わが子にベジタリアンの食生活を強要することの是非
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>>239
>思想の全然違う人にいくら説いても納得のいく返答はまずと帰ってこないよ
まさに糞みたいな押し付けベジタリアンに聞かせてやりたいね。
きちんと正当性を説明し説得力のある主張をしないから賛同が得られないんだよ、とね。
正当性を説明し、相手に対する説得力を伴わなければ、いくら規範を振りかざしても意味をなさない。
逆にいえば、論理性や客観性を持って合理性があり正当性のある主張をすることで説得が可能なんだから、ガキみたいに自分ルールを他人に押し付ける醜悪で無意味な態度は改めて、
正当性・客観性・合理性といったことから自分の主張に賛意を得ようとする方がはるかに意味があるだろってこと、糞どももいい加減気付くといいな、と思うよwww >>240
正当性を説明できないならやめといた方がいいかもね。不毛だからwww >>242
2chで正当?性の説明wwwいちいち「〜の為」の正当性?日常会話もできないね
裁判?学会?
「〜の為〜すべき」の正当性の説明する必要なし
したところで、それが万人の正当性っていえる?で不毛
根拠、証明、正当性、常識の証明、これらは2chでは不可能
悪魔の証明と同様、不毛。
もうこれらを2chで求めるのやめたら? >>233
もういいじゃん
規制ばっかで返事遅くて悪いね。
君の主張もおりまぜて間違いのないよう順をおって、
君の分を整理しようよ。
テーマ、なぜ動物がより可哀想だと感じられるか。(哺乳類だよね)
草食、人間にとって動物は近いからと答える。
肉食、近い遠いは個人の感覚ではないか指摘。
草食、学術全般的にもっとも近しい。
肉食、感覚に集約される以上はあくまで個人の感じ方に由来するから、一概に言えない。
ここまで問題ないよね。
問題あれば書き換えてみて
出来ればなるべく簡潔に。 >>243
>したところで、それが万人の正当性っていえる?で不毛
つまり万人にとっての正当性などといえないようなことを、人間一般が従うべき規範であるはずの「人道」だなんてぶちあげちゃったんだねwww
ハッタリぶっこいちゃいました〜ってこと?wwwそれが押し付け糞ベジタリアンの正体ってことね?カミングアウトありがとう。
> 根拠、証明、正当性、常識の証明、これらは2chでは不可能
2ちゃんだろうがどこだろうが、議論の場では主張には根拠と論理性が求められる。
議論をする気がないなら無理に議論に参加しなくてもいいんだよ?www
> 悪魔の証明と同様、不毛。
悪魔の証明が何だかきちんと勉強してから言葉を使った方がいいと思うよ^^ >>244
> もういいじゃん
> 規制ばっかで返事遅くて悪いね。
規制にはこっちも苦労してるから気持ちわかるよ。気にしないで。ただし、もういいじゃん、はいただけないな。区切りをつけるにしても一応はこちらの質問に回答してからにしてくれないか?
> テーマ、なぜ動物がより可哀想だと感じられるか。(哺乳類だよね)
さっそく書き換える。
テーマ「なぜ肉食は非人道的といえるのか」(=「人全般が、植物は食ってかまわないが、肉を食ってはならない」という主張の客観的正当性は何か)」
草食:人は肉を食ってはならない
雑食:植物は食ってかまわないの?
草食:植物は食っていいが、肉を食ってはならない
雑食:なぜ植物はいいが、肉はだめなの?
草食:動物は可哀想だから
雑食:植物は可哀想じゃないのか?
草食:人間にとって動物は(植物より)近いから
肉食:近い遠いは個人の感覚ではないか、
草食:学術全般的にもっとも近しい。
肉食:どこまで学術的に近ければ食ってはならない、という客観的普遍的な基準はあるのか?あるとするならその基準の正当性は?
