鏡を見るとそこに映る人物を自分と認識する。
その自分を基準として、外の人を見ると、自分よりおしゃれな人や容姿のいい人、
自分よりもダサくて容姿悪い人、自分より老けた人、若い人、
鏡に写る自分とはまったく別人のような人々がたくさんいる。
この自分とその人々とを比較してしまう。どうしても比較してしまう。
彼らより優位に立ちたいと思い、オシャレしたり髪型をキメたりする。
車も同じ。自分の車と認識する車がある。それを基準に、他の車を見ては比較するようになる。
この原理。すこし疑問に思わないか?
鏡に写るこの人物をもし自分だと認識しなければ、道に歩いてるたくさんの人が他人と思わなくなる。
なので自分と他人を比較しなくなる。優劣を作って優位に立とうとしなくなる。
もし自分の乗ってる車が借り物のレンタカーだとすると、その車と他の車を比較してどうこう言わなくなる。
鏡に写るこの肉体って、ほんとあなたのものなのか?
それを借り物だとしてみ。地上にいる間だけ借りてるレンタル肉体。
それを本当の自分だと思うか?もしこの肉体が自分だと思わなければ、あなたの意識はより大きくなる。
鏡に写る人物が自分じゃないとすると、じゃあ自分ってそもそもなんなの?という疑問が起こる。
自分じゃないものを自分と思うことができるあなた。
なぜなら機械的に作られた車を、自分のものと思い込むことができるから。
鏡に写るものを自分と思い込むことができるので、あなたはどんなものをも自分と思い込むこともできる。
全世界が自分と思えば、そう思えてくるし、逆に、自分の肉体さえ自分じゃないし
すべてが自分じゃないと思えばそうなる。
これはとても興味深いと思わないか?