこで、彼はブッダの言葉を繰り返して喜んだ。

(´・(ェ)・`)つ

6名無しを整える。2018/01/02(火) 19:20:01.88ID:1i8Yd2u9
>>3

補)
1083
「偉大な仙人のことばを聞いて、私は歓喜します。
ゴータマ(ブッダ)さま。再生の要素のない境地がみごとに説き明かされました。
この世において(哲学的)見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨てて、
また種々のしかたをすっかり捨てて、
妄執をよく極め明かして、心の汚れのない人々、――
かれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたくしもまた説くのであります。

(´・(ェ)・`)つ

7鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/02(火) 22:16:45.30ID:1tNAioMJ
妄執も観察して見極めたのじゃ。
観察しなければ心の穢れもなくならないのじゃ。

8名無しを整える。2018/01/03(水) 16:08:36.21ID:AKq1wstv
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、9、学生ヘ−マカの質問

1084 ヘーマカさんがたずねた、
「かってゴータマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来はこうなるであろう』といってわたしに説き明かしたことは、すべて伝え聞くにすぎません。
それはすべて思索の紛糺(ふんきゅう)を増すのみ。わたしはかれらの説を喜びませんでした。

1085 聖者さま。あなたは、妄執を減しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えましょう。」

1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り越えているのである」と。

ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、10、学生トーデイヤの質問

1088 トーデイヤさんがたずねた、
「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、──かれらはどのような解脱をもとめたらよいのですか?」

1089 師(ブッダ)は答えた、
トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、──かれには別に解脱は存在しない。」

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?  あるいは何かを希望しているのでしょうか? かれは智慧があるのでしょうか? あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?
ャカ族の方よ。かれは聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方よ。」

1091 [師いわく]、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。
トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何も所有せず、欲望の生存に執著していない。」

ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、11、学生カッパの質問

1092 カッパさんがたずねた、
「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(避難所、よりどころ)を説いてください。
あなたは、この(苦しみ)がまたと起こらないような洲(避難所)をわたしに示してください。親しい方よ。」

1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のたの洲(避難所)を、わたしは、そなたに説くであろう。

1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

1095 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、悪魔に伏せられない。かれらは悪魔の従者とはならない。」

(´・(ェ)・`)つ

9名無しを整える。2018/01/03(水) 16:24:32.49ID:AKq1wstv
>>8
1084
ヘーマカ学生の問い。
「ゴータマ・ブッダ様の教えに接する以前は、『昔はこうだった』とか『今後はこうなるだろう』とすべて憶測の教えでした。」と。憶測では、真実かどうか分からないため、私はそれら教えに満足できませんでしたと、彼は心情を吐露した。
そして、憶測のでない、真実の答えを求める。

1085
ヘーマカさんはブッダに会う前からいろいろ修行をしていた。その際、それらの修行の指導者や先輩から、種々のアドバイを受けていた。
しかし、それらのアドバイスは聞き伝えられたことや、単なる憶測によるものだった。そのため、彼らの言葉に満足できないでいた。
ヘーマカさんが自分で修行して得た結論は、欲しという気持ち(渇愛、妄執)を根絶すれば、心は動揺することなく、落ち着くだろうということだった。
そのため彼はブッダに「聖者さま。あなたは、妄執を減しつくす法をわたくしにお説きください。」とお願いした。
そして、「それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えましょう。」と決意を述べた。
「よく気をつけて」とは、気づきを絶やさず、不放逸を実践すること。
単に同じことを繰り返すのではなく、どんな一瞬も新しい瞬間であることを自覚して、その時の自分自身に注意を向けること。そして周りからのメッセージにも気づいていること。

1086
今回の偈で、ブッダは仏教の核心を説くことになる。
欲しという気持ち(渇愛、妄執)を根絶すれば固執が根絶され、固執が根絶されれば有が根絶され、有が根絶されれば生が根絶され、生が根絶されば老死が根絶され、老死が根絶されれば苦が根絶されるから。
ブッダは次のように説かれた。「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることです。」
すなわち、美しいものを見た時に欲しい自分のものにしたいと思わないこと、好ましい音を聞いた時にもっと聞きたいなと思わないこと、素晴らしいと考えたことを自分のものと思わないこと、これらに気をつければ、渇愛(妄執)を根絶できる。
しかし、これはなかなか難しいこと。自分にとって好ましいもの、愛しいものが自分の苦しませる要因であることをよく理解しなければできない。
自分にとって好ましいもの、愛しいものも無常だから、何時までも同じ状態ではない。必ず、変化して、壊れ、消滅するの。そのために、人々は苦しむ。
だから、好ましいもの愛しいものは、悪魔が私達に仕掛けた罠のようなものだと考えた方がよい。例えば麻薬はそれがどんなに甘味なものかもしれないが、それを使用したら廃人になってしまうことを知って、それらを使用しないようなもの。
そのことを知って、快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが出来れば、解脱して、不滅の涅槃の境地を体得できる。そのようにブッダは説かれた。

1087
「このこと」とは、1086の「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。」のこと。
このことをよく知って、よく気をつけている人々は、現世において解脱して、涅槃に達するとブッダは説かれた。これらの人々は常に静寂な者であり、世間の執著はない。

1088
トーデイヤ学生の経。彼は、既に何人かの学生とブッダの問答を聞いたから、解脱についていろいろ知識を得た。しかし、解脱や涅槃については知識だけでは理解できない。
そこで、自分が知った知識、すなわち「諸々の欲望をなくし、諸々の渇愛(妄執)をなくし、諸々の疑惑(迷い)をなくすこと」以外に、さらにどのようなこと(修行など)が必要なのかブッダに尋ねた。
(´・(ェ)・`)つ

10名無しを整える。2018/01/03(水) 16:43:44.03ID:AKq1wstv
>>8
1089
「別に解脱は存在しない。」の意味は「別の解脱は存在しない。」ということ。つまり解脱は同じものであり、一つであるということ。ただ、心解脱とか慧解脱とかという言葉があるが、ここでは最終的な解脱を一つであるということ。

1090
トーデイヤさんは、ブッダに「別の解脱は存在しない。」と説かれた。
トーデイヤさんは自分の持っている解脱のイメージが壊れたのだと思われる。そこで改めてブッダに聖者について尋ねた。
別の経典では、預流(道)果、一来(道)果、不還(道)果、阿羅漢(道)果の境地に達した八種類の人々を聖者と述べられていますが、ここでは最終段階の境地に達した阿羅漢について述べていることにしておく。
彼(聖者)は願いごとがない人なのでしょうかと尋ねた。正田先生の訳では「依存なき者ですか」としていますが、Nirsasoをそのように訳したから。あるいは何かを希望しているのでしょうかと尋ねる。
さらに、聖者には智慧があるのか、智慧を得て何か意図しているのかと尋ねた。トーデイヤさんは少し混乱したのか。

1091
混乱したトーデッヤさんに対して、ブッダは聖者は次のような方であるとはっきり述べらた。
聖者は願いのない人である(依存なき者です)。
聖者はなにものをも希望していない(願い求める者ではない)。
聖者は智慧のある人である(知慧ある者である)。
聖者は智慧を得ようとはからいをする人ではない(知慧によって想い描く者ではない)。
そして、聖者は何も所有せず、欲望の生存に執著していない(無一物で、欲望〔の対象〕と〔迷いの〕生存にたいする執着なき者)。

(´・(ェ)・`)つ

11名無しを整える。2018/01/03(水) 16:44:37.96ID:AKq1wstv
>>8
1092
「カッパ経(カッパ学生の問い)」。ブッダに人生を河の流れに例えて質問した。
この流れは、一人の一生という意味でも、もっと長期の流れとして輪廻の流れと取ってもよい。
いろいろな出来事があり楽しいこともあるが、辛いこと、悲しいこと、苦しいこともある。そのような中で激流とは親しい人の死や、自分が大病をして死を目前にする悲しみや恐怖。そのような時、どうしたらよいのかブッタに尋ねた。

1093
1094
ブッダの解答は急に難しくなった。「カッパ経」だけを読んだのでは意味は分からないと思われるが、第5章を始めから読んでおられる方はなるほどと思われるであろう。
「無所有と無執著が洲(避難所)だ」がカッパさんへの解答。そして「その他に洲はなく、これが涅槃というものだ。そしてそれがプンナカ学生等の質問にもあった老いと死を滅尽し、克服することであることが述べられた。
無所有(いかなる所有もなく=無一物にして)は、実際に何も持っていないという意味ではなく、所有しているものが自分のものという意識がないという意味。自分自身も自分のものでなく、借りものだという意識でいること。
何故それが必要かと言えば、次の無執著につながる。すべて自分のものでなければ、すべてに執著することにならない。何ものにも束縛されることがない。完全に解放されていて自由。それを涅槃と言う。
そこには老いも死もない。だから、老いと死の滅尽なのである。

1095
「このことをよく知って」とは、「無所有と無執著は洲(避難所)であることをよく知って」ということ。
そのことによく気をつけて実践する人は、この世で、つまり死ぬ前に、全く煩いを離れた(涅槃に到達した)者となるとブッダは述べておられる。
そのような人々は、悪魔に負けない。悪魔の奴隷にならない。悪魔とは欲望の支配者ということだから、そのような人々は欲望に負けない。欲望の奴隷にならないということ。

(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚、あけおめことよろであります。

12名無しを整える。2018/01/04(木) 11:22:30.60ID:Qm/RdGtn
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、12、学生ジャトゥカンニンの質問

1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、
「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り越えた人(ブッダ)に<欲のないこと>をおたずねしようとして、ここに来ました。
安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼のある方よ。先生! それを、あるがままに、わたくしに説いてしださい。

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克つようなものです。智慧ゆたかな方よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。
それをわたしは知りたいのです、──この世において生と老衰とを捨て去ることを。」

1098 師(ブッダ)は答えた、
「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪りを制せよ。──出離を安穏であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたに存在してはならない。

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、13、学生バドラーヴダの質問

1101 バドラーヴダさんがたずねた、
「執著の住所をすて、妄執を断ち、悩み動揺することがなく、歓喜をすて、激流を乗り越え、すでに解脱し、はからいをすてた賢明な(あなた)に切にお願いします。

1102 健き人よ。あなたのおことばを聞こうと希望して、多数の人々が諸地方から集まってきましたが、竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。
かれらのために善く説明してやってください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのですから。」

1103 師(ブッダ)は答えた、
「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執著しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る。

1104 それ故に、修行者は明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものおも執してはならない。──死の領域に愛著を感じているこの人々を<取る執著ある人々>であると観て。

(´・(ェ)・`)つ

13名無しを整える。2018/01/04(木) 11:28:45.49ID:Qm/RdGtn
>>12
1096
ジャトゥカンニン学生。
「<欲のないこと>をおたずねしようとして、ここに来ました。」とブッダに述べたす。彼はそれが安らぎの境地(=寂静の境地)につながることを確信していた。
ブッダを欲望を求めない勇者として、安らぎの境地を尋ねた。

1097
欲望を制した方として、生と老いを捨て去ることを尋ねた。彼は欲望を制することによって、生と老いを捨てることができると考えている。
このことは逆に考えれば理解できると思われる。すなわち、生と老いを捨て去った人には、特に望むことはないのだろうと予想できるということ。
ここで少し注目することは、太陽の光が大地を光によって克服するように、欲望を乾燥させるような方法をイメージしていること。
中村先生の「ブッダのことば」の注によれば、「ウパニシャッドでも同様に言う」と書かれているが、これは伝聞による知識。だからブッダに質問した。

1098
先ず欲望の対応方法が示される。欲望をなくすというよりは欲望に対する貪りを問題にされている。とりあえず欲望があっても問題ない。しかし、欲望に執着することが問題。だから、欲望に対する貪りを制せよと説かれる。
ここで欲望を持ってはいけないと思うのではなく、その欲望に執着しなければ、その欲望を持つ自分を観察することが出来る。この自分はその欲望を持たないでいることもできる。この自分はこのよくから離れれば、安穏で居られる。
Nekkhammaの訳である出離は出家という意味もあるが、ここでは欲から離れること。
この偈で終わりにジャトゥカンニンさんに、ブッダは執着して取り上げるものも、嫌って捨て去るものもあってはならないと無執著の態度が説かれる。

1099
1098のの後半「取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたに存在してはならない。」を過去、未来、現在に分けて説かれている。
過去にあったもの、悩みや苦しみやトラウマと言われるものも、もう済んて今はないものとして、記憶にあっても執着しないこと。未来に対する心配や恐怖は杞憂であると理解して、また期待や願望は捨て去ること。
そして今の事柄に注力すること。しかし、今の事柄さえ、それは無常であり、必ず変化するものであるから、それに執著しないようにと述べられ。そうすれは、寂静の人になるだろうと、すなわち涅槃の境地を体得すると説かれた。

1100
中村先生訳の始めの言葉「バラモンよ」とはジャントィカンニンさんにたいする呼びかけ。そして「名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。」という言葉はこの偈とこの経の眼目。
名称と形態はパーリ語のナーマとルーパの訳だが、名称とは心を意味している。思いや考えのこと。そして、形態は身体や物質を意味している。だから、思いや考えや身体や物質に対する貪りを全く離れた人には、煩悩がない。
つまり欲や怒りや無智がなく、悩み苦しむことがないと説かれている。
正田先生の訳にあるように、名称と形態は心(精神的なもの)と物質だから現象世界と言うことが出来る。現象世界は無限にあり、どの現象を取り上げて、いろいろ思うのは個人個人。
悲観的な人は悲観的な現象を取り上げて思い悩む。また楽天的な人は楽天的な現象を取り上げて喜ぶ。だから現象世界は個人個人が作っているとも言える。
現象世界はその人の関心のある一部に向けられている。
どんな現象世界に対しても、自分が選択した現象世界だが、ただ反応するのではなく、その現象を選択した(作った)のは自分なのだと自覚して、現象に執着しないで、それを選んだ(作った)自分に関心を向けるべし。
どんな場合でも自分が問題なのである。この自分は外の現象を選ぶことができる。他の現象を選べば現象世界は変わる。それにより心は騒がしくも静かにもなる。すべての現象世界への貪りを離れれば、すべての煩悩がなくなる。
(´・(ェ)・`)つ

14名無しを整える。2018/01/04(木) 11:29:21.00ID:Qm/RdGtn
>>12

1101
「バドラーヴダ経」、中村先生訳と正田先生の訳の最後の部分が異なる。これはそれぞれの先生の訳されたパーリ語の原文が異なるから。正田先生訳の最後の部分は中村先生訳では次の偈、即ち1102番の始めの行になっているから。
「執著の住所をすて」とは、原文の直訳では「家を捨て」。この場合の家とは執著の象徴。ここでは狭い意味での「出家」ではないと思われる。
「妄執を断ち」は、色・声・香・味・触・法への六種の渇愛を断ちと注釈書には解説されている。
「悩み動揺することがなく」は世間法(@利、A不利、B名誉、C不名誉、D非難、E称賛、F楽、G苦)に対して動揺しないということ。
「歓喜をすて」とは、歓喜はやはり興奮状態のこと。寂静の状態の者には歓喜はふさわしくない。また歓喜は既に述べたように、輪廻の支配者たる悪魔の罠。しかし、凡夫にとっては受け入れ難い項目。
「激流を乗り越え」は、煩悩の激流を乗り超えたという意味。
「はからいをすてた」は、中村先生訳「ブッダのことば」の注には「多くの学者は『時間を捨て』と解するが、どうもそぐわないように思われる。」と記されている、注釈書には「(渇愛・見解)という」二類のはからいを捨てた。」と記されている。
「思考でなく智慧で」という意味だと思われる。
この偈全体の意味は、以上のようなブッダに切にお願いしますということになる。

1102
中村先生訳の「竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。」は正田先生訳では次のように述べられていた。「龍(ブッダ)の〔言葉を〕聞いて、〔ここに集いあつまった者たちは、満足して〕ここから立ち去るでありましょう。」
正田先生のように「満足して」という言葉を補って訳した方が分かりやすいところ。
「多数の人々」は、バーヴァリ・バラモンの16人の高弟がそれぞれ1000人ほどの弟子を連れていたので、「多数の人々」とはほぼ16000人の人々ということ。
そして、バドラーヴダ学生のブッダへのお願いとは、正田先生の訳では、「彼らのために、どうか、〔真実の法を〕説き示してくださ。」ということになる。

1103
バドラーヴダ学生の願いに応じて、ブッダは真理の言葉を述べることになる。
ブッダは「執著する妄執(渇愛)をすっかり除き去れ」と説かれる。「執著する妄執(渇愛)」とは何か? 執着しているものを自分のものにしたいという思いだと思われる。
そのことを「上にも下にも横にでも中間にでも」という言葉で検証してみる。
上とは、天界。死後は天界に生まれ変わるという思い、下とは、死後に地獄に行きたくないという思い、そして、横とは、この世のこと、この世で安楽な暮らしをしたいという思いだろうと思われる。
では中間とは何か。中間とは、上と下と横の中間とは、自分自身。自分自身に対する執着。これが一番強い。これらの執着をすべて捨て去れとブッダは説かれた。
その理由は次の言葉。「それによって悪魔が人につきまとうに至る。」から。何故それがいけないのか。悪魔は欲界(輪廻の世界)の支配者だから、悪魔に付きまとわれると輪廻の世界から解脱出来ないから。
悪魔は我々に、甘い罠をいろいろ仕掛け、修行が出来ないように、解脱出来ないようにするから。

1104
「死の領域」という言葉。
悪魔の支配領域と考えていい。死が存在するのは欲界、輪廻の世界。<取る執著ある人々>は「死の領域」に居るということになる。取る執著のない人は輪廻の世界から解脱するから、死はない。だから一切の執著を捨てなさいと言うことになる。
それはいろいろ想像してもこの世の情報を材料にして考えても分からない世界。ブッダの説かれるようにすべての執著を捨てた時、体験できる。
(´・(ェ)・`)つ

15鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/04(木) 21:41:44.15ID:/1u9RsJL
>>11 あけおめことよろなのじゃ。

16名無しを整える。2018/01/05(金) 10:39:15.49ID:vlxSJGZ8
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、14、学生ウダヤの質問

1105 ウダヤさんがたずねた、
「瞑想に入って坐し、塵垢を離れ、為すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明を破ること、正しい理解による解脱、を説いてください。」

1106 師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、

1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」

1108 「世人は何によって束縛されているのですか? 世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

1110 「どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのですか? それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである。」
(´・(ェ)・`)つ

17名無しを整える。2018/01/05(金) 11:11:30.63ID:vlxSJGZ8
>>16
1105
ウダヤ経。ウダヤ学生は注釈書によると、第四禅定を得ていたと記されている。
ウダヤさんの問いをこの経では三回に分けて質問。今回の問いは「無明を破ること、正しい理解による解脱」について。この表現では「無明を破ること」と「正しい理解による解脱」は同じことなのか、別のことかよく分からない。
ウダヤさんはどのように考えていたのか。正田先生の訳でも「了知による解脱を、無明の破壊を、〔わたしに〕説いてください。」となっているので、その点についてはよく分からない。

1106
ブッダは無明と解脱を説く前に、先ず愛欲について説かれた。仏教用語で愛欲とは対象に強く執着すること。人間の心は愛欲によって盲目になる。これによって事実を正しく見ることが出来ない。
また心の苦しみである憂いについて述べた。これにより人間はエネルギーが失われ、活力がなくなる。だから無明を破るためには、愛欲を捨て、憂いを捨てることが大切。
更に、仏教用語で沈(こんちん)と言われる言葉がある。この意味は心が沈んで、委縮した状態。これを排除するように説かれた。
また後悔もしないように述べられた。世間では反省は必要なことと思われているが、注意しなければならないことは、反省と称して後悔している場合が多い。
過去のことは終わったことで、どうすることもできない。必要な反省はさっさと行い、後悔をしないこと。後悔をすればするほど心は汚れ、暗くなる。これらは無明を破る前提。

1107
愛欲と憂いと落ち込みと後悔、これらのものが消えたとき、心は平静で思いは清浄になる。このときの状態をブッダは第四禅定と名付けた。
この偈ではこれを「それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが(中村先生訳)」と訳されている。しかし、これは言葉の限界で事実をありのままに伝えられていないと思われる。
まず、思索という言葉だが、これは広辞苑によると「物事をすじみちを立てて深く考え進むこと」と記されている。考えことは概念によるものであり、概念に拘束されるから、ありのままに見ることはできない。
あえて訳せば「それは物事を正しく観する察ことによって起こるものであるが」ということになると思われる。
以上をまとめて言えば、「愛欲と憂いと落ち込みと後悔、これらのものが消えたとき、物事を正しく観察することによって、無明が破られる。これが正しい理解による解脱と、私は説く。」ということになる。
ウダヤさんは第四禅定を得ていたから、ブッダのことばを了解したのだと思われる。

1108
ウダヤさんは更に三つの質問をした。
1.世人は何によって束縛されているのか?
ここで束縛と訳された言葉はsayojanoだが、辞書には「縛、結縛、束縛、軛(くびき)」等が記されている。軛は牛馬の後頸にかける横木だが、比喩的に自由を束縛するものとして使われる。
つまり、人々は何によって自由を束縛されているのかということ。
2.世人をあれこれ行動させるものは何か?
この問の訳は1の問いと無関係な問いとして訳されているように取れるが、1の束縛を機能させるものは何かと訳すこともできる。

3.何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのか?
この三つの問いの目的は三番目にあると思われるから、1.2.3.の質問は関連したものとして理解した方がよいと思われる。
(´・(ェ)・`)つ

18名無しを整える。2018/01/05(金) 11:44:26.47ID:vlxSJGZ8
>>16
1109
ブッダのウダヤさんの質問に対する解答。
1.世人は歓喜に束縛されている。
バドラーヴダ経参照。(1101番>>12>>14)
2.思わくが世人をあれこれ行動させるものである。(中村先生訳) 
思考が、それにとっての彷徨となります。(正田先生訳)
中村先生訳であれば、この解答は1の歓喜とは関係ないが、正田先生訳であれば歓喜(愉悦)にとっての彷徨(うろつくこと)になる。意味は分かり難いが。
思考(妄想)が歓喜の原因となっているとも理解できる。
3.妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。(中村先生訳)
渇愛を捨棄することで、『涅槃』と呼ばれます。(正田先生訳)
歓喜を求めることが妄執(渇愛)だから、妄執(渇愛)を断ずること(捨棄すること)とは歓喜を捨てること。歓喜を捨てることは束縛を捨てること。束縛を捨てることは自由になることであり、安らぎ(涅槃)あると呼ばれる。

1110
ウダヤさんの三回目(最後)の質問。
・どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのか?(中村先生訳)
・どのようにして、〔あるがままに〕行じおこなう、気づきある者の、識知〔作用〕(識:認識作用一般・自己と他者を識別する働き)は止滅するのか。(正田先生訳)

十二因縁の教えによれば、無明などの十二の項目のどれか一つが滅すれば、すべて苦の滅があり、それは解脱です。そのために、ウダヤさんは最後に識(識別作用)はどのようにして滅することができるのかブッダに尋ねた。

識(識別作用)とは、心の本質のようなものだから、識別作用の滅とは心を滅するという意味になる。
そのことは想像できない。自己と他者を識別する働きと取れば、自他無二、自己と他者は一体であると感じることであろか。

1111
この経の最後の偈で一番大切。
無明などの十二の項目のどれか一つが滅すれば、すべて苦は滅するのだから、どれか一つを滅すればよい。
しかし、ブッダはウダヤ学生に識別作用を止滅させることを説かれた。それはウダヤさんにそれが一番適切であると思われたからだと思われるが、それは現代の多くの人々にも適切なのだろうと思われる。
この偈をよく読むと三段階になっている。第一段階は修行の目標。それは識別作用を止滅させること。
第二段階は、そのために感覚的感受を喜ばないこと。感覚的感受とは、苦と楽と不苦不楽と説かれているから、直接的には楽を喜ばないことが必要。それをどのようにするのか? 
その方法が第三段階。すなわちそれは「よく気をつけて行っている」ことが必要。それがヴィパッサナー瞑想。楽と感じる感覚的感受をよく気をつけていること(念:サティ)によって抑えられる。
そのようにして感覚的感受を喜ばないことができる。尚、よく気をつけていること(念:サティ)については、第5章の一番始めの経であるアジタ経参照。(1035 >>300>>302)
感覚的感受を喜ばなければ、感受作用が止滅する。(感受作用の止滅とは感覚がなくなるのではなく、苦、楽、不苦不楽と感じるのではなく、ただ感じていることとと思われる。)
そうすれば渇愛は起こることはなく、解脱するということになるが、その時、識別作用は止滅している。
「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人」の「内面的」とは苦、楽、不苦不楽のことであり、「外面的」には色、声、香、味、身、法を指しているのだろうと思われる。
(´・(ェ)・`)つ

19名無しを整える。2018/01/05(金) 12:25:58.27ID:vlxSJGZ8
>>18
訂正
1111 (念:サティ)については、第5章の一番始めの経であるアジタ経参照。(1035 >>300>>302)

http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/

20名無しを整える。2018/01/05(金) 12:45:17.90ID:vlxSJGZ8
>>19
再訂正

正しいレス番に飛ばないようであります。
>>302まで遡る。
1035、念:サティについての解説あり。
(´・(ェ)・`)つ

21鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/05(金) 22:09:40.98ID:jPsrPYvP
どれか一つだけではいかんのじゃ。
無明がなくならない限り苦はなくならないのじゃ。
あるがままに観察して滅するのじゃ。

22名無しを整える。2018/01/05(金) 22:41:12.65ID:vlxSJGZ8
>>21
実は、元ブログの原文でも混乱のあったヵ所であります。


<1110>の貴コメントの中に、
「十二因縁の教えによれば、識(識別作用)が滅すれば、行(形成作用)が滅し、行が滅すれば無明が滅するのです。」とのご説明がありました。
しかし、このご説明は、伝統的な十二縁起の滅観の一般的理解とは縁起の論理が逆転しているように読めます。
伝統的な十二縁起の滅観においては、
無明が滅することに縁って(無明が滅すれば)行が滅する。
行が滅することに縁って(行が滅すれば)識が滅する。
識が滅することに縁って(識が滅すれば)名色が滅する。
・・・・・
とされています。

という読者からの指摘に対して、

確かに、「十二因縁の教えによれば、識(識別作用)が滅すれば、行(形成作用)が滅し、行が滅すれば無明が滅するのです。」の説明は正しくはありません。ですから次のように訂正します。
「十二因縁の教えによれば、無明などの十二の項目のどれか一つが滅すれば、すべて苦の滅があり、それは解脱です。」
よくわからなかったので、訂正された文章をはめ込みました。

ご指摘ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

23名無しを整える。2018/01/06(土) 10:32:20.72ID:FRZfFb+Y
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、15、学生ポーサーラの質問

1112 ポーサーラさんがたずねた、
「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。

1113 「物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、内にも外にも『なにものにも存在しない』と観ずる人の智を、わたしはおたずねするのです。シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」

1114 師(ブッダ)は答えた、
「ポーサーラよ。すべての<識別作用の住するありさま>を知りつくした全き人(如来)は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱していて、そこをよりどころとしていると知る。

1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとうりであると知って、それから(出て)それについてしずかに観ずる。安立したそのバラモンは、この<ありさまに知る智>が存する。」


ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、16、学生モーガラージャの質問

1116 モーガラージャさんがたずねた、
「わたくしはかってシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』と、わたくしは聞いております。
1117 この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天の世界の者どもも、誉れあるあなたゴータマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。

1118 このように絶妙な見者におたずねしょうとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」

1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」

(´・(ェ)・`)つ

24名無しを整える。2018/01/06(土) 10:38:51.52ID:FRZfFb+Y
>>23
1112
ポーサーラ学生が問うという経。
質問の前に彼はブッダを「過去のことがらを説示し」と賞讃。これは人々の過去生を見ることができると評価している。
「悩み動揺することなく」、人々はすべていつも悩み動揺しているから、動揺しないことは称賛すべきこと。
「疑惑を断ち」、これも普通の人間はできないこと。人々はいつも疑惑の中にいて、確信することがない。
「一切の事物を究めつくした(師)に」の「一切の事物」とは「一切の事物の本質と法則=真理」と理解した方が分かりやすい。
真理は一つだから、この一つを究めた人は一切を究めた方なのである。一方、学問は一切の事物の本質を究めることなく、現象を研究しているから、究め尽くすことが出来ない。

1113
ポーサーラ学生の質問の内容はかなり難しい。先ず、「物質的なかたちの想いを離れ」(中村先生訳)はどのような意味なのか?
この意味は分かり難いので、正田先生は、「実体を離れた形態の表象ある者」と訳され、次のような解説をされた。
(妄想によって固定され実体化された形相を捨象し、認識対象をあるがままに表象する者)、これはよく読んで考えれば意味は分かるが、原文のVibhtarpasaissa
はそのような意味なのか?
そして「身体をすっかり捨て去り」を文字通りにとれば、肉体を捨てるとは死んだ時だが、この偈で意味していることはまだ死ぬ前の人について述べているのだから、その意味ではないと思われる。ではどのような意味か?
「物質的なかたちの想いを離れ」と「身体をすっかり捨て去り」とを合わせて、既に何度か述べられた「名称と形態の消滅」を意味しているのではないか。
そのような意味であるならば、そのような人は、「私(個人)という想いのない人(無我の人)」なのではないか。このような人は解脱している。
そのような人は「内にも外にも『なにものにも存在しない』と観ずる人」だが、ここで少し注意しなければならないことがある。
それは無色界の禅定に「無所有処定」(何もないことを認識している境地)というレベルがあるが、このレベルはまだ涅槃の境地ではないから、まだ上を目指さなければならない。
しかし、ここは解脱した人の「なにものにも存在しない」ということだと思うから、同じ表現だが、内容は異なる。
そしてポーサーラ学生の質問は、解脱した人が更に導かれることが必要ですかということで、更にどのような修行が必要ですかとブッダに尋ねていることになると思われる。

(´・(ェ)・`)つ

25名無しを整える。2018/01/06(土) 10:50:01.91ID:FRZfFb+Y
>>23
1114
修行完成者のあり方が述べられている。それは解脱して如来になられた方だから、更に修行をする必要はない。
そのような方は、すべての<識別作用の住するありさま>を知りつくした全き人。
<識別作用の住するありさま>の意味は、中村先生訳「ブッダのことば」の注によれば、
四識住(色、受、識、行)と七識住(@、人間、天の一部、四悪趣の一部、A初生の梵衆天、B光音天、C浄天、D空無辺処天、E識無辺処天、F無所有処天)の二つがあげられていると記されている。
<識別作用の住するありさま>とは、簡単に言えば「心のありさま」。アビダンマでは心を欲界心54種、色界心15種、無色界心12種、出世間心8種、合計89種の心について述べられている。如来はそれらすべてを知り尽くしている。
そして、「かれの存在するありさまを知っている」の意味は、それらの心にある人の状態をして知りつくしたということ。
「かれは解脱していて、そこをよりどころとしていると知る。」の「よりどころ」のパーリ語はparyaaですが、それには究極、行き着く所と意味があり、彼は究極、行き着く所を知っていて、そこに行き着いたということ。
この偈で如来という言葉が使われているということは、そのように来た人、或はそのように行き着いた人の意味。
この偈は修行完成者、如来について述べられている。如来は更に修行する必要はない。

1115
今回の偈も難しいので一応解説するが、間違っているかもしれない。これを参考意見として読み、自分で探究すべし。
ポーサーラ学生は1113偈で「内にも外にも「なにものも存在しない」と観ずる人の智を」ブッダに尋ねたが、その時の「なにものも存在しない」は「物質的なかたちの想いを離れ、身体を捨て去り」という条件が付いていた。
しかし、今回の1115偈の始めの言葉「無所有」はパーリ語kicaaだが、無色界の禅定である無所有処の境地を意味している。これではまだ如来(ブッダ)の境地ではない。
そこで、修行者はこの無所有処の境地を静かに観察する。そうするとその境地のもとに喜びがあることを知る。すなわち自分はこの境地を喜んでいることを知る。そして「この喜びが束縛である」と言う智慧が現れる。
この智慧の現れたバラモン(修行者)には、「ありのままに知る智」が現れ、修行が完成する。
無所有の境地は、このポーサーラ学生達の師匠であるバーヴァリ・バラモンもこの境地を願って南国に向った(976偈)のように、当時の修行者達の目指すべき目標だった。
しかし、単に「何ものも存在しない」という境地だけであるならば、それが最高の境地であるか分からない。前偈1114偈の学んだように、心のありさまを知り尽くすことが必要。

(´・(ェ)・`)つ
1114の<識別作用の住するありさま>の意味の解説は、全く理解できないくまである。

26名無しを整える。2018/01/06(土) 10:57:16.61ID:FRZfFb+Y
>>23
1116
15番目の質問者モーガラージャ、(モーガラージャン)
実はモーガラージャ学生は、始めの質問者アジタ学生の次にブッダに質問した。しかし、ブッダは彼の質問に答えなかった。注釈書には「彼の機根が熟すのを待つために答えなかった」と記されている。
アジタ学生の質問の流れから外れるために、ブッダは彼の質問を飛ばして、次のティサ・メテイヤ学生の質問に答えたようにも思える。
更に、彼はティサ・メテイヤ学生の質問の後にもう一度ブッダに同じ質問をした。その時もブッダは彼の質問に答えなかった。
彼の質問にブッダは答えたくなかったのだと思われる。彼の質問は直接答えを教えて下さいというようなものだったからと思われる。
ブッダは、答えを導く方法を教えるが、問題を解くのは自分で行いなさいという意図があるように思われる。
しかし、モーガラージャ学生が述べているように、ブッダは三度同じ質問をされればその質問に答える。そこでついに今回、モーガラージャ学生の三度目の質問に答えることになった。

1117
まだモーガラージャさんの質問には入らない。彼は質問の前にゴータマ・ブッダ様の見解をこの世の人々もあの世の人々も神々も梵天も自分を含むすべての生命は知らないと述べる。
これはブッダが一切知者であり、ブッダには世間の智でない、出世間の智があることを称賛している。

1118
やっと、モーガラージャさんの質問の内容が明らかになった。「どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」これがモーガラージャさんの質問。この質問の「死王は見ることがない」と同様の表現はダンマパダ170にある。
「世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。
世の中をこのように観ずる人は、死王もかれをみることがない。」(中村先生訳ダンマパダ170)
死王が見ることの出来ない人はどのような人なのか。死王は悪魔の別名。悪魔は欲界の支配者、欲のある生命を見て支配することができる。しかし、欲のない生命は見ることが出来ない。
モーガラージャさんの質問の内容は、完全に欲をなくした人の境地をブッダに尋ねている。完全に欲をなくした人とは貪欲(欲界の欲)、色貪(色界の欲)、無色貪(無色界の欲)などのすべての欲をなくした解脱した人。
つまり解脱した人の境地(涅槃)について尋ねている。
モーガラージャさんは巧妙にブッダに涅槃について尋ねた。ブッダは涅槃を言葉で表現できないということもあるが、それは自分で修行して体得すべきことだと考えておられたから、彼の質問には答えなかったのだと思われる。
しかし、三度尋ねられたからということもあるが、16人の質問者の15番目になりましたから、質問に答えることにした。

(´・(ェ)・`)つ

27名無しを整える。2018/01/06(土) 11:06:44.58ID:FRZfFb+Y
>>23
1119
いよいよ、モーガラージャさんの質問に対する答え。
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」これがその答え。
答えの中心は、「世界を空と観ずる人を<死の王>は見ることはない。」ということになる。では「世界は空である」とはどういうことか分からなければ、この偈の意味は分からない。後にこの「空」は大乗仏教で空の哲学として究明することになる。
しかし、ここではパーリ経典相応部第四巻第2部4章第2節の「空経」を参考にして考えてみる。アーナンダ尊者のブッダへの質問の始めの部分を引用。以下の世間という言葉はパーリ語ではローカで世界と同じ言葉。
「尊い方よ、『世間は空である、世間は空である』といわれていますが、いったいどの点から、『世間は空である』といわれるのですか」と。
「アーナンダよ、実に我について空であり、我に属するものについて空であるから、それゆえに、世間は空といわれる。アーナンダよ、我について空であり、我に属するものについて空である、とは何であるか。
アーナンダよ、実に、眼は我について空であり、我に属するものについて空である。色は我について空であり、我に属するものについて空である。眼の識別作用(眼識)は我について空であり、我に属するものについて空である。
眼と色と識別作用との接触(眼触)は我について空であり、我に属するものについて空である。
また、眼の接触によって生じるところの、楽と感じること、苦と感じること、苦でもなく楽でもないと感じること、それもまた我について空であり、我に属するものについて空である。
(以下同様な内容が耳、鼻、舌、身、意について述べられます。そして、結論は次の通りです。)

「アーナンダよ、実に、我について空であり、我に属するものについて空でから、それゆえに、世間は空であるといわれるのである。」」
(春秋社版:原始仏典U相応部経典第四巻182p:から引用)

空を難しく考えずに、「空っぽ」と解してもよい。空っぽに対しては欲も起こらす、執着もない。そのような人には欲はない。だから悪魔は見ることが出来ず、悪魔の支配から離れている。
ブッダは解脱した人の境地(涅槃)を「空」で説かれたが、その際も修行者にとって一番大切なこと、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って」、そうすれば、「世界は空である」と分かるという形でこの偈を述べられた。
(´・(ェ)・`)つ

28名無しを整える。2018/01/06(土) 13:50:34.88ID:FRZfFb+Y
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、17、学生ビンギヤの質問

1120 ビンギヤさんがたずねた、
「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。
どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるのですか、そのことわりを説いてください。それをわたくしは知りたいのです。」

1121 師(ブッダ)は答えた、
「ビンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病などに)悩まされる。ビンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

1122 「四方と四維と上と下と、これらの十方の世界において、あなたに見られず聞かれず考えられずまた識られないものもありません。
どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、──どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ビンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」


ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、18、一六学生の質問の結語

 師(ブッダ)は、マガダ国のパーサーカ霊地にとどまっておられたとき、以上のことを説かれ、(バーヴァリの)門弟である一六人のバラモンに請われ問われる度ごとに、質問に対して解答をのべた。
もしもこれらの質問の一つ一つの意義をしり、理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。これらの教えは彼岸に達せしめるものであるから、それ故にこの法門は「彼岸にいたる道」と名づけられている。

1124 アジタと、ティッサ・メッテイヤと、プンナカと、メッタグーと、ドータカと、ウバシーヴァと、またヘーマカと、

1125 トーデーヤとカッパとの両人と、賢者なるジャトゥカンニンと、バドラーヴダと、ウダヤと、ポーサーラ・バラモンと、聡明なモーガラージャと、偉大な仙人であるピンギヤと、──

1126 これらの人々は行いの完成した仙人である目ざめた人(ブッダ)のもとにやってきて、みごとな質問を発して、ブッダなる最高の人に近づいた。

1127 かれらが質問を発したのに応じて、目ざめた人はあるがままに解答された。聖者は、諸々の質問に対して解答することによって、諸々のバラモンを満足させた。

1128 かれらは、太陽の裔である目ざめた人・眼ある者(ブッダ)に満足して、優れた智慧ある人(目ざめた人)のもとで清らかな行いを修めた。

1129 一つ一つの質問に対して<目ざめた人>が説かれたように、そのように実践する人は、此岸から彼岸におもむくことであろう。

1130 最上の道を修める人は、此岸から彼岸におもむくであろう。それは彼岸に至るための道である。それ故に<彼岸にいたる道>と名づけられる。

(´・(ェ)・`)つ

29鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/06(土) 21:45:31.70ID:8mzOrYRN
要するに心の働きを全て観察して厭離するということじゃな。
認識にまで観察が至ればもはや悟りがやってくるのじゃ。

30名無しを整える。2018/01/06(土) 22:31:48.85ID:FRZfFb+Y
1/1120
ピンギヤの経。注釈書によれば、この時、彼は120歳。眼はよく見えなく、耳もよく聞こえない。彼は大仙人ピンギヤと呼ばれて、1000人もの内弟子もいた。
しかし、彼は生と老いを乗り越える理法を知らなかった。そのためこの老修行者は愚かなまま死にたくないという悲痛な叫びをブッダに訴えた。
この経は16人の質問者のまとめの経にもなっている。

1121
人々は肉体に執着しているために、だんだん衰えて、弱くなり、壊れて行く肉体に対して悩み苦しんでいるのだと説かれる。
「それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」(中村先生訳)と説かれた。「怠ることなく」は、肉体への執着が苦しみの原因であることによく気付いて、ということ。
「物質的形態を捨てて」は肉体への執着を捨てて。ということ。「再び生存状態にもどらないようにせよ」は輪廻から解脱せよということ。これが「この世において、生と老いを捨て去ること。

1122
ピンギヤさんは、再度同じ質問をする。
ピンギヤさんは老いて無力だったので、特別な境地を証得しないまま、世尊に再度て説示を乞う。
ブッダは、別の言葉によって答える。

(´・(ェ)・`)つ

31名無しを整える。2018/01/06(土) 22:34:40.88ID:FRZfFb+Y
1123
ブッダは、再度ピンギヤさんの質問に答える。それは仏教の一番大切の教えである四聖諦の核心。
ピンギヤさんは、高齢になり、多くに人々が生きることに苦しみ、また自分自身も生きることが苦であることを実感したでしょうとブッダは述べる。これが四聖諦の第一苦聖諦。
そして、それらの苦しみの原因が渇愛(妄執)であることもよく観て来たでしょうとブッダは言う。これが第二苦集聖諦。
生きることの苦しみを取り除くためには、苦しみの原因をなくせばよい。苦しみの原因は渇愛(妄執)だから、渇愛(妄執)をなくせばよい(第三苦滅諦)。
だから、ブッダはピンギヤさんに「そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」と説かれた。
「怠ることなくはげみ、妄執を捨てて」は、妄執(渇愛)を捨ててと言われても簡単にはでない。そこで「怠ることなくはげみ」ことが必要になる。
この内容は第四苦滅道聖諦だが、具体的には八正道だが、狭い意味では八正道の正念。心に妄執(渇愛)が現れないようによく気付いていること。これにより妄執を捨てることができる。
「再び迷いの生存にもどらないように」とは、再び生まれ変わらないように、すなわち輪廻を繰り返さないようということ。
妄執(渇愛)がなくなれば、再度生まれたいという要因がなくなるから、再度生まれ変わるということがなくなる。
(´・(ェ)・`)つ

32名無しを整える。2018/01/06(土) 22:46:57.30ID:FRZfFb+Y
彼岸に到る道の結語の序.

「第五章 彼岸に到る道の結語の序」
「もしもこれらの質問の一つ一つの意義をしり、理法を知り、理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。」
解脱して涅槃に達することができるであろうということ。本文の意義と理法を再確認して、目標達成のてこにするべし。

1124 1125 1126
16人のバーヴァリ・バラモンの高弟が質問するためにブッダに近づいた。

1127
真理を探究していた修行者の究極の質問に、即座に答え、彼らを満足させるブッダという存在に改めて感動する。

1128
16人の学生達と彼らの弟子達はブッダの説法を聞いたら、すぐその場で、説かれたように、そのように実践してたのだ。

1129
16人の学生達の質問は、彼岸(悟りの世界)に至る道のりの最後の難関だった。ブッダが示された解答は、最後の難問を問うことができる修行者だったから、そのような質問が出来たの。
またそれに対する解答を理解することが出来、その場で実践できた。

1130
ブッダは最終的には、最上の道を選択してその道を進むことになると教えている。その故にその最上の道とは、彼岸(涅槃)に到る道であると説かれている。
(´・(ェ)・`)つ

33名無しを整える。2018/01/06(土) 23:24:51.68ID:FRZfFb+Y
>>29
鬼和尚、ありがとうであります。
心の働きを全て観察するであります。
(´・(ェ)・`)つ

34名無しを整える。2018/01/07(日) 14:58:25.22ID:fn0tE7QK
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、18、一六学生の質問の結語

1131 ピンギヤさんは(バーヴァリのもとに帰って、復命して)いった、
「<彼岸に至る道>をわたくしは読誦しましょう。無垢で叡智ゆたかな人(ブッダ)は、みずから観じたとおりに説かれました。無欲で煩悩の叢林のない立派な方は、どうして虚妄を語られるでしょうか。

1132 垢と迷いを捨て去って、高慢と隠し立てとを捨てている(ブッダ)の、讃嘆を表わすことばを、さあ、わたくしは誉めたたえることにしましょう。

1133 バラモンよ。暗黒を払う<目ざめた人>(ブッダ)、あまねく見る人、世間の究極に達した人、一切の迷いの生存を超えた人、汚れのない人、一切の苦しみを捨てた人、
──かれは真に<目ざめた人>(ブッダ)と呼ばれるにふさわしい人でありますが、わたくしはかれに近侍しました。

1134 たとえば鳥が疎な林を捨てて果実豊かな林に住みつくように、そのようにわたくしもまた見ることの少い人々を捨てて、白鳥のように大海に到達しました。

1135 かつてゴータマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来にはこうなるであろう』といってわたくしに説き明かしたことは、すべて伝え聞きにすぎません。それはすべて思索の紛糺を増すのみ。

1136 かれは独り煩悩の暗黒を払って坐し、高貴で、光明を放っています。ゴータマは智慧ゆたかな人です。ゴータマは叡智ゆたかな人です。

1137 即時に効果の見られる、時を要しない法、すなわち煩悩なき<妄執の消滅>、をわたくしに説示しました。かれに比すべき人はどこにも存在しません。」

1138 (バーヴァリがいった)、「ピンギヤよ。そなたはね智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができるのか?

