ベジ批判者 「植物だって生きてる」 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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お、行けた^^
概念クン、キミがダラダラ言い訳してるのに私が付き合っても、何のメリットもアリマセン。
>>26や、>>27に前スレから転載したレスを読めば、キミが「規範倫理の一元化」に逆らえない事、
それ故「動物が痛みを感じてるとは言えない」と、状況証拠に縋ってムリな言い訳を続けなければならないのは明白なので、
もうとっくに連ツイの内容に関してハナシをする段階に入ってると思うよ?
それとも、連ツイ読んだら反論出来ないって気付いちゃったのかな・・・?w >>27
> 私が何度も何度も、種差別撤廃や、vegan=倫理菜食に関しては「形而下の、規範倫理でなければ、形而上・メタ倫理に逃げ込んだところで意味が無い」と言ってるのは、
規範倫理が普遍的たり得ないと言っています
> 彼等vegan等が基本的に功利主義で説明可能な論拠に則っているから、です。
功利主義が普遍的な倫理となり得るといえません
> 「 苦 痛 を 感 じ る 者 に は 、 そ れ を 感 じ さ せ な い 方 が 、 よ り 善 い 」 というのは、
これも普遍的な倫理となりません
> それを否定すれば、自身もまた、自身より暴力武力或いは知力等に優れる者によって暴力を与えられる事を「それは善くない」と否定出来なくなる事から、自明の事となります。
異なる枠組み同士の間で同一の事象に対する異なる倫理的評価が矛盾なく両立可能です
> それが彼以外のヒトであっても、動物相手であっても、 基 本 的 に は 同じ原理原則となります。
なりません
> ハイ、これが「枠組みによって変わらない」⇒「普遍的正邪の判断基準」=規範倫理ですね。
枠組みを超越できていない、単にある特定の枠組み内で通用する規範倫理であるに過ぎないことを否定できていません
> 物 的 証 拠 を必死に「無かった事」にして、「言語による苦痛概念の表現有無」という、「虚偽証言」の可能性が排除出来ない 状 況 証 拠 の み に頼った
> 「動物には苦痛概念があるは言えない」という朧げな論拠に縋り付かざるを得ない、というワケです。
既に>>25に書いた通り
1・「苦痛」の意味が枠組みによって異なる以上、「痛覚刺激の伝達があっても苦痛概念が存在しなければ苦痛があるといえない」という枠組みは存在可能
2・刺激の神経伝達の物的証拠は苦痛概念の物的証拠とイコールではない
3・この枠組みにとって「苦痛」の物的証拠といえるのは「苦痛概念の存在についての物的証拠」という意味になる
4・従って、この枠組みでは刺激の神経伝達の物的証拠はこの枠組みにおける「苦痛」の物的証拠にはなり得ない、
と言っています
> そしてそれが非常に朧な論拠である事をも辛うじて分ってる彼は、それによる自身の立場を守る為に、形而上概念・メタ倫理を逃げ道として援用しなければなりません・・・
ある規範倫理が普遍かどうかを調べるためにはメタ倫理に言及せざるを得ませんし、それを棚上げしてある規範倫理を普遍だと主張するのであれば、それは単なる低次の(メタ以前の次元での)ドグマティズムに過ぎず、単なる個人的な信仰や信念の類いでしかありません
> しかしながら、 < A > の 状 況 には、逃げられない家畜の苦痛と同様、それを感じる主体(この場合、もちろん「概念」クン♪)にとってそこで受ける苦痛と、
> その苦痛を受ける事への倫理的判断は、 誰 に と っ て も 、 形 而 下 且つ、 規 範 倫 理 の 対 象 としかナリマセン♪
< A >が何を指すのか知りませんが、
ある主体が受ける苦痛とそれを受けることへの倫理的判断が規範倫理の対象となるとしても、
その規範倫理が枠組みを超えた普遍的な形で記述可能なものであることにはなりません
つまり枠組みを超えた普遍的なな規範倫理が成立するとはいえません >>29
逃げるのは御勝手に
>>30
> 無駄にしかならないから、以後はその様なダラダラ言い逃れは無視するね?
逃げるのはどうぞご自由に
> キミ自身に、そのダラダラ文言が言い逃れでしかない、という自覚が有るのも判ってるんで、
そう決め付ける根拠は?