また、感覚に集約される以上はあくまで個人の感じ方に由来するから、学術的な遠近が感覚的な遠近と比例するとは一概に言えない。
こうなるかな。 >>212
>感覚に集約される以上はあくまで個人の感じ方に由来するから、学術的な遠近が感覚的な遠近と比例するとは一概に言えない。
ぷっぷ 相変わらず言うまでも無い当たり前のこと長々と一見論理的風に書いたものだな
感覚的なものは全て推測でしかないの(学術(科学的)に証明なんか出来ない)
感覚は自分にしかわからないからね いくら長々書いたって不毛
正当性の白黒、どこまで黒かはっきり万人に示したいなら最終的には裁判しかないの >>212
続きだけど法や裁判で合法なり黒何パーセントってでるだろ
畜産も食肉も合法で一見白ってなってるけど
ただオレは愛護法がザル法だから実際はグレーや黒なのに白ってことになってるのがおかしいっていってるんだ
倫理的にグレー度がどの位かと聞かれてもねえ 質問て以前の議論の続きと読み取れるだろ、って所だよね。
ほとんど国語力の問題だからね。
どっちが正しいとかはとりあえずそれはもうよくないか。俺はもういい。
それ以外はこれから始めるよね。
君の分だから君のテーマでいいんだけど、
「なぜ肉食は非人道的といえるのか」ってのは、
これまでの議論から便宜上ではあるが取り上げた、
可哀想だから←植物はいいのか、という所に必ずしも繋がら無いので、
わざわざ書いてもらって悪いが、
全く新しい所からにしよう。
極限すれば肉食は非人道という意見に俺はうなずけるから、それはそれで。
軸としては、動物保護法において、動物に命あるものであることにかんがみ、と
記載されている通り動物には権利があり、これを尊重するべくして、人道と成る。という考え方。
動物の嫌がることをやったら非人道だよねということ。
法律を盾にするんじゃないよ。便利だし感覚としてズレはないと思うので。
家畜においては、飼育環境向上、安楽死が求められるなど、動物それ自体には同様に権利が認められるよね。
そりゃそうだよね、家畜だろうがペットだろうが牛は牛だから。
でも食ったり、実験したりは良いと。
これは
権利が衝突(まさにそ衝突だよね)した結果、人のが勝ったからだけど、
腕力、知力に勝るからと言って一方が一方の基本的な権利を害する事は許されがたいよね。
相手が獣畜生と言うことで、パワーバランスは一定ではないにしろ
命という基本的な権利に基づく場合、配慮は為すべき。
許される場合があるとすれば、
一方が自らの基本的な権利を保持するために、やむなしとして行われる場合だよね。
では、肉食文化に関してはどうか?
豊かな日本国は飽食、あらゆる物から栄養摂取可能。そして食品廃棄の山。
換言すれば、必ずしも必要ではない所で、動物の権利の迫害が行われている。
必ずしも必要の無い肉食は動物の権利の冒涜にあたるため、非人道である、ということ。
まとめるの面倒で、簡潔に簡潔に言っといて長くなったわ。目新しくもない内容だけど
なるだけ簡潔に頼むわ。 >>249
> 質問て以前の議論の続きと読み取れるだろ、って所だよね。
じゃなくて>>234の後半に2つ箇条書きした質問。議論の続きなのか新しい議論のつもりだったのかは互いのすれ違いってことで手打ちにするとして、
せっかく100レス以上も引っ張った中で湧出したたった2つの質問だ。せめてそこに回答してくれたっていいんじゃないか、と思うんだが。
で、テーマは 「なぜ肉食は非人道的といえるのか」 でいいのね?
俺と君の議論は「植物はいいのか?」という言葉(論法)についてのものだったから当然テーマは「なぜ植物についてはそうでないのに、肉食は非人道的といえるのか」でいいよね?
あと申し訳ないが本日は忙しいから明日25日以降の返信になると思う。もちろん、君が書いてくれる分にはかまわないけどね。 動物に対して非人道的とか人じゃないものに人道的にみることはないんじゃねーか
動物の権利w
権利とは人間にしかないもので、法律上動物は物とみなされる
>>249
結局オマエは自分語りしたいだけじゃね >>249
わかる人権のほうが愛護法より勝っちゃってるから、例外的には殺したりしていいことになちゃう
しかし愛護法が、〜むやみにという表現、実験動物3r、動物福祉5fも日本では規定があいまいなため
