【私はいない】ノンデュアリティ・ティーチャー総合2 [無断転載禁止]©2ch.net
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溜まりに溜まって湧いてくる想い
それには情があり、その想いによる体の反応もあるのである
泣き笑い
想いと気持ちと、それから、知覚機能は、別れてあるのではなく、すべて現れたままに、現れているのだ
あるがままである
ところが、今、問題とされている、自己、わたし、自我などと、呼ばれている動きは、この、あるがままに分断をもたらす
全体的にあるものへ、判断をしている
つまり評価を下しているのが、それである
けしからん!
その評価の基準は、ようするに人情というようなものであって、死ぬのは嫌だ、しかし、生きるのも楽しいのがいい
とか
生きることは辛いことであるから成長できるのだ、死ぬのは生きる為だw
などど、述べてみたりするのだwww
そのような判断がある、はるか以前に、全体的に生きているのであり、その生きている中にこそ対立と葛藤があるのである 「在る」が先か
「変化」が先か
このスレのみんなはどう思う? >>614
変化があって在る
体験があって認識が起こる
意志が体験から起こる
不均衡から苦しみが生まれる
不均衡は、対立から生まれる
無によって癒され、有によって活動し、しかも跡を残さない
無から見た世界がある
起きている世界は消えてない
一方によると苦しみである
二片によらず
空即是色色即是空
人法ニ無我にして、しかも布施を行さん
妙法
微妙なる、甚深なる
この不二によって、ひとつである
沈黙の光、そして、活動である
活動なければ、用なしの教えであるww さすがにみんな良く捉えているね。
言葉としては、やはり私たちの見る側としての視点に
左右される問題だ。
ちなみに私はこう思う。
「在る」という幻想は、無限の変化の中の一時的滞留にすぎない。
在るものなど何もない。ただ変化だけがあるのだ。
これもまた、私の立ち位置から見れば、ということになるけれど。 その変化だけがあるというのは仏教の無我、無常の言い方だね。
非二元だと真我のみが実在するという言い方が多いけど。
仏教はその真我に対して無我無常という言い方をしたわけだけど非二元でいう真我とは対象にならないものだから、
仏教でいう涅槃と同じようなもので有無を超えた意味での実在なんだよね。
結局言葉だから在るという言葉の意味、定義によるだろうね。 正しくその通り。終わらない言葉を発することはできないから、
言葉そのものが、いつも何かしらの保管を必要とする。 ゴミをまき散らす奴 暴言吐く奴 、森林伐採、環境破壊、ミサイル、津波、地震、火事、
誰か悪者が悪行為をしていると思うと異常に腹が立っていた
しかし
行為者もなく、ただ起こっているだけ、で、何でもないそのものが
見かけ上起こしてるように見えるだけと、思うと腹が立たなくなった。 警察や私は、悪行為を裁く
しかし、何でもないものは愛だから、悪行為エネルギーに存在させて表現を許している
なぜなら、警察も私も悪行為する奴も一過性で無常だから、消えゆくものだから
このスレで”誰か”が言っていた、何でもないものの呼吸であるだけなんだろうな・・。 そう、カエルがハエを食べる。
警察が泥棒を捕まえる。
親は虐待をし、子供は衰弱して、近所のお人好しは通報する。
生命は進化して、人間は生まれ、やがて宇宙へ旅立つ。
星は遠い銀河の果てで輝き、いずれこの宇宙そのものも
消える。 人の姿をした無常のエネルギーを
さも実体があるような人間と思い込んで、一生懸命になってるだけなのかもな
5ちゃんやネットは実社会よりも同一エネルギーのやり取りを強く感じるから、
