【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
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マインドフルネスとは、歩行や呼吸、動作など、今行っていることに対して
意識を向けるという、簡単な手法です。
これは単なる健康法にとどまらず、悟りや、
霊性の向上にもつながります。 仏陀は苦行につぐ苦行して、修行しまくって、断食してガリガリになっちゃうし、
それでようやく悟りを開いたというのに、
ぼくときたら、快楽的に生きてきて酒をやめる代わりに瞑想マインドフルネスしだして3ヶ月目で
突然悟りを開いちゃったとか。
仏陀を超えてるんじゃないのもしかしたら。 最近なんか鏡にうつる顔が仏みたいなんだよ。
浅田真央みたいなっていうか、元々仏顔じゃないんだけど
なんか仏顔になってきたっぽい。それがいい悪いじゃなくて。
あと目の瞳が、ラマナマハルシや大和田菜穂みたいな、瞳孔が開いてキラッと光るあの
覚醒者独特の瞳になってしまった。
だから、人と対面すると、相手は見抜かれてるみたいでドキッとする。
だから咳払いされまくるのがつらい。 あなたキリスト教で統合失調症になりかけた人でしょ。 自我消滅悟り体験してから、自分の性格というものがなくなった気がする。
自分はこういう性格と感じられるものが前はあったんだけど、
自我消滅と同時にその一個の人格みたいなのも薄れてしまったような感じがする。
性格や人格が消えた結果、残ったのは穏やかな静かな安らかな意識状態。
性格が消えて、そういう穏やかな意識のみが残るので、自然と仏顔になってしまうんだと思う。
悟る前は相性のいい人悪い人がいて、苦手な性格のタイプの人は自分と合わなかったりしたけど、
悟ってからは、相性というものが感じなくなったような。
人間が飼ってるペットと性格の相性が合わなくて困るってことはないでしょ。
そんな感じに感じる。種族が違うような。
または、次元が違うような。 精神世界に目覚めて10年以上経つけど、
そのほとんどは霊界の探求に費やされた。
シルバーバーチなどの霊訓を読み漁り、霊界の実像と霊界の生活を知ろうと熱心だった。
今思うと、それは、悟り体験により輪廻を解脱し卒業することによって霊界入りするので、
死後に備えた準備を今からしてるということなんだと気づいた。
人は睡眠中は霊界で死後に備えた準備をしてるらしいが、
自分の場合は生きてる現在、霊界の仕組みを知ることでも準備してる。
霊能力が使えるが、そのトレーニングも死後で使用するテレパシーや思念の使い方の
練習になってるのだと思う。
そう考えると、もう死の準備段階に入ってるということか。
いよいよ輪廻転生を解脱し、本格的に霊の世界に入っていくそのための準備か。
ワクワクしてきたー 今なら涅槃みたいな心境がわかる。
そりゃわかって当然。
だって仏陀だもんぼくw 本当に悟り開いた人は、なるべくわかりやすいことばで伝えようとする。
わからない人ほど、難しい言葉を並べようとする。
神とは大いなる意識。
自我は脳が作り出すまぼろし。
真我とは大いなる意識。
自分の中に仏がいるっていう意味はもうわかるでしょ。
自分の中には宇宙が存在するとか、神性があるとか。
もうわかるよね。
本当のあなたというのは、真我なの。大いなる意識のこと。
それを神という。それを感じた人が、人間の内には神や仏や宇宙があるっていうの。 それは成功体験でしょ(・∀・)♪
それってマラソン大会でゴール者に感想聞いたら
満足する人や次のレースに意気込む人だったりと色々
そういう意味でも至高体験の快感だけに酔っているのに分かった気になるのはないよ(ヾノ・∀・`) 部屋を模様替えしたり、新しいもの買っても数日たてば慣れてそれが普通に感じるように、
悟り体験も同じで、2週間くらいたったころから違和感が消えてきてそれが普通に感じるようになった。
1年経った今では、もうこの状態が普通で、違和感なく感じられ、
自我のある状態を忘れてしまっている。
ここに長々と書き連ねているのは、その当時の事を思い出して語ってるわけで、
今現在は実はもう自分が悟り体験したということすら忘れかけていた。
スピリチュアル精神世界にも興味なくなり瞑想もしなくなったので、
日々退屈に過ごしてた。 ぼくがお酒をやめて瞑想を本格的に行った方法を話すよ。
それまではほぼ毎日飲んでたけど、瞑想しようと決めた日から1滴も飲まなくした。
考えてみれば起きてるときはほぼ瞑想状態を意識してた。
家にいるときはテレビを消し、たまに瞑想音楽を流しながらイスに座って瞑想。
仕事中はマインドフルネスで今ここを意識しながら。
そうだなーイスに座ってする瞑想は1日5時間くらい。休みの日は一日中。
それを3ヶ月くらいずーっと続けた結果、悟り開いちゃった。 瞑想を誤解してる人が多い。
半意識でボーっとすることと思ってる人多いけど、それは瞑想じゃない。
逆なの。ボーっとするのとは逆で、すべてに神経が超敏感に張り詰めてる状態なの。
精神統一状態と言った方がいいね。
例えば、時計の針の音をずーっと意識的に聴き続ける。カチカチという音。
その音に全神経を集中させていると、次第に思考や感情が止まってきて、
自我が消えていく感覚がすると思う。その状態が瞑想状態。
お風呂場で目を瞑って気持ちよくなってボーっとして半意識半睡眠状態は瞑想状態じゃない。
それを誤解してる人多いから、いくら瞑想しても真我に到達しないし、悟れない。 ぼくはイスに座って瞑想をしたんだけど、なんで座禅を組んでしなかったか。
それはイスでの瞑想のほうが長時間続けられるし、足の痛みによって集中力が切れないから、
より効率的に瞑想できるから。
座禅組むと足が痛くなって瞑想どころじゃないし、長時間できない。
瞑想法は色々あって、どれも共通するのはある1つの対象をずーっと集中的に意識しつづけることなんだけど。
マントラを唱えたり、ロウソクの火を見続けたり、音を聞き続けたり、身体の感覚のある一点を感じ続けたり。
それらの方法は、自分に合った方法でいいと思うけど、
自分の場合は、色々試した結果、一番短時間で精神統一状態に入りやすかった、
ある1つの音を聞き続ける瞑想法を行った。
時計の音、クーラーの音、どれか1つ選んで、それをずーっと何時間も聞き続けた。 ある1の音を選んで、目をつむりその音をずーっと聞き続けていると、
次第に思考が静まり、ごちゃごちゃしてた内面が、次第に静かに空白になっていく感覚がすると思う。
その感覚が、自分の場合は、凸凹のように感じ取れた。
瞑想前は凸で、瞑想中は凹というように。その感覚で、今日は瞑想できたな、とか
今日はあまりできなかったな、というのが理解できた。
もし、瞑想前と瞑想中で、その凸凹のような内面の変化を感じ取れない場合、
それはちゃんと瞑想状態に入れてないということなので、やり方を変えるなり、
より集中状態になるように改善したほうがいいと思う。 その凹の瞑想中の感覚こそ、真我の感覚。
自我が消えた状態の感覚。
その感覚を何度も何度も感じつづけると、自分の意識が次第に自我から真我のほうへ移行していく。
