鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2

1名無しを整える。2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ

54名無しを整える。2018/01/10(水) 18:39:15.27ID:yqRfsOmv
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 マハラジ
 ・・・・・・
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?
 質問者 彼らの指導のもとにその知識の源泉を探るでしょう。
 マハラジ
 あなたにとって、あなたが単なる身体にすぎないのか、あるいは何かそれ以外のものなのかを知ることは、重要ではないだろうか?
 あるいはまったく何ものでもないかもしれないということを?
 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去るのだ。
 質問者 私がこの身体ではないと知ることが何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体ではないと言うことでさえ、まったくの真実とは言えない。
 ある意味では、あなたはあらゆる身体、ハート、マインドのすべて、またそれ以上なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけだ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。
(´・(ェ)・`)つ
つづく

55鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/10(水) 20:52:16.32ID:jQOgeCpq
>>50 無我の法とはいえるじゃろう。
 無我そのものではないのじゃ。
 アートマンがあるともいえないからのう。
 

56名無しを整える。2018/01/10(水) 21:39:29.04ID:yqRfsOmv
>>53
後期の言語録というのは、英語の本でありますか

>>55
鬼和尚、こんばんは。
「アートマン」とは、あれでもない、これでもない、なんでもない、としか定義できないものなのでありますから、結局「無」でありましょう。最初から、「無我」と言っとけばよいようなもんでありますが、
ただ、普通の実感としてある、自我をいきなり無いもの見よ!といっても難しいので、ワンクッション置いて無我に繋げるための概念というように理解しとけばよいでありましょうか?
てか、アートマンに達することと、無我に達することに違いってあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

57名無しを整える。2018/01/11(木) 07:47:59.54ID:JSt4wY/h
>>56
ググってみたであります。
輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する か否かと言うややこしいテーマがあるようでありました。
(´・(ェ)・`)つ

58名無しを整える。2018/01/11(木) 14:29:13.73ID:BSGMsEGB
>>56
英語の本やネットに転がってるのものですね
例えばこんな感じで話していたようです


質問者
アートマンがサット・チットアーナンダ(存在・意識・至福)なら、パラマートマンはなんでっか?

マハラジ
サット・チット・アーナンダはそのうちパラマートマンになるんや。サッチターナンダが「I AMNESS」で、それ自体が至福、愛の状態や。
せやけどそれは、意識が続いとる間だけ体験される状態や。そんで意識は、肉体が使える間だけ存在しとる。時間制約の状態やねん。
お前さんはサット・チット・アーナンダを超えなあかんで。

59名無しを整える。2018/01/11(木) 18:41:32.31ID:JSt4wY/h
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 では、私とはいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだけだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?

(´・(ェ)・`)つ
つづく

60名無しを整える。2018/01/11(木) 18:54:41.01ID:JSt4wY/h
>>59
>あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。
ふむふむ。
アートマンのことでありますね。
>あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
ふむふむ。
これでありますね。
観察の主体と客体が一致することの矛盾に気付けと言うわけでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

61名無しを整える。2018/01/11(木) 18:59:59.81ID:JSt4wY/h
>>58
たしかに、大阪のお好み焼き屋さんとかに居そうな風貌でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

62名無しを整える。2018/01/11(木) 19:33:51.56ID:BSGMsEGB
言葉が指し示すものは覚者によって違うので

マハラジのいう「I AM」=鬼和尚のいう「阿頼耶識」
マハラジのいう「THE ABSOLUTE」=鬼和尚のいう「意識」

という印象を受けました

63鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/11(木) 22:34:42.28ID:wDJhwkyB
>>56 そうじゃ、修業のために作られた概念なのじゃ。
 無我の状態はあるものじゃ。
 アートマンは実在しないものじゃ。
 ただ集中の対象として作られたのじゃ。
 