ザル法になり実際はむやみな必要以上の殺傷苦痛を動物に強いている。
この事実を知っていれば購入しなかったという人は多くいます。
あるアンチ動物愛護1
「動物に危害を加えるのは可哀想?笑わせるな。動物なんか可哀想なはずないだろ。人間だって犬猫だって他の動物植物だって皆一緒に扱うべき。殺人だろうが動物が虐待されようが何とも思わない。
法に反すれば、罰せられるだけ。あるいは法に反することはやるべきでないと思うだけ。生命皆一緒に扱うべきだから、おまえは動物が可哀想なら生命体全部愛護しろ」という。
・・・恐ろしい人だと思う >>252
>実際はむやみな必要以上の殺傷苦痛を動物に強いている。
具体例と、それが「むやみな」に該当するとの説明を。 家畜は食料と生活品の為必要ですが
犬、猫は不味いから食料には向いていません
バカベジは、植物は可哀想でない動物は可哀想との自分の基準で語っているだけ >>234ああ、そうね 前に植物くっ付けても問題ないねウッカリ
書き直すのめんどいわ
ホンワカムムードなってるから言いづらいが話しにならないので、
で話しにならないとは何事かとかも、いいかなと
君の分進めたほうがスムーズかなと。こちらは相互理解がメインになりそうなので。
上のはノーで、下のはイエスだよ
>>252ザル法ってか規定が難しいので、ゆとりを残しておかなければ成り立たない部分はある
同じく難しいことだが仮に動物の犠牲無くして経済と文化が完全にまわるとしても、人間には幸福の追求が約束されるから、
動物製品による有り難みを知った人間がそうそう抜け出せないことを責められない。
だえど少なくとも現段階において、配慮、軽減を志すという意思は公にかかげられているから、
個人における菜食ってのは、全く正当だし、むしろ誇れるものだし、選択として当然出てくるスタイルなんだよね
その人の例は極端で、
所詮獣畜生に哀れみを全く感じないってのは、サイコでもない限りは肉食だって誰だって頷けないので、
そういうの取り上げちゃ、ダメだよ
ネット上では多い主張だけど、まにうけるものでもない >>255
> 上のはノーで、下のはイエスだよ
ノーの理由は? >>255
>だえど少なくとも現段階において、配慮、軽減を志すという意思は公にかかげられているから、
個人における菜食ってのは、全く正当だし、むしろ誇れるものだし、選択として当然出てくるスタイルなんだよね
動物愛護法に公的にかかげられているのだから、動物への配慮、工場式畜産軽減を志すために
菜食になる正当性はあるってことね >>255>>257
>現段階において、配慮、軽減を志すという意思は公にかかげられているから、
公に掲げられている範囲としては「むやみな」場合を禁じているだけであり、それに該当しないものは当然その限りではない。
該当しないものにまで「意思」とやらを自己都合に合わせて拡大解釈するのは法の恣意的解釈に過ぎないので議論としては無意味。 >>255
>規定が難しいので、ゆとりを残しておかなければ成り立たない部分はある
動物愛護法はザル法
そのゆとりがむやみな動物虐待、犠牲の逃げ道になっている
規定の難しい飼育に関しては監視カメラなどで一般公開するか
専門機関に虐待と判断できる資格権限をあたえ監視すべきだと思う
>配慮、軽減を志すという意思は公にかかげられているか
環境庁の指針かな だからオマエは日本での動物虐待の具体的事例を出してみろよw >>258
どういう場合がむやみ ではないのかな? >>259食品に限れば食品の量と伴う加工技術、バリエーション、施設、生産販売法、いろいろあるけど、
ストック、余裕は持っておかないと、立ち行かなくなる恐れがあるので。
大枠はザックリ規定しとかないと。 >>261
判例で違法とされているものが「むやみに」に該当する範囲だね。
それ以外は今のところ違法性の範囲つまり「むやみに」に該当する範囲とすることはできない。
それをしてしまうなら、それは法の恣意的解釈に過ぎず、そんなものに客観的正当性はない。 >>263法に問われなければ非人道ではないというところの道義的根拠は? >>264
え?法に問われなければ非人道ではない、などという論点がどこから出てきたの?
法の文言に「むやみに」というものがあって、この法律上の「むやみに」という語の解釈はどのように為されるか、という話だろ?