そのように決め付ける根拠すら提示できないなら、あなたの言っていることは議論上であまり意味がない発言です
いずれにせよ今のところ>>25、>>28に反論がないというのが明白な事実ですね
> それだ可能というのならば、やってご覧な?」と訊いています。
これについて、既に>>28で
この場合の「可能である」というのは、そのような枠組みが人類史上存在し得るという意味になりますが、存在の可能性を必ず阻害する要素が普遍に存在するというならその存在の立証はあなたのお仕事です
と、可能性の存在を必ず阻害する要素が普遍に存在することをあなたが立証できなければ、可能性は存在すると考えるべきだ、
という風に反論していますね
あなたからの再反論は無いようです^^
> 勿論、キミが苦しい言い訳として 状 況 証 拠 で し か な い ⇒「苦痛概念の記号表現が無ければ、苦痛を感じてるとは言えない」を、
> 生体システムの同一性という 物 的 証 拠 よりも重い証拠となる、と言い張ってるだけなのは誰の目にも明らかなので、そんな言い訳はそれが出来ないと認めたのと同じだよねw
これについては>>25で
[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]
と言っています
1・「苦痛」の意味が枠組みによって異なる以上、「痛覚刺激の伝達があっても苦痛概念が存在しなければ苦痛があるといえない」という枠組みは存在可能
2・刺激の神経伝達の物的証拠は苦痛概念の物的証拠とイコールではない
3・この枠組みにとって「苦痛」の物的証拠といえるのは「苦痛概念の存在についての物的証拠」という意味になる
4・従って、この枠組みでは刺激の神経伝達の物的証拠はこの枠組みにおける「苦痛」の物的証拠にはなり得ない、
と既に反論済み
こちらにもあなたからの再反論は無いようです^^
> キミは、キミよりも暴力に優れた者に暴力を振るわれても、それを「悪い事ではない」と言えるのかどうか?を答えてご覧な?
> 少し考えれば、少なくとも「苦痛」に関する規範倫理は一元化されざるを得ない、という事が判るからw
こちらは>>28で
他所の枠組みでたまさか俺に苦痛を与えることが許容されることと、俺の枠組みがそれを許容しないことは矛盾なく両立可能ですが?
と、善悪は枠組みによるものであり、異なる枠組み同士の間で同一の事象に対する異なる倫理的評価が矛盾なく両立可能である、すなわち必ずしも一元化される理由がない、と反論しています
これにもあなたからの再反論は無いようです^^ >>30
> それから、連ツイの論拠がキミみたいな度のキツイ馬鹿に覆される事は有り得ないので、この議題から一時でも逃れたいのならば
これについても既に
ひょっとして君こそが君の自我の拠り所であるツイッターの内容をボコボコに論破されてレゾンデートルを失うのを怖れて先の議論から逃げてるんじゃないのかな?
俺は先の議論が決着したら次の議論に応じるといってるんだし、
こちらの要求は[前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してくれ ]というだけの
本当にただ抜き出して貼り付けるだけの単純作業で終わることなんだから、
君の主張が藁人形じゃなければ容易く実行できるはずの要求なんだよね
なんでそんな単純で容易い作業を拒否するのか、逆に言えばそれはa「君の主張が俺に対する藁人形論証だから」
あるいは藁人形でもないのに単純で容易いはずの作業を拒否するならそれは、b「その後に控える次の議論に移りたくないから」
このa・bいずれかということになると思うんだが、さて、どっちかな?
と質問していますが、回答も反論も無いようです^^
逃れたいのはあなたなんじゃないの?
>誰得一人否定可能な形で説明してあるから♪
この文言の意味が分かりませんが、反論は既に用意してあります
先の議論が決着した後であればあっさり否定できる準備がある、ということです >>31
> >>26や、>>27に前スレから転載したレスを読めば、キミが「規範倫理の一元化」に逆らえない事、
> それ故「動物が痛みを感じてるとは言えない」と、状況証拠に縋ってムリな言い訳を続けなければならないのは明白なので、
>>25に既に書いている通り
こちらは
1・「苦痛を感じている」というときの「苦痛」という語の意味をどのように定義するかというとき、単なる物理上の「痛覚と名付けた刺激の伝達現象」をもって苦痛とするか、「苦痛という概念の存在」をもって苦痛とするかによって、その意味は異なる
2・いずれをもって苦痛とするかは枠組みによって定まるし、さらに他の定義もあり得るのだから、「苦痛を感じている」という文の意味は枠組みによって定まるものであり、枠組みを超えて普遍的な意味を持つものではない
3・従って、いま[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]
と言っており、
俺自身の主張は
4・[種差別の線引き条件は枠組みに依存し、「苦痛の有無」は枠組みを超えた普遍的な線引き条件となるものではない]
です
つまりあなたの言っていることは藁人形であると思いますが、
そうでないなら前スレで再三要求し、このスレでも既に>>25などで要求したように
俺が前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してください
こちらの要求は[前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してくれ ]というだけの
本当にただ抜き出して貼り付けるだけの単純作業で終わることなんだから、
君の主張が藁人形じゃなければ容易く実行できるはずの要求なんだよね
なんでそんな単純で容易い作業を拒否するのか、逆に言えばそれはa「君の主張が俺に対する藁人形論証だから」
あるいは藁人形でもないのに単純で容易いはずの作業を拒否するならそれは、b「その後に控える次の議論に移りたくないから」
このa・bいずれかということになると思うんだが、さて、どっちかな? >>31
もうやめた方がいい
客観的に見たら論理ではお前の方が負けてる
これ以上続けても恥ずかしいだけだぞ
言いたいことはわからないでもないがな >>36
春日部幸一は当分止めないだろうな
その内自演して自己擁護しはじめるよ
捕鯨スレが過疎、税金泥棒というコテにも相手にされなくなったから難癖つける相手を探している
論破されるとあとアーアーキコエナイと始めてコピペ貼るだけ
トリパンでググればどんな人物かわかるだろう >>37
彼が鯨業者ってのは本当?