1139 かれはまのあたり即時に実現され、時を要しない法、すなわち煩悩なき<妄執の消滅>、をそなたに説示した。かれに比すべき人はどこにも存在しない。」

1140 (ピンギヤがいった)、「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。
(´・(ェ)・`)つ

35名無しを整える。2018/01/07(日) 15:08:36.44ID:fn0tE7QK
>>34
1131
ピンギヤ学生が、彼の師匠のバーヴァリ・バラモンのもとに帰り、師匠の質問を交えて、ブッダの説法を報告とする。
120歳のピンギヤさんがブッダのもとにたどり着いたと同様に、師匠のもとに帰って行った困難を思わずに、この偈を読むことはできない。

注釈書の解説によると、「世尊が『彼岸に到る道』の説法をすると、一万六千人の結髪者たちが阿羅漢の境地を得て、残りの一億四千万を数える神々や人間達に法の領解があった」と記されているから、
そのような噂は既にバーヴァリ・バラモンのもとに届いていたのではないかと思われる。
ピンギヤさんは師匠との約束を守り、師匠のもとに帰り、報告を始める。「<彼岸に至る道>をわたくしは読誦しましょう。」と述べ、「無垢で叡智ゆたかな人(ブッダ)は、みずから観じたとおりに説かれました。」と報告する。
ここでピンギヤさんは「そのようなブッダが偽りを言うはずがありません。」と述べると、バーヴァリ・バラモは、その話を聞きたいという想いがさらに募った。

1132
垢と迷いを捨て去って、高慢と隠し立てとを捨てている方。
垢とは、心の汚れで煩悩を意味している。迷いは、mohaの訳で暗愚、愚鈍、愚痴などの意味を含んでいる。
「高慢」と「隠し立て」を捨てていることに注目している。「高慢」とはmnaの訳だが、一般的には慢と訳され、阿羅漢になるまで残っている根強い煩悩の一つ。
「隠し立て」はmakkhaの訳だが、恩義を踏みにじる、他人の善を無視するという意味。他人を正しく評価するということになる。

1133
「バラモンよ」はピンギヤさんの師匠であるバーヴァリ・バラモンを指す。
「暗黒を払う人」。暗黒とは無明、無知を意味する。闇の中で明かりをともし、周りがすべて見える状態になった人。
「目覚めた人」。真実を自覚している人。私達は起きている状態の時は目覚めていないとは思ってはいないが、目覚めた人から見れば、夢を見ている状態。夢の中でライオンに遭遇していても、眼が醒めればライオンはいないようなもの。
凡夫の見ている世界は夢のようなもの。
「あまねく見る人」。凡夫は、いつも自分の周りの一部分しか見ていない。ブッダはすべてを見ている。
「世間の究極に達した人」。世間解とも言われるが、世間のすべてに通じるようになると世間を超えたことが解るようになる。
例えば、無限というものは理解できないものだが、有限の世界を完全に理解すると、無限が分かるというようなもの。
「一切の迷いの生存を超えた人」。迷いの生存とは、天界、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄の輪廻の世界での生存を言う。それを超えた人とは解脱した人。
「汚れのない人」。煩悩のない人。
「一切の苦しみを捨てた人」。一切の苦しみは無明、渇愛から生まれますから、無明、渇愛をなくした人。
「真に<目ざめた人>(ブッダ)と呼ばれるにふさわしい人=真理を呼び名とする方」。真実の人と呼ばれるのにふさわしいという人。
そのような人の側に近づき、説法を聞き、その教えを実践したのですとその感動を師匠に伝えた。
(´・(ェ)・`)つ

36名無しを整える。2018/01/07(日) 15:24:11.69ID:fn0tE7QK
>>34
1134
ピンギヤさんは、鳥は餌になる木の実や果物がない森から離れて、食べ物になる果実の豊富な森に住むように、
修行者である自分は智慧ない人々から離れて、白鳥のように、大海原のような智慧のあるブッダのもとに到着しましたと述べた。

1135
ヘーマカ学生の偈1084 参照。
伝聞では、確かな確証はない。事実に基づかない思考は砂上の楼閣。迷いの世界からは抜け出ることはない。事実はどうか明確にして、真理を追究することが大切。

1136
彼岸(涅槃)への道は、独りで歩むもの。
暗黒を払うとは、無明を破ること。無明はすべての煩悩の元にあるものであり、すべての煩悩の親玉。無明が破れれば、すべての煩悩はなくなる。すべての煩悩がなくなれば、解脱。もう輪廻を繰り返すことはない。
解脱した人は光輝く人であり、光の担い手。その意味は他の人の道しるべになるということ。ゴータマ・ブッタはまさにそのような方。
「智慧ゆたかな人」と「叡智ゆたかな人」の違いはよく分からないが、ゴータマ・ブッダの智慧が世間の知恵以上の世間の智慧を超えた出世間の知恵の持主であることを称賛しているのだと思われる。

1137
世尊の説かれた法と特徴は、「法の六徳」として仏教徒に常に唱えられる言葉があるが、この偈では、そのままの言葉、或は異なる言葉で述べられている。sandihikaは「即時に効果の見られる。」そしてaklikaは「時を要しない。」
さらに、Tahakkhayaは「渇愛の滅尽」が、これは涅槃に導く教えということ。
また、antikaは「無災の、安全な、息災の」である教えという意味。このような教えを説く方は、他にはいないとピンギヤは最高の称賛をブッダに対して述べた。

1138、1139
ピンギヤさんの師匠であるバーヴァリ・バラモンは、ピンギヤさんに問いかける。「ピンギヤよ。そなたは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができるのか?」と

1139は、1137とme(わたくしに)がte(そなたに)に入れ替わった以外はすべて同じ言葉。バーヴァリ・バラモンもピンギヤさんと同じ評価をゴータマ・ブッダに対して行った。

(´・(ェ)・`)つ
1140解説は次回。

37名無しを整える。2018/01/07(日) 18:41:23.11ID:fn0tE7QK
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1)「潜在意識、マーフィーの法則」(くまのへっぽこ脱出大作戦)
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3) 「信心銘 」>>389
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4)「真理のことば(ダンマパダ)」>>562
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5)ブッダのことば(スッタニパータ)>>782
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スッタニパータ、533番〜1072番
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1509160394/1

(´・(ェ)・`)つ

38鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/07(日) 22:35:36.97ID:Bk2BEwNd
>>33 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

39名無しを整える。2018/01/08(月) 08:38:54.42ID:aioyVsIE
ブッダのことば(スッタニパータ)
第5 彼岸にいたる道の章、18、一六学生の質問の結語

1140 (ピンギヤがいった)、「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。

1141 まのあたり即時に実現される、時を要しない法、すなわち煩悩なき<妄執の消滅>、をわたくしに説示されました。かれに比すべき人はどこにも存在しません。

1142 バラモンさま。 わたくしは怠ることなく、昼夜に、心の眼を以てかれを見ています。かれを礼拝しながら夜を過ごしています。ですから、わたくしはかれから離れて住んでいるのではないと思います。

1143 信仰と、喜びと、意と、念いとが、わたくしを、ゴータマの教えから離れさせません。どちらの方角でも、智慧豊かな方のおもむかれる方角に、わたくしは傾くのです。

1144 わたくしは、もう老いて、気力も衰えました。ですから、わが身はかしこにおもむくことはできません。しかし想いを馳せて常におもむくのです。バラモンさま。わたくしの心は、かれと結びついているのです。

1145 わたくしは汚泥の中に臥してもがきながら、洲から洲へと漂いました。そうしてついに、激流を乗り超えた、汚れのない<完全にさとった人>(正覚者)にお会いしたのです。」

1146 (師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」

1147 (ピンギヤはいった)、「わたくしは聖者のことばを聞いて、ますます心が澄む(=信ずる)ようになりました。さとった人は、煩悩の覆いを開き、心の荒みなく、明察のあられる方です。

1148 神々に関してもよく熟知して、あれこれ一切のことがらを知っておられます。師は、疑いをいだきまた言を立てる人々の質問を解決されます。

1149 どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地に、わたくしは確かにおもむくことでしょう。このことについて、わたくしには疑惑がありません。わたくしの心がこのように確信して了解していることを、お認めください。」

<彼岸に至る道>の章おわる

八回にわたって誦える分量ある聖典のスッタニパータ終る。
【おわり】

40名無しを整える。2018/01/08(月) 08:51:17.80ID:aioyVsIE
1140、1141
ピンギヤさんはゴータマ・ブッダから遠くに離れた所に住んでいたのに、その答えの言葉は「バラモンさま。わたくしは、智慧ゆたかなゴータマ、叡智ゆたかなかのゴータマのもとから、瞬時でも離れて住むことができません。」であった。

1142
ピンギヤさんは、「昼夜に怠ることなく心の目で彼(ブッダ)を見ています。」という。更に「かれを礼拝しながら夜を過ごしています。ですから、わたくしはかれから離れて住んでいるのではないと思います。」と述べた。
実際の距離の問題ではない。心が離れているかどうかという問題。
ダンマパダ296参照。

1143
「信仰と、喜びと、意(こころ)と念(おも)い」でゴータマ・ブッダを見ている。
信仰とは、仏教では信仰と言った場合、それは決して盲信ではない。理解に基づく確信。
ピンギヤさんは、智慧ゆたかな、叡智ゆたかなブッダの説法を聞いて揺るがない確信を得た。だから彼はブッダを信仰によって見て、ま近くに住んでいるのである。
また、彼はブッダの説法を聞いて感動した。その時の喜びは消えることはない。彼はブッダを喜びによって見て、ま近に住んでいるのである。
更に、彼はブッダの説法を聞いて、意(こころ)が変わった。ピンギヤさんの心はブッダの心と一つになった。だから、彼はブッダから離れて住んではいない。
念(sati)は、気づきという意味もあるが、記憶という意味もある。
ここでも、もちろん気づき、よく気をつけていると理解しても良いが、ブッダとの出会いの記憶とその一部始終によってピンギヤさんはブッダを見て、ブッダと共に住んでいるのだとも考えられる。
このように、ピンギヤさんは信仰と、喜びと、意と、念いによってブッダを見て、共に住んでいた。

1144
120歳のピンギヤさんの心情がその通りに表現されている。「わたくしの心は、かれ(ブッダ)と結びついているのです。」と断言されている。

1145
「汚泥の中=汚泥」は、この世の中を意味している。実は多くの人々はこの世の中を汚泥とは思っていない。この世の中に期待して、楽しみを見つけ、楽しく生きたいと思っている。
ブッダは生きることは苦しみであると教えているが、人々はそれを理解しない。しかし、ピンギヤさんはこの世の中で生きることの真実を理解し、世を厭う気持ちを「わたくしは汚泥の中に臥してもがきながら」と表現した。
「洲から洲へ」の「洲」とは教師を意味している。ピンギヤさんはある教師から、また他の教師に教えを求めて漂ったと述べている。
そして、最後に「激流を乗り超えた、汚れのない<完全にさとった人>(正覚者)=激流を超えた、煩悩なき正覚者(ブッダ)」に会うことが出来たのだと、ブッダを称賛し、感動し、その喜びを述べた。

(´・(ェ)・`)つ

41名無しを整える。2018/01/08(月) 12:14:02.36ID:aioyVsIE
>>39
1146
ブッダがピンギヤさんと彼の師匠であるバーヴァリ・バラモンの前に現れ、この偈を唱えた。
この偈に述べられた人名について説明する。
「尊者ヴァッカリは王舎城の陶工の家に住し、病苦に悩んでいた。
時に彼の願いによって世尊は彼を見舞い、『法(真理)を見る者は私を見る。私を見る者は法を見る。』といい、色受想行識の無常・苦なることを教える。
その後、彼を見舞った比丘たちに向って、「世尊に礼拝し、色受想行識の無常・苦なること、それに対して自ら欲なく執着のないことを疑わない」ということを、世尊への伝言として述べてから、刀を取って自殺したという。」
(南伝十四、188〜195頁。或は、春秋社の原始仏典U相応部第三巻217〜227頁)
バドラーヴダについて。バーヴァリ・バラモンの弟子の一人で、十二番目の質問者。彼の信については何も述べられていない。
アーラヴィ・ゴータマについては、ここ以外には何も分からないと注釈書に述べられている。
この偈の訳で問題になる所がある。muttasaddho及びpamucassu saddhaの訳である。中村先生はそれぞれ、「信仰を捨て去った」「信仰を捨て去れ」と訳されている。
正田先生はそれぞれ「解き放たれた信ある者」「信を解き放ちなさい(信仰を依存の対象にしてはならない)」と訳されている。
ところが、注釈書では、「信を寄せていた」「信を寄せよ」と訳されている。また、宮坂宥勝訳「ブッダの教え」(法蔵館)では「信仰を起こした」「信仰を起こすがよい」となっている。
表面的に読めば、中村訳と注釈書及び宮坂訳では反対の意味になる。正田訳は直訳で、その中間と見て良い。中村先生は、いわゆる信仰の問題点を強調する意味で「信仰を捨て去れ」と訳された。
しかし、伝統的な注釈書では、信仰はブッダもその重要性をたびたび強調されておるので、「信仰を捨て去れ」とは訳すわけには行かなかったのだと思われる。

1147
聖者の言葉とは何か? これは当然、1146偈のブッダの言葉。そうすると1146で問題にした「muttasaddho」及び「pamucassu saddha」を言っているのだと思われる。
仏教における「saddh」の意味は、盲信でなく、理解に基づく確信であると説明されるが、更に本質的には、他者(神など)を信じるということではなく、自分自身を信じることである思われる。
では自分自身の何を信じることかと言えば、覚悟或は決意である。更に具体的には自分が解脱することを信じること。自分が解脱することを信じることがない者は解脱しない。
宝経の7番目の偈(スッタニパータの228)には「堅く決意し、ゴータマ(仏陀)の教えに基づきよく励み」、このように実践した人が阿羅漢になったと述べられている。
覚悟や決意の重要性が述べられている。これが仏教における「信」である。
ブッダはこのことを、「解き放たれた信ある者」「信を解き放ちなさい」(正田訳:直訳)と述べたので、ピンギヤさんはますます浄信するようになり、このような表現をするブッダを
「明察のあられる方=即応即答〔の知慧〕ある方=弁才ある方」であると述べたのであろう。

(´・(ェ)・`)つ

42名無しを整える。2018/01/08(月) 12:24:23.61ID:aioyVsIE
>>39
1148
Adhideveは中村先生は「神々に関して」と解されているが、注釈書では「神を超えたもの」の意であるとしてある。いずれにせよ、一行目、二行目の意味は神を超えたものや、その他あれこれ一切のものを師(ブッダ)は熟知していますという意味。
三行目と四行目は、注釈書には「疑問があっても(ないと)公言する人たちの質問を、(大)師は終わらせるのです。」と記されている。
少しややっこしく書いてあるが、ブッダは人々のどんな質問も最終的な結論を出すことができるということだと思われる。

1149
スッタニパータの最後の偈にふさわしく、仏教の信について述べられている。「どこにも譬うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地」とは涅槃の境地だが、ピンギヤさんはこの境地に到ることを確信した。
そして、彼は「このことについて、わたくしには疑惑がありません。」と明言した。これこそが仏教の信である。


ブッダのことば(スッタニパータ)
おわり
(´・(ェ)・`)つ

43名無しを整える。2018/01/08(月) 21:15:01.08ID:aioyVsIE
明日からは、『I AM THAT 私は在る』ゼミを始めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

44鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/08(月) 22:17:57.05ID:lCo2+ONx
善いことじゃ。
どんどんやるとよいのじゃ。

45名無しを整える。2018/01/08(月) 23:29:43.07ID:aioyVsIE
>>44
鬼和尚、こんばんは。
「私は在る」ゼミは、DAT落ちしないように、1年くらいかけてゆっくり進めるであります。
終わったらもう一度、スッタニパータを、できたら、鬼和尚に解説をお願いして、ゆっくり読んでみたいであります。
(´・(ェ)・`)つ

46名無しを整える。2018/01/09(火) 18:26:49.28ID:b3nlktBh
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】

 質問者 毎朝、目覚めとともに世界が突然現れるのは、日々体験することです。それはいったいどこからやってくるのでしょうか?
 マハラジ
 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。
 質問者 目覚める前、私は無意識でした。
 マハラジ
 どういう意味だろう?
 忘れてしまったのか、それとも体験しなかったのだろうか?
 たとえ無意識のときでも、あなたは体験しないと言えるだろうか?
 記憶の忘却、それが存在していないことの証明になるだろうか?
 あなたが存在していなかったと、実際の体験として語ることができるだろうか?
 マインドが存在しなかったと言うことさえできない。
 呼びかけられて、あなたは目を覚ましたのではなかったか?
 そして、目覚めて最初に起こった感覚は、「私は在る」(I AM)ではなかっただろうか?
 眠り、または気絶の間にも、意識の種子は存在していたはずだ。
 目覚めの時の体験は、「私は在る―身体―世界」とつながっていく。
 それは連続して起こるように見えるが、実際には、世界の中で身体をもつというひとつの観念として、すべて同時に起こるものだ。
 誰かとして在ることなく、「私は在る」という感覚がありうるだろうか?
 質問者 私はつねに記憶と習慣をもった「誰か」です。それ以外の「私は在る」を私は知りません。
 マハラジ
 何かがあなたを知ることから妨げているのだろうか?
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく

47名無しを整える。2018/01/09(火) 18:46:31.84ID:LOKriScE
マハラジの後期の言語録を読みましたが
「I AM」という認識が根源的な幻想であり
その痕跡が一切無い「THE ABSOLUTE」が私でありあなたである
と繰り返し言ってましたね

48名無しを整える。2018/01/09(火) 18:48:00.41ID:b3nlktBh
>>46
> 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。
この「誰か」「背景」が意識であり、真我でありましょうか?
で、意識、真我は、特定されるものではなく、全てであるということでありましょうか?
で、それは、思考、感覚、感情など何でも映し出すスクリーンみたいなものと言う理解で良いのでありましょうか?
で、もしそうなら、真我を意識と読み替えても良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

49鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/09(火) 21:56:06.27ID:3yM/3APu
それは意識では有るが真我とは言えないのじゃ。
アートマンはそれに至る方法なのじゃ。
心臓に集中することによりアートマンは見出されるのじゃ。
そして無我になり、認識をも滅して全てが意識であると感じるようになるのじゃ。

50名無しを整える。2018/01/09(火) 23:37:58.11ID:b3nlktBh
>>49
「真我」=「アートマン」は、全ては意識であると言うときの「意識」ではない。

修行の過程で見出だされる、「…でない」によってのみ定義される「アートマン」を介して、その何者でもないアートマン=「無我」に至ると言う理解でよいでありましょうか?
以前もお尋ねしたことでありますが、アートマンとは、「…でない」によってのみ定義されるものでありますから、結局、アートマンはあると言っても、「無我」と言っても同じことであると言う理解でよいのでありますね。
マハラジは、そのことを、無我と言う言葉を使わず、真我と言う言葉で語っているのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

51名無しを整える。2018/01/10(水) 00:17:03.76ID:yqRfsOmv
>>47
痕跡が一切無い「THE ABSOLUTE」= 「…でない」によってのみ定義されマン、でありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ
マハラジの言葉は、わくわくするであります。

52名無しを整える。2018/01/10(水) 00:20:40.86ID:yqRfsOmv
>>51
訂正
>定義されマン →定義されるアートマン

53名無しを整える。2018/01/10(水) 12:51:47.49ID:4CwEZxpc
>>51
マハラジの言葉は鋭いですね
禅師のような感じを受けます

マハラジは
言葉なしの「I AM」をアートマンや意識
それを超えたものをパラマートマン、パラブラフマン、「THE ABSOLUTE」など
としているようです

54名無しを整える。2018/01/10(水) 18:39:15.27ID:yqRfsOmv
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 マハラジ
 ・・・・・・
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?
 質問者 彼らの指導のもとにその知識の源泉を探るでしょう。
 マハラジ
 あなたにとって、あなたが単なる身体にすぎないのか、あるいは何かそれ以外のものなのかを知ることは、重要ではないだろうか?
 あるいはまったく何ものでもないかもしれないということを?
 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去るのだ。
 質問者 私がこの身体ではないと知ることが何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体ではないと言うことでさえ、まったくの真実とは言えない。
 ある意味では、あなたはあらゆる身体、ハート、マインドのすべて、またそれ以上なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけだ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。
(´・(ェ)・`)つ
つづく

55鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/10(水) 20:52:16.32ID:jQOgeCpq
>>50 無我の法とはいえるじゃろう。
 無我そのものではないのじゃ。
 アートマンがあるともいえないからのう。
 

56名無しを整える。2018/01/10(水) 21:39:29.04ID:yqRfsOmv
>>53
後期の言語録というのは、英語の本でありますか

>>55
鬼和尚、こんばんは。
「アートマン」とは、あれでもない、これでもない、なんでもない、としか定義できないものなのでありますから、結局「無」でありましょう。最初から、「無我」と言っとけばよいようなもんでありますが、
ただ、普通の実感としてある、自我をいきなり無いもの見よ!といっても難しいので、ワンクッション置いて無我に繋げるための概念というように理解しとけばよいでありましょうか?
てか、アートマンに達することと、無我に達することに違いってあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

57名無しを整える。2018/01/11(木) 07:47:59.54ID:JSt4wY/h
>>56
ググってみたであります。
輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する か否かと言うややこしいテーマがあるようでありました。
(´・(ェ)・`)つ

58名無しを整える。2018/01/11(木) 14:29:13.73ID:BSGMsEGB
>>56
英語の本やネットに転がってるのものですね
例えばこんな感じで話していたようです


質問者
アートマンがサット・チットアーナンダ(存在・意識・至福)なら、パラマートマンはなんでっか?

マハラジ
サット・チット・アーナンダはそのうちパラマートマンになるんや。サッチターナンダが「I AMNESS」で、それ自体が至福、愛の状態や。
せやけどそれは、意識が続いとる間だけ体験される状態や。そんで意識は、肉体が使える間だけ存在しとる。時間制約の状態やねん。
お前さんはサット・チット・アーナンダを超えなあかんで。

59名無しを整える。2018/01/11(木) 18:41:32.31ID:JSt4wY/h
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 では、私とはいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだけだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく

60名無しを整える。2018/01/11(木) 18:54:41.01ID:JSt4wY/h
>>59
>あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
ふむふむ。
アートマンのことでありますね。
>あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
ふむふむ。
これでありますね。
観察の主体と客体が一致することの矛盾に気付けと言うわけでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

61名無しを整える。2018/01/11(木) 18:59:59.81ID:JSt4wY/h
>>58
たしかに、大阪のお好み焼き屋さんとかに居そうな風貌でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

62名無しを整える。2018/01/11(木) 19:33:51.56ID:BSGMsEGB
言葉が指し示すものは覚者によって違うので

マハラジのいう「I AM」=鬼和尚のいう「阿頼耶識」
マハラジのいう「THE ABSOLUTE」=鬼和尚のいう「意識」

という印象を受けました

63鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/11(木) 22:34:42.28ID:wDJhwkyB
>>56 そうじゃ、修業のために作られた概念なのじゃ。
 無我の状態はあるものじゃ。
 アートマンは実在しないものじゃ。
 ただ集中の対象として作られたのじゃ。
 

64名無しを整える。2018/01/12(金) 18:58:49.44ID:BdhjbQJq
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 体験者としての存在の感覚、「私は在る」という感覚もまた体験ではないでしょうか?
 マハラジ
 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」なのだ。
 質問者 どのようにしてそれを得るのでしょう?
 マハラジ
 それを得る必要はない。
 なぜなら、あなたがそれなのだ。
 あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。
 非実在のものへの執着を解き放ちなさい。
 そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。
 自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。
 そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになるだろう。
 それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。
              
【1「私は在る」という感覚】(おわり)
【2 身体への固執】(につづく)
(´・(ェ)・`)つ

65名無しを整える。2018/01/12(金) 19:17:57.10ID:BdhjbQJq
>>64
>記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づき。
↑これが、
>実在
でありますね。
> 非実在のものへの執着を解き放
てば、くまが、
>すべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになる
のでありますね。

ふむふむ。
難しいことを、簡単そうに説明する天才でありますね。

個の中にある 同一性の錯覚は、連続性があるからであると言うことと、
個と思っているものが実は、すべてのハートであり、源泉であるということを、一気に語ってるのでありますね。

(´・(ェ)・`)つ

66名無しを整える。2018/01/12(金) 19:24:36.89ID:BdhjbQJq
>>63
概念を否定する概念。
典型的なパラドクスでありますね。
空同様、実体のないものでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

67名無しを整える。2018/01/12(金) 20:57:58.43ID:BdhjbQJq
>>62
ふむふむ。
鬼和尚のいう「阿頼耶識」とは、記憶に依存した認識のことでありましょうし、
マハラジのいう「I AM」」も、わたしはあると言う認識でありまして、
最終的にはともに、滅すべき対象のようでありますね。
Wikipediaによりますと、阿頼耶識とは個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識とも解説されるようであります。この点でも、「I AM」も特定されるものではない純粋な「私はある」みたいな意味らしいでありますから、=で結ばれそうでありますね。

「THE ABSOLUTE」、っていうのは、鬼和尚のいうただひとつの「意識」ってやつでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

68鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/12(金) 21:39:22.68ID:+if7kN0P
↑そうかもしれん。
おぬしがそれなのじゃ。
得ることも失うこともなくただそれなのじゃ。

69名無しを整える。2018/01/12(金) 22:58:35.76ID:BdhjbQJq
>>68
それとは、くまが、
>すべてのハートであり、源泉である
というこでありましょうか。
「得ることもなければ、失うこともない。」は、般若心経の中の言葉かと思ったら、
仏教聖典の中にそのままあったであります。
鬼和尚、ありがとうであります。
精進せねばであります。
(´・(ェ)・`)つ

70名無しを整える。2018/01/12(金) 23:16:14.96ID:W6Cz4ee7
>>67
マハラジによると

私でありあなたである「THE ABSOLUTE」から
頼みもしないのにただ見るものである「I AMNESS」が現れ
その後に心身との自己同一化が起こり苦しみが生じる

故に「I AMNESS」が苦しみの元凶の幻なのでそれを滅しなければいけない

マントラや瞑想などの行で心を静めつつ
教えを聞き理解してあらゆる観念への執着を離れ
「I AMNESS」にとどまることがはじめの一歩

そこに長く落ち着くことができれば時期が来れば気づきが起こり
「I AMNESS」は超えられる

というようです

71名無しを整える。2018/01/13(土) 00:37:18.02ID:n4m7M0QB
>>70
ふむふむ。
「I AMNESS」は、「自我」
「I AM」は、「アラヤシキ」
「THE ABSOLUTE」は「意識」
で、ありますね。
(´・(ェ)・`)つ

72名無しを整える。2018/01/13(土) 01:49:49.01ID:AjakqKJE
>>71
「I AM」と「I AMNESS」は
同じものを指しているようです

それが生じた後に
「I AM ○○」となると
「○○」に同一化した自我が生じる
という解説のようです

73名無しを整える。2018/01/13(土) 09:49:49.90ID:n4m7M0QB
>>72
そうだったなのでありますか。
文脈の中で、その言葉がどういう意味で使われてるか、おさえておかないと、わけわからなくなってしまうでありますよね。

アートマンについては、鬼和尚の>>63のように、
>修業のために作られた概念
 アートマンは実在しないもの
 ただ集中の対象として作られた

と説明されると、とてもわかりやすいであります。
(´・(ェ)・`)つ

74名無しを整える。2018/01/13(土) 10:09:47.40ID:n4m7M0QB
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】
                   
 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?
 マハラジ
 根本的違いなど何もない。
 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに来ましたが、あなたは私のもとには来ません。
 マハラジ
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、私はしません。
 マハラジ
 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。
 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)は偉大です。
 マハラジ
 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだけで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。
 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?
 マハラジ
 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなったのだ。

(´・(ェ)・`)つ
つづく

75名無しを整える。2018/01/13(土) 10:33:03.26ID:n4m7M0QB
>>74
覚者と普通の人の違いは、
人生における 出来事の連続に対して、
固執せず、過ぎ去るショーをショーとして見ているだけなのが、覚者で、
固執し、それとともに動き回るのが、普通の人。
執着からの自由でありますね。

>私は私自身以外の何ものでもない
←これが私はあるの私でありましょう。
>私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなった
←自分とは、あれでもない、これでもないと、私でないもの(=観念)を、捨て去って行く、修行の方向性を決めるものとして、アートマンが語られてるのでありましょうか。
だとすればまさに、>修業のために作られた概念 といえるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

76名無しを整える。2018/01/13(土) 11:45:24.22ID:AjakqKJE
>>73
アートマンという言葉も
色々な使い方をされているようです
これはマラーティー語から英語に訳された際に生じる問題かもしれませんが

アートマンというのも言葉なので指し示すものとは乖離していますが
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
その点で鬼和尚の使い方とは異なるという印象を受けました

77名無しを整える。2018/01/13(土) 12:52:07.02ID:n4m7M0QB
>>76
>アートマン・・・
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
←鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。
別スレで、心臓の辺りにそれ(アートマン)があるとして集中する方法を説明されていたであります。

ところで、マハラジもアートマンを実体と考えてるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

78名無しを整える。2018/01/13(土) 13:07:14.05ID:n4m7M0QB
>>77
不思議不思議。こんな文字化けはじめて見たであります。

>鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。

鬼和尚の説明では、修業のために作られた概念であり、実在しないものと説明されておりますが、集中の対象と言う点では、具体的でありますよね。

79名無しを整える。2018/01/13(土) 15:58:28.90ID:AjakqKJE
>>77
マハラジ
わいはいつ死亡宣告受ける?アートマンが肉体を離れたときや。
せやけどわいはアートマンやあらへんさかい、そこのどこにわいの死があるんや?
わいは癌に影響されとらん。何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。
すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん。


もうちょっとまとまっているものを探してみますね
THE ABSOLUTE以外は現れては消えていくものでしかないので
実体がないのは確かなようです

80名無しを整える。2018/01/13(土) 17:19:41.88ID:AjakqKJE
マハラジ
コンシャスネスの階層は3段あんねん。

ジーヴァートマンいうんは、自分を心身と自己同一化しとるやつのことや。
わいは世界から分離した1この体や、人格や、個人や…て思とるやつやな。
そいつは心身と同一化しとるさかい、自分を1この分離した人格として、世界から締め出して孤立させんねん。

次はただのビーイングネス、あるいはコンシャスネス、つまり世界や。
「I AM」はわいの世界全体を表しとる。
ただのビーイングと世界。ビーイングネスと一緒に世界も感じられんねん。
それがアートマンや。

このビーイングネスを認識しとるアルティメット・プリンシプルに名前つけんのは不可能や。
どんな言葉でも近づけられんし当てはめられへん。
それがアルティメット・ステートや。

その階層をふつーの言葉で説明すんで。せやな…
わいに孫(ジーヴァートマン)がおる。わいには息子がおって、わいはじーちゃんや。
じーちゃんが息子と孫の源や。

81鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/13(土) 20:49:51.07ID:hAsK//oI
>>69 そうじゃ全てなのじゃ。
 それでなかったことなど一瞬もないのじゃ。
 それを思い出すのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 

82名無しを整える。2018/01/13(土) 22:31:42.76ID:n4m7M0QB
>>81
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ。

83名無しを整える。2018/01/14(日) 09:36:51.90ID:8WbkCRkX
>>79
くまは、ハートとか、マインドって段階で、引っ掛かってしまうので、なかなかこれは手強いであります。
けど、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

84名無しを整える。2018/01/14(日) 10:15:53.67ID:8WbkCRkX
>>79
>わいはアートマンやあらへん
→私は真我ではない。
>わいは・・・・・何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。 →私は全てを真我に委ねている
>すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん
→(パラブラフマン・THE ABSOLUTEを取敢ずブラフマンに置き換えると、)
すべての行為とその結果は、梵(宇宙の 根本原理)にゆだねられる。

ふむふむ。
I AM が真我に委ねていて、そのI AMは否定され、アートマンも、否定によってしか説明できないのでありますね。

>>80は、もうちょぴっと理解が進んでから読み返してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

85名無しを整える。2018/01/14(日) 10:37:00.84ID:8WbkCRkX
>>74
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
 信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?
 マハラジ
 誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?
 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。
 マハラジ
 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思えない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。

(´・(ェ)・`)つ

86名無しを整える。2018/01/14(日) 13:38:18.95ID:bKpT4EiI
>>84
おそらく
マハラジがいう私=パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットetc
マハラジがいう私≠I AM・意識・アートマン・ブラフマン・存在・世界etc
であるようです

87名無しを整える。2018/01/14(日) 15:14:24.66ID:8WbkCRkX
>>86
パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットと言うのは、
ブラフマン=梵(宇宙の 根本原理)を包摂する概念でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

88名無しを整える。2018/01/14(日) 16:22:18.17ID:bKpT4EiI
>>87
ブラフマンの段階でもう既に概念は放棄されているようです

マハラジの用語の使い方が
伝統的なヴェーダンタと違うと指摘した方がいるようです
http://www.whatneverchanges.com/styled-4/20130824.html

Parabrahman, Maharaj Principle, Absolute, Ultimate (Nisargadatta) = Consciousness, Awareness, Self, Atman, Brahman, Parabrahman (traditional Vedanta)

IAm-ness, Beingness, Consciousness, Brahman (Nisargadatta) = Reflected Consciousness, Reflected Awareness, Subtle Body (traditional Vedanta)

私はヴェーダンタなどの教義に詳しくないのでよくわかりませんが
マハラジは独特な用語の使い方をしていたのかもしれません

89名無しを整える。2018/01/14(日) 16:56:43.36ID:bKpT4EiI
ジーヴァートマン=個我の観念
アートマン=無我の状態
パラマートマン=無認識の状態

単純にこのような印象を受けました

90名無しを整える。2018/01/14(日) 18:12:36.38ID:8WbkCRkX
>>89
ありがとうであります。
籾殻脳を絞り、がんばって、理解を少しづつ深めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

91名無しを整える。2018/01/14(日) 18:38:18.17ID:bKpT4EiI
>>90
紹介しておいて何ですが
マハラジの教えは単純で実践がすべてなので
あまり用語は気にしないほうがいいかもしれません

お互い精進しましょう
ではまた!

92名無しを整える。2018/01/14(日) 21:07:11.65ID:8WbkCRkX
>>91
o(´-(ェ)-`)o
うむ。実践が全てであります!
精進であります!

93名無しを整える。2018/01/15(月) 18:33:36.27ID:9sOPB516
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】

 質問者 私が見るかぎりでは、私の身体にも実在にも、何も問題
 はありません。どちらも私がつくりあげたものではなく、
 改善する必要もありません。何がおかしくなってしまっ
 たかと言えば、「内なる身体」です。マインド、意識、
 アンタカラナ、名前は何であれ。
 マハラジ
 あなたのマインドのどこがおかしくなったというのだろう?
 質問者 落ち着きがなく、快楽に貪欲(どんよく)で、不快を恐
 れていることです。
 マハラジ
 快楽を求め、不快を避けようとすることのどこが間違っているの
 だろうか?
 苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れていく。
 生の流れとともに流れていくことを拒んだとき、それは問題とな
 るのだ。
 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 起こることがあなたなのではなく、あなたにものごとが起こるの
 だ。
 結局、あなたは観察者でさえもない。
 あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり、その表現、
 その顕現なのだ。
 質問者 それでも、身体と自己との間には思考と感情の雲が横た
 わり、それが妨げとなっています。これら思考と感情は
 浅はかな、はかなく無意味なもので、私を盲目にし、息
 を詰まらせるただの思考のほこりにすぎません。それで
 もそれらはそこにあり、光を奪い破壊するのです。
 マハラジ
 確かに出来事の記憶が出来事そのものとして通用することはない。
 出来事の予測もまた同じだ。
 現在の出来事には何か独特な、以前起こったこと、あるいはこれ
 から起こるであろうことにはない例外的な何かがある。
 生き生きとして、実在であり、輝くように際立っている。
 そこには過去も未来ももっていない実際の「真実のしるし」があ
 るのだ。
(つづく!)
(´・(ェ)・`)つ

94名無しを整える。2018/01/15(月) 18:46:13.95ID:9sOPB516
>>85
> 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 ↑
読むだけだと、「受容」という言葉に引っ掛かってしまうのでありますが、観察の実践による気付きが、負の思いを溶解させるのであります。
くまにとりましては、瞑想の実践により、荒れ狂う心を鎮めることができたことが、瞑想の最大の恩恵でありました。
(´・(ェ)・`)つ

95鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/15(月) 21:31:29.56ID:3akohFsv
そうじゃ、欲心も煩悩も滅しようとする必要は無いのじゃ。
ただありのままに観察すれば全ては滅していくだけなのじゃ。
そして観察すらも必要が無い境地にまで到達するのじゃ。
 

96名無しを整える。2018/01/15(月) 21:52:18.74ID:9sOPB516
>>95
鬼和尚ありがとうであります。
受容=受け入れると言うのは、
何か苦の原因となる事実に対して、反応としての怒りとか、不安とか、悲しみとかの感情を、否定するでも抑圧するでもなく、
ただ、それと一体になって巻き込まれるのではなく、悲しんでいる、怒っていると、気付いて、その原因事実と、反応としての感情を丸ごと受け入れて、それにこだわらず、流してしまう。
それが、受容=受け入れると言うことの意味でありますよね。
で、巻き込まれないで、受容し流してしまうことを可能にするために、観察による気づきが必要なのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

97名無しを整える。2018/01/16(火) 18:44:27.71ID:MZ4BEwTk
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 「真実のしるし」を現在に与えているものは何なのでし
 ょう?
 マハラジ
 現在のなかに、過去や未来から区別するような、特別な何かがあ
 るわけではない。
 ほんの一瞬前、過去は未来であったし、未来もまたそうなる。
 何が現在をそれほど特別にするのだろう?
 明らかに、それは私の存在だ。
 つねに今ここに在るからこそ私は現実なのだ。
 そして私とともに在るものに私の実在は分かちあわれる。
 過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。
 今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別
 なものがあるわけではない。
 それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のよ
 うなものかもしれない。
 連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているに
 もかかわらず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に
 予期されるものとはまったく異なっているのだ。
 今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、
 私とともに在る。
 私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
 質問者 しかし私たちは思い起こされたことがらも、現実のよう
 に扱います。
 マハラジ
 それが現在のなかに入りこんだときだけ、私たちは思い出につい
 て考える。
 今にもちこまれないと忘れ去られたことを思い出すことはない。
 質問者 そのとおりです。現在のなかには一過性の事実に一瞬の
 真実を与える、何か未知なる要因があることがわかりま
 す。
 マハラジ
 未知と言うまでもない。
 なぜなら、あなたはそれがつねに作用しているのを見ているから
 だ。
 生まれて以来、かつてそれが変わっただろうか?
 ものごとや思考はつねに変わりつづけてきた。
 だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
 て変わらなかったのだ。
(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

98鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/16(火) 22:08:17.33ID:Cxg2VOHa
>>96 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

99名無しを整える。2018/01/17(水) 18:37:10.05ID:1C08Blcz
>>97
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 深い眠りのなかには、今現在の現実感はありませんでし
 た。
 マハラジ
 深い眠りにおける空白は、完全な記憶の欠如によるものだ。
 だが、幸福という総括的な記憶がそこにはある。
 「深い眠りのなかにいた」と言うのと「存在していなかった」と
 言うのとでは感覚の違いがある。
 質問者 はじめの質問に戻りますが、生の源とその表現(つまり
 身体)との間には、絶え間なく変化しつづけるマインド
 の状態があります。この精神状態の流れは際限なく、無
 意味で苦痛に満ちています。苦痛がその変わることのな
 い要因です。私たちが快楽と呼ぶものは、二つの苦痛に
 満ちた状態の狭間(はざま)にすぎません。欲望と恐れ
 は生の横糸と縦糸で、ともに苦痛でできているのです。
 いったい、幸福なマインドというものがありうるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
 質問者 私たちが快楽を求めたり苦痛を予期したりするときは、
 確かにそのとおりです。しかし予期せぬ、思いもよらな
 かった喜びの瞬間も存在します。不相応な、求めてもい
 なかった、神からの贈り物――欲望に汚されていない純
 粋な喜びがあります。
 マハラジ
 それでも、喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

100名無しを整える。2018/01/17(水) 18:43:51.23ID:1C08Blcz
>>99
> 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
>喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

うっ・・・・
マインドなるものが、幻想であれば、喜びも苦も幻想でありましょう。

けど、このあとで、違う切り口からフォローしてくれてるであります。
(´・(ェ)・`)つ

101名無しを整える。2018/01/17(水) 18:46:36.34ID:1C08Blcz
>>100
仏教だと「一切皆苦」からスタートでありますから、それに比べればマイルドでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

102名無しを整える。2018/01/17(水) 18:59:12.35ID:1C08Blcz
一回分抜けてたであります。
>>85
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
.とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ること
になる。
 拒否と否定を通してあなたは真我
.へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
.さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
.「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
.「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
.だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
.となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
.れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
.値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
.てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
.らば、私たちはそれを見いだすだろう。

【2 身体への固執】(おわり)
(´・(ェ)・`)つ

103名無しを整える。2018/01/17(水) 19:07:26.82ID:1C08Blcz
>>102
観察は、の重要でありますね!
>不注意によって築いてきた牢獄
と言うのが、
さっきの、
喜びのは背景にある苦痛であったりするのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

104鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/17(水) 21:25:56.68ID:0uFYqMIs
人が快楽に執着するのも苦痛を一時的に忘れさせてくれるからに過ぎないのじゃ。
それは一時的に苦を忘れさせてくれるだけで苦はなくなっていないのじゃ。
日常に戻ればまた苦はあり続けるのじゃ。
 

105名無しを整える。2018/01/18(木) 18:37:23.69ID:v2m8uSqs
>>99
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 苦痛とは宇宙的な現実なのでしょうか、それとも単に精
 神的なものなのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙とは完成されたものだ。
 そこに何も欠如していない完全性が在るとき、苦痛を与えられる
 ものがあるだろうか?
 質問者 宇宙は、全体としては完全かもしれませんが、詳細にお
 いては不完全です。
 マハラジ
 全体の一部も、全体との関連のもとに見られたとき、また完全と
 なる。
 孤立したとき、それは欠陥をもち、苦痛の在処(ありか)となる。
 何が孤立をもたらすのだろうか?
 質問者 もちろんマインドの限界です。マインドには全体として
 の部分を見ることができません。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドはその本質上、分割し対立するものだ。
 統合し、調和をもたらし、部分のなかに全体を見て、全体との完
 全な関連性をもった部分を見ることのできる何か別のマインドと
 いうものが在りうるだろうか?
 質問者 別のマインド――どこを探せばいいのでしょう?
 マハラジ
 限界をもたらし、分割し、相対立するマインドを超えた彼方だ。
 周知のように、この精神的過程が終焉(しゅうえん)したときだ。
 これが終わりを告げたとき、そのマインドが生まれる。
 質問者 そのマインドのなかでは、喜びと悲しみの問題はもはや
 存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 私たちが知るような望むべき、あるいは憎むべきものとしてでは
 ない。
 それはむしろ、愛がその表現を求めて障害にであうようなものだ。
 包括的なマインドとは、愛が活動のなかで環境と戦い、初めは挫
 折しつつも最終的には勝利をおさめるようなものなのだ。
 質問者 魂と身体との間に橋を渡すものは愛なのでしょうか?
 マハラジ
 ほかに何があろう?
 マインドが奈落を生みだし、ハートが橋を架けるのだ。
                   【3 今を生きる】(おわり)
(´・(ェ)・`)つ

106名無しを整える。2018/01/18(木) 19:00:02.03ID:v2m8uSqs
>>105
>宇宙とは完成されたものだ。
 そこに何も欠如していない完全性が在るとき、苦痛を与えられる
 ものがあるだろうか?

>(宇宙)全体の一部も、全体との関連のもとに見られたとき、また完全と
 なる。
 孤立したとき、それは欠陥をもち、苦痛の在処(ありか)となる。

↑ふむふむ。苦は孤立がもたらす幻想なのでありましょうかね。
孤立してる限りは苦はあり続けるのでありますね。

>何か別のマインドとは、?
 完成された宇宙のマインドみたいなものでありましょうか?
>愛がその表現を求めて障害にであうようなものだ。
 ↑障害があるから、愛の存在に気付けるように、苦があるから、苦の無い完成された宇宙のマインドに気付けるみたいな意味でありましょうか?
>マインドが奈落を生みだし、ハートが橋を架けるのだ。

心が奈落を生みだし、愛が橋を架けるでよいのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

107鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/18(木) 21:09:41.82ID:+gUVBpML
全体とはなれた個我があるという観念によって苦も生まれるのじゃ。

マインドの無いマインドなのじゃ。

そのようなものじゃ。

愛でよいのじゃ。
まだ悟っていなくとも愛によってのみ人は全体に気づくこともできると言うのじゃ。

108名無しを整える。2018/01/18(木) 21:33:34.81ID:v2m8uSqs
>>107
鬼和尚ありがとうであります。
この場合の「愛」は「慈悲」に置き換えられるような意味でありますよね。
仏教では、渇愛とか愛欲とか、愛という字が否定的に使われることが多いでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

109名無しを整える。2018/01/19(金) 18:42:01.15ID:6Me3d1AK
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】

 質問者 宇宙は因果関係の法則に支配されるのか、それともその法則の枠外
 で存在し機能するのかという質問がたびたび取り上げられてきまし
 た。すべては、たとえ小さくとも因果関係なしに、まったく何の理
 由もなく現れては消え去るというのが、あなたの見解だったと見受
 けられますが。
 マハラジ
 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。
 質問者 マインドが作用するかぎり、因果関係の法則に効力があるのですね。
 マハラジ
 すべての精神的なものがそうであるように、いわゆる因果関係もそれ自体が
 相矛盾するのだ。
 存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。
 宇宙がそのようではないかぎり、何ひとつあるがままでは在りえない。
 あらゆるものの土台と源が、起こることすべての唯一の原因であるとき、因
 果関係を宇宙の法則と見なすのは不当だと言えよう。
 宇宙の潜在的可能性は無限のため、その内容物によって限定されることはな
 い。
 しかもそれは基本的に、完全に自由な原理の表現または顕現なのだ。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

110名無しを整える。2018/01/19(金) 18:48:33.30ID:6Me3d1AK
>>105
> 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。

ここで言われている「因果関係」とは、
鬼和尚の説かれる、苦滅の法としての、縁起の法や十二因縁におけるそれとはちょぴっと違うようでありますね。
本質的なことを語ってるのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

111名無しを整える。2018/01/19(金) 18:50:58.07ID:6Me3d1AK
>>108
また、ある意味、苦滅の法も、この本質的理解において、その有効性が説明できのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

112鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/19(金) 22:50:04.71ID:7wBmbWxQ
>>108 そうじゃ、本来は男女の愛着なのじゃ。
 厭離すべきものとして説かれるのじゃ。
 それもまた苦に変る性質のものであるからのう。
 慈悲は苦に変らないものなのじゃ。

113名無しを整える。2018/01/20(土) 07:30:29.46ID:rGYOfI+i
>>109
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 質問者 ええ、結局ひとつのものが、ほかのものにとって唯一の原因だとす
 るのは、まったく間違いだということがわかります。しかし、実際
 の人生では、結果を見込んで行動を起こすのが私たちのつねなので
 す。
 マハラジ
 そうだ。
 無知のために、そのような行動はいたるところで見られる。
 全宇宙がそれを起こさないかぎり、何事も起こりはしないということを人び
 とが知るなら、彼らはよりわずかなエネルギーでより多くを達成するだろう。
 質問者 もしすべてが原因全体の表現だとするなら、ひとつの達成に向けて
 の目的ある行動などというものがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 達成しようとする衝動自体も全宇宙のひとつの表現なのだ。
 それは潜在するエネルギーが、ある一定の地点で現れたことを意味するにす
 ぎない。
 時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、
 原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
 質問者 それでも、どうして原因なしに何らかの存在が現れるのか、私には
 理解できません。

(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

114名無しを整える。2018/01/20(土) 08:05:01.71ID:rGYOfI+i
>>113
> 全宇宙がそれを起こさないかぎり、何事も起こりはしないということを人び
 とが知るなら、彼らはよりわずかなエネルギーでより多くを達成するだろう。
←起こるべくして起こることを、受容することにより、迷いがなくなり、従って、より少ないエネルギーで、より多くを達成できるということでありましょうか?