で、日本の場合は法の解釈については三権のうち司法権に委ねられていて、その司法権の解釈は判例に示されている。
それ以外の、まだ解釈されていないものについていくら誰かが恣意的な解釈を陳列しても、法解釈としてはまるで無意味、ということを言ってるだけだよ。
法と人道の関係についてこちらは一言も言及してないけど?勘違いしたの? >>256
動物保護法を例にとり、この法の根本理念である生命の尊重は、人道の指標とした主張に対し
その上で>>258の文だから、むやみに、に該当しない場合は非人道ではないと言っているようにしか読み取れないけど? 読み返すと
配慮や軽減が公にかかげられている、という他人宛ての一文にひっかかったわけか。失礼失礼
動物の飼育環境の向上、配慮や
屠殺方法の安楽化などした負担の軽減は
ここ最近で進歩しているね
これは根底に生命の尊重をかかげるからで、
あの文では、
だから肉食をしないというスタイルは公として正当だよねって意味 >>260
愛護法のすりぬけである
動物虐待を海外の業者に委託すること(強制給餌、生皮はがし、脚ちょん切り牙抜き、ぎゅうぎゅうずめ)
国内もバタリーゲージぎゅうぎゅう飼い、麻酔無し体の一部切る、睾丸ぶっち切り、穴焼き
意味の無い実験、ぶっ続け妊娠、羽むしり
他にもあるだろうが、やめることが可能な非人道的な合法動物虐待 本筋に戻すと、
生命の尊重の厳守が人道ならば
相対的にはこれに相反すれば非人道と見れると
物事そう単純じゃないが
テーマである、肉食は非人道である、という主張はもっともであると。
ここではとりあえず、植物はほっといてある >>266-267
>>234の【少なくともこの議論の中で「植物はいいのか」という論法が謎でも不合理でもないことは理解できたのかね?】の質問に>>255がレス前半でノーと回答。そのノーである理由を聞いたのが>>256。
他方で>>258は>>255の後半と>>257が取り上げた「少なくとも現段階において、配慮、軽減を志すという意思は公にかかげられている」についての言及であり、
>>256と>>258は異なる問題を論じている。君は異なる議論を混同しているってこと。 >>268
>これは根底に生命の尊重をかかげるからで、
>だから肉食をしないというスタイルは公として正当だよねって意味
>>270
> 生命の尊重の厳守が人道ならば
> 相対的にはこれに相反すれば非人道と見れると
「生命の尊重」と言うが、「生命の無条件の尊重」ということにはならないし、生命の尊重が無条件のものでないならば、「反すれば必ず非人道」とは言えないでしょう。
具体的にそれは例えば、法としては「むやみに」に該当する場合は、という「条件つきの尊重」であり、
肉食をしないことは勿論不当ではないが、肉食が「むやみに」に該当しないならば肉食も同様に不当ではない。
これは、肉食しないことが正当であるのと同様に、肉食も正当だということですよね。
従って、 テーマである、肉食は非人道である、という主張をするならば、「生命は無条件に尊重されなければならない」という命題が真であることの説明、
または、「こと肉食に関しては、無条件に生命は尊重されなければならない」が真であることの説明をしなければいけないよ。 >>269
人間の恣意で拘束され、移動の自由を制限され、人間の恣意で選んだ餌のみを与えられ、首輪と綱をつけられたり、芸を覚えさせられたり、人間の都合に合わせて行動制限を強要されたりし、交配相手の選択を奪われたり、去勢されたりするのは?虐待にあたる?
これペットを前提にした事例だけど、飼い主側が一方的な愛情を抱いていても動物側がそう受け止めているとは限らないよね?洗脳ということもあり得るしね。 >>272 生命の尊重ての一条の引用
生命の尊厳がある条件によって伸びたり縮んだりすることは考えられない。
でなければ犯罪人に人権はないし、トンカツに手を合わせる人はいない。
生命に尊厳が認められれば常に一定でなければ尊重されない。
やむない場合に行われる通常は生命への冒涜にあたる行為、
死刑、禁固など。
他の尊重がはばまれる時に必要とされ、やむないが行為そのものの非人道性に疑いはない。
動物に対しては日常的に
やむなしに加えて、人間の有益の為に行われ、時に有益を越えて余分に行われることを述べておきたい(美食の為の肉食、これの廃棄など)
ことわっておきたいのは、前々のレスからご承知だと思うが、こういう事そのものをやめろだとか言って問題とはしてない。
人間社会の性質上、やむなしだから。
まとめると、どんな場合であれ非人道的行為そのものは非人道である なぜ、やむない行為、むやみに、に漏れた行為に軽減や配慮が成されるかってのは、
行為そのものが生命の尊重に相反する、非人道であるから >>274
> 生命の尊厳がある条件によって伸びたり縮んだりすることは考えられない。
生命の尊厳の伸び縮みってどういうこと?
俺が言ってるのは、「ある場合(例えば『むやみに』に該当する場合)に、生命を傷つけることは非人道的である」と言えるからといって、
「そうでない場合に、生命を傷つけることは非人道的である」と言えるということにはならない
ということ。
「人道」というのは「行動規範」であって、「尊厳」というのは「事柄」だから別の概念だよね?
[「ある場合に、『尊厳』を傷つけることは『行動規範』に背く」ということが成り立つとしても、だからといって「別の場合に、『尊厳』を傷つけることは『行動規範』に背く」が必ず成り立つとは限らない]
論理的にはこう考えられる。
> 生命に尊厳が認められれば常に一定でなければ尊重されない。
そうとは言えないでしょ。
『尊厳』というものがあるとして、どの程度尊重することが『行動規範』に合致するか、ということが場合によって異なるから、
犯罪者の尊厳なり豚カツの尊厳はそれ相当程度に尊重されれば、それが『行動規範』において正当であると考えられているのでは?
