鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2

1名無しを整える。2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ

418名無しを整える。2018/05/05(土) 11:13:31.83ID:QcmkJla5
>>416
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 意識のなかには数多くの点が存在しています。世界もまた数多くあ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 夢を例にとって見なさい。
 病院に多くの患者がいるとしよう。
 みな眠って、夢を見ている。
 病気という共通の要素を除いてはそれぞれが個人的な、無関係の、影響を互
 いに与えない夢のなかにいる。
 同様に、私たちも共通体験の現実世界から、想像によって私たち自身をひき
 離し、個人的な欲望や恐れ、想像や思考、観念や概念の雲のなかに私たち自
 身を囲み込んでしまったのだ。
 質問者 これは私にも理解できます。しかし、個人的世界の途方もない多様
 性の原因は何なのでしょうか?
 マハラジ
 その多様性はそれほどのものではない。
 すべての夢はひとつの共通する世界の上に重ねられたものだ。
 ある程度までそれらは互いを形づくり、影響を与えあう。
 それにもかかわらず、基本的な統一性はそのすべてに作用している。
 その根底にはすべて、私が誰かを知らないという自己忘却があるのだ。
 質問者 忘れるには、人は知っていなければなりません。忘れる前に、私は
 誰なのかを知っていたのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 自己を忘れることは、自己を知ることのなかに本来備わっているものなのだ。
 意識と無意識はひとつの生における二つの側面であり、それらは競争してい
 る。
 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
 を忘れるのだ。
 結局のところ、世界とは何だろう?
 記憶の集合だ。
 ひとつのことを固守しなさい。
 それが大切なことだ。
 「私は在る」をつかみ取りなさい。
 そしてほかのすべてを手放しなさい。
 これがサーダナ(修練)である。
 真我実現のなかには、覚えるものもなければ、忘れるものもない。
 すべては知られたものだ。
 思い出すことなど何もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

419鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/05(土) 22:40:04.42ID:hqUTrqVF
記憶に拠って世界も自他の区別も創られるのじゃ。
全てを忘れれば全てが蘇るのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

420名無しを整える。2018/05/06(日) 08:40:53.06ID:qgMPh7Sx
>>418
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 自己忘却の原因とは何でしょうか?
 マハラジ
 原因はない。
 なぜなら忘却などないからだ。
 精神状態はひとつの状態から別の状態へと継続していく。
 それぞれが以前の状態を消し去っていくのだ。
 自己想起はひとつの精神状態であり、自己忘却は別の精神状態だ。
 それらは夜と昼のように、交互に入れ替わる。
 実在はその両方の彼方に在るのだ。
 質問者 忘れることと知らないことの間には、かならず違いがあるはずです。
 知らないということに原因はいりません。忘れるということは以前
 あった知識と、忘れる傾向と能力を前提条件としています。知らな
 いということの原因を調べることができないことは認めます。しか
 し、忘れることには何かの理由があるはずです。
 マハラジ
 知らないということはないのだ。
 忘れるということがあるだけだ。
 忘れることの何が間違っているというのだろう?
 忘れることは、覚えることと同じように単純なことだ。
 質問者 自分自身を忘れることは悲惨なことではありませんか?
 マハラジ
 自分自身をずっと覚えていることと同じように悲惨だ。
 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。
 それが自然な状態だ。
 覚えること、忘れること、どちらも思考と言葉に拘束されたマインドの状態
 なのだ。
 生まれるという考えを例にとって見よう。
 私は生まれたと言われた。
 私は覚えていない。
 私は死ぬだろうと言われた。
 私はそれを予期しない。
 私は忘れてしまった、あるいは想像力に欠けているのだとあなたは言うかも
 知れない。
 しかし、私にはけっして起きなかったことや、明らかに不可能なことを期待
 することはできない。
 身体は生まれ、身体は死ぬ。
 だが、それが私にとって何だというのだろう?
 身体は意識のなかで来ては去っていく。
 そして意識はその根底を私のなかに置いている。
 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

421名無しを整える。2018/05/06(日) 21:57:05.28ID:qgMPh7Sx
> 忘れることと忘れないことの彼方に、あるひとつの状態がある。
 それが自然な状態だ。

それが、気付きであり、一つの意識でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

422鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/06(日) 22:49:37.24ID:Q/DP4G2j
↑そうじゃ、忘れる事も忘れないこともない意識なのじゃ。
 それこそが本来の意識なのじゃ。

 肉体が滅びても意識は永遠に在るのじゃ。
 何一つ変らずあるがままにありつづけるのじゃ。

423名無しを整える。2018/05/07(月) 00:16:00.44ID:LXM0xQZb
鬼和尚、こんばんは。
マハラジが
> 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。

私のもの と言うとき、「私」とはただ一つの意識のことであり、それは実体であるが、
私「のもの」とは、いつでも手放せる、実体ではない現象とでも理解すればよいのでありましょうか?