レスくれた相手が本当に実在してるのか、と思うことがある。
多分会うときにはじめて実体化されるんだろうな。 >>619
矛盾があるのです
無の領域と有の領域
有の全体的生命活動の元は無である
明らかな矛盾が
そして、その有の世界のなかに自己の働きもある
つまり身体動作です
行為がある
不為の行為がある
矛盾がここにもある
この心理と現象と身体動作は、ひとつなのです
全体的作用がある
この分断が諸問題を起こしているので、気づきがあったら終わるわけではないのです
習慣と今までの内的活動が現象されている世界と調和することを真我によることで、実現していき、世界が、無と個人と調和することが苦しみをなくす
生きているのが夢だと言ってみても、今、あるもの、あるものはあるがままで、ある >>620
真我に固執して、その至福が残ることを個我意識の残留であると見抜き、そのことを、有限の世界で直にあることで取り払ったのです
方法が違うだけで、言ってるのは同じ沈黙のことなのです
真我という対象にならない、ひとつの作用を分断して見てしまう人がでるので、釈迦は、真我を説かず、無我としたのです
その方が真我の働きに個人が落ちやすいと見たのではないかなあ
よくわからんところです >>623
世を捨てた上に世の形があり
悪は個我意識を破壊する力を持つ
すべてが順調なら、人は眠りに落ちて目覚めることがない
悪の人間が、悪を行うからこそ、世界は捨てられる
世界を捨てることで、自由になり、概念から見ることがなくなると
評価がやむ
評価は自分のものさしであったのだから、本当は悪人などどこにもない
ただ自分の都合で見ていたのだ、笑
野良猫が食卓の魚を盗って、うまそうに食べて、なんの悪びれもしないwwww
人間は価値観から判断して、悪であるというが、自然界は破壊の連鎖であり、破壊から創造があるので、悪は必要なのである
破壊するものは、自然であって、それに怒りを覚えるのは、単に、自己生命の生存欲に基づくものである
戦国の世では、信玄、信長は神の如き存在であっても、平和な世では悪魔のようだw 真我については
イエスキリストの言葉が
私は分かりやすかった。
(道であり命であり真理である)
本当にこのままです。
魂の本質だから。 魂は生命エネルギー体なので
真我に添えば根源に近く
真我に添わなければ根源から遠く
一体となって動いている。
波動の法則。 調べてみると
ノンデュアリティ は
物理学では5次元と言われているそうで
それを考えると
類魂の法則 ( 霊統 )で良いのかな。。
と、思ってしまう。
集合的無意識 ( グループソウル )。
5次元以上は
表と裏がない世界です。 >>377
>>380
なので
トニーパーソンズの考え方は
5次元から見ると
エゴになります。 匿名掲示板に連投してるだけの精神異常者が何を語っても
キチガイの戯言にしかならないわ 少し沈黙することだな
病的な匿名掲示板中毒になった異常者には言いたいことに抑えが効かなくて
無理だろうけどな 批判を恐れるのなら優れた人々の批判を恐れなくてはならないと道元は述べる
優れた人は聞くことができ、機敏に動く
そうでない人は理解がなく、遅鈍である
このように見て、見れば、役職や肩書きを外しておくことが大切である
しかし、もっと大切なことは、評価を外してしまうことであろう、苦笑 >>637
ヨーガの根本教義において論者たちが
追求しているのは、常に0次元だよ。
次元数が高まっていく方向性は、
詰まる所幻想の拡大に過ぎない。
私たちがテレビゲームをして、仮想世界がテレビの中に
ほんの少しの時間だけ構築される。
次元数の上昇とはこういうものだ。
幻想の付加だよ。
本質と真実は0次元であり、安住はそこにだけある。
トニーパーソンズが嫌い?