そうでなければ(程度の問題でないなら)、「やむない場合」とか「むやみに」という条件はこの『行動規範』に自家撞着する。 伸び縮みしない、一定であるということ
一定てのは人と一律に動物にも布団を敷いてやれってんではない
でなければ、ある生命は尊重しなくて良い、なんて理屈がまかり通る
いかなる場合にも尊厳が傷つけれるような時、
すなわち非人道で
どのような理由があれ殺人は殺人だし暴力は暴力であり、すなわち非人道行為であるということ
殺人や暴力に正当性が認められる場合には、在る一方の生命の尊厳、換言すれば一方の権利が他によって侵害されうる時に、
より在る権利を保護、尊重する為に正当化されるもので、本来不当行為
罰とかいう概念は、生命の尊重において不当だから効果があるんで くだいて言えば、人権侵害はよろしくないと俺が言い、
犯罪等やれば罪に問われ禁固等、人権が損なわれるような場合もあるでしょと君がいう(主にこういう旨だと思うが)
↑
人権侵害そのものがよろしくないことに変わりないと俺が言う >>277
> 伸び縮みしない、一定であるということ
まず「尊厳」の伸び縮みという概念がよく分からん。それがよく分からんので、「伸び縮みしない、一定である」かどうかもよく分からん。判断できない。
もう少し詳しく説明してちょうだい。 >>279君の言った、
生命の尊厳が何らかの条件によって阻まれたり、形を変えること、は無いという意味(あったとすれば非人道)
形を変える、伸びたり縮んだりはしないというこ >>280
「尊厳」というのは「尊さ」だけど、それが一定であるというのは、
1・「尊厳」というものそれ自体が対象事物(例えば人や動物の命)に主体として存在しており、それは「人間が対象事物を客体として尊重しようがしまいが、またその尊重の程度によらず、本来常に形而上的に一定の姿をしたものとして存在する」のだ、
従って「その一定を阻むならば、本来の姿の尊厳を不当に歪曲することになる、だから本来正当である一定の尊重をするのが人道的に正当である」、という意味?
それとも
2・「尊厳」とは人間が何かを尊重する際に客体に生じる概念であるから、「尊重のされ方によって一定ではない」が、「(人道的には)一定であるべきものとして扱わなければならない」、という意味?
1であるなら、尊厳というものが形而上的に一定のものとして存在することを担保する説明が必要。
2であるなら、本来的には一定でないものを人道的には一定のものとして扱わなければならない理由の説明が必要。 でたー新登場、「存在の担保を示せ」
普遍性の説明、根拠、証拠、立証、絶対の証明、常識である証明、万人に通じることの証明(人道である証明)
これら証明困難なことをわざと証明させて「証明できないならオマエの主張は成り立たない」
コイツのお決まりの嫌がらせ。コイツが反論できなくなったってこと
これらはすべて同類詭弁であり証明する必要ない(悪魔の証明と構造的には同類)
コピペですませよ >>282
> これらはすべて同類詭弁であり証明する必要ない(悪魔の証明と構造的には同類)
お前は悪魔の証明という語を理解できていないwww
俺が質問しているのは
1・「尊厳」とは本質的に一定のものであるから、一定のものとして扱わなければならない
2・「尊厳」とは本質的には一定のものではないが、一定のものとして扱わなければならない
のいずれですか?という質問。この1・2は背反であり、「一定のものとして扱わなければならない」という規範の前提として必ずいずれかであるはず。
いずれであれ、それが他者に対して説得力を有するためには相当するだけの説明が必要なのは当たり前。
お前のように「決まってるから、決まってるんだ!」で通用するほど世の中甘くない。 >>283
世の中知らないんでしょ。オマエには悪いが世の中いちいち説明しなくて通用しますよ(オマエ以外はねw)
オマエの本心は自分が何もやらない事を、やる人が悪いことにして正当化したいだけ >>284
やる人ってのは「菜食をやる人」ってこと?菜食をやる人を悪いことにしたってどこのこと?そんなこと言った覚えは無いが?
