Yahoo JAPAN ニュース 4/5(木) 11:01
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180405-00083596/

 それまで「ない」とされていた、陸上自衛隊イラク派遣部隊の活動記録である日報が、実は存在していたことが、
今月2日、小野寺五典防衛相が明らかにしたことで、与野党から批判が高まっている。1万4000ページの日報に
何が書かれているのか、その中身が非常に気になるところであるが、他方で、その日報自体にも、
隊員の負傷など本当に重大な報告は、あらかじめ「削除」され、記載されていない可能性がある。元自衛官に聞いた。


〇元自衛官が証言「銃声や地雷爆発、日常茶飯事」‐ゴラン高原でのPKO活動

 今回、筆者の取材に応じてくれた、元自衛官のA氏は、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊として、
シリア南部ゴラン高原での任務に従事したという。ゴラン高原は、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領し、
その後、一方的に併合を宣言している。ゴラン高原では、シリア軍とイスラエル軍の衝突を防ぐため、
PKOとして、国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)が1974年から活動しており、日本の自衛隊も1996年から2013年まで、
第一次から第34次にわたって派遣された。

 陸上自衛隊第4師団に所属していたA氏は、自衛隊PKO部隊の一員として、1996年にゴラン高原へと派遣された。
「当時は、PKO派遣に社会党(後の社民党)土井たか子衆議院議員(当時)らが猛反対していたため、
僕らは小銃の弾も持たされないで、現地での活動への参加を余儀なくされたんですよ」とA氏は振り返る。
実際にはパッケージされた銃弾自体は持参していたものの、銃弾が装填されていない小銃を抱えてのPKO活動とは、
丸裸にも等しい状況であるが、PKO参加の法的根拠であるPKO協力法では、「紛争当事者間で停戦合意が
成立していること」がその原則の一つとされている。つまり、シリアとイスラエルは停戦しており、
ゴラン高原での活動では戦闘は起きえないし、そもそも自衛隊の活動は後方支援だから、小銃の弾も必要ない
というのが、当時の政界の理屈だったのだ。ただ、ゴラン高原での活動の実態は、そうした卓上の論理からは
かけ離れたものだったと、A氏は言う。

 「パトロール中、発砲音や迫撃砲の音、地雷が爆発する音が周囲に鳴り響くことは、当たり前のようにありました。
最初は非常に驚きましたが、だんだん感覚がマヒして慣れていきました」(A氏)。


〇自衛隊員が被弾、燃やされた日報

 A氏によると、シリア側の武装集団とみられる勢力が、国連PKO部隊に攻撃を行うことは、頻繁にあったのだという。
そうした極度の緊張下の中での任務で、ついに恐れていたことが起きた。

 「僕らは、小高い丘の上を見回っていたのですが、数百メートル離れた草むらの中から狙撃があり、
ある自衛隊員が膝の近くを撃たれました。不幸中の幸い、銃弾は貫通し、大動脈を傷つけることも無かったため、
命自体には別状はありませんでしたが、それでも、流血はかなりのものでした。傷の状況から観るに、
5.56ミリ弾、AK系の銃*によるものでしたね」(A氏)。

*筆者注:AKでも100系など、5.56ミリ弾を使用する銃はある。

 小銃に弾が装填されない状況で活動させる程、「危険はない」とされた、ゴラン高原でのPKO活動への参加で、
自衛隊員が撃たれた。PKO派遣そのものが見直される程の大事件であるにもかかわらず、この銃撃事件について、
公式の記録が残されなかった。A氏が証言する。

 「ゴラン高原派遣部隊の日報に、当初、『隊員が被弾』と書かれていたのですが、上官により、
『隊員が被弾』の部分を除いた書き直しが命じられました。当初の日報は焼却され、文字通り無かったものと
されたのです」(A氏)。


(続きは記事元参照)