神はコトバなりきを研究する会「神言会」より引用

日本語は神の教えの神言葉

 幼き日、私に臨まれた旧約聖書の神と名乗る神が云われた内容は、この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国。私の教えは、世界のどの宗教書にも載ってはいない。旧約聖書は私の書であっても秘め書である。
新約聖書は人の子達が為した書で、私書ではない。私の教えは日本の神話や民話やわらべ歌などに秘めてある。

大本教神諭、日本の霊(ひ)の本には一厘の秘密が致してありて、世界の人民の判らん智恵や額で考えても、悪では何でも出来ん事があるぞよ(大正4年旧11月6日)

 出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。綾部に九つ花が咲いたなら
ば、万古末代枯れぬ花であるぞよ(明治31年旧12月26日)

大本教神諭が予告した[九つ花に咲く一輪の言霊の経綸]そこには人類の誰一人として聞いたことも見たこともない言葉で成る[誠]印の三六九(みろく)の教えが存在した
大本教神諭、三千と五十年の月日を必要とした
お釈迦様やイエスの誕生前から仕組まれて来たもの
この仕組みには、日本神話(ひのもとの国の神話)を必要とした
この仕組みが出来る神の存在を大本教以外は告げてはいない
私は言葉の仕組みに、絶対成る神の存在を読んだ

私達日本人は何気なく日本語を使っています
もし、日本語そのもに神の教えがあるとしたならばどうしますか?
このホームページを読まれればその通りに成っている事実に気付かれるはずです

http://kamikotokai.com/