セクハラオヤジから“口撃”された女性の告発の舞台が、なぜ本誌(「週刊新潮」)なのか――。騒動を扱う情報番組でコメンテーターや司会者が口にしている、この単純な疑問に頷いた視聴者も少なくなかろう。お説ごもっとも。ならばいま一度、端的に説明させていただきます。(※記事内容は「週刊新潮」4月26日号掲載時のもの)

たとえば、4月15日のTBS系「サンデー・ジャポン」。「今回ちょっと思ったのはね」と、テリー伊藤。

「本当だったらああいうことがあったら自分が属しているメディアに対して言えばいいのに、(中略)事務次官の方だって当然、誰だってことは分かるわけじゃない。彼女自身がやりにくくないのかなあと思って」

 この翌日。日本テレビ系の「ミヤネ屋」では、

「女性記者の方だったら、なんでそれを週刊新潮さんに持っていくんですかね。自分でできないんですかね」

 元読売巨人軍の宮本和知がこう言い、宮根誠司は、

「だから結局そうなってくると、特定されてしまうってことがあるんですかね」

 これらを約(つづ)めれば、「被害女性たちは、なぜ自社で報道できないか」となる。

 それにはまず、「自社」に訴えたことのある女性の声をご紹介しよう。彼女は40代、大手新聞社の勤務だ。

「社会部記者でした。情報源からのセクハラを受けいれてネタを引いているとか、ただならぬ関係にあるんじゃないかと疑われて口惜しい思いをしたので、会社に相談したのです」

 すると、どうなったか。

「幹部に呼び出され、“ひとりの人間を潰す気か”と叱責されました。情報源の勤務先に洩れて迷惑がかかったらどうするんだ、と」

■記者クラブと会社の看板

次官の件とはいささか異なるが、そもそもの問題は、

「日本は、組織ジャーナリズムで動いていますから」

 と、上智大学の碓井広義教授(メディア文化論)。

「記者クラブのような組織に属し、会社の看板を背負うからこそ取材ができるのです。そういったなかで自らが属する媒体で被害を報じれば、同僚が取材現場でなんらかのリミットをかけられることは火を見るより明らか。福田次官の件がそんな相手の立場の弱みを巧みに利用した、卑怯な手口だったといっても、彼女たちもセクハラを受けて、そこで帰ってしまえば、会社から“なにやってんだ”と言われてしまうんですよ」

 具体的に言えば、こういうことだ。財務省を担当するデスクの解説。

「セクハラに反発したりすれば、その女性記者が所属する社は財務省から嫌がらせをされて“特オチ”(※他社は報じているのに、自社だけが逃したニュース)が待っている。そうなると同僚にも迷惑がかかります」

 これは検察や警察、各省庁の記者クラブにもあてはまる。政治家相手も然り。

「新聞やテレビの記者がもっとも避けたいのが特オチです。特オチは会社の看板に泥を塗るだけでなく、記者の評価にも直接、響く。つまり、ひとりの女性記者がセクハラで声をあげると、その社のクラブ員が特オチし、評価を下げられる可能性がある。それが分かっているから、女性記者は多少のセクハラにもニコニコ笑って耐え、取材相手に愛敬を振りまくわけです」

 たとえば、財務省担当の至上命題のひとつに、日銀総裁人事がある。

「それで特オチしようものなら、それこそ地方の支局に飛ばされます。最強官庁と呼ばれる財務省は情報の出し入れがうまく、記者を使った情報操作にも長けている。日ごろから財務省の意に沿う原稿を書いていないと、日銀総裁人事が取れないといった仕打ちを受けるおそれがあります」

 いかがでしょう? なぜ自社で報道できないか、お分かりいただけたのでは。

週刊新潮
2018年4月26日号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04250558/?all=1&;page=1