やる人ってのが「不当な押し付けをやる人」って意味なら、不当であるとは言ったと思うが。 ID変わるから先に書いとく 自演と思われたくないので 書いといた者です
>>281後で書くわ だったらそもそも、書き込みするなってはなしだけど >>283
1なのかな
こんなものは自論でもなんでもないと思うが
尊厳などは、これを感じる側によって形が変わる、と君が言うじゃない
生命という物は素晴らしいですね、というのが尊厳、尊重だとして、
見る人によって形が変わった時に、
素晴らしい物ではない、という形状を成すことがありうると。
しかしそれは尊厳を認めていない、尊重をしていない、というだけでしょと。
辛いを甘いと感じる人がいても、辛いは辛いだと。
そういった意味で一定でなければ、言葉も、概念も存在できないでしょ。
それを証明ってよくわからない。
そんでメインは、
尊重の仕方はさまざまで、
時にそれを殺して食べるという行いも、尊重に値することがある、とおそらく君は言うわけだよね
それはその通りなんだけど、
殺すという行為そのものは、どのような場合であれ、
行為そのものの性質として、ネガティブな物で、
ネガティブな物だからこそ、
時にそれを殺すという場合に、効果してポジティブに働くものだと。
草食肉食では、
生命の尊重、人道的見方をすれば、
肉食が可哀想で、残酷で、エゴに満ちた行いである、という見方は正しいよね、と。
長くなるからバッサリ言うが。
一方でそれをしたことで、より人道的広がりを見せる事が、ありうるが、
それはネガティブをやったことによる、効果がポジティブであっただけだと。 エンドレス底無しになるからやめた方がいいよ
存在の担保を示せ(笑)普遍性の説明、根拠、証拠、立証、絶対の証明、常識である証明、妥当性の説明、妥当性を説明したところでそれが万人に通じることの証明(人道である証明)
感覚的のものの存在の証明、それが常識である事の証明
これら証明困難なことをわざと証明させて「証明できないならオマエの主張は成り立たない」
コイツのお決まりの嫌がらせ詭弁(屁理屈)。コイツが反論できなくなったってこと、不毛 >>288
1の方か。だとすると君は>>281に書いたように、
「尊厳」というものそれ自体が対象事物(例えば人や動物の命)に主体として存在しており、それは「人間が対象事物を客体として尊重しようがしまいが、またその尊重の程度によらず、本来常に形而上的に一定の姿をしたものとして存在する」
と主張していることになる。で、それを
>認めていない、尊重をしていない、というだけ
だから、時に「尊厳」にたいしての「尊重」という、個々の人間の扱い方が一定でない(君の言い方だと、伸び縮みする)ことがある、ということだよね?
こういう主張で間違いない? >>290尊厳の形が一定というか、尊厳という概念が一定に備わっている、というほうがいいのかな。 >>291
「尊厳」というものが、人が概念として想定するから生じるというものであれば、想定の仕方によって一定ではないことになるから、
1・「尊厳」とは本質的に一定のものであるから、一定のものとして扱わなければならない
ではないのでは?
概念として人が想定することと別に「尊厳」本体というものが客観的に存在するということでないと
2・「尊厳」とは本質的には一定のものではないが、一定のものとして扱わなければならない
ということになるが。 いや尊厳は物体でも現象でもないから
それを確認する側があるから存在できるし
様々な有り様があるけど、
つまり大きいという概念は、場合によって様々な解釈ありうるけども、
小さいことを大きいとは言わない。そういった意味で一定 >>293
>それを確認する側があるから存在できるし
俺が聞いてるのは、
1・「尊厳」というのはその対象事物(人の命・生物の命・精神、とか)に本来固有に一定のものとして備わっていると考えるのか、
2・それを扱う側が対象事物を「尊重」する際に、その尊重に応じて生じると考えるのか、
ということ。
前者であるなら、これは例えば「波平の頭に毛が1本」というのは見る側の主観に関係なく客観的に1本だから、目の悪い人が0本に見えたとしても、それは見る側の誤りであって、正しくは1本である、というような具合に、
人の主観によらず本来的に一定の大きさや性質のものとして客観的なものとして人の認識に先立ってあらかじめ「尊厳」が存在する、ということ。
君の言い方だと、確認する側と関係なく存在することになる。
後者であるなら、それは見る側が対象事物を尊重するときに、「対象に対する見る側の価値付けとして」初めてその対象事物に生じるものであり、
当然その尊重するかしないか、尊重の程度によってあるか無いか、また、そのあり方が可変であるはずだ、ということにならざるを得ないと思う。 後者についても例を挙げていうなら、例えばここに眞子ちゃんと佳子ちゃんという二人がいるとして、その「可愛さ」というのは見る人によって程度が異なるだろう、という立場。
俺が「眞子ちゃんの方が可愛い」と思ったとして、君は「佳子ちゃんの方が可愛い」という具合に、見る側の主観によって大きさの変わる主観的な価値付けとして、対象に生じるものだということ。