瞑想をやめるとまた自我が湧き出てきて、またごちゃごちゃした内面に戻るので、
道歩いてるときは、歩き瞑想したり、仕事中ははマインドフルネスしたりして、
なるべく真我の状態で生活するようにつとめた。
そのような毎日を3ヶ月くらい、毎日ずーっと続けた。 瞑想についてのやり方とか知識は、本よりもネットで調べて自分なりに学んでいった。
ある程度真我の感覚をつかめ出すと、次第にラマナマハルシなどの覚醒者の悟りのようなものに興味がうつっていった。
最初はお酒をやめる代わりにマインドフルネスをやってみようというそんな深い考えじゃなくはじめたんだけど、
3ヶ月目くらいにはラマナマハルシとか、その弟子のパパジ、その弟子のムージの動画を見て、
その動画で学んだ。真我とは何かのか、自我とは何なのか。
ラマナマハルシのわたしは誰かと問い続ける瞑想も行った。
起きているうちはずっと、わたしは誰か?と問い続ける。
そして、ある日ネットで発見した、ラマナマハルシの瞑想法を行ったところ、神秘体験をして自我の消滅を体験してしまったというわけ。 その神秘体験の時のことを話す。
まずいつも通りイスに座り目をつむり時計の音に意識を集中して、真我の状態に入る。
そしてネットで見つけたラマナマハルシの瞑想法を実践してみた。
わーたーしー、わーたーしー、わーたーしー、と繰り返し心の中でつぶやく。
すると心臓あたりのハートのところに違和感が出てくる。
ラマナマハルシによれば自我はハートのあたりにあるらしく、
わーたーしー、と言うとその自我の部分が反応してくるのだ。
わーたーしー、わーたーしー、と繰り返しとなえ、自我が発生するハートの部分を感じ続けていると、
次第にハートのあたりが熱くなってきて、すごい違和感を感じ、
それと同じタイミングで、上下左右がわからなくなるくらいの強烈なめまいが起きた。
今まで味わったことのないくらいの強烈なめまい。イスをグルグル回されてるかのような強烈なめまい。
その間ずっと背後に気配を感じ、背中あたりに温かみのような保護のような感覚を感じた。
その瞬間は、何だこれーーーーーーーー!!!という驚きと恐怖しか感じなかったけど、
とりあえず身を委ねてみようと思った。 何分経ったわからない。5分10分、あるいは20分経ったか。
その強烈なめまいが次第におさまってきて、
最後にはめまいが全て消えて、元に戻った。
それとともに、ハートに感じてた違和感と熱もまったく消えてしまった。
わーたーしー、わーたーしー、と再びとつぶやいてみても全くハートが反応しなくなってることに気づいた。
なんか心にぽっかり穴が空いたような、自我が抜け落ちてしまったような感覚。
その自我のあったハートの部分には熱が消え去ったかわりに、
とてつもない深い安らぎと静けさ、平和と穏やかな、深い深海のような安心感が宿ってることに気づいた。
そのとき、直感で思ったのは、終わったのだ、ようやく終わったのだ、という
なんとも言えない安心感、ホッとしたような。 いつもは瞑想をやめると真我の状態から自我に戻る瞬間がわかり、その感覚がわかるのだけど、
その神秘体験の直後に、瞑想をやめてみても自我に戻る感覚が一切ないことに気づいた。
ずーっと真我の状態で瞑想中の精神統一状態が続いてる感覚。
なので、耳鳴りがずーっと聞こえてくる。
この耳鳴りは今まで気づかなかった音が、悟りで真我の状態でいられるようになったことで、
今ここをずーっと意識してる状態になったことで聞こえてくる音のように感じられた。
その神秘体験は深夜に起こったので、寝て起きたらまた元に戻ってるだろう、と思ったのだが、
起きても元に戻ってなかった。
なんか自分が少し違うような、自我から生まれるバイタリティやエネルギッシュやパワーみたいな、
利己的な感情から生まれるエゴのパワーみたいなものが一切ぱったりと消えて無くなってしまった感覚なので、
神秘体験直後数日間は、蒼白感のような、虚脱感みたいな、貧血みたいな感覚だった。
でもそれが苦痛というわけじゃなく、とても清々しく安らぎの心境といったらいいのか、
病み上がりで公園を散歩してるような、ああいう清々しさというか。 朝起きてまずはじめに一緒に住んでる母に、報告した。
あのさ、おれ、悟り開いちゃったんだけど。
母は言った。おまえとうとうキチガイになったか。変なこと言うな。と。
その夜の神秘体験のことを話せば話すほど、母の怒りは増してきて、
部屋を追い出されてしまった。
その態度にいつもなら自分も怒りの感情が湧くのだけど、
そのときは一切怒りの感情が湧かなかった。怒りを感じる自我がもうすでに存在しなかったから。
1人部屋に戻りイスに腰掛けると、深い安らぎと癒しと清浄な気持ちになってくる。
まだ強烈な耳鳴りがしている。ためしに瞑想してみたが、瞑想前と変化がまったく感じられなくなってることに気づいた。
そのとき思った。瞑想状態が24時間ずっと続いてるということか?
その瞑想状態から再び自我の状態に戻ることは、もう二度となかった。 それから数日間は日課になっている瞑想を続けていたのだけど、
瞑想前の状態とまったく変化がないため、だんだんしなくなっていった。
というかもう必要ないもののように思えた。
神秘体験直後に感じた、ああ終わったのだ、ようやく終わったのだ、という感覚は、
覚醒者がよく言う、探求の終わりということなのだろうか。
瞑想を行なっていてついに自我が消滅したことで、もう瞑想する必要ない、という思いから、
終わったのだ、と思ったのか。
それとも、自我の消滅による悟りを開いたことで、輪廻転生を解脱したということで
転生が終わったと感じたのか。わからない。
だけど、その神秘体験から瞑想も精神世界の探求もやめてしまった。
というかそれまであった探究心が一切消えてしまったとうか。
なぜ無くなったのかわからない。なんかすべてのものに興味が薄れてしまった。
真理だけじゃなく、物質的な世界のことにも関心がなくなってしまった。
だから何も興味なくボーっとベッドに横になっていると、
まるで涅槃のような気持ちになってくる。 興味深い
母親のくだりは笑ったけど
どんどん書いて それから2日後、はじめて明晰夢を見た。
現実が霞むほどに、リアリティーのある夢。
夢の中で夢と気づき、自分の意思で自由に行動できる。
ためしに道に歩いてる女子校生のスカートをめくってみた。ちゃんとめくれた。
そこから先も行なったが、あやふやになり正確には見えなかった。
まあそこはぼくも男なのでどうしてもそういう事を試してみたくなるのだが、
とにかく肉眼で見る世界よりも何倍も鮮やかで美しく輝いた世界だった。
その夢には死んだ祖母も出てきた。その家から流れるクラシックの曲も念じることで変えられた。
場面は変わり、なぜかラーメン屋で新作の試食をしてるのだが、味覚もちゃんとあった。
そのあとはラーメン屋から出て、人の乗ってるスクーターをかっぱらってすごい速度で駆け抜けるのだが、
まるで飛んでるかのような爽快感。最終的に行き着いた先は水辺のある公園。
その水の輝きが今でもおぼえてるほど、キラキラ輝いていて本当に美しかった。
ぼくはこれが夢だとわかってたので、ためしに近くにいた老人に話しかけてみた。
すいません、これって夢の中ですよね?
