>>721
在るというものは捉えられない
捉えられないから自我からしたら無である
なにごとか見識として捉えるなら、それは
真我ではない
状態の移り変わりを、悟りとするなら、それは破壊されること必然である
自我の学ぶことの不可能なものが、元来あるものでり、不滅の真我である
これといって指し示すものは、ない