あなたは何かの違和感と戦ってるね。
その違和感は、何か大切なことを主張しているのだろう。
違和感がどこから来るのかを掘り下げてみることは、
あなた個人にとって利益のあることかもしれないね。 確かに次元は唱えてないけど 実際はエーテル次元からコーザル次元までの意識の層はあるし、
ラマナマハリシもサマディもいくつものサマディのレベルのようなものがあると説いてるよ。
だから それは 霊性の高いものしか理解出来ないから敢えてゼロ次元としたのではないだろうか、 らまなさんは、経験したことを人に話すために後から読んで学んだ感じですか? ラマナマハリシは何も学んでなくて 教義を聴きにきた生徒がヴェーダンタの内容と同じだと言ったんだよね。 ラマナマハリシは5年間だったかな、飲まず食わずでサマディに入ってて 現世に戻ってきたあと2年間 喋れなかったんだよね。 つまり想念が一切湧いてこないから喋ることが出来なかったんだよ。 ラマナマハリシは人に教える気持ちなんてなくて最初は嫌がってたんだよね、でも噂を聞きつけた探究者達が沢山やってくるから観念したらしいよ。 >>646
戻って来たとありますが、
戻って来た経験のある方みえますか?
わたしはあるんですが、巧みに欲が出てきたのと、見慣れたはずの日常が目新しく新鮮でした。 サマーディもいろいろあるしどれだけどこまでその状態にあるかで比べものにならないくらい違うよ
欲にもよるけど戻ってきて前と同じに欲が出るならまだ入り口くらいじゃないかな
少し深いとこまで入ると戻って来てもいろいろどうでもよくなって欲や感情、価値判断自体出なくなってくる 戻るときでないとエゴというものの巧みで微細な入り込み方がわからないのかもしれません。 >>648
なんとなくしっくりする表現ですね、らまなさんの言葉は質問者の傾向ばかりが強く現れてる気がして、またその傾向がとても私には読難くて、日常的な会話が聞きたいなと思うことが多いなあ ラマナマハリシは貴方と私という分離が無くて
相手の意識がよくわかり、探究者によって会話を使い分けたと聞いた。本では対話形式になってるけど 実際にはほとんど喋らなかったと聞いてるよ。 ラマクリシュナさんなんかは、ちょっとした言葉、女性器の名称とか、絶対に至る意味の格言などを話してたり聞いたりするだけで、呼吸や心臓が止まるようなサマディに入ったようですね、また入った経緯の違いによって呼び戻すための言葉が違ったそうですね YouTubeでスピリチュアル系動画を配信してる、びこライトウォーカーさんの素性、ご存知の方、おしえてください。美しい女性です。お若いのに頼りがいのある強い人。今後が楽しみです。地球ひろしの番組に出てもらいたい。 色即是空 空即是色
この見える現象の世界に
絶対的なものはありません。
現象の世界は見えない世界の反映です。
見える世界と見えない世界。
二つのものは一つのもの。
この現象の世界も
霊界の一部分で
次元は重なっています。
類魂は存在していて
僕の自然霊は龍で
それが僕という現象。
>>642
トニーパーソンズは嫌いというより
見えない世界をすっ飛ばすので
彼が何を伝えようとしているのかが
僕には分かりませんでした。
自我と真我を融合させ
一面に揃えていくことは大切だと思います。 赤ちゃんには
一人一人個性があります。
それは気質と言われるそうです。 >>656
トニーパーソンズは叡智が浅いよね、ノンデュアリティビジネス効果で、フェラーリを乗り回してる時点で 物欲と自我欲は顕在と思われます。 ちなみに大和田さんは彼氏を7時間も待たせて 銀座の美容サロンで数万円のエクステ。こちらも自我欲は顕在。ノンデュアリティビジネスはさらに今年も続くのかなぁ。 欲望はなくなりませんよw
貪りや物惜みは精神の怠惰な話で、まあ、思いの世界のことです
本能的な腹減ったとか、眠りたいとか自然にあって、そこにもっともっとーがあると苦しくなるけど、あるときに、そのままあれば、いい 個我への同一化がなくなってきたら普通ほど腹も減らなくなるし寝る時間もかなり減ってくるけどね
生じるストレスを自分のものだと思ってるからそれらを食や睡眠で解消しようとして食欲や睡眠欲が生じてるし
本能とかいって食や睡眠を肯定してる人のほとんどは自分でもわかってないだけで
本能とか身体に必要な量の食欲や睡眠欲じゃ全然ないんだよね