俺は自分で鯨ベーコン作るくらい鯨肉大好きなのに本当に残念 >>38
推測だよ
長崎の佐世保CATVを使っているのは確定
よくコピペ貼りすぎて規制
春日部幸一は、ハンドルネームで本名は別
前は別の名前を名のっていた
長崎の日野商店(調査捕鯨副産物)鯨専門店の受け売り口上をコピペ
ベトナム戦争の枯葉剤から国際非難を交わすため捕鯨問題をアメリカがでっち上げたとの主張
佐世保は、調査捕鯨の副産物販売では下関に次いで全国2位
佐世保は特殊で近海捕鯨は行わず南極海捕鯨で栄えた街
調査捕鯨は、日本鯨類研究所が行い、遠洋の北西太平洋、南氷洋の主にイワシクジラ、ミンククジラ、クロミンククジラの副産物を販売
関連会社の共同船舶が独占販売している
そこで昔からの商慣例で消費産地の業者には優先的相対販売が行われる
商業捕鯨きんしだからこそ既得権益で独占優先的利益を得ている
ワールドワイドの大手水産は抗議恐れ撤退済み
鯨研批判に対して異常反応
韓国の密猟鯨祭に参加する鯨研
鯨研の赤字問題
赤身が最低入札価格があるので売れてなく廃棄などを書き込みすると火病
アイスランド産ナガスクジラに対して敵視するネカティブ書き込み
アイスランド産鯨肉は、共同船舶のペーパーカンパニーが独占輸入しかし一般市場での販売なので旨みがない
シーシェパードに対しても南氷洋妨害には異常反応だが太地町のイルカには反応薄い
共同船舶管轄外の近海捕鯨には反対している
調査捕鯨中止と共に活動停止して、調査捕鯨再開とともに動き始める
オキアミと深海イカは南極海のクジラのエサ >>39
なるほど
俺は前スレにも書いたけどアイスランドの商業捕鯨か近海捕獲の鯨を食べることが多いから敵なのかなwww
最近はこないだ北海道のミンクの畝須でベーコン作ったのと
何ヵ月か前に塊で買ってサク取りして冷凍してある鹿の子の刺身を食ってる
去年食ったアイスランドのナガスの尾肉は劇的な美味さだったwww >>40
アイスランド産には品質が悪い調査捕鯨は最新冷凍と反応するけど、近海捕鯨に関してはできない近海捕鯨だけでは日本の需要が賄えない、南氷洋には鯨が余っていると反応
五島列島で魚網荒らすイルカやゴンドウクジラでも食ってろ書いたら火病
2ch規制履歴しらべたら15年くらい前にクジラの消費が減って牛肉の消費が伸びているデータをマルチコピペして規制されている
ベジタリアンスレに来る理由は工場畜産の畜肉反対にベジタリアンから共感を得体ためと反捕鯨の反論のため >>32
形而下での、少なくとも苦痛に関する件に関しては功利主義の仕組みによって「そうせざるを得ない」規範倫理が普遍的たり得る、という説明は>>26-27で済んでるよね?
残りは全て相変わらず「ゴチャゴチャ書けば誤魔化せるだろう」という理念に則ったダラダラ言い訳での食い下がりなので、
一つだけ明確な説明をしてあげようか?
>>27に書いてる < A > の状況が、衆人環境の中で行われた場合(これを以降 A' とする)、を考えればすぐに判るよ。
キミより暴力に優れた相手が、キミに苦痛を与えようとした、或いは既に与えてる場合、キミが<自身の枠組みの倫理>によってそれを否定するだけでは、
相手の方が暴力に優れているので、やはりキミと同様に<自身の枠組みの倫理に従ってる>その相手から、キミは一方的に嬲られるだけ、ですよね。
それを見てる衆人もまた、其々の<自身の枠組みの倫理>に従ってるので、暴行者自身の枠組みに則ったその行動を止める論理が無く、キミは誰からも救われる事はアリマセン。
さて、ここで「警察が居るから、刑法というルールが有るから、そいつ等の暴力は規制される」という逃げ道にキミが縋るのも至極当然ですが、
警察も、その取り締まり行動基準と成る刑法もまた、「苦痛(物理的な傷害に限らず、不利益・不快までをも含む)を感じる者には、苦痛を感じさせない方が、 よ り 善 い 」⇒
「苦痛を感じる者に、無意味に苦痛を感じさせる事は、 悪 い 事 で あ る 」という、功利主義の仕組みに基づいて決まってる、という事実から、
暴力に優れていないキミが、少なくとも衆人環境で暴力的な扱いを受け難くなってる、という事ですので「少なくとも、苦痛に関する規範倫理は一元化されている」と証明されているワケです。
キミ程のボンヤリしたアタマの持ち主であってすら、この事実↑をおぼろげながら認識してるが故に、キミは「倫理は其々の枠組みで決まる」と言いつつ、私とは違って動物とヒトの扱いを変えるべき普遍論拠を持たないキミは
それ故、同時に「動物は痛みを感じてるとは言えない」と、 虚 偽 証 言 の 可 能 性 を 排 除 出 来 な い 苦痛概念の記号表現という、状況証拠に頼らざるを得ない、という有り様なんだなw
ココで キ ミ が 、「生体システム等の同一性等の 物 的 証 拠 よりも、苦痛概念の記号表現によって示される 状 況 証 拠 を以って、ヒトには有る苦痛が動物には有ると言えない」