64名無しを整える。2018/01/12(金) 18:58:49.44ID:BdhjbQJq
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 体験者としての存在の感覚、「私は在る」という感覚もまた体験ではないでしょうか?
 マハラジ
 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」なのだ。
 質問者 どのようにしてそれを得るのでしょう?
 マハラジ
 それを得る必要はない。
 なぜなら、あなたがそれなのだ。
 あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。
 非実在のものへの執着を解き放ちなさい。
 そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。
 自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。
 そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになるだろう。
 それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。
              
【1「私は在る」という感覚】(おわり)
【2 身体への固執】(につづく)
(´・(ェ)・`)つ

65名無しを整える。2018/01/12(金) 19:17:57.10ID:BdhjbQJq
>>64
>記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づき。
↑これが、
>実在
でありますね。
> 非実在のものへの執着を解き放
てば、くまが、
>すべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになる
のでありますね。

ふむふむ。
難しいことを、簡単そうに説明する天才でありますね。

個の中にある 同一性の錯覚は、連続性があるからであると言うことと、
個と思っているものが実は、すべてのハートであり、源泉であるということを、一気に語ってるのでありますね。

(´・(ェ)・`)つ

66名無しを整える。2018/01/12(金) 19:24:36.89ID:BdhjbQJq
>>63
概念を否定する概念。
典型的なパラドクスでありますね。
空同様、実体のないものでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

67名無しを整える。2018/01/12(金) 20:57:58.43ID:BdhjbQJq
>>62
ふむふむ。
鬼和尚のいう「阿頼耶識」とは、記憶に依存した認識のことでありましょうし、
マハラジのいう「I AM」」も、わたしはあると言う認識でありまして、
最終的にはともに、滅すべき対象のようでありますね。
Wikipediaによりますと、阿頼耶識とは個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識とも解説されるようであります。この点でも、「I AM」も特定されるものではない純粋な「私はある」みたいな意味らしいでありますから、=で結ばれそうでありますね。

「THE ABSOLUTE」、っていうのは、鬼和尚のいうただひとつの「意識」ってやつでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ

68鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/12(金) 21:39:22.68ID:+if7kN0P
↑そうかもしれん。
おぬしがそれなのじゃ。
得ることも失うこともなくただそれなのじゃ。

69名無しを整える。2018/01/12(金) 22:58:35.76ID:BdhjbQJq
>>68
それとは、くまが、
>すべてのハートであり、源泉である
というこでありましょうか。
「得ることもなければ、失うこともない。」は、般若心経の中の言葉かと思ったら、
仏教聖典の中にそのままあったであります。
鬼和尚、ありがとうであります。
精進せねばであります。
(´・(ェ)・`)つ

70名無しを整える。2018/01/12(金) 23:16:14.96ID:W6Cz4ee7
>>67
マハラジによると

私でありあなたである「THE ABSOLUTE」から
頼みもしないのにただ見るものである「I AMNESS」が現れ
その後に心身との自己同一化が起こり苦しみが生じる

故に「I AMNESS」が苦しみの元凶の幻なのでそれを滅しなければいけない

マントラや瞑想などの行で心を静めつつ
教えを聞き理解してあらゆる観念への執着を離れ
「I AMNESS」にとどまることがはじめの一歩

そこに長く落ち着くことができれば時期が来れば気づきが起こり
「I AMNESS」は超えられる

というようです

71名無しを整える。2018/01/13(土) 00:37:18.02ID:n4m7M0QB
>>70
ふむふむ。
「I AMNESS」は、「自我」
「I AM」は、「アラヤシキ」
「THE ABSOLUTE」は「意識」
で、ありますね。
(´・(ェ)・`)つ

72名無しを整える。2018/01/13(土) 01:49:49.01ID:AjakqKJE
>>71
「I AM」と「I AMNESS」は
同じものを指しているようです

それが生じた後に
「I AM ○○」となると
「○○」に同一化した自我が生じる
という解説のようです

73名無しを整える。2018/01/13(土) 09:49:49.90ID:n4m7M0QB
>>72
そうだったなのでありますか。
文脈の中で、その言葉がどういう意味で使われてるか、おさえておかないと、わけわからなくなってしまうでありますよね。

