無になることに抵抗を感じるなら、考え方を変えればいい。
無になるんじゃなく、観察者になる。
その思考に気づいてる観察者。
その音に気づいてる観察者。
その呼吸に気づいてる観察者。
その観察者こそ、真我そのもの。
つまり気づいて観察してる状態はすでに真我の状態になってる。
その状態を感じ続けること。
それは無になることじゃない。意識的に真我を体感するということ。
真我の状態はけして無ではないことが理解できるはず。
思考も止まり感情も止まるけど、意識はちゃんと存在していて、感覚もあり、
知恵もある、その本当の自分であるものを感じる。
それはけして自我のない人形のようなものじゃない。

思考を観察してる者、音を聞いてる者、呼吸を感じてる者、
その者を意識してみる。それは自我じゃない。思考が止まり自我が消えたのに存在するその者。
その存在を感じてみる。
それが真我を開く瞑想。