>>192
帰納論法を使ったとしても統計的な問題であり、お前が前に主張した「万人」に当てはまる答えになることはなく(一義的に定まらない)、その答えはあくまでも推測を事実としてもいいという曖昧さを含んだものになる(一義的に定まらないを定めてもいい(曖昧さ))。
これでは結局その反論(曖昧さへの)を呼び、論点がどんどんずれていく。
演繹論法を使えば俺の主張は「論理的論法」とは言えなくなるだろうから根本的な部分(議論ができない)という答えを導くことができる。
がこれは論点が違い、導きだしたい答えではない。
俺の主張ははじめから言っているように「提案」だ。
提案とは間違いを含んでいても何ら問題はない。
「減らしても問題ない」という提案(主張)に対して「減らさすこと」「それに対して問題があるかないか」を議論し互いの答えの中から一つの答えを導く。これも立派に論理的である。
何回も言うようにお前の「問題ないともあるともはいえない」 はその答えが論理的であったにしろ何にしろ、この議論から導くには道理から外れた答えであり、答えを出すことさえ拒否した状態でしかない。
議論の進行の妨げにもなる。
そのような「お前の答え」はその手の議論には必要ないと言える。
お前は「真理」を求めたいのであれば哲学スレへ行け。
そこでならば「どちらともいえない」が真理となるかもしれん。