アートマンについては、鬼和尚の>>63のように、
>修業のために作られた概念
 アートマンは実在しないもの
 ただ集中の対象として作られた

と説明されると、とてもわかりやすいであります。
(´・(ェ)・`)つ

74名無しを整える。2018/01/13(土) 10:09:47.40ID:n4m7M0QB
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】
                   
 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?
 マハラジ
 根本的違いなど何もない。
 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに来ましたが、あなたは私のもとには来ません。
 マハラジ
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、私はしません。
 マハラジ
 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。
 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)は偉大です。
 マハラジ
 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだけで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。
 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?
 マハラジ
 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなったのだ。

(´・(ェ)・`)つ
つづく

75名無しを整える。2018/01/13(土) 10:33:03.26ID:n4m7M0QB
>>74
覚者と普通の人の違いは、
人生における 出来事の連続に対して、
固執せず、過ぎ去るショーをショーとして見ているだけなのが、覚者で、
固執し、それとともに動き回るのが、普通の人。
執着からの自由でありますね。

>私は私自身以外の何ものでもない
←これが私はあるの私でありましょう。
>私ではないもの、私のものではないものに注意を払わなくなった
←自分とは、あれでもない、これでもないと、私でないもの(=観念)を、捨て去って行く、修行の方向性を決めるものとして、アートマンが語られてるのでありましょうか。
だとすればまさに、>修業のために作られた概念 といえるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

76名無しを整える。2018/01/13(土) 11:45:24.22ID:AjakqKJE
>>73
アートマンという言葉も
色々な使い方をされているようです
これはマラーティー語から英語に訳された際に生じる問題かもしれませんが

アートマンというのも言葉なので指し示すものとは乖離していますが
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
その点で鬼和尚の使い方とは異なるという印象を受けました

77名無しを整える。2018/01/13(土) 12:52:07.02ID:n4m7M0QB
>>76
>アートマン・・・
マハラジは具体的に感じられるものを指して使っているようです
←鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。
別スレで、心臓の辺りにそれ(アートマン)があるとして集中する方法を説明されていたであります。

ところで、マハラジもアートマンを実体と考えてるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

78名無しを整える。2018/01/13(土) 13:07:14.05ID:n4m7M0QB
>>77
不思議不思議。こんな文字化けはじめて見たであります。

>鬼和緒ョの説明では、緒C業のために作b轤黷ス概念であb閨A実体のないb烽フとされておb閧ワすが、集中bフ対象と言う点bナは、具体的でbりますよね。

鬼和尚の説明では、修業のために作られた概念であり、実在しないものと説明されておりますが、集中の対象と言う点では、具体的でありますよね。

79名無しを整える。2018/01/13(土) 15:58:28.90ID:AjakqKJE
>>77
マハラジ
わいはいつ死亡宣告受ける?アートマンが肉体を離れたときや。
せやけどわいはアートマンやあらへんさかい、そこのどこにわいの死があるんや?
わいは癌に影響されとらん。何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。
すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん。


もうちょっとまとまっているものを探してみますね
THE ABSOLUTE以外は現れては消えていくものでしかないので
実体がないのは確かなようです

80名無しを整える。2018/01/13(土) 17:19:41.88ID:AjakqKJE
マハラジ
コンシャスネスの階層は3段あんねん。

ジーヴァートマンいうんは、自分を心身と自己同一化しとるやつのことや。
わいは世界から分離した1この体や、人格や、個人や…て思とるやつやな。
そいつは心身と同一化しとるさかい、自分を1この分離した人格として、世界から締め出して孤立させんねん。

次はただのビーイングネス、あるいはコンシャスネス、つまり世界や。
「I AM」はわいの世界全体を表しとる。
ただのビーイングと世界。ビーイングネスと一緒に世界も感じられんねん。
それがアートマンや。