(´・(ェ)・`)つ

424名無しを整える。2018/05/07(月) 06:36:39.75ID:LXM0xQZb
>>420
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 あなたは世界の根底に自己忘却があると言いました。忘れるために
 私は覚えなければなりません。覚えるために私は何を忘れたのでし
 ょうか? 私は、私は在るということを忘れてはいません。
 マハラジ
 この「私は在る」もまた幻想の一部分なのだ。
 質問者 なぜそう言えるのでしょうか? あなたに私が存在しないと証明す
 ることはできません。たとえ私が存在していないと納得させられても、私は
 存在しています。
 マハラジ
 実在は証明することも、反証することもできない。
 マインドの範疇(はんちゅう)では不可能であり、マインドを超えればその
 必要もない。
 実在のなかでは、「実在とは何か?」という疑問は起こらない。
 顕現(サグナ)と非顕現(ニルグナ)は別のものではないのだ。
 質問者 その場合はすべてが実在なのです。
 マハラジ
 私はすべてであり、私自身としてはすべてが実在だ。
 私を離れては何も実在ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

425鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/07(月) 22:11:53.00ID:APW3qR7y
>>423 そうじゃろう。
 意識が無ければ全ては無いものじゃ。

 自他を超えた意識の中では対象が無いから疑問も起こらないのじゃ。
 疑いも観念の対象があるから起こるものであるからのう。

426名無しを整える。2018/05/07(月) 22:50:06.33ID:LXM0xQZb
>>425
くま、マインドとかハートっていう、マハラジ用語を、「心」に置き換えてよいか考えてたのでありますが、
良いのではないかと思ったでたります。
ゼロ=絶対無を発見、発明したインド人の分析的思考は、人類の限界に挑戦した5千年前の人類の真剣な営みの成果ではなかろうかと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

427鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/08(火) 22:18:44.31ID:t14rGZyH
↑そうじゃろう。
 オショーとは違うようじゃ。
 オショーはマインドを分別する心としていたようじゃ。

428名無しを整える。2018/05/09(水) 00:31:37.96ID:v1C5DTjq
>>424
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 私には世界が過ちの結果だとは感じられません。
 マハラジ
 完全な調査の後にのみそう言えるだろう、その前ではない。
 もちろん、あなたが識別し、実在ではないものをすべて捨て去ったとき、後
 に残るものが実在なのだ。
 質問者 何か残るものがあるのでしょうか?
 マハラジ
 実在が残る。
 だが、言葉に惑わされてはならない。
 質問者 遙かなる昔から、無数の誕生を通して、私は自分の世界を構築し、
 改善し、理解してきました。それは完全でもなく、非実在でもあり
 ません。それはプロセスなのです。
 マハラジ
 あなたは考え違いしているのだ。
 世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。
 あらゆる瞬間において、それはあなたの反映にすぎない。
 あなたが創造し、破壊するのだ。
 質問者 そしてふたたび構築し、改善するのです。
 マハラジ
 改善するには、それを反証しなければならない。
 人は生きるために死ななければならない。
 死を通る以外に再生はありえない。
 質問者 あなたの世界は完全かもしれません。私の個人的世界は改善してき
 ているのです。
 マハラジ
 あなたの個人的宇宙は、それ自体では存在しないのだ。
 それはただ単に実在のかぎられた歪(ゆが)んだ見方だ。
 改善が必要なのは宇宙ではなく、あなたの見方なのだ。
 質問者 あなたはどう見るのでしょうか?
 マハラジ
 それは世界というドラマが演じられているステージだ。
 重要なのは演技の質だけだ。
 何を役者が語り、演じるかではなく、どのように彼らが語り、それを演じる
 かが重要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

429名無しを整える。2018/05/09(水) 20:39:51.91ID:v1C5DTjq
>>428
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 私には世界創造が神のリーラ(戯れ)でしかないという、この概念
 が好きになれません。私はむしろ、世界を私たちが組み立てる仕事
 場に比べるでしょう。
 マハラジ
 あなたは深刻にとらえすぎなのだ。
 遊戯の何が悪いのだろう?
 あなたが未完成であるかぎり、目的を持たざるをえない。
 それまでは完全、完成が目的だ。
 しかし、内面と外面を統合して自分のなかで完全になれば、そのときあなた
 は宇宙を楽しむのだ。
 そのために働くことはしない。
 統合されていないものにとって、あなたはたいへんな努力とともに働くよう
 に見えるかもしれない。
 しかし、それは幻想なのだ。
 スポーツマンは途方もない努力をするように見える。
 だが、彼らの動機はすべて、遊ぶこととそれを誇示することなのだ。
 質問者 神はただ戯れているだけで、目的のない行為に従事していると言う
 のでしょうか?
 マハラジ
 神はただ真実と善だけではない。
 彼はまた美しくもある(サティヤム―シヴァム―スンダラム)。
 彼は喜びのために美をつくり出すのだ。
 質問者 それならば、美が彼の目的ではありませんか?
 マハラジ
 なぜ目的を持ち出すのだろうか?
 目的は活動、変化、未完成を暗示する。
 神は美を目標にしているのではない。
 何であれ、彼の行うことが美なのだ。
 あなたは花が美しくあろうと試みていると言うだろうか?
 その本質自体が美しいのだ。
 同じように、神も完成を目指して努力しているのではなく、神は完成そのも
 のなのだ。
 質問者 美のなかで目的はそれ自体を満たすのです。
 マハラジ
 何が美しいのだろう?
 何であれ美しいと感じるのは、至福に満ちて知覚されたときだ。
 至福が美の本質なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

430鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/09(水) 21:55:12.35ID:7GguyJag
美も醜も人の決める価値でしかないのじゃ。
よいものが美しいとされるのじゃ。
金がうつくしいというものもおるのじゃ。

431名無しを整える。2018/05/10(木) 07:54:12.93ID:OBGjo3gY
>>429
『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 あなたはサッチターナンダ(存在―意識―至福)について語ってい
 ます。私は在るということは明白です。私は知っているということ
 も明白です。しかし、私は幸福であるということは、まったく明白
 ではありません。私の幸福はどこへ行ってしまったのでしょう?
 マハラジ
 自分の存在に完全に気づいていなさい。
 そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
 あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
 どめるために幸福の感覚を失うのだ。
 質問者 私たちにとって二つの道があります。努力の道(ヨーガ・マールガ)
 と安楽な道(ボーガ・マールガ)です。どちらも解放という同じゴ
 ールに導きます。
 マハラジ
 なぜボーガを道と呼ぶのかね?
 どうして安楽が完成をもたらすことができるだろう?
 質問者 完全に放棄する人(ヨーギ)は実在を見いだすでしょう。完全に楽
 しむ人(ボーギ)もまたそこに達するのです。
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう?
 それらは反駁しあっているのではないだろうか?
 質問者 両極は出会うのです。完全なボーギとなることのほうが、完全なヨ
 ーギになるよりも困難なのです。私は素朴な人間です。大胆にもの
 ごとの価値評価をすることはできません。ヨーギもボーギも、結局
 は幸福を求めているのです。ヨーギは永遠の幸福を求め、ボーギは
 断続的幸福に満足します。しばしばボーギはヨーギよりも厳しい苦
 労をするのです。
 マハラジ
 働き、闘いとらねばならないような幸福に何の価値があるのかね?
 真の幸福は自発的で自然なものだ。
 質問者 生きるものはみな幸福を探しています。異なるのは方法だけです。
 ある人は内面を探し、それゆえヨーギと呼ばれ、ある人は外面を探
 し、それゆえボーギだと非難されるのです。それでも彼らは互いを
 必要とするのです。
 マハラジ
 喜びと苦痛は交互に入れ替わるものだ。
 幸福は揺らぐことがない。
 あなたが探し求め、見つけだすものは本物ではない。
 けっして失ったことのないもの、譲渡できないものを見いだしなさい。
(´・(ェ)・`)つ
(おわり)

432鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/10(木) 21:42:24.96ID:XfCcRWlI
そうじゃ、意識は決して失われず、譲り渡したりも出来ないのじゃ。
ただそこにあり続けるのみなのじゃ。
それこそが至福なのじゃ。 

433名無しを整える。2018/05/11(金) 19:45:55.81ID:ebPwmHNc
>>431
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】

 質問者 私が見るには、世界はヨーガの学校であり、人生そのも
 のがヨーガの修練です。誰もが完成を求めて闘っていま
 す。ヨーガもまた戦いにほかなりません。いわゆる「一
 般」の人びとと彼らの「一般」の人生は、何も卑しいも
 のではありません。彼らもヨーギと同じように厳しい努
 力をし、苦しみます。ただ彼らは真の目的を知らないだ
 けなのです。
 マハラジ
 いったいあなたの言う一般の人びとがどのようにヨーギなのかね?
 質問者 彼らの究極的目標は同じです。ヨーギが放棄(ティアー
 ガ)によって確保するものを、一般の人びとは体験(ボ
 ーガ)によって実現するのです。ボーガの道は無意識で、
 それゆえ反復し、長引きます。一方ヨーギの道は熟考さ
 れ、強烈で、それゆえより迅速なのです。
 マハラジ
 おそらくヨーギの期間とボーギの期間は交替するのだろう。
 まずボーギ、ヨーギ、そしてまたボーギ、ふたたびヨーギと。
 質問者 その目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 弱い欲望は内省と瞑想によって取り除かれる。
 しかし、強く、深く根づいた欲望は満たされ、その結果は甘かろ
 うと苦かろうと体験されなければならない。
 質問者 それでは、なぜ私たちはヨーギに敬意を払い、ボーギを
 軽んじるのでしょうか? ある意味では誰もがヨーギな
 のです。
 マハラジ
 人間的な価値の尺度では、意図的な努力は賞賛されるものと考え
 られている。
 実際には、ヨーギもボーギも機会と環境に合わせ、彼らの本質に
 したがっているのだ。
 ヨーギの人生はひとつの欲望、真実を見いだすことに支配されて
 いる。
 ボーギはたくさんのマスターに仕えている。
 しかし、ボーギはヨーギとなり、ヨーギはひと巡りしてボーギと
 なるかもしれない。
 最終的な結果は同じだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

434鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/11(金) 22:35:03.74ID:CfzAPVXC
実際には求めるものを知らない者達は長く苦しみ続けるだけなのじゃ。
迷いから迷いの世に何度も生まれかわるのじゃ。
今の世に求めるものを知っただけでも幸福なのじゃ。

