頭のいい人は本質を突いてしまうなあ

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佐々木俊尚 (@sasakitoshinao)
新潮45の原稿自体がかなりひどく強烈で、それに対する反応もひどく強烈で、なんだかその相互作用に目がクラクラした感じがあったんですよね。おっしゃることに同意です。
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お米が食べたい @EzjsHtX8GhmQnfY 発端となる論文からの流れを観察していると、マッチポンプなのではないかと思いました。
もはやアイデンティティの問題ではなく、イデオロギーの問題として扱い、左右ともに利用している感じに思います。社会の寛容さや理解、逆に問題点や複雑さの理解を深める流れを阻害する流れだと思いました。



佐々木俊尚 (@sasakitoshinao)
強烈にひどい扇情的な記事が書かれ、その「わかりやすいひどさ」に飛びついた人たちが強烈に反応し、それらの応酬があまりにも激しすぎてついていけない。
もともとのマイノリティの問題や表現の自由の問題についてのまっとうな議論が置き去りにされていくように感じてます。>新潮45問題


佐々木俊尚 (@sasakitoshinao)
もちろん怒りは政治にとって大事なことですが、私が心がけてるのは(1)その怒りが言論封殺に行きすぎないようにすること、
(2)その怒りが党派性にからめとられないようにすること、の2点です。
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矢澤ちひろ (@YazawaChihiro) え、でも怒る人がいて当然と感じたんですが。
怒りを抑えていかないとダメなんでしょうか?
暴力に訴えたなら行き過ぎですが、怒りは正当な反応だと思いますよ…。


佐々木俊尚 (@sasakitoshinao)
文春の「マルコポーロ」は抗議を受けて自主廃刊だったんですよね。売れなくなって休刊ではなく、そのような形で廃刊したことは私は良くなかったと思っています。
もちろん、掲載された記事が恐ろしくひどい内容だったということは前提として。

佐々木俊尚 (@sasakitoshinao)
なぜ抗議されて廃刊が良くないのかと言えば、党派同士の闘争の材料になってしまうからです。
「気に食わない相手を潰せ」という抗議が有用性を持ってしまう危険性をはらんでいるから