結局個我をまだ同一視してる人が自分に生じる欲望を肯定するために欲があってもいいって言ってるパターンが多い
欲があっても別にいいけど、あってもいいようになくてもいいんだし、いちいち肯定するようなことでもないし
そういう主張する暇あるならとりあえず個我を同一視するのさっさとやめていったらとは思う
他人が口出すことじゃないからどうでもいいけど、非二元を始めた人がその主張を聞いて、
欲があってもいいって思って我欲を強めてしまうのは道をすすむ上ではあまりよろしくないことだよね 個我と真我が分離している修養の段階では、
欲望の節制や削減ということが起こる。
しかし個我と真我が同価になりその境界線が
見えなくなると、欲望だったものが欲望ではなくなる。
そして欲望は完全に消えてしまう。
食べる行為、楽しむ行為、怒りや悲しみの感情、
それらは全く残ったままだ。
にも関わらず覚者は、いついかなる時も完全に
欲望から解き放たれている。
幻想を小さくすることと、
幻想を見破ること。
この2つは無関係ではないし、良く似たものにも
見えるが、根本的に違いがある。
個我から抜け出そうとするものがある。
それもまた個我だ。重要なのはこの矛盾に気付くことだ。 正直に言うと
競争や煽り、対立、優劣幻想がないと人生はぜんぜんつまらない
それらを俯瞰して見ることが非二元であるのに
非二元知る前の以前は一生懸命になれた趣味や会社内での競争が、
腑抜けたジジイのように最近はつまらなくなった 誰かより優秀だ と思い込むほど頑張ることができて毎日が面白かったんだ
もちろん、悲劇もやってきたし、自分は喧嘩好きなのか?と悩みもしたけど。
今まで自分の人生を楽しくさ辛くさせていたものが
何でもないもの、起こってはいないこと、であったと俯瞰して見ると毎日がつまらなくなった
腑抜けてきた・・。 匿名掲示板は、対立煽りさせるから活性化するんだな
みんなが肯定しだすと、匿名掲示板の使命は消える。
人生も喧嘩と対立煽り、あいつよりも優秀なんだ、と思うことで頑張ることができて張り合いがあるんだ。
悟りを求めるというのも同じこと、今ここにないものを求めて戦うからこそ人生はおもしろい。
その対立エネルギーを俯瞰するだけになっていくと、
これはこれで痴呆化することになって実につまらないなあ
あいつより優秀だと思うことで生きてこれたのに・・。
変な連投ばかりしたいエネルギーが今来ている。
どうせ言いたいことなんて、一過性で消えてしまう・・。明日の今頃は別人になっているだろう 聖なる絶望感とか 冬の時期とか いうよね。
虚無感。そんなひと多いね、非二元に陥って自死するひともいるからなぁ。 優秀だと言って回るのが、ほとんどの人々の存在意義ではないかw
俺は欲を捨てたのだも同じようなもんだ
しかし、よくよく考えてみれば、織田信長ほどの人間でも散るのである
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり
あるものがあるのは今だけであり、この今は計り知れぬ深みがある
たとえ、劣ると言われようが、この人生を生きているのは間違いなく、この私であり、この私の真我が、世界を包み込む等々の体験もすべてはある時にあるだけであるのだ
人生は短くて、大したことなどできる暇はないだろう
どれだけ優秀であっても、自然の掟には逆らうことなど叶うはずもない
しかし別に優秀であることが生き甲斐であるのなら捨てる必要もないだろう
どちらにしても、夢まぼろしの、如く
できるだけ楽しくしておくのが、いいのではないかなあ
まあ、まだよくわからんが 私は出来るだけ私の片寄った間違ったやりかたでやりたい
素晴らしいやり方に流し込むやり方は好きじゃない
昔ヒンドゥーの坊さんに言われた、あなたが良いと思ったことをしてください、悪いと思ったらやめてください、もう死んだけどずっと覚えてるわ 久々にMSサポート相手に論戦した
生きてる実感がした
Windows10にKB4056892入れたらブルースクリーン多発で使い物にならない
ふざけるな!!そうだ、この怒鳴りが生きてる実感だったんだ 聖者的虚弱に陥る人はまだ思考の罠に
囚われている。
その人はほとんど解脱を得ているのだが、
解放されたショックに打ちのめされて、
心がまとまりを取り戻すために暫しの時間を要している。
