「安倍という人は何も知らない。知ろうとしない」。今月10日、長崎出身のある91歳の女性のツイッターへの投稿が、5000件以上リツイートされた。前日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での安倍晋三首相のあいさつが、広島での内容とほぼ同じだったことを知り、怒りを覚え、生々しい被爆体験を連続投稿したという。「91歳になるまで声をあげなかった自分が情けない」。75年を経た今の思いを聞いた。【吉田卓矢/統合デジタル取材センター、後藤由耶/写真映像報道センター】

 女性は東京都内に住む森田富美子さん(91)。「わたくし91歳」というアカウント名で2019年6月からツイッターを使っているという。

 自宅近くの取材場所には、長女京子さん(66)に手を引かれて現れ、つえを使ってはいるが、しっかりとした足取り。丁寧に頭を下げて椅子に腰掛けた。ゆったりとした口調で75年前、長崎の町で見た光景を一つ一つ思い出すように語り始めた。

 森田さんは当時16歳で鶴鳴女学校(現鶴鳴学園長崎女子高校)に通っていた。両親と弟3人、妹1人の7人家族で、爆心地から西へ200メートルほどで現在、長崎市民総合プールのある場所に住んでいた。原爆が投下された8月9日は、早朝から電車と船を乗り継ぎ、爆心地から約10キロ南にある香焼(こうやぎ)島にいた。現在は埋め立てられて陸続きとなっている島には当時、造船会社「川南工業」の工場があった。そこで「報国隊」の一員として労働に従事していたのだ。

 「ただ工場ですることはあまりなくて、あの時もトンネルになった工場の中で友人と歌を歌ったり、談笑したりしていました」

 突然、ドーンという大きな音とともに猛烈な爆風がトンネルの入り口から内部に吹き込んだ。「皆で伏せたのですが、いろんなものが(トンネル奥に)飛ばされました」

 しばらくして、「長崎が燃えている」という男性の声が聞こえた。友人らと近くの丘の上に駆け上がり、北の方角に目をやると、海の向こうの長崎市街で大きな煙が上がっているのが見えた。「(長崎の原爆写真としてよく見る)キノコ雲からちょっと崩れたような感じで、黒くて周囲が白かったです」

 やがて、島から長崎市街への船が出るとのことで急いで丘を下りた。甲板はぎゅうぎゅう詰めで数人の友人と手をつなぎ乗船した。多くの人がいたにもかかわらず、「誰も何も言わない静かな船内でした」。着岸した桟橋から北上して長崎駅の方を目指して歩いたが、途中で火事の熱気が強くなった。防火水槽の水を3杯頭からかぶっても、熱くて駅方面に進むことができない。遠回りして山の中腹にあった農道を通って自宅を目指すことにした。

毎日新聞
2020年8月27日 14時00分
https://mainichi.jp/articles/20200826/k00/00m/040/368000c
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「安倍という人は何も知らない。知ろうとしない。」から始まった森田さんのツイッターへの連続投稿