>>71
>もっとわかりやすい例えがいいですかね。
>理科の実験のお話をしましょう。

>「塩酸と水酸化Naを1:1で混ぜる実験をしたところ、塩水ができた」
>これも、混ぜる分量などを守って同じ実験を行ったならば、誰が実験しても塩水ができるわけです。あなただけ砂糖水ができたりはしないでしょう?
>つまりこの場合も『再現性』があり『客観性がある』と言えるワケです。
>「主観的だ」とは言えないのです。
>ご理解いただけましたか?

あなた私が書いている文字を日本語として認識できてますか?
私は何度も「植物は生きている」と言ってますよね?
それは客観的事実ですよ?違いますか?
なんですか?理解の実験て?

私が言っているのはわかりやすく言えば、同じ幻覚を見ている集団があるとすれば私たちの客観性は客観性ではなくなり、彼らの幻覚が客観性なんですよ
だから私はその様な思想(このスレでいう所の植物は生きていないという思想)を持っている人達を「特殊な人間」と言っています
例えばその様な特殊な人達のお話をする時に「アホ」という言葉を貼り付ける必要性があるのかを聞いているだけです
彼らの思想に肯定も否定もしていません
「アホ」を付ける意味も理由も私には「貼り付ける」必要性がないからです

「アホ」を貼り付けなくても議論可能であるなら何故貼り付けたのか?
そこには個人的な主観的な意味、理由、必要性があり敢えて貼り付けたと思われます
それをグダグダ逃げ回ってないで早く答えなさいよ
その意味、理由、必要性によっては「アホ」という言葉は立派な「偏見」となりうるでしょうね

>さて、もうめんどくさくなってきたのでこの『再現性』を意識して
>今までのあなたのレスの「主観」「客観」という言葉を一言一句余さず見直してみてください。自分のアホさ加減がよくわかると思います

自分の主観からしか世界を見れていないあなた自分自身に向けた言葉ですか?
まずは私の言った「私は植物は生きているという立場です」という日本語を理解してくださいね