このビーイングネスを認識しとるアルティメット・プリンシプルに名前つけんのは不可能や。
どんな言葉でも近づけられんし当てはめられへん。
それがアルティメット・ステートや。

その階層をふつーの言葉で説明すんで。せやな…
わいに孫(ジーヴァートマン)がおる。わいには息子がおって、わいはじーちゃんや。
じーちゃんが息子と孫の源や。

81鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/13(土) 20:49:51.07ID:hAsK//oI
>>69 そうじゃ全てなのじゃ。
 それでなかったことなど一瞬もないのじゃ。
 それを思い出すのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 

82名無しを整える。2018/01/13(土) 22:31:42.76ID:n4m7M0QB
>>81
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ。

83名無しを整える。2018/01/14(日) 09:36:51.90ID:8WbkCRkX
>>79
くまは、ハートとか、マインドって段階で、引っ掛かってしまうので、なかなかこれは手強いであります。
けど、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

84名無しを整える。2018/01/14(日) 10:15:53.67ID:8WbkCRkX
>>79
>わいはアートマンやあらへん
→私は真我ではない。
>わいは・・・・・何が起きても、どんな体験でも、ぜんぶアートマンに委ねとるからや。 →私は全てを真我に委ねている
>すべての行為とその結果は、パラブラフマン・THE ABSOLUTEによって、アートマンに委ねられんねん
→(パラブラフマン・THE ABSOLUTEを取敢ずブラフマンに置き換えると、)
すべての行為とその結果は、梵(宇宙の 根本原理)にゆだねられる。

ふむふむ。
I AM が真我に委ねていて、そのI AMは否定され、アートマンも、否定によってしか説明できないのでありますね。

>>80は、もうちょぴっと理解が進んでから読み返してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

85名無しを整える。2018/01/14(日) 10:37:00.84ID:8WbkCRkX
>>74
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
 信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?
 マハラジ
 誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?
 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。
 マハラジ
 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思えない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。

(´・(ェ)・`)つ

86名無しを整える。2018/01/14(日) 13:38:18.95ID:bKpT4EiI
>>84
おそらく
マハラジがいう私=パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットetc
マハラジがいう私≠I AM・意識・アートマン・ブラフマン・存在・世界etc
であるようです

87名無しを整える。2018/01/14(日) 15:14:24.66ID:8WbkCRkX
>>86
パラマートマン・パラブラフマン・THE ABSOLUTE・アルティメットと言うのは、
ブラフマン=梵(宇宙の 根本原理)を包摂する概念でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

88名無しを整える。2018/01/14(日) 16:22:18.17ID:bKpT4EiI
>>87
ブラフマンの段階でもう既に概念は放棄されているようです

マハラジの用語の使い方が
伝統的なヴェーダンタと違うと指摘した方がいるようです
http://www.whatneverchanges.com/styled-4/20130824.html

Parabrahman, Maharaj Principle, Absolute, Ultimate (Nisargadatta) = Consciousness, Awareness, Self, Atman, Brahman, Parabrahman (traditional Vedanta)

IAm-ness, Beingness, Consciousness, Brahman (Nisargadatta) = Reflected Consciousness, Reflected Awareness, Subtle Body (traditional Vedanta)

私はヴェーダンタなどの教義に詳しくないのでよくわかりませんが
マハラジは独特な用語の使い方をしていたのかもしれません

89名無しを整える。2018/01/14(日) 16:56:43.36ID:bKpT4EiI
ジーヴァートマン=個我の観念
アートマン=無我の状態
パラマートマン=無認識の状態

単純にこのような印象を受けました

90名無しを整える。2018/01/14(日) 18:12:36.38ID:8WbkCRkX
>>89
ありがとうであります。
籾殻脳を絞り、がんばって、理解を少しづつ深めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

91名無しを整える。2018/01/14(日) 18:38:18.17ID:bKpT4EiI
>>90
紹介しておいて何ですが
マハラジの教えは単純で実践がすべてなので
あまり用語は気にしないほうがいいかもしれません

お互い精進しましょう
ではまた!

