>>207

> 私は供養と呼ばれるような行為はしていません、賛否両論あるでしょうが

宗教儀式ですので基本的には個人の自由だとは思いますが、直接的に殺生に関わっている協会、会社、センターのような団体では、
慰霊碑、塚を建てる、式典をするということは当然の様に行われているようですね


> 私の主観ですが、成仏の概念だとか供養塚を建てるだのとかいう行為すら人間が人間のために行っている行為です。
> 自分で殺生したことについてどこかで負い目を感じ、それを払拭するため(免れるため)に供養と言い出し、自分達の子孫反映のみを願うのです。

悪い言い方かもしれませんが「綺麗事」というニュアンスになると?
確かにそうなのかも知れませが、日本人の場合にはあくまでも生きる上で犠牲になる生命「へ」向けての行為としての「儀式」や「いただきます思想」として習慣化している様に思います

また質問で申し訳ございませんが、
あなたは自分の手で直接殺生していることには「何も感じない」のでしょうか?
また「何もする必要はない(いただきます、命の教育の様なもの)」とお考えでしょうか?