という 具 体 的 な 根 拠 説 明 が 出 来 る のであれば、キミのムリな食い下がりにも一筋の光明が見えるやも知れませんが、相変わらず「それが 苦 痛 を 感 じ て る か ど う か に関する証拠」である、
という論拠を出せないまま、唯「誰々が言ってるから〜、膨大な検証が有るから〜」という、キミの都合に沿った証拠証明が実在する、という事すら未だ一度も示されないまま、だからねぇ・・・w
キミは単に、記号論という一つの 「 虚 偽 証 言 で な い か ど う か 確 め ら れ な い 状 況 証 拠 」 に拠ってしか、自身の立場を守れない、というワケなんだな。
これを何十回「自信の線引き根拠ではないから、藁人形だ」と逃げたところで、それが嘘である事を、キミ自身を含めた全員が知ってるので、まったく意味がアリマセン♪ >>43
捕鯨されるクジラの苦痛をオマエはわかるんですかw >>33
此処でも続けられそうなので、唯々ダラダラ言い訳を重ねて食い下がるだけで負けを認めずに済む、と考えてるキミが逃げたくないのならば、ココで延々続けてあげても構わないよ?w
キミの言い逃れに関する指摘と反論は何度も繰り返してるので、キミが>>43に具体反論できるかどうかで確めれば済む事です。
43で説明した様に、少なくとも 苦 痛 に 関 す る 限 り 、
・「苦痛を感じる者には、苦痛を感じさせない方が、より善い」=
・「苦痛を感じる者に、無意味に苦痛を感じさせる事は、 悪 い 事 で あ る 」
という、功利主義の仕組みに基づいて 倫 理 が一元化されている、という事実が有ります。
これ↑をキミが否定しようとすれば、キミはそれに基づいて決まってる刑法によって、キミが守られようとする事態を拒否しなければなりません・・・w
その倫理は一元化されてるが故に世界中で同様の「 理 由 / 意 味 無 く 他人を傷付けてはいけない」という刑法が存在する、というワケですね。
北朝鮮の様な国であってすら、公的には「上位階層者は下位階層者を無意味に傷付けても、罰せられない」なんて仕組みが無い事から明らかです。
それは単に「ヒト社会に、最低限必要なルール」である事を誰もが知っているからこそ、内心はどうであれ、表向きはそんな事を表明不可能だから、という事。
もしもキミが「無意味に達人を傷つけて良いとする、公的なルール」を持ったヒト社会の実在を示せれば、キミの「(苦痛に関しても)倫理は枠組みで決まる」という素っ頓狂なハナシにも、少しは説得力が出るかも知れないねぇ・・・?w
>>34
私の連ツイに説明してある「ヒトだけが持つ、ヒトへの報復能力が、人権・それを尊重する義務・それをルールとして守らせ、裁く刑法の、 最 大 根 拠 で あ る 」というハナシは、
キミみたいな度のキツイ馬鹿は勿論だけど、地球上のどんな者にも覆せない、という事は知ってるので、とっくに此処での議題がキミの負けで修了してるのを知ってるキミが、
それでも尚、連ツイの議題に移れない、というのはアタリマエと云えばアタリマエのハナシ、だよねぇ・・・ >>45
煮え切らない話を延々とするバカの典型
ゾンビアホと同じタイプ >>35
これも何度も言ってるけど、キミがはハナクソみたいな言い逃れで縋ってる 「状 況 証 拠 」 よりも
物 的 証 拠 である「脳・脊髄・痛覚神経という形質とストレスホルモン放出等の物理的反応も含めた生体システムの同一性」
が証拠として軽視されるのであれば、同じヒトであってすら、それが苦痛を感じているという事に疑義を持つ事が出来るワケです。
だって、キミの縋ってる「苦痛概念の記号表現」が 虚 偽 証 言 で は な い 、と い う 証 明 が 不 可 能 だからねw
「膨大な検証が有るから」という強弁はキミのモノサシでしかなく、同時に動物が苦痛を感じてる、という証拠は、
苦痛を齎す状況への回避行動、学習による行動パターン変化、「怪我をした部位への刺激を恐れる 庇 い 動 作 」の 膨 大 な 観察記録から
動物が苦痛を感じている事は、 明 ら か で あ る 、と結論付けられます。
キミは私とは違って、ヒトと動物を別ける普遍根拠を持たないので、自分の線引きではない、と毎回誤魔化しながらも、
「前者だけは事実だけど、後者は事実ではない」と言い張り続けなければならない、というすんぽうさ・・。w
>>36
もしもキミが、私と概念クンが何のハナシをしてるのか?を読んで理解してるのであれば、
客観的に見て、概念クンの言う事にどれだけムリが有るか?という事ぐらいは判る筈ですので、
食材確保の為になんとかして「動物が苦痛を感じてない事」にしたい、という有り勝ちな
キミみたいなアンチベジが、そのハナクソを擁護したところで、状況は変わりませんよぅ・・・?
