私が脱会したあと、上祐氏のグループが脱会して「ひかりの輪」という団体を立ち上げて完全に教団は分裂した。
多くの出家者(サマナ)や信徒が上祐氏についていくのでは? と思っていたが、私の予想に反して「ひかりの輪」に行った人はそれほど多くなかった。

そして、しばらくするとその人たちも次々とやめていった。なかでも上祐氏の側近の一人だった元М師がやめたときは意外だった。

元М師と会って話してみると、やめたのは上祐氏についていけなくなったからだという。
古巣の批判はしたくないようすで、感情を抑えて事実を少し話してくれた。

「絶対に、やめさせてくれへんねん…」
「そうなの?」
「ほんまに出るの大変やったよ。やめたいと言う人には長時間の拘束…部屋から出さないでずっと説得するねん。
懐柔が効果ないと、今度は罵声を浴びせて言葉の暴力。ティッシュの箱投げたり、床をドンドン踏み鳴らしたり、壁をバンバン叩いたり。
私は顔を殴られて…」
「顔、殴ったの、上祐さんが?」
「七、八発やったと思う…ほら、映画とかにあるやん、あんなふうに口の中が切れて血が出たわ。パワハラやで…」
「なにそれ…女性を殴るなんて、最低…」

そして、教団に残っていた正悟師のうち、アッサージ正悟師一人を残して全員が脱会していった。
きっかけは麻原教祖の四女の働きかけだったという。
そのとき脱会した元サマナの話では、
「聡香ちゃん(四女)が尊師の意識と合一したって言うの。本当に、話し方も尊師が乗りうつってるみたいだったんだよ…」
そして、四女の指示で教団を出ることになったという。

「指示って、じゃあ、出たあとは聡香ちゃんが面倒みてくれるの?」
「それが…今どこにいるのかも知らないし、もう連絡もつかないのよ…」
「なにそれ…」

〜 ブログ「オウムとクンダリニー」 2018年03月23日 〜