> 時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、
 原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
←創造的自由が現れるのも、迷いがなくなるからでありますかね。
個別の因果関係が否定されるということは、個別の自由意思が否定されているのでありますが、
そもそも、行為の主体という観念が否定されてるのでありますから、
その、行為の主体ががあると言う錯覚に気付けば、迷いがなくなり、逆に創造的自由が現れると言うことでありましょうか。

ふむふむ。このような説明の場面で、いきなり「無我」というよりも、I AMでも何でも、その創造的自由に気付ける主体(?)のようなものがあったほうが、説明がわかりやすくなるでありますね。

> 質問者 それでも、どうして原因なしに何らかの存在が現れるのか、私には理解できません。
←くまの気持ちを代弁してくれてる、ありがたい質問者さんであります。
(´・(ェ)・`)つ

115鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/20(土) 21:41:26.35ID:QvfPWXdu
時間もまた記憶に依って存在する観念に過ぎないのじゃ。
記憶と照らし合わせて変化した物をみて時間が経ったとか解釈するのじゃ。
変化するものが無ければ時間もまた無いのじゃ。

116名無しを整える。2018/01/21(日) 08:25:22.82ID:7mNaWiA1
4、3『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 マハラジ
 私が、あるものが原因なくして在ると言うとき、それはひとつの特定の原因
 なくしてという意味だ。
 あなたの誕生のために、あなたの母親は必要なかった。
 誰か他の女性から生まれることもありえたのだ。
 しかし、太陽と地球なしには生まれてくることはできなかったろう。
 それらでさえもっとも重要な原因なしでは、あなたの誕生の原因とはならな
 いだろう。
 生まれてきたいというあなた自身の欲望なしには。
 感情を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。
 欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことの
 できる何かとしてそれ自身を顕現させる。
 このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。
 真の世界はマインドを超える。
 私たちはそれを快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向
 こうにかいま見る。
 宇宙をあるがままに見るためには、その網を越え、一歩踏みださなければな
 らない。
 難しいことではない。
 なぜならその網は大きな穴でいっぱいだからだ。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

117名無しを整える。2018/01/21(日) 09:54:26.90ID:7mNaWiA1
>>116
>存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。>>109
>時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。>>113
←ここまでで、とどめてくれるのであれば、理屈として納得できるのである。
なのに、
>もっとも重要な原因なしでは、あなたの誕生の原因とはならないだろう。
 生まれてきたいというあなた自身の欲望なしには。>>116
←宇宙全体といっていた原因はの中でも、重要性の大小かあり、
>生まれてきたいというあなた自身の欲望
が、
重要な原因と言われてしまうので、ちょぴっと混乱するくまなのである。
このくまが混乱する点が、このお話しの要なのでありますね。
昨日鬼和尚が指摘された通り(>>115)、時間も幻想であれば、矛盾は無いのでありましょう。

うぅ・・・けど、やっぱり、むずかしい点であります。
最終的には、時間も空間も、一切の観念は幻想であり、ただ一つの意識のみがあると言うところまで辿り着いて始めて落とし込ことができるのでありましょう。
(´-(ェ)-`)つ

118名無しを整える。2018/01/21(日) 10:32:38.00ID:7mNaWiA1
>>116
> 感情を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。
 欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことの
 できる何かとしてそれ自身を顕現させる。
 このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。

→世界は、欲望によって創造される。
しかしそれは実体ではなく、名前と形=観念に過ぎない。

ふむふむ。
て、ことは、
欲望がなければ、世界はないのでありましょうか?
(´-(ェ)-`)つ

119名無しを整える。2018/01/21(日) 10:52:46.79ID:7mNaWiA1
>>118
> 欲望がなければ、世界はないのでありましょうか?
←これは言えないでありますね。
重要な原因というだけであり、
>宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる
と言ってるわけでありますから。
言葉尻を捉えて、屁理屈に囚われるのが、くまの悪い癖であります。
(´-(ェ)-`)ゞ

120鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/21(日) 22:54:40.47ID:wTH/vv1u
観念によって世界があると認識するのじゃ。
それは本来無いものじゃ。

121名無しを整える。2018/01/22(月) 18:27:55.14ID:0UGR56uS
>>116
( 真の世界はマインドを超える。
 私たちはそれを快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向こうにかいま見る。
 宇宙をあるがままに見るためには、その網を越え、一歩踏みださなければならない。 )
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 質問者 穴とはどういう意味でしょう? そして、どうすれば見いだせるの
 でしょうか?
 マハラジ
 網とその多くの矛盾を見るがいい。
 ことあるごとにあなたは何かを為(な)し、そして取り消す。
 愛と平和と幸福を求め、熱心に働きかけたあげく、苦痛と憎悪と戦争を生み
 出す。
 長寿を求めながら過食し、友情を求めながら搾取する。
 あなたの網の目が矛盾に満ちていることを見てとりなさい。
 そしてそれを取り払うのだ。
 見るという行為そのものがそれを消し去るだろう。
 質問者 見るという行為がそれを消し去るのならば、見ることと消えること
 の間に因果的関連があるのではないでしょうか?
 マハラジ
 たとえ概念としても、因果関係は混乱には当てはまらない。
 質問者 欲望はどの程度まで因果関係の要因となるのでしょうか?
 マハラジ
 欲望は多くの要因のなかのひとつだ。
 あらゆるものには無数の因果の要素がある。
 しかし、そのすべての源はあなたの中にあり、それは愛と力と光をすべての
 経験に与える至高の実在なのだ。
 だが、この源が原因なのではなく、またどの原因も源ではない。
 それゆえ、私はすべてのものに原因はないと言うのだ。
 あなたはどのようにしてものごとが起こるのか、その由来をたどってみよう
 とするかもしれない。
 だが、なぜものごとがあるがままなのかを見いだすことはできない。
 ものごとはあるがまま在るのだ。
 なぜなら宇宙はあるがまま在るからだ。

(´・(ェ)・`)つ
【4 真の世界はマインドを超える】(おわり)

122名無しを整える。2018/01/22(月) 20:01:12.94ID:0UGR56uS
>>121
真の世界、 あるがままの宇宙はどうしたら見れるか?
>快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向こうにかいま見る。

>網の目が矛盾に満ちていることを見てとり ・・・
 そしてそれを取り払う
 見るという行為そのものがそれを消し去るだろう。
>あらゆるものには無数の因果の要素がある。
 しかし、そのすべての源はあなたの中にあり、それは愛と力と光をすべての
 経験に与える至高の実在なのだ。
 だが、この源が原因なのではなく、またどの原因も源ではない。
 それゆえ、私はすべてのものに原因はないと言うのだ。
>なぜものごとがあるがままなのかを見いだすことはできない。
 ものごとはあるがまま在るのだ。
 なぜなら宇宙はあるがまま在るからだ。

ふむふむ。全てが全ての原因なのであれば、あるがままの原因はあるがままでありますね。
ふむふむふ…
(´・(ェ)・`)つ

123鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/22(月) 21:11:23.64ID:Gl3fGSkP
そうじゃ、あるがままなのじゃ。
長生きには小食がよいのじゃ。

124名無しを整える。2018/01/23(火) 18:30:26.96ID:hLalKlyV
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】

 質問者 観照意識とは不変のものでしょうか?
 マハラジ
 それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在
 る。
 不変あるいは永遠といった言葉は当てはまらないのだ。
 質問者 眠りのなかでは知る者も知られるものも存在しません。何が身体に
 感覚と受容力をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 知る者が不在だったと言うことはできない。
 ものごとや思考の体験がなかった、それだけだ。
 しかし、体験の不在もまた体験なのだ。
 それは暗室に入って、「何も見えません」と言うようなものだ。
 生まれつき盲目の人が暗闇の意味を知らないように、知る者だけが知らない
 ということを知っている。
 眠りは単なる記憶の喪失であり、生は続いていく。
 質問者 では死とは何でしょうか?
 マハラジ
 それはある特定の身体にとっての、生の過程における変化だ。
 統合が終わり、そして崩壊が始まる。
 質問者 しかし知る者はどうなるのでしょうか? 身体の消滅とともに知る
 者も消え去るのでしょうか?
 マハラジ
 誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去るの
 だ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

125名無しを整える。2018/01/23(火) 18:38:34.56ID:hLalKlyV
>>124
ふむふむ。
観照者意識とは、ただ一つの意識みたいなもので、不変なものかと思っていたであります。
> それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在る。
時を越えて在るけど、不変ではないのでありますね。

観照者意識も時も、不変も、観念でありますから、これでいいのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

126鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/23(火) 20:25:28.78ID:CYP8JhEb
知るのは厭離するためであるからのう。
厭離が起こればもはや知ることも必要ないのじゃ。
産まれた時から悟りへ導く能力はあるのじゃ。
死ねばそれもなくなってしまうのじゃ。

127名無しを整える。2018/01/23(火) 21:05:10.39ID:hLalKlyV
>>126
生きてあることによって、分離してあると言う錯覚から目覚める機会を得るのでありますね。
それが生きる意味であり、死んではならぬ理由なのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

128名無しを整える。2018/01/24(水) 18:39:02.22ID:cUymOozd
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】(つづき)

 質問者 そして何も残らないのですか?
 マハラジ
 生命が残る。
 意識は顕現するために、媒体と手段を必要とする。
 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。
 質問者 連鎖継続する身体とそれを知る者、あるいは「身体―精神 *」との
 間には、何か因果関係があるのでしょうか?
 * 訳注 「身体―精神」 Body-Mind
 身体―精神という有機的組織体ある
 いは身体精神機構を意味する。マハラジの最たる通訳者であった
 ラメッシ・S・バルセカールは、Body-Mind orgnism, Body-Mind
 mechanism, psychosomatic apparatusなどと解釈している。
 マハラジ
 そうだ。
 そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録
 した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
 それはイメージの雲を集めたようなものだ。
 質問者 この分離した存在の感覚はいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは分離した身体のなかに現れる、唯一の実在の反映なのだ。
 この反映のなかで、かぎりあるものと無限なるものが混同され、同じものと
 して見なされてしまった。
 この混乱の解消がヨーガの目的なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

129名無しを整える。2018/01/24(水) 18:58:20.74ID:cUymOozd
>>128
> マハラジ
誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去る
けど、 生命は残る。
> 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。

> そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
> それはイメージの雲を集めたようなものだ。
←これは輪廻の話でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

130鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/24(水) 21:56:37.51ID:UbsAW78a
>>127 そうじゃ、生きている限り悟りを得るチャンスはあるものじゃ。
 苦しくとも生きて悟りを目指すが良いのじゃ。

>>129 それは輪廻を創造する阿頼耶識のことなのじゃ。
 全て個我かあるという幻想の上で成立するものであるがのう。
 

131名無しを整える。2018/01/24(水) 22:24:22.61ID:cUymOozd
>>130
>想いをすべて記録した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何か

とは、阿頼耶識 の 種子みたいなもののことでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

132名無しを整える。2018/01/25(木) 18:33:35.56ID:HMDOKnMP
>>128
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】(つづき)

 質問者 死はこの混乱を解消しないのでしょうか?
 マハラジ
 死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。
 質問者 しかし人は生まれ変わるのでしょうか?
 マハラジ
 生まれたものは死ななければならない。
 不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。
 質問者 どのようにしてそれを見いだしたらいいのでしょう?
 マハラジ
 何かを見いだそうとするとき、あなたはどうするだろうか?
 マインドとハートをそれにとどめておくのだ。
 それに対する関心と、確固とした記憶が必要だ。
 覚えなければならないことを覚えること、それが成功の秘訣(ひけつ)だ。
 真剣さがそれをもたらす。
 質問者 見いだそうとするだけで充分なのですか? もちろん、能力と機会
 が必要なはずです。
 マハラジ
 真剣さがそれをもたらすだろう。
 もっとも重要なことは、目的地とそこへの道が異なったレベル上にあっては
 ならないこと、生活と光が調和すること、行いが信条を裏切らないこととい
 った矛盾から自由であることだ。
 誠実さ、清廉さ、完全性と呼んでもいい。
 後戻りしてはならない。
 やり直しはできない。
 一度征服した地を、離れたり見捨てたりしてはならない。
 目的に向かうねばり強さと、それを遂行する真剣さがあなたを目的地へと導
 くだろう。
 質問者 ねばり強さと誠実さは天が与えるものです。私にはそのほんのかけ
 らもありません!
 マハラジ
 あなたが突き進むにつれて、すべてはやってくるだろう。
 まず第一歩を踏み出しなさい。
 すべての恩寵(おんちょう)はあなたの内側からやってくる。
 内面に目を向けなさい。
 あなたは「私は在る」ことを知っている。
 自発的にそこへ戻ってくるようになるまで、もてるかぎりの時間をそれとと
 もに在りなさい。
 それ以上やさしい方法はないのだ。

【5 生まれたものは死ななければならない】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

133名無しを整える。2018/01/25(木) 19:26:35.36ID:HMDOKnMP
>>132
>死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。

>不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。

↑この「「私」という感覚が誰のおぼろげな反映なのか」
と言うのは、おぼろげながらも、何かの反映として、「私」と言う感覚を説明しようとしてるのであれば、否定されるものとしか説明できないものとしての「アートマン」のことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

134鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/25(木) 22:46:52.96ID:5fIGpGLY
>>131 そうじゃろう。
 そのような実体があるわけではないがのう。
 言葉で説明されただけなのじゃ。
 囚われてはいかんのじゃ。

>>133 違うのじゃ。
 それは自我が創られたイメージであることを追及するようにと教えているのじゃ。
 アートマンも存在しないのじゃ。
  

135名無しを整える。2018/01/25(木) 23:06:53.49ID:HMDOKnMP
>>134
鬼和尚、ありがとうであります。
> それは自我が創られたイメージであることを追及するようにと教えている
 アートマンも存在しない

↑このように考えていたのでありますが、
否定されるものとしか説明できないものとしての「アートマン」であるということは、実体のないイメージに過ぎないと言ってるのと同じことだと思ったのであります。

(´・(ェ)・`)つ

136名無しを整える。2018/01/26(金) 18:36:51.68ID:0LhjT7UR
『I AM THAT 私は在る』
【6 瞑想】

 質問者 すべての霊的教師たちが瞑想するように勧めます。瞑想の目的とは
 何なのでしょうか?
 マハラジ
 私たちは感覚や行為といった外側の世界は知っているが、思考や感情といっ
 た内なる世界のことはほとんど知らない。
 瞑想の初歩的な目的は、私たちの内なる生をより身近に自覚することだ。
 そして究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことだ。
 付随的にだが、瞑想の修行は私たちの人格に深く影響を及ぼす。
 私たちは私たちが知らないものの奴隷だ。
 知るものに対しては私たちが主人だ。
 何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知る
 ということ自体がそれを克服するのだ。
 無意識は意識層にもちこまれることによって溶解する。
 無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。
 マインドはそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。
 質問者 静かなマインドは何の役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であること
 を知る。
 私たちは経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその二
 つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。
 自分自身を、「私はあれやこれだ」と想像し、自己同一化をもととする人格
 は続いていく。
 しかし、ただ客観的世界の一部としてだけだ。
 観照者としての自己同一化は終焉(しゅうえん)する。
 質問者 私が理解するには、私は多くの異なったレベルに生き、その生の各
 々のレベルはエネルギーを必要とします。自己はその本性としてあ
 らゆることを楽しみ、そのためエネルギーは外側へと流れていきま
 す。このエネルギーをより高いレベルに蓄え、向上させ、豊かにす
 ること、それが瞑想の目的ではありませんか?
 マハラジ
 それはグナ(性質)のレベルの問題ではない。
 瞑想は純粋な行為であり、その目的はタマス(不活発性)とラジャス(活動
 性)を完全に除去することだ。
 純粋なサットヴァ(調和)は、怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

137名無しを整える。2018/01/26(金) 19:06:04.26ID:0LhjT7UR
>>136
> 瞑想の・・・究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことだ。
>何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知るということ自体がそれを克服するのだ。
 無意識は意識層にもちこまれることによって溶解する。
 無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。
 マインドはそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。
>マインドが静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であることを知る。
 私たちは経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその二つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。

>観照者としての自己同一化は終焉(しゅうえん)する。


ふむふむ。
純粋な観照者→観照者としての自己同一化は終焉→純粋な気づき

観照者から者が抜けると、ただ一つの意識みたいな「純粋な気づき」になるのでありましょうかね。

観照者の段階では、まだ、何者かに例えられる者なのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

138鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/26(金) 23:05:18.06ID:4Ffr/KL0
>>135 アートマンにも囚われてはいかんのじゃ。
 ただあるものを観るのじゃ。

>>137 観照が起こるのもまだ自我があるからなのじゃ。
 自我が無くなれば観照も終わり、観照者もなくなるのじゃ。

139名無しを整える。2018/01/27(土) 09:29:17.34ID:NgtDfn63
>>138
>アートマンにも囚われてはいかんのじゃ。
←確かに、アートマンに囚われてるでありますね。アートマンは、空同様、修業のために作られた概念とわりきればよいのでありましょう。

>観照が起こるのもまだ自我があるから
 自我が無くなれば観照も終わり、観照者もなくなる
←スッキリしたであります。
鬼和尚ありがとうであります。

140名無しを整える。2018/01/27(土) 09:42:43.41ID:NgtDfn63
>>136
( 瞑想は純粋な行為であり、その目的はタマス(不活発性)とラジャス(活動性)を完全に除去することだ。
 純粋なサットヴァ(調和)は、怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ。)

『I AM THAT 私は在る』
【6 瞑想】(つづき)

 質問者 どうやってサットヴァを強く清らかにするのでしょうか?
 マハラジ
 サットヴァはつねに強く純粋だ。
 それは太陽のようなものだ。
 雲やほこりに見え隠れすることはあっても、それはただ見る者の視点による
 のだ。
 太陽にではなく、太陽を隠す原因となるものに対処しなさい。
 質問者 サットヴァは何の役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 真理、善、調和、美、これらがいったい何の役に立つというのか?
 それらがそれら自身の目的なのだ。
 ものごとがそのまま干渉されず、避けられず、求められず、概念化されず、
 ただあるがままに完全な気づきのなかで体験されるとき、それらは自然に努
 力することなく現れる。
 そのような気づきそのものがサットヴァなのだ。
 それは人やものを利用するのではなく、それらを満たすのだ。
 質問者 サットヴァを高めることができないのなら、タマスとラジャスのみ
 に対処するのでしょうか? それらをどう扱えばよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのなかで、それらがどう影響を与えているかを見守ることによってだ。
 それらがどう作用するか気づいていなさい。
 あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。
 そうすればそれらのあなたへの支配は徐々に減っていき、サットヴァの澄ん
 だ光が輝きだすだろう。
 それは困難でも長い過程でもない。
 真剣さ、それが唯一の成功への条件だ。
                   【6瞑想】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

141名無しを整える。2018/01/27(土) 09:49:14.91ID:NgtDfn63
>>140
> 太陽(=サットヴァ(調和))にではなく、太陽を隠す原因となるものに対処しなさい。
> あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。
 そうすればそれらのあなたへの支配は徐々に減っていき、サットヴァの澄んだ光が輝きだすだろう。

↑今読むととてもわかりやすい説明でありますが、瞑想をした経験が無いときのくまが読んでも、ちんぷんかんぷんでであったでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

142鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/27(土) 22:33:09.92ID:FnMqhm6S
>>139 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 よかったのじゃ。

>>141 よいことじゃ。
 なかなかよい教えなのじゃ。
 

143名無しを整える。2018/01/28(日) 09:23:27.80ID:3VC1Hhn3
『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】

 質問者 世界が幻想(その無常さではなく)であるという論理を否定してい
 る、ある有能な人びとによって書かれた非常に興味深い本がありま
 す。彼らによると、最低位から最高位にわたる生きものの階層が存
 在し、各々の有機体の複雑性のレベルが意識の深さ、広さ、強靱(
 きょうじん)さを反映していると言います。成長のための形態の進
 化、意識の向上、無限の可能性の表現などにおいて、一貫してひと
 つの至高の法則が支配しているというのです。
 マハラジ
 そうかもしれない。
 あるいはそうでないかもしれない。
 たとえそうであったとしても、それは単にマインドにおける視点にすぎない。
 だが事実は、宇宙全体(マハーダカーシュ)はただ意識(チダカーシュ)の
 なかにのみ存在し、そして私自身は至高の絶対性(パラマカーシュ)のなか
 に在るのだ。
 純粋な存在のなかに意識が現れる。
 意識のなかで、世界は出現し消滅していく。
 存在するものはすべて私であり、すべては私のものだ。
 すべてがはじまる以前にも、そしてすべてが終わった後にも――私は在る。
 すべては私のなか、すべての生きるもののなかに輝く「私は在る」という感
 覚のなかにその存在がある。
 非存在でさえ私なしには考えることもできない。
 何が起ころうとも、観照者としての私がそこにいなければならないのだ。
 質問者 なぜあなたは世界の存在を否定されるのでしょうか?
 マハラジ
 世界を否定してはいない。
 私は世界を、広大な未知のなかの既知全体としての意識、その意識のなかの
 現れてとして見ている。
 はじまり、そして終わるもの、それはただの現れにすぎない。
 世界は現れるとは言えても、存在するとは言えない。
 その現れは、ある時間の比率においては非常に長い間続くだろうが、ほかの
 比率では非常に短いかもしれない。
 だが、結局は同じことだ。
 何であれ時間の範囲内にあるものは、はかなく実在性がない。

(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

144名無しを整える。2018/01/28(日) 09:57:17.46ID:3VC1Hhn3
>>143
>宇宙全体(マハーダカーシュ)はただ意識(チダカーシュ)のなかにのみ存在し、そして私自身は至高の絶対性(パラマカーシュ)のなかに在るのだ。
 純粋な存在のなかに意識が現れる。
 意識のなかで、世界は出現し消滅していく。
> 存在するものはすべて私であり、すべては私のものだ。
 すべてがはじまる以前にも、そしてすべてが終わった後にも――私は在る。
 すべては私のなか、すべての生きるもののなかに輝く「私は在る」という感
 覚のなかにその存在がある。
 非存在でさえ私なしには考えることもできない。
 何が起ころうとも、観照者としての私がそこにいなければならないのだ。

←こ.これはすごいであります。
くまは、至高の絶対性の中にいて、永遠のくまであります!
くまは、
>現れるとは言えても、存在するとは言えない。
 何であれ(くまであれ)時間の範囲内にあるものは、はかなく実在性がない
ものではないのであります。

くまだけでなく、ただ一人の例外もなく、至高の絶対性中にいて、永遠なのでありまして、宇宙全体よりすごいであります!
てか、それはくまではなく、ただ一つの意識、気付き、なのでありましょう。

(´・(ェ)・`)つ

145鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/28(日) 21:38:54.31ID:ypNWkWjJ
そうじゃ、全ては意識の現われなのじゃ。
世界が有るのではなく人々は意識の現われの一部を切り取ってこれが世界じゃとか言っているだけなのじゃ。

146名無しを整える。2018/01/29(月) 18:33:56.45ID:V3Tcg3Xz
『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】(つづき)

 質問者 間違いなく、あなたはあなたを取り巻く現実の世界を見ています。
 あなたはごく普通にふるまっているように見えますよ!
 マハラジ
 それはあなたにとってそう見えるだけだ。
 あなたの意識界全体を占めるものは、私にとっては微小片にすぎない。
 世界は続いていく。
 だが、ほんのつかの間だ。
 記憶が、世界は継続するとあなたに考えさせるのだ。
 記憶のなかに生きていない私にとって、世界は意識のなかのつかの間の現れ
 にすぎない。
 質問者 あなたの意識のなかにですか?
 マハラジ
 「私」や「私のもの」といったすべての観念、「私は在る」という観念さえ
 意識のなかに在る。
 質問者 それでは、あなたの「絶対存在(パラマカーシュ)」は無意識のな
 かにあるのでしょうか?
 マハラジ
 無意識という概念も意識のなかに存在する。
 質問者 それでは、あなたが至高の境地にあるとどうやって知るのでしょう?
 マハラジ
 なぜなら、私はその中に在るからだ。
 それはただ自然な状態なのだ。
 質問者 それを描写できますか?
 マハラジ
 それは原因なく、依存なく、関係なく、分割せず、創造せず、揺らぐことな
 く、問うことなく、努力によっては到達できないものとして、否定において
 のみ表現することができる。
 どのような肯定的な定義も記憶によるものであり、それゆえ適切ではない。
 しかし私の境地は至高の実在であり、それゆえ可能であり、実現でき、達成
 できるものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

147名無しを整える。2018/01/29(月) 18:39:11.23ID:V3Tcg3Xz
>>146
> 「私」や「私のもの」といったすべての観念、「私は在る」という観念さえ
 意識のなかに在る。
> 無意識という概念も意識のなかに存在する。

至高の境地にある(ことの)描写
>それは原因なく、依存なく、関係なく、分割せず、創造せず、揺らぐことなく、問うことなく、努力によっては到達できないものとして、否定においてのみ表現することができる。
 どのような肯定的な定義も記憶によるものであり、それゆえ適切ではない。
しかし私の境地は至高の実在であり、それゆえ可能であり、実現でき、達成できるものなのだ。

o(´・(ェ)・`)o
できるのだ!

148鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/29(月) 23:28:51.51ID:HJZftwlG
そうじゃ、達成できるのじゃ。
どんどん実践あるのみなのじゃ。

149名無しを整える。2018/01/30(火) 18:34:50.75ID:swcEpxcX
『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】(つづき)

 質問者 あなたは時を忘れて抽象世界のなかに没頭しているのですか?
 マハラジ
 抽象世界は知的な、言語的なものであって、睡眠や気絶のなかで消滅し、時
 間のなかでふたたび現れる。
 私は永遠なる今のなかに、私自身の境地(スワルーパ)のなかに在るのだ。
 過去と未来はマインドのなかだけに在る。
 私は今に在る。
 質問者 世界も今に在ります。
 マハラジ
 どの世界のことだろう?
 質問者 私たちを取り巻く世界です。
 マハラジ
 あなたの世界はあなたのマインドのなかに在り、それは私のものではない。
 あなたとのこの会話でさえ、あなたの世界のなかにあるだけだというのに、
 私の何を知っているというのだろうか?
 私の世界があなたの世界と同一だと信じる理由は何もない。
 私の世界は知覚されたままの実在、真実だ。
 ところがあなたの世界は、あなたのマインドの状態にしたがって現れては消
 える。
 あなたの世界は何か相容れないものであり、あなたはそれを恐れている。
 私の世界は私自身であり、わが家同然だ。
 質問者 もしあなたが世界ならば、どうやってそれを意識することができる
 のでしょうか? 時間的意識はその対象から区別されるものではあ
 りませんか?
 マハラジ
 意識と世界はともに現れ、ともに消える。
 それゆえ、それらは同じ状態の二つの層なのだ。
 質問者 眠りのなかで私は存在しないのに、世界は続いています。
 マハラジ
 どうやってそれを知ったのだろうか?
 質問者 目覚めとともに知るのです。記憶がそう言っています。
 マハラジ
 記憶はマインドのなかに在り、マインドは眠りのなかで続く。
 質問者 それは部分的に停止しています。
 マハラジ
 だが、世界のありようは影響されないままだ。
 マインドがそこにあるかぎり、あなたの身体と世界はそこにある。
 あなたの世界はマインドでつくられ、主観的で、マインドに閉ざされ、断片
 的、個人的で、記憶の糸にしがみついている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

150名無しを整える。2018/01/30(火) 18:48:24.47ID:swcEpxcX
>>149
> 私の世界は知覚されたままの実在、真実だ。

 知覚されたままの実在、真実

って、記憶と照合される前、観念化される前のそれ、と言うような意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

151鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/30(火) 23:45:10.57ID:Ext8XI3+
そうじゃ、マハラジの世界は観念のないありのままの知覚された真実なのじゃ。
同じ世界であってもマハラジと質問者の世界は違うものじゃ。
観念が無ければ全ては意識として認識されるのじゃ。

152名無しを整える。2018/01/31(水) 18:29:25.27ID:GMPzREYM
( マインドがそこにあるかぎり、あなたの身体と世界はそこにある。
 あなたの世界はマインドでつくられ、主観的で、マインドに閉ざされ、
断片的、個人的で、記憶の糸にしがみついている。


『I AM THAT 私は在る』
【7 マインド】(つづき)
 質問者 あなたの世界もまたそうなのですか?
 マハラジ
 いいや、私の世界は実在であり、あなたの世界は想像にすぎない。
 あなたの世界は個人的な、私的な、分かちあうことのできない、あなたにと
 ってだけ親密なものなのだ。
 あなたはあなたが見るように見、聞くように聞き、あなたの感情を感じ、あ
 なたの想いを考え、誰もそこに入りこめない。
 あなたの世界のなかで、あなたは本当に孤独だ。
 あなたが人生と呼ぶ、絶えず変わりつづける夢に囲まれながら。
 私の世界は開かれた世界だ。
 すべてに共通し、誰にでもアクセスできる。
 私の世界には共有性、洞察、愛、実在の質がある。
 個が完全であり、個のなかに全体性がある。
 すべては一であり、一がすべてなのだ。
 質問者 あなたの世界は私のと同じように人びとや物でいっぱいなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 いいや、それは私自身で満ちている。
 質問者 あなたは私たちのように見たり聞いたりするのでしょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 私も見たり、聞いたり、話したり、行動したりするように見えるだろう。
 しかし、あなたの呼吸や消化作用がただ起こるように、私にとってそれらは
 ただ起こるのだ。
 「身体―精神」器官がそれらの面倒を見、私は関わらない。
 あなたが髪の毛の成長を心配する必要がないように、私も言葉や行動につい
 てマインドを煩(わずら)わせたりしない。
 それらはただ起こる。
 そして私は気にかけない。
 なぜなら、私の世界ではけっして何も間違いは起こらないからだ。

【7 マインド】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

153鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/31(水) 22:07:01.31ID:VbXRhUCN
悟らなければ世界はその者の観念であり、むその中でしか生活できないのじゃ。
悟れば観念は無くなり、実際の世界に生きられるのじゃ。
そこでは真の交感が可能になるのじゃ。
主体無くしてただ起こるだけの繋がりが全てなのじゃ。
それを意識と呼ぶのじゃ。 

154名無しを整える。2018/02/01(木) 19:09:05.22ID:K4pk3rrF
『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】

 質問者 子どもの頃、忘我の境地、完全な幸福状態をたびたび体験しました
 が、後にそれは止まってしまいました。インドに来て以来、特にあ
 なたに出会って以来、その状態がふたたび現れはじめています。そ
 れでも、どんなに素晴らしい状態であっても持続しません。それは
 来ては去り、いつふたたび訪れるかもしれません。
 マハラジ
 マインドそのものが不動ではないのに、マインドのなかにある何が不動であ
 りうるというのだろう?
 質問者 どうすれば私のマインドを不動にできるのでしょうか?
 マハラジ
 不動でないマインドが、それ自身を不動にすることができるだろうか?
 もちろんできはしない。
 うろつきまわるのがマインドの本性なのだ。
 あなたにできることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだ
 けだ。
 質問者 どうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。
 はじめのうち、マインドは抵抗するだろう。
 しかし忍耐と根気をもってすれば、それは降伏し、静かになるだろう。
 ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
 的にまったく自然に起こりはじめる。
 質問者 このマインドとの長い闘いを避けることはできるのでしょうか?
 マハラジ
 できる。
 生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもた
 らすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 それもまた道なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

155名無しを整える。2018/02/01(木) 19:12:55.43ID:K4pk3rrF
>>154
>できることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだけだ。
・・・そのために、
>「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。
・・・・そして、
>ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
 的にまったく自然に起こりはじめる。

>生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもた
 らすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 

何か簡単そうでありますね!
(´・(ェ)・`)b

156鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/01(木) 21:25:34.07ID:UzLPDYve
簡単なことほど実践は難しかったりするのじゃ。
そもそも集中力がなければできないからのう。
集中力が大事なのじゃ。 

157名無しを整える。2018/02/01(木) 21:47:11.13ID:K4pk3rrF
>>156
至道無難 でありますが、
簡単そうで簡単でないのでありますね。
(´-(ェ)-`)つ

158名無しを整える。2018/02/02(金) 18:57:33.88ID:EIBQc3Yq
(生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもたらすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 それもまた道なのだ。)

『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 それなら結婚し、子どもを持ち、仕事をして――幸せになることも
 できるのですね。
 マハラジ
 もちろん。
 幸せになるかもしれないし、ならないかもしれない。
 あなたの歩調で歩くがいい。
 質問者 でも、私は幸せになりたいのです。
 マハラジ
 真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくもののなかに見いだすことはできな
 い。
 喜びと苦しみは容赦なく交互にやってくる。
 真の幸福は自己から来る。
 そして、それは自己のなかにしか見いだせないのだ。
 あなたの真我(スワルーパ)を見いだしなさい。
 それとともに、それ以外のすべてもやってくるだろう。
 質問者 もし私の真我が愛と平和ならば、なぜそれはこうも落ち着きがない
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたの真の存在に落ち着きがないのではない、その反映がマインドのなか
 に落ち着きなく現れるのだ。
 なぜなら、マインドは落ち着きのないものだからだ。
 それは水面に映る月が、風で揺らめくようなものだ。
 欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動
 かし、千変万化に映しだす。
 しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと悲しみといった観念は、す
 べてマインドのなかに存在する。
 真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。
 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 たった今ここで、あなたは真我なのだ。
 マインドのことは放っておきなさい。
 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

159名無しを整える。2018/02/02(金) 19:03:13.37ID:EIBQc3Yq
>>158
> 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。

(-・(ェ)・-)つ
目覚めるのだ!

160鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/02(金) 22:16:33.91ID:x5sXF7Hz
実践あるのみなのじゃ。

161名無しを整える。2018/02/03(土) 07:56:19.52ID:CxVAhfgF
>>158
( 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。)

『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 ほかの側面は何でしょうか?
 マハラジ
 側面は無数にある。
 ひとつを知ればすべてを悟るだろう。
 質問者 何か助けとなることを言ってください。
 マハラジ
 何が一番必要なのかはあなたが知っているはずだ。
 質問者 私は落ち着きがありません。どうすれば平和になれるのでしょう?
 マハラジ
 何のために平和が必要なのだろう?
 質問者 幸せになるために。
 マハラジ
 今、あなたは幸せではないのかね?
 質問者 ええ、そうではありません。
 マハラジ
 何があなたを不幸せにするのだろう?
 質問者 私は欲しくないものをもち、持っていないものが欲しいのです。
 マハラジ
 なぜそれを、持っているものを欲し、持っていないものは気にかけない、と
 いうふうにひっくり返さないのかね?
 質問者 私は快楽が欲しく、苦痛は欲しくないのです。
 マハラジ
 何が快楽で何がそうでないか、どうやって知るのだろうか?
 質問者 過去の体験からです。もちろん。
 マハラジ
 記憶に導かれながらあなたは快楽を追求し、不快を避けてきた。
 今まで成功しただろうか?
 質問者 いいえ。快楽は長続きせず、苦しみはふたたび入りこんできます。
 マハラジ
 どの苦しみだろう?
 質問者 喜びへの欲望と苦しみへの恐怖、どちらも惨めな状態です。純粋な
 喜びという状態は存在するのでしょうか?
 マハラジ
 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。
 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされ
 る。
 それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。
 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

162名無しを整える。2018/02/03(土) 08:36:16.18ID:CxVAhfgF
>>161
> 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。
 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされる。
 それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。
 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。

渇愛が苦の原因でありますね。
(´-(ェ)-`)つ

163鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/03(土) 22:41:13.56ID:friOuVk6
そうじゃ、快楽は苦への近道なのじゃ。
快楽に囚われればいずれ苦になるのじゃ。
それ故に一切は苦になるのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。 

164名無しを整える。2018/02/04(日) 08:07:58.18ID:DAOkwlag
『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 混乱の構造は理解できますが、出口が見いだせません。
 マハラジ
 構造を調べること自体が道を示すのだ。
 つまるところ、あなたの混乱はあなたのマインドのなかにだけ存在している。
 そのマインドはけっして混乱に抵抗せず、それを理解しようともしてこなか
 った。
 マインドが抵抗したのは苦しみに対してだけだった。
 質問者 それでは、私は混乱しつづけるしかないのですか?
 マハラジ
 油断なく在りなさい。
 問いかけ、観察し、調べ、混乱があなたや他人に何をし、どう作用するのか、
 混乱について何ができるのかをすべて学びなさい。
 混乱について明らかにすることで、あなたはそれを一掃する。
 質問者 自分の内側を見つめるとき、私のもっとも強い欲望は己の記念碑、
 自分を永続させる何かをつくり出したいのだということが見てとれ
 ます。私が家や、妻や、子どもを思うときでさえ、それは永続する
 確固たる自己の証明となるからです。
 マハラジ
 では、記念碑をつくるがいい。
 どうするつもりかね?
 質問者 それが永遠のものであるかぎり、何を建てるかは問題ではないので
 す。
 マハラジ
 あなた自身、何ひとつ永遠のものはないと知るだろう。
 すべては衰退し、朽ち果て、崩壊する。
 記念碑を建てる土台そのものが崩れ去っていくのだ。
 永続するような何を築くことができるというのだろう?
 質問者 知的に、言葉の上では、すべてがはかないものだと気づいています。
 しかしそれでも、私のハートは永遠なるものを求めています。何か
 永続するものをつくりたいのです。
 マハラジ
 それでは永続する何かをつくるがいい。。
 そのようなものを何かもっているかね?
 あなたの身体もマインドも長続きはしない。
 どこかほかを探すべきだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

165名無しを整える。2018/02/04(日) 08:12:57.87ID:DAOkwlag
>>164
ふむふむ。
問いかけ、観察し、調べ、学び、 混乱について明らかにすることで、それを一掃する。
のでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

166鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/04(日) 20:48:40.09ID:YEyWO7rJ
そうじゃ、全てを完全に観察すればそれだけで苦はなくなるのじゃ。
観察によって厭離はなされるのじゃ。

167名無しを整える。2018/02/05(月) 18:30:05.55ID:Z7kzvQOb
『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 永遠なるものを求めてきましたが、どこにも見いだすことはできま
 せんでした。
 マハラジ
 あなた自身が永遠なのではないだろうか?
 質問者 私は生まれました。そして死んでいくでしょう。
 マハラジ
 あなたが生まれる以前、あなたが存在していなかったと言えるだろうか?
 そして死ぬときになって、「私はもはや存在しない」と言えるというのだろ
 うか?
 あなた自身の体験からも、あなたが存在していないということは不可能だ。
 ただ、「私は在る」と言えるだけだ。
 他者もまた、「あなたは存在しない」と言うことはできない。
 質問者 眠りのなかでは、「私は在る」という感覚はありませんでした。
 マハラジ
 そんな決めつけたような言葉を吐く前に、目覚めの状態を一度注意深く調べ
 てみるがいい。
 目覚めの状態は、マインドが空白になった瞬間でいっぱいだとすぐに気づく
 だろう。
 完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかか
 ということに注意を払いなさい。
 眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。
 ただ覚えていないだけなのだ。
 記憶の隙間が必ずしも意識の隙間であるとはかぎらない。
 質問者 深い眠りの状態を記憶することはできるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん!
 目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
 状態の感覚を徐々に除去するだろう。
 あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。
 質問者 しかし、永久なるもの、存在の永続性の問題はまだ解かれていませ
 ん。
 マハラジ
 永久性とは時間の運動から生まれた、ただの概念にすぎない。
 時間もまた記憶に依存する。
 永久なるものと言うことで、あなたは無限なる時間を通して、変わることの
 ない確かな記憶を表している。
 あなたはマインドを永遠のものにしたい。
 だが、それは不可能だ。
 質問者 では、永遠とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは時とともに変化しないものだ。
 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。
 不変のものだけが永遠なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

168名無しを整える。2018/02/05(月) 18:36:44.61ID:Z7kzvQOb
>>167
>、目覚めの状態を一度注意深く調べ
 てみるがいい。
 目覚めの状態は、マインドが空白になった瞬間でいっぱいだとすぐに気づく
 だろう。
 完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかか
 ということに注意を払いなさい。
 眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。
 ただ覚えていないだけなのだ。
 記憶の隙間が必ずしも意識の隙間であるとはかぎらない。

> 目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
 状態の感覚を徐々に除去するだろう。
 あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。

ふむふむ。きっとできることなのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

169鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/05(月) 21:19:54.34ID:R9JidTti
そうじゃ、寝ていても意識は有るものじゃ。
ただ記憶できなかったから無いと思っているだけなのじゃ。
記憶は意識ではないのじゃ。
記憶が無くても意識は有るのじゃ。

170名無しを整える。2018/02/06(火) 18:29:30.17ID:6FBrhlrW
>>167
( 質問者 では、永遠とは何なのでしょうか?
 マハラジ それは時とともに変化しないものだ。
 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。
 不変のものだけが永遠なのだ。)

8の2、3『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】の2回目(つづき)

 質問者 あなたのおっしゃることの意味は概してなじみ深いものです。私は
 これ以上の知識は欲しくありません。ただ平和が欲しいのです。
 マハラジ
 求めさえすれば、欲するすべての平和は得られる。
 質問者 私は求めています。
 マハラジ
 ひたむきに求めなければならない。そして統合された生を生きなさい。
 質問者 どうすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドを落ち着かなくさせる、すべてのものからあなたを引き離
 しなさい。
 平和を乱す、すべてのものを放棄しなさい。
 もし平和が欲しいのなら、それを受けるに値する者となりなさい。
 質問者 もちろん、誰もが平和を受けるに値します。
 マハラジ
 それを妨げない者だけが受けるに値するのだ。
 質問者 いったい、どのようにして私は平和を妨げているというのでしょう
 か?
 マハラジ
 欲望や恐怖の奴隷となることによってだ。
 質問者 たとえそれらが正当と見なされたときでもでしょうか?
 マハラジ
 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。
 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。
 あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。
 これが平和へのただひとつの道だ。
                   【8 真我はマインドを超えて在る】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

171名無しを整える。2018/02/06(火) 18:33:42.51ID:6FBrhlrW
>>170
> 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。
 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。
 あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。
 これが平和へのただひとつの道だ。

(´・(ェ)・`)つ

172鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/06(火) 21:41:57.84ID:gSsv/o3F
正当な欲とか恐れなど無いものじゃ。
それらも誤った観念から起こるだけのものであるからのう。

173名無しを整える。2018/02/07(水) 21:00:49.76ID:0s6pPVt0
『I AM THAT 私は在る』
【9 記憶の反応】

 質問者 ある人は、宇宙は創造されたと言い、またある人は、宇宙はつねに
 存在し、絶えず変容しつづけていると言います。ある人は、宇宙は
 永遠の法則に支配されていると言い、またある人は、因果律さえ否
 定しています。ある人は、世界は実在すると言い、またある人は、
 世界はどのような存在ももたないと言います。
 マハラジ
 いったいどの世界についてあなたは尋ねているのだろうか?
 質問者 私が知覚する世界です、もちろん。
 マハラジ
 あなたの知覚する世界は実に小さな世界だ。
 それは完全に私的なものだ。
 それを夢と見なして放っておきなさい。
 質問者 どうして世界を夢として見なすことができるでしょう? 夢とは長
 く続かないものです。
 マハラジ
 あなたの小さな世界が、どれほど長続きするというのかね?
 質問者 つまるところ、私の小さな世界も全体の一部分です。
 マハラジ
 全世界という概念も、あなたの私的な世界の一部ではないだろうか?
 宇宙はあなたのところにやってきて、あなたは宇宙の一部だと言いはしない。
 全体があなたをその一部として含んでいるという考えをつくり上げたのは、
 あなたではないだろうか?
 実際に、たとえどんなに想像と期待で飾りたてていても、あなたが知ってい
 るのはあなたの私的な世界にすぎないのだ。
(つづく)

174名無しを整える。2018/02/07(水) 21:07:35.05ID:0s6pPVt0
>>173
>たとえどんなに想像と期待で飾りたてていても、あなたが知っているのはあなたの私的な世界にすぎないのだ。
(´・(ェ)・`)つ
そうだ!

175鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/07(水) 22:37:11.69ID:K7/U5g88
世界も自分の観念に過ぎないのじゃ。
観察によってそれも滅するのじゃ。

176名無しを整える。2018/02/07(水) 22:56:16.24ID:0s6pPVt0
>>175
思いは思わなければないもので、
気はもちようでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

177名無しを整える。2018/02/08(木) 07:41:52.14ID:TYJqILav
>>173
『I AM THAT 私は在る』
【9 記憶の反応】(つづき)

 質問者 もちろん、知覚は想像ではありません!
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 知覚とは認識ではないだろうか?
 何かまったく知られていないものを感じ取ることはできるだろう、だが知覚
 することはできない。
 知覚は記憶をともなうのだ。
 質問者 仮にそうだとしても、記憶がそれを幻想にするということはありま
 せん。
 マハラジ
 知覚、想像、期待、不安、幻想はすべて記憶に基づくものだ。
 それらの間にはほとんど境界線さえなく、互いに溶け込んでいる。
 すべては記憶の反応なのだ。
 質問者 それでも、記憶は私の世界の実在性を証明してくれます。
 マハラジ
 どれだけあなたは覚えているだろうか?
 先月の三十日にあなたが何を考え、何を話し、何をしたか記憶に基づいて書
 きだしてみるがいい。
 質問者 確かにそこには空白があります。
 マハラジ
 それほど悪くはない。
 相当量をあなたは覚えているはずだ。
 無意識の記憶が、あなたの住む世界をなじみ深くさせるのだ。
 質問者 私の生きる世界が部分的で、主観的であることは認めます。あなた
 はどうなのでしょう? あなたはどのような世界に生きているので
 しょうか?
 マハラジ
 私の世界はあなたの世界と同様だ。
 私は、私の知覚する世界であなたと同じように見、聞き、感じ、考え、話し、
 行動する。
 だがあなたにとってはそれがすべてで、私にとっては、それはほとんど無に
 等しい。
 世界が私自身の一部であると知っているため、あなたが食べた食事に注意を
 払わない以上に、私もそれに留意しないのだ。
 用意されてから食べる間、食べ物はあなたから分離して在り、あなたはそれ
 に留意する。
 ひとたび飲みこめば、それに対してはまったく無意識になる。
 私は世界を食べてしまったのだ。
 だからそれについて考える必要はもはやないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

178名無しを整える。2018/02/08(木) 07:51:55.15ID:TYJqILav
>>177

>世界が私自身の一部であると知っているため、あなたが食べた食事に注意を
 払わない以上に、私もそれに留意しないのだ。
 用意されてから食べる間、食べ物はあなたから分離して在り、あなたはそれ
 に留意する。
 ひとたび飲みこめば、それに対してはまったく無意識になる。
 私は世界を食べてしまったのだ。
 だからそれについて考える必要はもはやないのだ。
(´・(ェ)・`)つ
くまも世界を食べてしまいたい。
そのためには、
> 知覚、想像、期待、不安、幻想はすべて記憶に基づくものだ。
ということが、腑に落ちれば良いのでありますね。

179鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/08(木) 22:08:16.41ID:BJxBpZjb
>>176 そうじゃ、思わなければ世界も無いのじゃ。
 無の境地なのじゃ。


観察によってそれに気づくのじゃ。

180名無しを整える。2018/02/09(金) 18:38:41.35ID:TFJkSeQa
>>177
『I AM THAT 私は在る』
【9 記憶の反応】

 質問者 それでは完全に無責任になるのではありませんか?
 マハラジ
 どうして無責任になれるだろう?
 私とひとつとなったものを、どうして傷つけることができるだろうか?
 その反対に、世界のことを考えずとも、何であれ私のすることは世界への恩
 恵となる。
 身体が無意識にそれ自身を正しく調整するように、私も絶え間なく世界を正
 すように活動している。
 質問者 やはり、あなたは世界の途方もない苦しみに気づいているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もちろん、あなた以上に気づいている。
 質問者 それでは、あなたは何をするのでしょう?
 マハラジ
 神の目を通して見、すべてはこれでいいということを見いだすのだ。
 質問者 いったい、どうしてすべてがこれでいいなどと言えるのですか?
 戦争、搾取、国と民との悲惨な争いを見てごらんなさい。
 マハラジ
 それらの苦しみはすべて人間のつくり出したものであり、それらを終結させ
 るのは人間の力の内にある。
 人間を自らの行為の結果に直面させ、そのバランスを取らせるよう要求する
 ことで神は助けている。
 カルマ(因果応報)が公正さのために働く法則だ。
 それは神の癒しの手なのだ。

【9 記憶の反応】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

181名無しを整える。2018/02/09(金) 18:40:34.43ID:TFJkSeQa
>>180
>カルマ(因果応報)が公正さのために働く法則だ。
 それは神の癒しの手なのだ。
(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。なるへそへそのゴマである。

182鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/09(金) 22:55:44.73ID:fDiKRGtp
世界中の人が苦しんでいるから何かしようと思うのが更なる権力闘争を生むのじゃ。
自らの利益の為に口実にしているだけであるからのう。
誰もが自分のしたこととしなかったことの報いを受けるだけなのじゃ。
自分の心を観察によって整えれば最高の報いが有るのじゃ。

 

183名無しを整える。2018/02/10(土) 08:48:35.45ID:Ad4MC+o0
『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】

 質問者 私は欲望がいっぱいで、それらすべてを満たしたいのです。どうす
 ればいいでしょうか?
 マハラジ
 あなたは欲するものを受けるに値するだろうか?
 何とかして欲望を満たせるよう努めるしかない。
 エネルギーを注いで結果を待ちなさい。
 質問者 どこからエネルギーを手に入れるのでしょう?
 マハラジ
 欲望そのものがエネルギーだ。
 質問者 それなら、どうしてすべての欲望は満たされないのでしょうか?
 マハラジ
 たぶんそれは充分強くはなく、長続きもしなかったのだろう。
 質問者 そうです。それが私の問題なのです。物が欲しいのですが、いざ、
 行動を起こす段になると怠惰になってしまうのです。
 マハラジ
 あなたの欲望が明確でなく、強くもなければ、それは形をなさない。
 さらに、もしあなたの欲望が個人的なもので、あなた自身の享楽のためなら
 ば、エネルギーは必然的にかぎりあるものとなる。
 それはあなたが持っている以上にはならないだろう。
 質問者 しかし、しばしば普通の人びとも欲望を達成しています。
 マハラジ
 それは本当に強く、しかも長期にわたって望んだときだけだ。
 たとえそうだとしても彼らの達成はかぎられたものだ。
 質問者 それでは、利己的でない欲望はどうなのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが社会のためを思って望むならば、世界全体があなたとともに望むだ
 ろう。
 人類の望みをあなた自身のものとして努めなさい。
 そうすれば、決して失敗はあり得ない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

184名無しを整える。2018/02/10(土) 08:56:14.94ID:Ad4MC+o0
>>182
鬼和尚、おはようであります。
マハラジは、
>あなたが社会のためを思って望むならば、世界全体があなたとともに望むだ
 ろう。
 人類の望みをあなた自身のものとして努めなさい。
 そうすれば、決して失敗はあり得ない。
と言いますが、
それは、真に社会のためを思って望むならでありますね。
ほとんどの場合、本心では、
>自らの利益の為に口実にしているだけであるから
結局、
> 誰もが自分のしたこととしなかったことの報いを受ける
はめになるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

185鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/10(土) 22:39:41.20ID:Esk+FOSg
そうじゃ、本心からの想いでなければ何もならないのじゃ。
自分の心を誤魔化すことはできないのじゃ。
善い事をして善い所に行くとよいのじゃ。

186名無しを整える。2018/02/10(土) 23:43:32.70ID:eNHimUFk
こんな邪教を学んでも何もいいことなんかない。
退廃文化は自己満足を追求するがあまり
どうどう巡りするだけ

187名無しを整える。2018/02/11(日) 08:30:58.05ID:jxyvrXdU
>>183
『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】(つづき)

 質問者 人類は神が関わる仕事であり、私の仕事ではありません。私は私自
 身に関わっているのです。私の正当な欲望が満たされるのを見る権
 利はないのでしょうか? それは誰も傷つけません。私の欲望は正
 当なもので、正しい欲望です。なぜ満たされないのでしょうか?
 マハラジ
 欲望は環境や状況にしたがって、正しくもなり、間違いにもなる。
 あなたがそれをどう見るかによるのだ。
 正不正の区別は個人にとってのみ有効なのだ。
 質問者 その区別のガイドラインとなるものは何でしょうか? どうすれば
 どの欲望が正しく、どれが間違っているのかを知ることができるの
 でしょうか?
 マハラジ
 あなたの場合、悲しみをもたらす欲望が間違ったもので、幸せをもたらすも
 のが正しい。
 だが、ほかの人たちのことを忘れてはいけない。
 彼らの悲しみや、幸せもまた考慮に入れるのだ。
 質問者 結果は未来のなかにあります。どうすればそれを知ることができる
 のでしょう。
 マハラジ
 考えなさい。
 記憶し、観察しなさい。
 あなたはほかの人と変わりはしない。
 彼らの経験のほとんどは、あなたにとっても有効なものだ。
 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
 覚えておきなさい。
 あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。
 質問者 私自身を知るとはどういう意味でしょうか? 私自身を知ることで
 正確には何を知ることになるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたではないすべてを知るのだ。
 質問者 何が私か、ではないのですか?
 マハラジ
 あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

188名無しを整える。2018/02/11(日) 09:22:51.81ID:jxyvrXdU
この10章の質問者(>>183>>187)は、えらく正直な人であります。
自分は欲望の塊であり、それをなんとかかなえたいと主張する、ごく普通の人であります。
>私の正当な欲望が・・・・
・・・・なぜ満たされないのでしょうか?と、問う、質問者を、マハラジは上手いこと導いて行くであります。
質問者の主張の混乱を整理して、
> あなたの場合、悲しみをもたらす欲望が間違ったもので、幸せをもたらすものが正しい。
 だが、ほかの人たちのことを忘れてはいけない。
と、導いた上で、
> 欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。
 それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなた
 の行動に強力な影響を与える。
・・・・ あなたの知らないことを放棄することはできない。
 あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。

と、渇愛を観察しつくすように、促し、自身(=自我?)を越えていくためには、自身を知らねばならず、自身を知るとは、

>あなたではないすべてを知るのだ。
 あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。

何がくまでないかを知ることで、囚われから自由になるのでありますね。
欲を捨てると言うと、超難しく感じるけど、欲を観察することにより、それは自分ではないと見極めると言われれば、それなら出来そうな気がするくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

189名無しを整える。2018/02/11(日) 17:26:23.86ID:mLUOSuYt
宗教なんて時間の無駄
ましてこんな邪教・・・

190鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/12(月) 01:25:35.09ID:7C+LBPy7
自分が気づいていないことをも否定すればいつまでも苦はあるものじゃ。
ただ観察して気付くことによって全ての苦は消えるのじゃ。
そして謬見をも消すことができるのじゃ。

191名無しを整える。2018/02/12(月) 09:37:38.18ID:MR6XG7jF
>>190
>自分が気づいていないことをも否定すればいつまでも苦はある
←この点がちょぴっと難しいのであります。くま昔、地橋さんの本で、ラベリングアプローチと言うのを学び、やってみたのであります。
この手法は、観念で観念をチェックする方法であり、手法的に、脳内に余計な観念を増やしてしまうことになりやめたのでありますが、
ラベリングに熟達すれば、例えば、怒りの感情の原因が、「悲しみ」「嫉妬」「恐怖」など、何が本心か、何が本当の原因か、うまくヒットすれば、感情は消え、ヒットしなければ消えないと言う風に、
有効に使えそうな気もしたであります。
(´・(ェ)・`)つ

192名無しを整える。2018/02/12(月) 09:46:35.00ID:MR6XG7jF
>>187
( あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。)

『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】(つづき)

 質問者 そして私は何を発見するのでしょうか?
 マハラジ
 そこには何も発見するものはないということを発見する。
 あなたはただ、あなたなのだ。
 ただそれだけだ。
 質問者 しかし究極的に、私とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。
 質問者 私には理解できません。
 マハラジ
 あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目に
 するのだ。
 質問者 どうすればこの考えからまぬがれることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気
 づきだ、と私が言うのを信じなさい。
 それを自覚し、それにしたがって生きなさい。
 もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り「私は誰か?」
 と尋ねるがいい。
 あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づ
 きの焦点を合わせなさい。
 質問者 あなたに対する私の信頼は何に依存するのでしょう?
 マハラジ
 ほかの人のハートを見通すあなたの洞察に依る。
 もし私のハートを見抜くことができないなら、自分のハートに見入るがいい。
 質問者 どちらも私にはできません。
 マハラジ
 秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。
 あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。
 それがあなたの洞察力を明晰にするだろう。
 質問者 すべてを放棄し、住居なき放浪の人生を送るべきではないのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたには放棄できない。
 あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。
 だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
 で、それがあなたを離れることはないだろう。
 まず、あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

193名無しを整える。2018/02/12(月) 09:54:15.51ID:MR6XG7jF
>>192
>あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気
 づきだ、と私が言うのを信じなさい。
 それを自覚し、それにしたがって生きなさい。
 (あるいは、)内側に入り「私は誰か?」と尋ねるがいい。
 あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づ
 きの焦点を合わせなさい。

