30年前、私が通産省でセメントを担当していた頃、御父上(太賀吉氏)のこんな言葉を耳にした。「太郎がもう一日社長をやっていたら会社(麻生セメント)は潰れていた」と。
当時は弟の泰さんが社長でお付き合いしたが、麻生セメントや麻生飯塚病院の再興の祖は彼だった。太郎さんではありません!