すると何者かに頭を撫でられた。そして目がさめた。
そしてようやく起きて、うわーーー明晰夢を見ちゃった、と思い。
その話を母にしようと母の部屋に駆け込んだ。
すると前日とは違って、母は落ち着いて話を聞いてくれた。
たぶん夢に死んだ母の祖母が出てきたので、その話を聞くのは嫌じゃなかったのだろうと思う。 実は自分は悟り体験の2年前から霊能力が使えだした。
そのときにも不思議な夢を見た。
その夢の体験を、オカルト板で、宇宙は数字でできている、というスレを立てたら
どうやらまとめサイトに載ったらしく、ユーチューブにもアップされてる。
興味あれば見てみてほしい。
霊能力が使え出したときは、あれは多分アカシックレコードの夢だったと思う。
お前の使える能力はアカシックレコードの情報だ、ということを知らせる夢だったんだろう。
で、
自我消滅した悟り体験のあとに見た夢の明晰夢の意味は、
あのリアリティーからすると、夢のこちらの世界のほうが真実のリアルの世界で、
おまえの今いる世界は、絵の中の世界なんだぞ、ということなのかなぁ。
確かに神秘体験の後から、なんか現実に現実感がないというかリアリティーが感じられなくなったようにも思う。 このリアリティーを感じられない感覚を感じた釈迦さんは、
一切皆空、色即是空みたいな、そういうこと言ったんじゃないかなぁ。
ほんとなんか平面に見えるんだよね。霞んでみえるような。
この世はなんか実態がない感じがするね。 >>218
> だから何も興味なくボーっとベッドに横になっていると、
> まるで涅槃のような気持ちになってくる。
これこれ、これよ。
これがずっと続いてもいいんだけどな〜、ってなるんだけど、さすがに人間界に生きてるものとしてどうなのよ?ってなってくるんだよな〜… >>214
ラマナマハルシのわーたーしーのやり方が具体的に書いてあるサイトってある? >>225
グーグルで、ラマナマハルシ、瞑想、で検索すると、上から3つ目のサイト。
ラマナマハルシ真我の探求方法、というサイト。 このサイトは小難しく書かれてるけど、
自分はもっとシンプル。
わーたーしー、とつぶやくとハートに違和感でてきて、
それからはハートが熱くなって、強烈なめまいがしてきて、
全身が強烈なエネルギーに包まれてるような感覚になって、
何者かの気配を背後に感じて、
それが10分くらい続いたあと次第におさまったら、
ハートにあった自我の部分が消えて無くなってた。
自我が消滅した。
直後は、蒼白感と虚脱感ととてつもない安らぎと落ち着きと安心感と静けさを感じた。 今、数ヶ月ぶりに瞑想してみたけど、
やっぱり瞑想前と瞑想中で変化がない。
神秘体験前は、凸凹のような瞑想すると自我がへっこむような感覚あったけど、
今は瞑想前からすでにへっこんでるような感じだわ。
もう悟りを開いてから、24時間ずーっと今ここ、今この瞬間に意識がある状態になってしまってるんだわ。
ずーっと真我の今ここ状態でいつづけてるというわけか。
これを何と説明すればいいかわからないけど、
1年経った今じゃこれがもう普通になってしまっていて、
逆に自我があったときの状態を思い出せないわ。 なんだよ何年前からの話かよ(・∀・)♪
でその日からの進歩はどうなんだよと言いたいが
結局スレの主題のような成功体験だけが語られてたらそれで良いのかもな
と言いたいが書いてある内容は
単に落ち着いたんだなくらいのこと(°∀°)ダヨナ 今はもうまったく精神世界のことにも興味がなくなり、
瞑想もしなくなった。
あの自我消滅体験をしたあと、次はどこへ進めばいいのかずっと考えていた。
自我消滅の後に、何かあるのか、考えてみたけど思いつかない。
自我消滅まではある程度、覚醒者の体験などで道は示されていたが、
その先は誰にも経験したことないので、ほんと困った。
なので今は目の前の雑務をこなし、ただ無目的に日々を送るだけになっている。
精神世界に熱心だった頃の、あの情熱や希望みたいなのがなつかしい。
でも最近気づいたことがある。
自我が消滅したハートの部分。そこは普段は深い静けさと安らぎが感じられるんだけど、
霊視などして、人の愛などを感じると、そのハートの部分がとても温かくなることに気づいた。
もしこの先さらに進化すべき道があるとすれば、そのハートの部分にとても温かい愛がずっと宿り続けることかなとおもう。
そこに愛の慈悲の心が湧き出てくるんじゃないか?と想像してるけど、
それもどうだかわからないでいる。
今までの人生、スピリチュアル精神世界に目覚めて導かれて、自我消滅悟り体験まで10数年、
すべて自分の意識じゃなく背後の存在に導かれていたとすると、
この先どのように進めばいいのかも、きっと道を示してくれるはずだ。
それまで待っていようと思う。日々とりあえず自分の興味あることをやるだけ。
そしたらきっと次の道を示してくれるはず。 今までのことを考えると、自分の願いはすべて叶ってきたように思う。
はじめてオーラの泉を見て、江原さんの霊視能力に憧れ続けてたら、
実際に3年前から使えるようになった。
瞑想をはじめて悟りを開きたいと思ったら、ほんと悟りを開いた。
2chのまとめにのりたいと思ったら、ほんとまとめに載った。
それらすべて精神世界関連の願い事で、物質的な願い事はまったく叶ってない。
金持ちになりたいとか、フェラーリに乗りたいとか。
精神世界関連の願い事は叶うということか。
ぼくは最後に大きな夢みたいな願いを持ってる。
それは憧れみたいなものなんだけど、
ラマナマハルシやムージみたいな霊的指導者になりたいという願いがずっとある。
キリスト、ブッダ、グルジェフ、和尚ラジニーシ、サイババ、ラマナマハルシ、
パパジ、ムージ、クリシュナムルティ、彼らのように霊的な覚醒を促す指導者になりたいと。
でも自分は人前に立つの苦手だし、大勢の前で話すのは緊張して苦手だから嫌なんだけど、
でも彼らみたいなのに憧れがある。
だからその真似ごとみたいな感じでここ2chで語ってるとおもう。 もしこのぼくの最後で最大の願い事である、
霊的指導者になるという夢がもし現実になるとすれば、
それがぼくの残された人生での、最後の使命なのだろうと思う。
悟りを開いて輪廻転生を解脱して、まだ残りの人生半分ある、
この退屈でヒマな時間が、霊的指導者として教え導く時間だとするとつじつまが合うような気もするし。
でも現実的に考えて、霊的指導者になるというのは、かなり無謀な夢でもある。
でもムージの動画とかみると、ああいう感じになりたいなぁと思うし。
でも人前に立つのは苦手だし。無駄に霊視できるけど、自分のことしかみてないし。
あ、そうだ。霊的指導者にもなりたいけど、江原さんに憧れてるんでスピリチュアルカウンセラーになりたいと思ってた。
まあそんな感じで、覚醒体験や霊視能力で、人の役に立てたらなぁ、という願いがあるってこと。 >>235
個人的に頼んだらカウンセリングしてくれる? >>237
カウンセリング一度もしたことないから無理。
霊視は霊視スレで見たことあるけど。
もう疲れたし当たらないからやめた。
江原さんレベルの能力はないし。
ちょっと感じる程度だから。守護霊とかオーラも見えないし。
でも江原さんは謎だよなぁ。
あんなに大きい使命あって霊格高そうなのに、瞳が覚醒者のそれじゃないんだよなぁ。
目の瞳はいたって普通の人なんだよ。
どうなのかね。
江原さんはまだ悟り開いてないってことか?てことはまだ転生はあるってことか?