> 秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。
 あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。
 それがあなたの洞察力を明晰にするだろう

>執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
 で、それがあなたを離れることはないだろう。
 まず、あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。

(´・(ェ)・`)つ
くまは、「気づき」であると信じよう!
そしたら、ほかのすべてがやってくるんだ。

194名無しを整える。2018/02/12(月) 12:15:22.60ID:MR6XG7jF
>>193
くまが純粋な気づきであるためには、
受相行識の、受でとどまることを目指せば良いのでありますね。
集中して、一切の観念を無視しする修行でありますね。
そこまで行き着くのは、相当に困難でありますので、取敢ず、くまは「気づきだ!」と信じちゃえば良いのでありますね。
そうすれば、そのうち、なんかの拍子に、ストンと落ちるかもでありますね。
ニサルガさんは、超難しいことを簡単にできそうに励ましてくれるであります。
(´・(ェ)・`)つ

195鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/12(月) 23:08:57.84ID:7C+LBPy7
何も信じなくて良いのじゃ。
ただ観察し続ければ気付くのじゃ。
手を観察してしわが多いわかるのも気付きなのじゃ。
何も難しくは無いのじゃ。

196名無しを整える。2018/02/12(月) 23:29:31.76ID:MR6XG7jF
>>195
うっ!
信じちゃダメでありますか。
信じて臨むとあるがままの観察にならなくなってしまうでありますか?
やっぱり、ひたすら観察しかないでありますか。
(´-(ェ)-`)ゞ

197名無しを整える。2018/02/13(火) 18:41:19.56ID:4U/51qTY
>>192
『I AM THAT 私は在る』
【10 観照】(つづき)

 質問者 しかしあなたはすでに、私が至高の実在だと言われました。それは
 自己知識ではないのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、あなたは至高の実在だ。
 だが、それがどうだというのかね?
 砂のひと粒ひと粒がすべて神性であり、それを知ることは重要だ。
 だが、ただのはじまりにすぎない。
 質問者 あなたは私が至高の実在だと言いました。あなたを信じます。では、
 つぎに私にできることは何でしょうか?
 マハラジ
 もうすでに言ったはずだ。
 あなたではない、すべてを発見しなさい。
 身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象
 であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたで
 はない。
 あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかも
 しれない。
 単に言葉による表明だけではだめなのだ。
 あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
 この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。
 質問者 観照――それが私の本性ではないのでしょうか?
 マハラジ
 観照のためには、そこに観照されるべき何かほかのものがなければならない。
 それではまだ、私たちは二元性のなかにいるのだ!
 質問者 観照者を観照することはどうでしょうか? 気づきに気づくことは?
 マハラジ
 言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。
 内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。
 それ以外、残された道はない。
                   【10 観照】
(´・(ェ)・`)
.(おわり)
 

198名無しを整える。2018/02/13(火) 18:49:59.50ID:4U/51qTY
>>197
> あなたではない、すべてを発見しなさい。
 身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象
 であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたで
 はない。

 あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
 この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。

> 言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。
 内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。
 それ以外、残された道はない。

あなたでないものを見いだしなさい。という言い回しが、真我を説く立場からの独特の言い回しでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

199鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/13(火) 22:08:25.94ID:rt0Jibm7
>>196 そうじゃ、実践が全てなのじゃ。


自分では無いものを全て見出せば自分も無いとわかるのじゃ。

200名無しを整える。2018/02/14(水) 18:31:09.47ID:05rz9x4Y
11『I AM THAT 私は在る』
【11 気づきと意識】

 質問者 眠りの間、あなたはどうしていますか?
 マハラジ
 眠っている状態に気づいている。
 質問者 眠りは無意識の状態ではないでしょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 私は無意識の状態に気づいている。
 質問者 それでは目覚めのとき、あるいは夢見のときは?
 マハラジ
 私は目覚めあるいは夢見の状態に気づいている。
 質問者 理解できません。正確にはどういう意味でしょうか? 質問を明確
 にさせてください。眠りの状態とは無意識を意味しています。目覚
 めの状態とは意識を、夢見とは周囲の状況ではなくマインドを意識
 している、ということを意味しています。
 マハラジ
 私にとっても同じことだ。
 しかし、そこには違いがあるように見える。
 各々の状態のなかで、あなたはほかの二つの状態を忘れているが、私にとっ
 ては目覚め、夢見、眠りの三つの精神状態を含み、しかも超越したひとつの
 存在状態があるだけだ。
 質問者 この世界には、ある方向性や目的があるとあなたは見ていますか?
 マハラジ
 世界とは私の想像の反映にすぎない。
 何であれ見たいと思うものを、私は見ることができる。
 だが、なぜ創造、進化、破壊というパターンを編みだす必要があるだろうか?
 私にはそれらは必要ない。
 世界は私のなかにあり、世界は私自身なのだ。
 私はそれを恐れることもなければ、それをひとつの固定させた心理的画像に
 閉じこめたいなどという望みもない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

201名無しを整える。2018/02/14(水) 19:59:04.02ID:05rz9x4Y
>>200
ふむ。
常に意識的であろうとはしてるのでありますが、ニサルガさんのは超人的なことでありますね。
ただ、気付いてるだけで、判断や思考をしないから、きっと疲れないのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

202鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/14(水) 22:19:01.31ID:TbJmIyqp
そうじゃ、深く寝ていても常に意識はあるものじゃ。
目覚めた者は常に意識が有るのじゃ。

203名無しを整える。2018/02/15(木) 18:37:16.17ID:Vbn1rkyU
>>200
『I AM THAT 私は在る』
【11 気づきと意識】(つづき)

 質問者 眠りに戻りますが、あなたは夢を見ますか?
 マハラジ
 もちろん。
 質問者 あなたの夢とは何でしょうか?
 マハラジ
 目覚めの状態の反映だ。
 質問者 では、あなたの深い眠りは?
 マハラジ
 脳意識が一時停止した状態だ。
 質問者 それでは、あなたは無意識なのでしょうか?
 マハラジ
 私を取り巻く環境への無意識ということでは、そうだ。
 質問者 まったくの無意識ではないということでしょうか?
 マハラジ
 私は無意識だということに気づいている。
 質問者 あなたは「気づく」という言葉と「意識する」という言葉を使って
 いますが、それらは同じものではないのですか?
 マハラジ
 気づきは根本的なものだ。
 それは根元的状態であり、はじまりがなく、終わりもない。
 原因がなく、支えがなく、部分も、変化もない。
 意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。
 気づきなしに意識は在りえない。
 しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。
 気づきは絶対的だ。
 意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。
 意識は部分的であり、変化するもの。
 気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。
 そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

204名無しを整える。2018/02/15(木) 18:40:57.29ID:Vbn1rkyU
>>203
> 気づきは根本的なものだ。
 それは根元的状態であり、はじまりがなく、終わりもない。
 原因がなく、支えがなく、部分も、変化もない。
 意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。
 気づきなしに意識は在りえない。
 しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。
 気づきは絶対的だ。
 意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。
 意識は部分的であり、変化するもの。
 気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。
 そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。

↑これをまとめると、「気づき」と「意識」のニサルガさんの定義でありますね。
暗記すべきでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

205鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/15(木) 22:15:45.82ID:zZgBbvjP
認識されない認識主体じゃな。
それをアートマンと呼ぶのがウパニシャッドなのじゃ。
どのような名前でも呼ぶべきではないがのう。

206名無しを整える。2018/02/16(金) 18:26:45.29ID:dxuEDuIG
>>203
『I AM THAT 私は在る』
【11 気づきと意識】(つづき)

 質問者 人はどのように意識を超え、気づきのなかに入っていくのでしょう
 か?
 マハラジ
 そもそも意識を起こさせるのは気づきであるため、あらゆる意識の状態には
 気づきがある。
 それゆえ意識が意識しているという意識そのものが、すでに気づきにおける
 動きなのだ。
 自分の意識の流れに興味を抱くこと自体が、あなたを気づきへと導く。
 それは何も新しい状態ではない。
 それが根元的な、生命そのものである基本的存在、そしてまた愛と喜びであ
 ることは直ちに認識されるだろう。
 質問者 実在がつねに私たちとともに在るのなら、真我の実現は何によって
 成立するのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現は無知の反対にほかならない。
 この世界を実在と見なし、真我を非実在と見なすことが無知であり、悲しみ
 の原因だ。
 真我が唯一の実在であり、そのほかすべては一時的な、はかないものと知る
 ことが自由であり、平和と喜びなのだ。
 それはとてもシンプルだ。
 ものごとを、想像を通して見るのではなく、ただあるがままに見ることを学
 びなさい。
 すべてをあるがままに見るとき、あなたはあるがままの自分を見るだろう。
 それは鏡を磨くようなものだ。
 あなたにあるがままの世界を見せるその同じ鏡が、あなた自身の顔をも見せ
 るだろう。
 「私は在る」という想いが、鏡を磨く布なのだ。
 それを使いなさい。

【11 気づきと意識】
(´・(ェ)・`)
(おわり)

207名無しを整える。2018/02/16(金) 19:45:09.84ID:dxuEDuIG
>>205
> 認識されない認識主体
> それをアートマンと呼ぶのがウパニシャッド
↑これは「気づき」のことでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

208鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/16(金) 23:14:28.55ID:obf1npPL
そうじゃ、マハラジが気づきと呼ぶものじゃ。
言葉通りのものではないがのう。
言葉を超えたそれを知るために実践あるのみなのじゃ。

209名無しを整える。2018/02/17(土) 00:06:20.17ID:N+nw5XUp
>>208
くまは、気づきとは、記憶と照合されて、観念化する前の感受のことかと思ってたであります。
けど、言われてみると、アートマンとは否定によってしか説明できないものであり、自分はあれでも、これでも、なんでもないものでありますから、
観念化される前の感受も、あれでもこれでもなんでもないわけでありまして、
結局同じでありますね。
しかし、今日の部分では、「気づき」と「真我」を別だてにで述べてるようでありますが、必ずしも別々なものであるとも言ってないような気もするであります。
(´・(ェ)・`)つ

210名無しを整える。2018/02/17(土) 11:18:01.60ID:N+nw5XUp
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】

 質問者 どのようにしてあなたが真我を実現したのか、話していただけます
 か?
 マハラジ
 三十四歳でグルと出会い、三十七歳にして実現したのだ。
 質問者 何が起こったのでしょう? どのような変化があったのでしょうか?
 マハラジ
 快楽と苦痛による影響が消え、欲望と恐怖から自由になったのだ。
 私は満たされ、何も必要ではなくなった。
 純粋な覚醒の大海のなか、宇宙意識の表層で、世界という現象の無数の波が
 無始無窮(むきゅう)に立ち現れては消えゆくのを私は見たのだ。
 意識としては、それらはすべて私自身であり、出来事としては、それらはす
 べて私のものだ。
 ある神秘的な力がそれらを維持している。
 その力が真我、生命、神と呼ばれるものだ。
 金の宝飾品の基本素材がすべて金であるように、それらは存在するすべてを
 究極的に維持する土台だ。
 そして、それはとても親密に私たち自身のものなのだ!
 宝飾品から名前と形を取り去れば、金が明白になる。
 名前と形から、そしてそれらをつくり出す欲望と恐れから自由になりなさい。
 そうすると何が残るだろうか?
 質問者 無です。
 マハラジ
 そうだ。
 虚空が残る。
 だが、その虚空は完全にすべてを満たしている。
 意識の永遠の可能性が、永遠の現実となるのだ。
 質問者 可能性とは未来を意味しているのでしょうか?
 マハラジ
 過去、現在、未来のすべて、そしてかぎりなくそれ以上だ。
 質問者 しかし、虚空は虚空にすぎず、私たちにはあまり役に立ちません。
 マハラジ
 どうしてそう言えるだろう?
 連続性のなかに中断がなくても再誕生は可能だろうか?
 死がなければ再生もありえない。
 眠りにおける暗闇も、新鮮さと活力の回復をもたらす。
 死がなければ、私たちは永遠の老衰のなかに沈み込んでいることだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

211名無しを整える。2018/02/17(土) 11:38:42.58ID:N+nw5XUp
>>210
> 名前と形から、そしてそれらをつくり出す欲望と恐れから自由になりなさい。
 そうすると何が残るだろうか?
 質問者 無です。
 マハラジ
 そうだ。
 虚空が残る。
 だが、その虚空は完全にすべてを満たしている。
 意識の永遠の可能性が、永遠の現実となるのだ。

名前と形、ナーマ、ルーパの世界が「生」であり、虚空が「死」みたいにも聞こえるけど、そうではなく、生も死もなく、虚空は完全に全てを満たしていて、そこに「意識」があるのでありますかね。

> 質問者 しかし、虚空は虚空にすぎず、私たちにはあまり役に立ちません。
 マハラジ
 どうしてそう言えるだろう?
 連続性のなかに中断がなくても再誕生は可能だろうか?
 死がなければ再生もありえない。
 眠りにおける暗闇も、新鮮さと活力の回復をもたらす。
 死がなければ、私たちは永遠の老衰のなかに沈み込んでいることだろう。

やっぱり、虚空は「死」でよいのでありますかね。
このあとで、生と死がひとつの存在における二つの層として、互いに必須のものと見られたとき、それが不死ともいっており、
生死を分別しないのでありますね。

(´・(ェ)・`)つ

212鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/17(土) 21:49:31.51ID:93sgFG9u
死もまた虚空の現われに過ぎないのじゃ。
それが全ての本質なのじゃ。
それが全てであり、役に立つとか考えたり、思ったリできるものではないのじゃ。
ただそれがあるがままのありようなのじゃ。

213名無しを整える。2018/02/17(土) 22:00:42.96ID:N+nw5XUp
>>212
鬼和尚、ありがとうであります。
> それが全ての本質
ただそれがあるがままのありようなのじゃ。
無観念、無分別 のあるがままのありようのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

214名無しを整える。2018/02/18(日) 09:09:47.00ID:4rR70w02
>>210
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】(つづき)

 質問者 不死というものは存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 生と死がひとつの存在における二つの層として、互いに必須のものと見られ
 たとき、それが不死だ。
 はじまりのなかに終焉(しゅうえん)を見、終焉のなかに始まりを見ること
 が永遠を示唆している。
 不死が連続性でないということは明白だ。
 変化というプロセスだけが続いていく。
 永遠に存在するものなど何もない。
 質問者 気づきは永続するのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは時間のなかにはない。
 時間は意識のなかにのみ存在する。
 意識を超えて、どこに時間と空間があるだろう?
 質問者 あなたの意識の領域にはあなたの身体も在ります。
 マハラジ
 もちろんだ。
 しかし、ほかの身体と異なったものとしての「私の身体」という考えはない。
 私にとってそれは「私の身体」ではなく「ある身体」であって、「私のマイ
 ンド」ではなく「あるマインド」だ。
 マインドが身体の面倒を見る。
 私が干渉する必要はない。
 為(な)されるべきことは、通常の自然な方法で為される。
 生理的機能に関しては、あなたはまったく意識していないかもしれない。
 だが、思考や感情、欲望や恐れにいたっては、あなたは自己意識に鋭敏にな
 る。
 私にとっては、これらもまた全体として無意識の内にある。
 私はさほど意識もせずに人びとと話をし、まったく正しく適切に事を運んで
 いることを見いだすのだ。
 あたかも私は自発的にしかも的確に反応し、自動的にこの物質的な目覚めの
 生を生きているかのようだ。
 質問者 この自発的な反応は真我の実現の結果なのでしょうか、それとも訓
 練によるものでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 真理の探究と、人びとを助けるという目的に捧げられた献身が、あなたに清
 らかな、秩序ある生をもたらす。
 そして真我の実現が、欲望や恐れ、そして誤った考えという障害を取り除き、
 容易に、自然に尊い徳をもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

215名無しを整える。2018/02/18(日) 09:18:49.34ID:4rR70w02
>>214
> 生理的機能に関しては、あなたはまったく意識していないかもしれない。
 だが、思考や感情、欲望や恐れにいたっては、あなたは自己意識に鋭敏にな
 る。
 私にとっては、これらもまた全体として無意識の内にある。
 私はさほど意識もせずに人びとと話をし、まったく正しく適切に事を運んで
 いることを見いだすのだ。
 あたかも私は自発的にしかも的確に反応し、自動的にこの物質的な目覚めの
 生を生きているかのようだ。

無意識=生理的機能、例えば無意識に呼吸しているように・・・ということでありますね。
ふむふむ!
(´・(ェ)・`)b

216鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/18(日) 23:13:05.54ID:KC3P5wG/
そうじゃ、体が勝手に動くのじゃ。
そこに主体などはないのじゃ。
主体なくして全ては働いていくのじゃ。

217名無しを整える。2018/02/19(月) 20:57:22.91ID:NWzNslm8
>>214
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】(つづき)

 質問者 あなたにはもはや欲望や恐れはないのでしょうか?
 マハラジ
 私の運命は素朴な庶民として、わずかばかりの教育を受けた質素な商人とな
 るよう生まれることだった。
 私の人生は、ごくありふれた欲望や恐れをもった平凡なものだった。
 私の師への信頼と、彼の言葉への服従を通して、私は真の実在を悟ったのだ。
 そして人間の性癖に関しては、その運命が尽き果てるまではそれ自身が面倒
 を見るのに任せておいたのだ。
 ときには古い習慣から、感情的あるいは心理的な反応も起こるが、それらは
 直ちに気づかれ、捨て去られる。
 結局は、人として在るという重荷があるかぎり、その性癖や習慣にさらされ
 るものだ。
 質問者 あなたは死を恐れてはいないのですか?
 マハラジ
 私はすでに死んでいる。
 質問者 どういう意味においてですか?
 マハラジ
 私は二重に死んでいる。
 身体だけではなく、マインドもまた死んでいる。
 質問者 でも、とても死んでいるようには見えません!
 マハラジ
 それはあなたがそう言うだけだ!
 あなたは私より私の状態をよく知っているようだね!
 質問者 すみません。ただ私には理解できないのです。あなたは身体もマイ
 ンドもない状態だと言いますが、私の目には、あなたはとても生き
 生きと現前しています。
 マハラジ
 途方もなく複雑な働きが頭脳と身体のなかでつねに行われているが、あなた
 はそれを意識しているだろうか?
 いいや、まったくしていない。
 それでも外部から見れば、すべては知性的に、目的をもって行われているよ
 うに見える。
 人の生全体は、その大部分が意識の境界下に沈んでいながらも、分別をもち、
 スムーズに流れているということを認めるがいい。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

218名無しを整える。2018/02/19(月) 21:00:25.83ID:NWzNslm8
>>217
>人の生全体は、その大部分が意識の境界下に沈んでいながらも、分別をもち、
 スムーズに流れているということを認めるがいい。

この意識の境界下に沈んでいる状態が、身体もマインドもない状態=身体も心も死んでいる状態なのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

219鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/19(月) 22:42:30.63ID:u7jQEcc7
それは悟っていない者の在り様なのじゃ。
 主体など無く条件付けによってほとんどのことが決められているのじゃ。
 そのような状態がなくなれば身も心も死んでいることになるのじゃ。
 死んで生きるのじゃ。

220名無しを整える。2018/02/20(火) 18:31:22.87ID:pgTugFdJ
>>219
> 主体など無く条件付けによってほとんどのことが決められているのじゃ。
←これは、意思など関係なく、事実としてある原因と結果があるのみである、みたいなことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

221名無しを整える。2018/02/20(火) 18:38:49.15ID:pgTugFdJ
>>217
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】(つづき)

( 人の生全体は、その大部分が意識の境界下に沈んでいながらも、分別をもち、
 スムーズに流れているということ)
 質問者 それは正常なことなのでしょうか?
 マハラジ
 正常とは何だろう?
 欲望と恐怖に取りつかれ、争いと闘いに明け暮れ、無意味で喜びもないあな
 たの生が正常だというのだろうか?
 身体を過敏に意識することが正常だろうか?
 健康な身体、健康なマインドは、その所有者にはほとんど気づかれずにいる
 ものだ。
 苦痛や苦しみを通して、それらは注意と洞察を呼び起こす。
 同じことを生活全体に拡張させればいいのだ。
 人は何が起ころうと、それを気づきの焦点に合わせなくても、正しく機能し、
 充分うまく対応できるものなのだ。
 自己抑制が自然と身につけば、気づきは存在と行為のより深い層に焦点を移
 行する。
 質問者 それではロボットになってしまいませんか?
 マハラジ
 繰り返され、習慣づけられたものが自動化されることに、何の害があるだろ
 う?
 どちらにしてもそれは自動的なのだ。
 身体だけではなく、マインドもまた死んでいる。
 質問者 でも、とても死んでいるようには見えません!
 マハラジ
 それはあなたがそう言うだけだ!
 あなたは私より私の状態をよく知っているようだね!
 質問者 すみません。ただ私には理解できないのです。あなたは身体もマイ
 ンドもない状態だと言いますが、私の目には、あなたはとても生き
 生きと現前しています。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

222名無しを整える。2018/02/20(火) 18:45:56.47ID:pgTugFdJ
>>221
 欲望と恐怖に取りつかれることなく、
 自己抑制が自然と身につけば、全てのことは 自動的になり、
それは、「自分の」身体っ言えるものではなく従って死んでおり、また、欲望や恐怖がなければ、マインド=心も、その役割を終えて、死んでいることになる。
こんな解釈で良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

223鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/21(水) 01:10:28.84ID:UgU9jX41
>>220 そのようなものじゃ。
 自由意志は稀にしかないのじゃ。

>>222 マインドなどは初めから死んでいるのじゃ。
 それには主体が無く、ただ自動的に動いている機械なのじゃ。
 修業によってそれに気づくのじゃ。

224名無しを整える。2018/02/21(水) 05:37:05.07ID:kJIa+9y7
>>223
>マインドなどは初めから死んでいるのじゃ。
それには主体が無く、ただ自動的に動いている機械なのじゃ。

ふむふむ。
感情に対して反応する自動機械でありますね。
反応に即座に気付き、自動機械の機能をコントロールすることは可能でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

225名無しを整える。2018/02/21(水) 18:43:33.10ID:kJIa+9y7
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】(つづき)

 マハラジ
 途方もなく複雑な働きが頭脳と身体のなかでつねに行われているが、あなた
 はそれを意識しているだろうか?
 いいや、まったくしていない。
 それでも外部から見れば、すべては知性的に、目的をもって行われているよ
 うに見える。
 人の生全体は、その大部分が意識の境界下に沈んでいながらも、分別をもち、
 スムーズに流れているということを認めるがいい。
 質問者 それは正常なことなのでしょうか?
 マハラジ
 正常とは何だろう?
 欲望と恐怖に取りつかれ、争いと闘いに明け暮れ、無意味で喜びもないあな
 たの生が正常だというのだろうか?
 身体を過敏に意識することが正常だろうか?
 健康な身体、健康なマインドは、その所有者にはほとんど気づかれずにいる
 ものだ。
 苦痛や苦しみを通して、それらは注意と洞察を呼び起こす。
 同じことを生活全体に拡張させればいいのだ。
 人は何が起ころうと、それを気づきの焦点に合わせなくても、正しく機能し、
 充分うまく対応できるものなのだ。
 自己抑制が自然と身につけば、気づきは存在と行為のより深い層に焦点を移
 行する。
 質問者 それではロボットになってしまいませんか?
 マハラジ
 繰り返され、習慣づけられたものが自動化されることに、何の害があるだろ
 う?
 どちらにしてもそれは自動的なのだ。
 だが、それが混沌とし、苦痛と苦悩の原因となったとき、注意を呼び起こす。
 清らかな、秩序ある生を送ることの目的全体は、悲しみを背負い、混沌状態
 の奴隷となることから解き放たれるためにあるのだ。
 質問者 あなたはどうやらコンピュータ化された人生がお好きのようですね。
 マハラジ
 問題から自由となった人生のどこが間違っているというのかね?
 人格とは単なる実在の反映にすぎない。
 反映がその源に自然と一致するのは当然のことではないだろうか?
 個人にはそれ自身の意図が必要だろうか?
 実在の表現である生が導くだろう。
 ひとたび個人は単に実在の影にすぎず、実在そのものではないと認識したな
 らば、あなたはいら立つことも、心配することもやめるだろう。
 あなたは内面から導かれることに同意し、そして生は未知への旅立ちとなる
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

226名無しを整える。2018/02/21(水) 19:12:21.26ID:kJIa+9y7
>>221
ごめんなさい。
昨日のコピペは、一部文章が重複しており、つながりも間違えてしまいました。
削除できないのでご注意下さい。
>>217 の後半部分と、本日前半部分も一部重複しておりますが、流れを読み取ってください。
(´・(ェ)・`)ゞ

227鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/21(水) 23:22:24.47ID:UgU9jX41
>>224 そうじゃ、気づきによって変える事もできるのじゃ。
 観察すれば気付くこともできるのじゃ。

228名無しを整える。2018/02/22(木) 18:40:08.75ID:Axq3DDbI
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】

 質問者 あなたはあなたを取り巻く環境をまったく意識していないと言われ
 ましたが、私たちにとって、あなたは非常に注意深く、活動的に見
 えます。あなたが記憶の跡を残さない、一種の催眠状態にあるとは
 信じられません。それどころか、あなたの記憶は非常に優れている
 ように見えます。あなたにとって世界が存在しないというあなたの
 主張をどう理解すればいいのでしょうか?
 マハラジ
 すべては焦点の問題だ。
 あなたの焦点は世界に当てられており、私の焦点は実在に当てられている。
 世界は昼間の月のようなものだ。
 太陽が照れば、月はほとんど目に映らない。
 あるいは、あなたがどのようにものを食べるか見てみなさい。
 口のなかに食べ物がある間はそれを意識しているが、ひとたび飲みこんでし
 まえばもはや関心をもたない。
 消化されるまでマインドにとどめていたら、厄介なことになるだろう。
 マインドは普通停止しているべきであり、絶え間ない活動は病的状態なのだ。
 私が知っているのは、宇宙はひとりでに、それ自体で動いているということ
 だ。
 それ以外に何をする必要があるだろう?
 質問者 では、ジニャーニ(賢者)は彼自身が注意を向けたときだけ何をし
 ているのかを知り、そうでなければ煩(わずら)わされることなく
 ただ行為するということなのですね。
 マハラジ
 たいていの人は身体を意識していない。
 彼らは感覚や感情や思考を意識しているが、それらでさえ、ひとたび執着を
 離れれば意識の中心から去り、自発的に、努力なく起こる。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

229名無しを整える。2018/02/22(木) 18:50:25.19ID:Axq3DDbI
>>225
> どちらにしてもそれは自動的なのだ。
 だが、それが混沌とし、苦痛と苦悩の原因となったとき、注意を呼び起こす。
 清らかな、秩序ある生を送ることの目的全体は、悲しみを背負い、混沌状態
 の奴隷となることから解き放たれるためにあるのだ。

 ひとたび個人は単に実在の影にすぎず、実在そのものではないと認識したな
 らば、あなたはいら立つことも、心配することもやめるだろう。
 あなたは内面から導かれることに同意し、そして生は未知への旅立ちとなる
 のだ。

自動的だけど、未知なのでありますね。
決まってるわけではないのであります。
ワクワクくまくましてもよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

230名無しを整える。2018/02/22(木) 18:57:17.31ID:Axq3DDbI
>>228
> 彼らは感覚や感情や思考を意識しているが、それらでさえ、ひとたび執着を
 離れれば意識の中心から去り、自発的に、努力なく起こる。

自発的に、努力なく起こるのである。
その起こることに関与しようとした時に、即座に気付いて、放っておけばよいのでありますね。
ゼンマイ仕掛けのくまになろう!
(´・(ェ)・`)つ

231鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/22(木) 22:58:54.07ID:1gg+wyFe
そうじゃ、観察して気付くだけで全ては消えるのじゃ。
観念は幻想であるから気付きには対抗できないのじゃ。
光が差せば闇が消えるようなものじゃ。 

232名無しを整える。2018/02/23(金) 18:49:28.93ID:frjE7B9d
>>228
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

  質問者 それでは、意識の中心には何があるのでしょうか?
 マハラジ
 それは名前も形も与えることのできないものだ。
 なぜなら、それは何の特質ももたず、意識を超えたものだからだ。
 意識のなかにありながら、意識を超えた点とも言える。
 紙のなかにあるひとつの穴が、紙のなかにありながらしかも紙に属さないよ
 うに、至高の状態は意識の中心そのものでありながら、しかも意識を超越し
 ている。
 それはマインドのなかの開かれた穴から光が氾濫(はんらん)しているよう
 なものだ。
 その開かれた穴は、光とさえ呼ぶこともできない。
 それはただ開かれたるものなのだ。
 質問者 その開かれたるものこそ、空、不在なのですね。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドの観点からすれば、それは気づきの光が精神的空間に入っていくた
 めに開かれたものだ。
 光そのものとしては、個体の、岩石のように濃密な、均質で不変であり、名
 前や形といった精神的パターンから自由な、純粋な気づきの塊(かたまり)
 とでも言うほかないだろう。
 質問者 精神的空間と至高なるものの所在には、何らかの関連があるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 至高なるものがマインドに存在を与える。
 マインドが身体に存在を与えるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

233名無しを整える。2018/02/23(金) 18:53:24.00ID:frjE7B9d
>>232
> 紙のなかにあるひとつの穴が、紙のなかにありながらしかも紙に属さないよ
 うに、至高の状態は意識の中心そのものでありながら、しかも意識を超越し
 ている。
 それはマインドのなかの開かれた穴から光が氾濫(はんらん)しているよう
 なものだ。
 その開かれた穴は、光とさえ呼ぶこともできない。
 それはただ開かれたるものなのだ。

ふむふむ。

> 質問者 その開かれたるものこそ、空、不在なのですね。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドの観点からすれば、それは気づきの光が精神的空間に入っていくた
 めに開かれたものだ。
 光そのものとしては、個体の、岩石のように濃密な、均質で不変であり、名
 前や形といった精神的パターンから自由な、純粋な気づきの塊(かたまり)
 とでも言うほかないだろう。
 質問者 精神的空間と至高なるものの所在には、何らかの関連があるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 至高なるものがマインドに存在を与える。
 マインドが身体に存在を与えるのだ。

「空」はこのような説明にも使えるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

234鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/24(土) 00:26:28.95ID:GLhmFtmq
そうじゃ、空なのじゃ。
自分も観念も無いことに気づくのじゃ。

235名無しを整える。2018/02/24(土) 13:17:10.13ID:iq05kC/L
>>232
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 そしてその彼方には?
 マハラジ
 たとえば、長寿の技をマスターし、寿齢千歳を超えた尊ぶべきヨーガの導師
 が、私のもとにその技を教えにきたとしよう。
 私は彼の偉業を讃えて、誠実に敬うだろう。
 だが、私が彼に言えることといえば、「長生きがいったい何になるというの
 か?」ということだけだ。
 私は時を超えて在る。
 どれほど寿命が長くなろうと、それはほんの一瞬の夢にすぎないのだ。
 同じように、私はあらゆる属性をも超越している。
 それらは私のなかで、現れては消えていく。
 しかし、それが私を言い表すことはできない。
 宇宙は特質やそれらの相違を基底とした名前と形であり、私はその彼方に在
 る。
 世界は私が在るゆえに存在する。
 だが、私は世界ではない。
 質問者 しかし、あなたは世界のなかに生きているのですよ!
 マハラジ
 それはあなたが言っていることだ!
 この身体とマインドを含めた世界の存在は知っている。
 だが、私はそれらを他のマインドや身体以上に「私のもの」とは考えてはい
 ない。
 それらは時間と空間のなかにある。
 だが、私は時間と空間を超えて在るのだ。
 質問者 すべてがあなたの光のなかに存在するのなら、あなたは世界の創造
 者ではないのですか?
 マハラジ
 私はそのその潜在的可能性でも、実現性でも、現実でもない。
 私の光のなかで、世界は太陽光線のなかを舞うほこりのように現れては去っ
 ていく。
 光はその微少片を照らすだろうが、それに依存することはない。
 またそれを創造もしない。
 それを知っているとさえ言えないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

236名無しを整える。2018/02/24(土) 13:25:01.02ID:iq05kC/L
>>235
>宇宙は特質やそれらの相違を基底とした名前と形であり、私はその彼方に在
 る。
 世界は私が在るゆえに存在する。
 だが、私は世界ではない。
>この身体とマインドを含めた世界の存在は知っている。
 だが、私はそれらを他のマインドや身体以上に「私のもの」とは考えてはい
 ない。
 それらは時間と空間のなかにある。
 だが、私は時間と空間を超えて在るのだ。
>私の光のなかで、世界は太陽光線のなかを舞うほこりのように現れては去っ
 ていく。
 光はその微少片を照らすだろうが、それに依存することはない。
 またそれを創造もしない。
 それを知っているとさえ言えないのだ。
                   
ふむふむ。
観念を超えたものでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

237鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/24(土) 22:56:27.37ID:GLhmFtmq
そうじゃ、世界は全て名前とイメージだけのものじゃ。
 それは人の観念で作られているのじゃ。
 観念が無ければ世界も無いのじゃ。
 全ては一つとしてのみ認識されるのじゃ。

238名無しを整える。2018/02/25(日) 07:17:15.91ID:n7PZ13pD
>>235
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

質問者 私はあなたに質問し、あなたは答えています。あなたはその質問や
 答えを意識しているのでしょうか?
 マハラジ
 実際には、私は聞いても答えてもいない。
 出来事の世界のなかで、質問が起こり、答えが起こる。
 何も私には起こらない。
 すべてはただ起こるのだ。
 質問者 そして、あなたは観照者なのでしょうか?
 マハラジ
 観照者とはどういう意味だろうか?
 ただの知識にすぎない。
 雨が降り、そして今、雨はやんだ。
 私は濡れないままだ。
 雨が降ったのは知っている。
 だが、私は影響されない。
 ただ、雨を観照しただけだ。
 質問者 完全に悟りを得た人、自然に至高の状態に在る人もまた、食べたり、
 飲んだりするように見えますが、彼はそれに気づいているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 意識がそのなかで起こる宇宙意識は、意識のエーテルと呼ばれる。
 意識の対象物すべてが宇宙を構成している。
 それら両方を支え、そして超えて在るのが至高の状態、完全な静寂と沈黙の
 状態だ。
 誰であれ、そこに行けば消え去る。
 言葉やマインドで到達することはできない。
あなたはそれを神、パラブラフマンあるいは至高の実在と名づけるかもしれ
 ない。
 しかし、それらはマインドによって与えられた名前だ。
 それは、名前も内容もなく、努力もなくして自然な状態、存在も非存在も超
 えたものだ。
 質問者 それでも、人は意識にとどまるのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙がマインドの身体であるように、意識は至高なるものの身体だ。
 至高なるものは意識しないが、それが意識を発現させるのだ。
 質問者 私の日々の活動は、その多くが習慣によって自動的に行われていま
 す。広範囲の活動に気づいてはいても、一瞬一瞬、詳細にわたって
 ではありません。私の意識がより広く深くなるにしたがって、細部
 への関心は退き、広範囲の方向へと私を開いてくれます。ジニャー
 ニにも、少なからずそういったことが起こるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のレベルでは、そうだ。
 至高の状態においては、そうではない。
 至高の状態は分割不可能で、完全にひとつであり、ひと塊の実在なのだ。
 それを知るためのただひとつの方法は、それになること、それとして在るこ
 とだ。
 マインドはそれに到達できない。
 それを知覚するために感覚器官は必要ない。
 それを知るためにマインドは必要ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

239鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/25(日) 22:25:26.10ID:zTGmg6JN
そうじゃ、全てが全てなのじゃ。
それは全く一つであり、何にも分割できないのじゃ。
全てが同じ本質を持ち、意識であると如実に感じられるのじゃ。
それが大悟徹底の境地なのじゃ。

240名無しを整える。2018/02/25(日) 22:35:06.95ID:n7PZ13pD
>>239
で、
> それを知るためのただひとつの方法は、それになること、それとして在るこ
 とだ。
 マインドはそれに到達できない。
うぅ・・・観察して、それになるしかないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

241名無しを整える。2018/02/26(月) 19:06:28.70ID:pvLPjsSA
>>238
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 神はこうして世界を動かしているのですね。
 マハラジ
神は世界を動かしてはいない。
 質問者 それでは、誰がそれをしているのですか?
 マハラジ
 誰もしてはいない。
 すべてはひとりでに起こるのだ。
 あなたが質問をし、あなたが答えを供給している。
 そして質問するとき、あなたは答えを知っている。
 すべては意識のなかの戯(たわむ)れなのだ。
 すべての分割は幻想だ。
 あなたが知ることのできるのは偽物だけだ。
 真我に、あなた自身がならなければならないのだ。
 質問者 観照されている意識があり、観照している意識があります。二番目
 のものが至高なるものなのでしょうか?
 マハラジ
 二つのものがある。
 個人と観照者つまり観察者だ。
 それらをひとつとして見て、それを超えたとき、あなたは至高の状態にある。
 それは知覚不可能だ。
 なぜなら、それが知覚を可能にするものだからだ。
 それは存在と非存在を超越している。
 それは鏡でも鏡のなかのイメージでもない。
 時を超えた実在、信じがたいほど堅固で、確固たるもの、それがそれである。
 質問者 ジニャーニは観照者なのでしょうか、それとも至高なるものなので
 しょうか?
 マハラジ
 もちろん至高なるものだ。
 だが、彼は普遍的観照者でもある。
質問者 しかし、彼は個人としても在るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが自分自身を個人だと信じるならば、至る所に個人を見る。
 実際には、個人というものは存在しない。
 あるのは記憶と習慣の脈絡だけだ。
 真我を実現した瞬間、個人は消え去る。
 アイデンティティは残る。
 だが、アイデンティティは個人ではない。
 それは実在そのもののなかに本来備わっている。
 個人はそれ自身のなかに存在をもっていない。
 それは観照者のマインドに映った「私は在る」という感覚であり、また、存
 在のひとつの様式なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

242鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/26(月) 22:31:09.37ID:uDp0Z8w9
>>240 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

認識できない認識主体こそ純粋観照者であり、アートマンと呼ばれるのじゃ。
それは認識できない故に何か認識できる主体があれば違うとわかるのじゃ。
無によって表されるのみなのじゃ。 

243名無しを整える。2018/02/27(火) 18:38:02.76ID:GleKIQdp
>>241
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 至高なるものは意識しているのでしょうか?
 マハラジ
 私の経験では、それは意識してもいず、無意識でもない。
 質問者 プラジニャーナム ブラフマ。このプラジニャーとは何でしょうか?
 マハラジ
 それは生命そのものの非――自意識的知識だ。
 質問者 それは生命力、生命のエネルギー、生気なのでしょうか?
 マハラジ
 エネルギーがはじめに現れる。
 すべてはエネルギーが形を取ったものだからだ。
 意識は目覚めの状態においてもっとも差異が認められる。
 夢見においてはより少ない。
 眠りにおいてはさらに少ない。
 第四の状態では均質だ。
 それを超えると、表現不可能な、単一の実在、それがジニャーニの生きる世
 界なのだ。
 質問者 私は手を切ってしまったのですが、それは治りました。いったい何
 の力によって治ったのでしょう?
 マハラジ
 生命の力によってだ。
 質問者 その力とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは意識だ。
 すべては意識なのだ。
 質問者 意識の源泉は何でしょうか?
 マハラジ
 意識そのものがすべての源なのだ。
 質問者 意識なしに生命はありうるでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 生命なしには意識もありえない。
 それらはひとつだ。
 しかし実際には、究極なるものだけが存在する。
 それ以外は名前と形があるだけだ。
 あなたが名前と形のあるものだけが存在するという考えにしがみつくかぎり、
 至高なるものは、あなたにとって非存在のものとしてしか映らないだろう。
 名前と形は実態のない空虚な殻(から)にすぎず、実在は名前も形もない純
 粋な生命のエネルギーと意識の光だと理解したとき、あなたは実在の深い静
 寂に浸り、平和の内に在ることだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

244名無しを整える。2018/02/27(火) 18:44:57.00ID:GleKIQdp
>>242
>実践あるのみなのじゃ。

で、ありますね。読んでわかった気になっても、意味ないでありますね。

> 二つのものがある。
 個人と観照者つまり観察者だ。
 それらをひとつとして見て、それを超えたとき、あなたは至高の状態にある。
 それは知覚不可能だ。
 なぜなら、それが知覚を可能にするものだからだ。
 それは存在と非存在を超越している。
 それは鏡でも鏡のなかのイメージでもない。
なんとなく、わかった気になってしまう、あぶないくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

245鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/27(火) 22:56:11.67ID:AfP/vVvl
そうじゃ、意識だけが有るのじゃ。
在ると言えるものはそれだけなのじゃ。
全ては意識の現われなのじゃ。

246名無しを整える。2018/02/28(水) 18:32:53.97ID:U7OylflS
>>243
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 もし時間と空間がただの幻想で、あなたはそれらを超えているとい
 うのなら、今のニューヨークがどのような天気なのか言ってくださ
 い。暑いですか、それとも雨ですか?
 マハラジ
 どうして私にそれが言えよう?
 そういったことには特別な訓練が必要だ。
 そうでなければ、ニューヨークに行くがいい。
 私が時間と空間を超越していることは確かかも知れないが、ある一定の時間
 と空間において、思いのままに自分の所在を選定することはできない。
 興味もなければ特別なヨーガのトレーニングをする理由もない。
 ニューヨークという名前を今耳にしたが、私にとってはただの言葉にすぎな
 い。
 原子のひとつひとつがこの宇宙と同じほど複雑な宇宙かもしれない。
 そのすべてを私が知らねばならないかね?
 確かにできる、もし訓練するならば。
 質問者 ニューヨークの天候について尋ねたことで、私はどこで間違いを犯
 したのでしょうか?
 マハラジ
 世界とマインドはともに存在の状態だ。
 至高なるものとは、ある状態ではない。
 それはすべての状態に遍在しているが、何かほかの状態ではない。
 至高なるものはまったく原因がなく、独立し、それ自身において完成してい
 る。
 時間も空間も、マインドも物質も超越したものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

247鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/02/28(水) 23:14:51.17ID:j3GhMCQ0
そのような力をほしがる者は多いのじゃ。
力によって何か得をすると思っているのじゃ。
死んでしまう身には何の意味もないがのう。
永遠の意識に到達することこそ真の利得なのじゃ。

248名無しを整える。2018/03/01(木) 20:43:55.27ID:x6Vl8fgb
>>246
『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

 質問者 何をもって至高なるものを認識するのでしょうか?
 マハラジ
 それが何の痕跡(こんせき)も残さないということが要点なのだ。
 何によっても認識することはできない。
 あらゆるしるしや手がかりの探求をあきらめることによって、直接に見られ
 なければならない。
 すべての名前と形が放棄されたとき、実在が残る。
 あなたがそれを探す必要はない。
 複数制と多様性はただのマインドの戯れだ。
 実在はひとつだ。
 質問者 もし実在が何の証拠も残さないのなら、それについて話すことさえ
 できません。
 マハラジ
 それは在る。
 それを否定することはできない。
 それは深遠な、神秘を超えた神秘なのだ。
 だが、それは在る。
 それ以外のすべてはただ起こるだけだ。
 質問者 それは未知なるものなのでしょうか?
 マハラジ
 未知も既知もともに超えている。
 しかし、私なら未知よりも既知と呼ぶだろう。
 なぜなら、いつであれ何かが知られたとき、知られたものは実在だからだ。
 質問者 沈黙は実在の特質なのでしょうか?
 マハラジ
 それもまたマインドのものだ。
 すべての状態と条件はマインドに属する。
 質問者 サマーディとは何でしょうか?
 マハラジ
 意識を使わないことがサマーディだ。
 ただマインドに触れないのだ。
 身体からもマインドからも何も求めないことだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

249名無しを整える。2018/03/01(木) 20:46:43.80ID:x6Vl8fgb
>>248
>  質問者 何をもって至高なるものを認識するのでしょうか?
 マハラジ
 それが何の痕跡(こんせき)も残さないということが要点なのだ。
 何によっても認識することはできない。
 あらゆるしるしや手がかりの探求をあきらめることによって、直接に見られ
 なければならない。
 すべての名前と形が放棄されたとき、実在が残る。
 あなたがそれを探す必要はない。
 複数制と多様性はただのマインドの戯れだ。
 実在はひとつだ。
←不立文字でありますねね。
>  だが、それは在る。
 それ以外のすべてはただ起こるだけだ。
←だが、あるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

250鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/02(金) 00:10:27.91ID:rB+DaJ6n
そうじゃ、それだけが在るものじゃ。
言葉もイメージも超えてあるものじゃ。
本来言葉には出来ないが、仮に在ると言えるものなのじゃ。
マハラジは真に大悟徹底しているのじゃ。
 

251名無しを整える。2018/03/02(金) 18:39:21.88ID:zSPHbjh0
『I AM THAT 私は在る』
【14 現れと実在】

 質問者 出来事には原因がないと繰り返しあなたは言われました。ものごと
 はただ起こり、どのような原因もそれに当てることはできないと。
 それでもすべてに原因があるはずです、かならずいくつかの原因が。
 いったいどうやって原因がないということを理解すればいいのでし
 ょうか?
 マハラジ
 至高の見地から見れば、世界に原因はない。
 質問者 しかし、あなた自身の経験ではどうなのでしょう?
 マハラジ
 すべては原因なくして起こる。
 世界には何の原因もない。
 質問者 私は世界創造の原因に関して尋ねているのではありません。誰が世
 界の創造を見たというのでしょう? それははじまりもなく、つね
 に存在してさえいるのかもしれません。しかし、私は世界について
 話しているのではありません。それでも世界は存在すると私は思い
 ます。それはあまりにも多くのものを包括しているのです。間違い
 なく、そのそれぞれにいくつかの原因があるはずです。
 マハラジ
 ひとたびあなたが時間と空間のなかに因果関係に支配された世界をつくり出
 せば、すべてに原因を探そうとし、そして見つけだすことになるのはまぬが
 れない。
 あなたが質問を設定し、答えを無理強いするのだ。
 質問者 私の質問はとてもシンプルです。私はあらゆる類(たぐい)のもの
 ごとを見て、それぞれに何らかの原因があるはずだ、と理解したの
 です。あなたはあなたの視点から見るとそれらに原因はないと言い
 ます。しかし、あなたにとっては何も存在していないのです。だか
 ら因果関係の質問ももち上がりません。それにもかかわらず、あな
 たはものごとの存在を認めており、しかも因果関係を否定します。
 これが私には理解しがたいところなのです。ものごとの存在を認め
 ておきながら、なぜ原因を拒絶されるのですか?
 マハラジ
 あなたが、映画のスクリーンに映しだされた画像が光以外の何ものでもない
 と知っているように、私は意識のみを見て、すべては意識だと知っているの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

252名無しを整える。2018/03/02(金) 20:37:17.01ID:zSPHbjh0
昨日の
> 意識を使わないことがサマーディだ。
 ただマインドに触れないのだ。
 身体からもマインドからも何も求めないことだ。

↑これは、気絶していること=何も意識されていないこと、その事だけに気づいていることでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

253鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/03(土) 00:35:30.15ID:zEYXi3ba
そのような状態と言えるじゃろう。
自分と言う観念さえも忘れている状態なのじゃ。
まだ無我ではないがサマーディに入っている時だけは真の世界が見えるのじゃ。

254名無しを整える。2018/03/03(土) 06:12:04.13ID:dg8k0N3D
>>251
『I AM THAT 私は在る』
【14 現れと実在】(つづき)

 質問者 それでも、光の運動には原因があります。
 マハラジ
 その光はまったく動かない。
 あなたもよく知っているように、フィルムのなかの色彩と光を遮る一連の動
 きは幻想なのだ。
 動いているのはフィルムであり、それがマインドなのだ。
 質問者 だからといって、それが画像に原因のない理由にはなりません。フ
 ィルムがあり、役者、技術者、監督、演出家、制作者がいます。世
 界は因果関係に支配されており、すべては連結しあっているのです。
 マハラジ
 もちろん、すべては相互に連結しあっている。
 そしてそれゆえ、すべてに無数の原因が在る。
 宇宙全体がもっとも微少な存在に貢献している。
 あるものはあるがままだ。
 なぜなら世界はあるがままだからだ。
 わかるかね、あなたは金の装飾品を扱っている。
 そして私は金そのものを扱っている。
 二つの異なった装飾品の間には何の因果関係もない。
 あなたがある装飾品をふたたび溶解して別のものをつくるとき、その二つの
 間には何の因果関係もない。
 共通の要因は金だ。
 だが金が原因だとは言えない。
 それを原因と呼べないのは、それ自体では何の原因にもならないからだ。
 装飾品が持つ特定の名前と形のように、それはマインドのなかで、「私は在
 る」として映しだされる。
 それにもかかわらず、すべてはただの金にすぎない。
 同様に、実在はすべてを可能にする。
 それでも、あるものをその名前と形としてつくり出す無は、実在からやって
 くるのだ。
 しかし、なぜそんなに因果関係について心配するのかね?
 原因の何が問題なのか?
 ものごととは、それ自身はかない一過性のものなのだ。
 来るものは拒まず、去るものは追わず――なぜものごとを捕まえてその原因
 について尋ねまわるのだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

255鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/03(土) 23:42:51.87ID:zEYXi3ba
全ては幻想と言っても悟らなければわからないのじゃ。
今まで現実と思って生きてきた世界を捨てられないのじゃ。
そのままあってほしいという願望が抵抗になるのじゃ。
全てを捨てて永遠の幸福に至ると良いのじゃ。

256名無しを整える。2018/03/04(日) 14:53:43.29ID:M0+ms/j7
>>254
『I AM THAT 私は在る』
【14 現れと実在】(つづき)

