https://news.yahoo.co.jp/articles/6f52fe3fd3abc8d3963098b2de697bcfe3559961
● 「学問の自由が侵害される」は 行き過ぎた攻撃ではないか

 日本学術会議が推薦した6人の学者を、菅義偉首相が任命拒否したことが大きな問題になっている。野党は臨時国会で追及する構えだという。

 JNNの最新世論調査でも、これを「妥当ではない」と考えているのは51%。このまま具体的な理由の説明がなくモヤモヤ答弁を繰り返せば、70%という高い内閣支持率にもダメージがあるかもしれない。

 「なぜ任命を拒否したのか」「なぜあの6人だったのか」というところは、国民としてもぜひ知りたいところなので、マスコミや野党の皆さんには頑張っていただきたいと思う。が、一方でこの騒動に乗じて、かなり無理筋というか、モンスタークレーマーの言いがかりのような攻撃を紛れ込ませる人があまりに多いのには、やや辟易とする。

 それは、「学問の自由が侵害される!」という攻撃だ。

 たとえばこの問題を扱ったニュースを検索してみると、そのタイトルにはこんな煽り気味のワードが散見される。

 「菅首相が安倍時代もしなかった言論弾圧」「学問と思想の弾圧危惧」「ついに剥き出しになった言論弾圧首相の本性」

 こういう話を聞くと脊髄反射で血が騒ぐという人たちの気持ちもわからないでもないが、イデオロギーを抜きにちょっと冷静に考えれば、今回の問題が「学問・思想・言論の自由」と全く関係していないのは明らかだ。

 とどのつまり、この話は6人の学者が「特別職国家公務員」に入れませんでした、ということに過ぎないからだ。菅首相が気に食わない学者を大学から追いやったとか、科研費を打ち切ったとか言うなら確かに「弾圧」だが、単に研究活動の傍らに行う「名誉職」に選ばれませんでした、というだけの話である。

 もっと言ってしまうと、この6人が学術会議の会員にならなくとも、日本全国で84万人いる学者や、市井の人々の「学問の自由」にはなんの影響もない。

 「無知無学の人間はこれだから」と頭を抱える学者センセイもたくさんいらっしゃると思うが、同様の指摘はほかでもない、学者の皆さんからも出ている。たとえば、日本学術会議の会員になった経験もある政治学者の篠田英朗氏は、SNSでこのような考えを示している。

 《若い頃に一時期学術会議の末席を汚させていただいたことがありますが、私は業績不足ですから二度と誘われることはないので安心して言いますが、任命されないほうが学問の自由を享受できる、というのが普通の学者の本音だと思います。〉(10月2日)

● 「政府介入」「解釈の変更」 というのは無理筋な言い分

 もっと辛辣なことをおっしゃる学者もいる。福井県立大学の島田洋一教授は、SNSでこんな厳しい意見を述べている。

 《「学問の自由が侵された」と騒ぐ日本学術会議面々の言動を見ていると、仰々しい肩書を与えられることで歪んだエリート意識が増幅され、「専門バカ」が「バカ専門」に転じていくさまがよく分かる。これ以上、大学教員は愚かで鼻持ちならないと世間に印象付けることはやめてもらいたい。迷惑だ》(10月3日)

 こういう話をすると、「個々の学者が任命された、任命されないという小さな問題ではなく、学術会議という独立した機関の人事に政府が介入をしたことが大問題なのだ」と怒る人たちがいらっしゃる。1983年の中曽根康弘首相(当時)が国会答弁をしたように、学術会議推薦者への任命は「形式的」だと政府の文書にあるのだから、その方針をちゃんと守らないのは「解釈の変更」だと大騒ぎをしているのだ。


(略)