>>698 つづき

>  67年に羽田空港付近で暴力学生のデモ隊が警官隊と衝突し死者が出た事件で、当時の木村官房長官は、
> 「羽田事件の対策には強硬な対策をとらないことにした。日共対策上そうしたほうがいいからだ」(67年10月8日)と述べました。
> 後に首相となった中曽根康弘氏の「彼らの暴走が、反射的に市民層を反対にまわし、自民党支持につながる作用を果たしている」
> (69年5月3日付朝日新聞)という発言に、そのねらいが表れています。