次期総裁候補として、菅官房長官の名前が取りざたされています。しかし菅氏は安倍政権の公文書改ざんや隠蔽、虚偽答弁の中核にいた人物だという事を忘れてはいけません。とりわけ公文書の改ざんに関しては、官邸の指示に下に行われたことの疑惑は未だ全く晴れていないことを指摘しなければなりません。
 
 事件の流れを時系列で追います。
 2017年2月15日、宮本たけし衆議院議員によって森友事件が初めて取り上げられ、2月17日には「私や妻が関与していれば総理も国会議員もやめる」という答弁が安倍首相からありました。

 2月24日、佐川宣寿理財局長が「近畿財務局と森友学園の交渉記録はない」と答弁。
 同日、菅官房長官は記者会見で交渉記録がない問題を問われ、「基本的には決裁文書は30年間保存しているわけであり、そこにほとんどの部分は書かれているんじゃないか」と記者に答えています。

 2月26日、近畿財務局において改ざんが開始。
 決裁文書の改ざんは安倍昭恵氏の関与を示す記述が5カ所に渡って削除されるなど、2月17日の安倍首相の答弁が影響したことは疑いようがありません。

 事件の焦点は一体誰が公文書改ざんという犯罪的行為を指示したのか、です。
 財務省の森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書では、改ざんは佐川氏が国会のさらなる追及を逃れるために行ったというのが建前となっています。しかし、審議の過程で重要な事実が明らかになりました。

 安倍首相の2月17日の答弁後、首相は、「特に家内の名前も出たから、しっかりと徹底的に調べろ」と菅官房長官に指示し、菅氏は2月22日に理財局幹部と航空局幹部を呼んで森友事件について説明させていたことが、判明したのです。
 しかもこの会合の説明には、佐川理財局長だけではなく、決裁文書を決裁した張本人である中村総務課長、そして佐川氏の後任の理財局長となる太田充大臣官房総括審議官も同席していたのです。

 会合は2月26日から始まる改ざんの4日前であり、菅氏は決裁文書にある問題の昭恵氏の記述を2月22日の時点で把握したことになります。「いい土地ですから前に進めてください」という、安倍首相の進退に繋がる国有地払い下げに対する昭恵氏の積極的な関与を示す記述は、菅氏にとって衝撃だったに違いありません。

 私は改ざんへの官邸の関与についての追及を国会で行いました。ところが、国会では耳を疑う答弁が相次ぎました。
 なんと2月22日の会合では、官僚から菅官房長官に決裁文書における昭恵氏の記述の話は一切しなかったというのです。
 繰り返しますが、2月17日に「私や妻が関与してれば総理も国会議員もやめる」という安倍首相の答弁があり、「家内の事もあるから徹底的に調べろ」という指示のもと集まったのが22日の会合なのです。決裁文書の昭恵氏の話が一切なかった、は到底信じられません。なぜなら出席者の一人である中村稔総務課長は、当該決裁文書を決裁した人物であり、「報告しなかった」は通用しないからです。

 ところが、答弁に立った太田理財局長は、中村氏に聞き取りをした結果として、「2月22日の時点では、(決裁文書の昭恵氏の記述について)彼は気がついていなかったということでございます」(2018年4月18日衆議院財務金融委員会)と言い、続く参議院財政金融委員会での私の追及に太田氏は「(中村は当時)文書の中まで見ずに、決裁したとのことです」と言ってのけたのです。官僚が決裁文書の中身を見ずに決裁をするなどあり得ません。

 それでは、中村氏が決裁文書の存在を認識したのはいつだというのでしょうか。私の国会質問に太田理財局長は「・・・官房長官の会見での質問というのがあって、要すれば、決裁文書ということが永田町かいわいで議論が起きてきた時に、決裁文書だ、そうだそうだと思って、その時に確認をしたというふうに言っています」と答弁したのです。

 全く馬鹿げた話です。個々の契約の経緯が記載されている最も重要な公文書が決裁文書であり、それを見ずに契約の全体像を把握することは不可能です。国会が森友一色となり、理財局長に最も近い立場にあって、国会答弁作成にも関わる中村氏が決裁文書を見ず、その存在すら頭になかったとは余りにも無理筋です。


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辰巳孝太郎
2020/09/02 21:44
https://note.com/kotarotatsumi/n/nae4fadccf4f4