435名無しを整える。2018/05/12(土) 05:47:30.29ID:fbmmMaf2
>>434
それが、無我、無認識であり、観念の向こう側にただ一つの意識のみがあるということであり、ニサルガさん的に言えば、真我、気づきのみがあると言うことでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

436名無しを整える。2018/05/12(土) 06:00:07.77ID:fbmmMaf2
>>433
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
 話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
 れた、と伝えられています。この良き知らせは船荷の綿
 に火がつくことに匹敵します。ゆっくりと、しかし容赦
 なくそのすべては灰になるのです。同じように、悟りの
 良き知らせが遅かれ早かれ変容をもたらすでしょう。
 マハラジ
 そうだ。
 まず聞くこと(シュラヴァナ)、覚えること(スマラナ)、そし
 て熟考すること(マナーナ)など、私たちにはなじみ深い分野だ。
 知らせを耳にした人がヨーギとなる。
 残りの人たちはボーガを続けるのだ。
 質問者 しかし、川が大量の水を集めることで海への道を見いだ
 すように、死ぬために生まれ、生まれるために死ぬとい
 う世間的な平凡な人生を生きることは、その生きた総量
 によって、人を前進させるということに、あなたは同意
 しましたよ。
 マハラジ
 世界が存在する以前に、意識は存在していた。
 意識のなかに世界は存在を顕し、意識のなかで世界は維持され、
 純粋な意識のなかに世界は消え去る。
 すべての根底には、「私は在る」という感覚があるのだ。
 「世界は在る」はマインドの状態であり、二次的なことだ。
 なぜなら、私は存在するために世界を必要とせず、世界が私を必
 要とするからだ。
 質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
 マハラジ
 それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

437鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/12(土) 23:01:49.00ID:HRjjMVSw
>>435 そうじゃ、一心に追い求めるのじゃ。
 そうすれば求めていたものは私であったと気づくのじゃ。

 世界もまた観念であるから意識だけが在るとき消えうせるのじゃ。

438名無しを整える。2018/05/13(日) 10:07:14.50ID:EOXj19G0
> 質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
 話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
 れた、と伝えられています。
マハラジも、この質問を肯定的に受けて答えてますが、
仏陀は、意識における完全な逆転と変容である悟りと、言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

439名無しを整える。2018/05/13(日) 10:32:34.99ID:EOXj19G0
>>436
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

(質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
 マハラジ
 それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。)

 質問者 石の自由ですか?
 マハラジ
 そう、石の自由、そしてより以上のものがそこにはある。
 限りなき自由と意識だ。
 質問者 体験を積むには人格が要求されるのでしょうか?
 マハラジ
 今のあなたのままでは、人格はただの障害にすぎない。
 身体との自己同一化は幼児にとってはいいかもしれないが、真の
 成長は身体との自己同一化を離れることにあるのだ。
 通常、人は人生の初期に身体的な欲望から成長し、脱却するもの
 だ。
 快楽を否定しないボーギでさえも、ひとたび味わったものを熱望
 したりはしない。
 習慣と欲望の反復はヨーギとボーギをともに挫折させる。
 質問者 なぜあなたは個人(ヴィヤクティ)を重要ではないとし
 て退けつづけるのでしょうか? 人格は私たちの存在に
 とって根本的な事実です。それは人生の舞台全体を占め
 るものです。
 マハラジ
 人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
 だの習慣だということを見抜かないかぎり、あなたは自分自身を、
 生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめ
 られる個人だと考えるだろう。
 あなた自身に尋ねなさい。
 「本当にそれはそうなのか?」「私は誰なのか?」「これらすべ
 ての背後とその彼方には何があるのか?」と。
 そうすれば、すぐに自分の過ちを見いだすだろう。
 見られることによって消え去るということが過ちの本性なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

440名無しを整える。2018/05/13(日) 10:35:00.38ID:EOXj19G0
>>438
>意識における完全な逆転と変容である悟り
とは、無我のことを指していると理解すれば良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

441鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/13(日) 22:18:01.67ID:4wfFPqu9
>>438 そのようなことは言っていないのじゃ。
 なにやら誤謬があるようじゃのう。
 翻訳がおかしいのかもしれん。

>>440 そのようなものかもしれん。
 

442名無しを整える。2018/05/14(月) 06:57:29.52ID:fcFUzWbi
>>441
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

443名無しを整える。2018/05/14(月) 07:20:27.62ID:fcFUzWbi
>>439
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】

