そんでどんだけ俺(アバター)が苦しもうが痛がろうが、本当の俺にはなんの影響もなくて
常に安全なところにいるから安心してゲームを楽しめばいいとか
目の前に起きてることは真の俺というエネルギーが起こしてる「ただ起きてくる出来事」であるからそれに良い悪いはないとか
全部納得いく答えはくるんだよ
確かに悲劇的なドラマほど見ていて面白いしひきこまれるし
それを面白いと感じられるのは実際に自分に悲劇がふりかかってないからだと分かってるからだよ
アニメだって漫画だって映画だって小説だってなんだって「安全な場所からそれを眺める」
なおかつ「自分の意思で見るものを選べる」
そして「いつでもやめられる」から楽しめるわけで、それは楽しむための絶対条件じゃん
しかしこの三次元ゲームは違う
安心安全な場所から眺めてることも忘れてるし
それを思い出す、気付き続けるのに膨大なエネルギーを使うし
エゴを自分と錯覚するほどのゲームにおいては自分の意思で見るものを選べないのと同義だし
それを可能にするにはやっぱり気付き続けるという馬鹿みたいなことをやり続けないと出来ないし
トドメはいつでもやめられない、やめる自由も権利もないし
じゃあなんでこんなクソみたいなことやってるの?やろうと思ったの?ってなると、また学びだ体験だ神である自分が自身を知るためだなんだという答えがきてループだよ
無限ループって怖くね?