また、愛子に至ってはまるで可愛くない、という人がいるとしたら、そこに「可愛さ」という概念は存在しないわけで、そもそもの有無すら、見る側によるということになる。
これが仮に先の前者の場合だと、
見る人の目が曇っていなければ、眞子ちゃん・佳子ちゃん・愛子にはそれぞれ一定の「可愛さ」があらかじめ固定的に備わっているはずであり、
見る人の主観によらず本来的に客観的なものとして「眞子ちゃん>佳子ちゃん>愛子」であるはずだ、それが真実であり、そう見ることができないのは見る側の誤りである、とかそういう話になるわけ。 いやだから、
素晴らしいですねという概念が尊厳だとすれば、
素晴らしくつったら尊厳ではないと
概念通念がそのもの自体に備わってるわけないし、応じてってのおかしいし
なんなの >>296
もう少し分かりやすく丁寧に説明してほしい 大きいは大きいし、小さいは小さいで
見る人によって大きい物が小さく思えても、
小さく思えたというだけで、
大きいという概念は大きいのまま
そういう、一定。
それと、
生命を尊重しようとした時に、
場合によってはこの方法として尊厳を軽視、無視することをへて、尊重に繋がることがある
けどもシカトした結果、尊重に繋がったと思えても、シカトはシカトである
動物が死にかけてて、ころした方がソイツの為だって時、
手にかけることは、可哀想ではない。
でも、殺したということは一定に可哀想なまま
ここで「可哀想だけど殺してあげよう」という台詞
殺すという非人道行為を行なった結果、人道に結びついても、
非人道行為は非人道のまま
だから肉食は非人道であるというのは、そうであると言えると そうだそうだ
ねずみ講粘着カスはついに、単語や概念の説明まで要求し始めたか
予想してた通りだ、自分で辞書で調べろってレベル。ずうずうしいにも程があるよね >>299
>>255の例でいうと、眞子ちゃんの方が本来的には絶対性において可愛いのだけど、例えば佳子ちゃんの方が若いからあなたには可愛く見える、
でもそれは眞子ちゃんの方が可愛いと感じるのが人間にとって本当であって、眞子ちゃんの可愛さというのは一定のままである、と。
あなたが佳子ちゃんの方を可愛いと見てしまっていても、それは間違いで、本当は「眞子ちゃん>佳子ちゃん」のままである、と。
だから、本当は佳子ちゃんより眞子ちゃんの方が可愛いんだ、ということになるのかな? >>301
いやいや
可愛いの概念は一定で、
可愛くない、と感じられた時点で
可愛い、ではないとこの旨と
混同されたら困る
法律の理念としても登場する、
生命は尊重するもの(○○は可愛いもの)、
が一般的な道徳規範、通念としての人道があり
尊重をしない時には、(○○は可愛いくない)
非人道という見方が出来る >>302
> 可愛いの概念は一定で、
> 可愛くない、と感じられた時点で
> 可愛い、ではないとこの旨と
> 混同されたら困る
ちょっと句読点のせいか意味が取りにくいんだが、
「可愛いという概念は常に一定の可愛さを意味しており、可愛さというものは見る側の見方で伸び縮みしたり有無が変わるようなものではない。
見る側が『可愛くない』と感じた時点で『可愛くない(可愛い、ではない)』などという具合にその有無が変わるようなものではない」ってこと?
> 法律の理念としても登場する、
> 生命は尊重するもの(○○は可愛いもの)、
> が一般的な道徳規範、通念としての人道があり
法律は、常に一定の尊重をしてはいないよね?
法律と人道が一致すると考えるなら、人道も常に一定の尊重を規範としてはいないということになると思うが、どうだろう? そうそう!
下のは
生命は尊重するべきもの という考え方が一定なんであって、
どのようにすれば尊重か などは色々な有り様がある
色々有り様の中で結果的に、尊重に値する場合でも、
この過程に尊重に反する行いがあれば、
この行為自体が、一定に尊重ではないことから、
肉食は非人道であるってのは間違いではないという図式
行為ってのは便宜上そう言ってるだけで、思想上も同じかもしれない 肉食は非人道ってオマエだけの考えてで一般的ではないw >>304-305
他スレに誤爆した後、連投規制にかかったので貼れなかった分。すこし手直しして貼るので、一応読んどいて。どうもこっちの方が君の言いたいことと合致する気がする。
>>302
それとも、眞子ちゃんも佳子ちゃんもどっちも「可愛い」には違いなく、
その可愛さには優劣が無い(眞子ちゃんか佳子ちゃんかで伸び縮みしない)ということ?
仮に愛子について「可愛くない」とするならそこに可愛さという概念は存在しないが、
眞子ちゃん佳子ちゃんに「可愛さ」があるならば、人間の行為規範(人道)としては「愛でるべき」ということになる。
可愛いという以上は、その「可愛さ」は眞子ちゃんの可愛さであろうが佳子ちゃんの可愛さであろうが、本来は完璧に愛でるべきで、場合や都合により愛でるという行為を少しでも損なうならば規範(人道)に背く、
ということ?