 質問者 相対的な視点からは、すべてに原因があるはずです。
 マハラジ
 相対的視点がいったい何になるというのかね?
 あなたは絶対的な視点から見ることができるのだ。
 なぜ相対性に後戻りするのか?
 絶対性を恐れているのかね?
 質問者 恐れています。私はいわゆる絶対的確実性と呼ばれるもののなかに
 眠り陥ってしまうことが恐いのです。立派な生活を送るのに絶対性
 は助けになりません。シャツが必要なときには、生地を買い、仕立
 屋を呼び、それから……。
 マハラジ
 これらの話はあなたの無知をあからさまにしているだけだ。
 質問者 では知者の見解はどうでしょうか?
 マハラジ
 光だけがあり、光がすべてなのだ。
 そのほかすべては光によってできた画像にすぎない。
 画像は光のなかに、光は画像のなかにある。
 生と死、自己と非自己。
 これらすべての概念を捨て去りなさい。
 それらは何の役にも立たない。
 質問者 いったいどの見地から、あなたは因果関係を否定されているのでし
 ょうか? 相対的視野からは、宇宙がすべての原因であり、絶対的
 視野からは、まったく何も存在してはいません。
 マハラジ
 あなたはどの状態から尋ねているのかね?
 質問者 目覚めの状態からです。これらの討論が起こるのは目覚めの状態に
 おいてだけです。
 マハラジ
 これらすべての問題は、目覚めの状態のなかで起こる。
 それがその本性なのだ。
 だが、あなたはつねにその状態にいるわけではない。
 いやおうなくあなたは目覚めの状態に現れ、いやおうなくそこから消え去る。
 そんな状態のなかでいったい何ができるというのだろう?
 因果関係が目覚めの状態のなかで現れるからといって、それがどう因果関係
 の有無を知る助けになるのだろうか?
 質問者 世界と目覚めの状態はともに立ち現れ、ともに消え去ります。
 マハラジ
 マインドが静かに、完全に沈黙したとき、目覚めの状態は消え去る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

257名無しを整える。2018/03/04(日) 21:52:06.83ID:M0+ms/j7
>>256
> 質問者 ・・・私はいわゆる絶対的確実性と呼ばれるもののなかに
 眠り陥ってしまうことが恐いのです。

 マハラジ
 光だけがあり、光がすべてなのだ。
 そのほかすべては光によってできた画像にすぎない。
 画像は光のなかに、光は画像のなかにある。

←画像とは意識であり、光とは気づきでありますね。
気づきが全てであり、その他は気づきによってできた意識なのでありますね。

その本質=気づき=金を見い出すためには、因果関係にとらわれない方が見いだしやすいのかも・・・・・
(´-(ェ)-`)つ

258名無しを整える。2018/03/05(月) 14:30:15.78ID:hSgPZZYk
【13 至高なるもの、マインド、身体】の「至高なるもの」が、きっと、
>>47
>「I AM」という認識が根源的な幻想であり
> その痕跡が一切無い「THE ABSOLUTE」が私でありあなたである

の「THE ABSOLUTE」の訳でありましょうかね?
(´・(ェ)・`)つ

259名無しを整える。2018/03/05(月) 14:34:56.84ID:hSgPZZYk
2ヶ月で全体の1割読み進んできたであります。
これ以上ピッチを上げて読み飛ばすのは、もったいないので、このままじっくり進めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

260鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/05(月) 22:02:15.82ID:txt4J6xd
>>258 そうじゃろう。
 観念の自我がなくなれば真の意識が表れるのじゃ。
 それこそ自他も無いただひとつの実在なのじゃ。
 

261名無しを整える。2018/03/06(火) 18:39:38.00ID:7fDuDmws
>>256
『I AM THAT 私は在る』
【14 現れと実在】(つづき)

 質問者 神、宇宙、全体、絶対、至高といった言葉は、空気中の騒音にすぎ
 ません。なぜならそれらに対して、何も行動を起こすことはできな
 いからです。
 マハラジ
 あなたはあなただけが答えられる質問を持ちかけている。
 質問者 そんなふうに私をあしらわないでください。あなたはすぐに全体や
 宇宙といった想像上のことについて話します。全体や宇宙はあなた
 のもとにやってきて、そのように語ることをやめてほしいと頼むこ
 とはできません。私はそういった無責任な概括化に我慢ができない
 のです。その上、あなたはすぐにそれらを個人的立場で話しはじめ
 ます。因果関係なしではどんな秩序も目的ある行動も不可能なので
 す。
 マハラジ
 あなたはそれぞれの出来事の、すべての原因を知りたいのだろうか?
 それは可能だろうか?
 質問者 それが可能でないことはわかっています。私の知りたいことは、た
 だすべてのものごとには原因があるのか、そして原因に影響を与え
 ることができるならば、それが出来事にも影響を与えるのではない
 かということです。
 マハラジ
 出来事に影響を与えるのに、原因を知る必要はない。
 あなたがあらゆる出来事の源であり終焉(しゅうえん)ではないだろうか?
 それを源そのものでコントロールするがいい。
 質問者 毎朝、新聞を手にするたびに、貧困、憎悪、戦争といった、いつま
 でも排除されることがない世界中の不幸を知って、私は落胆します。
 私の質問は悲しみの要因とその原因、そしてその救済に関わるもの
 です。それを仏教主義だとあしらわないでください。どうか決めつ
 けないでください。原因はないというあなたの主張は、変化し続け
 る世界の希望すべてを消し去ります。
 マハラジ
 あなたは混乱しているのだ。
 なぜなら、あなたのなかに世界があるのではなく、世界のなかにあなたがい
 ると信じているからだ。
 誰が初めに現れるのだろう?
 あなたか、あなたの親だろうか?
 あなたは自分がある時、ある場所で生まれ、父と母、名前と形をもっている
 と想像している、それがあなたの罪と禍(わざわい)なのだ。
 もちろん、あなたが働きかければ世界を変えることができる。
 ぜひとも働きなさい。
 誰があなたを止めているのかね?
 私は思いとどまらせてはいない。
 原因があろうとなかろうと、あなたがつくった世界だ。
 あなたはそれを変えることができる。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

262鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/06(火) 23:45:27.90ID:wKIOn9Tt
自分の心が世界を創っているのじゃ。
それが悲惨な心であれば悲惨なことしか見えないのじゃ。
 悟れば全ては仏国土なのじゃ。

263名無しを整える。2018/03/07(水) 18:36:55.67ID:MkQkcuKl
『I AM THAT 私は在る』
【14 現れと実在】(つづき)

 質問者 原因のない世界は完全に私のコントロールを超えています。
 マハラジ
 その反対に、あなたがその根源であり土台である世界を変える力は、完全に
 あなたの力のなかにあるのだ。
 想像されたものはいつでも溶解し、つくり変えることができる。
 もしあなたが本当に望むならば、すべては望むように起こる。
 質問者 私の知りたいことは、世界の不幸をどうすればいいのかということ
 です。
 マハラジ
 世界の不幸はそれと関わるなかで、あなたがあなた自身の欲望と恐れからつ
 くり出してきたのだ。
 すべてはあなたが真我の存在を忘れてしまったためだ。
 スクリーン上の画像に現実性を与えた上で、あなたはそれらの人々を愛し、
 彼らのために苦しみ、彼らへの救いを求める。
 そうではない。
 あなたはまず、あなた自身からはじめなければならないのだ。
 ほかに道はない。
 そうだ、働きなさい。
 働きかけることに問題はない。
 質問者 あなたの宇宙は、あらゆる可能性のある経験を含んでいるようです。
 人はそれをたどって方針を決め、喜びや悲しみの経験を持ちます。
 これが疑う心と探求心を目覚めさせ、視野を広げ、自己中心的で、
 かぎられた、自分だけの狭い世界を超えさせてくれます。この個人
 の世界を時間のなかで変えることはできますが、宇宙は永遠であり
 完全です。
 マハラジ
 ただの現れにすぎない幻を実在と見なすことは悲しむべき罪であり、すべて
 の災いの原因だ。
 あなたはすべてに遍在する、永遠で無限の創造的気づき――意識なのだ。
 それ以外のすべてはかぎられた時と場所のなかに在る。
 何が本来のあなたなのか、忘れてはならない。
 その合間に心ゆくまで働きなさい。
 仕事と知識は手に手をとって進むべきだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

264名無しを整える。2018/03/07(水) 18:45:07.87ID:MkQkcuKl
>>263
この質問者さんが、とことんくいさがってくれてるお陰で、話が深まるであります。
>あなたはすべてに遍在する、永遠で無限の創造的気づき――意識なのだ。
 それ以外のすべてはかぎられた時と場所のなかに在る。
 何が本来のあなたなのか、忘れてはならない。
ふむふむ。
(´・(ェ)・`)つ

265鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/07(水) 23:54:58.10ID:wWO1hMJd
そうじゃ、全てである意識が本来の私なのじゃ。
それだけが存在する唯一のものなのじゃ。

266名無しを整える。2018/03/08(木) 18:31:22.41ID:zrtU65eZ
>>263
『I AM THAT 私は在る』
【14 現れと実在】(つづき)

 質問者 私の感覚では、霊的成長は私の手の内にはないと思います。自ら計
 画を立て、それを実行していくことは、どこにも導いてくれません。
 ただ自分自身のなかで輪を描いて走るまわるだけです。神は果物が
 熟したと思ったとき、それを採って食べるでしょう。まだ完熟して
 いない果物なら、その日が来るまで世界の樹に残すでしょう。
 マハラジ
 神があなたのことを知っていると思うのかね?
 世界のことさえ彼は知らないのだ。
 質問者 私の神は、あなたの神とは違う神です。私の神は慈悲深く、私たち
 とともに苦しみます。
 マハラジ
 あなたがひとりを救おうと祈る間に、何千人もが死んでいく。
 そして、もしすべての死が止められたならば、地球上に空間がなくなってし
 まうだろう。
 質問者 私は死を恐れてはいません。私の関心は悲しみと苦しみにあるので
 す。私の神はシンプルな、むしろ無力な神です。彼には私たちに賢
 くなるよう強いる力はありません。彼はただ傍らに立ち、待つだけ
 です。
 マハラジ
 もしあなたとあなたの神がともに無力ならば、そのことが、世界は偶然の産
 物だということを暗示しているのではないだろうか?
 そして、もしそうならば、唯一あなたにできることはそれを超えていくこと
 だ。
                    (´・(ェ)・`)
(おわり)

267名無しを整える。2018/03/08(木) 18:34:21.81ID:zrtU65eZ
>>266
> マハラジ
 神があなたのことを知っていると思うのかね?
 世界のことさえ彼は知らないのだ。

> マハラジ
 あなたがひとりを救おうと祈る間に、何千人もが死んでいく。
 そして、もしすべての死が止められたならば、地球上に空間がなくなってし
 まうだろう。

ニサルガさんは、リアリストでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

268鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/08(木) 22:46:42.88ID:0t//O0Lq
神などいないのじゃ。
死をとめようとするより死を超える道を行くがよいのじゃ。

269名無しを整える。2018/03/09(金) 18:32:51.07ID:8tTFRTOf
『I AM THAT 私は在る』
【15 ジニャーニ】

 質問者 神の力なくしては、何ひとつ為されません。彼なしには
 あなたがここに座り、私たちに話すということさえあり
 えなかったでしょう。
 マハラジ
 疑いなく、すべては神の為(な)す業(わざ)だ。
 それが何だというのだろう。
 私には何も求めるものはないのだ。
 神が何を私に与え、あるいは取り上げることができるというのだ
 ろう。
 私のものは私のものだ。
 そして神が存在しなかったときにも、それは私のものだった。
 もちろん、それは非常に小さな取るに足りないもの、微々たるも
 のだ。
 「私は在る」という感覚、存在の事実だ。
 これは私自身の場であり、誰に与えられたものでもない。
 この地球は私のものであり、そこに育つものは神のものだ。
 質問者 神があなたに地球の借地料を払ったのですか?
 マハラジ
 神は私の帰依者だ。
 これらすべては神が私のためにしたことだ。
 質問者 あなたを離れて神は存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん存在しえない。
 「私は在る」が根で、神は樹だ。
 私が誰を、何のために礼拝しなければならないというのだろう?
 質問者 あなたは帰依者なのでしょうか。それとも帰依の対象な
 のでしょうか?
 マハラジ
 そのどちらでもない。
 私は帰依そのものだ。
 質問者 世界には帰依が欠けています。
 マハラジ
 あなたはいつも世界を改善することに忙しいが、世界があなたに
 よって救われることを待っていると本当に信じているのだろうか?
 質問者 世界に対してどれだけのことができるのか、私にはわか
 りません。私にできることはただ試みることだけです。
 何かあなたが私にしてほしいと望むことがあるでしょう
 か?
 マハラジ
 あなたなしで世界が存在するだろうか?
 あなたは世界についてすべて知っている。
 だが、あなた自身に関しては何も知らない。
 あなた自身があなたの仕事の道具なのだ。
 仕事について考える前に、道具の面倒を見たらどうかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

270名無しを整える。2018/03/09(金) 18:37:15.82ID:8tTFRTOf
>>269
神について語るときのニサルガさんも、いつもの通り明快であります。
(´・(ェ)・`)つ

271鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/09(金) 22:54:05.94ID:kVEQh8UQ
神は人の作った観念であり、願望から生まれたものに過ぎないのじゃ。
人が神を思う時、願望から産まれた観念を夢想しているだけなのじゃ。
神もまた人の心によって作られたのじゃ。 

272名無しを整える。2018/03/10(土) 05:51:56.35ID:sLGobp93
>>269
『I AM THAT 私は在る』
【15 ジニャーニ】(つづき)

 質問者 私は待てますが、世界は待つことができないでしょう。
 マハラジ
 探求しないことで、あなたは世界を待たせている。
 質問者 何を待っているのですか?
 マハラジ
 救ってくれる誰かを待っているのだ。
 質問者 神が世界を管理しているのです。神は救うでしょう。
マハラジ
 それはあなたがそう言うだけだ!
 神があなたのところにやってきて、世界はあなたのものではなく、
 彼の創造物と関心事だと言ったのかね?
 質問者 なぜそれが私ひとりの関心事であるべきなのですか?
 マハラジ
 考えてみなさい。
 あなたの住む世界をほかに誰が知っているというのかね?
 質問者 あなたが、そして皆が知っています。
 マハラジ
 誰かがあなたの世界の外側から来てあなたにそう言ったのだろう
 か?
 私自身も、他の皆も、あなたの世界のなかで現れては消えていく
 のだ。
 私たちは皆あなたのなすがままなのだ。
 質問者 そんなひどい話があるでしょうか! あなたが私の世界
 のなかにいるように、私はあなたの世界のなかに存在し
 ています。
 マハラジ
 私の世界の証拠をあなたはもっていない。
 あなたは完全に自分でつくり出した世界のなかに包みこまれてい
 るのだ。
 質問者 なるほど。まったくそのとおりだが……どうしようもな
 いのですか?
マハラジ
 あなたの世界の牢獄のなかにある人が現れ、あなたが創造した苦
 痛に満ちた矛盾の世界は継続も永続もせず、それはただ誤解がも
 とで現れたのだ、とあなたに言うのだ。
 彼はあなたに来たときと同じ方法、同じ道を通ってここを出よう
 と主張している。
 あなたはあなたが本来何であるのか忘れることによってその牢獄
 に入った。
 そして、あなたがあなた自身であると知ることでそこから出るの
 だ。
 質問者 それがどのように世界に影響をあたえるのでしょうか?
 マハラジ
 世界から自由になってはじめて、世界に対して何かができる。
 その囚人であるかぎり、それを変えることはできない。
 それどころか、あなたが何をしてもかえって状況を悪化するだけ
 だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

273鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/10(土) 23:25:36.02ID:Sbvr8jQo
世界に囚われているようじゃのう。
世界が完全にあると思っているのじゃ。
自分が作っているとわからないのじゃ。

274名無しを整える。2018/03/11(日) 10:07:22.38ID:JynPWtNg
>>272
『I AM THAT 私は在る』
【15 ジニャーニ】(つづき)

 質問者 公正さが私を自由にしてくれるでしょう。
 マハラジ
 公正さは疑うことなくあなたと世界を住みよい場所に、幸福にさ
 えするだろう。
 だが、それが何になるというのだろうか?
 そこには実在性がない。
 永遠には続かないのだ。
 質問者 神が助けてくれるでしょう。
 マハラジ
 あなたを助けるには、神があなたの存在を知らなければならない。
 だが、あなたも、あなたの世界も夢なのだ。
 夢のなかで、あなたは断末魔の苦しみを味わうかもしれない。
 誰もそれを知らないし、誰もあなたを助けることはできないのだ。
 質問者 では、私の質問も、探求も、研究も何の役にも立たない
 のですか?
 マハラジ
 それらは眠りを破ろうとする人の活動だ。
 それらが気づきをもたらす原因にはならないが、その初期の徴候
 ではある。
 だが、あなたがすでに答えを知っていることについて、無意味な
 質問をしてはならない。
 質問者 どうすれば真の回答が得られるのでしょうか?
 マハラジ
 真の質問を尋ねることによって、言葉の上ではなく、あなた自身
 の光にしたがって生きることに挑むことで得られるのだ。
 真理のために死をも厭(いと)わない人がそれを得るのだ。
 質問者 もうひとつの質問です。個人がいます。その個人を知る
 者がいます。そこには観照者がいます。知る者と観照者
 は同じなのでしょうか? あるいは分離した状態にある
 のでしょうか?
 マハラジ
 知る者と観照者は別々だろうか、ひとつだろうか?
 知る者が知られるものと別のものとして見られたとき、観照者は
 ひとり離れて在る。
 知られるものと知る者がひとつであるとき、観照者はそれらとひ
 とつになるのだ。
 質問者 ジニャーニ(賢者)とは誰なのでしょうか? 観照者で
 しょうか、それとも至高なるものでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニは至高なるものであり観照者でもある。
 彼は存在と気づきの両方だ。
 意識との関わりにおいて、彼は気づきであり、宇宙との関わりに
 あっては純粋な存在だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

275名無しを整える。2018/03/11(日) 11:41:07.62ID:JynPWtNg
>>273
>世界が完全にあると思っているのじゃ。
自分が作っているとわからないのじゃ。

自分が見ている世界は、自分の記憶と照合された観念として見られた世界であり、どうあがいても、その観念を含むところの意識の外には出られないのでありますから、世界と自分は一つであると言う事でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

276鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/12(月) 00:26:47.55ID:PhhsUSUe
そうじゃ、神も世界も人の観念なのじゃ。
自分さえも観念なのじゃ。
自ら探求することだけがその迷いから抜け出す道なのじゃ。 

277名無しを整える。2018/03/12(月) 18:32:46.54ID:CENAtNQ9
>>274
『I AM THAT 私は在る』
【15 ジニャーニ】(つづき)

 質問者 それでは、個人についてはどうでしょう? はじめに現
 れるのは個人でしょうか、知る者でしょうか?
 マハラジ
 個人とは非常に小さなものだ。
 実際には、それはいくつかの要素が混成されたもので、それ自身
 として存在することはできない。
 知覚されもしない。
 それはただ存在しないのだ。
 それはマインドの影、記憶の総計にすぎない。
 純粋な存在はマインドの鏡のなかに知るという状態として映る。
 知られたものは記憶と習慣を根底にして個人としての形を取るの
 だ。
 それはマインドのスクリーンの上に映しだされた知る者の反映、
 ただの影にすぎない。
 質問者 鏡が在り、反射があります。しかし、太陽はどこでしょ
 うか?
 マハラジ
 至高なるものが太陽だ。
 質問者 それは意識しているはずです。
 マハラジ
 それは意識でも、無意識でもない。
 意識、無意識といった言葉で考えてはいけない。
 それは生命であり、その両方を含み、また両方を超えている。
 質問者 生命は高い知性をもっています。どうして無意識である
 ことができるでしょう。
 マハラジ
 記憶が中断するとき、あなたはそれを無意識と言う。
 実際には、意識だけが存在するのだ。
 すべての生命は意識しており、すべての意識は生きている。
 質問者 岩でさえも?
 マハラジ
 岩でさえも意識し、生きている。
 質問者 私には自分で想像できないものの存在を疑う傾向がある
 のです。
 マハラジ
 想像したものの存在を疑うほうが、あなたをより賢くするだろう。
 想像されたものが偽りなのだ。
 質問者 想像可能なものはすべて偽りなのでしょうか?
 マハラジ
 記憶に基づいて想像されたものは偽りだ。
 未来はまったくの非実在ではない。
 質問者 未来のどの部分が真実で、どの部分が偽りでしょうか?
 マハラジ
 予測されず、予測不可能なものが真実だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

278鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/12(月) 22:48:36.59ID:PhhsUSUe
そうじゃ、個人は無いのじゃ。
全てに同じ本質を持つ意識があるのじゃ。
 岩や地面や空間さえもそれなのじゃ。
どこにも区切りや分別は無いのじや。

279名無しを整える。2018/03/13(火) 18:34:31.69ID:QfivLflj
『I AM THAT 私は在る』
【16 無欲、最大の至福】

 質問者 今まで多くの真我を実現した人に会いましたが、解脱した人には一
 度も会ったことがありません。あなたは解脱した人に会いましたか?
 それとも、解脱した人は身体をも放棄した人なのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現と解脱という言葉で、あなたは何を意味しているのだろうか?
 質問者 真我の実現とは、世界が意味をもち、物質と本質の統合が遍在する、
 素晴らしい、平和、善、そして美の体験です。そのような体験は長
 続きしませんが、忘れることもできません。それは記憶と切望とし
 て、心のなかで輝きます。自分の言っていることは理解しているつ
 もりです。私自身そのような体験をしましたから。
 解脱とは、その素晴らしい状態のなかに永久にとどまることです。
 私が尋ねたかったことは、解脱とは身体の放棄も意味するのかとい
 うことです。
 マハラジ
 身体のどこが問題なのかね?
 質問者 体は弱く、短命です。それは欲求や欲望を生みだし、それが人を悲
 惨にも限定するのです。
 マハラジ
 だからどうだというのだろう?
 身体の表現がかぎられているならば、そうあればいい。
 しかし、解脱とは自分に押しつけてきた誤った自己の観念から自由になるこ
 となのだ。
 それはどんなに輝かしいものでも、ある特定の体験のなかに含まれるような
 ものではない。
 質問者 それは永遠のものなのでしょうか?
 マハラジ
 すべての体験は時間の限界内にある。
 何であれ、はじまりあるものは終焉(しゅうえん)を迎える。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

280鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/13(火) 22:41:13.12ID:pivXTLT0
真我にさえ幻想をもっているのじゃ。
それは人が考えるようなものではないのじゃ。
一切の観念を脱却するためのものなのじゃ。 

281名無しを整える。2018/03/14(水) 18:42:33.61ID:GAN0OpO2
>>279
『I AM THAT 私は在る』
【16 無欲、最大の至福】(つづき)

 質問者 では、私が言う意味での解脱というものは存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 その反対に、人はいつも自由なのだ。
 あなたは意識しており、また自由に意識できる。
 誰もそれをあなたから奪い取ることはできない。
 今まであなたが無意識あるいは非存在であると知ったことがあるだろうか?
 質問者 覚えてはいないかもしれませんが、だからといって、それが無意識
 になったことがないという証明にはなりません。
 マハラジ
 体験から体験者へと見る向きを変えなさい。
 そしてあなたができるたったひとつの真の表明、「私は在る」の完全な意味、
 その重要性を悟るがいい。
 質問者 どのようにすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 ここでは、「どのように」ということはない。
 ただマインドのなかに「私は在る」という感覚を保ち、あなたのマインドと
 その感覚がひとつになるまで、そのなかに没入しなさい。
 繰り返し試みることによって、あなたはそれへの愛情と留意の正しいバラン
 スをつかむだろう。
 そして、マインドは「私は在る」という思考―感覚のなかに、揺らぐことな
 く確立するようになるだろう。
 何であれ、あなたが考え、話し、行うにも、この不変で愛情深い存在の感覚
 は、つねにマインドの背景として消えることなく残るだろう。
 質問者 そして、それが解脱なのでしょうか?
 マハラジ
 私はそれを普通と呼ぶ。
 努力なく、幸せに、行動し、知り、在ることのどこが間違っているだろうか?
 なぜ身体の即座の崩壊を期待するような、そんな特別なことを考えるのだろ
 う。
 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか?
 身体に対する態度を正し、忘れてしまいなさい。
 甘やかさず、苦しめず、ほとんどの時間、意識的留意の境界下においておけ
 ばいいのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

282鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/14(水) 23:01:33.17ID:MlWHkoKF
解脱した状態が本来の意識であり、普通なのじゃ。
病から治ったのであり、夢から覚めただけなのじゃ。
全てが本来の意識に戻ったのじや。

283名無しを整える。2018/03/15(木) 18:48:14.45ID:6zFyVXna
>>281
『I AM THAT 私は在る』
【16 無欲、最大の至福】の1回目(つづき)

 質問者 その素晴らしかった経験の記憶が、私を虜(とりこ)にしています。
 私はふたたびそれを得たいと望んでいるのです。
 マハラジ
 取り戻したいと願うから、それを得ることができないのだ。
 切望の状態がすべてのより深い体験を妨げる。
 何を欲しているかを正確に知っているマインドには、価値あることなど何ひ
 とつ起こらない。
 マインドが求め描いているようなものに、たいした価値のあるものなどない
 からだ。
 質問者 それでは、求める価値のあるものとは何でしょうか?
 マハラジ
 最上のものを求めなさい。
 最高の幸福、もっとも偉大な自由を。
 無欲が最大の至福なのだ。
 質問者 欲望からの自由は、私が求めているものではありません。私が欲し
 いのは、切望を満たすための自由です。
 マハラジ
 切望を満たすのはあなたの自由だ。
 事実、あなたのしていることはそれ以外の何ものでもない。
 質問者 試みるのですが、障害がいつも私を挫折させます。
 マハラジ
 乗り越えなさい。
 質問者 できません。私は弱すぎるのです。
 マハラジ
 何があなたを弱くさせるのだろう。
 何が弱みなのだろうか?
 ほかの者たちは欲望を満たしているのだ。
 なぜそうしないのかね?
 質問者 エネルギーが欠けているに違いありません。
 マハラジ
 あなたのエネルギーに何が起こったのだろう?
 それはどこへ行ったのだろうか?
 あなたはそれをたくさんの反駁(はんばく)する欲望や楽しみの追求にまき
 散らしたのではないだろうか?
 あなたは無限のエネルギーの供給がなくなったのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

284鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/15(木) 22:49:18.04ID:ZRQ1QbQG
大抵の者は自らの欲を満たすことしか考えていないのじゃ。
老病死の苦も見えないのじゃ。
自分の弱さのせいにして悟りを求めないのじゃ。 

285名無しを整える。2018/03/16(金) 18:26:10.09ID:bFrvx3Yn
>>283
『I AM THAT 私は在る』
【16 無欲、最大の至福】(つづき)

 質問者 それがいけないことでしょうか?
 マハラジ
 あなたの目的は小さく低次のものだ。
 それはより以上を求めない。
 神のエネルギーだけが無限だ。
 なぜなら、神は自分自身のために何も求めないからだ。
 彼のように在りなさい。
 そうすれば、すべての欲望は満たされるだろう。
 目標が高く、望みが広大なほど、あなたはより多くのエネルギーを得るだろ
 う。
 すべての人のためを想って望みなさい。
 そうすれば、宇宙はあなたとともに働くだろう。
 だが、もしあなたが自分の喜びのために欲するなら、それを得るためにつら
 い努力をしなければならない。
 欲する前に、受けるだけの価値ある人になりなさい。
 質問者 私は哲学、社会学、そして教育の研究をしています。真我の実現の
 夢を見る前に、より精神的成長が必要だと思うのです。私の考えは
 正しいでしょうか?
 マハラジ
 生活の糧(かて)を得るには、ある特殊な知識が必要だ。
 一般的な知識が思考の発展を促すことは間違いない。
 だが、もしあなたが知識を蓄えることで人生を送るならば、あなたは自分の
 まわりに壁を築くだけだろう。
 マインドを超えるために飾りたてられたマインドは必要ない。
 質問者 では、何が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 マインドを信頼せず、それを超えていきなさい。
 質問者 マインドの彼方に、私は何を見いだすのでしょうか?
 マハラジ
 存在の智慧(ちえ)と愛の直接体験だ。
 質問者 どうすればマインドを超えていけるのでしょうか?
 マハラジ
 スタート地点は数多くあるが、それらはすべて同じゴールに導く。
 あなたは行為の結果を放棄しながら、私利私欲のない仕事からはじめるかも
 しれない。
 そしてマインドを放棄し、最後にはすべての欲望を放棄するかもしれない。
 ここでは、放棄が作用する要因だ。
 あるいは、あなたは欲することも、考えることも、為すこともすべて気にと
 めず、「私は在る」という思考と感情の内にとどまり、マインドのなかで確
 固として「私は在る」に焦点を合わせるかもしれない。
 あらゆる類の体験があなたに訪れるだろう。
 「私は在る」だけが永遠に変わらず、知覚できるものすべては一時的なはか
 ないものだという知識のなかに、揺らぐことなく在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

286鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/16(金) 23:04:56.18ID:gA+5n5ub
そうじゃ、欲から離れて全ての思慮分別を超えていくのじゃ。
観念の無いところに全てが有るのじゃ。
有ると思う観念には何も無いのじゃ。
観念が無ければ在るものが感じられるのじゃ。

287名無しを整える。2018/03/17(土) 09:26:38.68ID:GhZlK8iB
>>285
『I AM THAT 私は在る』
【16 無欲、最大の至福】(つづき)

 質問者 全人生をそんな修行に費やすことはできません。私には義務と仕事
 があります。
 マハラジ
 もちろん職務に励みなさい。
 感情的に巻き込まれず、有益で、苦しみをともなわない仕事は、あなたを因
 果的に束縛しない。
 あなたはいくつもの分野に従事し、途方もない熱情とともに仕事をしながら
 も、内面ではその影響を受けずに、すべてを映しだす鏡のように自由で静か
 なマインドを保つかもしれない。
 質問者 そのような状態が実現可能なのでしょうか?
 マハラジ
 もしそうでなければ話しはしない。
 なぜ私が絵空事を言うだろうか?
 質問者 誰もが聖典を引用します。
 マハラジ
 聖典のみを知る者は、実際には何も知らない。
 知ることとは、在ることだ。
 私は、私が言っていることを知っている。
 それは人から聞いたことでも、読んだことでもない。
 質問者 私はある教授のもとでサンスクリット語を学んでいます。でも、本
 当はただ聖典を読んでいるだけなのです。私は真我の実現を探求し
 ており、必要な指導を受けに来たのです。どうか、どうすればよい
 か教えてください。
 マハラジ
 聖典を読んだのなら、なぜ私に尋ねるのかね?
 質問者 聖典は一般的な指示を示しますが、個人は個別の指導が必要です。
 マハラジ
 あなた自身があなたの究極の師(サットグル)だ。
 外側の師(グル)は、ただの道しるべにすぎない。
 あなたの内なる師がともにゴールまで歩いてくれるだろう。
 なぜなら、彼がそのゴールだからだ。
 質問者 内なる師には簡単に出会えません。
 マハラジ
 彼はあなたのなかにいるのだ。
 困難であるはずがない。
 内側を見なさい。
 彼はそこにいる。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

288名無しを整える。2018/03/17(土) 09:32:47.71ID:GhZlK8iB
ふむふむ。
あるがままを観察するしかないのでありますね。
欲があるなら欲があると、感情が生じたら感情が生じたて、ありのままを観察すればよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

289鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/17(土) 23:32:39.86ID:IRUKjw+V
そうじゃ、聖典にはそれを実践するようにと書いてあるだけなのじゃ。
 ウパニシャッドからお釈迦様の教えや大乗経典まで全て実践を説いているのじゃ。
 実践しなければ聖典にも何の意味もないのじゃ。

290名無しを整える。2018/03/18(日) 12:47:56.99ID:64FoOVox
『I AM THAT 私は在る』
【17 常在するもの】

 質問者 マインドの最高の力は、理解、知性、そして洞察です。
 人は三つの身体をもっています。粗大身、微細身、原因
 身* (プラーナ、マナ、カラナ)です。粗大身は彼の存
 在を反映し、微細身は知識を、原因身は喜びに満ちた創
 造性を反映します。もちろん、これらは意識のなかで形
 成されたものです。しかし、それらは各々の特質をもっ
 て分離しているように見えます。知性(ブッディ)はマ
 インドのなかでの知的能力の反映です。それがマインド
 を知識あるものにするのです。知性がより優れるほど、
 知識はより広く、深く、真正になります。ものごとや人
 を知ること、そして自己を知ることは、すべて知性の機
 能なのです。最後のものがもっとも重要で、前の二つを
 含んでいます。自分自身や世界を誤って理解することは、
 不正な考えや欲望をもたらし、それがまた束縛となりま
 す。自己への正しい理解が、幻想である束縛からの解放
 に欠かせません。これらすべてを理論としては理解でき
 るのですが、実際問題となると、私は状況や人びとへの
 対応に失敗し、私の不適切な反応が束縛をさらに加える
 ばかりなのです。人生は私の鈍く、遅い思考にはあまり
 にも速く進みます。古い習慣がすでに繰り返された後で
 私は理解するのですが、遅すぎるのです。
* 訳注 粗大身、微細身、原因身
 粗大身はストゥーラ・シャリーラと呼ばれ、一番外側の身体、肉
 体を表す。微細身はスークシュマ・シャリーラと呼ばれ、知的な
 働きをする身体を表す。原因身はカーラナ・シャリーラと呼ばれ、
 内面的な身体を表す。ヒンドゥ教の教義においては、これら三つ
 の身体をトリ・シャリーラと呼んでいる。
マハラジ
 それでは、あなたの問題とは何かね?

(´・(ェ)・`)
(つづく)

291鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/18(日) 23:38:35.08ID:H/DXCYTZ
知識に偏りすぎなのじゃ。
知識はそれだけでは何の役にも立たないものじゃ。
臨機応変に知識を使えて智慧になるのじゃ。

292名無しを整える。2018/03/19(月) 22:12:17.80ID:C2GWjJOs
>>290

『I AM THAT 私は在る』
【17 常在するもの】(つづき)

質問者 私には知性だけではなく、人生で起こる出来事に即座に
 対応できる能力が必要なのです。そしてそれが完全に自
 発的でないかぎり、即座とは言えません。どうすれば、
 そのような自発性を達成できるのでしょうか?
マハラジ
 太陽を引きつけるために鏡にできることは何もない。
 それはただ輝きつづけるだけだ。
 マインドが用意できしだい、太陽はそのなかで輝くのだ。
質問者 その光は真我のものでしょうか、あるいはマインドのも
 のでしょうか?
マハラジ
 両方だ。
 光はそれ自身原因をもたず、変化もしない。
 マインドが動き、変化するにしたがって、それは色づけされる。
 それは非常に映画に似ている。
 光はフィルムのなかにはないが、フィルムが光に色づけをし、そ
 れを遮(さえぎ)ることによってあたかも動いているように見せ
 るのだ。
質問者 あなたは今、完全な状態に在るのでしょうか?
マハラジ
 完全とはマインドが純粋なときの状態だ。
 状態が純粋であろうと、不純であろうと、何であれ、私はマイン
 ドを超えている。
 気づきが私の本性なのだ。
 究極的には、私は存在も非存在も超えている。
質問者 あなたの状態に到達するには瞑想が役立つのでしょうか?
マハラジ
 瞑想はあなたの束縛を見いだし、それらを緩め、解き、自由にす
 る。
 もはや何にも執着しなくなったとき、あなたの分の仕事は終わっ
 たのだ。
 残りはあなたのために自然に為(な)される。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

293名無しを整える。2018/03/19(月) 22:41:44.14ID:C2GWjJOs
>>292
> 太陽を引きつけるために鏡にできることは何もない。
 それはただ輝きつづけるだけだ。
 マインドが用意できしだい、太陽はそのなかで輝くのだ。
ふむふむ。輝く太陽はマインドの中にのみある偽物の太陽でありますね。
> 光はそれ自身原因をもたず、変化もしない。
 マインドが動き、変化するにしたがって、それは色づけされる。
 それは非常に映画に似ている。
 光はフィルムのなかにはないが、フィルムが光に色づけをし、そ
 れを遮(さえぎ)ることによってあたかも動いているように見せ
 るのだ。
ふむ。でありますね。
> 状態が純粋であろうと、不純であろうと、何であれ、私はマイン
 ドを超えている。
 気づきが私の本性なのだ。
 究極的には、私は存在も非存在も超えている。

ふむ。
(´・(ェ)・`)つ

294鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/19(月) 23:08:15.83ID:RMjSyiyJ
存在も非存在も観念なのじゃ。
観念が無くなればそれも消えるのじゃ。
全てが一つに認識されるのじゃ。

295名無しを整える。2018/03/20(火) 23:56:18.18ID:X/pZ/Bew
>>292
『I AM THAT 私は在る』
【17 常在するもの】(つづき)

質問者 誰によってでしょうか?
マハラジ
 あなたのマインドを探求させ、ハートが真理を求めるよう促す地
 点まであなたを連れてきた、その同じ力によってだ。
 その同じ力があなたを生きさせているのだ。
 それを生命、あるいは至高なるものと呼ぶがいい。
質問者 同じ力がやがて私を殺すのです。
マハラジ
 あなたは誕生のとき、存在していなかっただろうか?
 死が訪れるときも、存在しているのではないだろうか?
 つねに存在するその人を見つけだしなさい。
 そうすれば、あなたの自発的で完全な反応に関する問題も解決す
 るだろう。
質問者 永遠を実現することと、つねに変化しつづける出来事へ
 の努力を要しない適切な反応は、二つの異なった別々の
 問題です。あなたはどうやらその二つをひとつにまとめ
 てしまったようですが、何があなたをそうさせるのです
 か?
マハラジ
 永遠を実現することは永遠、全体、宇宙、そしてそれらを含むす
 べてになることだ。
 すべての出来事は全体性の作用であり表現だ。
 それは根本的に全体との調和のなかに在る。
 全体性からのすべての反応は正しく、努力なく、即座のものでな
 くてはならない。
 さもなければ、正しくはありえない。
 遅れた反応は誤った反応なのだ。
 思考、感情、そして行為はひとつにならなければならず、また状
 況の求めに応じて、同時でなければならない。
質問者 どうすればそうなるのでしょうか?
マハラジ
 もうすでに言ったはずだ。
 あなたの誕生時に存在し、あなたの死を観照するその人を見いだ
 しなさい。
質問者 私の父と母でしょうか?
マハラジ
 あなたの父、母、あなたの存在の源だ。
 問題を解くには、その源にたどり着かなければならない。
 真我の探求と冷静沈着さという普遍的解決法による問題解決にお
 いてのみ、正しい回答が見いだせるのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

296名無しを整える。2018/03/21(水) 00:08:59.89ID:6Snyvwj1
>>295
> あなたは誕生のとき、存在していなかっただろうか?
 死が訪れるときも、存在しているのではないだろうか?
 つねに存在するその人を見つけだしなさい。
 そうすれば、あなたの自発的で完全な反応に関する問題も解決す
 るだろう。
←ふむ。損座してるのでありますね。
> 永遠を実現することは永遠、全体、宇宙、そしてそれらを含むす
 べてになることだ。
 すべての出来事は全体性の作用であり表現だ。
 それは根本的に全体との調和のなかに在る。
 全体性からのすべての反応は正しく、努力なく、即座のものでな
 くてはならない。
 さもなければ、正しくはありえない。
 遅れた反応は誤った反応なのだ。
 思考、感情、そして行為はひとつにならなければならず、また状
 況の求めに応じて、同時でなければならない。
←ふむふむ。気付きが全てでありますね。
> あなたの誕生時に存在し、あなたの死を観照するその人を見いだ
 しなさい。
←常に気づいている習慣をつけとげば、死ぬときの意識にも気づけるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
徹底的に気付き続けることが修行でありますね。

297名無しを整える。2018/03/21(水) 09:41:07.08ID:6Snyvwj1
『I AM THAT 私は在る』
【18 あなたとは何かを知るために、あなたでないものを見いだしなさい】

 質問者 宇宙が物質、精神、魂によって形成されているというあなたの説明
 は、数多くある説明のなかのひとつです。ほかにも、宇宙自体が説
 明に適合させられたような説明まであり、一体どの説明が本物で、
 どれがそうでないか途方にくれてしまいます。あげくの果てには、
 どの説明もみなただの言語表現にすぎず、真実を表した説明などな
 いのではと疑ってしまいます。
 あなたによると、実在は三つの拡張発展によって成り、それらは物
 質―エネルギー(マハーダカーシュ)の拡張、意識(チダカーシュ)
 の拡張、そして純粋な精神(パラマカーシュ)の拡張です。第一の
 ものは運動と慣性をともにもち、私たちはそれを知覚します。私た
 ちは自分が知覚し、意識することを知っています。また、意識して
 いることに気づいてもいます。それゆえ、私たちは物質―エネルギ
 ーと意識の二つをもっているのです。物質はつねに空間のなかに在
 り、一方、エネルギーはつねに時間のなかにあるように見えます。
 それらは変化と関連し、変化の割合によって測定されます。意識は
 時間と空間のなかの一点である、今ここに在るように見えます。し
 かし、あなたは意識もまた、時間と空間を超えた非個人的な、遍在
 するものであると言っています。時間と空間を超えていることと、
 今ここにあることが矛盾するものではないということは私にもどう
 にか理解できますが、非個人的意識に関しては推測できません。
 私にとって意識はつねに焦点の定まったものであり、中心にあり、
 個別で個人的なものです。あなたは知覚する者なしに知覚があり、
 知る者なしに知ることがあり、愛する者なくして愛があり、行為者
 なくして行為がありうると言っているようです。私は知ること、知
 る者、知られるものの三位(さんみ)は、生のあらゆる瞬間に見て
 取ることができると感じています。意識は意識する人と意識の対象、
 そして意識しているという事実を意味しています。意識するその人
 を、私は個人と呼びます。個人は世界のなかに生き、その一部であ
 り、それに影響を与え、それから影響を受けます。
 マハラジ
 なぜあなたは世界と個人がどれほどの実在性をもっているのかと尋ねないの
 だろうか?
 質問者 いいえ! 尋ねる必要などありません。もし個人が、そのなかに存
 在する世界より実在性が少くなければそれで充分です。
 マハラジ
 では、質問は何なのだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

298鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/21(水) 20:20:17.07ID:xKZYuHdA
悟りも気づくことから始まるのじゃ。
自我に気づき、認識にも気づいて厭離が起こるのじゃ。
観察も気付きを起こすためなのじゃ。

299名無しを整える。2018/03/22(木) 19:19:01.17ID:ilJ2MlAj
>>297
『I AM THAT 私は在る』
【18 あなたとは何かを知るために、あなたでないものを見いだしなさい】
(つづき)

 質問者 個人が実在で、宇宙は概念的なものなのでしょうか、それとも宇宙
 が実在で、個人は想像上のものなのでしょうか?
 マハラジ
 そのどちらも実在ではない。
 質問者 私はあなたの答えを受けるに値するに充分な実在であり、私は個人
 です。
 マハラジ
 眠っているときは、そうではない。
 質問者 眠りへと沈潜していくことは、不在とは違います。たとえ眠ってい    ても、私は存在します。
 マハラジ
 個人であることは自己意識をもつことだ。
 あなたはつねにそうだろうか?
 質問者 もちろん、眠っているときや、あるいは気絶しているとき、薬物の
 影響下にあるときは、そうではありません。
 マハラジ
 目覚めの時間においても、あなたは継続的に自己意識を保っているだろうか?
 質問者 いいえ、ときどき私はぼんやりとしていたり、何かに没頭していた
 りします。
 マハラジ
 あなたの自己意識の途切れる間も個人としてあるだろうか?
 質問者 もちろん、私はずっと同じ個人です。私は昨日の、または去年の自
 分自身を覚えています。間違いなく私は同じ個人です。
 マハラジ
 では、個人であるためには記憶が必要なのだろうか?
 質問者 もちろんです。
 マハラジ では、記憶なしではあなたとは何なのだろうか?
 質問者 不完全な記憶は不完全な人格をもたらします。記憶がなければ私は
 個人として存在できません。
 マハラジ
 もちろん、記憶なしでもあなたは存在できる。
 あなたは眠りのなかでそうしているのだ。
 質問者 生存しているという感覚のなかでだけです。個人としてではありま
 せん。
 マハラジ
 個人としては断続的な存在でしかないとあなた自身認めるならば、個人とし
 て自分自身を体験する合間の休止期間、あなたが何者なのか私に言えるだろ
 うか?
 質問者 私は存在します、しかし個人としてではなく。その休止期間、自己
 意識がないのですから、個人としてではありませんが、私は存在し
 てるとしか言えません。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

300鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/22(木) 22:53:36.67ID:aWiFPKkx
自己意識は記憶に拠って存在しているのじゃ。
記憶が無ければ自己同一化もないのじゃ。
記憶に依存した認識が自分と言う幻想を作り出しているのじゃ。

301名無しを整える。2018/03/23(金) 11:57:43.69ID:ERFrGm2Y
>>300
記憶→意識
記憶→自己同一化
記憶→認識→自分と言う幻想(=自我)
その記憶がなくてもある「気づき」のみが「実在」でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

302名無しを整える。2018/03/23(金) 12:06:27.50ID:ERFrGm2Y
>>299
『I AM THAT 私は在る』
【18 あなたとは何かを知るために、あなたでないものを見いだしなさい】
(つづき)

 マハラジ
 では、私たちはそれを非個人的存在と呼ぶことにしようか?
 質問者 私ならむしろ、無意識的存在と呼ぶでしょう。私は存在しますが、
 存在しているということを知らないのです。
 マハラジ
 たった今あなたは、「存在してはいるが、存在していることを知らない」と
 言ったが、無意識状態での存在についてもそう言えるだろうか?
 質問者 いいえ。言えません。
 マハラジ
 あなたは「私は無意識だったことを知らなかった」と、記憶がないという意
 味の過去形で描写することができるだけだ。
 質問者 無意識でありながら、何をどうやって覚えていることができるでし
 ょう?
 マハラジ
 本当にあなたは無意識だったのかね、それともただ覚えていないだけなのか
 ね?
 質問者 どうしてそれを証明できるでしょう?
 マハラジ
 考えなさい。
 あなたは昨日のあらゆる瞬間を覚えているだろうか?
 質問者 もちろん、覚えていません。
 マハラジ
 では、あなたは無意識だったのだろうか?
 質問者 もちろん、違います。
 マハラジ
 では、あなたは意識がありながらも覚えていないのだろうか?
 質問者 そうです。
 マハラジ
 あなたは眠りのなかで意識はあっても、覚えてはいないのかもしれない。
 質問者 私は意識していませんでした。眠っていたのです。私は意識ある人
 のようにはふるまいませんでした。
 マハラジ
 どうして知っているのかね?
 質問者 私が眠っているのを見た人がそう言ったのです。
 マハラジ
 彼らが証明できることは、あなたが目を閉じ、息を規則的にして、横になっ
 ていたということだけだ。
 彼らにあなたが意識していたかどうかを立証することはできない。
 あなたの唯一の証拠はあなたの記憶だけだ。
 何と不確かな証拠だろう!
(´・(ェ)・`)
(つづく)

303名無しを整える。2018/03/23(金) 12:33:47.50ID:ERFrGm2Y
>>302
>個人としては断続的な存在でしかないとあなた自身認めるならば、個人とし
 て自分自身を体験する合間の休止期間、あなたが何者なのか私に言えるだろ
 うか?
>あなたは「私は無意識だったことを知らなかった」と、記憶がないという意
 味の過去形で描写することができるだけだ。
>本当にあなたは無意識だったのかね、それともただ覚えていないだけなのか
 ね?
>あなたは昨日のあらゆる瞬間を覚えているだろうか?
>あなたは無意識だったのだろうか?
>あなたは意識がありながらも覚えていないのだろうか?
>あなたは眠りのなかで意識はあっても、覚えてはいないのかもしれない。 
> あなたの唯一の証拠はあなたの記憶だけだ。
 何と不確かな証拠だろう!
(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。
記憶こそが自我の源というか、自我そのものと思っているくまであるが、ぼぉ〜っとして無意識にある休止期間のくまは何者であるかと、聞かれてるのでありますね。
いつもぼぉ〜っとしてるくまは、休止期間が長くて、記憶こそが自我だとしたら、何者でもなくなってしまうわけでありますね。
そんなぼぉ〜っとして無意識にあるときでも、「気づき」は常にあるのであり、ただその「気づき」を記憶してないだけなのでありましょうかね。
だから、「気づき」こそが、くまは何者であるかと言う問いの答えなのでありましょうかね。
(´・(∀)・`)b

304鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/23(金) 23:04:29.16ID:N0/+ugGn
記憶が自我を成立させているのじゃ。
記憶に拠って昨日と同じく連続した自分と言う錯覚を起こしているのじゃ。
記憶による照合が無ければ個我の幻想も消えるのじゃ。

305名無しを整える。2018/03/24(土) 09:20:00.61ID:+Ls6VC80
>>302
『I AM THAT 私は在る』
【18 あなたとは何かを知るために、あなたでないものを見いだしなさい】
(つづき)

 質問者 そうです。私が個人としてあるのは、目覚めている時間だけである
 ことを認めます。目覚めと目覚めの合間に関して、私は知りません。
 マハラジ
 少なくとも、あなたはあなたが知らないということを知っている!
 あなたが目覚めと目覚めの合間に意識がないと主張するなら、その合間につ
 いてはしばらくおいておこう。
 では、目覚めている間だけを考えてみよう。
 質問者 私は、夢のなかでは同じ個人です。
 マハラジ
 賛成だ。
 私たちは夢見ているときも目覚めているときも一緒に考えることにしよう。
 違いは単に継続性にあるだけだ。
 あなたの夢が一定の継続性をもち、毎夜毎夜同じ景色や同じ人びとを映しだ
 すなら、あなたはどちらが夢でどちらが目覚めているのか途方にくれるだろ
 う。
 それゆえ、私たちが目覚めの状態を語るときは、夢見の状態も含めて語ろう。
 質問者 賛成です。私は世界と意識的関係をもった個人です。
 マハラジ
 世界、そして世界と意識的関係をもつことが、あなたを個人とするのに必須
 のことだろうか?
 質問者 たとえ洞窟に幽閉されたとしても、私は個人として在るでしょう。
 マハラジ
 それは身体と洞窟、そしてそれらが存在する世界があるということを意味し
 ている。
 質問者 ええ、わかります。世界と世界の意識は、個人としての私の存在に
 不可欠です。
 マハラジ
 これが個人を世界の一部また一片にし、またその逆も同様だ。
 その二つはひとつなのだ。
 質問者 意識は単独の存在です。世界と個人はともに意識のなかに現れます。
 マハラジ
 あなたは「現れる」と言ったが、「消える」とも言えるだろうか?
 質問者 いいえ、それはできません。私には、私と世界の現れに気づくこと
 ができるだけです。個人として、「世界は存在しない」とは言えま
 せん。世界がなければ、それを言う私もそこに存在していないでし
 ょう。世界がそこにあるから、私もそこにいて「世界はある」と言
 えるのです。
 マハラジ
 それは反対かもしれない。
 あなたがいるからこそ、そこに世界があるのだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

306鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/24(土) 22:59:32.60ID:Qi0Dvrbg
そうじゃ、人が自分の世界を創っているのじゃ。
自分が居なければ世界も無いのじゃ。
人の数だけ世界は有るのじゃ。 

307名無しを整える。2018/03/25(日) 10:27:47.79ID:81ookYO3
>>305
『I AM THAT 私は在る』
【18 あなたとは何かを知るために、あなたでないものを見いだしなさい】
(つづき)

 質問者 私にとってそのような表明は無意味です。
 マハラジ
 あなたが感じるその無意味さは、調べることによって消えるかもしれない。
 質問者 どこから調べはじめるのでしょう?
 マハラジ
 私が知っていることは、何であれ依存するものは実在でないということだけ
 だ。
 実在は真に独立している。
 個人の存在は世界の存在に依存している。
 そしてそれは世界によって制限され、定義されている。
 それゆえ、それは実在ではありえない。。
 質問者 しかし、それは夢ではありえません。
 マハラジ
 夢でさえ、それが認識され、楽しまれ、続く間はその存在をもっている。
 何であれ、あなたが感じ、考えるものは存在をもつ。
 だが、それはあなたがそうと信じるものとは違うかもしれない。
 あなたが個人だと考えているものは、何かまったく違うものかもしれない。
 質問者 私は私が自分自身として知っているものです。
 マハラジ
 あなたが自分自身だと考えているものがあなただ、などと言うことはできな
 い!
 あなた自身に関するあなたの考えは日々、そして一瞬一瞬変わっている。
 あなたの自己イメージはもっとも変化しやすいものだ。
 それはまったく傷つきやすいものであり、あなたのそばを通りすぎる人たち
 に左右されている。
 愛するものと死別し、職を失い、屈辱を受ける。
 そしてあなたがあなたの個性と呼ぶ自己イメージは深く変化するのだ。
 あなたが何なのかを知るためには、まず、あなたが何ではないかを調べなけ
 ればならない。
 そしてあなたが何ではないかを知るためには、「私は在る」という基本的な
 事実にそぐわないものをすべて拒絶し、あなた自身を注意深く観察しなけれ
 ばならない。
 私はある時、ある場所で、両親のもとに生まれ、今私は某で、どこそこに住
 み、誰それと結婚し、誰それの父親で、どこそこに雇われ等々……といった
 概念は、「私は在る」という感覚のなかに本来ないものだ。
 「私はあれやこれだ」というのが私たちの通常の態度だ。
 忍耐強く堅固に、「あれ」や「これ」から「私は在る」を分離しなさい。
 そして「あれ」や「これ」として在るのではなく、ただ在るということがど
 ういった意味をもつのか感じ取ってみなさい。
 私たちの習慣のすべてがそれに逆らう。
 それらと闘うことはときには長く、困難な仕事だ。
 だが、明確な理解は大きな助けとなる。
 マインドのレベルでは、あなたは否定的な言語でしか言い表わすことができ
 ないということをより明確に理解するほど、探求はより早く終焉を迎える。
 そして、あなたは無限の実在を実現するのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

308名無しを整える。2018/03/25(日) 21:39:46.66ID:81ookYO3
>>307
> 「私はあれやこれだ」というのが私たちの通常の態度だ。
 忍耐強く堅固に、「あれ」や「これ」から「私は在る」を分離しなさい。
 そして「あれ」や「これ」として在るのではなく、ただ在るということがど
 ういった意味をもつのか感じ取ってみなさい。
 私たちの習慣のすべてがそれに逆らう。
 それらと闘うことはときには長く、困難な仕事だ。
 だが、明確な理解は大きな助けとなる。
 マインドのレベルでは、あなたは否定的な言語でしか言い表わすことができ
 ないということをより明確に理解するほど、探求はより早く終焉を迎える。
 そして、あなたは無限の実在を実現するのだ。
ふむふむふむ。
(´・(ェ)・`)

309鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/25(日) 23:02:46.06ID:RUKhiehX
観念に囚われていればそれが自分と同一化していると感じるのじゃ。
囚われなければ観念との同一化もないのじゃ。
観念が無ければ無限の意識が感じられるのじゃ。

310名無しを整える。2018/03/26(月) 07:08:25.11ID:T+PFFqHL
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】

 質問者 わたしは画家で、絵を描くことによって生計を立ててい
 ます。これは霊的見地から見て価値あることなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたは絵を描くとき、何を想うのだろうか?
 質問者 私が絵を描くときは、そこに絵と私自身があるだけです。
 マハラジ
 あなたはそこで何をしているのだろう?
 質問者 絵を描いています。
 マハラジ
 そうではない。
 あなたは絵が描かれているのを見ているのだ。
 あなたは見守るだけで、それ以外はすべて起こるのだ。
 質問者 絵がそれ自身を描いているのでしょうか? あるいは何
 かより深い「私」あるいは神が描いているのでしょうか?
 マハラジ
 意識そのものがもっとも偉大な画家なのだ。
 世界全体が絵画だ。
 質問者 誰が世界の絵を描いたのでしょう?
 マハラジ
 画家は絵のなかにいる。
 質問者 絵は画家のマインドのなかにあり、画家は絵のなかにい
 る。そしてその絵は、絵のなかの画家のマインドのなか
 にある! この無限の状態と次元はばかげていませんか?
 私たちが絵のなかにあるマインドのなかの絵について語
 る瞬間、高次の観照者が低次を観照しているという、か
 ぎりない観照者の連鎖となります。それは二つの鏡の間
 に立ち、そこに映る群衆に驚いているようなものです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたはひとりでそこには二重の鏡がある。
 その二つの合間であなたの形と名前は無数に存在するのだ。
 質問者 あなたはどのように世界を見ているのでしょうか?
 マハラジ
 私は画家が絵を描いているのを見ている。
 その絵を私は世界と呼び、画家を神と呼ぶ。
 私はそのどちらでもない。
 私は創造しないし、創造されたものでもない。
 私はすべてを含み、私を含むことのできるものは何もないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

311名無しを整える。2018/03/26(月) 07:32:23.56ID:T+PFFqHL
>>310
質問者・・・ 私たちが絵のなかにあるマインドのなかの絵について語
 る瞬間、高次の観照者が低次を観照しているという、か
 ぎりない観照者の連鎖となります。それは二つの鏡の間
 に立ち、そこに映る群衆に驚いているようなものです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたはひとりでそこには二重の鏡がある。
 その二つの合間であなたの形と名前は無数に存在するのだ。

存在の唯識的説明の中で、絵を描く行為を語るとこうなるわけでありますね。
ふむふむ・・・・かなりややこしい話しであります。
(´・(ェ)・`)つ

312鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/26(月) 22:08:05.83ID:Q9TB+X2v
絵を描く者を無限に遡及するように感じるのも記憶に拠る認識の所為なのじゃ。
見たものを主体として認識する記憶が次々に生じているだけなのじゃ。
それ自体が自分を認識する仕組みを働かせているのじゃ。
その過程を詳細に見れば自我を見るチャンスにもなるのじゃ。

313名無しを整える。2018/03/26(月) 23:00:41.79ID:T+PFFqHL
>>312
>見たものを主体として認識する記憶が次々に生じているだけなのじゃ。
それ自体が自分を認識する仕組みを働かせているのじゃ。
その過程を詳細に見れば自我を見るチャンスにもなるのじゃ。

マハラジが「あなた」と言ってるのは、真我あるいは「気づき」のことであり、だからあなたは書かれている絵を見てるだけということになるのでありましょうか?
絵を描くという行為をなしている者は誰かと問うことは、無意味であり、その描かれていることに気付いている者こそが真我であり、あなただと言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

314名無しを整える。2018/03/27(火) 10:15:06.60ID:qDbM9cwy
>>310
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】
(つづき)

 質問者 私が樹や、顔や、夕日を見るとき、その絵は完全です。
 私が目を閉じるとイメージはぼんやりして、かすんだ状
 態です。もし私のマインドが絵を投影するならば、なぜ
 愛らしい花を見るために目を開いていなければならず、
 目を閉じたときははっきり見えないのでしょう?
 マハラジ
 なぜならあなたの外側のほうが内なる目より優れているからだ。
 あなたの目はいつも外側へと向いている。
 あなたが霊的世界を見ることを学ぶにつれて、それが身体の目で
 見るよりもより色鮮やかで、完全なことを知るだろう。
 もちろん、いくらかの訓練が必要だ。
 だが、なぜ議論するのだろう?
 あなたが、絵はそれを描いた画家から生まれたと想像するからだ。
 あなたはいつも理由や原因を探している。
 因果関係はマインドのなかにだけ存在する。
 記憶が継続性という幻想を与え、繰り返しが因果関係の概念をつ
 くり出すのだ。
 ものごとが繰り返し一緒に起こるとき、私たちはそこに因果関係
 を見出そうとする傾向がある。
 それは精神的習慣をつくり出す。
 しかし、その習慣は必要なものではないのだ。
 質問者 あなたは世界が神によってつくられたと言ったばかりで
 す。
 マハラジ
 言語はマインドによって、マインドのためにつくられたひとつの
 手段だということを覚えておきなさい。
 ひとたび、あなたが原因を認めるならば、神が究極の原因であり、
 世界はその結果となる。
 それらは異なるものだが、分離してはいない。
 質問者 人びとは神を見ることについて語っています。
 マハラジ
 あなたは世界を見るとき、神を見ている。
 世界を離れて、神を見るということはない。
 世界を超えて神を見るということは、神となることだ。
 あなたは光によって世界を見る。
 その光が神であり、それが「私は在る」という小さな閃光だ。
 一見とても小さく見えるが、それは知ることと愛することという
 行為のはじまりと、終わりなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

315名無しを整える。2018/03/27(火) 11:49:51.13ID:qDbM9cwy
>>314
>あなたが霊的世界を見ることを学ぶにつれて、それが身体の目で
 見るよりもより色鮮やかで、完全なことを知るだろう。
 もちろん、いくらかの訓練が必要だ。

←霊的な世界を見ることを学ぶとはどういうことでありましょうか?

後半は不幸ニ一元のわかりやすい説明でありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

316名無しを整える。2018/03/27(火) 13:13:42.61ID:qDbM9cwy
>>315
訂正
不幸ニ一元 → 不ニ一元

317鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/27(火) 23:14:16.27ID:8Dm6IMPt
>>313 そのようなものじゃ。
 幻想なのじゃ。
 気づいている者はないのじゃ。
 そこに主体も真我もないのじゃ。
 主体無くして全ては起こるのじゃ。

>>315 感覚を制して外の刺激をみないようにするのじゃ。
 そして自分の本心だけを観ることなのじゃ。
 それが全てなのじゃ。

318名無しを整える。2018/03/27(火) 23:58:09.30ID:qDbM9cwy
>>317
鬼和尚、ありがとうであります。
真我が主体といった場合、主体はないと同義だと思うのでありますが、そのような言い方は間違いでありましょうか?
> 感覚を制して外の刺激をみないようにするのじゃ。
←制感の法でありますね。
ところで、「霊的な世界」と言うのがピント来ないのでありますが、どのように理解すれば良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

319名無しを整える。2018/03/28(水) 06:49:06.47ID:K+m1lQCS
>>314
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】(つづき)

 質問者 神を見るために世界を見なければならないのでしょうか?
 マハラジ
 それ以外どうするというのだろうか?
 世界がなければ神もない。
 質問者 何が残るのでしょう?
 マハラジ
 あなたが純粋な存在として残る。
 質問者 そして世界と神が何になるのですか?
 マハラジ
 純粋な存在(アヴィヤクタ)になる。
 質問者 それは偉大な広がり(パラマカーシュ)と同じなのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そう呼んでもいい。
 言葉は問題ではない。
 言葉では表現不可能だからだ。
 完全な否定によってのみ表現できるのだ。
 質問者 どうすれば世界を神としてみることができるのでしょう
 か? それはどういう意味なのでしょうか?
 マハラジ
 それは暗室に入っていくようなものだ。
 あなたには何も見えない。
 あなたは触れるかも知れないが、色彩も輪郭も、何も見えない。
 そこで窓が開き、部屋は光で溢れ、満たされ、色彩と形態が現れ
 だす。
 光を与えたのは窓だ。
 だが窓が光の源なのではない。
 太陽が源なのだ。
 同じように、物質は暗室のようなものだ。
 意識が窓だ。
 感覚と知覚によって物質はあふれだす。
 そして物質と光の両方の源である至高なるものが太陽なのだ。
 窓は開いているかも、閉じているかもしれない。
 太陽はいつも輝いている。
 太陽は部屋に完全な変化をもたらしたが、太陽は変化しない。
 しかし、これらすべても小さな「私は在る」にとっては大きな意
 味を持たない。
 「私は在る」なしには何も存在できないからだ。
 すべての知識は「私は在る」に関わる。
 この「私は在る」についての誤った考えが束縛へと導き、正しい
 考えは自由と幸福をもたらすのだ。
 質問者 「私は在る」と「そこに在る」は同じでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」は内側を、「そこに在る」は外側を意味する。
 ともに存在(ビーング)の感覚に基づいている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

320名無しを整える。2018/03/28(水) 06:59:10.96ID:K+m1lQCS
>>319
>物質は暗室のようなものだ。
 意識が窓だ。
 感覚と知覚によって物質はあふれだす。
 そして物質と光の両方の源である至高なるものが太陽なのだ。
 窓は開いているかも、閉じているかもしれない。
 太陽はいつも輝いている。
 太陽は部屋に完全な変化をもたらしたが、太陽は変化しない。
 しかし、これらすべても小さな「私は在る」にとっては大きな意
 味を持たない。
 「私は在る」なしには何も存在できないからだ。
 すべての知識は「私は在る」に関わる。
 この「私は在る」についての誤った考えが束縛へと導き、正しい
 考えは自由と幸福をもたらすのだ。

(´・(∀)・`)つ
わぁァァァかりやすいたとえばなしであります!

321鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/28(水) 23:48:15.09ID:UTPqa4s1
>>318 それはマハラジの教えでは私は在るということを追求する世界なのじゃ。
 今まで世間で金勘定などをしていた者には全く別の世界になるのじゃ。
 世間の法則とは別の法がある心の世界なのじゃ。

322鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/28(水) 23:51:03.85ID:UTPqa4s1
真我という言葉を使えばそこにまた観念が従って起こるものじゃ。
修行中に幻想を見てそれが真我だとおもってやめてしまうものもいるじゃろう。
本当はアートマンは真我と訳すべきでもないのじゃ。
真の我など存在せず、アートマンはそれを追求する法でもないからのう。

323名無しを整える。2018/03/28(水) 23:55:35.77ID:K+m1lQCS
>>321
鬼和尚、ありがとうであります。
霊とか魂とかの世界の話しとは無関係に、単なる非日常的な、心の世界と理解しておけばよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

324名無しを整える。2018/03/29(木) 00:22:10.11ID:6mXXLGid
>>322
鬼和尚ありがとうであります。アートマンが主体と言う言い方は間違いだとわかりました。
二元性を越えたアートマンの適切な訳語はないもんでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

325名無しを整える。2018/03/29(木) 05:54:43.83ID:6mXXLGid
>>319
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】(つづき)
 
( マハラジ
 「私は在る」は内側を、「そこに在る」は外側を意味する。
 ともに存在(ビーング)の感覚に基づいている。)
 質問者 それは実存(イグジスタンス)の体験と同じなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 実存することとは、あるもの、ある感情、ある思い、ある概念と
 いった何かとして在ることを意味している。
 すべての実存は、ある特定のものだ。
 すべての存在はほかのあらゆる存在を互いに受け入れるという意
 味で、存在だけが普遍的なものと言える。
 実存は対立するが、存在に対立はありえない。
 実存とは何かになること、生まれ、死に、また生まれるという変
 化を意味する。
 一方、存在には平和と静寂があるのだ。
 質問者 もし私が世界をつくり出したなら、どうしてこのような
 間違ったものになってしまったのでしょうか?
 マハラジ
 誰もが皆、その人自身の世界に生きている。
 すべての世界が同じように良いわけでも悪いわけでもない。
 質問者 何が違いを決定するのでしょうか?
 マハラジ
 世界を投影するマインドが、それ自身のやり方で色づけするのだ。
 あなたがある人に出会うとき、彼は見知らぬ人だ。
 彼と結婚すれば、彼はあなた自身のものとなる。
 喧嘩をすれば、彼はあなたの敵になる。
 彼があなたにとって何であるかを決定するのは、あなたのマイン
 ドの姿勢によるのだ。
 質問者 私の世界が主観的なものだということは理解できます。
 それはつまり幻想でもあるということなのでしょうか?
 マハラジ
 主観的であるかぎり、それは幻想だ。実在は客観性の内にある。
 質問者 客観性とはどういう意味でしょうか? あなたは世界が
 主観的なものだと言いました。今、あなたは客観性につ
 いて語っています。すべては主観的ではないのでしょう
 か?
 マハラジ
 すべては主観的だ。しかし、実在は客観的だ。
 質問者 どういう意味でしょうか?
 マハラジ
 それは記憶や期待、欲望や恐れ、好き嫌いといった選択に依存し
 ない。
 すべてはあるがままとして見られるのだ。
 質問者 それはあなたが第四の状態(トゥリーヤ)と呼ぶものな
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたの好きなように呼ぶがいい。
 それは確固とし、一定で、変化せず、はじまりも終わりもない。
 つねに新しく、つねに新鮮だ。
 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 欲望もおそれもない状態があなたをそこへ連れていくだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

326さとりクン2018/03/29(木) 15:58:48.47ID:29PESKBw
おれ悟ったんだけどwww、何か相談ある?

あと、ブログよろしく!

http://blog.livedoor.jp/kosokeme/

327名無しを整える。2018/03/29(木) 16:41:39.52ID:WrS6ekJW
隔離スレ?ここ

328鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/29(木) 23:14:34.66ID:C0LX4vkj
>>323 そうじゃ。

>>324 訳さなくても良いのじゃ。
 無理に訳すならば無現法なのじゃ。
 無によってのみ現される方法なのじゃ。
 

329名無しを整える。2018/03/29(木) 23:44:46.83ID:6mXXLGid
>>328
鬼和尚、ありがとうであります。
無現法でありますか。意味を表す訳語としてぴったりでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

330名無しを整える。2018/03/30(金) 07:26:45.34ID:i2L/hZlQ
>>325
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】

 質問者 あなたは、実在はひとつだと言います。単一性、統一性は個人の属
 性です。それでは、実在とは宇宙をその身体とした個人なのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたが何を言おうと、それは真実でもあり偽りでもある。
 マインドを超えたところに言葉が届くことはできないのだ。
 質問者 私はただ理解しようとしているだけです。あなたは個人、観照者、
 そして至高なるもの(ヴィアクティ、ヴィアクタ、アヴィアクタ)
 に関して語りました。純粋な覚醒(プラジニャー)の光は、観照者
(ジーヴァートマ)のなかの「私は在る」、マインド(アンタカラ
 ナ)を照らす意識(チェタナ)、身体(デーハ)に生気を与える生
 命(プラーナ)に焦点を合わせています。これらすべては言葉で表
 現するかぎりはいいでしょう。しかし、私のなかで観照者から個人
 を区別し、至高なるものから観照者を区別しようとすると、混乱し
 てしまうのです。
 マハラジ
 個人はけっして主体ではありえない。
 あなたは個人を見ることはできるが、あなたは個人ではない。
 あなたはつねに至高なるものであり、その至高なるものが、ある与えられた
 時間と空間において観照者として現れたのだ。
 その観照者が至高なるものの純粋な覚醒と、個人の多様な意識の間に橋を渡
 すのだ。
 質問者 私が自分を見るとき、この身体をどう使うかについて、私のなかで
 何人かの異なった個人が互いに争いあっているのを見いだします。
 マハラジ
 それらはマインドの多様な性癖(サンスカーラ)に相当するのだ。
 質問者 私は彼らの間に平和をもたらすことができるでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 彼らはまったく反駁(はんばく)しあっているのだ。
 彼らをただの思考と感情の習慣、記憶と衝動として、あるがままに見なさい。
 質問者 それでも、彼らは皆「私は在る」と言うのです。
 マハラジ
 なぜなら、あなたは彼らと自分自身を自己同一視するからだ。
 ひとたび、何であれあなたの前に現れたものは自分自身ではありえず、「私
 は在る」と言うことはできないと認識すれば、あなたはすべての「個人」た
 ちと彼らの要求から自由になる。
 「私は在る」という感覚はあなた自身のものだ。
 それを手放すことはできない。
 しかし、あなたはそれを「私は若い、私は裕福だ」というように何にでも分
 け与えることができる。
 ただ、そのような自己同一化は明らかに偽りであり、束縛となる原因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

331鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/30(金) 22:16:59.27ID:9cR9sWdy
観念は常に分かれているものじゃ。
欲や恐れから矛盾した働きを繰り広げるのみなのじゃ。
観念が無ければ全ては統一され安らぎが在るのじゃ。

332名無しを整える。2018/03/31(土) 07:41:40.46ID:bW8049nq
>>330
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】(つづき)

 質問者 今、私には私が個人ではなく、個人のなかに反映されたとき、それ
 に存在の感覚を与えるものだと理解できました。では、至高なるも
 のについてはどうでしょう? どのようにして私自身を至高なるも
 のとして知るのでしょうか?
 マハラジ
 意識の源は、意識のなかの対象物ではありえない。
 源を知るということは、源として在るということだ。
 あなたが個人ではなく純粋で静かなる観照者であり、恐れのない気づきが真
 の存在だと悟ったとき、あなたは実在となる。
 それが源であり、無尽蔵の可能性だ。
 質問者 源はたくさんあるのでしょうか、それとも、ひとつがすべてのため
 にあるのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたがそれをどの側から、どう見るかによる。
 世界のなかの対象物はたくさんあるが、それを見る目はひとつだ。
 高次のものは低次のものにとってつねにひとつとして現れ、高次のものにと
 って低次のものは多数として現れる。
 質問者 形や名前はみな同じひとつの神のものなのでしょうか?
 マハラジ
 これもまた、あなたがどう見るかにかかってくる。
 言語上のレベルでは、すべてが相対的だ。
 絶対性は体験されるものであって、討論すべきことではない。
 質問者 どのようにして絶対性は体験されるのでしょうか?
 マハラジ
 それは対象物として認識したり、記憶のなかに蓄えられたりするものではな
 い。
 それは現在のなかに、むしろ感覚的なものとしてある。
 それは「何であるか」というより、「どう在るか」に近い。
 それは質のなか、価値のなかにあり、すべての源としてすべてのなかに存在
 しているのだ。
 質問者 もしそれが源なら、なぜ、そしてどのようにしてそれ自身を現すの
 でしょうか?
 マハラジ
 それは意識に誕生を与えるのだ。
 それ以外のすべては意識のなかにある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

333鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/01(日) 00:06:27.96ID:D2ut5DoZ
全ては意識なのじゃ。
そこにはもはや観る者と観られるものはないのじゃ。
自他の区別も無くただあるがままにあるのみなのじゃ。
知識としてではなく感じることでのみ了承されるのじゃ。

334名無しを整える。2018/04/01(日) 06:12:58.48ID:lpYab2UK
>>333
ニサルガさんは、
>意識の源(至高なるもの)は、意識のなかの対象物ではありえない。
 源を知るということは、源として在るということだ。
 あなたが個人ではなく純粋で静かなる観照者であり、恐れのない気づきが真
 の存在だと悟ったとき、あなたは実在となる。
 それが源であり、無尽蔵の可能性だ。
←意識の源=至高なるもの=気づき=実在(=アートマン?=ブラフマン?) を意識とは別に、意識の源として説明していますが、

鬼和尚は、
意識の源とかは観念せず、全ては意識であるということでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

335名無しを整える。2018/04/01(日) 06:21:29.95ID:lpYab2UK
>>332
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】(つづき)

 質問者 なぜそれほどたくさんの意識の中心があるのでしょうか?
 マハラジ
 客観的宇宙(マハーダカーシュ)は不変の運動を続け、無数の形態を投影し
 ては溶解している。
 いつであれ形態に生気(プラーナ)が吹き込まれたとき、物質のなかで気づ
 きの反映によって意識(チェタナ)が現れる。
 質問者 至高なるものはどのような影響を受けるのでしょうか?
 マハラジ
 何が、どうやってそれに影響を与えられるというのだろう?
 水源が川の気まぐれな流れの影響を受けることはない。
 また金属が宝飾品の形によって影響を受けることもない。
 光源がスクリーン上の画像によって影響を受けるだろうか?
 至高なるものはすべてを可能にする。
 それだけだ。
 質問者 なぜあることは起こり、あることは起こらないのでしょうか?
 マハラジ
 原因を探しだすことは、ただのマインドの気晴らしにすぎない。
 原因と結果という二元性は存在しない。
 すべてはそれ自身の原因なのだ。
 質問者 それでは、目的をもった行為は不可能なのでしょうか?
 マハラジ
 私に言えることは、意識がすべてを包括しているということだけだ。
 意識のなかではすべてが可能だ。
 もし望むならば、あなたの世界のなかで原因を持つこともできるだろう。
 別の人は、神の意志というひとつの原因に満足かもしれない。
 根本的な原因はひとつ、「私は在る」だ。
 質問者 自己(ヴィアクタ)と至高なるもの(アヴィヤクタ)との関係は何
 でしょうか?
 マハラジ
 自己の視点から見れば、世界は既知であり、至高なるものは未知だ。
 未知は既知に誕生を与え、しかも未知としてとどまる。
 既知は無限だが、未知は無限大の無限だ。
 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないように、至高な
 るものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知としてとどまるのだ。
 質問者 それはつまり、未知はアクセス不可能ということでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 至高なるものはもっとも到達しやすいものだ。
 なぜなら、それはあなたの存在そのものだからだ。
 考えることを止め、至高なるもの以外を求めないこと、それで充分だ。
 質問者 では、もし私が至高なるものさえも、何も求めないとしたら?
 マハラジ
 それでは、あなたは死んだも同然だ。
 あるいはあなたが至高なるものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

336名無しを整える。2018/04/01(日) 06:33:30.34ID:lpYab2UK
>>334
主客、自他、性質、程度・・等々一切を分別しないのであれば、意識こそが源であり、意識のみがあると考えた方が、シンプルでわかりやすいでありますね。
その他の、気づき、真我、実在、至高なるもの等は、意識を浮かび上がらせるための説明と考えればよいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

337鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/01(日) 22:51:50.75ID:D2ut5DoZ
そうじゃ、気づくことで悟りも訪れるのじゃ。
悟りを得て気づいている意識に到達するといえるのじゃ。
寝ている時にも気づいているので在るからのう。

338名無しを整える。2018/04/02(月) 07:21:18.57ID:Bk4oE5n3
>>335
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】(つづき)

 質問者 世界は欲望でいっぱいです。誰もがあれやこれやを欲しています。
 欲しているものとは誰なのでしょうか? 個人でしょうか、あるい
 は真我なのでしょうか?
 マハラジ
 真我だ。
 神聖なもの、あるいは神聖でないもの、すべての欲望は真我からやってくる。
 それらはすべ「私は在る」という感覚に依存しているのだ。
 質問者 神聖な欲望(サティヤカーマ)が真我から発しているということは
 理解できます。それは真我のサッチターナンダ(存在―意識―至福)
 の側面の表現でしょう。しかし、なぜ神聖ではない欲望もそうなの
 でしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望は幸福を目ざしいている。
 欲望の形や質は精神(アンタカラナ)に依存する。
 不活発性(タマス)が優勢なら、そこには逸脱が見られるだろう。
 エネルギー(ラジャス)があると熱情が生じ、透明性(サットヴァ)がある
 ところには、その欲望の動機の背後に善意と慈悲、幸福であることよりも幸
 福になってほしいという衝動が見られる。
 だが、至高なるものはすべてを超えている。
 さらに、その無限の浸透性ゆえに、あらゆる適切な望みは満たされるのだ。
 質問者 どの欲望が適切なのでしょうか?
 マハラジ
 主体、または対象を破壊する欲望、あるいは満たされた後でも消え去らない
 欲望は自己矛盾しており、満たされることはない。
 動機が愛と善意と慈悲によって生まれた欲望だけが、主体にも対象にも有益
 であり、充分満たされるのだ。
 質問者 神聖なものも神聖でないものも、すべての欲望は苦痛をともないま
 す。
 マハラジ
 それらは同じではない。
 苦痛もまた同じものではない。
 熱情は苦痛だ。
 慈悲に苦痛はありえない。
 全宇宙が慈悲から生まれた欲望を満たそうと努力しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

339名無しを整える。2018/04/02(月) 07:37:53.30ID:Bk4oE5n3
>>338
> 神聖なもの、あるいは神聖でないもの、すべての欲望は真我からやってくる。
 それらはすべ「私は在る」という感覚に依存しているのだ。
←すべての欲望は真我からやってくるのでありますか。
> すべての欲望は幸福を目ざしいている。
 欲望の形や質は精神(アンタカラナ)に依存する。
←ふむふむ。なるへそ。
> 至高なるものはすべてを超えている。
 さらに、その無限の浸透性ゆえに、あらゆる適切な望みは満たされるのだ。

> 主体、または対象を破壊する欲望、あるいは満たされた後でも消え去らない
 欲望は自己矛盾しており、満たされることはない。
 動機が愛と善意と慈悲によって生まれた欲望だけが、主体にも対象にも有益
 であり、充分満たされるのだ。

> 熱情は苦痛だ。
 慈悲に苦痛はありえない。
 全宇宙が慈悲から生まれた欲望を満たそうと努力しているのだ。

◎真我に属性などないので、すべての欲望は真我からやってくると言うことになるのでありましょうかね。
◎至高なるものはすべてを超えている。としつつも、愛、善意、慈悲といった属性のある概念として、使い分けてるのでありますかね?

(´・(ェ)・`)つ

340鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/02(月) 21:53:16.41ID:Gp8MWw7N
真我もまた観念であるから欲も起こるものじゃ。
その根本には幸福を求める意識も在るのじゃ。
謬見から金とか権力が在ると幸福になれるのではないかと思ってしまうのじゃ。

341名無しを整える。2018/04/03(火) 05:55:42.95ID:cVWkGEGr
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】

 質問者 私たちは神あるいは完全な人として人格化された実在を礼拝するよ
 う勧められてきました。絶対なるものの礼拝を試みることは、脳に
 中心を置く意識にはあまりにも困難だと言われたのです。
 マハラジ
 真理はシンプルであり、誰にでも開かれている。
 なぜそれを複雑にしてしまうのだろう?
 真理は愛(いと)しく、愛すべきものだ。
 それはすべてを含み、すべてを受け入れ、すべてを浄める。
 偽りこそが困難で、苦難の源なのだ。
 それはつねに欲し、期待し、要求する。
 偽りであるために空虚で、つねに確認と再確認を探している。
 それは探求を恐れ、そして避けている。
 それはたとえ弱くはかないものでも、何であれ、支えとなるものと自己同一
 化する。
 何であれ得ると失い、さらに求める。
 それゆえ、意識を信頼してはならない。
 何ひとつあなたが見、感じ、考えられることはそのとおりではないのだ。
 罪や徳、長所や欠点でさえ、現れたとおりではない。
 通常、善と悪は社会の慣例と習慣の問題であって、どう言葉で表されるかに
 したがって、避けられたり、歓迎されたりするものだ。
 質問者 悪い欲望や良い欲望、高次や低次の欲望といったものはないのでし
 ょうか?
 マハラジ
 すべての欲望は悪い。
 だが、あるものはほかのものよりさらに悪い。
 欲望を追求してみなさい、かならず災難にであうだろう。
 質問者 欲望から自由になりたいという欲望もそうでしょうか?
 マハラジ
 なぜ望むのだろうか?
 欲望から自由な状態を望んでも、自由にはなれないだろう。
 何もあなたを自由にすることはできない。
 なぜなら、あなたはすでに自由だからだ。
 欲望のない明晰性(めいせきせい)であなた自身を見なさい。
 それだけだ。
 質問者 自己を知るには時間がかかります。
 マハラジ
 どうして時間があなたを助けられるだろう?
 時間とは瞬間の連続だ。
 それぞれの瞬間は無から現れ、無へと消えていき、ふたたび現れることはな
 い。
 そんなはかないものの上に、どうして何かを築くことができるだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

342名無しを整える。2018/04/03(火) 14:07:13.06ID:cVWkGEGr
>>341
> 欲望のない明晰性(めいせきせい)であなた自身を見なさい。
 それだけだ。

なぁ〜んだ、そんなことか!って、それができたらよいのでありますが。
欲望はあっても、その欲望はないものとしての視点が明晰な=あるがままの視点であるから、そのように見よと言うことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

343鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/03(火) 22:49:38.85ID:qK4pPMlU
そうじゃ、集中して観察すれば観られるのじゃ。
観ることによってそれが実は見られるものと気づくのじゃ。
主体ではなく観念による客体と知れるのじゃ。

344名無しを整える。2018/04/04(水) 00:45:17.64ID:Vk7A72ui
>>343
ふむふむ。
観察することによって、主客の別なく、当然欲望まなく、全ては幻想と知るのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

345名無しを整える。2018/04/04(水) 06:45:52.49ID:Vk7A72ui
>>341
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 不変なるものとは何でしょうか?
 マハラジ
 自分のなかの不変なるものを見てみなさい。
 内面へと深く潜り、あなたのなかの真実を見いだしなさい。
 質問者 どのように自分自身を探しだせばよいのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ起こることはあなたに起こる。。
 あなたが何をしようと、それを為(な)す人はあなたのなかにいる。
 個人としてのあなたの主体を見いだしなさい。
 質問者 私は個人以外の何でありうるのでしょうか?
 マハラジ
 見つけだしなさい。
 たとえ私があなたに、あなたは観照者、静かに見守る人だと言ったところで、
 あなた自身が自己の存在への道を見いださないかぎり、それは何の意味もも
 たないだろう。
 質問者 どのようにして自己の存在への道を見いだしたらよいか、というの
 が私の質問です。
 マハラジ
 「私は誰か?」以外のすべての質問を放棄しなさい。
 最終的にあなたが確信できる唯一の事実とは、あなたは在るということだけ
 だ。
 「私は在る」は確かだ。
 「私はこれだ」は確かでない。
 真実のあなたとは何なのか。
 それを見いだすために努めなさい。
 質問者 ほかでもないそれだけを、私はこの六十年やってきたのです。
 マハラジ
 努力することに何の誤りがあるだろう?
 なぜ結果を追い求めるのだろうか?
 努力することそのものがあなたの本性だ。
 質問者 努力は苦痛です。
 マハラジ
 結果を求めることで、あなたがそうしたのだ。
 結果を求めずに努力しなさい。
 強欲にならずに努力しなさい。
 質問者 なぜ神は私をこのように造られたのでしょうか?
 マハラジ
 どの神についてあなたは話しているのだろうか?
 神とは何なのか?
 質問することを可能にしているその光そのものが神ではないだろうか?
 「私は在る」そのものが神なのだ。
 探求そのものが神だ。
 探求を通して、あなたは身体でもマインドでもなく、あなたのなかの自己へ
 の愛が生きるものすべての自己への愛だということを発見する。
 その二つはひとつなのだ。
 あなたのなかの意識と私のなかの意識は二つのように見えるが、実際はひと
 つだ。
 統合を見いだしなさい。
 それが愛なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

346鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/04(水) 23:02:24.71ID:mwcHB8+J
>>344 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

 ただひたすらに実践するものだけが私は在るを見出すのじゃ。
 

347名無しを整える。2018/04/05(木) 15:29:18.40ID:pDaGRgN7
>>345
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 どうすればその愛を見いだせるのでしょう?
 マハラジ
 今、あなたが愛するものは何だろうか?
 「私は在る」だ。
 あなたのハートとマインドをそれに捧げなさい。
 ほかに何も考えずに。
 これが努力なく自然になったとき、最高の状態となる。
 そのなかでは、愛そのものが愛する者であり、また愛される者なのだ。
 質問者 誰もが生きること、存在することを望んでいます。それは、自己愛
 ではないでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望は、自我のなかにその源をもっている。
 問題は、正しい欲望を選択することにある。
 質問者 何が正しく、何が間違っているかは習慣としきたりによって変化し
 ます。基準は社会によって異なります。
 マハラジ
 すべての伝統的基準を捨て去りなさい。
 それらは偽善者たちに任せておくがいい。
 欲望と恐れと誤った概念からあなたを解き放つものだけが正しいのだ。
 あなたが罪や徳に煩(わずら)わされている間は、安心が訪れることはない
 だろう。
 質問者 罪や徳が社会的基準に基づくことは認めますが、霊的な罪や徳もあ
 るかもしれません。私の言う霊的とは絶対性の意味です。絶対的罪
 や絶対的徳といったものがあるのでしょうか?
 マハラジ
 罪や徳は個人にしかあてはまらない。
 罪深き人や徳高き人なしに、罪や徳があるだろうか?
 絶対の次元に個人の存在はない。
 純粋な覚醒の大洋は、徳高くも罪深くもない。
 徳や罪はつねに相対的なものだ。
 質問者 このような不必要な概念を、私はぬぐい去ることができるでしょう
 か?
 マハラジ
 あなたが自分を個人と考えているかぎりは無理だ。
 質問者 私が罪や徳を超えたことを何によって知るのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望と恐れから、そして自分が個人であるという考えそのものから
 自由になることによってだ。
 「私は罪人だ」、「私は罪人ではない」といった考えをいだくこと自体が罪
 なのだ。
 自分自身をある特定のものと自己同一化することが罪のすべてだ。
 非人格が真実であり、人格は現れては消えていくものだ。
 「私は在る」は非個人の存在だ。
 「私はこれだ」が個人だ。
 個人は相対的なものであり、純粋な存在は根本的なものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

348鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/05(木) 23:17:33.05ID:pV9CA6Uj
全ての欲望と恐れと観念を厭離する法こそ真理と呼べるものなのじゃ。
実践によってそれらから解放され、全ての本質を味わうのじゃ。
それが全てに他ならない意識なのじゃ。

349名無しを整える。2018/04/06(金) 07:28:52.94ID:OZRWgzBi
>>347
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 純粋な存在が無意識であるはずも、識別力のないはずもありません。
 どうしてそれが罪と徳を超えられるのでしょうか? どうか教えて
 ください。純粋な存在には知性があるのでしょうか?
 マハラジ
 これらすべての質問は、あなたが自分を個人だと信じるために起こるのだ。
 個人であることを超えて見なさい。
 質問者 個人で在ることをやめなさいと言うとき、あなたは正確には何を意
 味しているのでしょうか?
 マハラジ
 私は在ることをやめなさいとは言ってはいない。
 それは不可能だ。
 私は、あなたが生まれ、両親をもち、この身体であり、いつか死が訪れ……
 といった想像をするのはやめなさいと言っているだけだ。
 試してみなさい。
 はじめて見なさい。
 それはあなたの思うほど困難ではないのだ。
 質問者 自分を個人だと考えるのは非個人性の罪です。
 マハラジ
 これもまた個人的見解だ!
 なぜあなたは非個人性をあなたの罪と徳という概念で汚(けが)すのだろう
 か?
 それはまったく当てはまらない。
 非個人性は善や悪といった言語では描写できないものなのだ。
 それは存在、智慧、愛、絶対なるものだ。
 どこに罪の余地があるだろう?
 そして徳とは単に罪の反対でしかない。
 質問者 私たちは神聖な徳について話しているのです。
 マハラジ
 真の徳は神の本性(スワルーパ)だ。
 真のあなたがあなたの徳なのだ。
 だが、罪の反対である、あなたの言う徳は恐れから生まれた服従でしかない。
 質問者 それでは、善であろうとするすべての努力はどうしてあるのでしょ
 うか?
 マハラジ
 それはあなたを動かしつづけるのだ。
 神を見いだすまであなたはつき進む。
 そして神はあなたを神自身のなかに引き入れ、あなたを彼のごとくにするの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

350鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/06(金) 23:52:35.28ID:ag1L7fwo
全ては永遠の意識なのじゃ。
別の何かになることなどはできないのじゃ。
ただそれを自分の心の中に見出せばよいのじゃ。

351名無しを整える。2018/04/07(土) 07:37:28.84ID:ViO1Bn3I
>>349
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 同じ行為がある時点では自然な行為と見なされ、ほかの時点では罪
 と見なされます。何がそれを罪なものとするのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、あなたがよりよい知識に反してするならばそれは罪だ。
 質問者 知識は記憶に依存しています。
 マハラジ
 自己を覚えていることが徳であり、自己を忘れることが罪だ。
 つまり、それは魂と物質の心理的な連結部だ。
 この連結部を精神(アンタカラナ)と呼んでもいいだろう。
 この精神が未熟で、未発達であり、まったく原始的ならば、それは粗雑な幻
 想に支配される。
 それが広さと繊細さにおいて成長すれば、純粋な物質と純粋な魂との完璧な
 連結部となり、物質に意味を与え、魂に表現を与える。
 物質的世界(マハーダカーシュ)と霊的世界(パラマカーシュ)がある。
 その間に宇宙的マインド(チダカーシュ)と宇宙のハート(プレマカーシュ)
 と呼ばれるものがある。
 その二つをひとつにするのは愛の智慧なのだ。
 質問者 ある人は愚かで、ある人は知性的です。この違いは精神のなかにあ
 ります。成熟した人は、その背景により多くの経験をもっています。
 子供が食べ、飲み、眠り、遊んで成長するように、人の精神も考え、
 感じ、為すすべてによって、魂と身体のかけ橋として、充分な役目
 を果たすようになるまで形成されていきます。橋が両岸の間の通行
 をもたらすように、精神は源とその表現をひとつに結びつけるので
 す。
 マハラジ
 それを愛と呼ぶがいい。
 その橋が愛なのだ。
 質問者 究極的に、すべては体験なのです。何であれ、私たちが考え、感じ
 ることは体験です。その背後には体験者がいます。私たちの知るす
 べてはその二つ、体験と体験者で成り立っています。しかしその二
 つは、実際にはひとつです。体験者のみが体験なのです。それにも
 関わらず体験者は体験を外側にあると見ます。同じように、魂と身
 体はひとつであり、二つに現れて見えるだけです。
 マハラジ
 魂にとっては、一者だけが存在する。
 質問者 他者は誰にとって現れるのでしょうか? 私には、二元性は精神の
 不完全性によって導かれた幻想と見えます。精神が完全になったと
 き、二元性は消え去るのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

352鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/07(土) 21:27:16.85ID:j/PtL37d
記憶に依存した認識が無いとき、全ては主体も対象も無い一つとして感じられるのじゃ。
全ては同じ本質を持つ意識としてのみあるのじゃ。

それが感じられるのが不死の境地なのじゃ。

353名無しを整える。2018/04/08(日) 11:33:59.26ID:56GMx0nI
>>351
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 それでも、私のとても単純な質問を繰り返さなければなりません。
 誰が罪と徳の区別をつけるのでしょうか?
 マハラジ
 身体をもつ者が、身体とともに罪を犯し、マインドをもつ者がマインドとと
 もに罪を犯すのだ。
 質問者 まさか、ただマインドと身体を所有することが罪を犯すよう強要す
 るとは言えないはずです。その根本に第三の要因があるはずです。
 私は繰り返し、この罪と徳の質問に戻ってきます。なぜなら、最近
 の若い人たちは、罪といったものはなく、その瞬間の欲望に安易に
 したがい、罪に対して神経過敏になる必要はないと言いつづけてい
 るからです。彼らは伝統も権威も受け入れず、強固で正直な思考に
 のみ影響されるのです。
 もし彼らがある特定の行為を慎むとしたら、それは罪の自覚からで
 はなく、むしろ警察への恐怖からなのです。疑いなく彼らの言うこ
 とには一理あります。なぜなら価値観は、時や場所の変化とともに
 変わるということが、私たちにも理解できるからです。たとえて言
 えば、戦争で殺すことはこの世紀では偉大な徳ですが、つぎの世紀
 では恐ろしい犯罪と見なされるかもしれないからです。
 マハラジ
 地球とともに動いている人にとって、昼と夜を体験することはまぬがれよう
 がない。
 太陽とともにとどまる人は暗闇を知らない。
 私の世界はあなたの世界とは異なるのだ。
 私が見るには、あなたがたすべては舞台の上で演じているのだ。
 あなたが行ったり来たりしていることには何の実在性もない。
 そしてあなたの問題はまったくの空想だ!
 質問者 私たちは夢遊病者なのかもしれません。あるいは、悪夢を見ている
 のかもしれません。あなたはどうすることもできないのでしょうか?
 マハラジ
 私はしている。
 私はあなたの夢のような状態に入り込んで、あなたに言っている。
 「あなた自身や他者を傷つけるのはやめなさい。苦しむのはやめなさい。目
 覚めなさい!」と。
 質問者 それでは、なぜ私たちは目覚めないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは目覚めるだろう。
 私は挫(くじ)けさせられない。
 時間はかかるだろうが。
 あなたが自分の夢に疑問をもちはじめたとき、覚醒は間近なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

354鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/08(日) 23:03:54.98ID:f7op2Hz+
自分が在るという観念が夢幻なのじゃ。
それによって苦があり、苦の世界もあると思うのじゃ。
夢幻がなければ全ては安楽なのじゃ。

355名無しを整える。2018/04/09(月) 08:46:23.37ID:vwlB3kgd
>>353
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】

 質問者 ヨーガの修練はつねに意識的なものでしょうか? それ
 とも気づきの境界下にあるまったく無意識的なものでし
 ょうか?
 マハラジ
 初心者にとってヨーガの修練は、しばしば熟考され、偉大な決意
 を要するものだ。
 だが、すでに何年も誠実に修練を培(つちか)ってきた者たちは、
 意識していようがいまいが、いつも真我の実現を念頭においてい
 る。
 無意識のサーダナ(修練)はもっとも効果的だ。
 なぜならそれは自発的で、変わらず続いていくからだ。
 質問者 ヨーガのまじめな弟子だった者が、何年か後に挫折し、
 すべての努力を放棄した場合はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 ある人がすること、あるいはしないことを、私たちはしばしば見
 誤ることが多い。
 彼の見かけの無関心さは、ただ力を蓄えているだけなのかもしれ
 ない。
 私たちの行動の原因は実にとらえがたいものだ。
 非難したり賞賛したりすることさえも急いではならない。
 ヨーガとは内面の自己が、外面の自己に働きかけることだと覚え
 ておきなさい。
 外面の自己のすることは、内面の自己への反応にすぎない。
 質問者 それでも、外面の自己は助けになります。
 マハラジ
 それがどれほどの助けになるというのだろう?
 身体を抑制し姿勢や呼吸を改善することはできる。
 マインドの思考や感情においては何の制御もできない。
 なぜなら、制御すること自体がマインドだからだ。
 外面を制御できるのは内面なのだ。
 外面はそれに従うならば賢明といえるだろう。
 質問者 もし霊的成長の原因が究極的に内面にあるとするなら、
 なぜそれほどまで外面への働きかけが勧められ、奨励さ
 れるのでしょうか?
 マハラジ
 外面は静かに在ることで、欲望と恐れから自由になることを助け
 る。
 あなたも気づいたかもしれないが、外面へのアドバイスはつねに
 否定の形を取っている。
 何々をしてはならない、やめなさい、差し控えなさい、あきらめ
 なさい、犠牲にしなさい、明け渡しなさい、偽りを偽りと見なさ
 い。
 実在の小さな描写さえ否定を通してなされる――「これではない、
 これではない」(ネティネティ)と。
 すべての絶対性が実在に対するように、すべての肯定性は内面の
 自己に属するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

356名無しを整える。2018/04/09(月) 19:12:34.06ID:jZ9eIPq5
創価と警察、在日マフィアによる集団ストーカーの一部始終
(警察車両ナンバーつき)
https://www.youtube.com/watch?v=gTOBN1AkSz0
https://www.youtube.com/watch?v=bbPcpPwO3ug
https://www.youtube.com/watch?v=de1jeSPGGNo

恐ろしくてお漏らししそうです´・ω・`

357鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/09(月) 23:26:47.55ID:tL5d6lc7
無によって現されるものを探求すれば実在に辿りつくのじゃ。
それだけが肯定されるものなのじゃ。
全てはそれだけなのじゃ。

358名無しを整える。2018/04/10(火) 05:51:57.94ID:At9leBK2
>>355
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 現実の体験のなかでは、どのようにして内面を外面から
 見分けるのでしょうか?
 マハラジ
 内面はインスピレーションの源だ。
 外面は記憶によって動かされる。
 源をたどることは不可能だが、すべての記憶はどこかから始まる。
 このようにして外面はいつも決定されるが、内面を言葉でつかむ
 ことはできない。
 知覚されるものは一時的で、はかなく、それゆえ実在ではないと
 いうことを忘れ、内面を、何かつかみ取れるものと想像すること
 のなかに弟子の過ちがある。
 知覚を可能にするもの、ただそれだけが真実なのだ。
 生命あるいはブラフマン、何であれあなたの好きな名前で呼ぶが
 いい。
 質問者 生命はその自己表現のために身体をもたなければならな
 いのでしょうか?
 マハラジ
 身体は生きることを求めている。
 生命が身体を必要としているのではなく、身体が生命を必要とし
 ているのだ。
 質問者 生命は意図的にそうするのでしょうか?
 マハラジ
 愛は意図的に行動するだろうか?
 そうだとも、そうでないとも言える。
 生命は愛であり、愛は生命なのだ。
 身体をひとつに保ちつづけるのは、ほかでもない愛だ。
 欲望は自己愛以外の何ものでもない。
 恐れとは守ろうとする衝動以外の何ものでもない。
 そして知識とは真理への愛にほかならない。
 方法や形態は間違っているかもしれない。
 だが、その背後にある動機はいつも愛なのだ。
 私と私のものへの愛。
 私と私のものは小さなものかもしれない、あるいは爆発し、宇宙
 を抱擁するかもしれない。
 だが愛は残る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

359名無しを整える。2018/04/10(火) 06:09:26.21ID:At9leBK2
>>357
>外面は静かに在ることで、欲望と恐れから自由になることを助け
 る。
>外面へのアドバイスはつねに
 否定の形を取っている。
>実在の小さな描写さえ否定を通してなされる――「これではない、
 これではない」(ネティネティ)と。
 すべての絶対性が実在に対するように、すべての肯定性は内面の
 自己に属するのだ。

←否定を通して描写される外面の自己を追求することが、

>無によって現されるものを探求
であり、
そのことにより、
>実在に辿りつく・・・

ので、ありますね。
(´・(ェ)・`)つ

360鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/10(火) 22:58:05.21ID:PGMawxdS
そうじゃ、全てを否定してもはや否定が無いところにまで行き着くのじゃ。
否定する自己も否定される対象もないと気づくのじゃ。
否定という行為も無いと気づけば悟りなのじゃ。

361名無しを整える。2018/04/11(水) 06:48:09.75ID:f/nwxrVM
>>358
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 神の名を繰り返し唱えることは、インドではたいへん一
 般的なことです。それには何か効力があるのでしょうか?
 マハラジ
 ものであれ、人であれ、名前を知っているときは見つけやすい。
 神の名を呼ぶことによって、あなたは彼をあなたの元へ来させる
 のだ。
 質問者 どのような姿で彼は来るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの期待した姿による。
 あなたが不幸であったとして、ある聖者が幸運のためにあなたに
 マントラを与えたとしよう。
 あなたが信心と帰依心とともにそれを繰り返せば、不運は去るほ
 かない。
 変わらぬ信心は運命より強い。
 運命はいくつかの原因と原因の結果で、ほとんど偶然の産物だ。
 それゆえ、それはゆるく織り込まれている。
 自信と正しい期待が、それをたやすく克服するだろう。
 質問者 マントラが唱えられているとき、実際には何が起こって
 いるのでしょうか?
 マハラジ
 マントラの音が形をつくり出し、それが真我を具現化する。
 真我はいかなる形も具現でき、それを通して作用する。
 つまりは真我が作用のなかでそれ自身を表現し、マントラは作用
 における最初のエネルギーなのだ。
 それはあなたに、そしてあなたの周囲の環境に作用する。
 質問者 マントラは伝統的なものです。それはそうあるべきなの
 でしょうか?
 マハラジ
 遙かなる昔から、ある一定の言葉とそれに相当するエネルギーの
 間に、数かぎりない復唱によって増強されてきたある関連がつく
 り出されてきた。
 それは歩いていくための道のようなものだ。
 それはやさしい方法で、ただ信心が必要とされるだけだ。
 あなたは目的地へと導いてくれるその道を信頼するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

362鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/11(水) 23:00:35.08ID:SRVo0UdV
信仰の在るものには信仰の道が一番近道なのじゃ。
その信仰によって全てを捨てられるからのう。
 しかし信仰がなければ別の道を行くがよいのじゃ。

363名無しを整える。2018/04/12(木) 07:44:15.60ID:G7l7N6wP
>>361
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 ヨーロッパにマントラの伝統はありません。いくらかの
 黙想的な儀式を除いては。現代の若い西洋人にそれが何
 の役に立つというのでしょう? 
 マハラジ
 何の役にも立たない。
 彼が非常にそれに引きつけられないかぎりは。
 彼にとってふさわしい道とは、彼がすべての知識の根底であり、
 すべての感覚とマインドに起こる永久不変の気づきであるという
 想いを固守することだ。
 もしそれをつねに覚え、気づき、留意していれば、彼はかならず
 不注意の境界を破り、純粋な生命、光、そして愛へと現れ出る。
 「私は観照者にすぎない」という想いは身体とマインドを浄化し、
 叡知の目を開かせる。
 そのとき彼は幻想を超え、ハートはすべての欲望から自由になる
 のだ。
 氷が溶けて水になり、水が蒸気になり、蒸気が空気に変わって空
 間へと消え去るように、身体は純粋な気づき(チダカーシュ)の
 なかに溶解し、そしてすべての存在と非存在を超えた純粋な存在
 (パラマカーシュ)となるのだ。
 質問者 賢者は食べ、飲み、そして眠ります。何が彼をそうさせ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙を動かす同じ力が彼をも動かすのだ。
 質問者 すべてが同じ力に動かされています。何が違うのでしょ
 うか?
 マハラジ
 ほかの者が単に聞くことはあっても体験してはいないことを、賢
 者は知っている。
 ただそれだけだ。
 知的に確信しているようでも、行動のなかで彼らの束縛はあばか
 れてしまう。
 だが、賢者はつねに正しいのだ。
 質問者 誰もが「私は在る」と言います。賢者もまた、「私は在
 る」と言います。違いはどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 違いは「私は在る」という言葉に当てられた意味のなかにある。
 賢者にとって、「私は世界であり、世界は私のものだ」という体
 験には至上の正当性がある。
 彼は完全な形で考え、感じ、行為する。
 そして生きるものすべてとの統合のなかにいる。
 彼は真我の実現の理論や修行さえ知らないかもしれず、そして宗
 教や思弁哲学的理念からも自由な家系に生まれるかもしれない。
 しかし、彼の理解と慈悲には、わずかな欠点も見られないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

364名無しを整える。2018/04/12(木) 21:55:19.24ID:G7l7N6wP
>>363
>宗教や思弁哲学的理念からも自由な家系に生まれるかもしれない。

←この意味がよくわからないのは、翻訳のせぃでありましょうか?

