【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(36)「愛国スーツ」にご用心


■お約束通りの三文芝居

 以前にも紹介したコレージュ・ド・フランス(仏の国立特別高等教育機関)教授であるアントワーヌ・コンパニョンが『寝るまえ5分のモンテーニュ』(白水社)のまえがきに記した言葉を再掲する。

 《モンテーニュの文章をぶつ切りにして、その断片を利用しようとする者は、即座に嘲笑の的となり、「能なし」扱いされた》

 「ク・セ・ジュ」(われ何をか知る?)という言葉に代表される反語を多用した複雑で矛盾に満ちた『随想録』のテキストの一部を切り出す行為は危険極まりない。自分の欲している言葉を『随想録』の中に見いだして切り出している私は、ときに大きな間違いを犯しているかもしれない。牽強付会とならぬよう注意したい。



 さて、最近の話題である。柴山昌彦文部科学相が2日の就任会見で、記者から「過去の文科相は教育勅語の中身を肯定するような発言をしているが、どう考えるか」と質問され、「現代風に解釈したり、アレンジした形で、道徳などに使える分野もあるという意味で、普遍性を持っている部分もある」と答えた。

 「待ってました」とばかりに、立憲民主党の辻元清美国対委員長が「認識違いも甚だしい」としたり顔で切って捨て、国民民主党の玉木雄一郎代表も「教育をつかさどる大臣の発言として軽率だ」ときまじめな顔で批判した。共産党の宮本岳志衆院議員にいたっては、自身のフェイスブックに「またバカが文部科学大臣になった。教育勅語を研究もせずに教育勅語を語るな!」と書き込んだ。

※中略

■ネトウヨと浅薄な政治家

教育勅語について書いているうちに、英国の詩人にして批評家のサミュエル・ジョンソン(1709〜84年)の言葉を思い出した。

 《愛国心とは、ならず者たちの最後の避難場所である》

 王族や貴族などのエリート層は「ノブレス・オブリージュ」(高貴な者の義務)をかなぐり捨て、私的利益ばかりを追求していると批判して、既存の身分制秩序を破ろうとする急進的な愛国主義者に対して、英国保守党の前身であるトーリー党支持者であったジョンソン博士が吐いた不満の言葉だという。

 この言葉はやがてジョンソン博士の真意から離れて独り歩きを始め、図らずも箴言(しんげん)として受け止められるようになった。

 私などは、昨今ネットにしきりに書き込まれる愛国者気取り(いわゆるネトウヨ)の言説を見るにつけ、ジョンソン博士の言葉をもじって「愛国心とは、不満を抱えた弱者たちの最後の避難場所である」とつぶやいてしまう。

 ネトウヨは、けっしてならず者などではなく、その素顔は自分の生きる軸を見いだせずにいる、よるべなき人々だろう。それが「愛国」というスーツを手に入れて着用することで、「日本」の代理人にでもなったかのような高揚感を覚え、ネット上で暴走を始め、ならず者化する。その言説の何割かは、自分の頭で考えたものではなく、ヘイト本の受け売りだ。

 気がかりなのは、こうしたネトウヨの言説と、彼らの受けを狙った一部の浅薄な政治家や売文家の発言が共振して、その主張がより排他的で過激になってゆくことだ。「愛国」には、理性を狂わせる魔力が潜んでいる。

 政治家には愛国心が不可欠だが、「愛国」の魔力に取り込まれてはならない。国を誤らないためにも「愛国」とは一定の距離を保つバランス感覚が絶対に必要だ。「愛国スーツ」を着用した政治家の語る言葉は、愛国者を自任する者たちを熱狂させるだろうが、私はそれに与(くみ)したくない。付け加えておくと、教育勅語について自分の考えを述べた柴山大臣は「愛国スーツ」など着用していなかった。=隔週掲載


(文化部 桑原聡)

産経新聞
2018.10.14 12:00
https://www.sankei.com/premium/news/181014/prm1810140009-n1.html