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○天皇制と闘うとはどういうことか

融通無下な鈍感さを許さない政治的・歴史的想像力を奪還する

日本天皇制国家の歴史的責任

 日本天皇制にはガラパゴス化した君主制一般以上のトラウマがある。植民地支配と侵略戦争という消し難い事実が存在するからだ。

 満蒙は生命線とか、大東亜戦争はアジア解放の聖戦とかいう「たわ言」は、戦争目的を共有した「同盟国」ドイツが行った戦後処理を参照すれば世界に通用しないことは明らかだ。国際社会にはヴァイツゼッカー演説というユニバーサルスタンダードが存在する。これに照らす限り、日本軍の犯した主権侵害・人権侵害・殺人・暴行・略奪の歴史を美化することは禁じられている。

 どこの国の軍隊でも慰安婦はいるとかいった「顧みて他をいう」議論は不毛である。吉見義明の『従軍慰安婦資料集』一冊で事足りる。あとは直接拘引したのが軍なのか女衒なのか、というだけのことだ。どちらも天皇制国家の国家犯罪である。 

 また、侵略行為について何度も謝ったという議論も、戦後補償の実体がドイツと全く異なる(たとえば『戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどう違うか』所収の粟屋憲太郎論文参照)以上、信じて貰いようがない。ドイツとは補償に拠出した金額が二けたも三桁も違うのだ。天皇制と闘うということは、そういう何よりもダメな、わが同胞多数派の無自覚を清算する事でもある。

朝日新聞:論座
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019101500003.html?page=4



(略)