それから、私に知的障害者であることを晒された事を怨んで、捕鯨業者認定しつつ永年粘着してる「出目キム君」と、
その出来損ないつるんでまで憂さを晴らしたがってる有り勝ちアンチベジ君の相手は、しなくても良いよね?w さて、概念クンには、もうちょっと目新しい言い逃れ言説を開発して欲しいところですが・・・
もうそろそろ、連ツイの中身に関してハナシをする頃だと思うし、そうなれば概念クン程度のアタマにでも、それが覆せないって事ぐらいは判る筈なんだけどねぇ・・・
自身が守られてる一元化された「苦痛に関する規範倫理」を否定して「枠組み」を強弁しても、
いざとなれば、その一元化された倫理に守ってもらおうとする一貫性の無さは否定出来ないし、
そも「倫理は枠組みで決まる」のならば、毎度毎度「自分の線引き基準じゃない」と逃げ道を残しながらも
状況証拠でしかない記号論に縋って「苦痛概念の記号表現をしない動物には、痛みを感じてるとは言えない」と念仏唱える浅ましさにも、自覚的なのは間違い無いんだけどね・・・
羞恥心を押し殺してまで、そんなガバガバな論拠に頼って守りたい自尊心、ってのが、私には解りませんw(以下再掲↓)
・・・やはり彼は「物証が在る事」の意味が分ってないのかな?
「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性
= 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、
その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、
その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw
此処に「言葉での苦痛概念記号表現とその再現性」を以って「ヒトだけは違う」と強弁し続けた所で、>>262で説明済みの様に動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習によって
「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。
唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、
それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能なウンスジ付けた幼稚園児の謎理論・或る種神秘的なハナクソに還元されてしまいます・・・
いずれにせよ、成人とは考え難い程の浅ましい言い逃れを装飾して何度も塗り重ねる手間があったら、論理的一貫性の有る思考法を身に付けましょう・・・元がそれじゃあ、ムリだろうけどw
因みに、私が言う「或る事実を無視すれば、功利主義による種差別撤廃主張は普遍倫理基準と成り得る」というのは、その「或る事実(二つ有る)」が、一方は長々「無い事」とされ続けてきた所為で、
他方は「恐らくは、そうでない事を事実だと認識されてる=錯誤」か、意図的に流布されてる嘘、によって普遍足りえない、という理由から{或る事実を無視すれば}という但し書きが付いてるだけ、ですので
お猿の「概念」クンはその事に充分留意して、私の連ツイにある「全人類普遍の線引き根拠・ルールと出来る、或る理由」の説明を、なんとか覆すべく頑張ってみましょう♪ >>48
お前>>25>>28>>35
あたりで論破されてたのに
また同じ事きくの?バカなの? >>49
トリパンはコピペが論破と勘違いしているバカの見本だから >>43
> 形而下での、少なくとも苦痛に関する件に関しては功利主義の仕組みによって「そうせざるを得ない」規範倫理が普遍的たり得る、という説明は>>26-27で済んでるよね?
そもそも功利主義が普遍的といえないんですが?
> >>27に書いてる < A > の状況が、衆人環境の中で行われた場合(これを以降 A' とする)、を考えればすぐに判るよ。
< A >が何を指すのか知りませんが
「 キミは誰からも救われる事はアリマセン。」を許容する枠組みと許容しない枠組みは矛盾なく両立可能ですよ
> さて、ここで「警察が居るから、刑法というルールが有るから、そいつ等の暴力は規制される」という逃げ道にキミが縋るのも至極当然ですが、
藁人形ですか?こちらはそんなこと主張していませんよ^^;
> 警察も、その取り締まり行動基準と成る刑法もまた、「苦痛(物理的な傷害に限らず、不利益・不快までをも含む)を感じる者には、苦痛を感じさせない方が、 よ り 善 い 」⇒
> 「苦痛を感じる者に、無意味に苦痛を感じさせる事は、 悪 い 事 で あ る 」という、功利主義の仕組みに基づいて決まってる、という事実から、
それは功利主義を採用する枠組みでそのように決まっているというだけの話で、功利主義が枠組みを超越した普遍的な規範倫理といえることにはなりません
> 暴力に優れていないキミが、少なくとも衆人環境で暴力的な扱いを受け難くなってる、という事ですので「少なくとも、苦痛に関する規範倫理は一元化されている」と証明されているワケです。
「倫理原則に功利主義を採用する枠組みでの規範倫理が功利主義に一元化される」というのはトートロジカルで無意味な主張です
倫理原則として功利主義が枠組みを超越した普遍性を持つことは説明できていませんね
単に功利主義を採用する枠組みの中での規範倫理は功利主義を採用しない枠組みにとって規範倫理たり得るとは限りませんよ
> それ故、同時に「動物は痛みを感じてるとは言えない」と、 虚 偽 証 言 の 可 能 性 を 排 除 出 来 な い 苦痛概念の記号表現という、状況証拠に頼らざるを得ない、という有り様なんだなw