 質問者 生きることの、生命そのもののヨーガは、いわゆる自然
 のヨーガ(ニサルガ・ヨーガ)と呼ばれるものです。そ
 れはマインドと生命の結婚として、『リグ・ヴェーダ』
 のなかの原初のヨーガ(アディ・ヨーガ)に記述されて
 いるものを思い出させます。
 マハラジ
 注意深く、完全な気づきのなかで生きられた生は、それ自体ニサ
 ルガ・ヨーガだ。
 質問者 マインドと生命の結婚とはどういう意味なのでしょうか?
 マハラジ
 自発的な気づきに生きること、努力のいらない生の意識、己の生
 に完全な興味を抱くこと――これらがみなそれに暗示される。
 質問者 ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー
 ・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの努力をよく叱
 ったそうです。彼女は、彼らを熟する前に摘み取られた
 マンゴーに比較して、「どうして急ぐの? あなたが完
 全に熟し、甘く、芳醇になるまで待ちなさい」とよく言
 ったそうです。
 マハラジ
 何と彼女は正しいことか!
 多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを
 昼と間違え、過剰な自尊心から彼の得たわずかばかりでさえも台
 無しにしているのだ。
 謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)
 にとって本質的なものだ。
 完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の
 発揮を許すことができるのだ。
 質問者 あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈
 黙を七年、十二年、あるいは十五年、または二十五年に
 わたってまでも守っていくといいます。バガヴァーン・
 シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、
 彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。
 マハラジ
 そうだ。
 内なる果実は熟さねばならない。
 それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることは必須となる。
 徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のない
 ものとなる。
 質問者 クリシュナムルティも気づきのなかに生きることを語っ
 ています。
 マハラジ
 彼はつねに究極を直指している。
 そうだ。
 あなたの言うとおり、究極的にはすべてのヨーガは意識(花嫁)
 と生命(花婿)の結婚であるアディ・ヨーガに行き着く。
 存在と意識(サット-チット)は至福(アーナンダ)のなかで出
 会うのだ。
 なぜなら、至福が現れるにはそこに出会いが、接触が、二元性の
 なかでの統合の主張がなければならないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

444鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/14(月) 21:51:54.42ID:/BJkq47Q
>>442 どういたしまして、またおいでなさい。


ヨーガとは結びつけるという意味なのじゃ。
精神わ対象に意識的に結びつける努力が初めに実践されるのじゃ。
やがてそれは無意識な努力にならなければ不死の境地にたどり着けないのじゃ。

445名無しを整える。2018/05/15(火) 06:57:25.05ID:OM/j5BBj
>>444
鬼和尚ありがとうであります。
精神わ対象に → 精神を対象に でありましょうか?
それは身体の部位に集中することでありましょうか。集中すること=気づいている毛とでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

446名無しを整える。2018/05/15(火) 07:01:10.87ID:OM/j5BBj
>>443
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 ニルヴァーナ(涅槃)を達成するには、人は生きている
 存在へと進まなければならない、と仏陀もまた言ってい
 ます。意識は成長のために生命が必要なのです。
 マハラジ
 世界そのものが接触だ。
 世界はすべての接触の全体が意識のなかで実現されたものなのだ。
 魂が物質に触れて意識が起こる。
 この意識が記憶と期待に汚されるとき、束縛となる。
 純粋な体験は束縛しない。
 体験が欲望と恐れに捕らえられて不純になり、カルマをつくり出
 すのだ。
 質問者 統合のなかでの幸福がありえるのでしょうか? すべて
 の幸福は必然的に接触を暗示します。それゆえ、二元性
 を生みだすのではないでしょうか?
 マハラジ
 葛藤をつくり出さないかぎり、二元性には何の問題もない。
 争いのない多様性と多彩性は喜びだ。
 純粋な意識のなかには光が在る。
 暖かさには接触が必要だ。
 存在の統合の上に愛の統合がある。
 愛が二元性の意味と目的なのだ。
 質問者 私は養子です。実の父を私は知りません。私の母は、私
 が生まれたときに亡くなりました。子供ができなかった
 私の養母を喜ばせるために、養父が私を養子にしたので
 す。ほとんど偶然の出来事です。彼は純朴な人で、トラ
 ックの所有者であり運転手です。母は主婦をしています。
 私は今二十四歳で、この二年半の間、落ち着かず、探し
 求めながら旅をしてきました。私は良き人生、神聖な人
 生を送りたいのです。どうしたらいいでしょうか?
 マハラジ
 家に帰って父親の仕事を引き継ぎ、年老いた両親の面倒を見なさ
 い。
 あなたを待っているだろう女性と結婚し、誠実に、純朴に、謙虚
 に在りなさい。
 あなたの徳を隠し、静かに生きるがいい。
 五感と三つの質(グナ)があなたにとってヨーガの修練の八段階
 だ。
 そして「私は在る」が偉大な真言(マハー・ヴァーキャー)だ。
 あなたに必要なことはすべて、これから学ぶことができる。
 注意深く在り、絶え間なく探求しなさい。
 それだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

447鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/15(火) 21:10:52.64ID:r2p4nq7A
>>445 そうじゃ、精神を対象に集中するのじゃ。
 それは肉体の部位だけではないのじゃ。
 呼吸とか日月星とかにも集中するのじゃ。
 
 

448名無しを整える。2018/05/15(火) 22:00:22.31ID:OM/j5BBj
>>447
集中すること=気づきつづけることでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

449名無しを整える。2018/05/16(水) 11:54:29.38ID:N1JoTGP5
>>446
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 もしただ自分の人生を生きることで解放されるならば、
 なぜ皆解放されないのでしょうか?
 マハラジ
 すべての生きるものたちは解放されている。
 あなたが何を生きるかではなく、どう生きるか、それが問題なの
 だ。
 真我の実現の概念がもっとも重要だ。
 そのような可能性があるということを知るだけで、その人の全視
 野が変化する。
 それはおがくずの山に火をつけるようなものだ。
 すべての偉大な師たちは皆そうしたのだ。
 真実の火花が偽りの山を焼き尽くす。
 その逆もまた真実だ。
 真実の太陽は、身体との自己同一化という雲の背後に隠されてし
 まうのだ。
 質問者 この悟りの良き知らせを広めることは、とても重要なこ
 とのようです。
 マハラジ
 そのことを聞くということ自体が、悟りを約束している。
 グルに出会うこと自体が解放の保証なのだ。
 完全なるものは生命を与え、創造的だ。
 質問者 賢者は「私は実現した」と考えることがあるのでしょう
 か? 人びとが彼を祭りあげることに彼は驚かされるの
 でしょうか? 彼は自分自身を普通の人間と見なしてい
 るのではないでしょうか?
 マハラジ
 普通でも特別でもない。
 ただ気づいていて、愛情深いのだ――強烈に。
 彼は自己定義にも、自己同一化にもふけることなく彼自身を見る。
 彼は世界から離れた彼自身を知らない。
 彼が世界なのだ。
 彼は絶え間なく自分の富を分け与えるとても裕福な人のように、
 完全に彼自身を除き去る。
 彼は裕福ではない、なぜなら彼は何ももっていないからだ。
 彼は貧困ではない、なぜなら彼は豊富に与えるからだ。
 彼はただ無所有なのだ。
 同様に、賢者は無我だ。
 彼は何とであれ自己同一化する能力を失ったのだ。
 彼は場所をもたず、時間と空間を超え、世界を超えている。
 言葉と思考を超えた者、それが彼なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

450名無しを整える。2018/05/16(水) 11:55:56.55ID:N1JoTGP5
>>449
マハラジも「無我」を語ったであります。
(´・(∀)・`)つ

451鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/16(水) 21:50:04.34ID:/RXWzpMH
>>448 そうじゃ、それが出来ればよいのじゃ。

>>450 もはやなにものとも自己同一化しないのが無我なのじゃ。
 やろうとすれば仮に出来るがのう。
 それもまた観念のみの遊戯と知っているのじゃ。

452名無しを整える。2018/05/17(木) 21:13:07.80ID:teqNYShZ
>>451
仮にでもいいので、できたらいいなと思うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

453名無しを整える。2018/05/17(木) 21:30:22.68ID:teqNYShZ
>>449
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 質問者 私にとっては深い神秘だとしか言いようがありません。
 私はただのシンプルな人間です。
 マハラジ
 深く、複雑で、神秘的で、理解し難いのはあなたのほうだ。
 あなたに比べれば、私はシンプルそのものだ。
 私は内面と外面、私のものとあなたのもの、善と悪といったいか
 なる区別もない、あるがままだ。
 世界であるものが私で、私であるものが世界なのだ。
 質問者 人がそれぞれ自分自身の世界をつくり出すとは、いった
 いどのように起こるのでしょうか?
 マハラジ
 数人の人が眠るとき、それぞれが彼ら自身の夢をみる。
 多くの異なった夢という疑問は目覚めとともにだけ現れ、それら
 はすべて夢、あるいは何か想像されたものとして見られたときに
 消え去る。
 質問者 夢でさえ根拠があります。
 マハラジ
 夢は記憶のなかにあるのだ。
 たとえそうだとしても、思い出されたものとは、もうひとつの夢
 にほかならない。
 偽物の記憶は、偽物をもたらすことしかできない。
 記憶自体に何も間違ったことはない。
 偽りはその内容にあるのだ。
 事実を覚え、意見は忘れなさい。
 質問者 何が事実なのでしょうか?
 マハラジ
 純粋な気づきのなかで、欲望と恐れから影響を受けずに知覚され
 たことは事実なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

454鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/17(木) 22:23:46.07ID:0r6LTw3Q
今目覚めて認識する世界もまた夢なのじゃ。
それは記憶に拠って作られているものじゃ。
欲も恐れもない気づきがそれを超えて真実を見出すことが出来るのじゃ。

455名無しを整える。2018/05/18(金) 21:55:53.95ID:LnT1wnXs
>>453
>私は内面と外面、私のものとあなたのもの、善と悪といったいか
 なる区別もない、あるがままだ。
 世界であるものが私で、私であるものが世界なのだ。
これ以上わかりやすい不二一元の分かりやすい説明はないでありましょう。
> 記憶自体に何も間違ったことはない。
 偽りはその内容にあるのだ。
 事実を覚え、意見は忘れなさ
これも分かりやすいでありますが、ニサルガさんは、難しいことを簡単に出来そうに言うのがうまいであります。
> 純粋な気づきのなかで、欲望と恐れから影響を受けずに知覚され
 たことは事実なのだ。
うむ。(´・(ェ)・`)つ

456名無しを整える。2018/05/18(金) 22:00:00.94ID:LnT1wnXs
>>453
『I AM THAT 私は在る』
【26 人格、ひとつの障害】(つづき)

