>>721-722
アリストテレス以来、全体は部分の単なる総和ではないって言われてるはずだけど微積分をイメージすると要素還元主義が要素を分析しきれないことのニュアンスは掴めるよね
分析-統合で対象を形而上に再現できないことはブッダも言ってたような気がする
ただ本当に要素分析というのが例えば2次元を1次元に、あるいは1次元を0次元に分割するようなことだといえるのかどうか
だとすると統合に積分的な再現手段は無いのか
その「無い」というのは論理上「あり得ない」のか経験論的に「無い」ということなのか
ソシュールの認識論というのも結局は認識というのが全体から要素を抽出することで我々は対象を認識してると解釈できるわけだが
それはまさに仏教でいう分別/無分別の概念と同じだろうし、その極地で存在論と認識論という西洋哲学の二大潮流が連結するように思えるがどうでしょうか