魂が真に解き放たれる為には、言葉は
砕け散らねばならない。
精神は言語的意味の次元を超え、創造の
領域に全的に身を委ねていくことになる。
言葉は感情の上に生きている。
生きているのは感情であり、言葉ではない。
心が言葉と同一化し、自らの本性を見失うと
魂は虚無に陥るのだ。
達成者よ、疑うな、汝の欲するところを成せ。
それが法の全てとならん。 私と呼ぶこのアイデンティティーはどこからどうしてやってきたのか知らない
私という自覚も同じ
何も選んでいないし、何も知らない 全ての無意味を看過した到達者が、
その上で更に何事かの実現や挑戦を望むとき
それがどれほど超越的な意味を持つことなのか、
私たちには分かるはずだ。 匿名掲示板なんて喧嘩するためにある
喧嘩したくなければ、外でやれ! 聖者的虚弱の問題に耐えきれなかった人々が選んだ方法とは、
エゴへの盲従によって精神活動を活発化させることだった。
これと全く同じ現象が、精神の退行だ。
自立能力を失った精神は、やり直しの為により子供の段階へ帰ろうとする。
だが一部の知者達は、退行せず、"私"という自意識を中心とした
言語の世界を超越する方向を見出し、精神の更なる高みに辿り着いた。 習性というもの、こころの動揺というものは、たとえ真我と世界の理解が進んでも、残っているものである
その度に、離れ去っていることで、その動きが様々ある中の統一が起こってくるのだ
これらは熟練されなければならないので、様々な方法では混乱して、進まない
そこで、自分の良いと思うものを選んで、慣れていかなくてはならない
生活の中で、生活を超えた地点を常に持ち込まなければならない
眠りの安心が、自己の本質であるなら、その、邪魔をしているのが自我である
つまり、それは評価なのだwwww トニーパーソンズのノンデュアリティ で
覚醒されたと言われる方の体験が
左脳に
何らかの障害を持たれた方の体験と似ている。
多分トニーパーソンズは
左脳の動きに抑制をかけ
β波を低下させていると思われる。
オーム真理教が取り入れていた
フルフィルメント瞑想に似ている。 意味を持たせる左脳を低下させるから
トニーパーソンズがフェラーリを乗り回しても
そこに意味は無いんだと思う。
変なの。 左脳には分析力があります。
覚醒には
右脳と左脳の両方の働きが必要です。 右脳左脳の両方が必要ということは
検索すると分かると思います。 トニーパーソンズのノンデュアリティ で
覚醒されたと言われている方が
「 虚無感 」を感じたと書かれていることと
意味はなかった
で、終わってしまうこと。
覚醒は自分を知ることなので
内観では
そこから更に分析していきます。
原因を探り
どうすれば良いのかも分かるので
魂は解放され満たされていきます。 純粋に論理化された不二一元論としての「ノンデュアリティ」が、
実感的な部分を蔑ろにしてしまうというのは確かにあると思います。
世界は「在る」
この実感こそ私たちの魂の本質であり拠り所ですが、
純粋な論理は「全ての存在は幻である」と結論付けてしまうのです。
しかしこれは逆説的なことなのですが、私個人が思うには、
覚醒の初期段階が実感(心)寄りのものとして起こるにしろ、
論理(言葉)寄りのものとして起こるにしろ、どちらでも良いのでは
ないでしょうか。 なぜなら現実的には、論理寄りの状態で達成された解放は
Mさんも仰っている通り一時的な虚無感の中に没入していき、
その虚無感の圧力によって結局は心と言葉のバランスを
取り戻していくからです。
また同じように、実感寄りの状態でワンネスを理解した方も、
最初は自分が全能の神になったような充実感を得るのですが、
現実の方はちっともそこへ伴ってはきませんので、この場合は
現実からの圧力によって論理的な状況把握を否応なく
身に付けていくものと思われます。
ですので、最終的には、どちらも同じということになると思いますが
問題はただ、「マインド/ハート」「頭/心」「論理/実感」の二極があり、
そのバランスによって覚醒初期の段階が人それぞれ異なってくる、
ということではないかと思います。 あなたは眠っているときに世界から消えている
なにがあるというのかw
純粋な経験には個人など存在していない
無の上に、おまけがあるみたいなもんだ
要するに評価しているのだよ?