『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 私が裸で空腹の乞食に偶然出会い、彼に「あなたは誰か?」
 と問うとします。彼は「私は至高の真我だ」と言うかも
 しれません。私は言うでしょう。「なるほど、あなたが
 至高なるものなら、状況を変えたらどうかね?」と。彼
 は何と答えるでしょうか?
 マハラジ
 彼はあなたに尋ねるだろう、「どの現状だろう? 何を変える必
 要があるだろうか? 私の何が間違っているのかね?」と。
 質問者 なぜ彼はそう答えるのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、彼はもはや見かけに束縛されてはいないからだ。
 彼は名前と形を自分自身と自己同一視しない。
 彼は記憶を使うだろうが、記憶が彼を使うことはできないのだ。
 質問者 すべての知識は記憶を根底においているのではないでし
 ょうか?
 マハラジ
 低次の知識はそうだ。
 より高次の知識、実在の知識は、人の心の本性のなかに生来ある
 ものだ。
 質問者 「私は私が意識しているものでもなければ、意識そのも
 のでもない」と言うことができるでしょうか?
 マハラジ
 あなたがひとりの探求者であるかぎり、あなたは空の、純粋な意
 識だという想いを固守する方が良い。
 意識の彼方に至高の状態があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

365鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/12(木) 22:05:33.70ID:jv0WIGSK
それはつまり無神論者とか無宗教の家に生まれるかもしれんとか言っているのじゃ。
それでも悟った者は全ての意識において完全な理解が在ると語っているのじゃ。
 そのために経典の意味も完全に理解することができるのじゃ。

366名無しを整える。2018/04/12(木) 22:37:13.63ID:G7l7N6wP
宗教も哲学も観念に過ぎないものであるというだけのことでありますね。
いつもすっきりするであります。
ありがとうであります、鬼和尚!
(´・(ェ)・`)つ

367鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/13(金) 22:22:52.92ID:ZXduxPQf
そうじゃ、全ては観念なのじゃ。
観念によって観念を越えた物事を語ることはできないのじゃ。
ただ自らそこへいく道を示すだけなのじゃ。

368名無しを整える。2018/04/14(土) 08:25:11.17ID:so4QqC7p
>>364
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 真我の実現への欲望は、意識のなかに起源があるのでし
 ょうか? あるいはその彼方にあるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、意識のなかにある。
 すべての欲望は記憶から生まれ、意識の範囲内にある。
 それを超えれば、すべての努力は消える。
 意識の彼方に行こうとする欲望そのものが、まだ意識のなかにあ
 るのだ。
 質問者 意識の彼方の痕跡(こんせき)や形跡といったものはな
 いのでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 それはありえない。
 質問者 それでは、何が二つの間をつないでいるのでしょう? 
 何も共通するものがない二つの状態の間に、どうやって
 経路を見いだすのでしょうか?
 マハラジ
 純粋な気づきさえ、ひとつの意識の形態だ。
 質問者 では、彼方とは何なのでしょうか? 空なのでしょうか?
 マハラジ
 空もまた意識にのみ属する。
 充満と虚空は相対的な言葉だ。
 実在はまったくの彼方にある。
 意識との関係のなかでの彼方ではない。
 何であれ、あらゆる類(たぐい)の関係性を超えているのだ。
 「状態」という言葉が難しくしてしまうのだ。
 実在とは何かほかの状態ではない。
 それはマインドや意識や精神の状態ではなく、はじまりと終わり、
 存在と非存在をもった何かでもない。
 実在はすべての対極を含んでいる。
 だがそれは、対極同士の戯(たわむ)れのなかにはない。
 それをひとつの推移の終わりと見なしてはならない。
 意識がもはやなくなったあと、それはそれ自身として在る。
 すると、「私は人だ」、「私は神だ」といった言葉は意味を失う。
 沈黙のなかだけで聞き、暗闇のなかでだけそれを見ることができ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

369鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/14(土) 23:24:53.20ID:F/MTgWnp
そうじゃ、全てはひとつなのじゃ。
自他の区別もないものじゃ。
あれこれという分別の無いところに永遠の安楽は在るのじゃ。
 

370名無しを整える。2018/04/15(日) 08:54:24.64ID:4oLbbMOW
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】

 マハラジ
 あなたたちは皆、どしゃ降りでずぶぬれになったが、私の世界ではいつでも
 いつも晴天だ。
 夜も昼もなければ、暑さも寒さもない。
 何の悩みも後悔もつきまとわない。
 私のマインドには思考がない。
 そのためにあくせく働かなければならない欲望など何もないからだ。
 質問者 そこには二つの世界があるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界ははかなく変化しつづける。
 私の世界は完全で不変のものだ。
 あなたはあなたの世界で何が気に入っているのかを私に言うことができる。
 注意と興味をもって私は聞こう。
 だが、私はあなたの世界が存在せず、あなたは夢を見ているのだということ
 を、一瞬でさえ忘れることはないのだ。
 質問者 あなたの世界と私の世界を、何が区別するのでしょうか?
 マハラジ
 私の世界には同一視できるような特徴はない。
 それについては何も言えない。
 私が私の世界だ。
 私の世界は私自身なのだ。
 それは完全で完璧だ。
 あらゆる印象はかき消され、あらゆる体験はぬぐい去られる。
 私は何も必要ない。
 自分自身でさえも。
 なぜなら自分自身を失うことはできないからだ。
 質問者 神さえも必要ないと言われるのでしょうか?
 マハラジ
 それらすべての概念や区別は、あなたの世界の中に存在する。
 私の世界にはそういったものは存在しない。
 私の世界は単一のとてもシンプルなものだ。
 質問者 そこでは何も起こらないのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、あなたの世界のなかで起こったことは、そこでだけ有効であり、
 反応を呼び起こす。
 私の世界では何も起こらない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

371鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/15(日) 23:26:34.14ID:dyzl6IA+
そうじゃ、世界は自分と一つなのじゃ。
何も離れてはいないのじゃ。
全て繋がったひとつのものなのじゃ。

372名無しを整える。2018/04/16(月) 07:38:01.74ID:ie6JpNhc
>>370
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたが自分の世界を体験しているという事実そのものが、すべて
 の体験に固有の二元性を暗示しています。
 マハラジ
 言葉の上ではそうだ。
 しかし、あなたの言葉は私には届かない。
 あなたの世界では語られないものは存在をもたない。
 私の世界では言葉とその内容が存在をもたないのだ。
 あなたの世界では何もとどまらない。
 私の世界では何も変わらない。
 私の世界は真実だ。
 あなたの世界は夢でできているのだ。
 質問者 それでも私たちは話しています。
 マハラジ
 会話はあなたの世界のなかにある。
 私の世界には永遠の沈黙がある。
 私の沈黙は歌い、私の虚空は満たされ、何ひとつ欠けていない。
 そこにあなたがいないかぎり、あなたに私の世界を知ることはできない。
 質問者 どうやら、あなたはあなたの世界に独りきりのようですね。
 マハラジ
 どんな言葉も適さないとき、ひとり、あるいはひとりではないなどと、どう
 して言えるだろう?
 もちろん私はひとりだ。
 なぜなら私はすべてだからだ。
 質問者 あなたは私たちの世界に入ってきたことがありますか?
 マハラジ
 来ることや去ることは、私にとっては何の意味もない。
 それらもまた、ただの言葉だ。
 私は在る。
 私がどこから来て、どこへ行こうというのだろうか?
 質問者 あなたの世界が私にとってどんな意味があるというのでしょう?
 マハラジ
 自分の世界をより詳細に考え、批判的に調べて見るべきだ。
 そうすればある日突然、私の世界の中にあなた自身を見いだすだろう。
 質問者 それによって、私たちは何を得るというのでしょうか?
 マハラジ
 何も得るものはない。
 あなたはあなたのものではないものを後にし、あなたがけっして失わなかっ
 たもの、自分の存在を見いだすのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

373鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/16(月) 22:05:08.65ID:PyxGY6SI
悟りの境地とは何かを得るのでもなければ失うのでもないのじゃ。
ただ自らの本来の在り方に気づくだけなのじゃ。
全てであった自分に気付けば不死の境地も自ずからあったと理解するのじゃ。

374名無しを整える。2018/04/16(月) 23:45:00.21ID:ie6JpNhc
>>373
>自らの本来の在り方に気づくだけ
これだけならくまでも追求できるであります。
そうすれば、
>全てであった自分に気付
けるのでありますね!
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

375名無しを整える。2018/04/17(火) 06:23:12.83ID:22+/Dapm
>>372
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたの世界では、誰が支配しているのでしょうか?
 マハラジ
 そこには支配する者も支配される者もいない。
 そこにはどんな二元性もない。
 あなたはただ自分の考えを投影しているだけだ。
 ここではあなたの聖典や神たちは何の意味ももたない。
 質問者 それでも、あなたは名前と姿をもち、意識と行為を表しています。
 マハラジ
 あなたの世界では、私はそう映るだろう。
 私の世界では存在があるだけだ。
 ただそれだけだ。
 あなたがたは量や質といった所有の概念であふれている。
 私にはまったく何の概念もない。
 質問者 私の世界には不安、苦悩、絶望があります。私は生活のためにあく
 せく働かなければならないというのに、あなたはどうやら何か秘密
 の収益で生きているようです。
 マハラジ
 あなたの好きなようにするがいい。
 あなたの世界を去って、私の世界へ来るのはあなたの自由なのだ。
 質問者 どうすれば橋を架けられるでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界を、想像を通してではなく、あるがままに見なさい。
 識別することが無執着をもたらす。
 無執着は正しい行為を確実にし、正しい行為はあなたの真の存在に内なる橋
 を築くだろう。
 行為は真剣さのあかしだ。
 言われたとおりに勤めて誠実に行うなら、すべての障害は消え去るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

376鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/17(火) 22:39:58.37ID:rGCuzkTN
>>374 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

あるがままに見ることだけが寝ている者が目を覚ます方法なのじゃ。
眼が覚めれば目覚めた者、ブッダと呼ばれるのじゃ。

377名無しを整える。2018/04/18(水) 07:29:34.72ID:M1fTWi7d
>>375
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたは幸せですか?
 マハラジ
 あなたの世界では、私はもっとも惨(みじ)めだろう。
 目を覚まし、食べ、話し、また眠る。
 何と無駄なことか!
 質問者 では、あなたは生きることも望まないのでしょうか?
 マハラジ
 生きること、死ぬこと。
 何と無意味な言葉だろう!
 あなたが生きている私を見るとき、私は死んでいる。
 あなたが私は死んでいると思うとき、私は生きている。
 何とあなたは混乱していることか!
 質問者 何とあなたは無関心なのでしょう! 私たちの世界の悲しみは、あ
 なたにとっては無に等しいのです。
 マハラジ
 私はあなたがたの困難を完全に意識している。
 質問者 それでは、あなたはそれに関して何をしているのでしょうか?
 マハラジ
 何もする必要はない。
 それらは来ては去っていく。
 質問者 あなたがそれらに注意を向けること自体が、それらを去らせるので
 しょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 困難は身体的、感情的、あるいは精神的なものかもしれない。
 だがそれらはつねに個人的なものだ。
 大規模な災難は無数の個人的運命の合計であり、解決するまで時間がかかる。
 だが、死はけっして災難ではない。
 質問者 たとえ人が殺されてもですか?
 マハラジ
 災難は殺した者のものだ。
 質問者 それでもまだ、あなたと私の世界は二つに分かれているように見え
 ます。
 マハラジ
 私の世界は実在で、あなたの世界はマインドのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

378鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/18(水) 23:28:58.00ID:Ppa9ZKvP
悟れば生死もまた観念に過ぎなかったと気づくのじゃ。
死にょって無くなるものはなく、どこかにいくのでもないのじゃ。
全ては意識としてあり続けるだけなのじゃ。

379名無しを整える。2018/04/18(水) 23:41:04.05ID:M1fTWi7d
>>378
鬼和尚、こんばんは。
できるだけ意識的にあろうと日々心がけてるだけで、何となく、観念に囚われる瞬間に気付けるような気がする今日この頃のくまであります。
その観念に囚われる瞬間と言うのが、自我に気付く瞬間に近いものがあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

380名無しを整える。2018/04/19(木) 07:23:59.51ID:o7ru28h8
>>377
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 ひとつの岩を想像してください。岩のなかに穴が、穴のなかにはカ
 エルがいます。カエルはその生を心迷わせず、邪魔されずに、完全
 な至福のうちにすごします。もしカエルが外の世界についての話を
 聞いたならば、彼は言うでしょう、「そんなものは存在しない。私
 の世界は平和と至福だ。あなたの世界は言葉で構築された、単なる
 まぼろしだ。それは存在してなどいない」と。あなたにとっても同
 じことです。あなたが私たちの世界は単に存在していないと言うと
 き、もはや討論するための共通の土台がありません。ほかの例をと
 れば、私が医者へ行き、腹痛を伝えたとします。彼は私を診察し、
「あなたはだいじょうぶだ」と言います。「でも、痛いのですよ」
 と私は言うでしょう。彼は、「あなたの痛みは精神的なものだ」と
 主張します。私は言います。「痛みが精神的だと知ることは何の助
 けにもなりません。あなたは医者なのです。痛みを治してください。
 でなければあなたは私の医者ではありません」と。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 質問者 あなたは鉄道を敷きました。しかし橋が欠けているため、列車が通
 れません。橋を架けてください。
 マハラジ
 橋の必要はない。
 質問者 あなたの世界と私の世界の間に、何らかのつながりが必要なはずで
 す。
 マハラジ
 実在の世界と想像上の世界の間につながりは必要ない。
 それはありえないからだ。
 質問者 それでは、どうしたらよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界を調べてみなさい。
 頭を使って批判的に調べなさい。
 それに関するあらゆる概念を詳細にわたって調べなさい。
 そうすれば、うまくいくだろう。
(´・(ェ)・`)つ

381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/19(木) 22:48:45.67ID:FPWRLGiB
>>379 観念に囚われるのに気づく瞬間があるのならば自我に気づくことにも近いといえるのじゃ。
 自我も観念であるからのう。
 
 世界を調べるとは観察する事なのじゃ。
 全てを観察すれば自ずから病は治されるものじゃ。
 無意味な観念に囚われていたと気づくからのう。

382名無しを整える。2018/04/20(金) 07:42:52.01ID:tnQGgucC
>>380
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 調査するには、世界は大きすぎます。私の知っていることといえば、
 私は存在し、世界も存在しています。世界は私を混乱させ、私は世
 界を混乱させるのです。
 マハラジ
 私の体験ではすべてが至福だ。
 しかし、至福への欲望は苦痛を生みだす。
 それゆえ、至福が苦痛の種子となる。
 この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。
 喜びへの欲望をあきらめなさい。
 そうすれば、あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。
 質問者 なぜ喜びが苦痛の種子となるのでしょう?
 マハラジ
 なぜなら、喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。
 罪の結果は苦しみと死なのだ。
 質問者 あなたは、世界はただの苦難であり、何の役にも立たないと言われ
 ます。私はそうではないと感じています。神はそれほど愚かではあ
 りません。私には、世界は可能性を現実にし、物質に生命を与え、
 無意識を完全な覚醒に導く偉大な企(くわだ)てとして映ります。
 至高なるものを実現するには、私たちには対極の体験が必要です。
 寺院を建てるために、石や漆喰(しっくい)、木や鉄、草やタイル
 などが必要なように、生と死を克服した聖者となるためにはあらゆ
 る体験が必要です。女性が市場へ行き、料理のあらゆる材料を買い、
 料理し、主人に供するように、私たちも人生の火によって私たちを
 料理し、神に捧げるのです。
 マハラジ
 もしあなたがそう考えるのなら、そうしなさい。
 神に捧げるがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

383鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/20(金) 23:03:25.52ID:PmrASMfB
この一切皆苦の娑婆世界では快楽への執着は常に苦に変わるのじゃ。
喜びも快楽もただ孤独や不安やおそれを一時忘れさせてくれるだけのものじゃ。
それに執着すれば又苦が訪れるのじゃ。
苦の上に苦を重ねるのが快楽への執着なのじゃ。 

384名無しを整える。2018/04/20(金) 23:09:38.75ID:tnQGgucC
>>383
常に今に意識を置こうとすることは、基本的に誰にでもできることでありますね。
執着の無意味さを知れば、意識的にあろうとして実践することは、誰にでもできるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

385名無しを整える。2018/04/21(土) 10:03:44.48ID:PGcwcGbs
>>382
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき


 質問者 子どもは学校で、後で役に立たないことも多く学ぶでしょうが、学
 ぶ間に成長していきます。同じように私たちも無数の経験を経て、
 後にすべて忘れてしまうでしょう。しかし私たちはその間もつねに
 成長していきます。そして、ジニャーニとは実在における天才にほ
 かなりません! 私のこの世界に偶然はありえません。それには意
 味があり、その背後には計画があるはずです。私の神は計画をもっ
 ているのです。
 マハラジ
 もし世界が偽りならば、その計画も、その創造者もまた偽りなのだ。
 質問者 またしてもあなたは世界を否定します。私たちの間に橋はないので
 す。
 マハラジ
 橋の必要はないのだ。
 あなたが生まれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬことはない。
 だが、あなたがある特定の日と場所で生まれ、この特定の身体をあなた自身
 のものと信じているところに過ちがあるのだ。
 質問者 世界は在り、私は存在します。これらは事実です。
 マハラジ
 なぜあなたは自分自身の面倒を見る前に、世界について心配するのだろう?
 あなたは世界を救いたい、違うかね?
 あなた自身を救う前に世界が救えるだろうか?
 そして救われるとはどういう意味だろうか?
 何から救われるのか?
 幻想からだ。
 救済とは、ものごとをあるがままに見ることだ。
 私には、本当に自分自身が誰とも何とも関係しているとは思えない。
 自分自身とさえも関係していない。
 その自分自身が何であろうとも。
 私は定義されることのないまま永遠にとどまる。
 私は内側に、そして彼方に存在する――親密で、しかも到達不可能なものな
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

386鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/21(土) 22:45:01.15ID:+BlQjNCx
>>384 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


人が自ら世界を創っているのに自分を観ないで世界を変えようとしても不可能なのじゃ。
自分が変らなければ世界は変らないのじゃ。
自分が変れば世界も変るのじゃ。

387名無しを整える。2018/04/22(日) 08:42:08.67ID:mWXmRL3a
>>385
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 どうやってあなたはそれに到達したのでしょうか?
 マハラジ
 私のグル(師)を信頼することによってだ。
 彼は私に、「あなただけが存在する」と言った。
 そして私は疑わなかったのだ。
 私はただ、あるときそれが絶対の真理だと悟るまで頭を悩ませていただけだ。
 質問者 繰り返しによって確信したのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現によってだ。
 私は意識であり、絶対的に幸福だと見いだしたのだ。
 ただ、私は存在―意識―至福が身体と身体の世界に属すると考えていたのが
 間違えだったのだ。
 質問者 あなたは学問の人ではありません。あなたは多くを読まなかったで
 しょうし、読み、また聞いたことは、おそらく矛盾しなかったので
 しょう。私はかなりの教育を受け、かなりの量の本を読み、本と教
 師たちの間に絶望的な矛盾を見たのです。ですから何であれ初めて
 読み、あるいは聞いたことは、疑いを通して受け取ってしまうので
 す。「それはそうかも知れない、そうではないかも知れない」が、
 私の最初の反応です。何が真実で、何がそうでないかを決定できな
 いために、私は無味乾燥な、教養ぶった疑いとともに取り残されて
 しまったのです。ヨーガにおいて猜疑(さいぎ)心は途方もなく不
 利な条件です。
 マハラジ
 そう聞けて私は嬉しい。
 だが私のグルも、私にすべてを完全に疑うよう教えたのだ。
 彼は言った、「あなたの自己を除いたすべての存在を否定しなさい」と。
 欲望を通してあなたは快楽と苦痛の世界をつくり出したのだ。
 質問者 それは苦痛をともなわなければならないものなのでしょうか?
 マハラジ
 ほかにどうありえよう?
 快楽の本性自体がかぎられた、はかないものなのだ。
 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
 そしてそれは欲求不満と絶望のなかで終わるのだ。
 苦痛は快楽の背景であり、快楽の追求はすべて苦痛のなかに生まれ、苦痛の
 なかに終わるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

388鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/22(日) 22:47:25.78ID:W+zgJlT0
そうじゃ、私とは意識なのじゃ。
全てのものも意識なのじゃ。
本質が同じ意識であるからそこに途切れは無く繋がっているのじゃ。
悟ればそれを知識や思考思想としてではなく感じることが出来るのじゃ。

389名無しを整える。2018/04/23(月) 06:48:34.86ID:VkAwhtDB
>>387
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたの言われることはみな、私にとって明白です。しかし身体的
 あるいは精神的困難が生じたとき、私のマインドは鈍く、暗くなる
 か、狂ったように救済を求め回るのです。
 マハラジ
 それがどうしたというのかね?
 鈍く、落ち着きがないのはマインドであり、あなたではない。
 見てみなさい。
 あらゆる類のことがこの部屋で起こっている。
 私がそれを起こるようにしたのだろうか?
 それはただ起こるのだ。
 あなたにとっても同じだ。
 運命がそれ自身を展開し、不可避の出来事を現実にするのだ。
 あなたに出来事の行方を変えることはできない。
 だが、あなたの態度は変えられる。
 そして本当に重要なのは態度にあって、単なる出来事にはない。
 世界は欲望と恐れの住処(すみか)だ。
 そこにマインドの平和を見つけだすことはできない。
 平和のためには、あなたは世界を超えて行かねばならない。
 世界の根本原因は自己愛である。
 そのために私たちは快楽を探し求め、苦しみを避ける。
 自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。
 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。
 世界はそれらを満たすための道具なのだ。
 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。
 そして時間がすべての勘定書を決算する。
 バランスの法則が究極の支配をするのだ。
 質問者 超人になるためには、まず人で在らねばなりません。人として在る
 ことは、数かぎりない経験の結果によるものです。欲望が経験を駆
 りたてるのです。それゆえ、その時と段階によっては、欲望も正し
 いものなのです。
 マハラジ
 ある意味では、まったく正しい。
 しかし、あなたが充分蓄え、築きはじめるべき日が来る。
 そのとき選別し、不要なものを捨てること(ヴィヴェーカ―ヴァイラーギャ)
 が絶対に必要となる。
 すべてを詳細に調べ、不必要なものは無常にも破壊されなければならないの
 だ。
 私を信じてほしい。
 行き過ぎの破壊はありえない。
 実際には、価値あるものなどないからだ。
 熱烈に冷静でありなさい。
 ただそれだけだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

390鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/23(月) 23:01:26.22ID:MqOb62nD
不要な煩悩を捨ててこそ悟りも近づいてくるのじゃ。
食欲とか必要な欲は捨てないでよいのじゃ。
捨てるべきは貪欲という必要以上に貪り求める欲なのじゃ。
それが煩悩の三毒の一つの貪欲なのじゃ。

391名無しを整える。2018/04/24(火) 07:25:50.66ID:ZJa3z8CI
>>389
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】

 質問者 あるマハートマ(真我実現した人)たちが、世界は偶然の産物でも
 神の戯れでもなく、宇宙全体に意識を発展させ、覚醒をもたらそう
 とする壮大な計画の結果と表現なのだと主張しています。無生命か
 ら生命へ、無意識から意識へ、無知から優れた知性へ、迷妄から光
 明へ。これこそ世界が絶え間なく、容赦なく進んでいる方向なので
 す。もちろん、宇宙は活動停止するような休息の瞬間もあれば、暗
 黒と見える時期もあるでしょう。しかし、休息は終わりを告げ、意
 識への働きかけは再開されます。私たちの目には、世界は涙の谷間
 として映ります。あらゆる手段で、できるかぎり早く逃げだすべき
 場所なのです。覚醒した人にとって、世界は善であり、充分な目的
 を果たしています。彼らは、世界が精神によって構築されたもので
 あり、究極的にはすべてがひとつであることを否定していません。
 しかし、その構造には意味があり、最上の望ましい目的に仕えてい
 ると言うのです。私たちの言う神の意志とは、遊び好きな神の気ま
 ぐれではなく、愛と叡智と力の中で成長し、生命と意識の無限の可
 能性を実現するために絶対必要な表現なのです。
 庭師がごく小さな種を輝かしい完全性へと開花させるように、神も
 彼の庭で、ほかの生き物たちとともに、神を知り、愛し、彼と共に
 働く超人へと人間を育てるのです。
 神が休息(プララーヤ)をとるとき、成長が未完のものは無意識と
 なり、完成したものは、すべての形態と意識の内容を超え、宇宙的
 沈黙のなかで気づきつづけます。新たな宇宙が出現するとき、眠っ
 ていたものたちは目覚め、彼らの仕事をはじめます。より進歩した
 ものたちは最初に目覚め、後進のものたちのために土台を準備しま
 す。このようにして未来の成長にふさわしい行動のパターンと形態
 を見いだすのです。
 話の内容はこのようなものです。あなたの教えとの違いは、あなた
 は世界を避けるべき、価値のないものだと主張するのに対して、彼
 らは世界を忌み嫌うことは必要な通るべき段階ではあるが、一過性
 のものであり、じきに普遍の愛と確固たる意志で神とともに働くこ
 とになる、ということです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
今回は、長い質問だけであります。

392名無しを整える。2018/04/24(火) 21:04:52.01ID:Rp8uS8/A
煩悩を捨てるという煩悩

393鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/24(火) 22:42:05.00ID:5QI56+1G
世界と自分が分離していると思っているようじゃのう。
根本的に勘違いがあるのじゃ。
悟りを得ていない者とはそのようなものかもしれんがのう。

394名無しを整える。2018/04/25(水) 07:41:09.59ID:38IE4ZPN
>>391
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 マハラジ
 あなたの言うことはすべて、外へ向かう(プラヴリッティ)道にとっては正
 しい。
 源へ帰還する(ニヴリッティ)道を行くものにとって、自己を無に帰するこ
 とは必要なことなのだ。
 私のいる無(パラマカーシュ)の境界には、いかなる言葉も思考も届かない。
 マインドにとって、そこはまったくの闇と沈黙だ。
 そこに意識が攪拌しはじめ、マインドが目覚めだし(チダカーシュ)、世界
 を投影し(マハーダカーシュ)、記憶と想像を構築しはじめる。
 ひとたび世界が存在のなかに現れたならば、あなたの言ったとおりとなるだ
 ろう。
 目標を定め、それに向かって闘い、方法と未知を探し、ヴィジョンとエネル
 ギー、そして勇気を示す、それがマインドの本性なのだ。
 それは神聖な質であって、私はそれらを否定してはいない。
 しかし、何の相違もなく、何も存在せず、それをつくり出したマインドもな
 いというのが私の立場だ。
 そこが私の居場所なのだ。
 何が起ころうと私には影響を与えない。
 ものごとがものごとに働きかける。
 ただそれだけだ。
 記憶と期待から自由なため、私はいつも新鮮で、無垢で、トータルだ。
 マインドはたいへんな働き者(マハーカルタ)で、休息が必要だ。
 何も必要ない私には、何の恐れもない。
 誰を恐れるというのだろう?
 そこには分離などない。
 私たちは分離し、孤立した自己ではない。
 ただ個人と非個人がひとつである真我、至高の実在があるだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
 長い質問に対する丁寧な返事でありました。

395鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/25(水) 22:03:29.28ID:QPN1o0n4
そうじゃ、自他の区別の無いことが真実なのじゃ。
自他の区別があり、世界も在るというのは幻想なのじゃ。
幻想は幻想であり肯定も否定も無いものじゃ。
 

396名無しを整える。2018/04/26(木) 06:18:00.14ID:+XJynUDG
>>394
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 私はただ世界を助けられるようになりたいだけです。
 マハラジ
 あなたが助けられないと誰が言っただろうか?
 助けるとはどういう意味で、何が必要なのかということをあなたが自分で決
 めておいて、何をすべきで何ができるのかという必要性と能力の間で自分自
 身を葛藤(かっとう)に追いやったのだ。
 質問者 しかし、なぜ私たちはそうしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドがある構造を投影し、それと自己同一化するからだ。
 欲望の本性とは、それを満たすためにマインドが世界をつくり出すよう促す
 ことだ。
 小さな欲望さえ、長い行動の連鎖を生みだすのだ。
 強い欲望ならばどうだろう?
 欲望は宇宙をも生みだす。
 その力は奇跡的なものだ。
 小さなマッチ棒が巨大な森林に火をつけることができるように、欲望も現象
 の現れに火をつける。
 想像の目的自体が欲望を満たすことなのだ。
 欲望は高尚なものかも、卑しいものかもしれない。
 空間(アーカーシュ)は中立的なものだ
 人はそれを何でも好きなように満たすことができる。
 何を望むのか、人はとても注意しなければならない。
 そしてあなたが助けたい人々だが、彼らもまた欲望を満たすために、それぞ
 れの世界のなかにいる。
 彼らの欲望を通して以外、彼らを助けることはできない。
 あなたには、彼らが正しい欲望をもつように教えることができるだけだ。
 そうすれば彼らは現状を超え、快楽と苦痛の住処(すみか)である欲望の世
 界を創造し、再創造しようという衝動から自由になれるかもしれない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

397名無しを整える。2018/04/26(木) 06:30:03.99ID:w9AAUj/e
仏教は神秘主義を否認し哲学に堕ちた

398鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/26(木) 22:18:16.53ID:fdOO5TXI
小さな欲望とは金が欲しいとか権力や名声が欲しいとかいうものなのじゃ。
正しい大きな欲望とは死を超えたいという欲なのじゃ。
それがあれば悟りも得られるのじゃ。
小さなよくも本来は自己の安楽を求めるものであるからのう。

399名無しを整える。2018/04/27(金) 05:39:58.15ID:XmeiFo1T
>>396
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 ショーが終わって人が命を終え、宇宙の終局を迎える日がかならず
 訪れます。
 マハラジ
 眠っていた人がすべてを忘れ、新たな日に目覚めるように、あるいは死んで から新しい命を授かるように、欲望と恐れの世界も溶解し、消え去る。
 しかし、普遍の観照者、至高の真我は眠りも死にもしない。
 偉大な心臓の鼓動は永遠に鳴りやまず、あなたの鼓動のたびに新しい宇宙が
 誕生するのだ。
 質問者 至高の真我には意識があるのでしょうか?
 マハラジ
 彼はマインドが考えることのできるすべてを超えている。
 彼は存在と非存在をも超えている。
 彼はすべてに対してイエスであり、ノーである。
 内側であり、彼方でもある。
 創造し、破壊する想像しがたい実在なのだ。
 質問者 神とマハートマはひとつでしょうか?
 マハラジ
 彼らはひとつだ。
 質問者 何らかの違いがあるはずです。
 マハラジ
 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。
 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。
 神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。
 ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。
 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。
 神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
 わるものの永遠の観照者であることを知っている。
 その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。
 彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。
 それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

400名無しを整える。2018/04/27(金) 11:54:34.82ID:SVTDBzPg
開 2 ち ゃ ん ね る= 便 所 の 落 書 き ・ 痰 壷 の 更 に 劣 化 コ ピ ー の 3 流 掲 示 板
運 営 の 性 格 の 悪 い 引 き こ も り I T 土 方 メ ガ ネ ザ ル 早 く 死 な な い か な

401鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/27(金) 22:55:09.58ID:fpG1GQG/
神と一つになった者がマハートマなのじゃ。
それをわざわざ二つにしなくてよいのじゃ。
それが認識による観念化なのじゃ。
全てを分類し、違いを見つけて記憶しようとする働きなのじゃ。
 

402名無しを整える。2018/04/28(土) 12:29:49.44ID:m8CAoVUY
>>399
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられる
 のでしょうか?
 マハラジ
 無としてあることで、私はすべてなのだ。
 すべては私であり、すべては私のものだ。
 私の身体が、動かそうと考えるだけで動くように、私が思うだけでものごと
 は起こる。
 言っておくが、私は何もするわけではない。
 ただものごとが起こるのを見るだけだ。
 質問者 あなたが起こるように望んでからものごとが起こるのでしょうか?
 それともそれらが起こってから、あなたはそう起こることを望まれ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 それは両方だ。
 私は受け容れ、そして受け容れられるのだ。
 私がすべてであり、すべては私なのだ。
 世界であるゆえに、私は世界を恐れない。
 すべてとしてありながら、何を恐れるというのだろう?
 水は水を恐れず、火は火を恐れない。
 私は恐れない、なぜなら私は無であり、恐れや危険を体験しようがないから
 だ。
 私には名前も形もない。
 名前と形に固執することが恐れを生むのだ。
 私には執着がない。
 私は無だ。
 そして無は無を恐れない。
 反対に、すべてが無を恐れている。
 なぜなら、何かが無に触れたとき、それは無となるからだ。
 底なしの井戸のように、何であれそこに落ちたものは消え去るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

403鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/28(土) 22:48:25.58ID:JO4WTrcU
そうじゃ、全ては私であり、私は全てなのじゃ。
そうであるから全ては全てなのじゃ。
どこにも境界は無く、区別も無いのじゃ。

404名無しを整える。2018/04/28(土) 23:53:51.44ID:KXQrl9up
  ┏━南都仏教━┓        ┏━━━━━━━━━━━┓
  ┃  華厳宗    ┃    ┌─╂    鎌  倉  幕  府    ╂─..臨済宗いいよ臨済宗 .──┐
┌╂  法相宗    ╂──│┐┗━━┿━━━━━━┿━┛            ┏禅宗━━━━┿━━━━━━━━━━━┓
│┃┌────┐┃    ││      お         ↑│↑    ハ,,ハ      ┃            ↓                ┃
│┃│律宗    │┃    ││      前          氏│└─..( ゚ω゚ ) ─┐┃  ┌臨済宗────────────┐┃
│┗┿━━━━┿┛    ││      が          ぬ└支援するよ ─┐│┃  │Q バナナはおやつに入りますか ? │┃
│  │真言律宗│←氏ね──┐    な        よ            ││┃  │∧_∧                  │┃
│  └────┘      │││    ↓          │              ││┃  │( ´・ω・)  入りますん         │┃
│┏━平安仏教━━━┓│││  ┏日蓮宗━━━┿━━━━━━┓││┃  │( つ旦O                      │┃
│┃┌─密教──┐  ┃│││  ┃                    ┃││┃  │と_)_)                  │┃
│┃│  真言宗  │  ┃││└─╂\(^ν^)/ 法華経こそ正法   ┃││┃  └───────────────┘┃
│┃│┌───┐│←╂──氏ね╂   l_l   邪法は氏ね     .┃││┃  ┌曹洞宗────────────┐┃
│┃└┤天台宗├┘  ┃││    ┃  / \                   ┃│└╂─┼                        │┃
│┃  └┼─┼┘    ┃││    ┗━━━━━┿━━━━━┿━┛└─╂→│                        │┃
│┗━━┿━┿━━━┛││                氏          └─氏ね→┃  │(-_-)  …                    │┃
└───┼──────┘│                ね                    ┃  │(∩∩)                  │┃
        │  └─────┴────────│─.汚物は消毒だ〜!!.→.┃  └───────────────┘┃
    うるさい黙れ                    │                    ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
        ↓                          ↓
┏━━浄土宗系━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┏━━仏罰━━━━━━━┓
┃┌浄土宗────┐┌浄土真宗────────┐┌時宗─────────┐┃ ┃┌ 西村研(リ・ヨウニン) ┐┃
┃│ナムアミダブツナムアミ││ /⌒ヽ 善人(笑)が     .││♪ ∧,_∧   レッツ !!     │┃ ┃│他人の個人情報を │┃
┃│( ゚д゚ ) ダブツナム││∩ ^ω^)浄土に逝けるなら....││   (´・ω・`) )) ダンシング♪ │┃ ┃│嘘悪態交え2ちゃんに│┃
┃│ノヽノ |.アミダブツナ.││|   ⊂ノ 悪人のオイラも   .││ (( ( つ ヽ、    ♪     │┃ ┃│拡散誹謗中傷してた │┃
┃│ < <ムアミダブツナ││|    _⊃余裕で逝けるお   . ││   〉 とノ )))         │┃ ┃│元小学校教員の   │┃
┃│. ムアミダブツナムア.││し ⌒               ││  (__ノ^(_)          │┃ ┃│臨床心理士     │┃
┃└───────┘└────────────┘└───────────┘┃ ┃└─────────┘┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┗━━━━━━━━━━━┛

405名無しを整える。2018/04/29(日) 06:45:37.79ID:atyCGANR
>>402
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 神は個人ではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがあなた自身を個人と考えるかぎり、神も個人だ。
 あなたがすべてであるとき、あなたは神をすべてとして見る。
 質問者 私の態度を変えることで、事実を変えることができるの
 でしょうか?
 マハラジ
 態度が事実なのだ。
 怒りを例にとってみなさい。
 私は激怒して、部屋のなかを歩きまわっているかもしれない。
 同時に、私は私が叡知と愛の中心、純粋な存在の原子であること
 を知っている。
 すべては静まり、マインドは沈黙へと溶けていく。
 質問者 まだ、あなたはときどき怒るのですね。
 マハラジ
 誰に対して、何のために私が怒らなければならないのか?
 怒りはやってきて、自己想起とともに消え去った。
 それはみな、ただのグナ(宇宙的特質)の戯れにすぎない。
 それらと自己同一化すれば、私はそれらの奴隷となる。
 距離をおいてあれば、私がそれらの主人なのだ。
 質問者 あなたは自分の態度によって世界に影響を与えることが
 できますか? あなたが世界から分離し、距離を置くこ
 とによって、世界を助けるという望みはみな失われてし
 まうのです。
 マハラジ
 そうではない。
 すべては私自身なのだ。
 私が自分を助けられないというのかね?
 私は特定の誰かと自己同一化しない。
 私は特定の個人でもあり、宇宙全体でもあるからだ。
 質問者 では、あなたは特定の個人である私を助けられますか?
 マハラジ
 だが、私はいつもあなたを助けているのだ、内面から。
 私自身とあなた自身はひとつなのだ。。
 私は知っているが、あなたは知らない。
 違いはそれだけだ。
 そしてその違いは、長くは続かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

406鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/29(日) 22:48:23.10ID:OMaSd0oR
そうじゃ、自他の区別も幻想の観念なのじゃ。
人も自分も本来は一つなのじゃ。
観念が無ければそれに気づくのじゃ。

407名無しを整える。2018/04/30(月) 05:58:10.63ID:G1s6ht4B
>>405
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 どのようにしてあなたは世界全体を助けるというのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ガンディーは死んだが、彼の精神は地上を覆(おお)っている。
 ジニャーニの想いは人類のなかに浸透し、善のために絶えず働き
 かけている。
 無名のまま内面から働きかけるために、より力強く心を動かすの
 だ。
 このようにして内面での助けと、外面への祝福によって世界は改
 善されるのだ。
 ジニャーニが死を迎えると、大海へと溶けいる瞬間、川が消え去
 るように、彼も消え去る。
 名前と形はもはやないが、水は残り、大海とひとつになる。
 ジニャーニが宇宙的マインドに加わると、彼のすべての善と智慧
 (ちえ)は人類の財産となり、すべての人間を向上させるのだ。
 質問者 私たちは自分の人格に執着しています。ほかの人とは違
 った個性に、私たちは価値を与えます。あなたはそのど
 ちらも無駄なものとして非難しています。あなたの非顕
 現が私たちにとって何になるというのでしょうか?
 マハラジ
 非顕現、顕現、個性、人格(ニルグナ、サグナ、ヴィヤクタ、ヴ
 ィヤクティ)、これらすべてはただの言葉、見解、精神的姿勢に
 すぎない。
 これらに実在はない。
 実在は、静寂のなかで経験される。
 あなたは人格に固執する。
 しかし、個人としての存在を意識するのは、あなたが困難な状態
 にあるときだけだ。
 困難に直面していないとき、あなたは自分のことを考えてはいな
 い。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

408鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/30(月) 23:13:20.06ID:/qwjJ47x
聖人の呼称さえ観念の世界のものじゃ。
全てが一つであると知ったならばそれさえも幻想とわかるのじゃ。
その時に死もまた幻想と知れるのじゃ。

409名無しを整える。2018/05/01(火) 06:19:35.06ID:2xkTG9s7
>>407
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 あなたは非顕現の目的について語ってはいません。
 マハラジ
 もちろん、目覚めるためには眠らなければならない。
 生きるためには死ななければならない。
 新たな形に再生するためには溶け去らなければならない。
 構築するために破壊し、創造する前に絶滅させなければならない。
 至高なるものは普遍の溶媒だ。
 それはあらゆる器を溶解し、あらゆる障害を焼き尽くす。
 すべてを絶対否定しないことには、ものの専制性は絶対的なもの
 となってしまうだろう。
 至高なるものは偉大な調和をもたらす。
 それは自由なる生の完璧な均衡と究極の保証だ。
 それはあなたを溶解し、このようにあなたの真の存在を再生する
 のだ。
 質問者 それ自体のレベルにおいては、それでいいかもしれませ
 ん。しかし、日々の生活において、それはどう作用する
 のでしょうか?
 マハラジ
 日々の生活は行為の生活だ。
 好きだろうが、嫌いだろうが、あなたは機能しなければならない。
 何であれあなたが自分のためにしていることは蓄積され、爆発す
 る。
 ある日それは飛びだし、あなたとあなたの世界を台無しにする。
 あなたがすべての人に良かれと思って働いていると自分自身を欺
 (あざむ)くなら、ことは一層悪化するだろう。
 なぜなら、何がほかの人びとにとって良いことかを、自分の概念
 によって決定すべきではないからだ。
 他者にとって何が良いのかを知っていると公言する者は危険だ。
 質問者 では、人はどのようにして働くべきでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身のためでも他者のためでもなく、仕事自体のために働
 きなさい。
 するだけの価値のあることには、それ自体の目的と意味がある。
 何かほかのことの手段にしてはならない。
 拘束してはならない。
 神はひとつのものをほかのものに仕えるために創造してはいない。
 それぞれがそれ自身のために造られたのだ。
 それがそれ自身のために造られているため、干渉することがない。
 あなたは物や人を、彼らとは相容れない目的のために用いるため、
 世界とあなた自身を台無しにしてしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

410鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/01(火) 22:53:10.78ID:ivwzcJZQ
そのようなことが出来る者はすでに悟っているのじゃ。
無為にして為すことであるからのう。
衆生には難しいことじゃ。

411名無しを整える。2018/05/01(火) 23:28:41.58ID:2xkTG9s7
>>410
ニサルガさんは、難しいことを、簡単にできるように語る天才でありたすね。
(´・(ェ)・`)つ

412名無しを整える。2018/05/02(水) 07:21:31.40ID:XBhGCRPt
>>409
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 実在はつねに私たちとともに在るとあなたは言われまし
 た。どうして私たちはそれに気づかないのでしょうか?
 マハラジ
 そのとおり、あなたはつねに至高なるものなのだ。
 しかし、あなたの注意はいつも身体的あるいは精神的なものに注
 がれている。
 あなたの注意がひとつのものを離れて、まだほかの対象物に固定
 される合間、あなたは純粋な存在なのだ。
 識別(ヴィヴェーカ)と無執着(ヴァイラーギャ)* の実践を通
 して、あなたは感覚的そして精神的状態の視野を失い、純粋な存
 在が自然な状態として現れだす。
 * 訳注 識別と無執着
 ヴィヴェーカ Viveka 識別。真実と偽りを識別するこ
 と。ヴァイラーギャ Vairagya 無執着。世俗的欲望の
 不在。非実在とはかなき存在への無執着。
 質問者 この分離された存在の感覚をどうやって終焉(しゅうえ
 ん)させることができるのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」にマインドの焦点を合わせることによって、「私は
 これだ」という存在の感覚は消え去る。
 そこに「私はただの観照者だ」が残り、それさえも、「私がすべ
 てだ」のなかに沈んでいく。
 そのときすべてはひとつとなり、ひとつは――私から分離してい
 ないあなたの自己となるのだ。
 分離した「私」という概念を放棄しなさい。
 そうすれば「誰の経験か?」という疑念が湧いてくることはない
 だろう。
 質問者 あなたはあなた自身の体験から語っています。どうやっ
 てそれを私のものとすることができるのでしょうか?
 マハラジ
 私の体験とあなたの体験が異なると言うのは、私とあなたが分離
 しているとあなたが信じているからだ。
 より深いレベルでは、私の体験はあなたの体験だ。
 あなた自身の内面深くに入っていきなさい。
 そうすれば、あなたはそれをいともたやすく、簡単に見いだすだ
 ろう。
 「私は在る」の方向へと入っていきなさい。
(´・(ェ)・`)               (おわり)

413鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/02(水) 23:23:41.25ID:S2eI5DiK
>>411 そうかもしれん。

 マハラジの私とは分離していないわたしなのじゃ。
 全てである意識が私なのじゃ。
 

414名無しを整える。2018/05/03(木) 17:43:25.28ID:Y3BRUIfa
>>412
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】