 * 訳注1 ニサルガ・ヨーガ 付録I参照。
 * 訳注2 ラーマクリシュナ・パラマハンサ 
 Ramakrishna Paramahansa (1836―1886)
 ベンガル地方出身の偉大なる聖者。ビジョンを通して
 の直接体験によって、世界中の主要な宗教が本質にお
 いてひとつであることを解き明かした。スワミ・ヴィ
 ヴェーカナンダの師でもある。
 * 訳注3 ヴァガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシ
 Bhagavan Shree Ramana Maharsh(1879―1950)
 南インド、カミール・ナードゥ州のティルヴァンナー
 マライにある、聖なる丘アルナーチャラの麓にてその
 半生を送った、現代においてもっとも広く認識されて
 いる聖者。彼の沈黙の教え、「私は誰か?」という問
 を用いた明確で革新的な真我探求の方法と彼の聖者と
 しての生涯は、世界中の信奉者を引きつけている。
 * 訳注4 ジッドゥ・クリシュナムルティ
 Jiddu Krishnamurti(1895―1886)
 南インドのチェンナイ近郊に生まれる。一四歳のとき、
 未来の「救世主」として神智学協会のリードビーター
 によって発見され、英国にて英才教育を受ける。
 二七歳のとき神秘体験を持つ。後に救世主であること
 を否定し、精神的指導者、師といった一切の呼び名を
 拒絶して、ひとりの自由人として世界中を巡って講話
 をした。
 * 訳注5 ヨーガの修練の八段階
 アシュターンガ・ヨーガ Ashtanga Yoga
(一)ヤマ 非暴力、真実、不盗、独身生活、無所有
 といった善行の修養。
(二)ニヤマ 善行の尊守。
(三)アーサナ ヨーガの姿勢。
(四)プラーナーマーヤ
 呼吸の制御を通しての修練。
(五)プラティヤーハーラ 思考の制御。
(六)ダーラナー 意識をブラフマンドラ、頭頂点に
 集中させる修練。
(七)ディヤーナ 瞑想。
(八)サマーディ 瞑想の修養を通して得る三昧状態。
 ここでは、マハラジは五感と三つのグナ、つまり視覚、
 聴覚、味覚、臭覚、触覚の五感とサットヴァ、ラジャ
 ス、タマスの三つのグナがヨーガの八段階に代わると
 示唆している。
(´・(ェ)・`)b
(おわり)
これが、何の注なのかわからぬくまであります。

457鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/18(金) 22:27:57.47ID:GLET+B3m
それは観察による段階じゃろう。
五感からグナわ観察する事で無我にもいたると言いたいのじゃな。

458名無しを整える。2018/05/18(金) 22:31:53.62ID:LnT1wnXs
>>456
うむ。本文の質問者が取り上げた賢者達の解説でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

459名無しを整える。2018/05/18(金) 23:08:38.95ID:LnT1wnXs
>>457
鬼和尚、ありがとうであります。
訳注5のことでありますね。
(´・(ェ)・`)b

460名無しを整える。2018/05/19(土) 08:43:35.71ID:arFU60gO
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】

 質問者 先日、私はあなたに二通りの成長の方法、放棄と悦楽(ヨーガとボ
 ーガ)について尋ねました。その違いはさほどのものではありませ
 んでした。ヨーギは楽しむために放棄し、ボーギは放棄するために
 楽しむのです。ヨーギはまず放棄をし、ボーギはまず楽しみます。
 マハラジ
 それが何だというのだね?
 ヨーガのことはヨーギにボーガのことはボーギにまかせておくがいい。
 質問者 私にはボーガの道のほうがより良いように見えます。ヨーギは熟し
 きらないマンゴーのように、未熟なまま木から切り離され、かごの
 なかに熟すまで保たれます。風通し悪く、加熱されて、塾しはしま
 すが本当の味と香りは失われてしまうのです。木に残ったマンゴー
 は完全なサイズで、色、甘さなど、あらゆる喜びをともなって成長
 します。それでも、どういうわけかヨーギはあらゆる称賛を受け、
 ボーギは非難を受けます。私の目にはボーギのほうがよりよく映る
 のです。
 マハラジ
 何があなたにそう言わせるのだろうか?
 質問者 私は多くのヨーギたちと、彼らの途方もない努力を見てきました。
 たとえ彼らが真我を実現したときでも、何かそこには苦く、厳しい
 ものがあります。彼らは一見、多くの時を三昧(ざんまい)状態の
 なかで過ごしているようですが、いざ話をすると聖典の引用をする
 ばかりです。そのようなジニャーニ(知者)たちは、もっとも良い
 ところで、完成されていても周囲にわずかな芳香を放つ小さな花の
 ようです。森林のように豊かで、多彩であり、巨大な、動きにあふ
 れる世界をもった何人かの人たちがいます。その違いには何らかの
 理由があるはずです。
 マハラジ
 あなたはすでに言ったではないか。
 あなたによればヨーガにおいて人は発育を妨げられ、ボーガにおいて育成す
 るのだと。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

461鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/19(土) 20:55:42.79ID:5EzgZIEz
誰でも楽な道を好むものじゃ。
しかし楽な道のほうが困難なのじゃ。
それを捨てることが難しくなるからのう。