じゃあ悟り開いたぼくのほうが上ってこと?でもそんなわけないしなぁ。
もしかすると前世ですでに悟りを開いた人は、今生では瞳が覚醒者のそれにならないのかなぁ。
江原さんは真我とか宇宙意識とかは感じないのだろうか? 覚者の方が上とか、仏陀だからすごい的な文章は、何がしかの我が残ってるような気もするんだが、どうかな?
他の部分は面白いけど、さりげにマウント態勢にすぐ入るのが木になる。。 だよね(・∀・)♪
仏陀に会ったことも知らないわけで要は主観で仏陀は凄いとなるけど
いや別に仏陀一人で社会は成り立ってなくて他の人たちもが重要なわけでさ
つまり至高体験の価値づけも主観なわけだけども
正直その価値は努力相当な位で進んだ分だけ人にアドバイスできるよくらいだろうね
ただその涅槃だ仏陀レベルだってのも
単に主観でしかないから自我の強弱なんてどうでも良いけどな
そこが目安ではないと思うけどな
一番始めに書いたけど社会を成り立たせる一人で入れば良いんだからね(・∀・)♪ >>239
我がまだ残ってるかな?
霊格が上だから偉いとかいう意味じゃなくて、覚醒段階の話だよ。
もしずっと憧れてた江原さんより、悟りにより覚醒段階が進んでしまったのなら、
逆転現象だなと面白く思っただけ。
覚醒段階はマウント意識に関わらずちゃんとあるとおもうから。
その覚醒段階の話をしただけ。
覚醒段階がなぜあるかと思うと、スピリチュアリズムでは霊格という概念があって、
魂にはそれぞれ覚醒段階があるらしいんだ。
それを何段階とちゃんと定義してる霊訓もある。インペレーターだったかなぁ。
そのようなので、その霊格による覚醒段階の話を例え話として江原さんとぼくに当てはめてみたんだよ。
そこで純粋に疑問に思っただけ。
江原さんとムージみたいな覚醒者は、どっちのほうが霊格的には覚醒が進んでるのだろう?と。 覚醒なんて千差万別
みんな同じ所からスタートして同じ道順でゴールする訳ではないよ
我が消失して覚醒とするか、クンダリニ昇華させてを覚醒とするか
それより我が消失したのにどうして外側と比べるのかな?比べる事って我があるからこそじゃない? 江原なんて言動にブレのある偽物やん
それを信じてどうこうって正直笑わせるねw
悟るって、真実がわからないけど精神的に平坦になるだけのお話?
お笑いでしかないんですけどwww >>241
そういう前提があったんだね。
自分はスピ系の本やウェブ知識がほとんどなくて、禅の悟りをベースに考えてたから認識にズレがあったんだね。 >>151
>>207
>>235
で退屈だ〜ってさんざん言ってるけど、覚醒すると退屈になるものなの?
もっと満たされた気持ちになるのかと思ってた
そんなに退屈になるのなら覚醒しなくてもいいかなって思えてくる >>244
フラットと言っている割に序列をつけるって面白いね
普段がどうでもいいなら、それ以外もどうでもよくない?
こいつ元々マウントしたい人だから本物かな?w >>235で
> あ、そうだ。霊的指導者にもなりたいけど、江原さんに
> 憧れてるんでスピリチュアルカウンセラーになりたいと思ってた。
> まあそんな感じで、覚醒体験や霊視能力で、人の役に
> 立てたらなぁ、という願いがあるってこと。
と言っているのに
>>238
> カウンセリング一度もしたことないから無理。
> 霊視は霊視スレで見たことあるけど。
> もう疲れたし当たらないからやめた。
はブレてないだろうか
覚者にしては筋が通ってないというか
そんなものなの? >>243
自分も悟る前までは、悟りを開くイメージって、
自分の中に仏が宿るとか、無限に慈悲の心が湧き出てくるとか、
黄金の光のエネルギーが全身に満たされたり、価値観が180度変わるものだと思っていた。
でも実際、自分が体験したのは、そのどれでもなかった。
前の自分と何も変わらない。変わらないどころか、逆に何かを失った感覚が強い。
自分の中にあった自我というものを失った感覚。
それによる、感覚の変化はすこし感じる。でもそれがいいか悪いのかは正直判断できない。
自我がなくなったことで、世界が平面に見える感じがする、
自分という存在がネズミレベルのような空気のような価値のないもののような感じがする。
世界も自分もなんか、価値がなくなってしまったような感じがするんだけど、
その価値のないものの背後にある大いなる意識のようなものを感じられるようになった、というか。
その大いなる意識はたぶん、悟る前にも自分の中にもあらゆるものに存在してたと思うんだけど、
自我のせいでその精妙な感覚を感じられなかったように思う。
自我がなくなったことで、その精妙な感覚を感じ取れるようになって、
無の自分の中に、その空気のような大いなる感覚が漂う感覚というか。
その大いなる意識の感覚は、エネルギッシュでパワーのあるようなものじゃない。
マイナスイオンみたいな優しい静かな空気のような、穏やかなものとして感じられる。
空気のようなもの。
なので言葉で言えば自我のなくなった、自分という空間の中に空気が流れ込んでくるというか
漂ってることに気づいてきた、というのか。
つまり、空気の中に空気が入ってきたという、そんな感覚かなぁ。
なので存在そのものは存在しないような感覚なんだけど、
その大いなる意識がすべてのような。 >>245
退屈だー、と思うのは目的がなくなっちゃったから。
それまでは自分の人生を精神世界に捧げるくらいの強い情熱で、
精神世界やスピリチュアルを探求してきた。それがとてもワクワクして楽しかった。
本屋行って、精神世界コーナーに行くだけでワクワクしてた。
さらに自分の魂を高めることができる、何年後にはどれだけ魂が成長してるだろう?と
希望みたいなものがあった。
だから悟り体験前は、そういう気分だったので退屈とは感じなかった。
瞑想にハマり、悟る直前までその心境は変わらなかった。
でも、悟り体験をして、ああ終わったのだ、もう探求すべきことはないのだ、と心から感じたときに、
それから一切の探究心や興味や希望が消えてしまった。それがほんと不思議なんだけど。
もうすべて学ぶべきことを終えてしまったという感覚なので、
精神世界コーナーで本を眺めても、なんか今の自分にとってはすでにどうでもいいことのように感じられてしまうんだ。
もちろん物質的な事柄も、もう自分にとってはどうでもいいことのように思えるので、
とにかく退屈だー、という気持ちしかない。
でも退屈でヒマで嫌だー、という感じじゃなくて、
退屈でヒマでいるその状態ですべてが満たされてるような感じというか。
なので退屈なんだけど、気持ち的には穏やかで静かなんだ。
何もすることなくても、それ自体ですでに満足してるというか。
探究心があったころのワクワク感や刺激もいいけど、涅槃みたいな今の心境も悪くないとおもう。 >>247
ブレてる?
