>>589
かなり近いけど、その普遍的価値というのは俺という個人が人類史を振り返って見出したものであって、
それが唯一の正解とは思ってないし、その方向にのみ人類は進むべきとも思ってない。

啓蒙できることがあるとすればそれは「この社会で起きている事実」のみであって、
個人に帰責させれるのはその人の選択が直接間接的に生み出している問題に限られる、という考え。

で、無論俺が見据えている「善い」と思う方向に人類史が進むことを俺は望んでいるけれども、
現実的にやろうと思うのはそういうことじゃなくて、単に相手の自己矛盾を指摘して生き方の改善を促すことかな。
例えば動物の虐待に反対している人が工場畜産の惨劇を知らずに家畜を食ってるなんてのはよくある事で、
そういう人に事実を教え、その上で再考及び選択をさせるって機会を作る、
それが個人の成長に繋がり、ひいては人類社会に関わってくる営みである、とは思う。

俺は田舎育ちじゃない、虫は苦手、種類によってはほぼ無心で殺せる、
サイズが大きくなる程、分類学的にホモ・サピエンスに近づくほど、
殺すことの抵抗が増していく傾向にある。

中共の少数民族迫害は国際社会的に許してはならない問題と思うけれど、
仔細について調べれば調べるほど心が拒絶反応を強めてしまって、
正直全然手がつかない。その意味ではより実態を理解している家畜の方にシンパシーを感じているとも言えるけど、
そもそも動物より人を大事に思っているから人への蛮行について知る事を躊躇っているとも言える。

どちらとも言えるから難しいが、少なくとも人類と人類以外の全ての動物を比較するなら、
俺は動物の方を大事に思ってるかな。現代人の主流のライフスタイルをあまりよく思ってないから。