>>740
> 1さんはベジタリアンの「動物には心がある。植物には心がない(だから食べる)」という思想の反論として、>>1の理由を上げられたのではないのですか?
> もしベジタリアンに植物には心がある。でも食べるという人がいたとするならベジタリアンに対しそのような理由は上げられないと思ったのですが...。

>>737
それと、>>1の知る限り「動物には心があり、植物にはない。」を主張するベジタリアンしか居ないなら帰納推論としては「あるベジタリアン」でなく「(全ての)ベジタリアン」となることは妥当で、
あるいはそのようなベジタリアンが圧倒的に多いなら一般論としてはやはり「あるベジタリアン」でなく「(一般的な)ベジタリアン」と表現することも妥当でしょうね
と書いた通りです

ちなみに俺は>>1じゃないけど
「動物には心がある。植物には心がない(だから食べる)」というベジタリアンの主張はよく見るが「植物には心がある。でも食べる」と主張しているベジタリアンは見たことがありません
存在するというならそういった著書なりブログなりを教えてもらえるとありがたいです

> もし1さんがいきなり植物には心がある。だからベジタリアンは植物虐待だ!と言い出したのでしたら、「ノンベジタリアンも植物食べたり、剪定したり、引っこ抜いたりしてますよ」となりませんか?

>>1は「植物にも」という表現がされていることから、動物についての言及が先にあり、それとの対比として言われていると考えられる
ということは「ベジタリアンは植物虐待である」の前に「ノンベジは動物虐待だ」という言明が想定されていると考えられる
もちろん「ノンベジも植物虐待だ」を含むとして、
「心あるものを食べることをもってノンベジは虐待しているというなら、心あるものを食べるベジタリアンは同じく虐待をしている」ということになるんじゃないですかね