江原さんみたいなスピリチュアルカウンセラーになりたいけど、
自分の今の能力はそこまでじゃないので、試しに2chで霊視しても外れたから、
霊視はできないよ、ということ。
でも本当はもっと霊能力パワーアップして江原さんレベルくらい
前世や守護霊やオーラが見えるようになれば、スピリチュアルカウンセラーになりたいのになー
っていう夢なんだ。 >>246
246の文章は、244に言ってるの?それとも悟った退屈だ〜って言ってる人に言ってるの?
ちょっと文章の意味がよくわからんかった。すまん。 >>250
無我というか自我が空というのか、言葉は人それぞれかもしれないけど、その後に、それでもこれだけはしたいってのが、向こう側(後ろでも前でも上でも下でも良い)から来ると思うんだよね。
そこが、大事なのかなと思うんだ。
でさ、悟りとかスピとか全然興味ない人でもさ、その向こう側から来ることを純粋に受け取って生きてる人って結構いる気がするんだよね。というか、それが普通でしょ、的な人というのか。
だから自分はスピ系の知識皆無ってこともあるけど、やっと普通の人間としてのスタートラインに立てたんじゃないかって思ったりもするんだよね。
俗な言葉で乱暴に片付けちゃうと、こじらせてただけじゃん?とかってことなんしゃん?とかってさ。 >>238
覚醒者の瞳って、例えば誰だったら覚醒した人の瞳してるの?
美輪さんとか? >>253
和尚ラジニーシとか、クリシュナムルティとか、
ラマナマハルシとか、ニサルジダッタマハラジとか、
パパジ、ムージとか、エックハルトトールとか、大和田菜穂とか。
彼らは全員、悟りを開いた経験のある覚醒者と言われる人たちなんだけど、
その瞳に共通したものを感じられるんだ。
瞳孔が開いてて、妙なキラッという光があって、眼光の鋭さと真理を見抜くような眼差し。
ほんと独特な瞳をしてるんだ。しかも全員に同じような共通した瞳なんだ。
そしてなぜか、自分も彼らと同じような瞳になってしまってるんだ。
この瞳のせいで相手をドキっとさせてしまうのがわかるから、
人に不快を与えてしまってるようで、
普通のような目になるように心がけてるんだけど、なかなか瞳のキラッとしたのが取れなので、
私生活を送る上ではかなりデメリット。 >>254
大和田さん知ってるけど、確かに目力ハンパない人だよね。
「私はいない」とか「なにもない」とかばっかりで、言ってることは高度すぎてついていけないけど、覚醒したら理解できるんだろうか?
そして大和田菜穂と仲の良い阿部敏郎とか雲黒斎とかはその眼を持ってると思う? >>255
阿部敏郎も雲黒斎も名前は知ってるけど、顔は見たことないなぁ。
でもまあ、さっき名前出した彼らのような独特の目の印象を彼らにも感じるとすれば、
同じようなものじゃないかなぁ。 大和田菜穂はほんのすこし動画見たくらいなので、
詳しくどんなこと言ってるかあまりよく知らないけど、
わたしはいない、とか、なにもない、っていう感覚はぼくのレス読んでもらえれば
なんか少しわかってもらえるとおもう。
ぼくも、わたしはいないと感じる、というか自我が消えたことで人間としての自分がネズミレベルのような
空気のような価値ないもののように感じられる。
このことを、わたしはいない、と表現してるのかなぁ。
なにもない、っていうのは、悟りを開いてからなんか世界が無価値で平面のように感じられ、
実態がないように感じるので、そのことを、なにもない、と表現してるのかなぁ。
よくわからないけど。
わたしはいないし、なにもないんだけど、大いなる何かが感じられて、
それがほんとの自分のような、宇宙のような、神のような、全体のような、
そんな感覚なんじゃないかなぁ。 お世話になってる易者さんが言ってたけど、神仏縁のある人は顔に出るって言ってた
のっぺりした仏像みたいな顔って >>257
水を差すようで恐縮なんだけど
いわゆる悟りと呼ばれる「自分も世界も一つで、隔たりの無い状態」とか「自我が無い状態」
って瞑想して昏睡に近い状態になったから、
すなわち脳の障害なんじゃないかという疑念が消えないんだけど、そのあたりについてはどう思う? >>260
ごめん、自分は仏教とか全く詳しくないんだよね。
釈迦も 途中で切れてしまった。
釈迦は般若心経で「すべてに実体はない。」とか「すべてはエネルギーだ」とか「諸行無常の流れの中で、我々の脳が勝手に実体があるように勘違いしている」というようなことを述べているのは知ってる。
そして、それはまぁ確かにそうだなぁ。とは思ってる。
ただ、それは理性でも納得出来ることだよね。
それと悟りとは脳の障害なんじゃないか?っていう疑問とは直接結びつかないように思う。 >>259
瞑想者とか沖縄のシャーマンとかの脳は調べたら脳波がちょっと違うみたいなのは、ドキュメンタリーなんかでもやってるよね。
それと同じように、障害というかどうかはわからないんだけど、松果体が大きくなってるとか、ある部分の脳神経が弱くなってるとか、そういうのはあるような気はするなー。 >>259
もし脳に変化があるとしたら、それは脳の障害じゃなくて、脳の進化なんじゃないかなぁ。
意識が覚醒するにつれて、脳の使われてなかった場所が使われ始め、
霊能力や超能力が出てきたり、
その先にはさらに脳が進化して自分と外界の壁を感じなくなる悟りみたいふうになるんじゃないかな。
よくわからないけど。
自分が悟り体験した経験でいうと、脳が変化したとは感じなかったけど。
思考や考え方は前とまったく同じだから。もちろん知能も変化無いと思う。
よくわからないなぁ。 >>264
なるほどねー、脳の進化か。
確かに263が言うように松果体が発達た人はテレパシーが出来るようになるとか、霊が見えるとか、そういう話良く聞くよね。
あとは脳はメモリーじゃなくてチューナーとしての役割の方が大きいとかね。
ただ、マスターが良く言うように一気に我が落ちるとか、簡単なことに気付けていなかっただけで気付けば一瞬とか、一気にガラガラ変わるメカニズムについては脳の発達だと説明がしづらい気がするんだけど……脳の回路が一気に生成されるってのはなんだかよく分からない。
まぁ、もう少し勉強しますわ。 スピリチュアルと脳科学を比較すると、スピリチュアルが先端で脳科学は後追いで遅れているから、脳のメカニズムで理解するのは難しいだろうね
