2018年2月15日11:50 バザップ
http://buzzap.jp/news/20180215-rekishisen-mobilization-gunma/

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自称保守界隈が群馬県に対して何を行っていたのか、そして群馬県が何に荷担したのかが浮き彫りになっています。詳細は以下から。

◆追悼碑の建立から更新不許可の経緯
群馬県高崎市にある県立の都市公園「群馬の森」に建てられている追悼碑「記憶 反省 そして友好」をご存じでしょうか?この追悼碑は第二次世界大戦中に朝鮮半島から強制連行され、強制労働に従事させられる中で死亡した朝鮮人たちを追悼する目的で建立されたもの。

この追悼碑には以下のような碑文が刻まれています。

追悼碑建立にあたって

20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。

21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。

2004年4月24日

「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会

2月14日、この碑を管理する市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が群馬県を相手取って行った訴訟の判決が言い渡されました。訴訟で「守る会」はこの追悼碑の設置期間更新を県が許可しなかった事を「裁量権の乱用」として不許可処分の取り消しを求めており、前橋地裁の塩田直也裁判長は県の処分を違法として取り消しました。

いったい追悼碑を巡って何が起こっていたのでしょうか?

この追悼碑が建立されたのは上記碑文にもあるように2004年のこと。「守る会」の前身団体である「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を建てる会」宗教的・政治的な行事や管理をせず、県の許可を10年ごとに更新することを条件として建立されました。

建立後しばらくは特に問題も攻撃もなく毎年追悼集会も開催されていましたが、状況は大きく変化してゆきます。メールマガジン「オルタ」の記事によると

追悼碑をめぐり、2012年ごろから、いわゆるネット右翼などによる『碑文が反日的だ』『強制連行などなかった』『碑が政治利用されている』『在日朝鮮人が建てた碑は撤去せよ』などの意見が、群馬県に対して集中的に寄せられ始めました。
http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91%E8%A8%B4%E8%A8%9F
(群馬県朝鮮人犠牲者慰霊碑訴訟 ? 一人ひとりが声をあげて平和を創る メールマガジン「オルタ」より引用)

とのこと。同様の記述はレイバーネットの記事にも見られ

追悼集会は、2012年の第9回までは「群馬の森」公園で行われていました。しかし、右翼団体からの「碑文が反日的だ。撤去せよ」との県への「苦情」や、追悼碑前での妨害行動を理由として、会場変更を余儀なくされました。
http://www.labornetjp.org/news/2015/0418ozawa
(追悼碑の存続を求めて〜朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼集会開かれるより引用)

とされています。これを裏付けるように産経新聞も2014年4月の記事で

集会は一昨年まで碑前で行われてきた。だが、「参加者が歴史認識や朝鮮学校の無償化問題など政府を批判する発言を繰り返している」との通報や県民からの批判が相次ぎ、県は昨年から公園内での実施を認めず、同会は会場を別施設に移した。
http://www.sankei.com/world/news/140420/wor1404200010-n1.html
(群馬の朝鮮人追悼碑を守る会、批判の中集会 「更新拒否なら国際問題」 ? 産経ニュースより引用)

としており、2012年から自称保守界隈からの「通報」や「苦情」が群馬県側に大量に寄せられていたことが分かります。そして「新しい日本を考える群馬の会」を名乗る市民団体らから追悼碑設置許可取り消しを求める請願が行われ、2014年6月に群馬県議会はその請願を採択。群馬県はこれを受ける形で2014年7月に設置期間更新不許可の決定を発表しました。

(以降ソースにて)