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選挙が全てと言ってよいのだろうか


選挙のつぎに彼が意図したことは、あたらしい国会で全権委任法 ――正確には「国民と国家の窮状を除去するための法律」――を成立させることであった。
この法律は憲法を変更するものであったから、その国会通過のためには、三分の二の同意が必要であった。
ヒトラーは、舞台裏でのおどしと甘言をまじえて、ついに最後には社会民主党をのぞくすべての政党の賛成をとりつけることに成功する。
もちろん、そこにいたるまでには、政党の側に多くの躊躇や内的葛藤があった。
とくに事態の鍵をにぎっていた中央党の内部では、元首相のブリューニングをはじめとする人たちがこの法律に反対を主張した。
だが結局、中央党の場合にも、また国家党、人民党といった自由主義政党の場合にも、つぎのような考えが勝ちをしめた。
もしも議会がこの法律を拒否すれば、ヒトラーをますます恣意的な暴力支配に走らすことになるだろう。
たとえヒトラーに強大な権限をあたえる悪法であっても、法律は、ないよりましだ。
――この「・・・・・・よりはましだ」という思考様式こそ、 実はヒトラーにつけいる隙をあたえるものだったのである。

それにしても、三月二十三日の全権委任法の国会採決は、まことに異様な雰囲気のなかでおこなわれた。
国会議事堂はすでに焼失していたので、クロル・オペラハウスが議場にあてられたが、 当日この建物の内外には、黒シャツの親衛隊員や褐色のシャツの突撃隊員がたくさんおしかけていた。
そうしたなかでみずからも褐色のシャツを着たヒトラーが、大きな鉤十字旗を背に演説をおこなった。
彼は、大統領の権限をおかすつもりはないとか、教会の地位は尊重するといったふうに、 適当に中央党などの気をひいたかと思うと、また、こんなふうにおどしもかけた。

「・・・・・・たとえ全権委任法が拒否されても、政府は前進するつもりだ。 戦争か平和かを決定するのは、議員諸君、あなたたちだ」

結局この法律は四四一対九四票で国会を通過するが、 それにさきだって社会民主党のオットー・ヴェルスがこころみた勇敢な反対演説は、 ドイツ国会の演壇からのナチスに対する最後の抵抗となった。
なお共産党は、すでに弾圧されており、議会に出席さえみとめられなかった。

こうして生まれた全権委任法は、ヒトラーに対して国会の同意なしに自由に法律を制定する権限をみとめるという、 途方もない内容のものだった。

野田宣雄 「ヒトラーの時代(上)」