これは優劣の比較ではないよ 興味深いなぁ
自分も脳が見せる幻覚なのかと
悶々と考えてたりしてたから 金縛りや離脱も体験したからわかるけど。本当は瞑想で集中力上げたいだけ、なんだよなー。
最近、瞑想初めてトリハダや寒気を感じる事が多くなってきた。
この状態を続けるようにすれば良いのかな? そうそう、これが言いたかった。
悟りってさ、そんなスペシャルなことじゃなくてさ、そうなってる人結構いるよ、と言いたい。
瞑想段階なら教えていけるよね、って誰かが書いてたのはそうだなと思う。だけど、悟り自体は、ほんとは特別じゃないと思うんだ。特別じゃないってことに気付ければ、いいだけってかさ。
瞑想からの神秘体験とかその後の気持ちの変化とか、そうだな〜…わかるわー…とか思うし、面白いな〜と思うんだけど、
スピリチュアル系の本から作られた文字で構成されてる文章だからそうなりがちなのかもしれないけど、時折挟まれる若干の「選民意識感」はちょっと違うんじゃないかな〜と思うよ。
君が思ってるより、ちまたで覚者になってる人は多いんだよ。ラジニーシ?だとかそういう人を挙げなくても、意外といるから。特別じゃない。 精神世界では自我消滅しても神の国に入れない人ばかり。 選民意識は悟り体験の前はあった。誰よりもあった気がする。
とくに霊視能力が出てきはじめたときや、自分が数秘術のマスタナンバー33てことに気づいたとき。
自分はスピリチュアル的に特別な人間なんじゃないか?と思ってた。
でも悟り開いてからは、自分が特別という感覚が一切消えてしまった。
たぶん、自分が特別と思うのも自我による自意識のせいだと思う。
自我がなくなったので、選民意識も消えてしまったんだろう。
今では、自分なんかまったく価値のない存在という感じがする。
なんて言ったらいいのか。価値がないっていうか、
ありのままの状態の自分がここにただ存在している、ただそれだけがある、という感覚。
その自分を誇り高く感じたり特別感感じたりしないけど、卑下したりコンプレックス感じたりもしない。
ただここにこういう物が存在してるという感覚。
自分という存在自体を重要視しなくなったというか。なのでとても謙虚で静かだとおもう。
人を見ても自分のほうが優れてるとは感じない。
悟る前は、自分と比べて無意識に優劣つけてたように思うけど、
今は、人々がそこにいて、自分はただそれらを観察してる意識体みたいな感覚。
人はちゃんと性格や自我があって個性あるように見えるけど、
自分については透明な存在のように思えるので、人と対面すると比較できない。
透明な意識体が彼らの存在を認識してる状態というふうな感覚になる。
この認識の違いは悟る前と後で変わったかも。 悟る前はたしか、自分のことを考える場合、
自分の過去から今まで経験してきた生活で、自分はどのような性格で、
どのような長所と短所があって、どのような趣味趣向で、
好きなタイプ嫌いなタイプの人がちゃんとわかってて、
というふうな自己分析がちゃんとできてたと思う。
その自分が誰かと対面すると、お互いの性格のズレや価値観のズレみたいな違和感を
ちゃんと感じられてたように思う。
悟りを開いてから1年経った今、自分のことを考えてみると、
それら全てがわからない状態になってる事に、今気づいた。
自分がどのような性格で、どのような長所短所があるのか、
実のところわからない。なぜなら存在しないから。性格とかいうものがないから。
なので好きなタイプ苦手なタイプもなくなった。誰にも同じような感覚になる。
趣味趣向もなくなった。
今ちょっと冷静に考えてみると、これヤバいな。
もう人間じゃないなこれw
でもほんとそんな感覚なんだよ。
じゃあ自分というものを考えた場合、どのように感じるかというと、
透明な意識体、世界を認識する意識、
安らかで穏やかで静かな気分の存在、
その程度の自己像しか感じない。
だからやっぱりもうすでに自我が消滅してしまってるんだわ。
だからそんな自己像しか思い描けないんだわ。 >>272
で、そういう人があなた以外にも、ちまたに、本とかで語ってなくても、結構いるんだよ、ってこと。
そういう人たちが今どうやって活動してるのかとか、見るといいんでないのってこと。
表面上の見るんでなくて、全体もしくは一元、透明、といったようなところで、どう動いてるのか見てみてってこと。 そんな人いっぱいいるのかなぁ。
無自覚にそういう経験した人はまあいると思うけど。
ぼくがここに書いてるのは、こんな経験したんだぞすごいだろ?って自慢で書いてるわけじゃなくて、
スピリチュアル探求者や瞑想で悟りを求める人に、少しでも参考になればと思い、
特殊な自我消滅体験したので、なるべく明確に具体的にわかりやすく、
自身に起こったことや、悟り前と後のことを比較したりして書いてるだけで。
たしかにこんな長文をずーっと書いてるから、側から見たらそんな神秘体験して自慢したいんですね、
って思うだろうけど、
そもそも最近ではもう自分が悟り体験したことすら忘れるほど、精神世界に興味無くなってたし、
自慢したくなるような自我ももうすでに存在しないので、
ほんとはここに書く必要なんかないんだけど、
自我消滅の悟り体験を具体的に詳しく説明してくれる人なんていないでしょ。
だからじゃあ自分がその役目をしてみようと勝手に思い、勝手に長文を書きまくってるだけなので、
あまり気にしないでください。 >>274
それもすごいわかる。すごく役に立つし、参考になる。為になる。
だから、マウントとかじゃなくて、意外と、もっともっと世界は広いかもよ?ってことを言いたかっただけ。 ぉい 空に雲に乗る人たちがいる…( ゜д゜)、;'.・ >>274
最初からあなたの書き込み読んだけどとても興味深かったです。
どうもありがとう。
私も一暼体験っぽいのを一度経験したけど、ハッキリ言って恐怖だったな。
ほんの一瞬で直ぐ自我の状態に戻ったからだと思うんだけど、めっっちゃくちゃ焦った。
それからというもの、一ヶ月くらいはスピからは完全に離れてしまったほど恐怖だった。。。
まぁ、そんなのはどうでも良いとして、私が疑問なのは
いわゆる願望実現について、悟り体験を通して感じていることはありませんか?