>>25で以下のように説明済み
1・「苦痛を感じている」というときの「苦痛」という語の意味をどのように定義するかというとき、単なる物理上の「痛覚と名付けた刺激の伝達現象」をもって苦痛とするか、「苦痛という概念の存在」をもって苦痛とするかによって、その意味は異なる
2・いずれをもって苦痛とするかは枠組みによって定まるし、さらに他の定義もあり得るのだから、「苦痛を感じている」という文の意味は枠組みによって定まるものであり、枠組みを超えて普遍的な意味を持つものではない
3・従って、いま[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]
あなたからの再反論は未出^^ >>43
> ココで キ ミ が 、「生体システム等の同一性等の 物 的 証 拠 よりも、苦痛概念の記号表現によって示される 状 況 証 拠 を以って、ヒトには有る苦痛が動物には有ると言えない」
> という 具 体 的 な 根 拠 説 明 が 出 来 る のであれば、キミのムリな食い下がりにも一筋の光明が見えるやも知れませんが、相変わらず「それが 苦 痛 を 感 じ て る か ど う か に関する証拠」である、
> という論拠を出せないまま、唯「誰々が言ってるから〜、膨大な検証が有るから〜」という、キミの都合に沿った証拠証明が実在する、という事すら未だ一度も示されないまま、だからねぇ・・・w
>>28で既に
「苦痛の存在」について(生体システム等の同一性等の証拠と、苦痛概念の記号表現の証拠の)どちらの方が重要かは「苦痛」の定義次第だ、といっています
ちなみに物的証拠だの状況証拠だの言っていますが、既に前スレで
[苦痛という抽象概念が存在することは「苦痛」やそれに相当する記号が存在することから明白で、これについての物的証拠は人類史上に記述や録音など膨大に存在する]
と述べています
記号が単なる図形や音声と区別されるのはそこに所記が存在することによるので、記号が用いられているということはそこに所記たる抽象概念が存在することの明白な根拠ですし、
記号が単なる図形や音声でなく記号として用いられていることについては膨大な「物証がある」と説明は済んでいます
そしてその物証の機能についても人類の歴史の中で太古から今現在リアルタイムのこの瞬間まで「再現性をもって検証されている」と説明済みです
また>>25で
1・「苦痛」の意味が枠組みによって異なる以上、「痛覚刺激の伝達があっても苦痛概念が存在しなければ苦痛があるといえない」という枠組みは存在可能
2・刺激の神経伝達の物的証拠は苦痛概念の物的証拠とイコールではない
3・この枠組みにとって「苦痛」の物的証拠といえるのは「苦痛概念の存在についての物的証拠」という意味になる
4・従って、この枠組みでは刺激の神経伝達の物的証拠はこの枠組みにおける「苦痛」の物的証拠にはなり得ない、
と反論済み
あなたからの再反論は未出^^ >>43
> キミは単に、記号論という一つの 「 虚 偽 証 言 で な い か ど う か 確 め ら れ な い 状 況 証 拠 」 に拠ってしか、自身の立場を守れない、というワケなんだな。
「私は苦痛を感じている」という命題の真偽と、この命題が作られるためには「苦痛」という記号に対応する苦痛の概念が存在することが明白なことは別の論点です
「苦痛という抽象概念を持つものには、痛覚刺激を与えない方がよい」という倫理観は成立可能だし、
その倫理観による線引き条件が「人間は苦痛概念を持つので痛覚刺激を与えない方がよいが、動物に苦痛概念があることは未検証なので痛覚刺激を与えない方がよいとはいえない」として成立することも可能
この場合、人間と動物は区別され、動物は植物と同じ側に分類されることになる
という思考実験をしているだけで、この線引き条件が枠組みを超越した普遍的なものであるなどと主張していない
と前スレで説明済みだし
>>25で
ちなみに俺自身の主張は
4・[種差別の線引き条件は枠組みに依存し、「苦痛の有無」は枠組みを超えた普遍的な線引き条件となるものではない]
と述べており、あなたからの再反論は未出^^
ですから
>これを何十回「自信の線引き根拠ではないから、藁人形だ」と逃げたところで、それが嘘である事を、キミ自身を含めた全員が知ってるので、まったく意味がアリマセン♪
これは明らかな藁人形ですが、
そうでないなら前スレで再三要求し、このスレでも既に>>25などで要求したように
俺が前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してください
こちらの要求は[前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してくれ ]というだけの
本当にただ抜き出して貼り付けるだけの単純作業で終わることなんだから、
君の主張が藁人形じゃなければ容易く実行できるはずの要求なんだよね
なんでそんな単純で容易い作業を拒否するのか、逆に言えばそれはa「君の主張が俺に対する藁人形論証だから」
あるいは藁人形でもないのに単純で容易いはずの作業を拒否するならそれは、b「その後に控える次の議論に移りたくないから」
このa・bいずれかということになると思うんだが、さて、どっちかな? >>45
> 此処でも続けられそうなので、唯々ダラダラ言い訳を重ねて食い下がるだけで負けを認めずに済む、と考えてるキミが逃げたくないのならば、ココで延々続けてあげても構わないよ?w
あれ?藁人形こしらえて逃げているのはあなただったのでは?