92名無しを整える。2018/01/14(日) 21:07:11.65ID:8WbkCRkX
>>91
o(´-(ェ)-`)o
うむ。実践が全てであります!
精進であります!

93名無しを整える。2018/01/15(月) 18:33:36.27ID:9sOPB516
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】

 質問者 私が見るかぎりでは、私の身体にも実在にも、何も問題
 はありません。どちらも私がつくりあげたものではなく、
 改善する必要もありません。何がおかしくなってしまっ
 たかと言えば、「内なる身体」です。マインド、意識、
 アンタカラナ、名前は何であれ。
 マハラジ
 あなたのマインドのどこがおかしくなったというのだろう?
 質問者 落ち着きがなく、快楽に貪欲(どんよく)で、不快を恐
 れていることです。
 マハラジ
 快楽を求め、不快を避けようとすることのどこが間違っているの
 だろうか?
 苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れていく。
 生の流れとともに流れていくことを拒んだとき、それは問題とな
 るのだ。
 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 起こることがあなたなのではなく、あなたにものごとが起こるの
 だ。
 結局、あなたは観察者でさえもない。
 あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり、その表現、
 その顕現なのだ。
 質問者 それでも、身体と自己との間には思考と感情の雲が横た
 わり、それが妨げとなっています。これら思考と感情は
 浅はかな、はかなく無意味なもので、私を盲目にし、息
 を詰まらせるただの思考のほこりにすぎません。それで
 もそれらはそこにあり、光を奪い破壊するのです。
 マハラジ
 確かに出来事の記憶が出来事そのものとして通用することはない。
 出来事の予測もまた同じだ。
 現在の出来事には何か独特な、以前起こったこと、あるいはこれ
 から起こるであろうことにはない例外的な何かがある。
 生き生きとして、実在であり、輝くように際立っている。
 そこには過去も未来ももっていない実際の「真実のしるし」があ
 るのだ。
(つづく!)
(´・(ェ)・`)つ

94名無しを整える。2018/01/15(月) 18:46:13.95ID:9sOPB516
>>85
> 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
.ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 ↑
読むだけだと、「受容」という言葉に引っ掛かってしまうのでありますが、観察の実践による気付きが、負の思いを溶解させるのであります。
くまにとりましては、瞑想の実践により、荒れ狂う心を鎮めることができたことが、瞑想の最大の恩恵でありました。
(´・(ェ)・`)つ

95鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/15(月) 21:31:29.56ID:3akohFsv
そうじゃ、欲心も煩悩も滅しようとする必要は無いのじゃ。
ただありのままに観察すれば全ては滅していくだけなのじゃ。
そして観察すらも必要が無い境地にまで到達するのじゃ。
 

96名無しを整える。2018/01/15(月) 21:52:18.74ID:9sOPB516
>>95
鬼和尚ありがとうであります。
受容=受け入れると言うのは、
何か苦の原因となる事実に対して、反応としての怒りとか、不安とか、悲しみとかの感情を、否定するでも抑圧するでもなく、
ただ、それと一体になって巻き込まれるのではなく、悲しんでいる、怒っていると、気付いて、その原因事実と、反応としての感情を丸ごと受け入れて、それにこだわらず、流してしまう。
それが、受容=受け入れると言うことの意味でありますよね。
で、巻き込まれないで、受容し流してしまうことを可能にするために、観察による気づきが必要なのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