はかりごと、して、なにやらよろしいものに辿り着くなんてありません
なにをやらせようとしてるのかしらんが、ビジネスしてもいいが、語口を聞けば、あなたはこうしたらいいのだよとねw
こうするもなにも、動いたらあかんのだよ笑 迷いというのは、迷っているからあるだけで、迷ってるときに、なにが迷ってるか見るだけでいいじゃないかwwww
ふられて凹んでいるとか、悪いことしてしまって凹んでるのが、だいたい、そんなとこ
迷ってるのは、わたしじゃないかw
他人は、わたしが、どうなっても面倒みること叶いませんよww
わたしはいない
ってのは、この悩みが無用になることでしょ
複雑なのは、悩みがあっても、迷わないことが理解しづらいから
活動しているのは、世界であって、その、世界の動きは、あるようにあるだけなのだw
都合よくない 悟る前、あるいはちょっと悟った後に鬱々とするとか恐怖感がわくというのは修行者によくある話
なんでかというとこれまであると思ってた自分(自我、エゴ)が無くなっていってるからね
一般人においては自我が自分なわけだから自我が無くなるとくことは自分が死ぬというのと同じこと
だから死に向かっていると無意識に感じて鬱々とするし恐怖もわいてきたりする
だけど鬱々としてるのも恐怖を感じてるのもその無くなろうとしてる自我自身なんだよね
自我が俺は消えたくないと鬱々とし恐怖を感じている、それだけの話
そこから本当に自我が無くなれば(自我が自分でないと自我から離れられれば)、
そういうった負の要素を感じる主体(自我)がもうないわけだから当然自由になっていく
自我からの自由だよね そうそう、海の中で水槽を割るようなもの。
中身がどっかへ行ってしまうと恐れるが、
実際は空に解け、力増すのみ。 僕は
虚無感や恐怖感というより
自分が何に囚われているのかが分かった時
嬉しかったし
感謝が出た。
これ、成長って言うやつだと思う。
自我の成長。 内観してると
最終的に
命や摂理や共生が出てくる。 そして内観をすると
いかに自己肯定が大切なのかが
分かってくる。 マハルシは自己実現を仰っているし
イエスキリストも、同じ。
キリストの意味は
無垢であるということ。 *M* 悟ったつもりで連投してるネットしか相手がいないキチガイ 君は悟ってないから、私たちのことが羨ましいんだね。
それで、自分の中の悪い物を他人に押し付け、
相手が非道徳的な醜い対応をするのを見て、
自分だけが惨めな存在じゃないと実感したいんだね。 欠伸が出るほどのんびりとした、
いかにも人間らしい対応だ。
良いんですよ、そのままで、
もそっと精進するがよろし。 人間は例えひとりになっても、世界と対峙しており、また想念も止むことなし
しかし、社会に生きて世俗的にあっても、ひとりある孤高の人々もいたようだ
批判を恐れるのなら優れた人の批判を恐れるべしと述べた人が鎌倉時代にいたようである
人は批判的な生きものである
どこにいても同じである、笑
何を言いたいかといえば、己の優れたことを述べたいのだろうがw
世界の中にある他者の自我へのアクションは、なかなかに手強い
惹かれないことが剥奪する
情け無用であることが慈悲になることも
あるのかなあ
悟りは、常人ごとではない 普通ではない
ということを気に病む人たちがいるw
普通ではないから人を超えるわけである
社会と噛み合わないと悩む人がいるw
彼らは批判する生きものであり、価値観に生きているのだから、合わせられないでいい
人々と同じで悟ったということはない
ズレていて当たり前であるwwww
純粋経験の場で評価の外れたところでは、都合がよくないことが多くなる
うまくいってる証
かもしれんなあ
かも、ね 書店へ赴いても碌な本が売られてない
幸せになる?