 質問者 あなたは喜んだり悲しんだりすることがありますか? 喜びや悲し
 みを知っていますか?
 マハラジ
 それらをあなたの好きなように呼ぶがいい。
 私にとってそれらはマインドの状態にすぎない。
 そして私はマインドではないのだ。
 質問者 愛はマインドの状態なのでしょうか?
 マハラジ
 それもまた、あなたが愛という言葉で何を意味しているかによる。
 欲望はもちろん、マインドの状態だ。
 だが、統合の実現はマインドを超えたものだ。
 私にとっては、それ自体で存在するものは何もない。
 すべてが真我であり、すべては私自身なのだ。
 私自身を皆のなかに見、皆のなかに私自身を見ることは確かに愛だと言える
 だろう。
 質問者 私が快く思う何かを見たとき、それを欲しくなります。誰がそれを
 欲しているのでしょうか? 
自我でしょうか、マインドでしょうか?
 マハラジ
 この質問は誤った形で問われている。
 そこに、「誰が」はいない。
 そこにあるのは欲望、恐れ、怒りであり、マインドが、これは私だ、これは
 私のものだと言うのだ。
 「私」あるいは「私のもの」と呼べるようなものは存在しない。
 欲望はマインドの状態であり、マインドによって知覚され、名づけられたも
 のだ。
 マインドが知覚せず、名づけなければ、欲望がどこにあるというのだろう?
 質問者 しかし、名づけることなしに知覚するというようなことがあるでし
 ょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 名づけるということが、マインドを超えることはありえない。
 一方、知覚は意識そのものなのだ。
 質問者 誰かが死ぬとき、正確には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 何も起こりはしない。
 何かが無となるのだ。
 無が存在していた。
 そして無が残るのだ。
 質問者 それでも、生と死の間には違いがあるはずです。あなたは生きてい
 るものを死んでおり、死んだものを生きていると言います。
 マハラジ
 なぜあなたはひとりが死ぬことに苦悩し、毎日何百万人もの人が死んでいく
 ことは気にもかけないのだろうか?
 宇宙全体が毎瞬、内破し、爆発しているのだ。
 それらのために私が泣かなければならないのかね?
 私にとってたったひとつ明白なことは、存在するすべて、生きるもの、動く
 ものすべては、意識のなかにその存在をもつということだ。
 そして、私は意識のなかに、そしてその彼方に在る。
 私は観照者としてはそのなかに在り、実在としてはその彼方に在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

415鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/03(木) 23:17:12.58ID:AXdkDRZK
そうじゃ、死は観念でありないものじゃ。
人は死んでも意識として永遠に存在するのじゃ。
何も変らないのじゃ。

416名無しを整える。2018/05/04(金) 11:42:28.32ID:qQBBxDT7
>>414
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 もちろん、あなたの子どもが病気になったときは気にかけるのでは
 ありませんか?
 マハラジ
 私はあわてない。
 ただ必要なことをするだけだ。
 未来について心配したりはしない。
 あらゆる状況への適切な反応、それが私の本質だ。
 何をするべきかと立ち止まって考えたりはしない。
 ただ行動し、先に進むだけだ。
 結果は私に影響を与えない。
 それが良いか悪いかさえ私は気にもしない。
 それらが何であれ、あるがままだ。
 もしふたたびそれが起こるならば、私は新たな姿勢でそれに取りかかる、あ
 るいは新たな姿勢で取りかかるということが、私に起こる。
 私が何をしようと、そこにはいかなる目的感覚もない。
 ものごとは起こるように起こるのだ。
 私がそれらを起こらせるからではなく、私が在るゆえにそれらは起こるのだ。
 実際には、けっして何も起こらない。
 マインドに落ち着きのないとき、それはシヴァを舞い踊らせる。*
 * 訳注 シヴァを舞い踊らせる
 シバ神は南インド、タミル・ナードゥ州のチダンパラムでナータラ
 ージャ神として現れ、宇宙の創造と破壊の舞を舞ったという神話が
 ある。
 波に揺らぐ湖の水が月を踊らせるように。
 それらはすべて誤った概念による現れにすぎない。
 質問者 確かにあなたは多くのことに気づいており、それらの本質にしたが
 ってふるまっています。子どもは子どもとして、大人は大人として
 扱っています。
 マハラジ
 塩味が大海に浸透しているように、海水の一滴一滴が同じ味を含んでいる。
 同じようにあらゆる体験は、つねに新鮮な自己の存在の実現である実在の感
 触を私に与えるのだ。
 質問者 あなたが私の世界に存在するように、私もあなたの世界に存在して
 いるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん私は在り、あなたは在る。
 だが、意識のなかの単なる点として在るのだ。
 私たちは意識から離れては在りえない。
 このことはよく把握されなければならない。
 世界は意識に依存しているのだ。
 意識なしに世界はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

417鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/04(金) 22:01:03.17ID:xplPSRpb
そうじゃ、全ては意識なのじゃ。
在ると言えるものは意識だけなのじゃ。
個人も自分も他人もその一部として繋がって存在しているのじゃ。

418名無しを整える。2018/05/05(土) 11:13:31.83ID:QcmkJla5
>>416
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 意識のなかには数多くの点が存在しています。世界もまた数多くあ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 夢を例にとって見なさい。
 病院に多くの患者がいるとしよう。
 みな眠って、夢を見ている。
 病気という共通の要素を除いてはそれぞれが個人的な、無関係の、影響を互
 いに与えない夢のなかにいる。
 同様に、私たちも共通体験の現実世界から、想像によって私たち自身をひき
 離し、個人的な欲望や恐れ、想像や思考、観念や概念の雲のなかに私たち自
 身を囲み込んでしまったのだ。
 質問者 これは私にも理解できます。しかし、個人的世界の途方もない多様
 性の原因は何なのでしょうか?
 マハラジ
 その多様性はそれほどのものではない。
 すべての夢はひとつの共通する世界の上に重ねられたものだ。
 ある程度までそれらは互いを形づくり、影響を与えあう。
 それにもかかわらず、基本的な統一性はそのすべてに作用している。
 その根底にはすべて、私が誰かを知らないという自己忘却があるのだ。
 質問者 忘れるには、人は知っていなければなりません。忘れる前に、私は
 誰なのかを知っていたのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 自己を忘れることは、自己を知ることのなかに本来備わっているものなのだ。
 意識と無意識はひとつの生における二つの側面であり、それらは競争してい
 る。
 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
 を忘れるのだ。
 結局のところ、世界とは何だろう?
 記憶の集合だ。
 ひとつのことを固守しなさい。
 それが大切なことだ。
 「私は在る」をつかみ取りなさい。
 そしてほかのすべてを手放しなさい。
 これがサーダナ(修練)である。
 真我実現のなかには、覚えるものもなければ、忘れるものもない。
 すべては知られたものだ。
 思い出すことなど何もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

419鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/05(土) 22:40:04.42ID:hqUTrqVF
記憶に拠って世界も自他の区別も創られるのじゃ。
全てを忘れれば全てが蘇るのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

420名無しを整える。2018/05/06(日) 08:40:53.06ID:qgMPh7Sx
>>418
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 自己忘却の原因とは何でしょうか?
 マハラジ
 原因はない。
 なぜなら忘却などないからだ。
 精神状態はひとつの状態から別の状態へと継続していく。
 それぞれが以前の状態を消し去っていくのだ。
 自己想起はひとつの精神状態であり、自己忘却は別の精神状態だ。
 それらは夜と昼のように、交互に入れ替わる。
 実在はその両方の彼方に在るのだ。
 質問者 忘れることと知らないことの間には、かならず違いがあるはずです。
 知らないということに原因はいりません。忘れるということは以前
 あった知識と、忘れる傾向と能力を前提条件としています。知らな
 いということの原因を調べることができないことは認めます。しか
 し、忘れることには何かの理由があるはずです。
 マハラジ
 知らないということはないのだ。
 忘れるということがあるだけだ。
 忘れることの何が間違っているというのだろう?
 忘れることは、覚えることと同じように単純なことだ。
 質問者 自分自身を忘れることは悲惨なことではありませんか?
 マハラジ
 自分自身をずっと覚えていることと同じように悲惨だ。
 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。
 それが自然な状態だ。
 覚えること、忘れること、どちらも思考と言葉に拘束されたマインドの状態
 なのだ。
 生まれるという考えを例にとって見よう。
 私は生まれたと言われた。
 私は覚えていない。
 私は死ぬだろうと言われた。
 私はそれを予期しない。
 私は忘れてしまった、あるいは想像力に欠けているのだとあなたは言うかも
 知れない。
 しかし、私にはけっして起きなかったことや、明らかに不可能なことを期待
 することはできない。
 身体は生まれ、身体は死ぬ。
 だが、それが私にとって何だというのだろう?
 身体は意識のなかで来ては去っていく。
 そして意識はその根底を私のなかに置いている。
 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

421名無しを整える。2018/05/06(日) 21:57:05.28ID:qgMPh7Sx
> 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。
 それが自然な状態だ。

それが、気付きであり、一つの意識でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

422鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/06(日) 22:49:37.24ID:Q/DP4G2j
↑そうじゃ、忘れる事も忘れないこともない意識なのじゃ。
 それこそが本来の意識なのじゃ。

 肉体が滅びても意識は永遠に在るのじゃ。
 何一つ変らずあるがままにありつづけるのじゃ。

423名無しを整える。2018/05/07(月) 00:16:00.44ID:LXM0xQZb
鬼和尚、こんばんは。
マハラジが
> 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。

私のもの と言うとき、「私」とはただ一つの意識のことであり、それは実体であるが、
私「のもの」とは、いつでも手放せる、実体ではない現象とでも理解すればよいのでありましょうか?

(´・(ェ)・`)つ

424名無しを整える。2018/05/07(月) 06:36:39.75ID:LXM0xQZb
>>420
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 あなたは世界の根底に自己忘却があると言いました。忘れるために
 私は覚えなければなりません。覚えるために私は何を忘れたのでし
 ょうか? 私は、私は在るということを忘れてはいません。
 マハラジ
 この「私は在る」もまた幻想の一部分なのだ。
 質問者 なぜそう言えるのでしょうか? あなたに私が存在しないと証明す
 ることはできません。たとえ私が存在していないと納得させられても、私は
 存在しています。
 マハラジ
 実在は証明することも、反証することもできない。
 マインドの範疇(はんちゅう)では不可能であり、マインドを超えればその
 必要もない。
 実在のなかでは、「実在とは何か?」という疑問は起こらない。
 顕現(サグナ)と非顕現(ニルグナ)は別のものではないのだ。
 質問者 その場合はすべてが実在なのです。
 マハラジ
 私はすべてであり、私自身としてはすべてが実在だ。
 私を離れては何も実在ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

425鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/07(月) 22:11:53.00ID:APW3qR7y
>>423 そうじゃろう。
 意識が無ければ全ては無いものじゃ。

 自他を超えた意識の中では対象が無いから疑問も起こらないのじゃ。
 疑いも観念の対象があるから起こるものであるからのう。

426名無しを整える。2018/05/07(月) 22:50:06.33ID:LXM0xQZb
>>425
くま、マインドとかハートっていう、マハラジ用語を、「心」に置き換えてよいか考えてたのでありますが、
良いのではないかと思ったでたります。
ゼロ=絶対無を発見、発明したインド人の分析的思考は、人類の限界に挑戦した5千年前の人類の真剣な営みの成果ではなかろうかと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

427鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/08(火) 22:18:44.31ID:t14rGZyH
↑そうじゃろう。
 オショーとは違うようじゃ。
 オショーはマインドを分別する心としていたようじゃ。

428名無しを整える。2018/05/09(水) 00:31:37.96ID:v1C5DTjq
>>424
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 私には世界が過ちの結果だとは感じられません。
 マハラジ
 完全な調査の後にのみそう言えるだろう、その前ではない。
 もちろん、あなたが識別し、実在ではないものをすべて捨て去ったとき、後
 に残るものが実在なのだ。
 質問者 何か残るものがあるのでしょうか?
 マハラジ
 実在が残る。
 だが、言葉に惑わされてはならない。
 質問者 遙かなる昔から、無数の誕生を通して、私は自分の世界を構築し、
 改善し、理解してきました。それは完全でもなく、非実在でもあり
 ません。それはプロセスなのです。
 マハラジ
 あなたは考え違いしているのだ。
 世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。
 あらゆる瞬間において、それはあなたの反映にすぎない。
 あなたが創造し、破壊するのだ。
 質問者 そしてふたたび構築し、改善するのです。
 マハラジ
 改善するには、それを反証しなければならない。
 人は生きるために死ななければならない。
 死を通る以外に再生はありえない。
 質問者 あなたの世界は完全かもしれません。私の個人的世界は改善してき
 ているのです。
 マハラジ
 あなたの個人的宇宙は、それ自体では存在しないのだ。
 それはただ単に実在のかぎられた歪(ゆが)んだ見方だ。
 改善が必要なのは宇宙ではなく、あなたの見方なのだ。
 質問者 あなたはどう見るのでしょうか?
 マハラジ
 それは世界というドラマが演じられているステージだ。
 重要なのは演技の質だけだ。
 何を役者が語り、演じるかではなく、どのように彼らが語り、それを演じる
 かが重要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

429名無しを整える。2018/05/09(水) 20:39:51.91ID:v1C5DTjq
>>428
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 私には世界創造が神のリーラ(戯れ)でしかないという、この概念
 が好きになれません。私はむしろ、世界を私たちが組み立てる仕事
 場に比べるでしょう。
 マハラジ
 あなたは深刻にとらえすぎなのだ。
 遊戯の何が悪いのだろう?
 あなたが未完成であるかぎり、目的を持たざるをえない。
 それまでは完全、完成が目的だ。
 しかし、内面と外面を統合して自分のなかで完全になれば、そのときあなた
 は宇宙を楽しむのだ。
 そのために働くことはしない。
 統合されていないものにとって、あなたはたいへんな努力とともに働くよう
 に見えるかもしれない。
 しかし、それは幻想なのだ。
 スポーツマンは途方もない努力をするように見える。
 だが、彼らの動機はすべて、遊ぶこととそれを誇示することなのだ。
 質問者 神はただ戯れているだけで、目的のない行為に従事していると言う
 のでしょうか?
 マハラジ
 神はただ真実と善だけではない。
 彼はまた美しくもある(サティヤム―シヴァム―スンダラム)。
 彼は喜びのために美をつくり出すのだ。
 質問者 それならば、美が彼の目的ではありませんか?
 マハラジ
 なぜ目的を持ち出すのだろうか?
 目的は活動、変化、未完成を暗示する。
 神は美を目標にしているのではない。
 何であれ、彼の行うことが美なのだ。
 あなたは花が美しくあろうと試みていると言うだろうか?
 その本質自体が美しいのだ。
 同じように、神も完成を目指して努力しているのではなく、神は完成そのも
 のなのだ。
 質問者 美のなかで目的はそれ自体を満たすのです。
 マハラジ
 何が美しいのだろう?
 何であれ美しいと感じるのは、至福に満ちて知覚されたときだ。
 至福が美の本質なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

430鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/09(水) 21:55:12.35ID:7GguyJag
美も醜も人の決める価値でしかないのじゃ。
よいものが美しいとされるのじゃ。
金がうつくしいというものもおるのじゃ。

431名無しを整える。2018/05/10(木) 07:54:12.93ID:OBGjo3gY
>>429
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 あなたはサッチターナンダ(存在―意識―至福)について語ってい
 ます。私は在るということは明白です。私は知っているということ
 も明白です。しかし、私は幸福であるということは、まったく明白
 ではありません。私の幸福はどこへ行ってしまったのでしょう?
 マハラジ
 自分の存在に完全に気づいていなさい。
 そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
 あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
 どめるために幸福の感覚を失うのだ。
 質問者 私たちにとって二つの道があります。努力の道(ヨーガ・マールガ)
 と安楽な道(ボーガ・マールガ)です。どちらも解放という同じゴ
 ールに導きます。
 マハラジ
 なぜボーガを道と呼ぶのかね?
 どうして安楽が完成をもたらすことができるだろう?
 質問者 完全に放棄する人(ヨーギ)は実在を見いだすでしょう。完全に楽
 しむ人(ボーギ)もまたそこに達するのです。
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう?
 それらは反駁しあっているのではないだろうか?
 質問者 両極は出会うのです。完全なボーギとなることのほうが、完全なヨ
 ーギになるよりも困難なのです。私は素朴な人間です。大胆にもの
 ごとの価値評価をすることはできません。ヨーギもボーギも、結局
 は幸福を求めているのです。ヨーギは永遠の幸福を求め、ボーギは
 断続的幸福に満足します。しばしばボーギはヨーギよりも厳しい苦
 労をするのです。
 マハラジ
 働き、闘いとらねばならないような幸福に何の価値があるのかね?
 真の幸福は自発的で自然なものだ。
 質問者 生きるものはみな幸福を探しています。異なるのは方法だけです。
 ある人は内面を探し、それゆえヨーギと呼ばれ、ある人は外面を探
 し、それゆえボーギだと非難されるのです。それでも彼らは互いを
 必要とするのです。
 マハラジ
 喜びと苦痛は交互に入れ替わるものだ。
 幸福は揺らぐことがない。
 あなたが探し求め、見つけだすものは本物ではない。
 けっして失ったことのないもの、譲渡できないものを見いだしなさい。
(´・(ェ)・`)つ
(おわり)

432鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/10(木) 21:42:24.96ID:XfCcRWlI
そうじゃ、意識は決して失われず、譲り渡したりも出来ないのじゃ。
ただそこにあり続けるのみなのじゃ。
それこそが至福なのじゃ。 

433名無しを整える。2018/05/11(金) 19:45:55.81ID:ebPwmHNc
>>431
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】

 質問者 私が見るには、世界はヨーガの学校であり、人生そのも
 のがヨーガの修練です。誰もが完成を求めて闘っていま
 す。ヨーガもまた戦いにほかなりません。いわゆる「一
 般」の人びとと彼らの「一般」の人生は、何も卑しいも
 のではありません。彼らもヨーギと同じように厳しい努
 力をし、苦しみます。ただ彼らは真の目的を知らないだ
 けなのです。
 マハラジ
 いったいあなたの言う一般の人びとがどのようにヨーギなのかね?
 質問者 彼らの究極的目標は同じです。ヨーギが放棄(ティアー
 ガ)によって確保するものを、一般の人びとは体験(ボ
 ーガ)によって実現するのです。ボーガの道は無意識で、
 それゆえ反復し、長引きます。一方ヨーギの道は熟考さ
 れ、強烈で、それゆえより迅速なのです。
 マハラジ
 おそらくヨーギの期間とボーギの期間は交替するのだろう。
 まずボーギ、ヨーギ、そしてまたボーギ、ふたたびヨーギと。
 質問者 その目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 弱い欲望は内省と瞑想によって取り除かれる。
 しかし、強く、深く根づいた欲望は満たされ、その結果は甘かろ
 うと苦かろうと体験されなければならない。
 質問者 それでは、なぜ私たちはヨーギに敬意を払い、ボーギを
 軽んじるのでしょうか? ある意味では誰もがヨーギな
 のです。
 マハラジ
 人間的な価値の尺度では、意図的な努力は賞賛されるものと考え
 られている。
 実際には、ヨーギもボーギも機会と環境に合わせ、彼らの本質に
 したがっているのだ。
 ヨーギの人生はひとつの欲望、真実を見いだすことに支配されて
 いる。
 ボーギはたくさんのマスターに仕えている。
 しかし、ボーギはヨーギとなり、ヨーギはひと巡りしてボーギと
 なるかもしれない。
 最終的な結果は同じだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

434鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/11(金) 22:35:03.74ID:CfzAPVXC
実際には求めるものを知らない者達は長く苦しみ続けるだけなのじゃ。
迷いから迷いの世に何度も生まれかわるのじゃ。
今の世に求めるものを知っただけでも幸福なのじゃ。

435名無しを整える。2018/05/12(土) 05:47:30.29ID:fbmmMaf2
>>434
それが、無我、無認識であり、観念の向こう側にただ一つの意識のみがあるということであり、ニサルガさん的に言えば、真我、気づきのみがあると言うことでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

436名無しを整える。2018/05/12(土) 06:00:07.77ID:fbmmMaf2
>>433
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
 話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
 れた、と伝えられています。この良き知らせは船荷の綿
 に火がつくことに匹敵します。ゆっくりと、しかし容赦
 なくそのすべては灰になるのです。同じように、悟りの
 良き知らせが遅かれ早かれ変容をもたらすでしょう。
 マハラジ
 そうだ。
 まず聞くこと(シュラヴァナ)、覚えること(スマラナ)、そし
 て熟考すること(マナーナ)など、私たちにはなじみ深い分野だ。
 知らせを耳にした人がヨーギとなる。
 残りの人たちはボーガを続けるのだ。
 質問者 しかし、川が大量の水を集めることで海への道を見いだ
 すように、死ぬために生まれ、生まれるために死ぬとい
 う世間的な平凡な人生を生きることは、その生きた総量
 によって、人を前進させるということに、あなたは同意
 しましたよ。
 マハラジ
 世界が存在する以前に、意識は存在していた。
 意識のなかに世界は存在を顕し、意識のなかで世界は維持され、
 純粋な意識のなかに世界は消え去る。
 すべての根底には、「私は在る」という感覚があるのだ。
 「世界は在る」はマインドの状態であり、二次的なことだ。
 なぜなら、私は存在するために世界を必要とせず、世界が私を必
 要とするからだ。
 質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
 マハラジ
 それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

437鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/12(土) 23:01:49.00ID:HRjjMVSw
>>435 そうじゃ、一心に追い求めるのじゃ。
 そうすれば求めていたものは私であったと気づくのじゃ。

 世界もまた観念であるから意識だけが在るとき消えうせるのじゃ。

438名無しを整える。2018/05/13(日) 10:07:14.50ID:EOXj19G0
> 質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
 話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
 れた、と伝えられています。
マハラジも、この質問を肯定的に受けて答えてますが、
仏陀は、意識における完全な逆転と変容である悟りと、言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

439名無しを整える。2018/05/13(日) 10:32:34.99ID:EOXj19G0
>>436
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

(質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
 マハラジ
 それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。)

 質問者 石の自由ですか?
 マハラジ
 そう、石の自由、そしてより以上のものがそこにはある。
 限りなき自由と意識だ。
 質問者 体験を積むには人格が要求されるのでしょうか?
 マハラジ
 今のあなたのままでは、人格はただの障害にすぎない。
 身体との自己同一化は幼児にとってはいいかもしれないが、真の
 成長は身体との自己同一化を離れることにあるのだ。
 通常、人は人生の初期に身体的な欲望から成長し、脱却するもの
 だ。
 快楽を否定しないボーギでさえも、ひとたび味わったものを熱望
 したりはしない。
 習慣と欲望の反復はヨーギとボーギをともに挫折させる。
 質問者 なぜあなたは個人(ヴィヤクティ)を重要ではないとし
 て退けつづけるのでしょうか? 人格は私たちの存在に
 とって根本的な事実です。それは人生の舞台全体を占め
 るものです。
 マハラジ
 人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
 だの習慣だということを見抜かないかぎり、あなたは自分自身を、
 生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめ
 られる個人だと考えるだろう。
 あなた自身に尋ねなさい。
 「本当にそれはそうなのか?」「私は誰なのか?」「これらすべ
 ての背後とその彼方には何があるのか?」と。
 そうすれば、すぐに自分の過ちを見いだすだろう。
 見られることによって消え去るということが過ちの本性なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

440名無しを整える。2018/05/13(日) 10:35:00.38ID:EOXj19G0
>>438
>意識における完全な逆転と変容である悟り
とは、無我のことを指していると理解すれば良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

441鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/13(日) 22:18:01.67ID:4wfFPqu9
>>438 そのようなことは言っていないのじゃ。
 なにやら誤謬があるようじゃのう。
 翻訳がおかしいのかもしれん。

>>440 そのようなものかもしれん。
 

442名無しを整える。2018/05/14(月) 06:57:29.52ID:fcFUzWbi
>>441
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

443名無しを整える。2018/05/14(月) 07:20:27.62ID:fcFUzWbi
>>439
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】

 質問者 生きることの、生命そのもののヨーガは、いわゆる自然
 のヨーガ(ニサルガ・ヨーガ)と呼ばれるものです。そ
 れはマインドと生命の結婚として、『リグ・ヴェーダ』
 のなかの原初のヨーガ(アディ・ヨーガ)に記述されて
 いるものを思い出させます。
 マハラジ
 注意深く、完全な気づきのなかで生きられた生は、それ自体ニサ
 ルガ・ヨーガだ。
 質問者 マインドと生命の結婚とはどういう意味なのでしょうか?
 マハラジ
 自発的な気づきに生きること、努力のいらない生の意識、己の生
 に完全な興味を抱くこと――これらがみなそれに暗示される。
 質問者 ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー
 ・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの努力をよく叱
 ったそうです。彼女は、彼らを熟する前に摘み取られた
 マンゴーに比較して、「どうして急ぐの? あなたが完
 全に熟し、甘く、芳醇になるまで待ちなさい」とよく言
 ったそうです。
 マハラジ
 何と彼女は正しいことか!
 多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを
 昼と間違え、過剰な自尊心から彼の得たわずかばかりでさえも台
 無しにしているのだ。
 謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)
 にとって本質的なものだ。
 完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の
 発揮を許すことができるのだ。
 質問者 あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈
 黙を七年、十二年、あるいは十五年、または二十五年に
 わたってまでも守っていくといいます。バガヴァーン・
 シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、
 彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。
 マハラジ
 そうだ。
 内なる果実は熟さねばならない。
 それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることは必須となる。
 徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のない
 ものとなる。
 質問者 クリシュナムルティも気づきのなかに生きることを語っ
 ています。
 マハラジ
 彼はつねに究極を直指している。
 そうだ。
 あなたの言うとおり、究極的にはすべてのヨーガは意識(花嫁)
 と生命(花婿)の結婚であるアディ・ヨーガに行き着く。
 存在と意識(サット-チット)は至福(アーナンダ)のなかで出
 会うのだ。
 なぜなら、至福が現れるにはそこに出会いが、接触が、二元性の
 なかでの統合の主張がなければならないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

444鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/14(月) 21:51:54.42ID:/BJkq47Q
>>442 どういたしまして、またおいでなさい。


ヨーガとは結びつけるという意味なのじゃ。
精神わ対象に意識的に結びつける努力が初めに実践されるのじゃ。
やがてそれは無意識な努力にならなければ不死の境地にたどり着けないのじゃ。

445名無しを整える。2018/05/15(火) 06:57:25.05ID:OM/j5BBj
>>444
鬼和尚ありがとうであります。
精神わ対象に → 精神を対象に でありましょうか?
それは身体の部位に集中することでありましょうか。集中すること=気づいている毛とでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

446名無しを整える。2018/05/15(火) 07:01:10.87ID:OM/j5BBj
>>443
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 ニルヴァーナ(涅槃)を達成するには、人は生きている
 存在へと進まなければならない、と仏陀もまた言ってい
 ます。意識は成長のために生命が必要なのです。
 マハラジ
 世界そのものが接触だ。
 世界はすべての接触の全体が意識のなかで実現されたものなのだ。
 魂が物質に触れて意識が起こる。
 この意識が記憶と期待に汚されるとき、束縛となる。
 純粋な体験は束縛しない。
 体験が欲望と恐れに捕らえられて不純になり、カルマをつくり出
 すのだ。
 質問者 統合のなかでの幸福がありえるのでしょうか? すべて
 の幸福は必然的に接触を暗示します。それゆえ、二元性
 を生みだすのではないでしょうか?
 マハラジ
 葛藤をつくり出さないかぎり、二元性には何の問題もない。
 争いのない多様性と多彩性は喜びだ。
 純粋な意識のなかには光が在る。
 暖かさには接触が必要だ。
 存在の統合の上に愛の統合がある。
 愛が二元性の意味と目的なのだ。
 質問者 私は養子です。実の父を私は知りません。私の母は、私
 が生まれたときに亡くなりました。子供ができなかった
 私の養母を喜ばせるために、養父が私を養子にしたので
 す。ほとんど偶然の出来事です。彼は純朴な人で、トラ
 ックの所有者であり運転手です。母は主婦をしています。
 私は今二十四歳で、この二年半の間、落ち着かず、探し
 求めながら旅をしてきました。私は良き人生、神聖な人
 生を送りたいのです。どうしたらいいでしょうか?
 マハラジ
 家に帰って父親の仕事を引き継ぎ、年老いた両親の面倒を見なさ
 い。
 あなたを待っているだろう女性と結婚し、誠実に、純朴に、謙虚
 に在りなさい。
 あなたの徳を隠し、静かに生きるがいい。
 五感と三つの質(グナ)があなたにとってヨーガの修練の八段階
 だ。
 そして「私は在る」が偉大な真言(マハー・ヴァーキャー)だ。
 あなたに必要なことはすべて、これから学ぶことができる。
 注意深く在り、絶え間なく探求しなさい。
 それだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

447鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/15(火) 21:10:52.64ID:r2p4nq7A
>>445 そうじゃ、精神を対象に集中するのじゃ。
 それは肉体の部位だけではないのじゃ。
 呼吸とか日月星とかにも集中するのじゃ。
 
 

448名無しを整える。2018/05/15(火) 22:00:22.31ID:OM/j5BBj
>>447
集中すること=気づきつづけることでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

449名無しを整える。2018/05/16(水) 11:54:29.38ID:N1JoTGP5
>>446
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 もしただ自分の人生を生きることで解放されるならば、
 なぜ皆解放されないのでしょうか?
 マハラジ
 すべての生きるものたちは解放されている。
 あなたが何を生きるかではなく、どう生きるか、それが問題なの
 だ。
 真我の実現の概念がもっとも重要だ。
 そのような可能性があるということを知るだけで、その人の全視
 野が変化する。
 それはおがくずの山に火をつけるようなものだ。
 すべての偉大な師たちは皆そうしたのだ。
 真実の火花が偽りの山を焼き尽くす。
 その逆もまた真実だ。
 真実の太陽は、身体との自己同一化という雲の背後に隠されてし
 まうのだ。
 質問者 この悟りの良き知らせを広めることは、とても重要なこ
 とのようです。
 マハラジ
 そのことを聞くということ自体が、悟りを約束している。
 グルに出会うこと自体が解放の保証なのだ。
 完全なるものは生命を与え、創造的だ。
 質問者 賢者は「私は実現した」と考えることがあるのでしょう
 か? 人びとが彼を祭りあげることに彼は驚かされるの
 でしょうか? 彼は自分自身を普通の人間と見なしてい
 るのではないでしょうか?
 マハラジ
 普通でも特別でもない。
 ただ気づいていて、愛情深いのだ――強烈に。
 彼は自己定義にも、自己同一化にもふけることなく彼自身を見る。
 彼は世界から離れた彼自身を知らない。
 彼が世界なのだ。
 彼は絶え間なく自分の富を分け与えるとても裕福な人のように、
 完全に彼自身を除き去る。
 彼は裕福ではない、なぜなら彼は何ももっていないからだ。
 彼は貧困ではない、なぜなら彼は豊富に与えるからだ。
 彼はただ無所有なのだ。
 同様に、賢者は無我だ。
 彼は何とであれ自己同一化する能力を失ったのだ。
 彼は場所をもたず、時間と空間を超え、世界を超えている。
 言葉と思考を超えた者、それが彼なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

450名無しを整える。2018/05/16(水) 11:55:56.55ID:N1JoTGP5
>>449
マハラジも「無我」を語ったであります。
(´・(∀)・`)つ

451鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/16(水) 21:50:04.34ID:/RXWzpMH
>>448 そうじゃ、それが出来ればよいのじゃ。

>>450 もはやなにものとも自己同一化しないのが無我なのじゃ。
 やろうとすれば仮に出来るがのう。
 それもまた観念のみの遊戯と知っているのじゃ。

452名無しを整える。2018/05/17(木) 21:13:07.80ID:teqNYShZ
>>451
仮にでもいいので、できたらいいなと思うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

453名無しを整える。2018/05/17(木) 21:30:22.68ID:teqNYShZ
>>449
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 私にとっては深い神秘だとしか言いようがありません。
 私はただのシンプルな人間です。
 マハラジ
 深く、複雑で、神秘的で、理解し難いのはあなたのほうだ。
 あなたに比べれば、私はシンプルそのものだ。
 私は内面と外面、私のものとあなたのもの、善と悪といったいか
 なる区別もない、あるがままだ。
 世界であるものが私で、私であるものが世界なのだ。
 質問者 人がそれぞれ自分自身の世界をつくり出すとは、いった
 いどのように起こるのでしょうか?
 マハラジ
 数人の人が眠るとき、それぞれが彼ら自身の夢をみる。
 多くの異なった夢という疑問は目覚めとともにだけ現れ、それら
 はすべて夢、あるいは何か想像されたものとして見られたときに
 消え去る。
 質問者 夢でさえ根拠があります。
 マハラジ
 夢は記憶のなかにあるのだ。
 たとえそうだとしても、思い出されたものとは、もうひとつの夢
 にほかならない。
 偽物の記憶は、偽物をもたらすことしかできない。
 記憶自体に何も間違ったことはない。
 偽りはその内容にあるのだ。
 事実を覚え、意見は忘れなさい。
 質問者 何が事実なのでしょうか?
 マハラジ
 純粋な気づきのなかで、欲望と恐れから影響を受けずに知覚され
 たことは事実なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

454鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/17(木) 22:23:46.07ID:0r6LTw3Q
今目覚めて認識する世界もまた夢なのじゃ。
それは記憶に拠って作られているものじゃ。
欲も恐れもない気づきがそれを超えて真実を見出すことが出来るのじゃ。

455名無しを整える。2018/05/18(金) 21:55:53.95ID:LnT1wnXs
>>453
>私は内面と外面、私のものとあなたのもの、善と悪といったいか
 なる区別もない、あるがままだ。
 世界であるものが私で、私であるものが世界なのだ。
これ以上わかりやすい不二一元の分かりやすい説明はないでありましょう。
> 記憶自体に何も間違ったことはない。
 偽りはその内容にあるのだ。
 事実を覚え、意見は忘れなさ
これも分かりやすいでありますが、ニサルガさんは、難しいことを簡単に出来そうに言うのがうまいであります。
> 純粋な気づきのなかで、欲望と恐れから影響を受けずに知覚され
 たことは事実なのだ。
うむ。(´・(ェ)・`)つ

456名無しを整える。2018/05/18(金) 22:00:00.94ID:LnT1wnXs
>>453
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 * 訳注1 ニサルガ・ヨーガ 付録I参照。
 * 訳注2 ラーマクリシュナ・パラマハンサ 
 Ramakrishna Paramahansa (1836―1886)
 ベンガル地方出身の偉大なる聖者。ビジョンを通して
 の直接体験によって、世界中の主要な宗教が本質にお
 いてひとつであることを解き明かした。スワミ・ヴィ
 ヴェーカナンダの師でもある。
 * 訳注3 ヴァガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ
 Bhagavan Shree Ramana Maharsh(1879―1950)
 南インド、カミール・ナードゥ州のティルヴァンナー
 マライにある、聖なる丘アルナーチャラの麓にてその
 半生を送った、現代においてもっとも広く認識されて
 いる聖者。彼の沈黙の教え、「私は誰か?」という問
 を用いた明確で革新的な真我探求の方法と彼の聖者と
 しての生涯は、世界中の信奉者を引きつけている。
 * 訳注4 ジッドゥ・クリシュナムルティ
 Jiddu Krishnamurti(1895―1886)
 南インドのチェンナイ近郊に生まれる。一四歳のとき、
 未来の「救世主」として神智学協会のリードビーター
 によって発見され、英国にて英才教育を受ける。
 二七歳のとき神秘体験を持つ。後に救世主であること
 を否定し、精神的指導者、師といった一切の呼び名を
 拒絶して、ひとりの自由人として世界中を巡って講話
 をした。
 * 訳注5 ヨーガの修練の八段階
 アシュターンガ・ヨーガ Ashtanga Yoga
(一)ヤマ 非暴力、真実、不盗、独身生活、無所有
 といった善行の修養。
(二)ニヤマ 善行の尊守。
(三)アーサナ ヨーガの姿勢。
(四)プラーナーマーヤ
 呼吸の制御を通しての修練。
(五)プラティヤーハーラ 思考の制御。
(六)ダーラナー 意識をブラフマンドラ、頭頂点に
 集中させる修練。
(七)ディヤーナ 瞑想。
(八)サマーディ 瞑想の修養を通して得る三昧状態。
 ここでは、マハラジは五感と三つのグナ、つまり視覚、
 聴覚、味覚、臭覚、触覚の五感とサットヴァ、ラジャ
 ス、タマスの三つのグナがヨーガの八段階に代わると
 示唆している。
(´・(ェ)・`)b
(おわり)
これが、何の注なのかわからぬくまであります。

457鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/18(金) 22:27:57.47ID:GLET+B3m
それは観察による段階じゃろう。
五感からグナわ観察する事で無我にもいたると言いたいのじゃな。

458名無しを整える。2018/05/18(金) 22:31:53.62ID:LnT1wnXs
>>456
うむ。本文の質問者が取り上げた賢者達の解説でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

459名無しを整える。2018/05/18(金) 23:08:38.95ID:LnT1wnXs
>>457
鬼和尚、ありがとうであります。
訳注5のことでありますね。
(´・(ェ)・`)b

460名無しを整える。2018/05/19(土) 08:43:35.71ID:arFU60gO
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】

 質問者 先日、私はあなたに二通りの成長の方法、放棄と悦楽(ヨーガとボ
 ーガ)について尋ねました。その違いはさほどのものではありませ
 んでした。ヨーギは楽しむために放棄し、ボーギは放棄するために
 楽しむのです。ヨーギはまず放棄をし、ボーギはまず楽しみます。
 マハラジ
 それが何だというのだね?
 ヨーガのことはヨーギにボーガのことはボーギにまかせておくがいい。
 質問者 私にはボーガの道のほうがより良いように見えます。ヨーギは熟し
 きらないマンゴーのように、未熟なまま木から切り離され、かごの
 なかに熟すまで保たれます。風通し悪く、加熱されて、塾しはしま
 すが本当の味と香りは失われてしまうのです。木に残ったマンゴー
 は完全なサイズで、色、甘さなど、あらゆる喜びをともなって成長
 します。それでも、どういうわけかヨーギはあらゆる称賛を受け、
 ボーギは非難を受けます。私の目にはボーギのほうがよりよく映る
 のです。
 マハラジ
 何があなたにそう言わせるのだろうか?
 質問者 私は多くのヨーギたちと、彼らの途方もない努力を見てきました。
 たとえ彼らが真我を実現したときでも、何かそこには苦く、厳しい
 ものがあります。彼らは一見、多くの時を三昧(ざんまい)状態の
 なかで過ごしているようですが、いざ話をすると聖典の引用をする
 ばかりです。そのようなジニャーニ(知者)たちは、もっとも良い
 ところで、完成されていても周囲にわずかな芳香を放つ小さな花の
 ようです。森林のように豊かで、多彩であり、巨大な、動きにあふ
 れる世界をもった何人かの人たちがいます。その違いには何らかの
 理由があるはずです。
 マハラジ
 あなたはすでに言ったではないか。
 あなたによればヨーガにおいて人は発育を妨げられ、ボーガにおいて育成す
 るのだと。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

461鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/19(土) 20:55:42.79ID:5EzgZIEz
誰でも楽な道を好むものじゃ。
しかし楽な道のほうが困難なのじゃ。
それを捨てることが難しくなるからのう。

462名無しを整える。2018/05/20(日) 08:37:50.70ID:by4zKdxn
>>460
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 そうではありませんか? ヨーギは人生を恐れ、平和を探し求めま
 す。一方、ボーギは冒険的精神いっぱいに前進するのです。ヨーギ
 は理想に束縛され、一方、ボーギはつねに探検する用意があります。
 マハラジ
 それは多くを望むか、わずかで満足するかという問題だ。
 ヨーギは野心的だが、ボーギは単に冒険的だ。
 あなたのボーギはより豊かで、もっと興味深いように見える。
 だが、実際はそうではないのだ。
 ヨーギは鋭いナイフの刃先のように、狭く局限される。
 深く、ためらいなく、数多くの偽りの層を誤ることなく貫くために、彼はそ
 うあらねばならないのだ。
 ボーギはたくさんの祭壇を崇拝する。
 ヨーギはただひとつ、彼の真我のみに仕えるのだ。
 ヨーギをボーギに対立させるのは、まったく無駄なことだ。
 外面へ向かう道(プラヴリッティ)は、かならず内面への道(ニヴリッティ)
 に先行するものだ。
 判定を下したり、採点したりすることはばかげている。
 すべてが究極の完成に貢献しているのだ。
 ある人びとは、実在には三つの層があると言っている。
 真理、智慧(ちえ)、至福だ。
 真理を求める者はヨーギとなる。
 智慧を求める者はジニャーニに、幸福を求める者は行動の人となる。
 質問者 私たちは非二元性の至福についての話を聞きました。
 マハラジ
 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。
 質問者 何がその違いを生みだすのでしょうか?
 マハラジ
 違いは与えることと、つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
 質問者 もしゴールに違いがないのなら、なぜ多様な道に区別をもうけるの
 でしょうか?
 マハラジ
 各人がそれぞれの自然な本性にしたがって行動するがいい。
 いかなる場合であっても究極の目的に仕えることだろう。
 あなたの識別や分類はまったく正しい。
 だが私にとって、それらは存在しない。
 何の根拠がなくとも、夢の記述は詳細で正確かもしれない。
 同じように、あなたの区別分類もまた、憶測に合わせたものにほかならない。
 ある概念からはじめて、異なった衣装をつけた同じ概念で終えただけだ。
 質問者 あなたはどのようにものごとを見るのでしょうか?
 マハラジ
 私にとっては、ひとつとすべては同じだ。
 同じ意識(チット)が存在(サット)と至福(アーナンダ)として現れる。
 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

463名無しを整える。2018/05/20(日) 18:06:35.59ID:by4zKdxn
>>462
> 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。
・・・その違い
> 違いは与えることと、つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
←非二元だと一つだから与えるしかないなでありますね。
二元だと、つかみとるしかないのでありますね。
> 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。
←信心銘にもある言葉でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

464名無しを整える。2018/05/20(日) 18:11:03.11ID:by4zKdxn
>>463
> どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
とは、真理は一つだからでありましょうかね。
ただ、非二元の道の方が近道だよと言うことでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

465鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/20(日) 22:54:52.39ID:55JAzp5F
そうじゃ、最後まで行き着くことができれば一つなのじゃ。
途中でやめればいくつもあるようにみえるのじゃ。
それで争うのは愚かなことじゃ。
 

466名無しを整える。2018/05/21(月) 06:40:02.42ID:ghbxKp1E
>>462
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは動と不動の区別をつけています。
 マハラジ
 無区別は沈黙のなかで語る。
 言葉は区別をともなうからだ。
 非顕現(ニルグナ)は名前をもたない。
 すべての名前は顕現(サグナ)に属するからだ。
 言葉を超えた何かを表現するために、言葉で争うのは無意味なことだ。
 意識(チダーナンダ)は魂(プルシャ)であり、意識は物質(プラクリティ)
 でもある。
 不完全な魂が物質で、完全な物質が魂なのだ。
 はじまりがそうであるように、終わりもまたそうなのだ。
 すべてはひとつだ。
 すべての分割はマインド(チッタ)のなかにあり、実在(チット)のなかに
 分割はない。
 運動と休息はマインドの状態であり、互いに対極なしには存在できないのだ。
 それ自体では、何も動かず、何も休息しない。
 絶対的存在を精神的構造に帰属させることは悲惨な過ちだ。
 それ自体では、何ひとつ存在しないのだ。
 質問者 あなたは休息を至高の状態と同一化しているようですが。
 マハラジ
 マインドの状態(チダラム)としての休息があり、存在の状態(アートマラ
 ム)としての休息がある。
 前者は来ては去っていく。
 一方、真の休息は行為の本質そのものだ。
 あいにく、言語は精神的道具であるため、対立のなかでしか使うことができ
 ない。
 質問者 観照者としてのあなたは働いているのでしょうか、休息しているの
 でしょうか?
 マハラジ
 観照は体験であり、休息は体験からの自由だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

467鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/21(月) 22:53:25.75ID:b6hsfUy+
分別の中にだけ始まりとか終わりもあるのじゃ。
それは本来無いものじゃ。
観照すらも消えていくものなのじゃ。

468名無しを整える。2018/05/21(月) 23:20:00.64ID:ghbxKp1E
>>467
鬼和尚、ありがとうであります。
それが永遠無限と言うことでありますね。
それが真理であるような気がするくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

469名無しを整える。2018/05/22(火) 07:47:16.42ID:HtNi130R
>>466
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 大海のなかで、波のざわめきが深海の静けさと共存するように、そ
 れらは共存できないのでしょうか?
 マハラジ
 マインドを超えたところに体験はない。
 体験とは二元的状態だ。
 実在をひとつの体験として語ることはできないのだ。
 ひとたびこれが理解されたならば、あなたはもはや在ることと成ることを分
 離し、対立したものとして追い求めたりはしないだろう。
 実際には、同じ木の根と枝のように、それらはひとつであり分割不可能だか
 らだ。
 そのどちらも意識の光のなかにのみ存在することができ、どちらも「私は在
 る」という感覚のなかに立ち現れる。
 これが基本的な事実であり、もしこれを逃したならば、すべてを逃すことに
 なる。
 質問者 存在の感覚は体験によってのみ生じるのでしょうか? 偉大な真言
(マハー・ヴァーキャー)、「タット・サット」(我はそれなり)
 は単なる思考の様式なのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、語られたことは言葉にすぎない。
 何であれ、考えられたことは思考にすぎない。
 真の意味は説明不可能だが、体験することは可能だ。
 マハー・ヴァーキャーは真実だが、あなたの観念は偽りだ。
 なぜなら、すべての観念(カルパナ)は偽りだからだ。
 質問者 「我はそれなり」という信念も偽りなのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 信念とは精神的状態だからだ。
 「それ」のなかに「私は在る」はない。
 「私は在る」という感覚が現れると、日が昇るとともに星が消え去るように、
 「それ」は光を奪われる。
 しかし、太陽とともに光が射し込むように、自己の感覚とともに至福(チダ
 ーナンダ)が訪れる。
 そして至福の原因を「私ではないもの」のなかに探求することによって束縛
 がはじまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

470鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/22(火) 22:25:51.60ID:ajjB/GjZ
>>468 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。

 真理を告げる言葉も、言葉としては嘘なのじゃ。
 観念であるからのう。
 ただ人を苦から解放し、悟りに導く故に真理といえるのじゃ。

471名無しを整える。2018/05/23(水) 07:01:41.04ID:8WvVGnZj
>>469
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 日々の生活のなかで、あなたはつねに実在の状態を意識しているの
 でしょうか?
 マハラジ
 意識もしなければ、無意識でもない。
 私に信念は必要ない。
 私は勇気を生きる。
 生命の愛である勇気が私の本質だ。
 私には記憶や不安がない。
 私が何であるか、あるいは何ではないかということには無関心だ。
 自己描写にふけったりもしない。
 「ソーハム」(我は彼なり)、や「アハム ブラーマスミ」(我は至高なる
 ものなり)といった偉大なマントラも無用のものだ。
 私には無として在る勇気がある。
 そして世界をあるがままに、無として見るのだ。
 シンプルに聞こえるだろう?
 試してみなさい!
 質問者 しかし、何があなたに勇気を与えたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの見方は何と倒錯しているのだろう。
 勇気は与えられる必要のあるものだろうか?
 あなたの質問は不安が正常で、勇気は異常だということを暗示している。
 それは反対なのだ。
 不安と期待は想像から生まれる。
 私はその両方から自由だ。
 私はシンプルな存在だ。
 何に寄りかかる必要もないのだ。
 あなたがあなた自身を知らないかぎり、存在があなたにとって何になるとい
 うのだろう?
 あなたのままで幸福であるには、あなた自身を知らなければならないのだ。
 在ることは、知ることとして輝く。
 愛のなかの暖かさ、それを知ることだ。
 それはみなひとつだ。
 あなたの分離を想像しておいて、疑問に頭を悩ませている。
 公式に関わりすぎてはならない。
 純粋な存在は描写できないものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

472鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/23(水) 22:00:31.42ID:+x6BK7N/
言葉にすれば観念になり、嘘になるものじゃ。
言葉の上でさまざまな分離や疑問が次々に生まれるのじゃ。
言葉を離れた境地を知るには実践する以外にないのじゃ。

473名無しを整える。2018/05/24(木) 06:54:51.91ID:CO+t+Ldq
>>471
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】

 質問者 それを知ることができ、楽しむことができないかぎり、私にとって
 は何の意味もありません。それはまず、私の体験の一部となるべき
 です。
 マハラジ
 あなたは実在を体験のレベルまで引き下げているのだ。
 どうして実在が体験に依存できるというのだろう?
 実在は体験の根底(アーダール)そのものなのだ。
 実在は体験の本質のなかにではなく、体験の事実のなかにある。
 体験は、つまりマインドの状態なのだ。
 一方、在ることは明らかにマインドの状態ではない。
 質問者 またもや私は混乱しています! 在ることは知ることから分離して
 いるのでしょうか?
 マハラジ
 分離は見かけだけだ。
 夢が夢見る人から離れてはいないように、知ることも在ることから離れては
 いない。
 夢は夢見る人であり、知識は知る人なのだ。
 区別は単に言葉の上にあるだけだ。
 質問者 私には今、サット(存在)とチット(意識)がひとつだとわかりま
 す。しかし、アーナンダ(至福)はどうでしょうか? 存在と意識
 はつねに一緒です。しかし、至福はごくまれに、瞬間ひらめくだけ
 です。
 マハラジ
 存在の静かな状態が至福なのだ。
 乱された状態が世界として現れる。
 非二元性のなかには至福がある。
 二元性のなかには体験がある。
 来ては去っていくのは苦痛と快楽の二元性の体験だ。
 至福とは知られるものではない。
 人はつねに至福なのだ。
 しかし、けっして至福に満ちているのではない。
 至福とはひとつの属性ではないのだ。
 質問者 もうひとつ質問があります。あるヨーギたちは目標を達成しますが、
 ほかの人たちの役には立ってはいません。彼らは知らないのか、あ
 るいは分かちあうことができないのです。もっているものを分かち
 あうことのできる人たちは、ほかの人びとに教えを授けます。違い
 はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 何の違いもない。
 あなたのアプローチが間違っているのだ。
 助けるべきほかの人びとはいない。
 ある裕福な人は全財産を彼の家族に投げ出し、乞食に与える一枚の貨幣さえ
 もない。
 賢者(ジニャーニ)も彼のすべての力と所有物を捨て去り、何も、文字どお
 り何も彼について言えることはないのだ。
 彼は誰も助けることはできない。
 なぜなら、彼がすべての人だからだ。
 彼がその貧しい人であり、その貧困なのだ。
 彼が泥棒であり、また盗みなのだ。
 彼はそれらと分かたれてはいない。
 どうして彼に助けることができるだろうか?
 世界から分離していると考えている人に世界を助けさせればいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

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