462名無しを整える。2018/05/20(日) 08:37:50.70ID:by4zKdxn
>>460
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 そうではありませんか? ヨーギは人生を恐れ、平和を探し求めま
 す。一方、ボーギは冒険的精神いっぱいに前進するのです。ヨーギ
 は理想に束縛され、一方、ボーギはつねに探検する用意があります。
 マハラジ
 それは多くを望むか、わずかで満足するかという問題だ。
 ヨーギは野心的だが、ボーギは単に冒険的だ。
 あなたのボーギはより豊かで、もっと興味深いように見える。
 だが、実際はそうではないのだ。
 ヨーギは鋭いナイフの刃先のように、狭く局限される。
 深く、ためらいなく、数多くの偽りの層を誤ることなく貫くために、彼はそ
 うあらねばならないのだ。
 ボーギはたくさんの祭壇を崇拝する。
 ヨーギはただひとつ、彼の真我のみに仕えるのだ。
 ヨーギをボーギに対立させるのは、まったく無駄なことだ。
 外面へ向かう道(プラヴリッティ)は、かならず内面への道(ニヴリッティ)
 に先行するものだ。
 判定を下したり、採点したりすることはばかげている。
 すべてが究極の完成に貢献しているのだ。
 ある人びとは、実在には三つの層があると言っている。
 真理、智慧(ちえ)、至福だ。
 真理を求める者はヨーギとなる。
 智慧を求める者はジニャーニに、幸福を求める者は行動の人となる。
 質問者 私たちは非二元性の至福についての話を聞きました。
 マハラジ
 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。
 質問者 何がその違いを生みだすのでしょうか?
 マハラジ
 違いは与えることと、つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
 質問者 もしゴールに違いがないのなら、なぜ多様な道に区別をもうけるの
 でしょうか?
 マハラジ
 各人がそれぞれの自然な本性にしたがって行動するがいい。
 いかなる場合であっても究極の目的に仕えることだろう。
 あなたの識別や分類はまったく正しい。
 だが私にとって、それらは存在しない。
 何の根拠がなくとも、夢の記述は詳細で正確かもしれない。
 同じように、あなたの区別分類もまた、憶測に合わせたものにほかならない。
 ある概念からはじめて、異なった衣装をつけた同じ概念で終えただけだ。
 質問者 あなたはどのようにものごとを見るのでしょうか?
 マハラジ
 私にとっては、ひとつとすべては同じだ。
 同じ意識(チット)が存在(サット)と至福(アーナンダ)として現れる。
 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

463名無しを整える。2018/05/20(日) 18:06:35.59ID:by4zKdxn
>>462
> 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。
・・・その違い
> 違いは与えることと、つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
←非二元だと一つだから与えるしかないなでありますね。
二元だと、つかみとるしかないのでありますね。
> 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。
←信心銘にもある言葉でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

464名無しを整える。2018/05/20(日) 18:11:03.11ID:by4zKdxn
>>463
> どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
とは、真理は一つだからでありましょうかね。
ただ、非二元の道の方が近道だよと言うことでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

465鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/20(日) 22:54:52.39ID:55JAzp5F
そうじゃ、最後まで行き着くことができれば一つなのじゃ。
途中でやめればいくつもあるようにみえるのじゃ。
それで争うのは愚かなことじゃ。
 

466名無しを整える。2018/05/21(月) 06:40:02.42ID:ghbxKp1E
>>462
『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは動と不動の区別をつけています。
 マハラジ
 無区別は沈黙のなかで語る。
 言葉は区別をともなうからだ。
 非顕現(ニルグナ)は名前をもたない。
 すべての名前は顕現(サグナ)に属するからだ。
 言葉を超えた何かを表現するために、言葉で争うのは無意味なことだ。
 意識(チダーナンダ)は魂(プルシャ)であり、意識は物質(プラクリティ)
 でもある。
 不完全な魂が物質で、完全な物質が魂なのだ。
 はじまりがそうであるように、終わりもまたそうなのだ。
 すべてはひとつだ。
 すべての分割はマインド(チッタ)のなかにあり、実在(チット)のなかに
 分割はない。
 運動と休息はマインドの状態であり、互いに対極なしには存在できないのだ。
 それ自体では、何も動かず、何も休息しない。
 絶対的存在を精神的構造に帰属させることは悲惨な過ちだ。
 それ自体では、何ひとつ存在しないのだ。
 質問者 あなたは休息を至高の状態と同一化しているようですが。
 マハラジ
 マインドの状態(チダラム)としての休息があり、存在の状態(アートマラ
 ム)としての休息がある。
 前者は来ては去っていく。
 一方、真の休息は行為の本質そのものだ。
 あいにく、言語は精神的道具であるため、対立のなかでしか使うことができ
 ない。
 質問者 観照者としてのあなたは働いているのでしょうか、休息しているの
 でしょうか?
 マハラジ
 観照は体験であり、休息は体験からの自由だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

467鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/05/21(月) 22:53:25.75ID:b6hsfUy+
分別の中にだけ始まりとか終わりもあるのじゃ。
それは本来無いものじゃ。
観照すらも消えていくものなのじゃ。

468名無しを整える。2018/05/21(月) 23:20:00.64ID:ghbxKp1E
>>467
鬼和尚、ありがとうであります。
それが永遠無限と言うことでありますね。
それが真理であるような気がするくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

新着レスの表示
レスを投稿する