>>25などでも言ったはずですが
藁人形でないなら俺が前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してください
こちらの要求は[前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してくれ ]というだけの
本当にただ抜き出して貼り付けるだけの単純作業で終わることなんだから、
君の主張が藁人形じゃなければ容易く実行できるはずの要求なんだよね
なんでそんな単純で容易い作業を拒否するのか、逆に言えばそれはa「君の主張が俺に対する藁人形論証だから」
あるいは藁人形でもないのに単純で容易いはずの作業を拒否するならそれは、b「その後に控える次の議論に移りたくないから」
このa・bいずれかということになると思うんだが、さて、どっちかな?
>キミが>>43に具体反論できるかどうかで確めれば済む事です。
その内容には前スレで全て回答が済んでおり、あなたの再反論待ちですよ^^
> という、功利主義の仕組みに基づいて 倫 理 が一元化されている、という事実が有ります。
功利主義が普遍的で倫理が必ずそこに一元化されるという論証は?
> これ↑をキミが否定しようとすれば、キミはそれに基づいて決まってる刑法によって、キミが守られようとする事態を拒否しなければなりません・・・w
たまたま今現在自分が属している枠組みが功利主義を採用しているなら、それに基づいて守られることを拒否しなければならない理由は特に見当たらないけど?
功利主義が枠組みを超えて普遍でないとしたら、なぜたまたま功利主義を採用する枠組みにいるときにそれに守られてはならないの?
個別の枠組みが功利主義を採用することを否定していないのに?
> その倫理は一元化されてるが故に世界中で同様の「 理 由 / 意 味 無 く 他人を傷付けてはいけない」という刑法が存在する、というワケですね。
刑法の根拠が功利主義に一元化できるという論証は?
> それは単に「ヒト社会に、最低限必要なルール」である事を誰もが知っているからこそ、内心はどうであれ、表向きはそんな事を表明不可能だから、という事。
その根拠が功利主義に一元化できるという論証は?
> 私の連ツイに説明してある「ヒトだけが持つ、ヒトへの報復能力が、人権・それを尊重する義務・それをルールとして守らせ、裁く刑法の、 最 大 根 拠 で あ る 」というハナシは、
論証のない決め付けなので、あなたの戯れ言にしか過ぎません >>47
> これも何度も言ってるけど、キミがはハナクソみたいな言い逃れで縋ってる 「状 況 証 拠 」 よりも
> 物 的 証 拠 である「脳・脊髄・痛覚神経という形質とストレスホルモン放出等の物理的反応も含めた生体システムの同一性」
> が証拠として軽視されるのであれば、同じヒトであってすら、それが苦痛を感じているという事に疑義を持つ事が出来るワケです。
>>28で既に
「苦痛の存在」について(生体システム等の同一性等の証拠と、苦痛概念の記号表現の証拠の)どちらの方が重要かは「苦痛」の定義次第だ、といっています
ちなみに物的証拠だの状況証拠だの言っていますが、既に前スレで
[苦痛という抽象概念が存在することは「苦痛」やそれに相当する記号が存在することから明白で、これについての物的証拠は人類史上に記述や録音など膨大に存在する]
と述べています
記号が単なる図形や音声と区別されるのはそこに所記が存在することによるので、記号が用いられているということはそこに所記たる抽象概念が存在することの明白な根拠ですし、
記号が単なる図形や音声でなく記号として用いられていることについては膨大な「物証がある」と説明は済んでいます
そしてその物証の機能についても人類の歴史の中で太古から今現在リアルタイムのこの瞬間まで「再現性をもって検証されている」と説明済みです
また>>25で
1・「苦痛」の意味が枠組みによって異なる以上、「痛覚刺激の伝達があっても苦痛概念が存在しなければ苦痛があるといえない」という枠組みは存在可能
2・刺激の神経伝達の物的証拠は苦痛概念の物的証拠とイコールではない
3・この枠組みにとって「苦痛」の物的証拠といえるのは「苦痛概念の存在についての物的証拠」という意味になる
4・従って、この枠組みでは刺激の神経伝達の物的証拠はこの枠組みにおける「苦痛」の物的証拠にはなり得ない、
と反論済み
あなたからの再反論は未出^^
> だって、キミの縋ってる「苦痛概念の記号表現」が 虚 偽 証 言 で は な い 、と い う 証 明 が 不 可 能 だからねw
>>25で以下のように説明済み
1・「苦痛を感じている」というときの「苦痛」という語の意味をどのように定義するかというとき、単なる物理上の「痛覚と名付けた刺激の伝達現象」をもって苦痛とするか、「苦痛という概念の存在」をもって苦痛とするかによって、その意味は異なる
2・いずれをもって苦痛とするかは枠組みによって定まるし、さらに他の定義もあり得るのだから、「苦痛を感じている」という文の意味は枠組みによって定まるものであり、枠組みを超えて普遍的な意味を持つものではない
3・従って、いま[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]
あなたからの再反論は未出^^
> 「膨大な検証が有るから」という強弁はキミのモノサシでしかなく、同時に動物が苦痛を感じてる、という証拠は、
検証による帰納推論を否定するなら科学は成立しません
> 苦痛を齎す状況への回避行動、学習による行動パターン変化、「怪我をした部位への刺激を恐れる 庇 い 動 作 」の 膨 大 な 観察記録から
> 動物が苦痛を感じている事は、 明 ら か で あ る 、と結論付けられます。
られません
なぜならここでは「苦痛を感じる」を「苦痛という抽象概念を持つ」の意味で用いていますが、それは動物の行動に対して人間がそのように意味付けただけで、動物が苦痛を概念として感じている(苦痛という抽象概念を持っている)とは限らないからです
残念
> キミは私とは違って、ヒトと動物を別ける普遍根拠を持たないので、自分の線引きではない、と毎回誤魔化しながらも、
毎回明言してるのにあなたが藁人形つくってるだけですよぅ
> 「前者だけは事実だけど、後者は事実ではない」と言い張り続けなければならない、というすんぽうさ・・。w
