保守分裂となった7日投開票の福岡県知事選は、麻生太郎副総理兼財務相がごり押しで自民党推薦の看板を据えた新人の武内和久氏(47)が、3選を期した現職の小川洋氏(69)に惨敗を喫した。最大の敗因は、麻生氏の私情も見え隠れする強引な武内氏擁立に対して、身内の自民党議員や支持団体から大きな反発を招いたことだ。もはや福岡県での「麻生1強」体制の瓦解は避けられそうにない。「おごる麻生は久しからず」である。

選挙中、自民党やマスコミ各社の調査などでは、「トリプルスコアで小川氏リード」とされていた。開票を待たずして勝負あったかの様相だったが、結果はやはり94万票余りの大差で小川氏に凱歌が揚がった。NHKも開票速報で午後8時とともに「当確」を報じた。まさに、麻生氏への「政治的死」を突きつけるような瞬殺だった。

「敗軍の将」たる麻生氏は7日夜、支援者らを前に「当選させられず誠にふがいなく、われわれの力不足だった。おわび申し上げる」と頭を下げた。自身が置かれた立場を覚悟しているのか。いつになく殊勝な態度だった。

 福岡県での主要選挙で麻生氏が「保守分裂」に陥れたり、その寸前に至るまで混乱させたりした“主犯”となったのは、今回の知事選が初めてではない。

■「私怨」が招いた分裂

 まずは2011年4月の知事選。自民党県連は当初、県議団会長擁立を内定したものの、麻生氏が「後出し」で自身の内閣で内閣広報官を務めた小川氏の擁立を主張し、調整は難航を極めた。結局、県連側が身を引き、小川氏が初当選を果たした。

 麻生氏の地盤である嘉麻市で行われた昨年3月の県議補選でも横やりが入った。自民党現職県議の死去に伴う補選であり、その事実上の後継者出馬が、規定路線となっていた。しかし、麻生氏の肝いりで元秘書が割って入ったため保守分裂を招き、結局、元秘書は落選の憂き目を見た。

 今年1月の北九州市長選でも麻生氏は、4選を目指す現職の北橋健治氏の対抗馬擁立を模索した。北橋氏は元民主党衆院議員で、前回2015年の市長選では自民党の推薦を受けて3選を果たし、同党が引き続き支援する流れと見られていた。しかし、それを甘受できない麻生氏は昨年11月、東大卒の北橋氏を「人の税金を使って学校に行った」と露骨に批判するなど「北橋降ろし」に動いた。最終的には麻生氏も矛を収め、北橋氏が自民党の推薦を得て4選を果たした。

 そして今回の知事選での保守分裂への導火線となったのが、鳩山邦夫元総務相の死去を受けた2016年10月の衆院福岡6区補選だ。「弔い」を期す鳩山氏の次男・二郎氏と麻生氏が推す候補が激突する構図となった同補選。自民党県連は麻生系候補の推薦に動いたが、二階俊博幹事長が拒否した。結局、新人2人がともに無所属で戦い、当選した二郎氏がその後、自民党および二階派入りした。自民党関係者が声を潜める。

「小川氏は過去2回の知事選で自民党の推薦を受けていた。ところが麻生氏は、この補選で推した候補を、自分の子飼いと見なしていた小川氏が支援しなかったことなどに激怒し、『小川降ろし』に傾いた」。つまり麻生氏の小川氏に対する「私怨」や「私憤」が、保守分裂に陥れたというわけである。

2につづく

デイリー新潮
2019年4月9日掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/04090556/