「抗議があったから中止する」あいトリを筆頭に相次ぐこのパターンは深刻な危機だ
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2022年01月12日(水)17時55分

森達也

私的邦画論

<家の敷地内に小屋を作り、精神障害者を家族が閉じ込める「私宅監置」について取り上げたドキュメンタリー映画『夜明け前のうた』が文化庁の文化記録映画優秀賞を受賞した。しかし、その記念上映は、遺族の抗議により実施されなかった>

かつてこの国では、精神障害者を家族が隔離する「私宅監置」と呼ばれる制度があった。

家の敷地内に小屋を作り、中に閉じ込めて外から鍵を掛ける。要するに座敷牢だ。でも衛生面の配慮はほとんどない。家畜以下の生活だ。

本土では1950年まで、沖縄では本土復帰する72年までこの私宅監置が行政主導で行われていた。その実態に迫るドキュメンタリー映画『夜明け前のうた 消された沖縄の障害者』は昨年3月に劇場公開され、11月2日には文化庁の文化記録映画優秀賞を受賞して、その記念上映が同月6日に行われる予定だった。だが、直前に文化庁は上映を延期(実質的には中止)することを発表した。

延期の理由について文化庁は、映画に登場する1人の精神障害者の遺族から「事実関係が異なる箇所があり、弁護士を立てて映画製作者側に抗議をしている」との連絡が同庁にあり、「ご遺族の人権を傷つけ取り返しがつかなくなる等の可能性がある」と説明した。文化庁のこのスタンスに倣う形で、いくつかの上映会や映画祭などが上映を中止した。

遺族の抗議内容について、ここに記す紙幅はない。もしも関心を持ってくれるならネットなどで調べてほしい。でも最初にこの経緯を知ったとき僕は嘆息した。抗議があったから中止する。映画だけではない。あいちトリエンナーレを筆頭に、ここ数年はこのパターンが相次いでいる。

もちろん、遺族の思いは可能な限り配慮されるべきだ。身内の恥を隠したい(恥ではないと僕は思うが)との気持ちも理解できる。でもこの映画に登場する精神障害者たちのほとんどは、既に故人となっていて写真のみの登場であり、住所や名字は伏せるなどの配慮もされている。

文化庁は「人権を傷つけ取り返しがつかなくなる等の可能性がある」と上映中止の理由を説明したが、可能性を理由にするならば何も表現できなくなる。特にドキュメンタリーは俳優たちを使うドラマとは違って、肖像権やプライバシー権と相性が悪い。加害性が強いのだ。

例えば、NHKは『映像の世紀』をシリーズで放送し続けている。僕は大好きな番組だ。でももし、映像に記録された人たちの肖像権やプライバシー権を侵害する可能性を理由にモザイクをかけたり、シーンをカットしたりするならば、ヒトラーの演説で熱狂するドイツ国民たちの映像は使えなくなる。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の映像や南京攻略の報を受けて提灯行列する日本国民たちのシーンはモザイクであふれるだろう。僕の作品も全て、誰かを傷つける可能性があるから上映はできなくなる。

最も危惧すべきは、こうした事態が続くことで萎縮や忖度が蔓延して、鋭い問題提起を行う作品が消えることだ。仮定の話ではない。実際にそうなりかけている。

(略)

※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。