前者に意味があり後者に意味がない枠組みも成り立ち得る、といってるだけですよぅ >>48
> もうそろそろ、連ツイの中身に関してハナシをする頃だと思うし、そうなれば概念クン程度のアタマにでも、それが覆せないって事ぐらいは判る筈なんだけどねぇ・・・
ですから、こちらは先の議論が決着したらすぐさまその話題に移る準備はあるんですよ^^
あなたが、いつまでも決着させようとしないで逃げてるだけです
すなわち、
>>25などでも言ったはずですが
藁人形でないなら俺が前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してください
こちらの要求は[前スレのどこで具体的にどのように「抽象概念の記号化表現の有無が種差別についての枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる」と主張したか、該当するレス番号と該当部分の抽出で示してくれ ]というだけの
本当にただ抜き出して貼り付けるだけの単純作業で終わることなんだから、
君の主張が藁人形じゃなければ容易く実行できるはずの要求なんだよね
です
そういえば
なんでそんな単純で容易い作業を拒否するのか、逆に言えばそれはa「君の主張が俺に対する藁人形論証だから」
あるいは藁人形でもないのに単純で容易いはずの作業を拒否するならそれは、b「その後に控える次の議論に移りたくないから」
このa・bいずれかということになると思うんだが、さて、どっちかな?
に未だに回答がないんですが、これも逃げてるんですかね?^^;
> 自身が守られてる一元化された「苦痛に関する規範倫理」を否定して「枠組み」を強弁しても、
> いざとなれば、その一元化された倫理に守ってもらおうとする一貫性の無さは否定出来ないし、
たまたま自分が属している枠組みが、ある倫理を採用しているからそこに属する自分がそれに守られてしまうことと、
その倫理は枠組みを超えて普遍に通用するものでないことは矛盾なく両立可能ですよ?
> 「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性
> = 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、
物的証拠については既に前スレでもここでも説明済み
「苦痛を感じる」ということの意味が枠組みによって異なり得る以上、単に「生体システムとストレスホルモン放出」があるということより「苦痛という抽象概念」の有無を重視する枠組みは成立可能と論証済み
なお、あなたからの再反論は未出^^
> その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、
> その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw
「自己と同様の苦痛」である必要がどこから出てくるんですか?「苦痛という抽象概念」を持つか否かという話ですが?
> 此処に「言葉での苦痛概念記号表現とその再現性」を以って「ヒトだけは違う」と強弁し続けた所で、>>262で説明済みの様に動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習によって
> 「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。
その[「動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習」が「苦痛」という抽象概念の記号化表現である]ということの学術的な研究成果はありましたっけ?
前スレで何度も要求したにもかかわらず
そういった検証は未出^^
> 唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、
> それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能なウンスジ付けた幼稚園児の謎理論・或る種神秘的なハナクソに還元されてしまいます・・・
当然ながら言語でなくとも構いませんよ?
で[「動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習」が「苦痛」という抽象概念の記号化表現である]というのはあなたの勝手なファンタジーではなく実際に学術的な研究成果があるんでしたっけ?
前スレで何度も要求したにもかかわらず
そういった検証は未出^^ さて春日井さん、
あなたのコピペに対して事細かに反論、過去の反論とそれに対する再反論の未出な部分、論証の不足を指摘しておきました
コピペで逃げるのでなくきちんとした回答があることを望んでいます
既出の論点が片付いたら、あなたのいう「抱腹能力云々が普遍的な倫理にかんぬん」に議論を移しましょう >>57補足訂正
> だって、キミの縋ってる「苦痛概念の記号表現」が 虚 偽 証 言 で は な い 、と い う 証 明 が 不 可 能 だからねw
[「私は苦痛を感じている」という命題の真偽と、この命題が作られるためには「苦痛」という記号に対応する苦痛の抽象概念が明白に存在する]ということは別の論点です
そして[「苦痛の抽象概念」を持つか否かを種差別の線引き条件とする枠組みが成り立ち得る]というこちらの主張の意味するところは
>>28に既に説明済みである通り、
[そのような枠組みが人類史上存在し得る]という意味になりますが、その存在の可能性を必ず阻害する要素が普遍に存在するとあなたが主張するならば、その存在の立証はあなたのお仕事です
そして、可能性の存在を必ず阻害する要素が普遍に存在することをあなたが立証できなければ、可能性は存在すると考えるべきだ、ということは既に>>33で指摘済みです
なお、これらに対するあなたからの再反論も立証も未出^^ 野菜食べ放題で金が儲かる方法とか
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賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
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