方法ばかりが目立つわけだが、諦めなさいというような本はない、笑
現代日本の精神が、如何に過去の栄光を忘れ去ったのかよくわかることである
正法眼蔵も、ヴァガバットギータも、スッタニパータも無門関も良書は、巨大な書店さんしか取り扱わず
まあAmazonさんとかは、あらゆる書を置くか
しかし、本当に優れたものには評価も付かず、そして廃刊になっており少部数が、わずかに売られているようなことであるw
人は真理を嫌うようにできているのだろう おおそれは言い得て妙だ。
人は真理を嫌い、それでいて真理を求める。
どっち付かずに人間があり、中途半端なところが要するに
ハビタブルゾーンというやつらしい。 2ちゃんしか主張の場がないキチガイの巣窟、悟りなんか1000年早いわ まだまだというのは
僕もそう思う。
だから一人一人内在神と繋がる師が
いらっしゃるんだと思う。
トミーパーソンズの事だけど
彼の乱暴なやり方を批判している
ノンデュアリティ ティーチャーの方もいらっしゃる。
教える側の影響力を
もっと考えた方が良いのではないかと
彼から離れていく
ティーチャーの方もいらっしゃるようだし。
大和田菜穂さんの動画を見ると
トミーパーソンズの影響なのか
途中で内観を止めていることに
気がつくだろう ❓
もちろん
摂理のことは語っていらっしゃるけれど。
ノンデュアリティは
内観を通して内在神と一体になることだと
僕は思うし
守護者と繋がった方も
増えてきていると思う。
智慧の目って言うだろ ❓ アジシャンティなどは、彼らには何を言っても通じないと半ば諦めていたようだ。ニュートンの引力はどう説明するのかと聞いたら 笑って誤魔化して答えられなかったんだ。 例えば
大和田菜穂さんの動画で
仕事に就いても長続きがしない
という質問者の悩みに対して
仕事は長続きしないといけないという
他人の価値観、評価に囚われなくても良いし
嫌だったら辞めて良いよ ( 笑 )
(囚われている)私はいないんだから。
で、終わっていた。
僕もそれはそうだと思う。
質問者の方は
まだ自分の本当にやりたい事が見付からない状態で
就いた仕事が
自分のやりたい仕事じゃなかったってことだと思う。
でもそれは自分を知ることによって
選ぶ仕事が変わってくるから
それを上手に引き出していくのが
ティーチャーだと思った。
今は小中高、大学の指導でも
自分をまず知ることの大切さを
言われてるよ。 彼女は世界が愛だ、と主張している。
愛の中にいると。世界は幻想だと言いながら、だよ。外側に意識が向いていて 私はいないから内側は無いと思っているから 内観をしない。
信者も同じ調子だね。 彼女の誤解はね、この世界はエネルギーしかないと主張するところだね、空しかないから 分離はないと主張するところ。だから 何処にも向かってないと言えるし、魂の成長もないと言うんだよ。内観の必要性もないとね。 だが個々人の成長段階や持っている理論について評論を始めると、キリがない。
私たちは地に涌き起こることを見るのではなく、ただ星を目指せば良いのだ。
天井を押し広げることこそが世界に広がりをもたらす。
少なくとも私たちは、内観の伴わない不二一元論は正しく空論に
過ぎないということを、この場で確認できた。
それは良いことだし、十分な成果ではないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています