>>201
はあ?
何故?動物愛護ベジタリアンが毛皮を購入したり肉を食べないとおかしいの?頭大丈夫?

※ここを間違えないように!下記でいっている社会生活とは
社会全体の矛盾の事を言っているのではない(資本主義社会の矛盾など)
消費を選ぶ権利は誰にもある。その結果次第に社会全体が変わっていくことがあるが(例えば毛皮業界が衰退するとか)
ここで言っているのは社会全体のことではなく、個人が社会に関わっている生活のこと


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愛護ベジタリアンはダブルスタンダードか?

先にいっておくが動物愛護は義務じゃないよ
(動物愛護家が必ずしもベジタリアンでないことは過去スレで何回もいっている。福祉も含む)


規範が二重(AであるときBすべし)(AであるときBしなくてよい)が必ずしもダブルスタンダードとは限らない
判断を変える背景・差違が十分に合理的なものであれば(それが合理的であるかの議論の余地はあるが)ダブルスタンダードとはいわない

「動物を犠牲を減らすために肉食は否定しそれを実行する」のに「動物を犠牲を減らすために他の動物を犠牲を否定はしても完全に実行が出来ない」のは何故か
それは社会的背景から合理的な理由があるからです


例えば、ベジタリアンが病気怪我などの治療をうけること、水道、道路の使用などは
会社員であっても主婦であっても、権利であると同時に個人として生きるため社会生活家庭生活を続けていくためにも必用不可欠。
これを行わない場合は社会生活家庭生活が崩壊する・・・乞食か死を選べってか?(これは基本的人権で保障されている)

肉食、毛皮の購入などは権利ではあるが生きるため社会生活家庭生活を続けていくため不可欠じゃない。
(車、電気の使用なども社会生活家庭生活に不可欠ならば、必需品でしょう まあ肉毛皮などがどうしても必要な人がいるなら必需品でしょう)


よって合理的な理由。 ダブルスタンダードではない