97名無しを整える。2018/01/16(火) 18:44:27.71ID:MZ4BEwTk
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 「真実のしるし」を現在に与えているものは何なのでし
 ょう?
 マハラジ
 現在のなかに、過去や未来から区別するような、特別な何かがあ
 るわけではない。
 ほんの一瞬前、過去は未来であったし、未来もまたそうなる。
 何が現在をそれほど特別にするのだろう?
 明らかに、それは私の存在だ。
 つねに今ここに在るからこそ私は現実なのだ。
 そして私とともに在るものに私の実在は分かちあわれる。
 過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。
 今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別
 なものがあるわけではない。
 それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のよ
 うなものかもしれない。
 連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているに
 もかかわらず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に
 予期されるものとはまったく異なっているのだ。
 今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、
 私とともに在る。
 私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
 質問者 しかし私たちは思い起こされたことがらも、現実のよう
 に扱います。
 マハラジ
 それが現在のなかに入りこんだときだけ、私たちは思い出につい
 て考える。
 今にもちこまれないと忘れ去られたことを思い出すことはない。
 質問者 そのとおりです。現在のなかには一過性の事実に一瞬の
 真実を与える、何か未知なる要因があることがわかりま
 す。
 マハラジ
 未知と言うまでもない。
 なぜなら、あなたはそれがつねに作用しているのを見ているから
 だ。
 生まれて以来、かつてそれが変わっただろうか?
 ものごとや思考はつねに変わりつづけてきた。
 だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
 て変わらなかったのだ。
(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

98鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/16(火) 22:08:17.33ID:Cxg2VOHa
>>96 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

99名無しを整える。2018/01/17(水) 18:37:10.05ID:1C08Blcz
>>97
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 深い眠りのなかには、今現在の現実感はありませんでし
 た。
 マハラジ
 深い眠りにおける空白は、完全な記憶の欠如によるものだ。
 だが、幸福という総括的な記憶がそこにはある。
 「深い眠りのなかにいた」と言うのと「存在していなかった」と
 言うのとでは感覚の違いがある。
 質問者 はじめの質問に戻りますが、生の源とその表現(つまり
 身体)との間には、絶え間なく変化しつづけるマインド
 の状態があります。この精神状態の流れは際限なく、無
 意味で苦痛に満ちています。苦痛がその変わることのな
 い要因です。私たちが快楽と呼ぶものは、二つの苦痛に
 満ちた状態の狭間(はざま)にすぎません。欲望と恐れ
 は生の横糸と縦糸で、ともに苦痛でできているのです。
 いったい、幸福なマインドというものがありうるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
 質問者 私たちが快楽を求めたり苦痛を予期したりするときは、
 確かにそのとおりです。しかし予期せぬ、思いもよらな
 かった喜びの瞬間も存在します。不相応な、求めてもい
 なかった、神からの贈り物――欲望に汚されていない純
 粋な喜びがあります。
 マハラジ
 それでも、喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

(つづく)
(´・(ェ)・`)つ

100名無しを整える。2018/01/17(水) 18:43:51.23ID:1C08Blcz
>>99
> 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
>喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

うっ・・・・
マインドなるものが、幻想であれば、喜びも苦も幻想でありましょう。

けど、このあとで、違う切り口からフォローしてくれてるであります。
(´・(ェ)・`)つ

101名無しを整える。2018/01/17(水) 18:46:36.34ID:1C08Blcz
>>100
仏教だと「一切皆苦」からスタートでありますから、それに比べればマイルドでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

102名無しを整える。2018/01/17(水) 18:59:12.35ID:1C08Blcz
一回分抜けてたであります。
>>85
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
.とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ること
になる。
 拒否と否定を通してあなたは真我
.へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
.さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
.「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
.「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
.だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
.となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
.れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
.値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
.てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
.らば、私たちはそれを見いだすだろう。

【2 身体への固執】(おわり)
(´・(ェ)・`)つ

103名無しを整える。2018/01/17(水) 19:07:26.82ID:1C08Blcz
>>102
観察は、の重要でありますね!
>不注意によって築いてきた牢獄
と言うのが、
さっきの、
喜びのは背景にある苦痛であったりするのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

104鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/01/17(水) 21:25:56.68ID:0uFYqMIs
人が快楽に執着するのも苦痛を一時的に忘れさせてくれるからに過ぎないのじゃ。
それは一時的に苦を忘れさせてくれるだけで苦はなくなっていないのじゃ。
日常に戻ればまた苦はあり続けるのじゃ。
 

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