このスレの上の方に書いてあったけど、日月神示を読むと心が晴れるようにスっとするという人と、精神的に不安定になる人の二通りの人がいて、
逆に大日月地神示を読むと神聖なものを感じるという人と精神的に不安定になるという人の二通りの人がいて、思ったんだけどそれぞれの神示を読む事に気が進むか進まないかでその神示に縁や因縁のある人が分かれているだけなんじゃないかな

日月神示を読む事に気が進む人は日月神示に縁や必要性が有るということだし、
大日月地神示を読む事に気が進む人は大日月神示に縁や必要性が有るということだと思う

どちらが本物の大神様の神示か?
どちらを読むのが正しいか?
というより縁が有るか縁が無いかの違いなんじゃないかな?
人それぞれが自分の気の進む神示を読めば良いと思う
それでどちらか片方を読まなかったからって神罰を与えるほど神様も鬼じゃないと思うよ