1975年に佐藤栄作元首相が死去した際、当時の吉国一郎内閣法制局長官(故人)が国葬について「法制度がない」「三権の了承が必要」との見解を三木武夫首相に示していたことが分かった。自民党の実力者だった前尾繁三郎衆院議長の秘書を務めていた平野貞夫元参院議員が朝日新聞に証言した。こうした指摘を受けて三木政権は国葬を見送り、国民葬とした。

 当時の報道によると、佐藤氏が死去した75年6月3日、政府や自民党は約1時間半にわたる協議で政府、自民党、国民有志が主催する国民葬の実施を決定。平野氏によると、その結果を伝えるため三木首相が衆院議長室を訪れた。

 前尾氏は不在だった。三木首相は、前尾氏の信頼が厚かった平野氏に「国葬はやるつもりはない」と伝言を求めたという。佐藤氏は当時、連続在職日数が7年8カ月で現憲法下最長。ノーベル平和賞を受賞し、党内からは国葬にすべきだとの意見も出ていたが、吉国長官が「法制度がないので、国葬とするには立法、行政、司法の三権の了承が必要」と語ったと伝えた。これが国葬見送りの理由になったとも語った。野党は国葬に反対していた。

 佐藤元首相の国葬見送りをめぐって当時の朝日新聞は「決め手となったのは『法的根拠が明確でない』との内閣法制局見解だったといわれる」と記している。今回の証言で、佐藤氏の国葬を見送った三木内閣の意思決定過程の一端がより明らかになった形だ。

朝日新聞
2022/9/7 21:00
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ975TJXQ96UTFK01Y.html