? 可愛いから愛でるべきか否かは、問題でなく、
可愛いから愛でる事がメイクラブだとするならば、
というお話し
愛でない場合、愛でないという事そのものは非メイクラブであるから、
可愛いのに愛でないはメイクラブではない、という主張は正しいということ。 >>308
ますます君の主張の内容が分からなくなってきた 本を参考に食べあわせを気にされている方で、炭水化物も肉も食べさせるようです。
肉を食べさせない教育方針は
肉のみから摂取できる栄養素は存在しないことから、虐待に相当しません。 ベジならインドベジみたいなのならまだしも、
日本のベジはなあ…。
>>311
拒食症一直線 朝フルーツも、卵やウインナ、焼き魚を食べたいと言っている育ち盛りの息子にまで強要してるうちがあって微妙だった。
娘は高校生でダイエットに走る時期なんだから親が気をつけて食わせないでどうするよ >>312
栄養素さえ行き届いていれば虐待じゃないの?www >>312
専門家でもないのに本で得た薄っぺらい知識だけでテキトーなことやってる浅はかバカベジママさん、足曲がりのドチビ息子から将来殺されないよう体鍛えとけよ。
人類は有史以前から雑食動物であって植物のみを食べて生活していた民族はいないし、植物から得られる栄養素の吸収率はものすごく低いよ。
まあキミらが自分のガキでそういう許されない種類の人体実験をしていただいた結果、多くの人々が迷信から開放されて助かるかもしれないし、今後もドシドシやってください。 ようやく、連休終わりましたね
すげぇどうでもいいことなんだけど
車でスシロー通ったんですが(そこで喰うつもりではなかった)
中に待つ場所があるはずなんですが、その許容範囲を超えて、外にまで列が飛び出している状況なのです
http://ameblo.jp/toney0407/image-10374804565-10288694032.html
それを見て、(あれっ 子供の日って寿司喰うんだっけな)と
過去の記憶を辿ってみたんですが、うーん なんか小僧寿しかなんか喰ってた記憶はあるな
別にそれはいいんだけどさ
ならばんでもよくね?
ファミレスじゃダメなん?
まぁいいか、多分反社会的な生活をしてる俺が間違ってるんだろう
http://ameblo.jp/pachislotlife/entry-12023049336.html
5-5|パチスロ生活史 自分ベジだけど将来の子供や旦那には普通の食事を作ろうと思ってる。
個人主義。
家族は私のモノでもない。
何を食べるかは、それぞれ人権があるように、選択権がある。
そしていつか子供には屠殺の実態を教える。
その時ベジタリアンになるか肉食のままでいるかは彼次第。
創価学会の建物に幼い我が子を連れて行く母親を見るとはらわた煮えくり返る。
子供はお前のモノじゃないんだよ! 私はビーガンだけど旦那は普通に肉を食べるよ
押しつけられるのも嫌だし、自分が相手に押しつけたりもしない それでいいと思うよ
ベジタリアンは個人の選択であって強要するものじゃない
動物の死体写真を見せて脅迫するなんてもってのほか ベジタリアンになって後悔してる人はちゃんと早めに専門の医者に行った方がいいよ アニマルライツセンターのイケメンビーガンコンテストには子供(男児)も出場してる 民間非営利団体(NPO)法人「アニマルライツセンター」代表理事川口進容疑者(56)=三鷹市下連雀= を窃盗などの疑いで逮捕した。 >>318
そんなに煮えくりかえらなくても大丈夫だよ。世間から批判されるようなことでも子供は親が正しいと信じていて、自分のことが大事だからこそ押し付けているんだということはちゃんと感じるから。
私はベジタリアンの親が子供のことを思って押し付けるのも、子供のことを思って押し付けないのも、どちらも良いと思う。根底の心は同じだし。
結局どうしてその行動を選択したのかってのが重要で、それが子供に伝わるんだと思う。 ★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を嫌うカルト
10人に一人はカルトか外国人
「ガスライティング」で検索を! 中島デコってひとマクロビで子供育てたようだね
もちろん妊娠中もマクロビってたんだろうね 中島デコさんの「放射能から身をまもるマクロビオティック料理 ..
放射脳w
似非科学 知らなかったからちょっとググってみたけど完全にそっち系だな
やっぱりマクロビは馬鹿ばっか 「もう何にもしたくない日は、お米を3合炊いて、そこに生卵を5個割り入れ、岩ノリを少々。しゃもじで混ぜて、そのまましゃもじで食べるのよ」
しゅごい・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています