「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」――。安倍首相は新元号「令和」の典拠となった万葉集について、こう胸を張った。元号の典拠が「初の国書」だったことを強調していたが、実は、戦前にも似たようなことが起きている。皇子の名前の典拠に「初の国書」として万葉集が採用され、メディアが大フィーバーしていたのだ。

 万葉集が名付けの典拠だったのは、昭和天皇の7人目の皇子、1939年3月2日生まれの清宮(すがのみや)貴子内親王(現在の島津貴子氏)だ。国立国会図書館に記録が残る「東京朝日新聞」「東京日日新聞」「読売新聞」をチェックすると、同年3月9日付の各紙に礼賛記事が掲載されている。

「初めて萬葉集から」(東京日日)、「御ゆかしき御命名 萬葉から御選定」(東京朝日)、「特に萬葉から 聖慮畏し異例の出典」(読売)との見出しが躍る紙面からは、万葉集が出典となったことに世の中が狂騒する様子がうかがえる。

当時は、日中戦争のきっかけとされる盧溝橋事件から2年後のこと。「産めよ殖やせよ国のため」の標語を掲げた「結婚十訓」が発表された年で、大戦に向かっていくさなかだった。当時の政府は国威発揚のために「漢籍」ではなく、「国書」を用いたのだろう。メディアも無批判に“大本営発表”を垂れ流していたわけだ。

■世間のムードは「中国憎し」

 まさに「令和」フィーバーに沸く現在とそっくりである。皇室の歴史に詳しい成城大教授の森暢平氏(ジャーナリズム論)はこう言う。

「清宮内親王の名付けがされた当時は、社会全体が『中国憎し』というムードでした。だから、清宮の名前の典拠を万葉集に求め、それを新聞が大々的に慶祝ムードで報じたことがナショナリズムの喚起につながった。今回の新元号選定過程では、安倍首相や周辺の意向が働き、万葉集が典拠になったと報じられています。元号発表セレモニー自体が政権に利用された側面があるのに、主要なメディアが礼賛報道ばかり続けている現状は、戦前と似た嫌な空気を感じます。歴代政権が漢籍を典拠にしてきたのは元号制定において中立性の担保になった。今回の決定は統一地方選のさなかでもあり、野党が反対できない元号制定で政治的アピールをしたことになんの批判もないのはおかしなことです」

 清宮内親王の誕生から6年後、日本は破滅に至ったのだ。お祝いムードばかり報じていてはダメなはずだ。

日刊ゲンダイ
19/04/06 06:00
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