安倍晋三元首相が銃撃されてから早くも1年余りが過ぎた。山上徹也被告(42)が自作の銃から放った凶弾は、安倍元首相が左胸につけていた国会議員バッジに命中していた。一体、その射撃の腕前はどこで身につけていたのか。山上を知る複数の海上自衛隊関係者が初めて明かした――。

破産宣告を受けた母親へ仕送り

通常、海上自衛隊は春と秋の年2回、新入隊員を受け入れているが、山上が入隊したのは2002年の8月19日のことだった。

 海自幹部が明かす。

「山上は331期の練習員として、佐世保教育隊に入隊しています。本来なら、全国に1000人以上の同期がいるのですが、331期は定員確保のための臨時採用のような形だったため、同期は佐世保にいた5、60人のみです」

 少年院あがり、多額の借金持ち……異例の採用プロセスのために、隊員の背景も様々だったという。

 別の海自関係者が語る。

「こうしたメンバーの中でも、彼は特段目立つタイプではなく、日誌の作成や夜の見回りといった当直業務をそつなくこなす“要領のいい奴”という感じでした」

 入隊時の山上の年齢は21歳。奈良県内の進学校を卒業してから3年半程が経過しており、すでに母親は統一教会に入信。相続で譲り受けた土地を次々と売り払い、奇しくも山上が入隊した2日後に破産宣告を受けていた。

「そういう事情のせいか、山上は自動販売機で飲み物を買うこともせず、土日もほとんど遊びに出かけなかった。ごくたまに外出しても、『(母親へ)仕送りするために郵便局に行ってきた』と言って、すぐ寮に帰ってきていました」(同前)

 そんな慎ましい生活を送っていた山上の試験成績は優秀そのもの。赤点を取ることも補習を受けることもほとんどなかった。その中でも飛び抜けていたのが“射撃”だった。

射撃訓練で教育隊同期のトップとして表彰
「佐世保教育隊では入隊から約2カ月後、たった一度だけ実弾を使う射撃訓練が行われるのですが、山上は64式小銃と呼ばれるライフル銃を見事に使いこなし、200メートル先にある標的に次々と銃弾を命中させていったのです」(同前)

 結果、山上は100点満点中90点以上の記録を叩き出し、教育隊同期のトップとして後日表彰を受けることになったというのだ。

「あくまで教育隊の中で行われた非公式なものですが、山上はグラウンドで行われた表彰式で、上官から金メダルを授与されたのです。そのときは真顔で淡々と受け取っていましたが、式が終わってからはさすがにニコニコしており、仲間から『すごいじゃん』と声をかけられると、嬉しそうに『ありがとう』と返事をしていました」(同前)

ところが――。

 いつしか山上の顔からは笑みが消え、その銃口は20年の歳月を経てあらぬ方向へと向けられてしまった。

 前出の海自幹部が言う。

「佐世保教育隊にいた頃は、射撃以外で目立つことのない本当に“普通の人”だった。それだけに、なぜ彼があんな凶行に至ったのか、今でも全く理解が出来ないでいます」

 山上の胸中は裁判で明らかになるのか。いまだ公判前整理手続きすら一度も開かれていない山上の初公判は、来年後半以降になると見られている。

文春オンライン
8/29(火) 7:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/41ce6449aa5aa2a3143045adb7c334ee3cd005b6