世界も自分もすべて等価、ってことで、世界も私みたいな感覚になっているんだと思うんだけど
周囲がどのように振る舞うようになったのか?悟る前と後で変わったことはなかったか是非聞いてみたい。 >>274
貴重な体験とお話しをありがとうございました。
繰り返して読んでみたいと思います。
あくせくと、目の前の、つかのまの充足を追い求めている自分・・水に溺れているのと同じじゃないか・・・と情けなくなります。
自我に振り回されるということは充分に学んだように思うので、次に進むしかないです。
瞑想しなければ・・と思い勉強になりました。
あなたのようにエネルギーレベルが変化した人は、”他人の霊視をして相談に乗る”みたいな仕事をするのではなく、存在するだけで価値があるのだと思う。
おそらく、存在自体で、存在するだけでエネルギーレベルで、安定や進化の影響を与えていくのだと思う。
この世の宝になる。もちろん過大評価は危険だけど、過小評価もほどほどに。
自分は、
追い詰められた人生のなかで、
明晰夢、異世界・・と体験してきました。
火山性微震の続く山の近くに住んでいます。
深夜熟睡している時に、大きな地震がくると目が覚めるけど、
微震だと、身体は眠ったままで意識だけが目覚めます。
きっと、最初は、そんなことがきっかけで体験したのだと思います。
しっかりとした世界でした。
で、そこまで解っても、この世が大変で、辛くて、泣きながら生きている。
自我か・・・そこだったのか・・・・・と。 笑うしかないところだけど一応書き込んでおく
誰かさんは悟りどころかどうしようもない森を彷徨ってる
そのままでいるのは危険だけど望むのなら答えは向こうからやってくる
形はいろいろあるし、幻覚として見えることもあるかもしれない
大事なのはしっかり受けとること
あと、自分みたいな人は希少だとかそんな驕りは捨てること
というか本当に悟りにあるならそんな考え浮かぶはずがないんだが
入り口だけ知ってテレビ業界に殴り込んだ誰かさんみたいにならないよう気をつけてね >>277
悟りを開くと知恵が湧き出てきて、すべての真理がわかるようになって、
宇宙法則みたいなのも使いこなせるようになった。
ということは一切なかった。
なので、願望実現についての考え方も悟り前とは変化ないとおもう。
ただ、霊能力が出始めたときは、妙に思ったことが具現化するので
気持ち悪く感じたほど。
今でもそうだけど、その日の気分がネガティブだったりすると、
会社の機械が壊れたりとか、まさにその心境が具現化したように思うけど、
もしかすると逆かもしれない。と思うことがある。
その機械が壊れる未来を予知で無意識に感じ取って、ネガティブな気分になってしまってるのかも。
願望実現も、願えば叶うというより、その叶った未来を深層意識で感じ取っていて、
そういう未来になるような願望を抱くように必然的に仕向けられてるのかもしれない。
例えば、社長になりたいという願望を抱く人がいたとする。
彼は数年後、社長になった。彼は自分の願望が実現したと感じるだろう。
でもほんとは、数年後の未来はすでに存在しており、彼は社長になる未来が存在していた。
その未来を無意識下で予知的に直感で感じ取った彼は、
必然的に、おれは社長になりたい、という願望を抱くようになる、ということ。
この説がなぜ正しいと思うのかと感じるかというと、霊能者や占い師がよく言うでしょ。
あなたは何年後に結婚して、何人のお子さんを授かります、とか、
あなたの将来の結婚相手の姿が見えます、こういう容姿の人です、とか。
なぜ存在しない未来の姿がみえるのか。それは未来というのはすでに存在していて、
霊能力や占い師は、そのすでに決まっている未来を覗き見てるにすぎない、ということなんじゃないかと。
ということなので、願望実現の法則とか、潜在意識に焼き付ければ実現するとか、
思ったことは現実化するとか、それは単に未来を予知してるに過ぎないんじゃないかなぁ。
社長になる人は必然的に、というか守護霊の意識によって本人に社長になりたい願望を持つように
導かれるんだよ。 >>277
悟りを開いてから周りの人の変化は、そんなに変わらない。
というかほとんど変化ない。
なぜなら、彼らは悟りを開く以前のぼくのイメージのまま今現在もそのイメージで見てるから。
だからぼくとしては生まれ変わったような別人みたいな気分がするんだけど、
相手からすると、変化はあまり感じられないんじゃないかなぁ。
でも相手の我を刺激してしまうことでギクシャクすることはなくなったかも。
自分のエゴやプライドが相手の癇に障って、相手をイラつかせたりするの、
そういうのはまったくなくなったかも。
だから人間関係は穏やかになったかもしれない。言われてみれば。 >>278
ありがとう。
そんなもったいないお言葉。嬉しいです。
でも客観的に自分を見てみると、そんな素晴らしい存在ではないかなぁ。
でもそういう存在になれるようになりたいな。
自分も予知夢だったり明晰夢だったり不思議な夢を見たときは、
必ず浅い眠りの昼寝の時だったような。
寝起きで貞子みたいな幽霊が足元に立ってたときも、昼寝の時だった >>282
信じる信じないじゃなくて、いるかいないか。
ぼくは体験からいると確信してる。
予知夢や神秘的な夢を見たとき、守護霊の声を聞いた。
守護霊を意識すると、ゾロ目を頻繁に見るようになる。
そもそもスピリチュアル探求者なので、守護霊の存在は肯定的。
ノンデュアリティーの人たちは守護霊とか霊界とか信じないのかな。
じゃあぼくとちょっと違うね。 >>284
回答ありがとう。
ノンデュアリティの人達はどうなんだろうね? 今ここ、今この瞬間に意識があるということについて。
ぼくは悟りを開いてからというもの、24時間四六時中毎日ずーっと今この瞬間に意識がある状態になってる。
なのでかっこいい言い方をすれば目覚めてる状態。
意識がずっと目覚めてる状態なので、寝るとき以外はボーッとする瞬間がない。
テレビ見ながらボーっと、コーヒー飲みながらボーっと、考え事しながらふとボーっとしてしまうことが
1秒もない。一瞬もない。ずっと何かに意識が向かっていて、何かに気づいてる状態。
瞑想中のときのような、ある対象をずーっと意識し続けてる状態がずっと続いてるようなもの。
なので過去のこととか未来のことも考えられなくなった。
そのため時間の感覚を感じなくなり、時間が存在しないような感覚になってくる。
今ここに100パーセント目覚めてる状態は、とても安心感があり、
瞑想中に感じられるような安らぎや静けさや穏やかさを、ずーっと感じられる。
今ここに意識がある状態では空間の感覚もすこし変に感じる。
例えば、家から職場まで行くとする。その間ぼくは一歩も動いてないように感じられる。
これは感覚の話なので実際には動いてるんだけど、
自分がどこに行こうが動こうが、目隠しされて飛行機に乗せられて日本からアメリカに行くような、
本人はまったく動いてないような、動いてることに気づいてないような感覚になる。
なので空間というのは存在しないのではないか、という気もしなくもない。
つまり時間も空間も、あまり実態を感じなくなったような気がする。
時間も空間も存在しない、それはつまりこの世は実在しない。一切皆空色即是空ということか。 ぼくは悟りを開いてから、
まるで自分が空気のようで価値ないもののように感じられると言ってきた。
その理由を考えてみた。
自己像というのは、過去の記憶によって生まれる。
過去の記憶から、自分はこういう人間だと認識する。
今この瞬間に意識がある状態では過去のことを思い出せないので、その自分像が消えてしまう。
自分像が消えてしまう瞬間は誰にでも感じられる。テレビゲームに熱中してるときとか、
趣味に没頭してるとき、意識が100パーセント今この瞬間に集中してるとき、
自分という存在は消えてしまって感じないはず。
それが24時間ずっと続いてるような状態なので、自分というものがなんか存在しないような感覚になってくる。
そのため、まるで自分が空気のような価値を感じられないもののように思えてしまうのかと思う。
まとめると、時間も存在しない、空間も存在しない、自分も存在しない、
ように、感覚として感じられる。
その感覚を信じるなら、この世界は実在しない!と言うこともできる?
世界も存在しないし、自分も存在しない。
じゃあ何が存在するように感じられるか。
なにが実感を伴って感じられるか。それは 世界も自分も存在しないように感じられる。
じゃあ何が実感をともなって感じられるかというと、
それは、このぼくの意識。
このいっけん存在してるように見える世界を認識してるぼくの意識。
存在しないように思える自分という存在を認識してるこの意識。
この意識だけは、かすんだ平面の絵のような世界にあって、唯一とても鮮明にリアリティーをもって感じられる。
なので世界も自分も存在しないような感覚でも、
ちゃんとリアリティーをもった意識の明瞭さ鮮明さは誰よりもあると思う。
夢の中であっても、ちゃんと意識はあるので
自分の感覚からすると現実と夢はほぼ変わらないような感覚で感じる。
逆に夢のほうがリアリティーがあったりするので困る。
この意識こそ唯一実在するもので、この意識の中にすべてが存在している。
霊視で人の内面や未来や色々なものがみえる現象も、この意識の中にすべてが存在してるからだと思う。
この意識の中に世界が存在し、自分が存在している。
今は肉体に入ってるので3次元のかすんだ世界しか認識できないけど、
肉体を脱ぎ捨てたとき、新たな世界がこの意識の中に存在するようになると思う。 この意識のことを、神という。
神という用語を使うと宗教くさくなるけど、まあ神なんだ。仏でもいいよ。
人は神の子というのは、この神のものである意識が人間にも存在してるから。
ぼくの意識は神のものであるし、神の意識はぼくのものでもある。
つまり、神の意識とぼくの意識は同じものなんだ。共通したものなんだ。
意識は1つしかない。なのであなたの意識とぼくの意識は、実は同じ意識なんだ。
人は別々の存在のように思えるけど、意識だけみればみな同じ意識を共有してるんだ。
同じ意識なので、霊視で誰かの心境を感じ取ることもできる。
意識の中にはアカシックレコードがあって宇宙すべての情報がそこに存在しているので、
意識がある者は誰でもそこから情報を引き出すことができる。 神とは意識のことなので、
意識のあるものすべて神自身であるといえる。
凶暴な肉食動物や極悪な殺人鬼、それらにも意識は存在するので、神なんだ。
万物は神であって、神のものじゃないものなど1つも存在しないんだ。
それはあなたにも置きかえることができて、
すべてはあなた自身であって、あなたじゃないものなど1つも存在しないんだ。
だからもしあなたが誰かを傷つけると、それは自分を傷つけるようなもの。
そこから因果の法則、カルマの法則が生まれたんだ。
すべては自分ゆえ、自分のように隣人を愛しなさいと、キリストは言ったんだ。
意識には宗教や人種、性別含め、種族の差も存在しない。 悟りを開いたぼくの意識と、普通の人の意識と何が違う?
何も違わない。まったく同じ。
ただ違うのは、悟りを開いたことで気づいてしまった人と、まだ気づいてない人。というだけ。
何に気づいてしまったかというと、この世がなんか実在しないんじゃないか?
自分って存在しないんじゃないか?っていうこの世はまやかしってことに気づいちゃった、ということ。
そして気づいた人は、はいもうゲーム終わりー、手品のタネが暴かれました、ということで、
もうこの世に生まれてくる必要ないよ、ということで、輪廻転生を解脱する、ということになるんじゃないかな。
だから、悟りを開くと輪廻転生を解脱するっていうふうに言われてるのかもね。
知識で知っちゃった人はどうなんだろうね。それでも解脱できるのかな。
それともやっぱり実感が伴わないと卒業させてもらえないのかな。 >>291
さらに、植物も意識があると気付くとさらに広がる気がする。
植物の場合、いわゆる人間的な意識なのかどうなのか、少し探るとおもしろい。 >>283
レスありがとうございます。
多くの人が、明晰夢や、異世界体験を、幻覚だとか、妄想だとか、単なる生理現象でしかない、と笑って片づけているのが現状です。
捏造物語も多いので、そうとしか思えない人は、それは、それでいいのでしょう。
私は明晰夢を見るタイプでしたが、夫も明晰夢を見ることができ、
私たちは明晰夢で、現実と同じように出会い、声を聞くことができました。
それは、一人の夢を共有したのではなく、もう一つの別の現実でした。
私たちは朝食を食べながら、明晰夢での出来事を話し合うことができました。
決して、あなたは森を彷徨っているのではない。
少なくとも、今までの自分には、埋められなかった部分だし、力尽きていた自分のこれからの指標となるお話です。
なぜ瞬間移動などの超能力が可能なのか、その核心だとも思います。
納得がいく内容です。
お話しに感謝するとともに、
まだお若いようなので、この世的な幸せも願っております。
生身の身体は無理できません。
どうか無理せずお身体も大切になさってお過ごしください。 >>292
これ書いたのはあなた?
霊的覚醒について考えるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1496921471/481
481 名無しヒーリング[] 2017/11/21(火) 21:07:13.99 ID:JU3XyCZ4
ラマナマハルシの真我瞑想をしていたら瞑想中に起こった感覚なんだけど。
初めて行った瞑想法で、私の意識が発生する根源を感じる方法で瞑想してみたら、
しばらくして目の前がグルングルン強烈なめまいがして
身体中が不思議なエネルギーに包まれる感じがして、意識が肉体から離れていく感覚になった。
うわなんだこれ?と思い冷静さをたもち、とにかく身をゆだねようとその感覚がおさまるまでいたら、
その感覚がおさまって目を開けると、今までハートにあった自我の部分が消えて無くなっていた。
24時間ずっと瞑想中のような今ここにいる感覚が一週間たった今でも続いているし、全身が肩の力が抜けたようなリラックス状態で内面は穏やかで安らぎに満ちている。
この一ヶ月自我の消滅と真我と悟りを開くことを目標に瞑想してきたけど、
これが悟りの経験か?と思った。でも神との一体感や神の叡智みたいなものはまったくない。あるのは自我エゴが消滅した感覚。
この体験わかる人いますか?そしてこれから自分はどこを目標に瞑想していけばいいでしょうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています